白雲去来

蜷川正大の日々是口実

終戦の日。

2010-08-17 15:59:09 | インポート

八月十五日(日)晴れ。終戦の日。

 

 起床後、玄関にて英霊顕彰。靖国神社の英霊の皆様を思い黙祷を捧げた。毎年、田舎に帰郷しないときは、靖国神社に詣でていたが、最近のこの日の喧騒は、少々常軌を逸しているように思って、今年から、この日の参拝はやめて、春と秋の皇霊祭に詣でることにしている。この日は、ご遺族の日として、静かに見守りたいと、個人的に思っている。

 

 午前中に、松元佳展君、カメ&アコちゃんらが来訪して、本牧市民プールへ。サリーファミリーたちが、大勢集っていた。恒例の夏の終りの集いである。大人たちは、プールで泳ぐわけではなく、暑さしのぎに「浸かりにゆく」という感じ。正午のサイレンで黙祷。

 

 三時過ぎに解散。中間達と「たつ屋」で早めの夕食をとってから帰宅。八時前には寝てしまった。


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何と、日本は、36回も謝罪しているそうだ。

2010-08-17 15:48:49 | インポート

八月十四日(土)晴れ。

 お盆休みとやらで、珍しく家族が全員家に居る。朝食の後は、ガァッーと自宅の掃除。体が汗でびしょびしょになった。

 

 八月十二日の産経新聞の一面、櫻井よしこ氏の「菅首相に申す」の冒頭に、「歴史に関して、日本国政府が過去にどれほど謝罪を重ねてきたのか」、というものがあった。櫻井氏の調べによれば、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人の談話まで、何と、三十六回にも及ぶそうだ。

 

 歴代の首相、官房長官、昭和天皇と今上天皇の発言の一覧表を見て、暗澹たる思いになるのは、櫻井氏だけではあるまい。何ゆえに、私達は、謝罪を続けなければならないのか。それも、第三国から強制されたわけではないのに、自らが謝る。本当に、日本人は、歴代の首相が謝罪をしなければならないほどの悪事を働いたのか。その謝罪とお詫びが、国民の総意ではなく、歴代の政権の都合と事情によって行なわれるから始末が悪い。

 

 「そんなに悪いと思っているならば、その謝罪を形で示せ」と、言われ続け、中小企業に融資も行なわず、ODAという名の、体の良い賠償金を支払い続けてきたではないか。特に支那へのODAは莫大な金額である。これ国民の血税ではないのか。

 

 菅や仙石などの連中は、間違いなく「売国奴」だが、こんな連中を選んだのも国民の多数なのだから嫌になる。国がどうなろうとも、テメエさへよければ良い。という人間が余りにも多くなった。戦争に敗ける、ということは、なにも物理的なことだけではなく、文化や誇りまでも蹂躙されるとと言うことに、早く気がついて、日本人の正気を取り戻さなければいけない。

 

 連日の猛暑で、野菜が値上がりしているという。今日も、テレビで、こぎれいなババアが、「緑の葉物は高くて買えませんわ」などとほざいていた。高いといっても、キャベツ一個が、高々、百九十円程度だ。二百円のキャベツが高くて変えないならば、車でスーパーなんか行くんじゃネェよ、くそばばぁ。ブランドのバックを下げて、百円、二百円のことを言うんじゃないのって。

 

  今までが、安すぎたのかもしれない。農家のことを考えたら、キャベツ一個が二百円くらいで丁度良い。そうすれば、もっと大事に野菜を使うことを考えるようになる。にんじんも、大根も、ジャガイモも、別に皮をむかなくとも、なんともない。私が子供の頃は、そういったものは、きれいに洗うだけで、皮などむかずに料理した。スイカの皮だって、おしんこにしたものだ。キャベツが、一個千円になったって、死ぬ奴ぁいねぇーよ。

 

 夜は、藤棚商店街の縁日に、前回は行けなかった、下の子供を連れて出かけた。カメ&アコちゃんたちと合流して、「一休寿司」で一献。


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出発祝いに、安着祝い。

2010-08-16 11:39:04 | インポート

八月十三日(金)曇り。

 七時に起きた。家族でホテルのロビーに併設された食堂(レストランではない)で朝食。ここのホテルには三四回泊まったが、朝食を食べるのは初めてのことである。なぜか、それは、食事と言うよりも「餌」に近いからである。もちろん値段を考えたら文句を言えた義理ではないが、安さを売り物にして、こんな朝食をさせていると、必ず日本の食文化はダメになると思うからである。

 

 しかし、わが家の家族は、そんなことはお構いなしに、ここの餌を喜んでいる。まあドライと言えば、そうかもしれないが、私の教育が間違っていたのかもしれない。オニギリ、玉子、みそ汁・・・。まあいいか。嫌なら泊まらなければ良い話だ。いつもは、チェックアウトギリギリまで寝ていて、近くの蕎麦屋で、朝から蕎麦湯割りに舌鼓を打ちながら、友との別れを惜しむという、浪人的不道徳な朝食兼昼食を楽しむのだが、子供連れで朝から酒でもあるまい。

 

 食後は、ホテルの近所をぶらぶらしてから、別れの昼食は、ビストロでパスタ。愚妻と子供達は大喜びである。

 

 三時半に新横浜着。家族と松本、小枝のお二人らと分かれて、私はそのまま東京へ。徐氏と山女仙人と共に、浅草で隠岐康氏のお世話で安着祝いを行なった。まず、私の好きな、蕎麦屋で、そばを食べるのを忘れて、「お茶割り」「蕎麦湯割り」を堪能してから、すし屋に転戦。しこたま飲んで、九時過ぎに我が家着。連日、非生産的な日々を過ごしている。


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仲の良い人たちと、小旅行へ出た。

2010-08-14 08:33:19 | インポート

八月十二日(木)曇り。

 台風の余波か、雨だったり、風が強かったりで天気は最悪。今日は、家族で一泊の小旅行に出た。場所は内緒。船遊びをするつもりが、風が強く中止。従ってただの飲み会となってしまった。それでも気の置けない人たちとの酒席は楽しい。

 

 昼間から、蕎麦屋で到着祝いの酒盛り。メンバーは、山平重樹、徐裕行の両氏に、松本佳展、小枝のお二人に盟友の山女仙人、東海の夜の市長氏、そして不肖・宮嶋氏とわが家の家族。

 

 一眠りしてから割烹で、極上の料理に舌鼓を打ち、その後は、子供達をホテルに送ってから怒涛の酒宴。船に酔わずに、陸で酒に酔った。

 

 私達は早目にホテルに戻ったが、元気な人たちは、夜中のうどんに挑戦したらしい。酒の酔いよりも、最近では、夜中のラーメンやうどんなどは、命と引き換えの覚悟が必要で、最近は遠慮している。

 

 十二時前に、寝た。


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事務所の片づけをしました。

2010-08-14 08:23:11 | インポート

八月十一日(水)雨。

 何とこの時期に台風が発生し、大雨である。それでも雨が降れば水不足も解消するので仕方ないか。

 

 今日も事務所で仕事。機関誌の製作が終了したので、事務所の片づけを行なった。毎月様々な団体から送られてくる機関誌の山。中には、何を勘違いしたのか、左翼の機関誌まで届く。大体、半年ぐらいは取っておくのだが、それが過ぎると、申し訳ないが廃棄させて頂く。自分が機関誌を作っているので、その苦労と大変さを知っているだけに、廃棄するのには忍びないが、何分にもスペースは限られている。今では、自分の本を置く書棚も一杯である。近々、大工さんに頼んで書棚を拡張しなければと思っている。

 

 夜は、今や、近所のジジ・ババ達のたまり場となった感のある「たつ屋」で、夕食を兼ねて一杯。この店の「チャー麺」(中華風焼きそば)がまた美味いんだナァー。九時半まで居て、愚妻に迎えに来てもらい帰宅。


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