白雲去来

蜷川正大の日々是口実

恒例の「蜷川政経懇」を開催。

2010-08-14 08:10:15 | インポート

八月十日(火)雨のち曇り。

 毎月十日が恐ろしい。クレジットカードやその他の引落しが集中するからである。今回も何とかセーフ。午後から事務所へ。機関誌の製作の続きである。

 

 私が編集をしている「大吼」の秋号の特集「心に残る一冊の本」に原稿を依頼した方々から続々と原稿が送られている。手書きでの原稿も多く、弊社の機関誌の製作と合わせて、忙しい日々を過ごしている。

 

 夜は、恒例の「蜷川政経懇」を自宅近くの「清水苑」にて開催。お盆休みと重なったせいか、集まりが悪かったが、少人数でも盛り上がった。

 

 終了後は、おとなしく自宅に戻り、パソコンで「大吼」の編集。


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民族痛恨の日が、また巡ってきた。

2010-08-14 08:01:28 | インポート

八月九日(月)曇り。

 六日、九日は民族痛恨の日である。米国による戦時法違反行為である広島、長崎における原爆の投下で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。

  そういえば、六日は松本佳展君の誕生日。また私の最初の子供の誕生日でもある。元気で恙無く暮らしてもらいたいものだ。

 

 朝食後は事務所で機関誌の印刷と製本。丁合機のお陰で、随分と編集作業が楽になった。夕方に作業終了。と言っても全て終わったわけではない。残りの作業は明日に持ち越し。

 

 夜は、自宅でおとなしくしていた。事務所の書庫から持ってきた山岡荘八の「海底戦記」(中公文庫)を読みながら「黒霧島」を少し飲んで寝た。

Img378 ※最新号は、弊社機関誌の軌跡です。ご支援のほどを宜しくお願い致します。


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海のバーベキューに招待されました。

2010-08-11 09:35:06 | インポート

八月八日(日)曇り。

 今日は、読者であり、横須賀在住の久保田准氏の主催するバーベキューが三浦海岸の長浜という海水浴場にて行なわれるので出席した。昨年もご招待されたが、今年は私一人。愚妻は夏風邪、子供達は部活にサークル。

 

 九時半に迎に来て頂き、長浜へ。凄い人手である。早速朝から一杯。暑さと海辺の風が、酒の良い肴となる。二時過ぎまで楽しんで、帰宅した。感謝合掌。

 

 事務所にて、機関誌の印刷。今月号は、過去の機関誌の総合カタログである。といっても単なるカタログではなく、私の汗と涙と苦労の結晶。チョット大袈裟か。

 

 早目に寝ました。


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民主党の出す「談話」が、日本人の総意であるわけがない。

2010-08-11 09:17:23 | インポート

八月七日(土)晴れ。

 資料によれば、明治三十三年の今日、黒岩涙香が主宰する「万朝報」に幸徳秋水の論文「非戦争主義」が掲載され、話題となる。北清事変に日本が参戦してから四十日後のことで、この幸徳の論文が、我が国における「非戦論の嚆矢となった。自虐談話の嚆矢は、「村山談話」か。

 

 民主党は、日韓併合百年の節目に、自虐的談話を発表するという。日本人が加害者で朝鮮人が被害者、という図式からは、真の友好など生まれまい。仙石とかいう低脳児が、「日本人は朝鮮人の土地を奪い」と言ったそうだが、つい最近の事。そう信じている韓国の人が、戦前の土地台帳、特に、農地の登記簿を調べたら、日本人名義の農地など、ほとんどなかったそうだ。「日本人は、韓国人農家の作った米や農産物を、全て収奪して、日本へ持っていってしまった」という、ことに対しても調査した。

 

  確かに、朝鮮の農民が作った米の多くは日本に持っていった。それは、韓国人の農民に現金を与えて購買力を増すために、日本人は、わざわざ日本の農家の米よりも割高な米を輸入したわけだ。そのせいで、日本の農民から苦情が役所に寄せられたこともあったという。道路を整備し、学校を作り、金融機関も整えた。このことには、日本人の血税が使われたのだ。だからと言って、植民地支配が正しかったなどと、思い上がっているのではない。

 

 ただ「負」の遺産ばかり強調していては、事実が見えなくなる、と言うことだ。野村先生の言葉ではないが、「歴史はミラーボールのように、照射する角度によって、光にもなれば、影にもなる。その影の部分だけ強調しては、歴史を見る目を誤る」と。

 

 民主党の出す「談話」が日本人の総意でないことを、知るべきである。


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三十五年ぶりに同志と再会。

2010-08-10 12:22:18 | インポート

八月六日(金)晴れ。

 私の朝の日課は、まず朝食を食べ終えると、パソコンに向ってメールの確認。次ぎが「お気に入り」のブログを読む。自分の事は棚に上げて、お気に入りのブログが、何日も更新されていないと、病気をしているのか、あるいはどこかへ出張へ行っているのかなどと、心配になる。それは、私のブログもそうで、今回のように多忙を理由に、ズルしていると、志村馨、松本佳展、湯浅進、石澤博文君らから、「何かありましたか」と電話が入る。

 

 考えて見ればありがたい事である。本当は、マメに更新しなければならないのだが、今月に入ってから「大吼」の秋号の特集「心に残る一冊の本」という特集を行っている。有り難いことに、三十名以上の方たちから玉稿を頂いた。メールが殆どなのだが、中には手書きの方もいて、それを入力する作業に追われている。嬉しい悲鳴である。

 

 夜は、何と、約三十五年ぶりの友人と再会しての一献会となった。この友人との再会の労をとって頂いたのは木村三浩氏。木村氏が講師で行なった勉強会の席に、その友人氏が出席しており、直会の席で、「実は、私も若い頃には、運動をしていまして」という話から、私の名前が出た。その席から木村氏が私に電話して、再会を約した。友人のS氏は、若い頃に、都内の大手の民族派団体に属しており、団体は違っていたが、良く一緒に運動させて頂いた。武道館で開催された「青嵐会」の旗揚げにも一緒に行ったことを憶えている。

 

 午後五時に、関内駅にて待ち合わせた。何しろ三十五年ぶりの事なので、お互いの顔が分かるかと危惧していたが、それは杞憂だった。握手をした瞬間に、三十五年の時が縮まった。まず、中華街の「安記」で久闊を叙して乾杯。積もる話を肴に、紹興酒を飲んだ。

 

 その後、お決まりの「サリーズバー」に転戦。一時間ほどいて、九時過ぎに、またの再会を約して解散。良い酒だった。


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