白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大好きな「山わさび」が届いた。

2011-07-18 10:11:41 | インポート

七月十五日(金)晴れ。

 起床後に一時間ほど歩いた。血糖値に血圧と肝脂肪、酒飲みの三点セツトと戦いながら、気をつけて日々飲んでいる。

 今日は、札幌社友会の梶浦直樹君から、「山わさび」の瓶詰めを沢山頂いたので、前から約束していた、カメ&アコちゃんと「やまと」のママに持って行った。石沢博文君といい、札幌に同志が多いので、海や山の幸を頂くが嬉しい。

 この「山わさび」だが、生のものは季節のもので、こちらでは中々手に入らないが瓶詰めは一年中あるので嬉しい。そのままご飯にかけたり、冷奴に乗せても良い。つーんと来る辛さが何ともいえない。

 そんな訳で、カメちゃんと藤棚のすし屋「一休」で一献。その後、愚妻とアコちゃんが合流して盛り上がり、「やまと」へ転戦。四人で盛り上がって十一時に解散。

Dscf3630 ※これが美味いんだナァー。


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「最後の忠臣蔵」で泣いた。

2011-07-18 09:32:21 | インポート

七月十四日(木)晴れ。

 本年は、日韓併合条約の締結から百年目となるそうだ。案の定、菅総理は、「反省とおわび」の談話を発表した。評論家の櫻井よし子氏が産経新聞に書いていたが、戦後この方、わが国が行なった「謝罪」は、日中国交正常化当時の田中角栄以来、今回の菅総理の談話まで、実に三十六回にも及ぶ。

 謝罪を続けることで、日本の主権が侵され、外交上どれほど不利益をもたらすかを、日本の政治家は考えようとはしない。実にバカバカしい話ではないか。

 台湾には、人口二千三百万人が住む。一人当たりの所得は、おおむね日本の三分の一ほどだそうだ。その台湾から、今回の震災に対して百七十億円もの義捐金が寄せられた。日本に寄せられた義捐金は政府が公表していないが、おそらくダントツであると、産経は報じていた。もし日本が行なった過去の植民地支配が、苛斂誅求なものであったら、台湾の親日と今回の義捐金は説明がつくまい。

 野村先生は、歴史とは、光を反射するミラーボールのようだと言っていた。光を当てれば輝き反射するが、光のあたらない部分は、当然影となる。個人も国家も同じで、その影の部分のみを延々指摘されたならば一体どうなる。

 自虐的な歴史観を廃して、誇りを持てる国づくりを急がねば・・・。と思う次第。

 夜は、「最後の忠臣蔵」をDVDで見た。これが最高に良かった。忍ぶ恋、忠義と大義。武士であることの矜持と誇り。いやー久し振りに泣いた。


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昨日の酒を抜くために歩いた。

2011-07-14 14:43:50 | インポート

七月十三日(水)晴れ。

 さすがに目を覚ました時には、家の中に入るのは私だけ。昨日の酒が残っているらしく、体がだるい。簡単な朝食を済ませてから、ウォーキングに出た。きっかり一時間半歩いた所で、後はバスに乗って帰宅。

 ウォーキングも同じ所ばかり歩いていては飽きるので、片道一時間半ぐらい歩いて、あとは公共機関を使って帰ってくる、というスタイルをとっている。この方が効率良く歩けるような気がする。帰宅してからは、シャワーを浴びて、三時から歯医者へ。終了後は事務所に寄り、郵便物のチェック。随分前に、見沢知廉氏のドキュメンタリー映画を作るというので、事務所で、私がコメントする場面を撮ったことがあった。その映画が完成したとかでサンプル版が届いていた。落ち着いたら、じっくり見てみるつもり。

 五時に、愚妻と待ち合わせて買い物。最近は、私以外の家族が皆、弁当を持って行くので、買い物が大変である。それでも聞く所によれば、育ち盛りの男の子がいる家庭では、恐ろしいほど良く食べるので、食費がかかって仕方がないと、友人が話していた。

 夜は、昨日の反省もあって、糖質ゼロのビールを一本だけ飲んで、真面目にパソコンで仕事をした。


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告別式に蜷川政経懇。

2011-07-14 14:27:48 | インポート

七月十二日(火)晴れ。

 朝の十時半に菊水国防連合の若い人達に迎えに来てもらい、昨日に引き続き、三田忠充会長の葬儀に出席。十一時から神式での告別式。玉串を奉奠して三田会長のご冥福を祈った。その後、戸塚の火葬場へ。ここで最後のお別れ。

 再び、葬儀場へ戻り、初七日ならぬ神式のお祭りの後に、精進落とし。周本昌山氏に送って頂き自宅に戻ったのが四時近かった。このニ三ヶ月で親しくさせて頂いた先輩や同志の方が三人も亡くなられた。生者必滅、会者定離とは分かっていても親しい方が亡くなられるのは実に寂しいことだ。

 夜は、着替えをして、蜷川経済懇話会という名前だけは真面目な会合の為に関内へ。関内の某お店に、仲良しの皆さんが集って時局を肴の一献会。九時半に終了した後に、友人と連れ立って一軒転戦。その後、店を早目に閉めたサリー姐さんを誘って「写楽」へ。

 自宅に帰ったのは、午前三時を過ぎていた。久し振りの大破・轟沈の夜だった。


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三田忠充会長のご葬儀に参列。

2011-07-12 17:06:21 | インポート

七月十一日(月)晴れ。

 正午に松本佳展君来訪。十二時半に犬塚博英民族革新会議議長を横浜駅に迎えに行き、そのまま菊水国防連合の三田忠充会長の葬儀の行なわれる会場に向う。

 二時からの開式というのに、すでに全国から諸先生、諸先輩、同志の皆さんが三田会長とのお別れに訪れていた。私も入り口でお手伝いをさせて頂く。

 実は、菊水国防連合は私の出身母体でもある。国防連合の前身である菊水国防隊に正式加盟したのは昭和四十七年の事。五月に亡くなられた小早川久之先生の指導を受けたのが運動の第一歩だった。その後、縁在って野村先生の門下生となるまで、十一年間在籍した。

 三田会長と初めてお会いしたのは、もう二十五年も前の事である。後輩ではあるが三田会長には何かとお世話になった。五十歳というのは余りにも早い逝去である。

 犬塚議長、虎の会の盟友の折本満氏らと中華街に行き、弔いの酒。先に逝かれた人たちの思い出を語りながら五時まで。関内駅までお送りして別れた。

 夕方の酒で帰りづらくなり、松本君に「やまと」まで送ってもらい一人で一杯やっていたら、どうも退屈なので、カメ&アコちゃん、愚妻まで呼び出しての酒となった。結局九時過ぎまで飲んで、記憶が薄れるまま帰宅した。


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