白雲去来

蜷川正大の日々是口実

飲んだ夜のことを思い出したくはない。

2011-08-27 01:35:59 | インポート

八月二十五日(木)晴れ。

 朝、目を覚ますと、昨夜の醜態が甦ってきて、遅ればせながら赤面する。昨夜は、何軒ハシゴしたのだろうか。梅田雲浜ではないが、「妻は病床に伏し児は餓えに泣く」とも父は狭斜の巷での傾城買いを止められず、手裏剣のように金を払う。「男の酒の嬉しさ」が、何よりも好きなだけだ。そして、わが街ヨコハマを愛して貰うことが、ことのほか嬉しい。

 酒を飲まぬ仲間からは、陰口を叩かれるが、そんな人生を反省せずに齢六十を過ぎた。野村先生ではないが、「酒もやらず、煙草もやらず、女もやらずに百まで生きた馬鹿」という都都逸を自虐的に口ずさむが、一生懸命に運動している同志諸兄に申し訳ない。という思いをいつも持っている。(というのは嘘ですが・・・。)

 昨日は、私の馴染みの店に行った次に仕上げで、サリーの店に行った所、元ゴールデンカップスのエディ蕃と、「バラ色の雲と思い出を乗せて」のヒット曲で我々の世代には懐かしい元ビレッジシンガースのヴォーカルの清水道夫氏などと一緒になり、楽しい時間を過ごした。その後、サリーや関内のママ連中を連れてどこかに行ったのだが全く記憶にない。それでもちゃんと家に帰るのだから不思議だ。ここが展転社の藤本と私の差である。

 酔って御前様で帰った翌日は家族の冷たい視線に耐えながら黙々と仕事をした。夜は糖質ゼロのビールを一本飲んで、反省しつつ悶々として床についた。家族の沈黙が、怖いと思ったのは久し振りの事だった。


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フジテレビへのデモに思うこと。

2011-08-26 12:15:05 | インポート

八月二十四日(水)曇りのち雨。

 朝食の後に、三時過ぎまで事務所にて仕事。ニュースでは、日曜日にお台場で行なわれた、韓流偏重のフジテレビに対する市民団体の抗議デモに五千人もの人たちが集まったという。そのほとんどが組織動員された人たちではなく、ネットなどを見て参加した、ごく普通(普通というのは、既成の民族派団体などに属していないという意味)の人たちや主婦や子供連れの若い人たちが多かったことを知り、大いに考えさせられた。

 五千人と言うのが本当であるならば、これは大変な、そしてある意味で、歴史的なことではないのだろうか。翻って、いわゆる現在の民族派の力で果たしてそれだけの動員が可能なのかと考えてしまうのだ。恐らく、五千人もの動員をかけるとするならば、発起人や実行委員会を立ち上げて、三分の一程度の基礎動員を確保し、そのための会議や根回しなどに大変な労力を必要とするのに違いあるまい。

 詳しい事は分からぬが、その集会に参加した人たちのブログなどを拝見すると、そういった従来的な煩わしい段階を経ずして、ネットを中心とした呼びかけのみで、あれほどの人が集ったという。様々な意見があると思うが、私は、個人的に、これは戦後の民族派運動のターニングポイントとなりうる出来事であり、敢えて批判を承知で言えば、行動右翼・民族派を自負してきた我々世代の敗北であるかもしれない。

 かつて歴史的には七十年代と言われた頃に、全国の大学で学生運動の嵐が吹き荒れ、日本中が赤旗の波に席巻された時代があった。その頃、左翼の学生運動に対して、民族派の学生運動が勃興した。代表的なものとして、日本学生同盟(日学同)や全国学生自治体連絡協議会(全国学協)などである。その二大勢力は既成の右翼運動を批判しつつ、「戦後体制の打倒」という新しい運動の流れを模索したが、左翼学生運動の衰退と共に、民族派の学生運動も、新しい政治潮流を構築できぬまま共に衰退してしまった。

 全国学協などは生長の家というバックボーンがあったとはいえ、一時は三千、五千人という規模の集会を幾度も行なった。日学同も同様である。当時は、左翼の革命運動に対する目前の危機感があり、倒すべき敵もハッキリしていた。左翼の数に対して右も数を意識し戦ったのである。

 お台場のデモに参加していた人たちは、かつてのような物理的な危機というよりも、日本人の魂の危機に対する怒りの発露のような気がする。これは私の勝手な思い込みかもしれないが、彼等の潜在意識の中に、戦後の右翼・民族派運動が、眼前の左翼に対する〈反共〉運動に没頭する余り、本来的な〈尊皇〉に起因する反体制運動から逸脱してしまったことへの失望感と嫌悪感があるのかもしれない。

 そういった彼等の正義感の受け皿に我々がなり得ぬことへの真摯な反省は、我々の運動を阻害することにはなるまい。

 保守系市民運動(というのが正しいか分からないが)が、一過性のものではなく、新しい民族派運動、いや維新運動への方向へ大きな波となって欲しいものだと思っている。

 夜は、明日の陸自の総合火力演習を見学するために横浜に泊した大熊雄次、隠岐康、横山孝平の社友諸氏に加えて、栃木から人見仁氏等が来訪。中華街の「中華飯店」にて腹ごしらえをしたのちに関内へ転戦。最後は「サリーズバー」で高歌放吟して解散。


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リビアもイラクのようになるのだろうか。

2011-08-25 20:53:05 | インポート

八月二十三日(火)曇り。

 昨日の酒が残っていて、朝が辛かった。齢六十ともなると、さすがに無理が利かない。少し酒量を控えなければと思ってはいるのだが、つい飲んでしまう。

 ニュースでは、リビアのカダフィさんが危うい。アメリカの言うことを聞かない産油国の独裁国家は、必ずと言って良いほど「民衆」という「正義」によって倒される。そこにアメリカやイギリスの思惑があるのは言うまでもないだろう。部族意識の強いリビアに新しい政権が誕生したとしても、イラクのような混乱が待っていると思うのが、危惧であってほしいものだ。

 「大吼」の三十周年記念号の編集に追われている。原稿が中々揃わず、いつも時間との戦いにヒヤヒヤしながらの作業である。

 夜は、九時過ぎまで仕事して、糖質ゼロの缶ビールを二本飲んで寝た。


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近所の寿司屋で友と飲む。

2011-08-23 13:49:30 | インポート

八月二十二日(月)曇り。

 当然だが、早く寝た日は、早く目が覚める。それでも外が曇天だと少々憂鬱になる。やはり起きて一番最初に見る景色は澄んだ青空がいい。

 三時から歯医者。早目に出て、先日購入した「白い人が仕掛けた黒い罠・アジアを解放した日本兵は偉かった」(高山正之著・WAC)を持って行き、予約の時間までスタバで読んだ。高山氏の「週刊新潮」のコラムのファンで単行本となったものは皆読んだ。

 本といえば、民主党の前原誠司氏が松下政経塾で学んでいる頃、研究していたのが小島直記氏の「出世を急がぬ男たち」と「回り道をした男たち」であったという。その二冊は、私の愛読書であり、その中に出てくる人物や書籍について随分と勉強させて頂いた。以来、小島氏の本のファンとなり、「伝記文学全集」を購入して読んだ。

 私は、民主党の中では、前原氏と松原仁氏の二人が好きである。名前だけ保守の自民党の加藤紘一などよりは百倍も良いと思っている。是非共、民主党の左の連中を排除して、新しい保守の流れを創って欲しいものだ。

 夜は、友人と一緒に地元の「濱一」という寿司屋で夕食を兼ねて一杯やった。このお店のオヤジは、私の中学の同級生の兄で、初めてこのお店に来たときに、偶然そのことを知り、驚いた。以来、馴染みとなり、三軒となりの「徳よし」と使い分けている。留守番をしている子供にも、寿司を出前してあげた。お店を出た後は、友人と我が家に戻り、旧制熊本七高の寮歌「北辰斜めにさすところ」の歌が書かれている「きばいやんせ」という焼酎を飲んだ。友人共々、大破・轟沈した。


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アメ横は新東洋のロー麺を食べに行った。

2011-08-22 11:11:22 | インポート

八月二十一日(日)小雨。

 今朝も寒かった。雨戸を開けると外は小雨に煙っていた。「小雨」と書くと、連鎖的に思い出すのが石原裕次郎の「雨の酒場で」(元歌はデック・ミネだが、私は裕次郎で覚えた)の一節だ。「小雨の道が遠いなら、せめても送ろうそこらまで」というもの。私も古い人間でしょうね。

 朝食は、子供と二人で、社友の義一兄いの地元、千葉は千倉産の「さんまの丸干し」と、札幌の社友、石澤博文君から送られた「筋子」。食後は、簡単に仕事を済ませてから、先日購入した門田隆将氏の「太平洋戦争最後の証言」を読んだ。面白くて、途中でやめるのが大変だった。

 午後から、子供を連れて、アメ横に行った。何か目的があったわけではなかったが、私は、ああいった商店街が好きなのである。横浜では、松原商店街と横浜橋。何も買わなくとも、生きいきとした雰囲気がとてもいい。人が生きているという実感がする。

 道路が空いていたので四十分ほどで着いてしまった。ぶらぶらしていると大好物の「松茸」がもう店に並んでいた。心を動かされたが、愚妻は帰省中なので、一人で食べても仕方がない。それに、ここで生ものを買うと、大熊雄次氏に怒られるので、心を鬼にしてやめた。子供にTシャツや髪飾りなど買ってから、この時間には店には出ていないと分かってはいたが、一応大熊氏のスカジャン屋にご挨拶して、還暦の折に頂いた、ヨコハマ仕様の赤いスカジャンのお礼をお店の人に言った。

 昼食は、やはり大熊氏に紹介された、アメ横名物の台湾料理「新東洋」へ。子供は初めてで、本場の味に近いここの料理に口が合うか心配だったが、杞憂だった。この店の名物で、麺とあんかけたっぷりの「ロー麺」と、ニラがたっぷりの水餃子、きくらげのスープを食した。美味しいを連発しながら食べる姿は、チョッピリ嬉しかった。車なので、紹興酒は諦めた。

 食後は、横浜に戻り、有隣堂で子供が本を買うのに付き合い。五時過ぎに帰宅。夕食は、子供に、レタス入りチャーハンと鶏の手羽先の唐揚げ、卵スープを作った。私は、昼に少々食べたので、冷奴とサラダ、モズクで糖質ゼロの缶ビール(小)二本を飲んで寝た。


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