白雲去来

蜷川正大の日々是口実

傍観者効果って知っていましたか。

2011-10-28 12:10:52 | インポート

十月二十五日(火)晴れ。

 朝食後に、久し振りに一時間半ほど歩いた。天気も良くいい汗をかいた。先日のニュースで、香港で、路地を歩いていた二歳の女児が、車にひかれ血を流しているにもかかわらず、誰も助けようとしなかったことが話題になった。「産経抄」では、それを「傍観者効果」であると書いていた。つまり、ある人に緊急事態が起きた時、現場にいる人数が多いとかえって救助行動が遅れることが、実験で確かめられているそうだ。

 

 「義を見てせざるは、勇無きなり」という言葉の出典は論語である。現代の中国の人たちは、共産主義を受け入れた結果、論語の精神を忘れてしまったように思える。と思えば、今の中国では、路上で倒れている高齢者を助けると、大声で「お前が突き飛ばした」などと大声でわめかれ、金をせびり取られる、ということがしばしばあるそうだ。これでは、論語どころではない。

 

 今日は、自宅でおとなしくしていた。夕食時に、踏ん張って、福岡の奥田親宗さんから送って頂いた「魔王」の四合瓶を開けて飲んだ。つまみは、冷奴に玉ネギのスライスと柳カレイ。美味かった。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何となく一日が終わった。

2011-10-28 11:41:25 | インポート

十月二十四日(月)晴れ。

 九時にモーニングコールで起きた。カーテンを開けると、眼下には新宿御苑の緑が目にまぶしい。レストランで朝食を済ませてから帰路に着いた。

 

 自宅に戻る前に、事務所に行けば、個人的な書簡や機関誌などが沢山来ていた。その整理や、手紙の返事を書いているだけで、あっという間に夕方。慌てて自宅に戻った。

 

 月末まで、長い原稿を二本片付けなければならないので、その準備をした。以前、切り取っていた新聞のスクラップや本の抜書きを整理しながら、組み立てて行くのだが、どうも調子が出ない。ままよっと、一杯飲んで寝てしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式に出席の為、新宿へ。

2011-10-28 11:27:40 | インポート

十月二十三日(日)曇り。

 今日は、お世話になっている方の華燭の宴があるために新宿行き。会場となっているホテルで隠岐康等と待ち合わせ。六時からの披露宴だったが、高速道路が予想に反して混んでいて、ホテルに着いたのは、六時少し前の事だった。

 

 「今日は、泊まってゆけば」という優しい言葉に甘えて、部屋で着替えを済ませてから会場入り。三百人ぐらいの方が来ていた。新婦となる人ととは、前にご紹介をされている。正に才色兼備を絵に描いたような方だ。ワインや高級なシャンペン、料理に舌鼓を打ちながら、終了したのは十時近く。

 終了後は、メインバーにて軽く飲んでから、部屋に戻り爆睡した。いい一日だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛隊の危機管理を問う。

2011-10-27 13:35:29 | インポート

十月二十二日(土)晴れ。

 午前中に細々とした用事を済ませてから、夕方は東京行き。今日は、お世話になっている山口申先生の勉強会があるので、五時十五分に御徒町駅にて、群青の会の大熊雄次氏と待ち合わせた。早目に着いたので、「アメ横」を冷やかした。大熊さんから「知らない店では買わないように」と、いつも釘を刺されているので、眺めるだけにしたが、好物の「松茸」が店頭に出ていて、誘惑に負けそうになったが、意志を強くもって諦めた。

 

 暮に近づいたせいか、商店街の人の動きが、こころなしか慌しく感じる。私は、下町の商店街の雑踏が好きだ。街も人も、生きている。という思いを実感する。その後、大熊氏と合流。

 

 六時に勉強会開始。講師の民族革新会議の犬塚博英議長からとても貴重な話を伺った。それは、過日の、3・11の東北大震災において、皆さんも目にした事があると思うが、自衛隊の松島基地が津波に襲われ、自衛隊の戦闘機など28機が東日本巨大地震の被害を受けた。航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)の被害総額は、航空機だけで最大2300億円にも上るそうだ。

 

 航空幕僚監部によると、同基地では、隊員1人が死亡したほか、基地内にあったF2戦闘機(1機約122億円)18機、T4練習機4機、U125A救難捜索機2機、UH60J救難ヘリ(1機約47億円)4機の計28機が、津波に流されたり、水につかったりして壊滅的な被害を受けた。また、津波で、滑走路を含む約363ヘクタールの基地全体が水没した。同基地は海岸から1・5キロほどに位置。11日の地震発生後、高さ4メートル以上の津波に襲われ、施設は1階部分が水没した。T4の中には、曲技飛行隊「ブルーインパルス」の1機も含まれていた。

L ※こんな状態でした。

 確かに、今回の災害における自衛隊の活躍は賞賛に値し、全国民から信頼され、自衛隊の存在意義がこれほどまでに認識されたことは、過去になかったことだろう。しかし、上記の松島基地における失態を誰も指摘しないのは不思議でならない。地震も津波も原発事故も、皆「想定外」として、「しかたがない」ということに落ち着こうとしている。

 

 民間人なら「想定外」として、その責任を回避することはある意味で許されるかもしれないが、常に「想定外」の「有事」に備えていなければならない自衛隊が、その意識のカケラもないとしたら、これはある意味で恐ろしいことではないか。

 

 今回の津波は、地震と共に襲来したのではない。少なくとも三十分以上が過ぎて陸地に来たのではなかったのか。テレビのニュースなどでは、海上自衛隊の飛行機や船舶が、迫り来る津波の様子を伝えていたのを見た人も多いはずだ。なぜその情報が松島基地に伝わらなかったのか。私は、専門家ではないので、疑問に思うのだが、大地震イコール津波という危機意識が徹底していれば、すぐにでも飛行機を飛ばして非難させる。という考えに至らなかったのか、一度基地の責任者に聞いてみたいものだ。

 

 百歩譲って、滑走路が使用不能になったとしても、ヘリコプターなら飛べたはずだ。そうすれば、被害は少く済んだのではないだろうか。国民の尊い血税2300億円を失った、その責任を一体、自衛隊はどうするつもりなのだろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アニバーサリー

2011-10-25 20:18:57 | インポート

十月二十一日(金)曇り。出陣学徒壮行大会の日。

 昭和十八年のこの日、小雨のそぼ降る神宮において、祖国の危急を救わんとして戦場に赴く出陣学徒の壮行会が行なわれた。その映像はユーチューブなどで見ることが出来るが、何度見ても、感動して涙が溢れる。あの映像に写っている人たちの中の、どれほどの人たちが戦場に散って行ったのか・・・。今日の日本の平和と繁栄は、その人達のご加護であることは、いまさら言うまでもない。

 

 また、左の人たちにも今日は大切な記念日、「国際反戦デー」である。国際反戦デーとは、1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。ジャン・ポール・サルトルが「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と総評を讃えた1968年には、新左翼による新宿騒乱を起こすまでになった。まあ左翼運動の衰退と共に、最近では、この日に大きなデモや集会がなくなったようだ。

 

   野村先生が、なぜ自決の日を10月20日としたのか。それは、関行男大尉らによる神風特別攻撃隊の出動命令が下った日だったからである。今月は、何かと考えさせられる日が続く。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする