白雲去来

蜷川正大の日々是口実

カツオがタコの半身より安かった・・・。

2012-08-27 14:20:32 | インポート

八月二十五日(土)晴れ。

朝から、愚妻と「大吼」の秋号の編集で一日カンズメ。夕方になってようやく一段落したので、下の子供を連れて夕食の仕込み。近所にできた新しいスーパーに行ったら、カツオが安い。この時期になってようやく、安くて美味いカツオが店頭に並ぶようになった。いい形のものが何と、四百八十円。私は、背の方よりも、腹の方が好きだ。カツオの隣にあったモーリタニア産の「茹でタコ」の半身が五百八十円。そうかカツオがモーリタニアのタコの半身よりも安いのか。嬉しいのだが複雑な気持ちになった。

まず、私は切る前に、カツオにニンニクをつける。切った後は、長ネギとミョウガをたっぷり刻んで、もろん生姜とポン酢で食べる。「たたき」はあまり好きではない。以前、高知に行った時に、高知の国士、西澤多賀男先生から、「高知のカツオの切り方は、下駄の朴歯(ほおば)と同じくらい厚く切る」と言われて、嬉しくなった。たまに、小料理屋や寿司屋でカツオを頼んで、薄切りのものが出てくると、カチッと来る。けちけちすんなよ。と。

そんな具合で、カツオを肴に我が酔狂亭で月下独酌。

_dsc0186※先日行われた「尊攘義軍」の慰霊祭にて。左から大熊雄次氏、蜷川、山口申先生、隠岐康氏、犬塚博英代表世話人。(写真提供・國の子評論社)


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SAPIOの特集が面白かった。

2012-08-25 14:47:20 | インポート

八月二十四日(金)晴れ。

午前中に、上の子供を連れて歯医者へ。終了後は、ランドマークの書店で暇つぶし。私は、この時間がかなり好きだ。何もすることがないときは書店に行く。森林浴ならぬ「活字浴」である。特集が面白くて、久しぶりに「SAPIO」を買った。「ネトウヨ亡国論」というもの。鈴木邦男さんや櫻井よし子さんの原稿が良かった。後は、批判のための批判に終始し、読んでいて余り気持ちの良い物ではなかった。

お会いしたことはないが、FBでの「友達」の鈴木智彦さんの「「追跡!輸出されるヤクザ」というリポートがあった。迫力のあるものだった。

鈴木邦男さんは、原稿の中で、亡くなられた弁護士の遠藤誠先生の言葉を引用して、このように書いている。「思想は百パーセント違っても、尊敬できる敵は何人もいる。反対に思想は同じだが尊敬できない人間もいる。一体感を原動力運動している間は気付かないが、やがて時間が経つと、仲間の中にさえ、ろくでもない人がいることを知る時が来る。彼ら(注・いわゆるネット右翼)には、そうした試練が待っているのだと思う」と。

私は、そういったことを随分前から感じていた。従って、少数の同志は別として、それ以外の人たちとは、プライベートではなるべく付き合わないようにしている。若いうちは、仲間だけで通じ合う言葉を交わしていることに居心地良さを感じていたが、今はそんなことも無くなった。運動などとは関わり合いの無い一般の人たちといるほうが楽しくて勉強にもなる。そういう意味では、友達には恵まれている方かもしれない。

還暦を過ぎて、現役でいられる時間は残り少ない。だからこそ「嫌だな」と思う人たちとは、なるべく席を同じくしたくない。偽ざる気持ちである。

夜は、藤棚商店街の今年最後の縁日に行った。時間が早かったので、カメ&アコちゃんやヒデちゃんたちと「颯」で一杯やってから出かけたが、出店が少なくて少々さみしかった。その後「やまと」へ転戦して帰宅。

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今日は、蒙古の軍船が海の藻屑と消えた日。

2012-08-25 14:11:16 | インポート

八月二十三日(木)晴れ。

 今日は、二十四節気のうちの一つである「処暑」。暑さがやむと言う意味で、このごろになると、さすがに暑さも峠を越して、幾分暑さもやむらしい。しかし、連日、三十度を超える残暑が厳しい。季節も政治も、中国も韓国もロシアも皆おかしくなっている。

 テレビのニュースでは、この「処暑」のことを各局取り上げていたが、我が国の固有の領土である尖閣諸島の魚釣島に侵入した香港のマントヒヒ顔の連中にも教えてあげたいのが、今日の故事。すなわち弘安四年(一二八一)、いわゆる「元寇の役」において、前夜から吹き荒れた嵐によって、来襲した蒙古軍の軍船はことごとく海の藻屑と消えた。そう「神風」が吹いたのが、七三一年前の今日の事。古書には、「夜半より乾風おびただしく吹きいでて、賊船ことごとく漂流して海に沈みぬ」とある。

人の国の領土を、かすめ取ろうとすると、また神風が吹いて天罰が当たるよと、教えてあげたい。何しろ、人の国の商品を、勝手に商標登録して、国内で売ろうとすると、「いやこれはウチが商標登録したものだ」と言って訴訟を起こし金をふんだくる。こんなことがまかり通るのだから、常識が通用しない。困ったものだ。

夜は、いつも通り、酔狂亭で月下独酌。

Cfb454921※有名な元寇の図。


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「尊攘義軍・殉皇十二烈士女」の慰霊祭に出席。

2012-08-23 12:56:42 | インポート

八月二十二日(水)晴れ。

三時までパソコンの前に座ってひたすら仕事。といっても暑いので、原稿を書いていても、あっちへクリックしたり、こっちへクリックしたり、つい寄り道をしてしまい、肝心な原稿の方は遅々として進まない。とりあえず溜まっている写真ファイルの整理をした。

三時から猛暑の中を東京行き。三時五十分の横須賀線で新橋へ。SL広場にて、大熊雄次、隠岐康の両氏と待ち合わせた。今日は、愛宕山にある愛宕神社にて行われる「尊攘義軍・殉皇十二烈士女」の慰霊祭がある。民族革新会議の犬塚博英議長が世話人になって毎年行われているものだが、以前のように大々的な呼びかけはせず、この日を「記憶にある」人のみが参加している。

尊攘義軍とは大東亜戦争の終戦に際し、降伏に反対し徹底抗戦を主張してゐた尊攘同志会は、昭和二十年八月十六、十七日に木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城。特高が解散の説得を試みるも、篭城した尊攘同志会十名は、二十二日の午後六時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決したのである。そして、その五日後、尊攘同志会自決現場で夫人二名が夫のあとを追ひ拳銃自決。この十二名が「尊攘義軍十二烈士女」である。

尊攘義軍十二烈士女弔魂祭の神事は午後五時から執り行はれて、自決の時間である六時に黙祷を捧げ、「海行かば」を斉唱し、そして尊攘義軍の誓願詞「尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅」を唱和し、最後に陛下の万歳を三唱した。この慰霊祭に初めて参加したのは、もう二十年以上も前のことだ。野村先生と一緒に参加したこともある。

今回の慰霊祭には、この慰霊祭を始められた故中村武彦先生のお嬢さんやお孫さんも参加し、挨拶をなされた。世話人代表の犬塚博英議長の肺腑を抉る「檄」にも感動した。流れ落ちる汗が己の怠惰を反省する良い機会となった。

P1000420※慰霊碑の前で神事、慰霊祭を斎行した。

愛宕神社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建された。江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失したが昭和三十三年に再建さた。寛永十一年(一六三四年)三代将軍家光公の御前にて、四国九亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上がり、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名が全国に広まった。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもあった。「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり」の歌も詠まれている。(神社の資料から)

終了後は、大熊、隠岐の両氏のお世話にて、新橋駅近くの「おでん屋」にて直会。最終電車で帰宅。


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十九歳の烈士に頭が下がる。

2012-08-22 11:55:44 | インポート

八月二十一日(火)晴れ。

終戦の日の朝、滋賀県の大津市役所で、中学二年生の男子生徒が自殺した問題の対応に当たっている大津市教育委員会の澤村憲次教育長が、埼玉県在住の十九歳の大学生にハンマーで頭を殴られた。その大学生はその場で逮捕され、「いじめ問題に関し真実を隠していると思い殺してやろうと思った」と供述しているそうだ。

幸いに?教育長は頭を切る程度のけがで病院で手当てを受けているとのこと。捜査関係者によると、男子大学生は動機について、澤村教育長を「許せなかった」などと供述する一方で、「無関係な一般人を誤って攻撃しないように考えた」。との趣旨の供述もしているという。

大津署は、男子大学生が市役所を下見したり、市教委定例会を傍聴するなどした上で、このリストの中から確実に攻撃できる人物として教育長を選んだ可能性があるとみて、慎重に裏付け捜査を進めていると報道にあった。滋賀県警は学生が定例会を傍聴し、沢村教育長の顔や庁舎内の構造を事前に確認していたとみて調べる。

この大学生の行為に対して、津市の女性市長は、「何があっても暴力は許されない」とコメントしたそうだが、笑わせてはいけない。そもそも、この事件は、「いじめ」という「暴力」が無ければ起こらず、また当初から教育長が厳正かつ適正な対応をしていれば起こることのなかった事件である。

私は、この十九歳の大学生をもっと評価して良いのではないかと思っている。むしろ良くやったとさえ思っている。わずか十九歳でありながら、市役所を下見したり、市教委の定例会を傍聴して用意周到に準備をしている。もっと驚いたのは、「無関係な一般人を誤って攻撃しないように考えた」と供述しているのである。この覚悟は、正に武士の心構えであり、烈士と呼ぶのにふさわしいと私は思っている。

ネットなどで「言うだけ番長」が幅を利かせる中で、この青年は、良く決起したと思う。その後、ほとんどその事件の報道がされないが、恐らく当局は「変人」の行為として片づけたいのだろうが、近くの方は、是非とも、「その後」の事について教えてほしいものだ。彼の獄中での健康を願わずにはいられない。

今日は、午後から、子供の汗疹がひどいので、皮膚科に行った。二時間も待たされたおかげで、先日購入した「ナチ戦争犯罪人を追え」をほぼ読了した。ほぼと言うのは、この本、訳がとても難解なのである。たとえば、「だがアルゼンチンは、その仕事にとって彼ほどふさわしくない者を選ぶことはできなかったろう」とか、「アイヒマンの振る舞いは、ハンナ・アーレントのような者が、彼を『全体主義的人間』の権化、紙鋏をAからBに移すのと同じ非良心的な良心をもって人間をガス室に移送することが取り仕切れる平凡な役人だとするのを容易にした」。これって分かります?。こんな訳がかなりの部分あり、せっかくの文章を余計に分かりにくくしている。もっと読みやすく推敲すれば、520頁も必要がなかったのでは、と思った。疲れた本だった。

 


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