白雲去来

蜷川正大の日々是口実

様々なエピソードがあって帰路に着く。

2013-08-12 10:20:09 | インポート

八月十日(土)晴れ。

 朝、トイレに起きて時計を見ればまだ五時。すぐ前の部屋の丸川仁氏が「スリッパがない」と私たちの部屋に来たので、「早いねェ-」と言えば、「風呂に行ってきます」。私は、もう一時間寝て六時に起床し、朝風呂へ。同部屋の隠岐、人見、松本の諸君と六時半に朝食会場へ。風呂と言えば、入口に「入れ墨の方の入浴お断り」の看板があったが、松本君曰く「字が読めない人もいるんだから仕方がない」。ナルホド。

このホテルの朝食会場の「黒服」のスタッフはどうも愛想が悪い。お客をサポートすると言うよりも、お客を「見張っている」というような感じなのである。「動きながら、さりげなく見る」というような優雅さが身についていない。申し訳ないが三流ホテルでしか働いたことがないのだろう。更に客が多すぎて、エレベーターはなかなか来ないし、階段を利用すれば大渋滞。キャパ以上の客を入れようとするからこういう状態になる。サービスのカケラもない。

客商売と言うものは「忙しい時にこそ、暇になる要素を作る」というイロハを忘れてはいけない。

「安い」と言えばそれまでだが、隠岐氏が最終日にプールを利用したら千円必要だったと言う。宿泊の客なのにだ。夕食は、ここを紹介して頂いた方の顔もあったのだろう、中々良かった。それでも、この忙しい時に、我々一行の部屋を確保して頂いたり、格別の計らいをしてくれたりと、現地の同志の皆さんのご苦労には、心から感謝を申し上げる次第です。

着替えをして、荷物を整理してから八時半にホテルを出た。昨夜遅かったのか、本隊の人たちとは挨拶をできずに申し訳なし。高速道路がお盆休みで混むことも予想されるので、鳥羽港から愛知県側までフェリーで行くことにした。途中、大好きな「おみやげ屋」さんを冷かして、定番の「ご当地ソース」を買った。

Dscf6059※震災で打ち上げられた船ではありません。おみやげ屋のオブジェです。鳥羽一郎の歌が流れていた。

ホテルから、鳥羽港のフェリー乗り場まで三十分程度。着いたのはタイミング良く出航の五分前。隠岐氏は、なぜか頑強に乗船を拒んで、地元の高校が明日甲子園に出場するので、電車で応援に行くと言い張る。この期に及んで怪しい・・・。と感じたのは私だけではなく、大熊、人見、松本の諸君も同じ疑問を持ったらしい。船が出航した後で、人見君がその訳を教えてくれた。それは、「壊れた愛の苦さを思い出したくない」。と・・・。このフェリーには何やら悲しい恋の思い出があるらしい。それもそうだ、我々の前で国士をもって任ずる彼が未練の涙など流せるわけがない。それにしても彼は、こういった思い出が豊富だ。

沖縄の深夜食堂に続いて、隠岐康君、「たそがれMy Love パートⅡ」か。どおりで、港で、ちぎれるほどに、いつまでも手を振っていたと思った。全員で甲板に上がって隠岐氏に合掌。

Dscf6060※船は出る出る、私は残る。嗚呼カモメよ海鳥よ、心有れば愛しい人のもとに、この思いを届けておくれ。と幟の間から私たちを一人見送る隠岐康氏。でも簡単にプライバシーをバクロする人見君は、どんな性格なのだろうか。

一時間弱の航路。途中三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった神島の横を通る。主人公の海女は、やはり「じぇじぇ」と、言わないか。

Dscf6076※神島をバックに。松本佳展君と。

フェリーでは、何を思ったのか人見君が「私が払いますから特別室に移りましょう」と。むむむ武士は農民から施しは受けないが、ここはひとつ彼の顔を立てようということになって二階のVIPルームに移動した。人見君曰く、「貧乏人よさらば」。

Dscf6068※家臣を従えたように特別室で悦に入る人見君(手前の人)。

乗船中、突然、大熊雄次氏の携帯が鳴り、何やら平身低頭している。何かと思えば、同室だった丸川仁氏の背広を間違えて持って来てしまったらしい。丸川氏らの本隊は、神宮に参拝してから帰路に着く。こういう所作に厳しい団長の犬塚さんから背広着用との事前連絡が入っている。大熊氏の上着では小さくて着れない。海に飛び込んで引き返すと言う大熊氏を必死で引き留めて、(ちょっと大げさに書きました)帰り次第宅急便で送り返すことで納得して頂いたとのこと。

Dscf6078※落ち込む大熊雄次氏。

船は、一時間弱で、国定公園だと言う愛知県は田原市の伊良湖というターミナルに着く。そこの「道の駅」で買い物を済ませてから再出発。二時間ほど走って東名の浜松ICへ。更に、延々走ってようやく我が家着。人見氏は、軍の機密を暴露した自責の念か、バスを松本君の所において、新幹線で大阪に行き、隠岐氏と合流するらしい。米国では機密漏えい罪の最高刑は死刑だそうだ。ああ人見君の運命やいかに。

 

 

 


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「お白石持ち奉献」行事。

2013-08-11 11:51:08 | インポート

八月九日(金)晴れ。「お白石持ち奉献」行事。

 五時半に起床。一番に風呂に入って、すぐに朝食。着替えをして六時四十五分にホテルのロビーに集合。これから愈々「お白石持ち奉献」行事に参加する。

Dscf5983※出発直前、ホテルのロビーにて。「大湊奉献団」の一員として参加。

全員がバスで移動。まず伊勢参官の禊(みそぎ)所であり「夫婦岩」で有名な二見興玉(おきたま)神社に参拝し、横山孝平同志が誓詞を奏上する。

Dscf5988※「夫婦岩」。

Dscf5990※隠岐氏、山口会長、蜷川、秋山氏。

その後、「お白石」を乗せた奉曳車のある集合場所へ移動する。集合場所に着けば、何千人もの老若男女が集まっている。その姿は正に圧巻。これだけの人たちが、炎天下にも関わらずこの神聖な行事に参加するのかと思うと、本当に感動する。出発の「木遣り」がまた鯔背でいい。

Dscf6005※出発の木遣り。

Dscf6001※出発直前の特別神領民、横山孝平氏。

ここから「おかげ横丁」などを通って宇治橋まで行くのだが、何しろ今日は行事に参加する各地区の人たち五千人もの人が各曳車に携わっているのだから、その歩みは遅々として進まない。加えて三十五度の暑さ。わずかな距離を移動するのに三時間以上もかかる。宇治橋で奉献する「お白石」を頂き、五十鈴川にて清めてから新御正殿へ向かう。

Dscf6041※これだけの人です。

Dscf6043※「お白石」を運ぶ「曳車」。

Dscf6046※私が奉献させて頂く「お白石」。

全ての行事が終わってホテルに戻ったのは夕方の五時過ぎ。バスの移動以外は、猛暑の中で立ちっぱなしで、さすがに疲れた。しかし、二十年に一度のこの行事に参加させて頂き、感謝するとともに、こういった機会を与えて頂いた民族革新会議の犬塚博英議長にも重ねて厚く御礼を申し上げます。

 


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「お白石持ち奉献」行事に出発。

2013-08-11 09:56:25 | インポート

八月八日(木)晴れ。「お白石持ち奉献」行事に出発。

朝八時前、栃木県在住で、私の古い同志である岡崎一郎氏の門下生である人見仁氏の運転する中型のバスが、一門の大熊雄次氏を乗せて我が家に到着。弊社の松本佳展君も到着。

今日から二泊三日の予定で式年遷宮の「お白石持ち奉献」行事の特別神領民として参加するために野村一門の人たちと共に伊勢行きである。

「お白石持行事」とは、一連の遷宮諸行事のひとつであり、新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する民俗行事で、宮川より拾い集めた「お白石」を奉曳車・木そりに乗せ、沿道や川を練り進む。神域に入ってからは、一人ひとりが白布に「お白石」を包み、遷宮後は立ち入ることの出来ない新宮の御垣内、真新しい御正殿の近くまで進み、持参した「お白石」を奉献する行事。お白石持行事は、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択され、また伊勢市の「無形民俗文化財」として指定されている。

横浜の我が家から伊勢神宮まで、約七時間。途中、さしたる渋滞もなく午後三時に伊勢神宮に到着。参拝のために駐車場で着替えをしていると皆の携帯から「地震警報」が一斉に鳴り出す。その異常な事態にバスを障害物のない場所に移動する。バスは多少揺れたが、その後、震度七は「誤報」と判明。一同、ホッとする。

新しくできた「神宮式年遷宮」を様々な視点から紹介する「せんぐう館」に移動。ここで、後発組の隠岐康氏や私たちが参加した主催者の「神宮みそぎ会・博友会」(代表・犬塚博英氏)の本隊と合流。新宿を八時に出発して八時間の行程であったそうだ。

「せんぐう館」を見学している時に、読者で某高校でボクシングの指導をし、更に、「お白石行事」のお手伝いをしている伊藤雅人氏が来てご挨拶。メールやFBでやり取りをしているが、お会いするのは初めてである。野村一門の皆さんを紹介し記念撮影。

Dscf5968※「せんぐう館」にて。左から、大熊雄次、伊藤雅人、隠岐康、蜷川、松本佳展、人見仁の諸氏。

その後、神宮の外宮に揃って参拝。三十四度の猛暑の中で背広での参拝はきつかったが、すれ違う人たちから畏敬の念を持って見られていることを感じた。

Dscf5975※外宮にて。

Dscf5970※民族革新会議の皆さん。左から三人目が犬塚博英議長。隣は、山口申会長。

参拝を済ませた後は、宿となる伊勢志摩ロイヤルホテルに移動。どこのホテルも「お白石行事」に参加する人たちで満員とのこと。私たちのホテルも、食事の時間や風呂の時間が重なるためにエレベーターや階段は大渋滞。仕方かないので部屋のシャワーで済ます。

七時から、揃って夕食。地元の方や、現地到着組の方々約六十名の方々との懇親を兼ねての食事は楽しかった。明日が早いために早めに寝た。


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お白石持ち行事。

2013-08-08 06:02:27 | インポート

八月八日(木)晴れ。

今日から、式年遷宮の「お白石持ち行事」に参加するために伊勢に行ってきます。PCを持って行きませんので「ブログ」のアップは帰りましてから致します。


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私は頑固に「床屋」だ。

2013-08-08 05:58:22 | インポート

八月七日(水)晴れ。

 六時に起床して、昨日、はが里枝さんから頂いた私の校正原稿を、パソコンに入れる。はが里枝さんは、野村先生の本の装丁をしたデザイナーさん。十一時から歯医者。間違えて子供の診察券を持って行ってしまい受付の女の子に笑われてしまった。

 帰宅してから床屋へ。最近は男でも美容院へ行くそうだが、私は頑固に「床屋」さん。最も、頭髪も歳なりに薄くなって切るほどの量もないが、明日からは「お伊勢参り」。神様に失礼があってはならない。

夜は、お世話になっている方たちとの食事会。五時に友人の会社で待ち合わせて料理店へ。二時間ほど、様々な話をして解散。その後は、久しぶりに「サリーズ・バー」へ。いつものお馴染みさんたちにご挨拶してから、そろそろ帰ろうかと思ったら、社友の古谷喜久男氏が来て盛り上がる。古谷氏のご家族に送って頂き帰宅。


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