八月十日(土)晴れ。
朝、トイレに起きて時計を見ればまだ五時。すぐ前の部屋の丸川仁氏が「スリッパがない」と私たちの部屋に来たので、「早いねェ-」と言えば、「風呂に行ってきます」。私は、もう一時間寝て六時に起床し、朝風呂へ。同部屋の隠岐、人見、松本の諸君と六時半に朝食会場へ。風呂と言えば、入口に「入れ墨の方の入浴お断り」の看板があったが、松本君曰く「字が読めない人もいるんだから仕方がない」。ナルホド。
このホテルの朝食会場の「黒服」のスタッフはどうも愛想が悪い。お客をサポートすると言うよりも、お客を「見張っている」というような感じなのである。「動きながら、さりげなく見る」というような優雅さが身についていない。申し訳ないが三流ホテルでしか働いたことがないのだろう。更に客が多すぎて、エレベーターはなかなか来ないし、階段を利用すれば大渋滞。キャパ以上の客を入れようとするからこういう状態になる。サービスのカケラもない。
客商売と言うものは「忙しい時にこそ、暇になる要素を作る」というイロハを忘れてはいけない。
「安い」と言えばそれまでだが、隠岐氏が最終日にプールを利用したら千円必要だったと言う。宿泊の客なのにだ。夕食は、ここを紹介して頂いた方の顔もあったのだろう、中々良かった。それでも、この忙しい時に、我々一行の部屋を確保して頂いたり、格別の計らいをしてくれたりと、現地の同志の皆さんのご苦労には、心から感謝を申し上げる次第です。
着替えをして、荷物を整理してから八時半にホテルを出た。昨夜遅かったのか、本隊の人たちとは挨拶をできずに申し訳なし。高速道路がお盆休みで混むことも予想されるので、鳥羽港から愛知県側までフェリーで行くことにした。途中、大好きな「おみやげ屋」さんを冷かして、定番の「ご当地ソース」を買った。
※震災で打ち上げられた船ではありません。おみやげ屋のオブジェです。鳥羽一郎の歌が流れていた。
ホテルから、鳥羽港のフェリー乗り場まで三十分程度。着いたのはタイミング良く出航の五分前。隠岐氏は、なぜか頑強に乗船を拒んで、地元の高校が明日甲子園に出場するので、電車で応援に行くと言い張る。この期に及んで怪しい・・・。と感じたのは私だけではなく、大熊、人見、松本の諸君も同じ疑問を持ったらしい。船が出航した後で、人見君がその訳を教えてくれた。それは、「壊れた愛の苦さを思い出したくない」。と・・・。このフェリーには何やら悲しい恋の思い出があるらしい。それもそうだ、我々の前で国士をもって任ずる彼が未練の涙など流せるわけがない。それにしても彼は、こういった思い出が豊富だ。
沖縄の深夜食堂に続いて、隠岐康君、「たそがれMy Love パートⅡ」か。どおりで、港で、ちぎれるほどに、いつまでも手を振っていたと思った。全員で甲板に上がって隠岐氏に合掌。
※船は出る出る、私は残る。嗚呼カモメよ海鳥よ、心有れば愛しい人のもとに、この思いを届けておくれ。と幟の間から私たちを一人見送る隠岐康氏。でも簡単にプライバシーをバクロする人見君は、どんな性格なのだろうか。
一時間弱の航路。途中三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった神島の横を通る。主人公の海女は、やはり「じぇじぇ」と、言わないか。
フェリーでは、何を思ったのか人見君が「私が払いますから特別室に移りましょう」と。むむむ武士は農民から施しは受けないが、ここはひとつ彼の顔を立てようということになって二階のVIPルームに移動した。人見君曰く、「貧乏人よさらば」。
乗船中、突然、大熊雄次氏の携帯が鳴り、何やら平身低頭している。何かと思えば、同室だった丸川仁氏の背広を間違えて持って来てしまったらしい。丸川氏らの本隊は、神宮に参拝してから帰路に着く。こういう所作に厳しい団長の犬塚さんから背広着用との事前連絡が入っている。大熊氏の上着では小さくて着れない。海に飛び込んで引き返すと言う大熊氏を必死で引き留めて、(ちょっと大げさに書きました)帰り次第宅急便で送り返すことで納得して頂いたとのこと。
船は、一時間弱で、国定公園だと言う愛知県は田原市の伊良湖というターミナルに着く。そこの「道の駅」で買い物を済ませてから再出発。二時間ほど走って東名の浜松ICへ。更に、延々走ってようやく我が家着。人見氏は、軍の機密を暴露した自責の念か、バスを松本君の所において、新幹線で大阪に行き、隠岐氏と合流するらしい。米国では機密漏えい罪の最高刑は死刑だそうだ。ああ人見君の運命やいかに。