五月十八日(月)晴れ後雨。
のっけから食い物の話で恐縮だが「焼きそば」に使用する麺は「中華風蒸し麺」が好きだ。これも地方によって違うのかもしれないが、普通の麺が黄色なら、中華風の蒸し麺は茶色である。どこが違うかと言えば、色は勿論食感も違う。上手く伝えられないのがもどかしい。我が家は、焼きそばと言えば、この中華風の蒸し麺で作る。残念ながらスーパーにはあまり置いてない。よって食べたくなったら横浜橋商店街にある麺の専門店で買ってくる。キャベツにもやし、天かす、赤ウインナーを入れて炒めて、味付けはウスターソースである。
子供の頃、野村先生のご尊父のお墓のある黄金町駅近くの「赤門のお寺」のすぐそばに、潘製麺所と言うお店があって、母から良く「蒸し麺」を買いに行かされた。その赤門の寺の前には「一二三(ひふみ)のパン」屋さんがあり、コッペパンにバタピーナツをぬったものを良く買った。もう何年前だろうか、野村先生のご尊父の法事があった折に、久しぶりに赤門のお寺に行った。子供の頃に、境内でトンボとりをしたり良く遊んだ場所だ。境内から、赤門の外を眺めると、一瞬景色がセピア色に変わったような気がした。法事が終わってから、懐かしくて、周辺を歩いて見たら、「一二三のパン屋」も「潘製麺所」もまだ営業をしていて嬉しかった。
何でこんなことを書いたかと言えば、録画しておいた「寅さん」を見たせいだ。シリーズの何作目かは忘れたが、落魄した名家のお嬢さん役の京マチ子の娘が小学校の先生役の壇ふみ。寅さんの妹のさくらが、壇ふみの勤めるている学校に行った時のこと。二人が話をしていると、音楽の授業をしている教室から聞こえてくるのがアメリカ民謡の「故郷の人々(スワニー河)」だった。この曲が、とてもいい感じにBGMとなって画面を引き立てていた。その歌を聞いていたら、なぜか突然、その歌を歌っていた子供の頃のことが脳裏に浮かんだのである。通っていた山の上の木造の小学校。教室から見た夕暮れの富士山。同級生の顔・・・などが洪水のように脳裏に溢れた。
「故郷の人々」を歌わなくなってから半世紀が過ぎた。そんな歌を歌っていたことすら思い出すこともなかったが、本当に久しぶりに忘れていたその歌を聞いた時、なぜか自身の来し方と相俟ってやるせない気持ちになった。映画を見終えた後で、PCで「故郷の人々」を検索してみた。
『故郷の人々(スワニー河)』は、19世紀の作曲家フォスターが1851年(25歳頃)に作曲したアメリカ歌曲。曲のタイトルにもある地名「Swanee River(スワニー河)」は、ジョージア州南部とフロリダ州北部を流れる河。歌の内容は、アメリカ南部での綿花畑(プランテーション)から逃れ、北部の自由州で生き延びる黒人達が、昔の子供の頃を懐かしく哀しく思い出す切ない曲となっている。「故郷」が指す場所については、アメリカで生まれた黒人達にとってはアメリカの綿花畑が「故郷」になり、アフリカ大陸から連れて来られたばかりの黒人達にとっては、生まれ育ったアフリカ大陸の地元の村が「故郷」ということになるだろうか。
1949年には、勝承夫訳詞のもと「故郷の人々」として発表されている。「故郷の人々」は小学校の音楽教科書に掲載されていた。(以上、ウイキより転載。)
故郷の人々.(遥かなるスワニー河)
(一)
遥かなるスワニー川 その下(しも)なつかしの彼方よ わがふるさと旅空のあこがれ 果てなく思い出(い)ずふるさと 父母(ちちはは)います 長き年月(としつき)旅にあれば おお疲れしわが胸 父母(ふぼ)を慕うよ。
良い歌だなあー。シラフで良かった。
のっけから食い物の話で恐縮だが「焼きそば」に使用する麺は「中華風蒸し麺」が好きだ。これも地方によって違うのかもしれないが、普通の麺が黄色なら、中華風の蒸し麺は茶色である。どこが違うかと言えば、色は勿論食感も違う。上手く伝えられないのがもどかしい。我が家は、焼きそばと言えば、この中華風の蒸し麺で作る。残念ながらスーパーにはあまり置いてない。よって食べたくなったら横浜橋商店街にある麺の専門店で買ってくる。キャベツにもやし、天かす、赤ウインナーを入れて炒めて、味付けはウスターソースである。
子供の頃、野村先生のご尊父のお墓のある黄金町駅近くの「赤門のお寺」のすぐそばに、潘製麺所と言うお店があって、母から良く「蒸し麺」を買いに行かされた。その赤門の寺の前には「一二三(ひふみ)のパン」屋さんがあり、コッペパンにバタピーナツをぬったものを良く買った。もう何年前だろうか、野村先生のご尊父の法事があった折に、久しぶりに赤門のお寺に行った。子供の頃に、境内でトンボとりをしたり良く遊んだ場所だ。境内から、赤門の外を眺めると、一瞬景色がセピア色に変わったような気がした。法事が終わってから、懐かしくて、周辺を歩いて見たら、「一二三のパン屋」も「潘製麺所」もまだ営業をしていて嬉しかった。
何でこんなことを書いたかと言えば、録画しておいた「寅さん」を見たせいだ。シリーズの何作目かは忘れたが、落魄した名家のお嬢さん役の京マチ子の娘が小学校の先生役の壇ふみ。寅さんの妹のさくらが、壇ふみの勤めるている学校に行った時のこと。二人が話をしていると、音楽の授業をしている教室から聞こえてくるのがアメリカ民謡の「故郷の人々(スワニー河)」だった。この曲が、とてもいい感じにBGMとなって画面を引き立てていた。その歌を聞いていたら、なぜか突然、その歌を歌っていた子供の頃のことが脳裏に浮かんだのである。通っていた山の上の木造の小学校。教室から見た夕暮れの富士山。同級生の顔・・・などが洪水のように脳裏に溢れた。
「故郷の人々」を歌わなくなってから半世紀が過ぎた。そんな歌を歌っていたことすら思い出すこともなかったが、本当に久しぶりに忘れていたその歌を聞いた時、なぜか自身の来し方と相俟ってやるせない気持ちになった。映画を見終えた後で、PCで「故郷の人々」を検索してみた。
『故郷の人々(スワニー河)』は、19世紀の作曲家フォスターが1851年(25歳頃)に作曲したアメリカ歌曲。曲のタイトルにもある地名「Swanee River(スワニー河)」は、ジョージア州南部とフロリダ州北部を流れる河。歌の内容は、アメリカ南部での綿花畑(プランテーション)から逃れ、北部の自由州で生き延びる黒人達が、昔の子供の頃を懐かしく哀しく思い出す切ない曲となっている。「故郷」が指す場所については、アメリカで生まれた黒人達にとってはアメリカの綿花畑が「故郷」になり、アフリカ大陸から連れて来られたばかりの黒人達にとっては、生まれ育ったアフリカ大陸の地元の村が「故郷」ということになるだろうか。
1949年には、勝承夫訳詞のもと「故郷の人々」として発表されている。「故郷の人々」は小学校の音楽教科書に掲載されていた。(以上、ウイキより転載。)
故郷の人々.(遥かなるスワニー河)
(一)
遥かなるスワニー川 その下(しも)なつかしの彼方よ わがふるさと旅空のあこがれ 果てなく思い出(い)ずふるさと 父母(ちちはは)います 長き年月(としつき)旅にあれば おお疲れしわが胸 父母(ふぼ)を慕うよ。
良い歌だなあー。シラフで良かった。