白雲去来

蜷川正大の日々是口実

高倉健は『日本任侠伝』、私は『日本残尿伝』

2015-05-05 17:52:35 | 日記
四月二十八日(火)晴れ。

いやー昨晩大して飲んでもいないのに朝がきつかった。朝食の支度をするのも億劫なので自宅の近くに出来た「ホットモット」とかいう弁当屋さんで、「のり弁」に「鳥の唐揚げ」が二個付いた「特のり弁当」と言うものを買って来た。考えてみると「のり弁」などを食べるのは随分と久しぶりだ。食後も、体調が思わしくなく、事務所に行かずに一日家で細々とした仕事をこなしていた。

そう言えば、昨夜、テレビ東京の「主治医が見つかる診療所」という番組に、何秒か私が出ていて、その番組を見た何人かの人たちから電話やメールを頂いた。いつだったか家族を連れてアメ横の新東洋に食事に行き、その帰りに、子供のリクエストで銀座に出て文具の伊東屋へ行った。腹ごなしにと新橋方向に歩いていると、テレビのインタビューを受けた。一瞬何事かと思ったが、新東洋で飲んだ紹興酒の酔いもあって、かなりいい加減に答えたのを覚えている。今考えても何の番組だったか思い出せないのだが、何か「残尿感」について聞かれたと思う。

私は、「高倉健は『日本任侠伝』、私は『日本残尿伝』」といつものオヤジギャグをかまして、家族から顰蹙を買い、そんな感じだからまさか私が映るなどとは露も思っていなかった。その番組の放送が昨日だった。家族はちゃっかり見ていたらしく、私の出演は五秒程度だったと笑われた。あーあ恥をかいた。もっとちゃんと答えていればと反省しても、もう後の祭り。

そんな訳で、夜はぬるめのお湯にゆっくり浸かって「反省の酒」を独酌。良くとも、悪くとも酒だけは避けられない。嗚呼!

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パソコンを忘れ、書に向かおう。

2015-05-05 11:43:09 | 日記
四月二十七日(月)晴れ。

一日、お世話になった方へのお礼の手紙や、「憂国事件の男たち」を関係者の方に献本する際に添える手紙を書いたり、一日、便箋と格闘していた。日頃、便利に慣れてパソコンばかりを多用してしまう。やはり「書く」という当たり前のことを忌避していては、それでなくともアルコール性の脳軟化症気味の私のボケがますます進んでしまう。面倒とは思わずに「書く」作業を続けて行かなければ。

他の新聞は知らないが、産経新聞には連日のように尖閣諸島の我が国の領海に中国の船が現れ、領海侵犯を繰り返していることが報じられている。苦々しく思うのは私だけではあるまい。そう言った意味では沖縄は我が国防衛の生命線と言えるのかもしれない。その沖縄を防衛し、中国の挑発にニラ見を効かす米軍や自衛隊の存在を否定する人たちの多いことが不思議でならない。

全日本愛国者団体会議(略称・全愛会議)が昭和五十三年に発行した『開闢(かいびゃく)』という機関誌が書棚にあった。全体の構成や編集後記を読んで、この機関誌が『大右翼史』を編んだ荒原牧水先生の手によるものとすぐに分かる。その中に、全愛会議の有志による「第一次尖閣列島派遣団」として魚釣島に上陸した三浦一昭氏の「魚釣島上陸記」と、「第二次派遣団」の隊長として上陸を果たした次賀国男先生の「奮戦記」が掲載されており懐かしく読ませて頂いた。この頃、いやこれ以前から民族派は尖閣諸島の問題に取り組んでいた。その「上陸記」や「奮戦記」に登場している諸先輩の顔を思い出しつつ、鬼籍に入られた方々を偲んだ。

夜は、月に一度の近所の仲良しさんたちとの一献会を「たつ屋」にて。二時間ほど飲んで帰宅。

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西郷隆盛像清洗式

2015-05-04 10:19:46 | 日記
四月二十六日(日)晴れ。

今日は大行社が後援している「西郷隆盛銅像清洗式」(主催・西郷南洲会・代表早瀬内海)が上野の山の西郷隆盛像にて行われるので出席。驚いたのだが、横浜駅から上野まで「上野東京ライン」という電車で乗り換えなく一本で行ける。便利になったものだ。十時過ぎに到着。良い天気である。早朝から準備をしている大行社の同志の皆さんにご挨拶。十一時の開会近くになると顔見知りの同憂・同志の方が集う。

西郷隆盛先生の銅像をきれいにし、羽織袴で正装する。足場を組んだり着付けをさせたり、会場の設営など大変な作業を大行社の皆さんは黙々とこなしている。頭が下がる。癌の治療を続けている民族革新会議の犬塚議長とお会いしたが、思ったよりもお元気そうなので安心した。式は神事に始まり来賓の挨拶から、着付け、そして奉納の太鼓やお神輿まで出て盛り上がった。一時半に終了。三本菅会長にご挨拶をして解散。

その後、大熊雄次氏や横浜から来たカメ&アコちゃん、そしてお世話になっている方たちと「ライオン」で打ち上げ。「新東洋」に転戦。松本佳展君の奥さんの小枝ちゃん合流。最後は御徒町の駅前のビルの食堂で解散式。電車に乗って気が付けば横浜だった。

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朋、遠方より来たり。

2015-05-04 09:49:35 | 日記
四月二十五日(土)晴れ。

春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ 。この時期の詩としては、恐らく日本人に最も膾炙されているものであろう。しかしながら我が国の女流は、早起きだったらしく、春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。と書いた。朝寝を続けるのにはこの季節が一番いい。

今日は、朋、遠方より来る。で豊橋から社友の竹田忠正氏が来訪。四時過ぎに関内のホテルに迎えに行く。「やまと」の開店までまだ時間があったので会社へ案内する。二十一世紀書院のあるマンションの前まで来ると、竹田さん「このマンションは以前何かで見たことがある」。?マークを三つぐらい頭に乗せて会社へ。私の会社と言うよりも事務所は、本と印刷機ぐらいしかない。本はほとんど私の趣味の物だが、野村先生の本の在庫は倉庫会社にお願いして置いて頂いている。

五時過ぎに「やまと」着。竹田さんのリクエストで小針政人氏も合流。再会を祝して乾杯。一時間半ほどで「愛福楼」へ転戦。その後「サリーズばー」へとお決まりのコース。ここで大学のOB会で横浜に来ていた隠岐康氏とバッタリ。放歌高吟の夜は更けて行きました。

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