白雲去来

蜷川正大の日々是口実

どんな料理よりも「人間味」。

2016-05-29 07:56:01 | 日記
五月二十四日(火)晴れ。

土曜や日曜日、休日にお客さんが来ると頭が痛い。ほとんど中華街へ案内するのだが、観光客で溢れ、歩くのにも大変なうえに、何処の店もお客さんが列をなしている。大体行く店は決まっているのだが、皆、人気店ばかりなので、最近は、予約を取るのも大変である。

平日に、静かな中華街でのんびりと食事を味わってもらいたいものだ。最近は、「新しい店」へ行くと言う冒険をほとんどしなくなった。稀に友人に連れて行って貰った店が気に入っても、大体割烹料理屋などで、予約が当たり前。ちょっと一杯飲みたいから、と思って行く店ではないので残念である。私は、料理の味ももちろんだが、それにもまして「人間味」が好きなので、つい馴染みの店に足が向いてしまう。

つまらない店に行くよりも、私が料理して、のんびりと好きな本を読んだり、DVDを見ながら酒を飲んだ方がマシ、と思っている。だから、文字通りのデブ症になる。私が大好きな、開高健の紀行文と写真集に「オーパ」がある。文庫にもなっているが、やはり最初に出た大判の方が断然よい。開高健の本から随分と「釣り」のことを学んだ。アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』なども彼の本の中で知ったものだ。もう随分と釣行していない。もっぱらアームチェアー・フィシャーマンに徹している。久しぶりに林房雄の『緑の水平線』でも読むとするか。

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井上円了の至誠報国の書

2016-05-29 07:32:07 | 日記
五月二十三日(月)晴れ。

古い同志である、政経調査会の槇泰智さんは、親子三代東洋大学に学んだ。親子二代と言うのは、かなりあるかもしれないが、三代と言うのは珍しいのではないか。東洋大学は、仏教学者である井上 円了(一八五八年三月十八日(安政五年)~一九一九年(大正八年)六月六日)が創設した。井上は、多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、後に東洋大学となる哲学館を設立した。また、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著した。「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。又井上は、あらゆる学問の基礎である哲学を学ぶことが日本の近代化にとって重要であるとの観点から、その教育に大きな力を注いだ。「諸学の基礎は哲学にあり」という教育理念のもと明治二十年に麟祥院にて哲学館を創立し、これは哲学館大学を経て東洋大学となった。(ウイキ)

随分前に、井上円了の書を手に入れた。井上に対する深い思い入れがあった訳ではないが、書かれている「至誠報国」の文字が気に入ったからである。当時の学者は、真心をもって国に報いることを本望とした。近頃のアホ教師にこの書を見せてあげたいものだ。

東京の舛添知事が政治資金をめぐる公私混同疑惑でマスコミから追及されている。まあ知事が海外に行く時にファーストクラスやスイートルームを使用するくらいは、あまり目くじらを立ててることではないが、セコイのは個人の資質の問題で、早い話が「癖」であるから治ることはないと思う。

人として一番嫌いなタイプは、金を持っているのにセコイ奴と、金があるくせに貧乏を装う奴だ。お陰様で、私の今の友達のほとんどが、清く、貧しき酒飲みばかりで、スキャンダルになりそうもない人ばかり。少数だが、頑張っている事業家も身近にいるが、やはり良くして頂いている。浪人としては、恵まれている方か。そんなことを考えつつ、酔狂亭で、北海道の同志からの差し入れのアスパラガスを肴に月下独酌。※写真は井上円了の書。
コメント (1)
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我が家はミニシアター。

2016-05-27 10:34:21 | 日記
五月二十二日(日)晴れ。

午前中に、小針政人君が編集をしている季刊『大吼』の夏号に連載第七回を入稿した。「暗雲・層雲・青雲」と題した他愛もないエッセイなのだが、原稿を読んで頂くと言うことは、私自身が見られているのと同義語なので、入稿するときは、やはり緊張をする。そう言えば、『大吼』に四宮正貴先生のライフワークである「萬葉集を讀む」が連載されているが、「春季号」に「『野火』を主題にした名句」として、三上卓先生の「野火赤く 人渾身の 悩みあり」の解説と共に、野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の後書きが紹介されている。野村先生が、尊敬する三上卓とその句に対する思いが書かれており、何度読んでも頭の下がる思いがする。

『ターミナル』以来のタッグとなる、スティーヴン・スピルバーグ監督と名優トム・ハンクスによるサスペンス大作。東西冷戦下の1960年に実際に起きた、ソ連によるアメリカ偵察機撃墜事件“U-2撃墜事件”の舞台裏に迫る。『ノーカントリー』で第80回アカデミー賞監督賞を受賞したジョエル&イーサン・コーエンが脚本を担当。一介の弁護士が挑む実現不可能と思われた作戦で、思いがけないアプローチを試みる姿に意表を突かれる。 「(シネマトゥディ)より」を我が家で酒を片手にくつろぎながら観た。私が小学生の低学年の頃に起きた「スパイ機U―2撃墜事件」のことはおぼろげに覚えている。最も深い意味など知らなかったが、「東西冷戦」も今や死語になった。

良い映画や本に出会うと、安酒が高級な味に変化するから不思議だ。DVDのレンタルが五枚で千円。一枚二百円で、楽しめるのだから、有難いことだ。「DENON」のオーディオシステムも気に入っているし、まるで我が家はミニシアター。静かに日曜日の夜が更けて行く。

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食堂車と弁当売りが懐かしい。

2016-05-27 10:00:08 | 日記
五月二十一日(土)晴れ。

五月も半ばを過ぎて、我が家もようやく夏仕様にした。日本間のホットカーペットから茣蓙に、石油ストーブをしまって扇風機を出した。ついでに、洋服も模様替え。暑さの夏よ、いつでも来い。と準備万端整った。

そう言えば、先日名古屋に行ったが、新幹線や特急列車から食堂車がなくなったのはいつのことだろう。新幹線のビッフェも今はない。しかしこのビッフェは最低最悪だった。何の味気もなく、売っているものはどれも不味かったとの記憶がある。特急列車の席が一杯の時、食堂車でビールを飲みながら過ごしたのは、何時頃のことだったろうか。最も、今では東京名古屋までは「のぞみ」で一時間とちょっとで着いてしまうのだから、食堂車で窮屈な思いをして食事をするよりも、現地に着いてから、ゆっくりと食事をした方が良いかもしれない。

電車の窓が開かなくなってからか、弁当やお茶を売る「売り子」も姿を消した。横浜駅にも、赤いチャイナ服を着てタスキをかけた崎陽軒のシュウマイ弁当売りのオネエさんがいたが、いつのまにかその姿を見かけなくなった。当時、横浜では、赤いワンピースなどを着ていると、「崎陽軒」がいると陰口を叩かれたものだ。ちなみに駅弁は、その崎陽軒のシュウマイ弁当が一番おいしいと思っている。そうだ、電車で買う「お茶」は陶器に入っていた。それからビニールになって、いつのまにか姿を消した。これはペットボトルのお茶や水が一般的になったからだろう。

時代に取り残されないように、頑張らなければ。スーパーに行ったら「姫サザエ」が売っていたので二パック買ってきた。ガーリックバターを乗せて、オーブンで焼いて、エスカルゴ風にしてみたら、これが中々いい感じだった。

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『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』を見た。

2016-05-25 11:25:23 | 日記
五月二十日(金)曇り。

先日、何のテレビかは忘れたが、リリコという女の人が映画の解説をしており、その中で知ったのが『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(二〇一五年制作のイギリスの映画)というである。いわゆる「ナチ」を題材にした映画が好きな私としては、是非見たいと思った。アコウダイの粕漬にあさりの味噌汁、納豆の朝食を済ませて、さあーて、どこの映画館で上映されているかと調べたら、伊勢佐木町の「ジャック&ペティ」という映画館で、九時五十分から一回だけ上映すると言う。時計を見たら九時五分。慌てて家を出た。

シニア割引で千円。嬉しいけれど、複雑である。会場には、私を含めた、ほとんどジジ・ババばかりが二十名ほど。コーヒー二百円也を買ったが、いけネェー、トイレのことを忘れていた。

映画は、一九六一年、「ホロコーストの実行人」といわれた元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判(いわゆるアイヒマン裁判)を全世界にテレビ中継し、ホロコーストの真実を伝えた実在のテレビマンたちの姿を描いた作品。生存者たちがナチス戦犯の前で語る証言は、ホロコーストの実態を明らかにする絶好の機会となる。ナチスがユダヤ人にしたことを全世界に知らせるため、TVプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)とドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)はこの世紀の裁判を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画する。世界初となるTVイベントの実現のため制作チームは撮影の準備を進めるが、様々な困難が立ちはだかる。そして、ついに裁判の日を迎える……。というものです。

法廷に立つアイヒマン(実写)が哲学的に見えた。恐らく、こんな裁判を茶番と感じているのか、それともナチやヒトラーへの忠誠のなせるものなのか・・・。ユダヤ人に対する残虐な行為よりも、一点を見つめたまま表情を変えないアイヒマンに引き付けられた映画だった。DVDになったらもう一度見てみたい。

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