白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「ある右翼の一人言」。

2017-10-28 05:43:27 | 日記
十月二十四日(火)曇り。

群青忌が終って、のんびりと寝ていようかと思っても、老人性症候群なのか、六時少し前には目が覚めてしまう。頻尿というほどではないが、必ず夜中に一度トイレに立つ。部屋の明るさで大体何時くらいか分かる。時計を見ると三十分も差が無い。ああまだ三時間も寝ていられると思うと、なぜかホッとする。

家族が出かけた後で、のんびりと食事。あんまり早い時間に食事をすると、昼ぐらいにお腹が空くので、なるべく九時頃に食べるようにしている。朝食は、マルシンのハンバーグ、ボロニアソーセージ、目玉焼きにキャベツの千切り、しじみの味噌汁。昼は無し。夜は、ポークソテー・マッシュルームスライス添え、鳥の手羽先の蒸し物、お供は「黒霧島」。

アマゾンで、亡くなられた大日本菊水会の川井春三先生のご門下で、私の盟友、故折本満氏の先輩である有山圭一先生が、上梓した『ある右翼の一人言』(東洋出版・千八百円+税)という本を見つけ、即購入した。有山先生とは、個人的なお付き合いはなかったが、折本氏を通じて、随分前から面識はあり、会えば必ずご挨拶をさせて頂いた。古武士を思わせる風貌で、以前から関西では、活動家、理論家として知られている。

その『ある右翼の一人言』は、まださらっと興味のある所しか読んでいないが、有山先生の「自分史」であり、民族派運動の解説書としても興味深い。率直に言って社会科の教科書を読むような気がした。野村先生や、私のことなどにも触れて頂き、恐縮する。有山先生は、出版に際して、「巻頭の辞・はしがきにかえて」として、こう書いている。

「さて、小生も昭和三十二年(一九五七年)四月に、大阪外国語大学・英語学科に入学以来、飲酒もせず喫煙もせず、ゴルフ・マージャン・カラオケも一切せずに民族主義運動に身を投じて早や半世紀以上、これを一つの区切りとして、右翼活動の足跡を改めて振り返るとともに、自らの主義主張、社会・国家観、或いは世界認識、さらには現在の心境などを、書物にまとめ、新たな出発の起点にしたいと考えております。敢えて、こうした本を出版しようと思い至ったのは、これまでの右翼・民族主義運動を過少評価するどころか、否定しようとする社会的風潮と、それに同調する動きを見せている政官財界の政治感覚に激しい憤りを覚え、日本国家の政治的危機感を強めているからです。」(後略)

民族派運動にご興味のある方は、是非ご一読願いたい。

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台風一家?

2017-10-27 10:47:17 | 日記
十月二十三日(月)雨後晴れ。

深夜に台風が上陸したらしく、我が陋屋が悲鳴を上げていた。念のために、雨漏りの受け皿を用意した。子供の頃、ラジオなどで「台風一過」と聞くと、私は、「台風一家」と勝手に思っていた。その一家は鬼で、風で膨らんだ大きな風呂敷を持って、各地に雨や風をまき散らす。脇には家族も一緒にいる。と言うイメージがあった。多分、どこかで「風神雷神」の図を見たのがイメージとなっていたのかもしれない。

やはり子供の頃、私の住んでいたアパートのすぐ近くには京浜急行が通っていた。京急には、普通、急行、特急(当時快速特急はまだなかった)があり、「台風で京急は不通になりました」と聞くと、急行と特急が走らず各駅停車の「普通」のみが走っていると思っていた。古い話をもう一つ。三橋美智也のヒット曲に「古城」と言うものがある。子供だったが哀愁を帯びたその歌が好きだった。その歌詞の中に「栄華の夢を」というくだりがあるのだが、それをずっーと「映画の夢」と思っていた。まあ向田邦子さんも「荒城の月」の歌詞、「巡る盃」を「眠る盃」と間違えたくらいだから、アホな少年であった私なら仕方がない。

「台風一家」も「普通」も「映画の夢」の勘違いは、そもそもが私のアホゆえもあるが、多分ラジオのせいだと思う。テレビだったら歌詞も、天気もニュースも時には画面に字幕として出る。だから、それを見れば、ああそう言う字を書くのかとわかる。テレビの無かった子供の頃は、ラジオで聞く言葉に、勝手に自分で解釈をするしかなかった。今でもニュースで「台風一過」と聞くと、「風神雷神」の絵が浮かぶ。

朝刊は、「選挙で自公が圧勝」。つくづく安倍総理は運が強い。もし、希望の党が旧民進党の人たちと合流しなければ、ここまで勝たなかったのではないか。希望の党と民進党の合流、野党共闘の失敗。これは何も安倍さんが画策したものではないにしろ、結果としてそうなり、与党が圧勝した。本当に運が強いと思う。ひょっとすると、民進党をぶち壊した前原さんは、愛国者なのかもしれない。まあ、どっちにしろ民進党の議員のドミノ離党は止められなかったに違いあるまい。

夜は、鳥鍋を囲んだ。おとなしく我が酔狂亭で酒仙となる。

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社友との朝食会。

2017-10-27 10:06:54 | 日記
十月二十二日(日)雨。

雨降りやまず。と言うところか。事前に投票を済ませておいて良かった。さすがに疲れて起きるのがきつかった。よっこらしょっと、気合を入れて起きた。九時に、社友の泊まっている東横インへ。群青忌が終ると、横浜に泊まっていた人たちとの「朝食会」を行っている。札幌の梶浦、山本の両氏は、飛行機の都合で午後一番のフライトとなり、急遽羽田へ。楽しみにしていたので残念である。

中華街は開店が遅い。九時過ぎから開いている店は何軒もない。そこで、昔から遠来の客が来た時の朝食は「安記」と決めている。今日の「朝食会」のメンバーは、札幌・小澤、函館・島田、青森・濱田、新潟・山田、長野・伊藤、京都、森下、宮崎・福田の諸氏にカメ&アコちゃんが合流。私たちを入れて十一人である。いつも参加する岐阜の細川先生や埼玉の神山さんの顔が見えない。昨日帰ったのだろうか。

「安記」は十一までは、お粥と「モツ皿」「レバ皿」「焼売」といった物しかない。まあこの小皿料理で軽く飲んで、〆に「お粥」というのが王道なのだが。二時間近く飲んで解散。アンルイスの歌ではないが、貴方は右に、私は左へと別れた。毎年、遠路かつご多忙中の折にも関わらず、群青忌に出席して頂く社友の皆さんに感謝である。

その後、二軒ほどハシゴしてから帰宅。八時まで寝て、選挙速報を見る。希望の党が失速し、自公が圧勝の様子。何処の局かは忘れたが、「自公が勝ったと言っても、安倍総理が信任されたわけではありません」だって。バカか、選挙は結果が全て、と言うことが分からないらしい。改憲勢力を結集して、九条の改正、国軍の創設を実現してもらいたいものだ。

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墓前祭と直会。

2017-10-25 10:49:55 | 日記
十月二十一日(土)雨。

六時に目覚ましのベルが鳴る。布団の中で耳を澄ませば雨の音が聞こえる。野村先生は「晴れ男」だったのに、私の行いのせいか。着替えて、大熊雄次氏と共に、社友らの泊まっているホテルに向かう。レンタルした大型バスを社友の人見仁さんが運転。一路伊勢原に向かう。途中、道を間違えたのはご愛嬌。

九時前に、お寺着。すでに同志の方々が雨の中で、我々が着くのを待っている。雨よけのテントが二つしかない。先のことを考えて、せめて十個ぐらいは確保しようと思った次第。十一時の墓前祭に、足元の悪い中に多くの方々が参加してくれることに頭が下がる。また雨の中をカッパを着て、駐車場の整理や会場の整理に汗を流してくれる社友に感謝。十一時に法要開始。終了後に墓前へ。

わたくしは、直会の会場となる中華街のお店に一足早く向かう。人数の把握が、当日でなければできないので、かなり大変である。今年も、百二十名の方が参加。テーブルは満杯。特に、今回は、姫路から、NPO法人・五任會の竹垣悟会長、先ごろ筆名の高い、沖田臥竜、花田庚彦の両氏、そして本名よりも「猫組長」というペンネームの方が有名なS氏が、初めて直会に参加して頂いた。ちなみに竹垣会長は、二十年祭の時にお会いし、ご挨拶をさせて頂いた。和やかな雰囲気の中で、三時間。お店のスタッフの方々、参加して頂きました皆さんに心から厚く御礼を申し上げます。

私は、ほとんど食事をしていなかったので、受付を担当して頂いたスタッフの皆さんと、「安記」へ。その後、サリーズバーに行けば、あらら、社友ばかり。一時間ほどいて、自宅に戻った。

※二十四年祭の記念品としまして、野村先生の俳句「蝉しぐれ 一度限りの 命かな」を写しました扇子を作りました。一本三千円(送料・税込)です。郵便振替用紙と共にお送りさせて頂きます。メール・snforever@proof.ocn.ne.jp もしくはFAX045-721-8443にてお申込み下さい。尚、写真見本・扇子立ては付いておりません。撮影用です。

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前夜祭

2017-10-25 09:32:47 | 日記
十月二十日(金)雨。

皇后陛下のお誕生日「地久節」。起床後に皇居を遥拝。また、今日は、野村先生のご命日「群青忌」である。玄関にある先生の写真に手を合わせ、お仏壇にも手を合わせる。正に「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」。今年は二十四回忌となる。

野村先生が、どのような思いで、二十四年前の今日、自決なされたのかは、遺著となった『さらば群青』や、山平重樹氏の『激しき雪―最後の国士・野村秋介』に詳しい。自決なされた翌年から、追悼集会「群青忌」を開催してきた。三島由紀夫先生のご命日が「憂国忌」として、歳時記に認知されているように、「群青忌」もそうありたい、と思って努力している。本来は、曜日に関係なく、ご命日に、追悼集会を催したいのだが、やはり全国から参集する方々のことを考えると、土曜日にせざるを得ない。

明日の追悼集会に先駆けて今日から横浜に来ている人たちと一緒に、恒例となった「前夜祭」を行う。いつもは会場の確保に苦慮するのだが、今年は、盟友の古谷喜久男さんの計らいで、彼の関係する屋形船を貸し切っての「前夜祭」となった。正直言って、横浜港で屋形船に乗るのは私も初めてのことである。みなとみらいの夜景に囲まれながら、社友、同誌、友人等、総勢三十名。人良し、酒良し、肴良しの三時間だった。明日が早いので、二次会は無し。

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