白雲去来

蜷川正大の日々是口実

男の生き様と権力の怖さを知る本。

2018-04-10 16:52:44 | 日記
四月七日(土)曇り。

朝食は、ホタテの稚貝の味噌汁、鮭の塩麹漬け、コロッケ。昼は、小カレー。夕方から東京行き。某所にて、秋の群青忌の開催に関しての会議を行った。今年は先生の二十五周年祭となる。ご命日の十月二十日に開催の予定。これから、案内状やパンフレット、放映する映像の編集などの作業が待っている。半年などアッと言う間である。早いもので、もう二十五年…。感慨深い。終了後に、私の好きな蕎麦屋「甲州屋」にて会食。その後、錦糸町に転戦してから帰宅。

山平重樹さんが最近上梓した『サムライ-六代目山口組直参・落合勇治の半生』という本を読了した。さる宴席で山平さんから直接頂いた本である。正直言って、私は、任侠のことに関しては、ほとんど知識が無い。しかし、この『サムライ』はある意味で、任侠と言う激しき道に生きる人を知る上では貴重な本だった。加えて、とても怖い本だった。何が怖いか…。それは、権力と言うものが「事件を作る」、すなわち、冤罪を演出するという事実である。ヤクザだから、推定無罪、ではなく、推定有罪となることの怖さが、この本には描かれている。本の帯には、「獄中三十八年、すべては己の信念を貫いたがためー。その生き様に”無実の証”がある」。法廷で、三島由紀夫の辞世の歌を披露した憂国の人でもある…。

「裁判を重ね、判明したのは『検察のでっち上げ』だった。無期懲役に服す獄舎で男は誓う『死んでも戦い続ける』と-」。一人でも多くの人に読んで頂きたいと思っている。その人の信念と生き様、そして権力悪の怖さと言うことを知るためにも。あらためて、本を読むと言うことは、「人を読む」ということを実感した本でもあった。

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若いと言う字は、苦しい字に似ている。

2018-04-10 16:20:09 | 日記
四月六日(金)曇り。

その昔の歌で、「若いと言う字は、苦しい字に似ているわ」というものがあった。確か三島事件の前年、すなわち昭和四十四年のヒット曲だ。聞いた時は私も若く、ナルホド、上手いことを言うなと思った。若い、イコール貧苦に喘ぎ、仕事もつまらないし、生きて行くことに対する目標もなかったあの頃…。「若いと言う字は苦しい字に似ている」というフレーズに、妙に納得したものだ。

それから約半世紀が過ぎ、「苦しさは」様々な形でつきまとったが、考えてみれば、若くなくとも、苦しい日々が続いている。若い頃の苦しさ何て、何とか紛らわせることが出来たが、この歳になっての、生きることの苦しさに直面すると、抜け出すのがとても大変である。登り険しき人生の坂を、越えても苦労はなお続く、か。ハァー。出るのはため息、残るは借金。

そんな私だが、夜は、関内の高級鮨屋として知られている「舎利膳」へ。某週刊誌の編集長氏と私の友人と三人での食事会である。不倫騒動から総裁選挙まで。勉強になった。二時間ほどで解散し、一人でサリーズバーへ。顔なじみの皆さんばかりで盛り上がった。日にちを跨がずに帰宅。

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時局を肴に一献会。

2018-04-10 08:49:14 | 日記
四月五日(木)晴れ。

良く寝た。いや寝すぎた。もう歳なんだから、あんまり長く寝ていると、時間が勿体ない。ぐっすり寝た後は、朝食が美味しい。アコウダイの粕漬、納豆、大根の味噌汁。食後に事務所にて仕事。昼は、コンビニのサンドイッチ。四時過ぎに帰宅。

夜は、大船の「北海道」と言うお店で、吉本将誠さんと杉浦里美さんを交えて一献会。年に何回か、このメンバーで、勉強会と称した、ただの飲み会を行っている。気障な言い方をすれば「時局を肴の一献会」である。「一刻者」という焼酎の一升瓶を抱きて、よ良いの良いの酔いで九時前に帰宅。

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自堕落な一日で、猛省。

2018-04-10 08:37:38 | 日記
四月四日(水)晴れ。

忙しさにかまけて、ついズボラを決め込むと、ブログを一週間も留守してしまう。別段、私の機関誌『燃えよ祖国』とは違って、有料ではないのだから、一週間ぐらい留守しても、何の問題もないのだが、心のけじめ、とでも言おうか、ハラワタの腐り止め、とでも言おうか、まあ生きている証程度に続けて行こうと思っている。

朝から所用あって東京行き。初めて「米田コーヒー」というお店に入って、懐かしいトーストと茹で卵のモーニングセットを食した。昼前に、御徒町へ行き、友人らと「日高屋」へ。ここも初めてである。何たって午前中、馴染みの店は何処も開店前。軽く飲んで解散するつもりが、時計を見たら正午、久しぶりに、秘密基地と呼んでいる「新東洋」へ転戦。カタギの衆が仕事をしている時間に、酔っぱらってちょっと後ろめたい。二時過ぎに、解散したが、山手線に一時間も乗ったら、渋谷に着いた。自分を百回以上罵って、やっと帰宅。

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ロースハムを切るのには勇気が必要。

2018-04-05 12:31:51 | 日記
四月三日(火)晴れ。

朝食は、ロースハムに目玉焼き、キャベツの千切り添え、シジミの味噌汁。ロースハムを切る時に、必ず脳裏に浮かぶものがある。それは漫画家の東海林さだおさんの「ショージ君」だ。安月給のショージ君が、ある時思い切って、ロースハムを一本買った。いつも薄いペラペラのものばかり食べているので、いつか分厚いロースハムを食べたいと思っていたのだ。念願のロースハムの厚切りに挑戦する。意を決して、厚めの所に包丁を入れるのだが、貧乏性が抜け切れず、まっすぐ包丁を下せず、途中から、斜めに、結果、いびつな三角形のようになってしまうのだ。

私たちの世代は、ロースハムは高級品で、子供の頃は、ハムと言えば、様々な肉を成型した「プレスハム」で、ウインナーは、「漁ニソ」、または、魚の「赤ウインナー」だった。その名残か、今でも、ロースハムを切る時、心の準備を必要とするのである。

一日、パソコンに向かって仕事。野村先生が亡くなられてから今年で二十五年。過日、事務所の書棚を整理していたら、様々な人の書いた本に、様々な形で、野村先生のことが取り上げられている。それを私の機関誌でボチボチと紹介してみようと思っている。特に左翼と言われている人達の野村先生評が興味深い。こういった作業は楽しい。

夜は、蒸し鶏、ネギタコ(タコをスライスしてごま油と醤油で和えたもの)、ホタテの稚貝の蒸し物。酔狂亭でのお供は「黒霧島」。

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