白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供の誕生日。

2018-11-29 08:08:19 | 日記
十一月二十二日(木)曇り。

午前中に、歯医者へ。左下の歯がグラグラしていて食べづらいので、意を決して抜くことにした。歳と共に、歯の調子が悪くなる。二時間ほど麻酔が効いているので、スタバで静かに本を読んでいた。

今日は、「いい夫婦の日」とか。ナンバーに、この日の番号を使った車を良く見かける。さほど「いい夫婦」でもないが、この日は上の子供の誕生日。最近お気に入りの西横浜の「オアジ」にて家族でお祝いの食事をした。早いもので、来春は大学を卒業し就職する。大きくなるのは嬉しいが、親離れをすることは、少々寂しいものだ。食後、子供たちを先に帰して、仲良しさんと「一休寿司」へ転戦。いい夜だった。

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釣り師は脱獄囚?

2018-11-29 06:48:02 | 日記
十一月二十一日(水)晴れ。

札幌の社友の梶浦直樹さんのブログには、彼の釣行のことが度々アップされている。驚くのは、この寒空の中で、それも夜釣りに出かけることだ。私なんか寒がりだから、幾ら良い物が釣れるとしても、この時期の夜釣りは尻込みする。それも横浜ではなく札幌の夜釣りである。

「釣師というものは、見たところ、のんきそうだが、実は脱走者で脱獄者だ。仕事から、世間から、家庭から脱出しようとあがきながら、結局、脱出できないことを知って、瞬間の脱獄気分を楽しんでいる囚人だ」。これは林房雄の『緑の地平線』の中に出てくる言葉と言うことを、先日買った開高健の『開高健ベスト・エッセイ』(筑摩文庫)で知った。釣竿を片づけてからずいぶん経つ。来年の夏は、また黒鯛釣りに出てみようかとも思っている。

今日は、私が役員の末席を汚している大行社の幹部会議が行われ出席。体調を崩していた四宮正貴先生が二か月ぶりに出席。私も四宮先生に続きご挨拶をさせて頂いた。終了後は、六本木にて直会。九時前に帰宅。

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今冬は暖冬か。

2018-11-27 11:53:29 | 日記
十一月二十日(火)晴れ。

一葉落ちて天下の秋を知る。中国の「淮南子」が出典だそうだ。「一葉」とは「桐の葉」のこと。大きな桐の葉が落ちると、いよいよ秋だと言う感じが深まることから、衰亡の兆しをあらわすときや、わずかな前兆から、どんなことが起こるだろうかを予知するときに使われる。今年は、暖冬とのことで、桐の葉を落とすような、「木枯し一号」がまだ吹かない。「木枯し一号」とは、季節が秋から冬へと変わる時期に、初めて吹く北よりの強い風のこと。具体的には、十月半ばの晩秋から十一月末の初冬の間に、初めて吹く毎秒八メートル以上の北よりの風のこと。

機関誌『燃えよ祖国』の最新号(二四四号)が完成し、発送した。群青忌の準備や後始末で発行が遅れた。読者の皆さんには、この場でお詫び申し上げます。次号は、「群青忌特集号」です。ご購読をご希望の方は、ご一報ください。

夜は、酔狂亭で、豚のバラ肉をメインにした「豚肉鍋」を囲んだ。お供は「黒霧島」。次は「鮟鱇鍋」に挑戦してみようと思っている。

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弁当のこと。

2018-11-27 11:00:07 | 日記
十一月十九日(月)曇り。

小学生の頃は給食だった。昭和三十年の前半の頃は、まだ日本の経済状態が悪く、従って給食とは名ばかりで、貧乏だったにも関わらず、「美味しい」と思って食べたと言う記憶がない。脱脂粉乳は、鼻をつまんでも飲めなかったし、パンは、一日たつと、釘でも打てるのではないかと思うくらいカチカチになった。正直言って給食の時間が嫌で仕方がなかった。

中学の時は、給食が無く、学校指定の「中田のパン」の袋に、食べたいパンとお金を入れておくと、昼に届いたが、毎日同じメニューばかりなので、さすがに三年間は飽きて、匂いを嗅ぐのも嫌になった。コンビニなどない時代だったので、仕方なく食べていた。高校は、弁当を持って行った。何かを買おうとも思っても、学校の周りにはお店が一軒もなく、弁当を持って行く以外になかった。「のり弁」「しゃけ弁」「煮豆」の繰り返しだった、という記憶がある。「のり弁」も学校に行くまでに、ご飯が端っこに寄ってしまい、隙間が出来ているのが、貧乏くさくて情けなかった。

子供たちは、中、高、大学とすべて弁当を持って行っている。学食で食べれば楽なのにと思うのだが、「まずいから嫌だ」ということで、今でも愚妻の手を煩わせている。世界の学校で、弁当を持って行くところがどのくらいあるのだろうか。以前、テレビで見たのだが、オーストラリアかの小学生のお弁当が、食パン二枚にバナナ一本で、ちょっと驚いた。持たせる方は手軽で良いが、そんなもので、お腹が一杯になるのだろうかと、余計なお世話だが、心配になった。今度、事務所に行く時に、弁当を作って持って行ってみようかと思っている。事務所には、火の気が一切ない。本と資料が山積みなので、火事が怖いからである。電子レンジと保温ポット。これさえあれば冷えたものを食べずに済む。まあ、何処かで弁当を買った方が早いか。

今日は、月に一度の、仲良しさんたちとの飲み会を、弘明寺の「花笠」にて開催した。二時間近く飲んでから、有志にて関内へ転戦。十二時近くに帰宅。

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五十にて 河豚の味を 知る夜かな

2018-11-26 17:31:44 | 日記
十一月十八日(日)晴れ。

今日は、今年初めての「ふぐ」に夫婦で呼ばれた。仲良しの夫妻から「群青忌のお疲れ会」と言うことで、場所は野毛の玄品ふぐ。実は、私は「ふぐ」のデビューは遅かった。何故かと言えば、どうも「ポン酢」が好きではなかったからである。寄せ鍋も、ポン酢を出されると、パスして鍋のスープに醤油と塩で味をつけて食べていた。どうも子供のころから唐辛子や芥子は幾ら辛くても大丈夫なのに「酸っぱい」のと「苦い」物が駄目だった。

それが歳と共に、酸っぱいものが大丈夫となり、ポン酢も好きになった。多分、体のことを考えて、塩っぱいものを体が拒否するようになったのかもしれない。それで「ふぐ」が好きになった。好きになったと言っても、懐具合が追い付かない。従って、好物となった「ふぐ」も年に数えるほどしか味わえない。

何年か前に、お世話になっている方に招待されて、大分の臼杵と言う所に「ふぐ」を食べに行った。そこは「肝」を食することが許可されているらしく、勧められたが、威勢の悪い私は、ご勘弁願った。「ふぐ」好きな人にはそれぞれ一家言(その人独特の主張)あって、「ふぐ」はこの店でなきゃ。とか「いやあそこ方が美味い」と、私のような「ふぐ」の素人には、おおいに参考になるが、そんな高級な店になど、中々行くことが出来ない。今日は、好きな、「ブツ」や「テッサ」、「汁」を「ヒレ酒」で堪能した。小林一茶の句に「五十にて 河豚の味を 知る夜かな」がある。まるで私のためにあるようだ。

河豚を刺身で食う風習は下関あたりではおそらくあったのだろう。それを広めたのが幕末の志士たちではあるまいか。そうでないと、伊藤博文が春帆楼に遊んだ時、あいにくしけで魚がないのでと女将が断りをいうと、馬関で魚がないとはと皮肉ったので女将がそれではお手打ちを覚悟で、と河豚を出したという逸話の本当のおもしろさが出ないのである。(「春帆楼「ふぐ豆知識」)その春帆楼に一度行ってみたいものだ。

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