白雲去来

蜷川正大の日々是口実

葬儀のご案内。

2018-11-26 10:26:32 | 日記
十一月二六日(月)晴れ。

野村秋介思想研究会会長の藤巻強氏の実兄、藤巻広氏が二十五日午前、逝去しました。享年六十八歳。ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。通夜式・告別式は下記の通りです。

通夜式:十一月二十八日(水)午後六時より。
場 所:昭和シティホール 山梨県中巨摩郡昭和町西条一〇三五の一
電 話:055-275-0983

告別式:十一月二九日(木)午後一時より。

事務局 藤巻強 090-8879-7680

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鮎よりも鰻だな。

2018-11-25 08:35:40 | 日記
十一月十七日(土)晴れ。

川魚がどうも苦手である。鮎も、出されれば食するが、自分からは食べに行くことはない。野村先生がお元気な時に京都に行くことがあり、南禅寺に近い有名な料亭で、鮎が出た。野村先生は、食が細く、出てくる料理にほとんど手を付けない。大体私が先生の分まで食べることになるが、「絶品」と言われているこのお店の鮎よりも、田舎者ゆえ、鰻か明石の鯛のお造りの方が良かったと、当時の日記に書いてある。

今日は、「やまと」にて仲良しさんたちと冬だけ限定で出される「鶏鍋」を囲んだ。私共夫婦を入れて六人である。また好き嫌いの話で恐縮だが、魚貝や豚肉、鶏肉など一緒に入った、いわゆる「寄せ鍋」が好きではない。鶏なら鶏、豚なら豚だけの鍋が良い。もちろん豆腐、油揚げ、野菜(我が家はキャベツ)、ごぼうと人参の千切り、竹輪を入れる。スープは「昆布出汁」。

床の間に月見草のつぼみが活けてあった。生麩と野菜の取り合せ、小ぶりの鮎ずし、胡麻豆腐、そんな物を肴に、鮎の焼けて来るまでちびちび盃を傾けていると、そのつぼみが一つ、音も無く開く。聞えるのは、井戸水の生け簀で魚のはねる音だけ、「夜道して行く人の声」もせず、静かなものだ。
「どうぞゆっくり召し上っとくれやすや。ゆっくりしておいやすと、月見草か又咲きますえ」。梅雨が上れば、樹間に蛍の飛ぶのも見えるそうだし、京の闇夜らしい佳き風情があった。言われる通りゆっくり、二度塩焼のお代りをし、月見草のぽっかり開くのも三遍か四遍か見て、満ち足りた気分で勘定書を求めたら、想像した値段と大分ちがっていた。前回、自分で払っていないのだ。頼んだタクシーが来て、連れと二人乗りこんだが、京都の運転手は京に関する他所者の陰口を知り合いの店へ伝えそうな気がする。車内で私は声をひそめた。「つぼみが一つ花開くごとに、ざっと二万円だぜ。一輪二万円の宵待草は高過ぎるだろ、おい」鮎にふさわしい閑寂とした座敷で、本当に佳い鮎を腰落ち着けてたっぷり食べたければ、此の値段は止むを得ないのかも知れないか、それきり行っていない。これは阿川弘之さんの書いた『食味風々録』(中公文庫)の一節。

私のような田舎者には、こういった風情は似合わない。「やまと」で、良い人たちとの酒に酔った。いい一日だった。

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一人寝の子守歌。

2018-11-24 17:12:41 | 日記
十一月十六日(金)晴れ。

日産のゴーンさんが逮捕され、現在東京拘置所で取り調べを受けているとのこと。ああいった栄耀栄華を極めた人が、この時期に暖房もない独房で、膝小僧を抱えて、ため息などついているかと思うと、自業自得とはいえ、ちょっと可哀そうになる。何と言っても、拘置所に入るとプライドがズタズタにされる。両手をついて、お尻を突き出して、ガラス棒でズブ。刑務所や拘置所の戦前から使われている言葉も理解できないだろうし、まあ大変である。でも留置所よりも拘置所の方がまだいい。それは取り調べの時間も限られているし、留置所のように夜遅くまで調べられると言うことがない。

拘置所では、今でも(多分)切手は「郵券」、「用事がある時は『報知器を出せ』」。食事時に缶詰を開けるときは廊下から「かいかぁーんホーチキ」の声がかかるが、はたして分かるだろうか。日本人は、金持ちや金儲けの上手な人は、余り尊敬されない。と言うことを、日本に来るときに、教えてあげれば良かったのに。特に吝嗇(りんしょく=ケチ)はだ。しかし、あんな不正をゴーンさん一人で出来ることなのだろうか。もしそんなことが出来るのならば、会社の体を成していないと思うのは私だけだろうか。ちなみに私はトヨタ派です。

量販店で、大き目のホットプレートを買った。それを使って家族でお好み焼き。私は、「紅生姜天」が好きだ。

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国家間の交渉のむつかしさ。

2018-11-20 14:29:41 | 日記
十一月十五日(木)晴れ。

まだ衣替えをしていないので、冬物が無い。やろう、やろうと思ってはいるのだが、納戸の片付けが面倒なので、しばらくはやせ我慢しなければ。

ロシアとの北方領土の返還交渉が動き出したと新聞にあった。つまり歯舞群島と色丹島の二等の返還を優先してロシアとの平和条約を締結する。と言うものらしい。この問題で久しぶりに鈴木宗男がテレビで語っていたが、鈴木は、この二島返還にプラスして択捉島国後島の旧島民の自由往来を言っていた。交渉のことは、良く分からないが、民族派として北方領土の返還とは、南樺太及び全千島列島の返還が原理原則である。

終戦時のソ連(現ロシア)の蛮行、すなわち領土を奪われただけではなく、虐殺された三十万余同胞と酷寒不毛のシベリアへ連れ去られた六十万余抑留犠牲者のことを私たちは決して忘れてはならない。古い同志である永尾隆美さんがフェイスブックで、「北方領土の返還とはどういう意味か」と言うことを分かりやすく書いています。是非、寄ってみて下さい。

吉村昭の小説に『ポースマツの旗』がある。副題に『外相・小村寿太郎』とあるように、小村寿太郎を中心として、日露戦争後のポーツマス条約締結までの交渉を描いている。勝った戦争なのに、国家間の「交渉」の難しさと言うものが良く描かれている。安倍総理は、まさか個人の「名誉欲」のために北方領土交渉に譲歩するようなことはないだろうが、せめて小村寿太郎の苦悩と言うものを思い返してもらいたいものだ。交渉には関係ないが、とても感動するエピソードがある。それは、

ポーツマスでの日露戦争講和会議のため米国入りした外相、小村寿太郎の一行はシアトルから汽車で米大陸を横断した。途中、山林地帯の駅に止まると、線路ぎわに日本人らしい男五人が立っている。手には急ごしらえの日の丸を持っていた。展望台に出た小村が尋ねると十数キロ離れた森林で働く日本人労働者だった。国運をかけた交渉に赴く小村を見送りたいと夜通し歩いてきたらしい。小村が「よく来てくれた」と声をかけると男たちの頬を熱涙が伝い、小村も目に涙を浮かべたという。外相秘書官だった本多熊太郎が著書などに書き残したエピソードで、明治三十八年七月のことである。
(「産経抄」2011・5・25)

夜は、友人が酔狂亭に来訪。「そごう」で誂えた刺身の盛り合わせを肴に、「秋の夜の酒は静かに飲む」ことを忘れて、口角飛泡の一献会。

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平成三十年度・忘年会のご案内

2018-11-20 13:30:10 | 日記
十一月十五日(木)晴れ。

平成三十年度・忘年会のご案内

拝啓 晩秋の候、皆様には益々ご健勝の事と存じ上げます。
平素より、何かと弊社に対しまして、ご支援と、ご指導を賜り心から厚く御礼を申し上げます。
 扨、「男の酒の嬉しさは、忽ち通う意気と熱」とかI。年末に、皆様と共に一年を振り返り、酒杯に天下の影を映しての忘年会を、
下記要領にて催したく存じます。
 時節柄、何かとご繁忙とは存じますが、何卒、ご来臨の栄を賜りたく、ここに謹んでご案内申し上げます。
 本来ならば、参上し拝眉の上、ご案内申し上げますのが本意ではありますが、失礼の段は、平にご容赦願います。
 末尾となりましたが、皆様のご健勝をご祈念申し上げまして、取り急ぎ、ご案内申し上げます。
                                                            敬具
 十一月吉日
                  ㈱二十一世紀書院
                    代表蜷川正大
        記
日時;十二月十六日(日)午後六時~八時。
場所:中華街・均元楼(中華街の善隣門・加賀町警察側か ら入って左側八軒目・萬珍楼の二軒隣)
   横浜市中区山下町一五二 電話○四五-六五一-九三四六
会費:一万五千円

問い合せ○九〇-六三〇〇-七〇七五 二十一世紀書院
※ご同封の葉書は、恐縮ですが十二月十日までにご投函下さ
※メール・電話等でのご連絡でも構いません。

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