白雲去来

蜷川正大の日々是口実

友の一周忌。

2019-01-21 18:10:12 | 日記
一月十九日(土)晴れ。

海軍では、船酔いに階級はない。と言うが、幾ら、美酒佳肴を堪能しても二日酔いになっては残念である。目覚ましが鳴って、あと少し、後五分を三回ほど繰り返して、やっと起きた。九時過ぎに志村馨君と保土ヶ谷の駅で待ち合わせて大宮行き。有難いことに湘南新宿ラインで一本である。

十時二十四分着。駅には、野村先生の奥様や岩上賢さん、山平重樹さん、大熊雄次さん、本多菊雄さん、はが里枝さん、そして地元の山崎一弘さんが待っていてくれた。今日は、昨年に亡くなられた、群青の会の初代会長の正田秀幸さんの一周忌法要が大宮のお寺で執り行われ、一門が集合した。

良い天気である。正午から法要開始。皆で、ご焼香し、遺影に手を合わせた。その後お墓に行き、お線香を手向けた後に、皆で記念の写真を撮った。車で直会の会場へ移動。直会の場所は、何と、何回も来たことのある「道山閣」というお店。古い同志で大宮在住の並木晃さんの忘年会や古希の祝いなどで、幾度も来た。正田さんの自宅は、その道山閣のすぐ裏とのこと。地理が不案内とはいえ、灯台下暗しとはこのことだ。

僭越ながら献杯の音頭をとらせて頂いた。二時間以上、正田さんを偲び弔いの酒。珍しく岩上賢先輩が大破・轟沈した。また古い読者のHさんが、近々仕事で中国へ行くとのこと。車で来ているので、残念ながら送別の酒とは行かなかったが、お元気で頑張ってほしいと思っている。

終了は、大宮駅の近くの焼き鳥屋で、私、山平、大熊、本多、志村、山崎の諸氏で二次会。二時間ほど飲んでから、横浜に戻った。

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粉黛を見にもゆかずに河豚をくふ

2019-01-21 14:18:31 | 日記
一月十八日(金)晴れ。

スーパーに行くと、この時期だけある「生ワカメ」がある。すぐに買って味噌汁に。熱々の味噌汁の中に入れると、あっという間に鮮やかな緑色になる。上等の物は、しゃぶしやぶにすると、ポン酢に生姜をいれて食すると、軟らかくて香も良いしとても美味しい。季節を味わうということは、生きていると言うことと同義語であると思う。

季節を味わうと言えば、友人から、「ふぐ」に招待された。今年の初ふぐである。場所は浅草の「三浦屋」。私は初めての店である。浅草のビューホテルにて待ち合わせた。浅草までは京急で一本である。電車のお供は、以前古書店のワゴンで買った『なつかしい芸人たち』(色川武大著・新潮社)。浅草に行くのには丁度良い。書かれている芸人の三分の一が戦前に活躍した人たちで、知らない人ばかりであるが、読んでいて楽しい。

ビューホテルに着いて、まずは「泡」で乾杯。気分が盛り上がる。三浦屋は歩いてすぐの所にあった。メニューを見ると、「とらふぐ」の値段に、ちょっとビビった。それでも「ヒレ酒」の酔いにまかせて、気が大きくなり、「フグ刺し」をお変わり。高濱虚子の句に「壇の浦を見にもゆかずに河豚をくふ 」と言うものがあるが、銀座に誘われたが、正に虚子の句の心境で、粉黛を見にもゆかずにふぐを堪能した。盟友に感謝。

その後錦糸町に転戦。同志らと語らい、九時過ぎにお暇した。

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阪神大震災から24年。黙祷。

2019-01-20 11:56:59 | 日記
一月十七日(木)晴れ。

阪神大震災から二十四年。その日、寝ていて阪神・淡路の揺れを感じなかった。早朝にテレビを点けたら、何処かの町が燃えている映像が目に入った。ん、何?。その映像が神戸の町の一部と聞いて驚いた。詳細を知るにつれて大変なことになっていることを知り、更に驚いた。考えてみると、平成の御代には、こういった大災害が続いた。それにも負けずに日本人は秩序正しく、かつ忍耐強く復興を成し遂げてきた。もちろん、まだ仮設住宅に住む人、身内を亡くした心の傷が癒えない人もいるのに違いあるまい。

確か、この時は村山内閣だったと記憶している。聞く所によれば、「私が総理の時に自衛隊の出動命令を出すのか」と逡巡した結果、自衛隊の救助が遅れ、犠牲者が増えた。が定説となっている。残念ながら、私たちは、こういう災害や事故を経験して、そこから学び、より安全、安心な社会を築いて行く。近い将来かなりの確率で起こると言う東南海地震、関東地方の地震。ないことに越したことはないが、「もしもの時」に、最低限の備えは必要だと思う。

『白い孤影 ヨコハマメリー』(檀原照和著・ちくま文庫)を読む。ヨコハマメリーさんに関しては、知人の映画監督の中村高寛さんの『ヨコハマメリー・かつて白化粧の老娼婦がいた』(河出書房新社)という名著がある。中村さんの方は、メリーさんのドキュメントと合わせて横浜の戦後史としてもとても参考になる。檀原さんの物は、完全にメリーさんの個人史として興味深く読める。また、「後書き」にあった、本書執筆の機会を与えてくれた「筑摩書房の青木さん」には、私もお世話になっている。偶然に旧知の方の名前を見つけて檀原さんの本がより身近なものとなった。是非ご一読を。

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数知れぬ過失は酒とともにあり。

2019-01-17 11:02:35 | 日記
一月十六日(水)晴れ後曇り。

七時の目覚ましを止めて、九時まで寝ていた。当然の二日酔い。昨夜の紅灯緑酒での杯盤狼藉が甦って来て、道の兄と慕った、元楯の会の故阿部勉さんの歌、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」が浮かんだ。

昼過ぎまで、そのまま寝ていて酒を抜こうかと思ったら、午前中に歯医者の予約をしていた。うげぇーっと起きて、ヘロヘロになって歯医者へ。ふと、昨日の二次会の会費を払っていなかったのでは、と不安になり、財布を見るとお金が減っていない。友人に連絡して、スマン、スマンのオスマントルコ。その友人氏から、昨夜、昭和五十年に河出書房新社から発売された『文芸読本・三島由紀夫』を古書店で見つけ、それを私にプレゼントして頂いた。頂いた本はしっかり持って来ているのに、お金を支払うのは忘れる。酒飲みとは、都合の良い飲み方をするものだ。

その友人氏と、関内駅近くの、うどん屋さん「おおぎ」にて昼食を共にする。朝食を取らなかったので、煮込みうどんがとても美味しかった。忘れてた会費を届けても、昼食をご馳走になっては話にならん。いつもお世話になっている友人氏に感謝である。食後に事務所へ。夕方帰宅してから、夕食まで読書。頂いた『文芸読本・三島由紀夫』の中の高橋和己が寄せた「自殺の形而上学」を、読んだが難しかった。

夜は、おとなしく酔狂亭で、缶ビール二本でやめた。酒とのズブズブの関係をやめられん。

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カワウソの祭りで酔った。

2019-01-17 10:44:31 | 日記
一月十五日(火)曇り。

日本酒好きの人には釈迦に説法だろうが「獺祭」とは、カワウソ(獺)が、捕らえた魚を供物に並べ先祖を祭る様を指す。 カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これを祭儀になぞらえた。 転じて多くの書物を調べ、引用する人の様を指す。また、中国は唐の時代の詩人が、文章を書く際に、多数の書物を、作業場所の周囲に置いて参照していることを、自ら「獺祭魚」と称していたため、「獺祭」には、詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくという意味もある。

夜は、仲良しさんたちの飲み会を馬車道にある、湘南の魚を提供する名店にて開催した。十名が出席。その折に、オーナーが「新年のご挨拶」と言って「獺祭」の一升瓶を差し入れして頂いた。日本酒を飲むのは久しぶりである。なぜか、それは日本酒の糖分を警戒しているからである。メインを焼酎に換えてから久しい。しかし、その「獺祭」まるで上等な白ワインのようで、とても美味しかった。お刺身や和食に白ワインが合うように、この「獺祭」も当然ながら、とてもいい。皆で、一升びんをペロッと空けて、有志にて狭斜の巷(きょうしゃのちまた=調べてみてね)に繰り出した。

傾城と傾国(けいせいとけいこく=調べてみてね)を相手に、二時間ほど。韓国の無礼なレーダー照射や諸々の政治諸問題を忘れて、久しぶりの大破・轟沈の夜。古人曰く、親の意見と冷酒は後で効く。を忘れていた。※写真は、野村先生の生誕祭のお知らせです。どなたでも参加できます。お問い合わせは090-6300-7075・二十一世紀書院まで。

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