白雲去来

蜷川正大の日々是口実

成人の日。

2019-01-15 11:53:28 | 日記
一月十四日(月)晴れ。成人の日。

下の子供が成人式に出席すると言うことで、新横浜まで愚妻と共に送って行った。着付けをしている間に私は自宅に戻ったが、途中、どう見てもオツムの弱そうな女の子が四、五人成人式の着物を着たまま道端でタバコを吸っていた。足許を見れば、何本かの吸い殻が落ちていた。「親の顔が見たい」と思わず呟いた。ニュースでは、猿回しのような恰好をした連中が会場で暴れているとやっていた。自分の子供も参加していて何なんだが、こんな無味乾燥的な式典などやめて、靖国神社や各地の護国神社、または伊勢神宮などに参拝して、日本人であることと、成人したことを報告、感謝するようにしたら良いと思うのは、私だけだろうか。

上の子供の体調が悪い。熱が三十九度もある。祭日なので病院は休み。部屋を暖かくして、消化の良い物を食べさせて安静にさせた。夜は、酔狂亭で「鶏鍋」を囲んだ。お供は「黒霧島」。

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若気の至り。

2019-01-15 11:25:47 | 日記
一月十三(日)晴れ。

今から三十二年前の東京、横浜は、昨夜に降った雪のせいで一面の銀世界となった。三十二年前、すなわち昭和六十二年の今日は、私にとって様々な意味で、人生のターニングポイントとなった日でもある。それでも、三十二年も過ぎると、毎年、この日のことを意識するという訳には行かない。そんな昔のことを感慨深く思っている余裕などない。というのが正直な気持ちだ。とにかく三十二年という歳月は、純粋な気持ちを鈍化させるのには、十分すぎる時間である。きみまろではないが、あれから三十二年か。時が過ぎて行くのではなく、人が去って行く、という思いを強くする。

その昔、若気の至りで「寅の会」という親睦の会を作って運動したことがあった。昭和二十四、二十五、六年生まれの者が多く、仲間意識が強かったが、時の移ろいと共に、疎遠になったり、亡くなったりする者が出てくる中で、今では有名無実、解散状態となっている。たまに古い運動仲間から「まだ寅の会はありますか」と聞かれることがあるが、「いやありません。個人的には、一切関係ありません」と答えるようにしている。野村先生ではないが、「人の付き合いと言うものは、季節の花と一緒で、その時々の付き合いでも良い」。正に至言である。くだらんしがらみに縛られるよりも、今現在仲良くしている人を大事にしたいと思っている。

夜の、酔狂亭のメニューは、ナスと豚バラ肉、キムチをオイスターソースで炒め、清風楼の焼売、自然薯の磯部揚げ。お供は「黒霧島」。

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冬夜書を讀む。

2019-01-14 16:10:09 | 日記
一月十二日(土)晴れ。

一月は、酒も随分飲んだが、本もそこそこ読んだ。若い頃は、諸先輩に刺激されて、月に十冊ほどのノルマを決めて読んでいた。北海道に留学中は、月に三十冊のノルマを課して、一人一殺ではなく、一日一冊を目標に約四年、乱読の時を持った。私の勝手な解釈であるが、陸上の長距離も読書もまずは体力をつけることが必要と思う。読書を重ねて行くうちに難しくて読めなかったような本も読めるようになるから不思議だ。若い頃に小泉信三の『読書論』(岩波新書)と出会ったおかげで、読書に対する姿勢が変わった。

ただ最近は、目が疲れてついウトウトしてしまうことが多くなった。かつてのように「目的」をもって読書するのではなく、読みやすい本のみを読んでいる。それでも楽しいことに変わりはない。今の時期に本を読んでいると、江戸時代の朱子学者の菅山茶の「冬夜書を讀む」が浮かぶ。

雪は山堂を擁して 樹影深し
檐鈴(えんれい)動かず 夜沈沈
閑かに亂帙(らんちつ)を收めて 疑義を思う
一穗の青燈 萬古の心

訳・雪が山中の家をうずめ、樹木も雪に深く掩われている。風もやみ軒の風鈴も動かず、夜は沈々とふけてゆく。静かにとり散らかした書物を整理しながら、疑問の箇所を考えつづけていると、稲穂のような青白い灯火が、大昔の聖賢の心を照らし出してくれるように思われてくる。(関西吟詩文化協会)

夜は、「しゃぶしゃぶ」を家族で。低予算ビックな企画だった。酔狂亭の夜は和やかに更けて行った。

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肉じゃがは、東郷さん。

2019-01-12 14:59:22 | 日記
一月十一日(金)晴れ。

金曜日は、下の子供の授業が朝早く始まるので、六時前には起きなくてはならない。子供と一緒に朝食は、昨日松原商店街の肉屋で買った、昔懐かしい味のするメンチカツ、ジャガイモのフライに目玉焼き、トロロコブのスープ。昼は、小さいおにぎり一つ。夜は、上の子供と待ち合わせて、今年初の「やまと」へ。仲良しさんのご夫妻が合流。しばらく飲んでから「一休」へ転戦。娘と二人で「やまと」に行けることの嬉しさよ。

「おふくろの味」として代表的な物が「肉じゃが」。実は、この肉じゃがを考案したのが東郷平八郎提督で、その発祥の地は舞鶴だと、阿川弘之さんの『食味風々録』(中公文庫)にあった。明治三十四年、初代舞鶴鎮守府長官であった東郷平八郎は、イギリスで食べたビーフシチュウの味が忘れられず肉とポテトをベースにした食物を作るように命じた。日本の調味料である醤油と砂糖で味付けした結果、出来上がったのが肉じゃが。その後家庭へと普及していった。舞鶴観光協会のポスターにあるそうだ。

では、近いうちに横須賀の「海軍カレー」と「肉じゃが」で、かつての帝国海軍の栄光を偲びつつ、一杯やろうかな。

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厄介な人だ。

2019-01-12 14:24:08 | 日記
一月十日(木)曇り。

韓国の文さんと言う人は確信的な反日の人だと言うことが分かる。徴用工の判決でも最高裁の判事のほとんどが文さんが指名した人で、トップの判事は、地方の裁判官だった者をわざわざ自分が指名してトップに据えたと言うではないか。何が三権分立なのか、聞いてあきれる。

今回の自衛隊機のレーダー照射も、北朝鮮の船との間で何かしていたのを、見られたくないので、レーダーを照射して自衛隊機を追い払ったと言うのが定説となっている。かつては、北朝鮮と言う独裁国家が日本と韓国の共通の脅威であったが、今の韓国の政権は、北朝鮮への融和で、日本を南北朝鮮の共通の敵としようとしている。と思われても仕方がない。三月一日の独立の日とか言う記念日を南北共同で式典を行おうとしていると聞く。日本と仲良くしたくないのだろうか。厄介な人だ。

今年初めて松原商店街へ。魚幸でマグロを買って帰宅。悲憤慷慨しつつ、酔狂亭にて独酌。

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