白雲去来

蜷川正大の日々是口実

戦争のできる国が普通の国。

2021-05-08 13:51:17 | 日記

5月3日(月)晴れ。

東北大震災のいわゆる3・11の時は、金持ちは、いち早く日本を離れようとして成田や羽田で飛行機のチェックインを争ってケンカが始まったと、誰かが書いていた。しかしこのコロナ禍では外国などへ逃げようもない。もちろん探せば地球上で安全な国もあるかもしれないが、そんな国が日本人を受け入れてくれるかは保証がない。せいぜい金とコネを使ってワクチンを優先的に摂取するぐらいだろう。コロナには貴賤の隔てはない。

緊急事態宣言が、発令されたからって、ほとんど効果はない。仕事で東京へ行っている子供に聞けば、相変わらず通勤の電車はラッシュ状態であるという。飲み屋に自粛を求めるよりも、満員電車を何とかしろ、と思う政治家はいないのか。憲法9条をノーベル平和賞にとか言った能天気な連中がいるそうだ。それなら九条に「コロナは来るな」と明記して貰ったらどうだ。

戦後の日本の繁栄と平和は、かつての敵国に国防を委ねた「奴隷の平和」と、日本精神を喪失した「魂無き繁栄」の基に築かれた「砂上の楼閣」である。と明言したのは野村先生だった。残念でも「戦争のできる国」が普通の国なのだ。占領基本法とも言うべき、現在の日本国憲法を一日も早く改正しよう。ということを考える憲法記念日であってほしい。


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ほぼ休肝日。

2021-05-07 12:00:00 | 日記

5月2日(日)晴れのち雨。

花の雨 けむる祖国のさみしさよ。とは野村先生の句である。子供の頃は、学校が休みの日に雨が降ると、本当にがっかりしたものだ。今と違って、ゲームはおろかテレビもなかった時代に、せっかくの休日を家でじっとしていると、何かとても損をしたような気持になった。今では、日曜日が雨だろうと、雪だろうと、槍が降ろうと(降らないか)どうでもよく。雨の音を聴きながら、本を読んだり、好きなCDを聞いたり、パソコンで原稿を書いたりと、まったく退屈しない。いわゆる「引きこもり」とかいう人が多いと聞くが、スマホやゲームやパソコンがなかったなら、随分と数が少なくなるのではないかと思うのだが。

事務所に行く。もうひどい状態である。どこから手を付けて良いか分からず、ただ呆然とするが、何とか頑張って資料用のDVDと写真アルバムを整理した。といってもかなりの数なので置き場所に困る。近いうちに本棚を増設して、整理するつもり。五時過ぎに帰宅。先日、通販で自宅のパソコンの横にCD用の棚を買った。雑然と箱の中に入れておいたものが取りやすくなった。

夜は、あんかけ焼きそば、マグロとタコの刺身でキリンの「グリーンフリー」を三本。ほぼ休肝日。


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鶴田浩二が泣いている。

2021-05-06 18:03:31 | 日記

5月1日(土)晴れ後雨。

朝食は、鮭の山漬け、親子丼の頭、レタスのスープ。昼は、志村馨君の差し入れの「ケンタのから揚げ」。夜は、やはり、愛国の社長の差し入れの平塚名物の「肉の石川」の「とん漬け」、人参とレタスのサラダ、カツオの刺身。お供は、これまた札幌の後輩から頂いた、鹿児島の「白玉の露」。酔狂亭にて独酌。

シオリ姐さんがまたやってくれました。東大卒で元検事、そして衆議院議員と聞いただけで、無学な私は、黄門様の葵の印籠を見せられた時のように、ヘヘェーっと縮こまってしまう。しかし、「噓つきはドロボーの始まり」と言って、かつての「文春砲」でスクープされた不倫お泊り。本人は「独りで泊まりました」とか言っていたが、「文春」がそんなドジな記事を出すわけがない。まあその後、シオリ姐さんも、相手の弁護士さんも離婚しているのだから、付き合うことに何の問題もない。しかし、しかしだ。弁護士の元奥さんが自殺した原因は、かつての「文春」に寄せた手記のようにシオリ姐さんにあるのは、疑うべきもない。

その亡くなられた元奥さんとダンナが暮らしていた家に行き、かつてのダンナと一緒に寝ていたベッド?で平気で愛し合う(多分)というその神経が、信じられない。(もし別の場所だったらごめんなさいね)人に倫理を説いたり、道を示すべき政治家が、そういった行為が何ともない、という神経を卑しく感じるのは私だけではあるまい。亡くなられた元奥さんに「申し訳ない」という気持ちがないのならば、国民、有権者のことなど頭にないと思われても仕方がない。

何から何まで真っ暗闇よ。筋の通らぬことばかり。右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆のからみあい。どこに男の夢がある。女の夢もないか。鶴田浩二が泣いている。

 


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天網恢恢疎にして漏らさず。

2021-05-05 13:07:33 | 日記

四月三〇日(金)晴れ。

あーあ今日で四月も終わりか・・・。とこういうため息を何千回ついただろうか。私だけではないだろうが、歳をとると月日の流れがとても速く感じてならない。

ドンファンとやらの元妻が逮捕された。例によってマスコミ、とりわけワイドショーの格好の餌食となって、連日、あることないこと、ないことないことを垂れ流している。「推定無罪」など視聴率さえ稼げれば屁でもない。ダンナが死んでから三カ月で、ゴルフに興じている様子が流れたが、一体何が悪いのか良く分からん。ダンナが死んだら三カ月、毎日泣いて暮さなければいけないのか。今時、そんなけなげな女がどれほどいるのか。またそんなことをされたら、心配で成仏できん。

もともと彼女には恋愛感情などなく(多分)金で横っ面を張られて、ダイヤモンドに目がくらんで今月今夜の月を見なかっただけだ。普通に考えれば、ダンナの方だって女に愛なんて言うものがあるわけがないのを知っていたのに違いない。これまで金で縛って言いなりにした女が四千人もいると、自著で明かしているではないか。昔は、こういう男を「狒狒(ヒヒ)爺」と呼んで、男として最も軽蔑される存在だった。だからと言って殺しちゃまずいが、口さがない世間の人からは(私も)、自業自得とほとんど同情されない。元妻のおねぇちゃんも、何とか二〇日間、完黙に徹して不起訴になってピースサインでもして出てくる姿を見てみたいと言ったら不謹慎か。

それでも、天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さない。天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず。である。「天網」とは、天の張りめぐらす網のこと。元妻のおねえちゃんに教えてあげればよかったなぁー。


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スマホの着信は「太陽がいっぱい」。

2021-05-02 08:52:36 | 日記

4月29日(木)雨。昭和節。

昭和が終わった時、私は39歳だった。民族派運動に入って以来、昭和の天長節にはほとんど欠かさず皇居参賀に行っていたと思う。私のような昭和の生まれの者にとっては、今日は特別の思いのこもる日でもある。玄関に国旗を掲げ、今上両陛下のご健康とご皇室の弥栄をご祈念した。

ガラケーの携帯が懐かしい。スマホにして久しいが、未だに使い方が良く分からず家族の手を借りる。電話がかかってきて出ようと思うと、画面が全く関係ないものとなり、オロオロしているうちに切れてしまい、こちらから掛けなおしたり、電話を切ったつもりがつながっていたりと、嫌になる。まあ完全に覚える気もないのだから、文句も言えないか。

着信の待ち受け音を「太陽がいっぱい」にしている。この曲が好きだ。初めてレコードを買ったのも、そのオリジナル・サウンド・トラック盤で、伊勢佐木町の七丁目にあった「美音堂」というレコード店だった。私は中学の二年生(だったと思う)で、持ち運びのできるレコードプレイヤーで繰り返し聞いていた。映画が公開されたのは1960年ということなので、私はまだ小学生だったから、映画を見たのは随分と後になってから。「太陽がいっぱい」の撮影場所として有名なのは、南イタリアのイスキア島とカプリ島。残念ながらイスキア島には行けなかったが、カプリ島へは野村先生のお供で連れていって頂いた。「青の洞窟」ももちろん見たが、映画の撮影場所をガイドに聞くのを忘れたのが、唯一の心残り。もう二度と南イタリアなどには行けそうもないが、「今まで行った最高の場所は」と聞かれたならば、間違いなく、シチリア島とカプリ島である。次の携帯の待ち受けは「帰れソレントへ」にしようかな。※写真は平成四年(1992)カプリ島にて。現地で買ったシャツが派手だ。


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