白雲去来

蜷川正大の日々是口実

遣らずの雨。

2021-05-28 12:14:46 | 日記

5月19日(水)雨。

雨か。雨と言えば、最近ではほとんど使われなくなった言葉に「遣(や)らずの雨」というものがある。意味は、帰ろうとする人をひきとめるかのように降ってくる雨。の事であるが、もう少し色っぽい意味で使われることが多い。元新橋の芸者で、その後、アメリカに渡り、コロンビア大学、ニューヨーク大学などで東洋哲学の講義をするなどの才媛、中村喜春(1913・4・14~2004・1・5)の『いきな言葉・野暮な言葉』(草思社)によると、「自分の恋人が帰らなければならない。けれども帰したくない。そんなとき、雨がザァザァ降ってくる。『雨が止むまで待っていらしたほうがいいと思うけど』なんて言って、引き止める」。まあそんな場面に出くわしたことはないけれども・・・。風情があるネェー。

その本は、何かの文章の中で紹介されていたものだが、今ではほとんど使われなくなった言葉や、しぐさなどが紹介されており、あらためて「日本語の美しさ」を認識させられた。そして今日びの若い女の子が「ヤバイ、ヤバイ」なんて言葉を使っているのを見聞きするにつれ、喜春姐さんではなくとも、心の中で「このバカ女め」と罵ってしまうのである。狭斜の巷で遊ぶ人たちには良い指南書であると思っている。

所轄の警察に、更新した免許書を取りに行った。いつの間にかゴールド免許になっていた。夜は、蒸し鶏、焼きタラコを肴に酔狂亭にて独酌。


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様々な機関紙。

2021-05-28 11:05:45 | 日記

5月18日(火)曇り。

なんだか昨日からイッきに梅雨に入ったような今日の曇り空。野村先生の千葉刑務所時代の獄中句集『銀河蒼茫』の春の句の中に、「八下独房は如何にも古めかしい造りなり一句」と前置きして「菜種梅雨 寒し便器は桶である」。というものがある。刑務所が「監獄」であることを感じさせる句である。余談だが、その昔、刑務所の所長は「典獄」と呼ばれており、囚人の着る服は、レンガ色をしていた。だから未決囚から既決囚となって刑務所に行くことを獄衣の色をもじって「赤落ち」といった。そういえば吉村昭の小説に北海道における囚人たちによる開拓の実態を描いた歴史小説に『赤い人』というものがあった。

どうも曇天は気持ちまでが暗くなる。そんな日の朝食は、昨日とほぼ同じで納豆にTKG、大根と金沢八景のワカメの味噌汁。昼はトースト一枚。夜は春巻き、鶏肉とジャガイモのトマトソース煮、シラスおろし。お供は「伊佐美」。酔狂亭にて独酌。

朝食後に事務所へ。ポストには、大日本一誠会の機関紙『萬(よろず)』、日本国民党の『しんぶん国民』、維新政党「新風」の『新風』、世界戦略情報『みち』、そしてなぜか「日本人民戦線運営委員会」という左翼の団体から『人民戦線の旗のもとに』という機関紙も毎月届く。機関誌・紙を出す苦労を知っているだけに、必ず目を通すようにしている。

『みち』に古い同志の村上学さんの「蒙古斑」に対する考察があって興味深く読んだ。村上さんとは、昭和57年(1982)7月の「沖縄戦跡慰霊巡拝団」で初めてお会いしてから39年か。お元気そうでなによりである。


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