5月8日(土)晴れ。
そういえば、昨今のコロナ禍の「密」を避けるためもあってキャンプが人気らしい。凝り性な人になると、山や林を購入して自分だけのキャンプ場を作る人も増えたとテレビで見たことがあった。キャンプは好きだが(といっても随分と行っていないが)どちらかと言えば、山よりも海に近い方が好きだ。まあ、山や林を買う人はいても、海辺を買うという人は聞いたことがない。
納戸に使わなくなったキャンプ道具、テント、タープ、寝袋、ランタン、バーナーに小物などかなりの量がある。テントに至っては衝動買いをしてしまい、一度も使っていないものもある。愚妻が機嫌が悪いと、度々その衝動買いをしたテントの話を持ち出してくるので閉口する。凝り性なので、道具だけはそこそこ良い物を揃えている。コールマンのクラッシック・ランタンやペドロマックスなど。本当に、釣り道具と同じ宝の持ち腐れである。
山を買うといえば、その昔の中国では、山を買って隠遁することが流行った時期があることを一海知義著『漢詩一日一首』(平凡社)で知った。しかしながら当然、お金がかかったようで「三尺の童子を遣わし、数幅の書をもたらして、山を買う銭百万を乞う」とある。「銭百万」がどのくらいの金額かは分からないが、詩に詠まれるくらいなのだから、相当なものであったに違いあるまい。
こういった風潮に対して、清初の詩人、呉偉業はこういう詩を詠んでいる。「山や谷を買うのに、銭などいらない。退屈すれば、白雲の湧くあたりに来て、枕を高くして寝ころべばよい。わが人生、このほかに何ののぞみもない。谷川に汲み、丘に住んで、はや二十年」。ある意味、アウトドア―の達人である。
夜は、酔狂亭にて家族そろって食事。カツオ、ブリ刺身、ピーマン炒め、豚漬け。お供は鹿児島の「八千代伝」。