白雲去来

蜷川正大の日々是口実

海ぶどうと塩モズクと沖縄の事。

2021-11-15 11:52:18 | 日記

11月2日(火)晴れ。

しかし面白いといっては叱られるかもしれないが、選挙の当落の悲喜こもごも。あんな人が当選か。あるいはこの人が落ちたのか・・・。快哉を叫んだり、ガッカリしたりと表現が悪いが楽しめた。小選挙区では、とりあえず立憲と共産党の選挙協力は成功したようだが、多くの国民は、立憲と共産党の選挙協力を良く思わなかったのだろう。産経新聞の佐藤優さんの分析と解説がとても的確で参考になった。

朝食は、ベーコンエッグ。昼食は、事務所に行く途中で「ゆで太郎」で「かき揚げ蕎麦」。考えたらパーキングに400円を払うと、ちゃんとした蕎麦屋で食べた方が良かったと思った次第。夕食は、餃子、ポークハム、牛丼。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

お世話になっている方から、沖縄の「海ぶどう」と「塩モズク」をご恵送頂いた。海ぶどうは私も愚妻も大好物。塩抜きしたモズクと一緒に食卓に出すと、本当に沖縄の香りがする。コロナの関係もあって沖縄には3年ほど行っていない。沖縄在住の門下生の金城薫君や親しい民族派の人たちも元気でいるのだろうか。GOTOが再会したら行ってみるつもり。沖縄へ初めて行ったのは昭和57(1982)年の7月の事だから今からもう39年も前だ。犬塚先輩が団長となって行った沖縄の祖国復帰10周年を記念した「民族派青年有志沖縄戦跡慰霊巡拝団」の一員として参加した。

その折の写真を見ると、沖縄の護国神社の宮司だった大野康孝さんや沖縄の責任者だった松田昌雄さん、講演をして頂いた拓殖大学の伊達宗義先生、生産党の北上清五郎先生や後輩の板垣哲雄君などがすでに幽明境を異にしている。私は、この経験から、再び、野村一門や友人、同志と共に沖縄の祖国復帰40年を記念して戦跡慰霊を行った。更にサイパン・テニアン島での戦跡慰霊。考えてみると、昭和40年代の核拡散防止条約の反対闘争でお知り合いとなって以来、私は常に犬塚博英、故阿部勉両先輩の背中を見てきた。※写真は、昭和57年の戦跡慰霊のときの物。「ひめゆりの塔」の前で。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラーメンの事。

2021-11-14 09:49:01 | 日記

11月1日(月)晴れ。

もう11月かぁー。月が替わるたびにため息が出る。朝食は、豚汁、TKG、能登屋の玉ねぎ揚げともやし揚げ。昼は、カレーチャーハンに豚汁。夜は、あんかけ焼きそば、鶏のから揚げ、エビチリ。お供は「黒霧島」。選挙の当落の悲喜こもごもを肴に酔狂亭にて独酌。

いつも傍を通ると、長い人の列が出来ていて驚くのが、伊勢佐木町の近くのラーメン屋さん。一度も入ったことがないので、何がそんなに人を夢中にさせるのか全く分からん。何でも、野菜がてんこ盛りとのこと。奥村チヨだったら「ごめんネ…ジロー」と言った感じか。ラーメンと言えば、一時期「豚骨」にハマったことがあるが、一度、セットになったものをお土産に頂き、冷蔵庫に入れて翌日食べようと思ったら、脂が固まっているのを見た時、こんな脂が多いのかと驚き、以来豚骨系を食べなくなった。

私が子供の頃、京急の黄金町駅の近くに「太田のラーメン」とても有名なお店があって、母に連れられて良く行った。当時は「味噌」も「豚骨」もない時代で、あっさり醤油のラーメンだった。ラーメン屋に行くのは、年に数えるほどだが、長寿町にあった、お友達の手打ちラーメンの「山賊」がなくなってしまったので、伊勢佐木町の角にある「太源」で「メンマ・ワンタンメン」一筋となった。まあ並んでまでラーメン如きを食べたくないからね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族で投票へ。

2021-11-12 10:14:27 | 日記

10月31日(日)晴れ。

朝食は、恒例の「お粥」。一週間で残ったご飯を冷凍にしておいて、土曜日か日曜日に朝がゆにする。前日から土鍋に昆布浸しておく、それに更に鰹節で出汁を取ってからコトコトと煮る。お腹に優しいし、ホッとする。なぜだろうか、食卓の湯気と言うものは、ささやかな幸せを象徴しているように思えてならない。食後に、家族皆で選挙へ。投票所は二人の子供がかつて通っていた小学校である。選挙権を持った子供を見ていて、ふと、出来るならもう一度、この小学校に通っていた頃に戻って欲しいなぁ。などというアホな感慨に耽った。

夜は、一杯飲みながら選挙速報を見る。戦前の予想に反して自民党が善戦している。反対に立憲共産党は勢いがない。日本人の多くは、まだ共産党にアレルギーがある。いくら日本の共産党が、中国の一党独裁政権や北朝鮮と違うといっても、単純に考えれば、同じ共産主義信奉者であるということを国民は知っているのである。現状で自民党に代わり政権を担うような野党が存在しないのだから、まあめでたし、めだたしでかな。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群青忌の特集号

2021-11-10 14:50:11 | 日記

10月30日(土)晴れ。

家族のリクエストで、朝食を抜いて「焼肉ランチ」を食べに伊勢佐木町の脇の吉田町にある「京城苑」へ。このお店の周辺には焼き肉屋が多いが、私の知る限り京城苑のランチが一番安い。と言っても肉は値段と正比例。まあ私の経験から言えば「安くておいしい」物はほとんどない。値段なりで合格なのだ。店の混雑を避けて昼前に行ったのだが、肉とご飯が出てくるタイミングが極めて悪くて、食べた気がしなかった。まあこんな日もあるさ。食後に有隣堂にて書籍浴の後に帰宅。

今製作中の弊社の機関誌『燃えよ祖国』は「群青忌特集」である。ご存知の方も多いだろうが、群青忌は平成6年の第一回から、第十回まで毎年、会場を借りて開催していた。東京だけではなく札幌や横浜でも開催したことがある。その後、会場を使用しての群青忌は5年に一度にした。理由は、毎年の開催だと開催することに消耗してしまうからだ。過去の群青忌に出席したことのある人ならば、ご理解いただけると思う。二年後は30年祭となる。それまでに、野村先生に関するものや、密葬、本葬儀のことなど少しづつ機関誌にまとめておこうと思った次第。

先生が亡くなられた翌月、すなわち平成五年十一月二十六日に青山斎場にて行われた本葬儀。その際に頂いた儀委員長の志賀敏行先生、衛藤豊久先生、大原康男先生、そして私の弔辞を掲載予定でいる。ちなみに弔辞の公開は初めてである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつて「維新」は民族派の専売特許だった。

2021-11-09 15:23:53 | 日記

10月29日(金)晴れ。

酒を飲まないで寝ると、眠りは浅いが朝はすっきりと起きられる。朝食は、寿雀卵のTKG、クリームコロッケ、キャベツの味噌汁。昼は、東戸塚のイーオンに買い物に行ったついでに、リンガーハットで焼きそば。夜は、久しぶりに愚妻を伴って「オアジ」にて少飲。

我々民族派が戦後自民党を支持してきたのは、社会党や共産党と言った左翼政党から、ご皇室をお守りする唯一の政党であり、日本の伝統文化を守る「保守」政党であったからだ。また改憲を党是とした自民党に対する期待感もあった。それが、女性天皇を容認し、夫婦別姓や、ジェンダーを支持する連中がいる。そんな連中はさっさと立民や社民に移ればよい。民族派の政党は今の所無理だろうから、我々と考えの近い政治家を支援し、そういった人たちに力を持ってもらう。また、かつて「維新」は我々民族の専売特許だったが、今や政党名として浸透している。正に不徳の致すところである。

新選組だって、佐幕派とは言え、盡忠報國(じんちゅうほうこく)の士が多かった。ちなみに盡忠報國とは、忠節を尽くし、国から受けた恩に報いること。「盡忠」は君主や国家に忠義・忠誠を尽くすこと。「報國」は国のために力を尽くして国の恩に報いることの意味。亡国のドン・キホーテが率いる新選組とはわけが違う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする