スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

棋聖戦&口渇

2009-06-27 19:41:18 | 将棋
 互いに後手番で1勝ずつをあげて迎えた第80期棋聖戦五番勝負第三局。
 木村一基八段の先手で相矢倉▲3七銀。先手が雀刺しから1歩を入手。対して後手の羽生善治棋聖が桂損の攻めを敢行して第1図に。
           
 この局面,先手を持って温泉気分に浸るというのは早すぎるのかもしれませんが,後手を持ったら相当に自信がない局面です。実際,次の一手が△3五歩ですから。こんな手を指さなければいけないようではすでに大差であるといっていいでしょう。実戦,ここからまだ60手弱続いたのですが,後手の駒損は広がる一方,さらに歩の枚数までえらく差がついてしまい,稀に見るくらいの先手の快勝に終っています。
 木村八段が勝って2勝1敗とし,棋聖位に王手を掛けました。第四局は来月9日に指されます。

 糖尿病の自覚症状のひとつとして表れるとされる口渇。実はこれは喉が渇くというように説明されている場合があります。実際,糖尿病は利尿作用があって,そのために体内の水分が減少するということも事実としてあるようなので,これでみれば確かに喉が渇くという表現は適切であると思います。しかし,実際の僕の体験からすれば,この口渇というのは,喉が渇くというのとはまったく違っていました。これはもしかしたら僕にだけ特異に生じた現象ではあるかもしれませんが,少し説明しておきましょう。
 喉が渇くという感覚は,別に糖尿病であろうとなかろうとだれしもが自分自身について知覚するような感覚だと思います。もちろん僕も数知れず体験してきました。そして喉が渇けば何か水分を摂取します。
 口渇が僕に表れるようになった初期の頃,すなわち日付でいえばこれは昨年の11月終り頃ということになりますが,僕はこれを解消するために,喉の渇きを潤すのと同様に水分を摂取していました。これはすでに説明していた通りです。しかし実際に僕が知覚していた感覚というのは,喉が渇いたということばで説明されるようなものではなく,文字通りに口渇,すなわち口の中が渇くというものでした。だから僕はそれを,喉の渇きではなく,冬場の目覚めたときの口の中の状態にたとえたのです。
 最も単純にいうと,これは唾液が出てこないというような感覚です。実はこの口渇の症状は,後に一気に進捗し,僕は物を食べるということ自体に苦労するようになりました。それは,何か食物を口の中に入れても,唾液によって口の中が潤ってこないからです。したがって僕は水分を多く含むようなものしか食べられなくなってくるのですが,これはまだ1月ほど後の話ですので,実際に僕の食生活がどのようなものになったか,また後に詳しく説明することにしましょう。
コメント
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