スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&緩和ケア病棟

2010-10-14 14:10:09 | 競輪
 今年の共同通信社杯秋本番は奈良競輪場を舞台に戦われ,3連休最後の11日が決勝でした。並びは新田-山崎-伏見-斉藤の北日本,武田-飯嶋の茨城栃木,川村-小倉の西日本で園田が単騎。
 スタートは飯嶋が取って武田の前受け。川村が3番手に続き,園田を挟んで主力の北日本勢は6番手から。残り3周から新田が上昇すると,バックでは叩いて北日本勢が前に。園田が切り替え,引いた武田が6番手,川村は8番手。このまま新田が緩めることなくいったので後ろは動けず。残り1周になると早くも山崎が番手から発進。武田もようやく捲り上げたものの3番手前後で一杯。直線から踏み込んだ伏見が突き抜けて優勝。マークの斉藤が2着,3着も山崎で北日本の上位独占。
 優勝した福島の伏見俊昭選手は昨春の風光る以来のビッグ9勝目。ここは北日本団結の勝利以外の何物でもありません。賞金ランクでのグランプリ出走圏内に届いていなかったので,賞金を上積みさせようということでこういった走行になったようです。そのように配慮してもらえることも,またその配慮に確実に応えることも,実力の証なのではないでしょうか。

 実をいうと,この日に個室から別の病室へ移動するということは,先週末のうちに決まっていたことで,僕自身もそれは知っていました。しかし何時頃に移動することになるのかは知らされていませんでしたので,とりあえず入院した病室に行ってみたというわけです。看護師に声を掛けられて,すでに移動がすんでいるということを教えられました。移動先は2階で,それは僕も知っていました。看護師に2階のどの部屋かを尋ねましたが,それは看護師も把握していませんでした。
 移動といっていますが,厳密にいますとこれは転院という扱いでした。そのために主治医もこの日からS先生という女医に代わっています。同じ病院の同じ建物の中にあるところでしたが,このときに父が移動したのは緩和ケア病棟という,治癒の見込みがない患者のために終末医療を施す病棟だったのです。実際のところ,父は最初からこの病棟に入院すべき患者であったのですが,入院をした7月21日の時点ではこちらに空きがなかったので,とりあえず7階に入院したというのが本当のところだったのです。僕は実はこの病棟の病室に空きが出るということは,利用している患者のうちのだれかが死ぬということであるというように解釈していましたので,先週末の段階で空きが出るから移動することが可能になるということを知らされたときにはかなり不思議な気がしていました。しかしパンフレットを読んでみますと,たとえばこの病棟を一時的に利用するというような患者もいるようで,そうした患者が退院するというケースはあるようです。
                         
 この病棟はすべて個室です。病棟に入る手続きも一般病棟と比べるとやや煩雑になっていますが,それをすませて父の部屋に入ると母がいました。実をいいますと僕が7階の病室に行ったとき,これは見舞い時間外でしたから厳密にいえば規則違反だったのですが,この病棟は見舞い時間の規制というのがなく,24時間いつでも可能でした。このために母は,これより後は,妹を職場まで送っていくと,そのまま午前中から病院に行くようになりました。
 僕は父の顔を見て,父が望んだので少しばかりマッサージをして,一旦は昼食のために1階の食堂へと向いました。
コメント
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