保持しているタイトルの格からいえば将棋界最高峰の一戦といえる第23期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績も10勝10敗の五分。
振駒で渡辺明竜王の先手。羽生善治名人の横歩取り△8五飛。後手の陣形に隙ありとみた先手が速い段階で端から開戦。香車を吊り上げて角を打ったのに対して後手も角を打っての受け。その角をひとつ引かせたところで先手は角を切り,取った金で角を奪い返したところでようやく1日目が終了。封じ手は当然ながら金を取り返す手。対して▲5六角と打ち,1二に成り込みました。そこで△2三歩。以下,先手が攻め,後手の受けという展開が続き,先手の飛車が成り込んだところでようやく後手に手番が回りました。
ここから△5六歩▲4八銀△7六歩。そこで▲5一龍と取りましたが△7七歩成に▲同金で攻守が完全に交代。△6五桂に▲2一龍△3四玉▲2三銀△4四玉まで決めて▲7一龍と金にひもをつけつつ7筋に効かせたのが第2図。
ここで△2五角と王手しましたが,▲3六銀△4六角▲4七金というのが屈強な受け方で,後手の攻めが続かなかったようです。最後は後手が自ら将棋を壊すような指し方を選んで意表の投了。先手の勝ちとなりました。
渡辺竜王が先勝。第二局は26日と27日です。
食事を終えて部屋に戻り,今度は代わって母が食事に。したがってその間はこの部屋に僕と父のふたりきりになったわけです。21日に入院してからは父はもう部屋のトイレにも行かれないという状況になっていましたので,大人用の紙パンツをはいていました。もちろん人工肛門を開設していましたから,便の方は出ませんのでこれは尿専用です。しかし父は排泄には自分なりのこだわりというものがあったようで,そこに排尿するということはなく,必ず尿瓶を用いていました。これは死ぬまでずっと変わりませんでした。といっても,自分で尿瓶を使うということはできませんでしたので,看護師の介助を受けてではありました。この頃の父は牛乳を好んで飲んでいましたが,200mlのパックでも1度にすべてを飲みきるということはできませんでしたので,排尿の回数自体はきわめて少なかったようです。実際,排尿のためにナースコールで看護師を呼ぶということはなく,看護師が回診などのために部屋を訪れたときに用を足すだけですんでいたようです。
そしてこの僕と父がふたりきりの状況のときに,看護師がやってきまして,父は排尿しました。布団を掛けてしますから排尿の瞬間は見えませんが,部屋にはトイレがありますから,尿瓶に溜まった尿を看護師が捨てに行くわけです。そのときの父の尿の色を見て僕はびっくりしました。赤というよりはもっとどす黒い血の塊のような色だったからです。父の尿がいつ頃からこんな色になったのかは僕は知りませんでした。自宅滞在中は父は自分でトイレに行っていましたから,父自身は知っていたのかもしれませんし,あるいは入院後にこうなったのであって,自分でも知らなかったのかもしれません。ただ,看護師はとくに不思議そうな顔もせずに片付けていましたので,このときの父の状態からすれば,それがなにゆえにこんな色になったのかは僕には分かりませんが,ごく自然に考えられることだったのでしょう。僕はこのことを母には話したのですが,この時点では母もこれを知りませんでした。この日から付き添う時間が長くなりましたので,後には尿を見る機会があり,やはりその色には驚いたようです。
振駒で渡辺明竜王の先手。羽生善治名人の横歩取り△8五飛。後手の陣形に隙ありとみた先手が速い段階で端から開戦。香車を吊り上げて角を打ったのに対して後手も角を打っての受け。その角をひとつ引かせたところで先手は角を切り,取った金で角を奪い返したところでようやく1日目が終了。封じ手は当然ながら金を取り返す手。対して▲5六角と打ち,1二に成り込みました。そこで△2三歩。以下,先手が攻め,後手の受けという展開が続き,先手の飛車が成り込んだところでようやく後手に手番が回りました。
ここから△5六歩▲4八銀△7六歩。そこで▲5一龍と取りましたが△7七歩成に▲同金で攻守が完全に交代。△6五桂に▲2一龍△3四玉▲2三銀△4四玉まで決めて▲7一龍と金にひもをつけつつ7筋に効かせたのが第2図。
ここで△2五角と王手しましたが,▲3六銀△4六角▲4七金というのが屈強な受け方で,後手の攻めが続かなかったようです。最後は後手が自ら将棋を壊すような指し方を選んで意表の投了。先手の勝ちとなりました。
渡辺竜王が先勝。第二局は26日と27日です。
食事を終えて部屋に戻り,今度は代わって母が食事に。したがってその間はこの部屋に僕と父のふたりきりになったわけです。21日に入院してからは父はもう部屋のトイレにも行かれないという状況になっていましたので,大人用の紙パンツをはいていました。もちろん人工肛門を開設していましたから,便の方は出ませんのでこれは尿専用です。しかし父は排泄には自分なりのこだわりというものがあったようで,そこに排尿するということはなく,必ず尿瓶を用いていました。これは死ぬまでずっと変わりませんでした。といっても,自分で尿瓶を使うということはできませんでしたので,看護師の介助を受けてではありました。この頃の父は牛乳を好んで飲んでいましたが,200mlのパックでも1度にすべてを飲みきるということはできませんでしたので,排尿の回数自体はきわめて少なかったようです。実際,排尿のためにナースコールで看護師を呼ぶということはなく,看護師が回診などのために部屋を訪れたときに用を足すだけですんでいたようです。
そしてこの僕と父がふたりきりの状況のときに,看護師がやってきまして,父は排尿しました。布団を掛けてしますから排尿の瞬間は見えませんが,部屋にはトイレがありますから,尿瓶に溜まった尿を看護師が捨てに行くわけです。そのときの父の尿の色を見て僕はびっくりしました。赤というよりはもっとどす黒い血の塊のような色だったからです。父の尿がいつ頃からこんな色になったのかは僕は知りませんでした。自宅滞在中は父は自分でトイレに行っていましたから,父自身は知っていたのかもしれませんし,あるいは入院後にこうなったのであって,自分でも知らなかったのかもしれません。ただ,看護師はとくに不思議そうな顔もせずに片付けていましたので,このときの父の状態からすれば,それがなにゆえにこんな色になったのかは僕には分かりませんが,ごく自然に考えられることだったのでしょう。僕はこのことを母には話したのですが,この時点では母もこれを知りませんでした。この日から付き添う時間が長くなりましたので,後には尿を見る機会があり,やはりその色には驚いたようです。