被災地支援競輪として名古屋競輪場で行われた第67回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは新田‐山崎の福島,平原‐諸橋の関東,浅井‐吉田‐金子の中部で郡司と村上は単騎。
スタートを取った浅井の前受け。4番手に新田,6番手に平原,8番手に郡司,最後尾に村上の周回に。残り3周のバックから平原が上昇。郡司と村上も続きました。平原はコーナーで浅井に並び,ホームで叩きました。浅井は内で引かず,新田は外に。レースはこのままスローダウンして打鐘。だれも来なかったので平原の成り行き先行に。浅井は3番手を狙いにいきましたがホームで外の郡司に競り負け4番手を村上と併走するような隊列に。これを新田が一気に捲るとバック出口で先頭に立ち,そのまま後ろを寄せ付けずに優勝。山崎が離れたため前々から新田を追うような形になった郡司が1車身差の2着。郡司が追ったときに村上に封じられた浅井はコーナーで内を進出,直線は外に出して半車身差の3着。
優勝した福島の新田祐大選手は3月の玉野記念以来の優勝。ビッグは昨年9月のオールスター競輪以来の5勝目。GⅠは4勝目。高松宮記念杯は初優勝。このレースは徹底先行という選手が不在でしたし,おそらく雨の中のレースという影響もあり,打鐘でもまだペースが上がらないスプリント戦になりました。これは新田が最も得意とする展開で,山崎が離れてしまったのも雨の影響もあったでしょうが,急激にペースアップしたのも一因だと思います。脚力がトップで持ち味が生きる展開となりましたので,その強さが際立つレースになりました。
町内の火事があったときに説明しましたが,僕の家の東側には小高い丘があります。この丘の上の一部も僕が通っていた小学校および中学校の学区になっていますが,やはり磯子区ではなく中区です。そしてこの丘の斜面の一部が墓地になっています。僕の家の近辺には小規模な墓地というのが意外と多くありますので,友人がどこへ墓参りに行ったのかまでは僕も特定できません。ただ,その墓地は僕の家からも見ることができる位置にあり,見えはしなくてもほかにもいくつかの墓地がそうも遠くないところにあるのですから,墓参のついでに僕を訪問したとしても,それがとても大変な労力を要することではなかっただろうとは思っています。
友人は免許を持っていて,過去には僕もその友人が運転する自動車に同乗したことがありました。このときの墓参も自動車を利用してのもので,必然的に路上駐車をしていましたから,僕の家の玄関先で10分足らずの立ち話をしただけです。友人は僕が糖尿病に罹患し,インスリンの注射を打つようになったということは知っていた筈で,しかしそれ以降は会っていませんでしたから,僕が衰弱しているのではないかと予期していたようです。僕も体重こそは罹患前の水準まで戻ってはいませんが,当初から痩せてはいたので,そう目立つような変化があるわけではありません。学生時代の友人たちとは会っていますが,とくに外見上の変化について何か言われたこともありません。友人が予期していたよりもずっと僕は元気に見えたようで,友人は安心していました。
10月25日,日曜日。伯母がアメリカに帰国しました。母と妹が横浜まで送り,一緒に昼食を摂りました。
10月26日,月曜日。母がI歯科へ。16日に通院したときに,歯茎に異常が出ていないことは確認されていました。それでこの日は差し歯を入れるための歯茎の型取りをしました。僕はこの日は屏風浦。帰ったのは午後5時50分でした。
10月28日,水曜日。妹がショートステイへ。南区の施設で2泊3日でした。最近は施設の利用者が多く,1泊が多くなっていますが,このときは2泊できました。僕はこの日は新川崎でした。
スタートを取った浅井の前受け。4番手に新田,6番手に平原,8番手に郡司,最後尾に村上の周回に。残り3周のバックから平原が上昇。郡司と村上も続きました。平原はコーナーで浅井に並び,ホームで叩きました。浅井は内で引かず,新田は外に。レースはこのままスローダウンして打鐘。だれも来なかったので平原の成り行き先行に。浅井は3番手を狙いにいきましたがホームで外の郡司に競り負け4番手を村上と併走するような隊列に。これを新田が一気に捲るとバック出口で先頭に立ち,そのまま後ろを寄せ付けずに優勝。山崎が離れたため前々から新田を追うような形になった郡司が1車身差の2着。郡司が追ったときに村上に封じられた浅井はコーナーで内を進出,直線は外に出して半車身差の3着。
優勝した福島の新田祐大選手は3月の玉野記念以来の優勝。ビッグは昨年9月のオールスター競輪以来の5勝目。GⅠは4勝目。高松宮記念杯は初優勝。このレースは徹底先行という選手が不在でしたし,おそらく雨の中のレースという影響もあり,打鐘でもまだペースが上がらないスプリント戦になりました。これは新田が最も得意とする展開で,山崎が離れてしまったのも雨の影響もあったでしょうが,急激にペースアップしたのも一因だと思います。脚力がトップで持ち味が生きる展開となりましたので,その強さが際立つレースになりました。
町内の火事があったときに説明しましたが,僕の家の東側には小高い丘があります。この丘の上の一部も僕が通っていた小学校および中学校の学区になっていますが,やはり磯子区ではなく中区です。そしてこの丘の斜面の一部が墓地になっています。僕の家の近辺には小規模な墓地というのが意外と多くありますので,友人がどこへ墓参りに行ったのかまでは僕も特定できません。ただ,その墓地は僕の家からも見ることができる位置にあり,見えはしなくてもほかにもいくつかの墓地がそうも遠くないところにあるのですから,墓参のついでに僕を訪問したとしても,それがとても大変な労力を要することではなかっただろうとは思っています。
友人は免許を持っていて,過去には僕もその友人が運転する自動車に同乗したことがありました。このときの墓参も自動車を利用してのもので,必然的に路上駐車をしていましたから,僕の家の玄関先で10分足らずの立ち話をしただけです。友人は僕が糖尿病に罹患し,インスリンの注射を打つようになったということは知っていた筈で,しかしそれ以降は会っていませんでしたから,僕が衰弱しているのではないかと予期していたようです。僕も体重こそは罹患前の水準まで戻ってはいませんが,当初から痩せてはいたので,そう目立つような変化があるわけではありません。学生時代の友人たちとは会っていますが,とくに外見上の変化について何か言われたこともありません。友人が予期していたよりもずっと僕は元気に見えたようで,友人は安心していました。
10月25日,日曜日。伯母がアメリカに帰国しました。母と妹が横浜まで送り,一緒に昼食を摂りました。
10月26日,月曜日。母がI歯科へ。16日に通院したときに,歯茎に異常が出ていないことは確認されていました。それでこの日は差し歯を入れるための歯茎の型取りをしました。僕はこの日は屏風浦。帰ったのは午後5時50分でした。
10月28日,水曜日。妹がショートステイへ。南区の施設で2泊3日でした。最近は施設の利用者が多く,1泊が多くなっていますが,このときは2泊できました。僕はこの日は新川崎でした。