スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典さきたま杯&考えるという営み

2016-06-01 19:16:51 | 地方競馬
 第20回さきたま杯
 ダッシュがよかったのはソルテ,ラブバレット,コーリンベリーの3頭。最も逃げたかったのはコーリンベリーだったのではないかと思いますが,それを許さずソルテがハナへ。1馬身差でコーリンベリーが2番手,さらに1馬身差で内のサトノタイガーと外のベストウォーリアの併走。また1馬身差でホワイトフーガ,控えたラブバレット,ドリームバレンチノの3頭が併走という隊列になりました。最初の600mは36秒5でこれはスローペースでしょう。
 3コーナーを回るあたりでベストウォーリアが単独の3番手に上昇。そしてコーナーの中間でコーリンベリーは苦しくなって後退し,ベストウォーリアが単独の2番手。内のサトノタイガーと外のドリームバレンチノが追い掛けてきましたが,優勝争いは前の2頭。逃げていたソルテの脚いろは最後まで鈍ることなく逃げ切って優勝。一旦は迫ったものの最後は突き放される形でベストウォーリアが1馬身半差の2着。2馬身半差の3着争いは内目を捌いたサトノタイガー,さらにその内に進路を取ったホワイトフーガ,外を回ったドリームバレンチノの3頭でしたが,ゴール前で出たドリームバレンチノが確保。4分の3馬身差の4着がサトノタイガーでアタマ差の5着にホワイトフーガ。
 優勝したソルテは前々走のフジノウェーブ記念以来の勝利で重賞は初制覇。3歳以来の重賞となった前走でいきなり大レースに挑戦したのでさすがに苦しいのではないかと思ったのですが2着。近況から考えれば最有力候補とみていました。こんなに楽に逃げられるとは思いもよりませんでしたが,単に展開に恵まれての優勝ではないことは確かです。大レース制覇があってもおかしくないでしょう。父はタイムパラドックス。祖母のはとこに2003年の新潟ジャンプステークスを勝ったマルゴウィッシュ。Sorteはイタリア語で運命。
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は南関東重賞は4月にしらさぎ賞を勝っています。さきたま杯は初勝利。管理している大井の寺田新太郎調教師は重賞初勝利。

 『国家論Tractatus Politicus』で政治的実践に言及する際にも,第五部定理四二備考で述べていることをスピノザは考慮に入れているように思います。ここではたとえ人が受動的であったとしても,国民にとって最もよい国家あるいは政治の形態をスピノザは探求しているように思われるからです。いい換えればスピノザは,国民が能動的に,つまり理性ratioによって紐帯を結ぶことに関して,それは現実的ではないと考えていたように思うのです。僕がネグリが『スピノザとわたしたち』で示しているような政治論に関して,それは理論的には正しいとしても,実践という面からはスピノザが受け入れるものではないと判断するのも,こうした理由からです。
                                    
 とはいえ,精神の能動すなわち「考えるconcipere」という営みは,それ自体で意義があることだと僕は思います。ですからたとえば老化現象に関して,それを僕のように本性の変化という観点から認識しようとするのか,あるいは完全性の移行という観点から認識しようとするのかということに関わらず,それについて考えるということ自体が,僕たちにとっては意味あることであり,同時に思わぬ効用を齎すこともあり得るのです。
 僕が老化現象を本性の変化という観点で認識する方が優れていると考えるのは,完全性の移行という観点から認識した場合には,それがどのような移行であるのかということまで視野に入れたなら,十全に認識することができないことである,すなわち考えることによって結論を導出できないことであるからでした。このことのうちには,こうした現象が人間に対して悲しみを齎し得る,つまりそれがより大なる完全性からより小なる完全性への移行であり得るということを意味します。とくに老化現象を対象とするなら,老化した人間がその現象によって悲しみを感じることがあるということは,多くの人に納得してもらえるのではないかと思います。
 ところが,とくに老化に限らず,一般に自分が何らかの悲しみを感じていたとしても,その悲しみについて考えるという営みは,悲しみの原因とはなり得ないのです。考えるという営みが精神の能動である点に注意すれば,第三部定理五九からこれは明らかです。
コメント
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