昨晩の第20回北海道スプリントカップ。
アウヤンテプイ,ノボバカラ,追ってきたダノンレジェンドの3頭が並んで逃げる形。1馬身差でレーザーバレットとサクラインザスカイ,また1馬身差でスノードラゴンとコールサインゼロ。以下の馬は少し離されました。前半の600mは34秒1のハイペース。
3コーナーの手前でノボバカラとダノンレジェンドの2頭が前に出ると,ここからフィニッシュまでこの2頭が競り合っての優勝争いに終始。フィニッシュ寸前で前に出たダノンレジェンドの優勝でハナ差の2着にノボバカラ。4コーナーでは下げて巻き返したアウヤンテプイ,レーザーバレット,コーナーで一旦は単独の3番手になったサクラインザスカイ,スノードラゴンの4頭がほぼ同じ位置。ここから最も伸びたスノードラゴンが4馬身差で3着。
優勝したダノンレジェンドは前々走の黒船賞以来の勝利で重賞7勝目。ここはノボバカラとダノンレジェンドが現状では力量上位と思われ,その通りの優勝争いになりました。最後にねじ伏せたのは現状の底力の差でしょう。ただ,出遅れることがあり,外から被されることを嫌うダノンレジェンドにとって外目の枠は好条件。自身が弱みをみせてしまえば簡単に逆転を許してしまうであろう力関係であるのも事実だと思います。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している村山明調教師は北海道スプリントカップ初勝利。
2日間は体調が悪く,家で休んでいたわけですが,熱が出たりしたわけではありませんでしたので,横になっていたとはいえ,耐えられないほど苦しかったというわけではありません。ベッドの横にはパソコンがありますから,それをいじったりするくらいの気力は十分にありました。現にその2日間とも,ブログの投稿をしています。もっとも9月2日に投稿した記事については,前夜のうちには完成していましたら,ただ投稿すればそれで済んだものです。しかし3日のものは2日に指された将棋に関する記事ですから,その部分に関してはネット中継を観て,自分でも少しは考えた上で,さらに記事を書いて投稿したことになります。いずれにしてもそれくらいのことはできる程度の体調不良であったということです。少なくとも入院する前の2008年の暮れにほとんど寝たきりの状態になっていたのと比べれば,格段に元気であったといっていいくらいでしょう。また,過去にそういう経験がありましたから,そのときに比べればどうこういうほどのことではないと自分自身でも思うことができたという部分もありました。あのときは最後はブログを書くこともままならなくなりましたが,その少し前は,このときよりよほど苦しい状態の中で記事を書いていたのです。それを思えばこのときに記事を書くのは大した苦労とはいえませんでした。
退院後,シックデイといえるのは唾石ができたときだけでした。つまりそれ以外は休まなければならない状態に至ることは一度としてなかったのです。このときは病院に行ったわけではないので,そのときよりも楽だったといえるかもしれませんが,休まなければならなかったことがそれ以外に皆無だったという点を考慮するなら,2度目のシックデイであったといえるかと思います。9月3日の夕食前の血糖値は220㎎/㎗でしたから,血糖値も高騰していたことになります。
9月4日,金曜日。この日は朝から起きることができました。予定通りに長者町に行きまして,午後4時35分に帰宅しています。夕食前の血糖値も122㎎/㎗になっていましたから,体調も完全に戻っていたと考えてよいでしょう。
アウヤンテプイ,ノボバカラ,追ってきたダノンレジェンドの3頭が並んで逃げる形。1馬身差でレーザーバレットとサクラインザスカイ,また1馬身差でスノードラゴンとコールサインゼロ。以下の馬は少し離されました。前半の600mは34秒1のハイペース。
3コーナーの手前でノボバカラとダノンレジェンドの2頭が前に出ると,ここからフィニッシュまでこの2頭が競り合っての優勝争いに終始。フィニッシュ寸前で前に出たダノンレジェンドの優勝でハナ差の2着にノボバカラ。4コーナーでは下げて巻き返したアウヤンテプイ,レーザーバレット,コーナーで一旦は単独の3番手になったサクラインザスカイ,スノードラゴンの4頭がほぼ同じ位置。ここから最も伸びたスノードラゴンが4馬身差で3着。
優勝したダノンレジェンドは前々走の黒船賞以来の勝利で重賞7勝目。ここはノボバカラとダノンレジェンドが現状では力量上位と思われ,その通りの優勝争いになりました。最後にねじ伏せたのは現状の底力の差でしょう。ただ,出遅れることがあり,外から被されることを嫌うダノンレジェンドにとって外目の枠は好条件。自身が弱みをみせてしまえば簡単に逆転を許してしまうであろう力関係であるのも事実だと思います。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している村山明調教師は北海道スプリントカップ初勝利。
2日間は体調が悪く,家で休んでいたわけですが,熱が出たりしたわけではありませんでしたので,横になっていたとはいえ,耐えられないほど苦しかったというわけではありません。ベッドの横にはパソコンがありますから,それをいじったりするくらいの気力は十分にありました。現にその2日間とも,ブログの投稿をしています。もっとも9月2日に投稿した記事については,前夜のうちには完成していましたら,ただ投稿すればそれで済んだものです。しかし3日のものは2日に指された将棋に関する記事ですから,その部分に関してはネット中継を観て,自分でも少しは考えた上で,さらに記事を書いて投稿したことになります。いずれにしてもそれくらいのことはできる程度の体調不良であったということです。少なくとも入院する前の2008年の暮れにほとんど寝たきりの状態になっていたのと比べれば,格段に元気であったといっていいくらいでしょう。また,過去にそういう経験がありましたから,そのときに比べればどうこういうほどのことではないと自分自身でも思うことができたという部分もありました。あのときは最後はブログを書くこともままならなくなりましたが,その少し前は,このときよりよほど苦しい状態の中で記事を書いていたのです。それを思えばこのときに記事を書くのは大した苦労とはいえませんでした。
退院後,シックデイといえるのは唾石ができたときだけでした。つまりそれ以外は休まなければならない状態に至ることは一度としてなかったのです。このときは病院に行ったわけではないので,そのときよりも楽だったといえるかもしれませんが,休まなければならなかったことがそれ以外に皆無だったという点を考慮するなら,2度目のシックデイであったといえるかと思います。9月3日の夕食前の血糖値は220㎎/㎗でしたから,血糖値も高騰していたことになります。
9月4日,金曜日。この日は朝から起きることができました。予定通りに長者町に行きまして,午後4時35分に帰宅しています。夕食前の血糖値も122㎎/㎗になっていましたから,体調も完全に戻っていたと考えてよいでしょう。