スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

たちあおい賞争奪戦&遠隔原因

2014-02-25 19:06:34 | 競輪
 優勝候補の一角,深谷が準決勝で敗退となり,武田に注目が集まった静岡記念の決勝。並びは佐藤-成田の北日本,武田には大塚-安東の大分がマーク,上野-新田-内藤の南関東で高久保は単騎。
 佐藤がスタートを取って前受け。3番手に武田,6番手に上野,最後尾に高久保で周回。残り2周のホーム手前から上野が上昇。ホームでは武田を封じ,バックで前に出る作戦であったと思いますが,このラインに続いていた高久保が先に動き,単騎でのかまし先行となって打鐘。上野が2番手で5番手に佐藤。後方となった武田はホーム手前から発進。コーナーでは早くも高久保を捕まえて先頭に。上野の番手の新田は安東をどかして3番手にスイッチしたもののそれ以上は動けず。直線では番手から大塚が差し込んできたものの,粘り切って武田が優勝。大塚が4分の3車輪差の2着で即席ラインのワンツー。大外を捲り追い込んだ佐藤が1車輪差で3着。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は昨年1月の和歌山記念以来となるGⅢ22勝目。静岡記念は初優勝。昨年の後半は斡旋停止の処分を受け,今年から復帰。復帰後はこれで14レースを走って13勝。単発レースも含めて5連続優勝でこのシリーズも完全優勝。和歌山記念で優勝した後,斡旋停止までの期間は不調であったと思うのですが,結果的に長期の休場がよい休養になったのかもしれません。現時点では文句なく最強でしょう。むしろだれがこの勢いにストップをかけるのかが注目だといえそうです。

 ゲルーの主眼点の根拠になっているのは,第一部定理二八備考でスピノザがいっている遠隔原因を,スコラ哲学とは異なった意味で解した場合です。この解釈は,可能性だけでいえば正当です。ゲルーが誤解をしているのではないと僕も思います。この文章は,神の絶対的本性から生起するものと,普通の個物res singularisを区別するためになら,神はres singularisの遠隔原因であるということを許容していると理解できるからです。
 神の絶対的本性から生起するものとは,第一部定理二一と二二により無限様態です。すると前述のことからして,神は無限様態の最近原因であるということになります。最近原因と遠隔原因は対義語です。よってそれらは数的に区別し得る二種類の原因であると判断することが可能です。原因が二種類であるなら,因果的必然性も二種類でなければなりません。この場合にはそのように理解しておかないと,今度は第一部公理三が成立しなくなってしまうからです。
 この論述のうちにはひとつだけ無理あるいは飛躍があります。最近原因と遠隔原因が対義語であるのは,それらがスコラ哲学の用語として考えられる場合です。そこから逸れてその用語を使った場合にも,必ず対義語になるという保証はありません。ゲルーはそれらが確かに対義語でなければならないことの根拠を示していません。だからこの論旨が完全に成立しているとまではいえないのです。
 しかし僕はこの疑問をゲルーに投げ掛けることは保留します。この疑問は最近原因と遠隔原因は対義語ではないかもしれないということをいっているだけで,確かに対義語ではないと証明しているのではありません。方法論的懐疑を行ったときの疑問が抱えていたのと同様の弱点を抱えているのです。なのでこのことによってゲルーの主張が崩壊するということはありません。
 一方で,このゲルーの解釈は,そう解釈することが可能であるというだけであり,そう解釈することが正しいというわけではないということは判明しました。この備考をもっとよく考えてみる必要があります。 

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