スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

中日新聞杯名古屋大賞典&大地震

2011-03-21 18:39:20 | 地方競馬
 西日本は目立った地震の被害もなく,競馬も予定通りに開催している主催者も多く,今日の名古屋大賞典(動画)も無事に施行となりました。
 まずはイイデケンシンが先手を奪ったのですが,控えたエスポワールシチーが抑えきれないといった感じで1コーナーでは先頭に。さらに2コーナーではクリールパッションとワンダーアキュートが上がっていき,早くもこの3頭と後ろが離れるという競馬になりました。ペースはおそらくミドルだったと思います。
 向正面でワンダーアキュートは押して押して2番手は確保。クリールパッションは3コーナー過ぎから遅れていきました。エスポワールシチーとワンダーアキュートは手応えでは歴然の差がありましたが,最初に掛かっていたためか,エスポワールシチーも直線では思ったほどは引き離せず。それでもレコードタイムでの快勝となっています。ワンダーアキュートが2着でクリールパッションも3着を確保。きわめて堅い決着でした。
 優勝したエスポワールシチーは昨年のかしわ記念以来の勝利で重賞は7勝目。帰国後,なかなか態勢が整わずにここが今年の初戦となりましたが,相手関係からいえば当然の勝利。まだ活躍が見込めそうです。レコードが出るような馬場状態になったことはおそらくプラスだったでしょう。エスポワールはフランス語で希望。父はゴールドアリュールで,母系はチップトップジーゲリンの分枝。
 佐藤哲三騎手,安達昭夫調教師のふたりは名古屋大賞典初勝利です。

 僕がまだ小学生だった頃,確か伊豆諸島だったと思うのですが,群発地震があり,横浜も何度も揺れました。そのうち,下校途中で,当時はよく遊んでいた近所の公園の近くで遭遇したものは非常に大きく,僕の体感だけでいえば,それがそれまでに経験した最も大きな地震でした。小学生の頃の体感ですから,それが現在でもまざまざと残っているというわけではありませんが,このときに相模鉄道の電車内で感じた揺れはそれを上回る,僕の人生の中で最大のものでした。
 ただ2本のレールの上に停車した電車の中であったこと,また乗った車両が後ろから2両目と,端の方であったこと,しかもその9両目の車両の中でも端の方に僕が腰掛けていたことなども影響したかもしれません。電車は左右に交互に傾くように大きく揺れ,横転するのではないかと感じるほど。また,停車した9両目の真上には陸橋が架かっていたのですが,窓の外に見えるその橋も撓むように大きく揺れていました。そして揺れていた時間も,かつてこんなに長い時間にわたって揺れた地震があっただろうかと思うくらい長く感じられました。
 実際には電車が横転するのではないかというような感覚はオーバーなものであり,乗客がそう多くはなかったということもあったでしょうが,特段のパニックが生じることもなく揺れは治まりました。電車は終点の横浜駅目前ではありましたが,非常に大きな揺れであったため,電車とレール,架線やホームなどの点検が終了するまではこの場に停車するというアナウンス。窓の外をぼんやりと眺めていますとすぐに係員と思しき複数の人がやって来て点検をしているようでした。そして実際に点検は終り,安全は確認されたというアナウンスが一旦は車内に流れたのですが,その前ほどではないもののまた大きな余震があり,再点検が必要であるというアナウンスがまた流れました。これでは埒が明かないのではないかと思っていたのですが,ほどなくして,線路沿いを歩いて外に出るようにとの指示。この近辺はJRの東海道線と横須賀線が平行して走っていまして,東海道線の下り列車も僕の所から見える位置で停車していたのですが,そちらはまだ車内に乗客が残っていた状態でしたので,このときの相模鉄道の対応はとても迅速なものであったと感謝しています。

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