有力3頭による上位争いになると思われた第20回埼玉栄冠賞。
好発はクレイアートビュンでしたが,内からヴァイタルシーズが先頭を奪っての逃げ。さらにディアーウィッシュが2番手に上がり,控えたクレイアートビュンが3番手。ブルーラッドは5番手。しかし1周目の正面に入るとルクレルクが外を上がっていき,ディアーウィッシュに並び掛けるとディーアーウィッシュもこれに呼応,向正面ではもう先頭に立つようなレースとなりました。ただしペースはスローに近いくらいのミドル。
ブルーラッドはずっと外を回り,やはり向正面で進出。3頭が並ぶように直線に入ると外から先頭に。しかしこれらの直後にいたドリームトレジャーが空いたインを突いてよく伸び,ブルーラッドを捕えて優勝。ブルーラッドが2着,直線入口では脱落かに思えたルクレルクが3着に盛り返して波乱といえるだろう結果に。
優勝したドリームトレジャーはJRA4勝でここが転入初戦。1000万を勝っている馬は南関東重賞なら通用しますが,これまではほとんど芝だけで走っていた馬。ブルーラッドは重賞クラスの馬ですから,地方競馬のダートコースへの適性が高かったのだろうと思います。またうまく内から伸びた好騎乗も勝因のひとつでしょう。母系はアストニシメント系ヤマトナデシコの分枝。大阪杯など重賞4勝のサイレントハンターは祖母の弟。
7月のサンタアニタトロフィーで南関東重賞初制覇を達成した船橋の本多正賢騎手は早くも2勝目。管理している船橋の佐々木功調教師もこのレース初制覇です。
入院した父を僕が初めて見舞うことになったのは,7月26日のことでした。
実はこの日は僕のⅠ型糖尿病の通院の日にあたっていました。だから父を見舞ったのは当然といえば当然です。
実のところ,父の状況が状況だけに,僕はこの日の通院に関しては少し心配していました。といいますのも,もしも父に何かあれば,この日に検査ができないとか,あるいは通院自体ができなくなるというケースも十分に考えられたからです。もちろん検査とか診察などは,こちらの都合で遅らせるということは可能です。ただ問題はインスリンの処方箋です。これがもらえないと僕は薬局でインスリンを手に入れるということができません。僕の場合はインスリンを注射しなければなりませんから,インスリンは僕自身が生きていく上での必需品となっているわけです。もちろんそうした大事なものですから,処方される場合にもぎりぎりの量ということはなく,余分に処方されてはいます。ただ,おそらく通院日を延期するということになれば,やはり同様に月曜日が指定されることになるでしょう。つまり1週間単位で予備のインスリンが必要ではないかと思われたのです。そしてこの直前の自宅の在庫状況から考えると,1週間なら伸びることになっても大丈夫そうでしたが,2週間は絶対に延期することができませんでした。というわけで,予定の期日で通院ができれば最も安心ですから,僕はこの日までは父に保ってほしいと勝手ながら切望していました。もちろんこうしたことを父に伝えたということはありませんが,父は頑張ってくれまして,僕は無事にこの日に通院することができたわけです。
いつもの通院の日と同様の時間にみなと赤十字病院に到着し,まずは採尿と採血の検査を済ませました。この日の採血も初見の人で嫌な予感がしましたが,むしろこれまでのどの日よりも手際よく終りました。いつものように診察は午後3時からでしたので,家には戻らず,そのまま父の病室へと向いました。見舞いには行っていませんでしたが,入院の日は一緒に病院に来ていますから部屋は分かっています。ところが,そこに父はいませんでした。病室が移動になっていたのです。
好発はクレイアートビュンでしたが,内からヴァイタルシーズが先頭を奪っての逃げ。さらにディアーウィッシュが2番手に上がり,控えたクレイアートビュンが3番手。ブルーラッドは5番手。しかし1周目の正面に入るとルクレルクが外を上がっていき,ディアーウィッシュに並び掛けるとディーアーウィッシュもこれに呼応,向正面ではもう先頭に立つようなレースとなりました。ただしペースはスローに近いくらいのミドル。
ブルーラッドはずっと外を回り,やはり向正面で進出。3頭が並ぶように直線に入ると外から先頭に。しかしこれらの直後にいたドリームトレジャーが空いたインを突いてよく伸び,ブルーラッドを捕えて優勝。ブルーラッドが2着,直線入口では脱落かに思えたルクレルクが3着に盛り返して波乱といえるだろう結果に。
優勝したドリームトレジャーはJRA4勝でここが転入初戦。1000万を勝っている馬は南関東重賞なら通用しますが,これまではほとんど芝だけで走っていた馬。ブルーラッドは重賞クラスの馬ですから,地方競馬のダートコースへの適性が高かったのだろうと思います。またうまく内から伸びた好騎乗も勝因のひとつでしょう。母系はアストニシメント系ヤマトナデシコの分枝。大阪杯など重賞4勝のサイレントハンターは祖母の弟。
7月のサンタアニタトロフィーで南関東重賞初制覇を達成した船橋の本多正賢騎手は早くも2勝目。管理している船橋の佐々木功調教師もこのレース初制覇です。
入院した父を僕が初めて見舞うことになったのは,7月26日のことでした。
実はこの日は僕のⅠ型糖尿病の通院の日にあたっていました。だから父を見舞ったのは当然といえば当然です。
実のところ,父の状況が状況だけに,僕はこの日の通院に関しては少し心配していました。といいますのも,もしも父に何かあれば,この日に検査ができないとか,あるいは通院自体ができなくなるというケースも十分に考えられたからです。もちろん検査とか診察などは,こちらの都合で遅らせるということは可能です。ただ問題はインスリンの処方箋です。これがもらえないと僕は薬局でインスリンを手に入れるということができません。僕の場合はインスリンを注射しなければなりませんから,インスリンは僕自身が生きていく上での必需品となっているわけです。もちろんそうした大事なものですから,処方される場合にもぎりぎりの量ということはなく,余分に処方されてはいます。ただ,おそらく通院日を延期するということになれば,やはり同様に月曜日が指定されることになるでしょう。つまり1週間単位で予備のインスリンが必要ではないかと思われたのです。そしてこの直前の自宅の在庫状況から考えると,1週間なら伸びることになっても大丈夫そうでしたが,2週間は絶対に延期することができませんでした。というわけで,予定の期日で通院ができれば最も安心ですから,僕はこの日までは父に保ってほしいと勝手ながら切望していました。もちろんこうしたことを父に伝えたということはありませんが,父は頑張ってくれまして,僕は無事にこの日に通院することができたわけです。
いつもの通院の日と同様の時間にみなと赤十字病院に到着し,まずは採尿と採血の検査を済ませました。この日の採血も初見の人で嫌な予感がしましたが,むしろこれまでのどの日よりも手際よく終りました。いつものように診察は午後3時からでしたので,家には戻らず,そのまま父の病室へと向いました。見舞いには行っていませんでしたが,入院の日は一緒に病院に来ていますから部屋は分かっています。ところが,そこに父はいませんでした。病室が移動になっていたのです。