スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

埼玉栄冠賞&心配事

2010-10-13 19:14:54 | 地方競馬
 有力3頭による上位争いになると思われた第20回埼玉栄冠賞
 好発はクレイアートビュンでしたが,内からヴァイタルシーズが先頭を奪っての逃げ。さらにディアーウィッシュが2番手に上がり,控えたクレイアートビュンが3番手。ブルーラッドは5番手。しかし1周目の正面に入るとルクレルクが外を上がっていき,ディアーウィッシュに並び掛けるとディーアーウィッシュもこれに呼応,向正面ではもう先頭に立つようなレースとなりました。ただしペースはスローに近いくらいのミドル。
 ブルーラッドはずっと外を回り,やはり向正面で進出。3頭が並ぶように直線に入ると外から先頭に。しかしこれらの直後にいたドリームトレジャーが空いたインを突いてよく伸び,ブルーラッドを捕えて優勝。ブルーラッドが2着,直線入口では脱落かに思えたルクレルクが3着に盛り返して波乱といえるだろう結果に。
 優勝したドリームトレジャーはJRA4勝でここが転入初戦。1000万を勝っている馬は南関東重賞なら通用しますが,これまではほとんど芝だけで走っていた馬。ブルーラッドは重賞クラスの馬ですから,地方競馬のダートコースへの適性が高かったのだろうと思います。またうまく内から伸びた好騎乗も勝因のひとつでしょう。母系はアストニシメントヤマトナデシコの分枝。大阪杯など重賞4勝のサイレントハンターは祖母の弟。
 7月のサンタアニタトロフィーで南関東重賞初制覇を達成した船橋の本多正賢騎手は早くも2勝目。管理している船橋の佐々木功調教師もこのレース初制覇です。

 入院したを僕が初めて見舞うことになったのは,7月26日のことでした。
 実はこの日は僕のⅠ型糖尿病の通院の日にあたっていました。だから父を見舞ったのは当然といえば当然です。
 実のところ,父の状況が状況だけに,僕はこの日の通院に関しては少し心配していました。といいますのも,もしも父に何かあれば,この日に検査ができないとか,あるいは通院自体ができなくなるというケースも十分に考えられたからです。もちろん検査とか診察などは,こちらの都合で遅らせるということは可能です。ただ問題はインスリンの処方箋です。これがもらえないと僕は薬局でインスリンを手に入れるということができません。僕の場合はインスリンを注射しなければなりませんから,インスリンは僕自身が生きていく上での必需品となっているわけです。もちろんそうした大事なものですから,処方される場合にもぎりぎりの量ということはなく,余分に処方されてはいます。ただ,おそらく通院日を延期するということになれば,やはり同様に月曜日が指定されることになるでしょう。つまり1週間単位で予備のインスリンが必要ではないかと思われたのです。そしてこの直前の自宅の在庫状況から考えると,1週間なら伸びることになっても大丈夫そうでしたが,2週間は絶対に延期することができませんでした。というわけで,予定の期日で通院ができれば最も安心ですから,僕はこの日までは父に保ってほしいと勝手ながら切望していました。もちろんこうしたことを父に伝えたということはありませんが,父は頑張ってくれまして,僕は無事にこの日に通院することができたわけです。
 いつもの通院の日と同様の時間にみなと赤十字病院に到着し,まずは採尿と採血の検査を済ませました。この日の採血も初見の人で嫌な予感がしましたが,むしろこれまでのどの日よりも手際よく終りました。いつものように診察は午後3時からでしたので,家には戻らず,そのまま父の病室へと向いました。見舞いには行っていませんでしたが,入院の日は一緒に病院に来ていますから部屋は分かっています。ところが,そこに父はいませんでした。病室が移動になっていたのです。
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新人王戦&死の予告

2010-10-12 18:34:59 | 将棋
 阿部健治郎四段が王手をかけて迎えた第41回新人王戦三番勝負第二局。
 加來博洋アマの先手。相矢倉を感じさせる序盤からかなり変則的な手順となり,先手が雁木から右玉で袖飛車,後手が棒銀という戦型に。
                         
 将棋の有名な格言に玉飛接近すべからずというのがありますが,右玉は自ら玉が飛車に近づいて行く戦法。それでも桂馬を跳ねて飛車を引くというのがひとつの形ですが,第1図で▲3八飛と寄ったのはそれが間に合わないから。なのでこの局面自体は後手の作戦勝ちといえるかもしれません。
 この後,後手が快調に攻めたのですが,踏み込めば優勢とされた局面で躊躇したため,互角に戻りました。そして第2図へ。
                         
 後手優勢とされていた局面から少し進んだところ。ここで△3八歩▲同飛としてから△2五桂と跳ねたのですが,どうも最終的な敗着となった模様。以下▲5四馬△2二玉に▲3一銀。△同玉▲4二銀△2二玉▲3三銀成△同玉の局面で▲4三馬とされたとき,△2四玉では先手の飛車が働く筋で後手が駄目。飛車を3筋に呼んだのが後手にとって最悪の結果となり逆転しました。
 加來アマが返して1勝1敗に。アマの棋戦制覇の望みをつないで決戦の第三局は22日です。

 この日は僕は終日オフにしてありました。入院の受け入れが一段落したのが午後の2時過ぎ。みなと赤十字病院は1階に食堂がありますので,そこでやや遅めの昼食を摂りました。
 この日は水曜日ですが,水曜は妹の仕事の終了が通常より1時間早くて午後3時。つまり昼食を終えたらもう迎えに行かなければならない時間が迫っていたわけです。担当になった看護師とのやり取りの中で,また必要なものが増えましたので,母は妹を迎えに行った後,また病院に来なければならなくなっていました。そこで僕は病院の方で待っていようと思ったのですが,そうなると妹を病院に連れて来なければならないことになります。日常的な介助はほぼ不要でしたが,やはりひとりで家に残しておくということには不安があったためです。しかし妹が病院に来たいと思うかどうかは分かりません。そこで大事をとり,病院には伯母の方を残して僕は母と一緒に妹の迎えに行きました。結局,妹は病院には行きたがりませんでしたので,僕もそのまま一緒に家に残り,病院には母だけが行くことになりました。
 このような形で入院となったわけですが,見舞いの方はやはり自宅療養時とほぼ変わらずに大勢にきていただきました。といっても,僕自身はこの後,銀行回りを中心にいろいろあったこともあり,4日間は病院には行かれませんでした。訪問看護師の判断ではあと1日か2日ということだったのですが,状態はほとんど変わることなく推移していったのです。そんな中,父は不意に母に対して,8月4日までは頑張りますと言ったのだそうです。どこからその日付が出てきたのか知りませんが,父によればその日がふっと頭に浮かんできたとのこと。もっとも,入院するために救急車で運ばれるときの救急隊員とのやり取りでは,父はその日の正確な日付すら分かっていませんでしたし,この入院後は,それまではトイレでしていた排尿についても看護師の介助のもとにベッド上で尿瓶を使ってするようになっていましたから,ベッドから出るということもまったくなくなっていたわけで,日付の感覚などはますます混濁している筈に思えましたから,僕はあまり気にも留めませんでした。
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南部杯&個室

2010-10-11 19:33:59 | 地方競馬
 この後,アメリカのブリーダーズカップクラシックGⅠを目指す予定となっているエスポワールシチーが出走した南部杯(動画)。
 エスポワールシチーも好発でしたが,外から被せるようにセレスハントの逃げに。オーロマイスターがその外の2番手に上がり,エスポワールシチーは内の3番手というレースに。前半の800mは47秒9のスローペースになりました。
 5番手につけていた高知のグランシュバリエが強気にコーナーで捲り上げて直線入口では先頭に立とうかという勢い。セレスハントは失速しましたがオーロマイスターはうまくこれに対応。そのまま抜け出して3馬身差の快勝。タイムもレコードの1分34秒8と出色でした。逃げ馬とオーロマイスターの間を割ろうとしたエスポワールシチーは立て直して外に出しましたが,詰め寄るだけの脚はなく2着まで。グランシュバリエの3着は大健闘でしょう。
 優勝したオーロマイスターは若い頃から期待されていた馬。5歳の6月からダート路線に転向,こつこつと勝ち星を積み上げ,オープン勝ち,重賞2着はありましたが,いきなりの大レース制覇には驚かされました。タイムや着差からフロックとは思えず,一気にトップクラスまで駆け上ったといえなくもなさそうです。父はゴールドアリュール。オーロはラテン語で黄金を意味しますが,盛岡競馬場の愛称はオーロパークです。
 鞍上の吉田豊騎手は一昨年のマイルチャンピオンシップ,管理している大久保洋吉調教師は2004年の阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース制覇で,南部杯はともに初優勝となりました。

 このときが入院したのは,人工肛門開設の手術の直後に入った7階の病棟でした。
 僕が昨年の正月に入院した後に移動した8階というのは,総合内科専門の病棟でした。つまり8階に入院している患者というのは,抱えている疾病の違いこそあれど,すべて総合内科で診察を受けている患者だったわけです。しかし,7階というのは,病棟がブロックに分かれていて,このときに父が入った病室は,ブロックでいうなら消化器科に属していました。これはおそらくこの時点で7階で空いていた病室というのが,ここだけだったからではないかと思います。実際,人工肛門開設の手術を受けた直後,父は7階の外科の個室に入りましたが,これはあくまでも手術直後で,経過観察を頻繁に行わなければならなかったための一時的な措置。その後,やはり階は同じですがブロックでいえば消化器科に属する大部屋に移動となりました。したがって,外科で診察を受けている患者が,消化器科の病室に入院するということは,たぶんみなと赤十字病院では頻繁にあったことなのではないかと思われます。もちろん病室のブロックが消化器科とはいっても,主治医が外科のО先生であるということには変わりはありませんでした。
 ただし,このときの部屋は個室でした。といっても,これは僕たち家族や父本人がそのように希望したからそうなったというわけではありません。これもあくまでも病院側の都合で,空いている病室というのが個室しかなかったということでした。ただ,治癒の見込みがないという父の状況を考えれば,個室になったということはむしろよかったかもしれません。
 実は父の母,祖母がやはり末期癌の状況に陥ったとき,ある大学病院に入院していたのですが,そこではすべての手を尽くしたからということで半ば強制的に退院させられ,別の病院に転院させられるということがありました。そう考えれば,父を受け入れたみなと赤十字病院はむしろ親切であったくらいに僕は考えています。一般的には,死亡率の低い病院がよい病院ということになるでしょうが,それは治癒の見込みがない患者を受け入れないからかもしれませんから,一概にはそうもいえないのではないかと僕は考えています。
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東京記念&入院

2010-10-10 00:52:17 | 地方競馬
 セレンの秋初戦となった7日の東京記念
 先手を取ったのはタケノショウリュウ。コンプレッソとグラストップガンがほとんど差なく続きました。セレンはいつもよりはやや前とも思える6,7番手から。最初の1000mは63秒7。ミドルペースです。
 注目のセレンですが,安全策で外には出さず,馬群の中を進出。前が開いたのは直線に入ってからでしたが,そこからは独擅場。あっという間に後ろとの差を広げていき,最終的には4馬身の差をつけて圧勝しました。2着にはセレンの後ろから大外を追い上げたルースリンドが入り,先行していたカキツバタロイヤルが3着。
 優勝したセレンは前々走の大井記念以来となる南関東重賞4勝目。この馬は短距離を除けば南関東№2と思われますので,本質的にこういう距離に向く馬ではないと思いますが,力を発揮すればこの圧勝も当然。何とか重賞を勝ってほしい馬ですし,それだけの力を備えているように思います。父はマーベラスサンデー
 この日から乗り替わった船橋の石崎駿騎手は先月のアフター5スター賞に続く南関東重賞制覇。管理している船橋の佐藤賢二調教師と共に大井記念初制覇となりました。

 このとき,訪問看護師の方で救急車の手配までしてくれたのには理由があります。状況からすれば,は,病気が治癒するという意味では,治療の見込みというのがあったわけではありません。したがって,自宅から病院に向かうのは,単なる搬送であって,搬送だけのために救急車を呼ぶというのは,本来のあるべき救急車の目的としてはやや外れる面があったからです。ただ,現実的に車で送っていくということには無理がありましたから,そこのあたりの状況を,訪問看護師が詳しく説明してくれたわけです。
 3人の救急隊員はすぐに到着しました。このとき,父といくらかのやり取りがありました。父は自分の名前とか生年月日,現在の自分の身体の状態などについては救急隊員からの質問にも的確に応答できましたが,今日が何月何日であるのかということに関しては,これは僕の想像通りであったともいえますが,正しく答えられませんでした。やはりトイレに行く以外はずっとベッドに横たわっていた父は,その点についてははっきりと把握できてはいなかったのだと思います。
 介護ベッドからストレッチャーに移されて,父は救急車に乗り込みました。このままみなと赤十字病院に入院するということが決定していて,それはすなわち入院のための荷物も運ばなければならないということを意味します。つまりこれを母が車で運ばなければなりませんでしたから,救急車には僕が同乗しました。こんな形で3度目の救急車を経験するとは思ってもいませんでした。
 いろいろありましたので家を出たのは正午頃。父は血中の酸素濃度が薄くなっていたようで,呼吸器をつけられたのですが,自分では息の苦しさというのは感じていなかったようで,これはかなり嫌がっていました。救急車ですので病院まではおそらく15分くらいで到着したのではないかと思います。病院の方でも受け入れ態勢が整っていましたので,看護師や外科のО先生からいくつかの話があった後,すぐに入院することが決まりまして,病室の方へ移動しました。前日からこの日のうちに入院することは決まっていましたから,病院には父の最も下の姉,僕の伯母がすでにいまして,母もすぐに合流しました。
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福井記念&説得

2010-10-09 11:23:03 | 競輪
 地元地区の近畿勢が大活躍だった福井記念の決勝(動画)は3日に争われました。大活躍だったこともありラインは伊原-市田-渡辺の福井,村上-南-大井の近畿に分かれ,園田-室井の西国,藤原が単騎。
 Sは南で村上の前受け。園田が4番手で伊原が6番手。藤原は最後尾で周回。残り2周のホームから伊原が上昇,園田もこのラインに乗り,引いた村上は7番手で打鐘。ここから村上が巻き返しに出ると伊原も発進。バックで村上が前を捕えようかという勢いとなり,市田が番手発進。近畿のSS両者による激しいもがき合いになりましたが,制したのは市田で,そのまま優勝。マークの渡辺が2着で地元のワンツー。内目を伸びた室井が3着。
 優勝した福井の市田佳寿浩選手は8月の富山記念以来となる記念競輪12勝目。ここは地元のエースとしての参戦ということもあり,番組にも恵まれたところはありましたが,完全優勝は立派。相変わらず好調を維持しているとみてよさそうです。

 そうしている間にも見舞いの方がきてくれました。この方はTさんというが最初に勤務していた中学校で,父の後輩として新任で入ってきた方。若い頃,つまり僕がまだ子どもの頃には僕の家にもよく遊びにいらっしゃっていて,僕にもその頃の記憶があります。父との付き合いはその後もずっと続いていまして,父が退院して自宅療養に入ってからは,毎日,大概は午前9時くらいに様子を見に来てくれていました。そして手足のマッサージを施してくれるのです。この日はTさんも父に入院の話をしてくれたようですが,父は頑なに延期するの一点張りで,何の進捗もありませんでした。
 犬や猫ではありませんから,いやだといっているものを無理やりに連れて行くということはできません。ただ,みなと赤十字病院の都合に関しては,いくら僕と母とが考えてみたところで結論が出せる筈もありません。ということで,とりあえずは訪問医のО先生と,訪問看護師に相談してみるということにしまして,母が両者に電話を入れました。すると自ら判断したということもあったのでしょう,訪問看護師の方がすぐに家を訪ねてくれました。前にも説明しましたが,父はこの訪問看護師が来ることについては喜んでいたのです。
 訪問看護師は家に到着すると,僕と母に対して,父とふたりきりで話をさせてほしいと言いました。父の介護ベッドがあった部屋は,僕の家の玄関から最も近い部屋。そこで僕と母は2階に上がりまして,この訪問看護師と父がふたりでじっくりと話ができるような環境を整えました。したがって,訪問看護師はこの日のうちに入院するように父を説得したのだと思いますが,このときに具体的にどのような話があったのかということは,僕も母も一切知りません。結果的にいえばこの訪問看護師が僕の家に来たのはこの日が最後になりましたし,父もこのときのことに関しては何も言い残すことなく旅立っていったからです。
 30分か40分ほど経過したでしょうか,訪問看護師は母と僕を呼びました。父が入院することを納得したというのです。状態から,そのまま母が車で送っていくのは難しいので,救急車を呼んだ方がよいということになりまして,その手配もしてくれました。
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凱旋門賞&想定の範囲

2010-10-08 00:21:44 | 海外競馬
 日本時間3日深夜にフランスのロンシャン競馬場の芝2400mで争われたヨーロッパ秋の最大のレース凱旋門賞GⅠ(動画)。それぞれの前哨戦を戦った日本のヴィクトワールピサナカヤマフェスタも無事に出走しました。
 ヨーロッパの古馬のレースは少頭数で争われることも多いことを考えると,凱旋門賞はわりと頭数が揃うレース。とくに今年は1頭が取り消して19頭という多頭数。これはチャンスありとみた陣営が多かったということであり,逆にいえば図抜けた馬がいなかったということでしょう。
 ペースメーカーもいたのですが,19頭がほとんどひとかたまりでレースは進行。とはいえ,馬場が悪かったということも影響したでしょうが,ヨーロッパのレースとしてはハイペースだったかもしれません。日本の2頭も馬群の真っただ中。位置としてはナカヤマフェスタの方がやや前でした。
 最後の直線に入ろうかというところでナカヤマフェスタは上昇していこうとしましたが,進路を狭められて一旦は控えざるを得ない不利。それでも直線ではうまく前を行っていた馬たちの外に出して先頭。これに内からイギリスのWorkforceが追ってきて,2頭が抜け出しての叩き合い。残り100mあたりでWorkforceが前に出て,ナカヤマフェスタも最後まで食い下がりましたが差し返せず2着。ヴィクトワールピサの方は最後の直線の手前でやや位置を下げたように見えましたが,そこから外を追って8位入線,失格馬が出て7着となりました。
 勝ったWorkforceは今年のイギリスダービー馬。正直,ここは日本の2頭は苦戦するとみていただけに,ナカヤマフェスタの2着には驚きました。斤量差がありますので,内容的には勝ち馬より上だったと評価できます。たぶんヨーロッパの芝コースに対する適性も高かったのでしょう。ただ,この馬が現在の日本のトップの馬かと問われれば,必ずしもそうだとはいいきれない面があると思われ,それでここまで戦えるのであれば,やり方によっては日本の馬でも勝つことができるレースであるということを証明するような結果であったと思います。
 一方のヴィクトワールピサですが,この距離でも対応はできるのでしょうが,ベストのパフォーマンスを期待できるのはもう少し短い距離なのではないかという思いが改めてしました。

 翌7月21日の朝になりますと,は入院を延期したいと言い出しました。実際のところ,この入院というのは,最終的には死にに病院へ行くようなものでして,要するに入院してしまえばもう生きて家に戻ってこられるという可能性は限りなく0に近かったですから,父がこのようなことを言い出すのは当然といえば当然でしたし,僕としてもある程度は予期していたことでした。実は祖母,父の母も癌で死んだことは前に説明した通りですが,この祖母も,いよいよ家で介護するのが難しくなり,入院させることになったおりにはかなりそれを嫌がったというのもありました。そしてそもそも,僕は前日の夕方に,父が自分から入院したいと言ったこと自体が驚きでした。父は医者の意見には従うタイプの人間でしたから,あるいは訪問医のО先生の質問を,入院の勧めというように受け止めたのかもしれないと考えていたくらいです。なのでこのとき母はかなり戸惑っていたようでしたが,僕にはいわばこれは想定の範囲内であったわけです。
 この時点で父はまだ自宅で介護することも可能であると思える状態ではありました。ただ,みなと赤十字病院にすでに話がついていたことが問題でした。入院をキャンセルすることは可能でしょうが,次に父が入院したいと言い出したときにすぐに入院できるという保証はありません。実際のところ父も,入院したくないと言い出したわけでなく,延期したいと言っていたのです。しかもそれは1日か2日ということでした。
 このとき父は,トイレ以外は介護ベッドにずっと横になっていたわけです。そして麻薬による意識の混濁,といっても普通の会話は可能だったわけで,混濁というほどの混濁ではなかったかもしれませんが,少なくとも一般的な意味で人間が覚醒しているというような意味で覚醒していたわけではありません。雨戸を開けたり閉めたりはしていましたが,眠っている時間が多かったですから,今日が何月何日であるとか,体感している1日の長さがどれくらいであるかということは,はっきりと分かっていなかった筈です。延期を言い出すことは想定内ではありましたが,この1日か2日という点では僕も母と同様に困ってしまったのです。
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新人王戦&倦怠感

2010-10-07 18:47:55 | 将棋
 アマチュアが初めてプロ公式戦の決勝まで駒を進めてきた第41回新人王戦決勝三番勝負第一局。
 振駒で先手は阿部健治郎四段。加來博洋アマの4手目△3三角戦法から角交換もその角をすぐに打ち合い,相居飛車。先手が銀がいない矢倉のような構えで後手は右玉から地下鉄飛車という非常に珍しい戦型に。
                         
 ここで先手が▲5五歩と仕掛けていきました。先手の陣形もしっかりしているとはいえないので,△同歩▲同銀に△5四歩と謝っておくのも有力だったと思いますが,△4五歩と反発しました。よって先手は▲5四歩と打って銀交換。さらに2筋を交換して横歩を取りました。そこで△4三金左と上がったのが第2図。
                         
 結果的にみるとこの手は危険で,△4四銀打の方がよかったのかもしれません。先手は▲5五歩△6三銀としてから▲3二銀。飛車の取り合いとなりましたが,その飛車を打ち込んだところでどうやら先手の優勢がはっきりとしたようです。いわれるほど大差であったようにも思えませんが,このまま先手が押し切って勝ちました。
 阿部四段が勝って新人王に王手。勝率の高さからも分かるように,かなり将来に期待がもてる棋士だと思います。第二局は連休明けの12日です。

 訪問医のО先生は一通りを診察しました。といっても,父の状況からして積極的に何かをできるというものではありませんから,父の話を聞いて,それに対して答えるというのが主なもの。これはこのときに限らず,訪問医のО先生が僕の家を訪れて父を診察する場合のパターンになっていました。
 この当時,例の麻薬がよく効果を発揮していまして,父は痛みを感じることは少なかったようです。もちろん薬ですから効能には時間の制限というのがありましたが,効果が切れて痛みを感じだせばまた飲むことによって,それを抑え込むことができていたのです。しかし,とくに手足のだるさといったものを強く訴えていました。このために,訪問看護師は来るたびに手足のマッサージを施していましたし,またこれ自体はとくに医療従事者でなくとも可能なことでしたから,僕や母も,そしてときには妹も,父の手足を揉むことがありました。また,見舞い客の中には毎日訪れてくれる方がいまして,この方も来るたびに必ず父にマッサージをしていました。つまりこの時期の父にとっては,このだるさというのが最大の問題点だったのです。この時点でもまだ父は,排尿のためにトイレに行くことはありましたが,ひとりでベッドからトイレまで行くのは大変な状態でしたから,母が付き添っていたのです。
 それで父はこのときも訪問医のО先生に対して,この倦怠感を抑えることができないかと訴えました。しかし返事は不可能であるとのこと。といいますのも,この倦怠感というのは,肝機能が衰えていることからくるものであって,肝機能が改善しない限り父が倦怠感から脱却するということはできないのですが,この肝機能の低下というのがそもそも肝臓に転移している癌によるものなのです。したがって父の場合は癌の治療が不可能なわけですから,このこと自体が倦怠感を抑えることができないということを同時に意味していたのです。これも一種の千日手でしょうか。
 最後に訪問医のО先生は,父に対して入院する気があるかという意味のことを尋ねました。すると父は入院したいと答えたのです。そこで訪問医のО先生はみなと赤十字病院の外科のО先生に連絡をとってくれました。それによると,翌日,つまり7月21日の午前中には入院が可能とのことでした。父自身が意志を明示したということもあり,その予定で動くことになりました。
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東京盃&訪問看護師の判断

2010-10-06 20:32:32 | 地方競馬
 来月のJBCスプリントの最大の前哨戦となる東京盃
 サマーウインドが逃げるものと思い込んでいましたが,発走はナイキマドリード,スリーセブンスピン,ケイアイジンジンといったところが速く,先手を奪うのには少々手間取りました。これらの後ろにミリオンディスクとスーニ。前半の600mが33秒5という極度のハイペース。
 3コーナーを回ったあたりからナイキマドリードが果敢にサマーウインドに並び掛け,この2頭で後ろを離す形に。直線に入って何とかナイキマドリードを競り落としたサマーウインドですが,中団やや前から内目を捌いて追い上げたヤサカファインが猛追,ほぼ並んだところでゴールでしたが,ぎりぎりでサマーウインドが凌いでいました。3着は外に回ったミリオンディスク。
 優勝したサマーウインドは前走のクラスターカップから連勝で重賞2勝目。きわどい勝利になったのはナイキマドリードに絡まれたためでしょう。発走後も先手をすぐには奪えなかったのは気になりますが,1000mになるのはスピードを生かすこの馬にはおそらくプラスと思えますので,やはりJBCスプリントでは最有力候補かと思います。父はタイキシャトル,母は重賞2勝のシンウインド
 鞍上は藤岡佑介騎手で管理しているのは庄野靖志調教師。東京盃は共に初制覇です。
                         
  2着のヤサカファインは展開に乗じた面もありますが,馬群を捌いてこられるのは大きな強み。一気に時計も短縮してみせましたので,今後の重賞路線でもかなり楽しみな素材だと思います。

 末期癌ですから当然のことですが,は日に日に弱ってはいきました。眠っている時間が長くなっていき,訪問看護師が介護に当たっている間もずっと眠っているということもありました。もっとも,眠っていられるというのは痛みを感じずにいるということの証左ですから,幸せといえば幸せなことだったかもしれません。もちろんそれは麻薬の効果であり,服用の頻度も退院当初よりは多くなっていました。
 17日と18日が土日で,僕が馬券を買いに行きました。前に説明した,マークカードを塗ることもできなくなったというのはこのときのことです。うつらうつらしていましたが,ベッドの横に置いてあるテレビで競馬中継は視ていて,自分の馬券が的中したか外れたかもきちんと理解できました。ただ,父が馬券を買ったのはこの週末が最後です。相変わらず見舞い客は毎日頻繁に訪れていて,僕は父は最後の最後によく頑張ったと今でも思っているのですが,それだけ頑張れたのには,もちろん父自身の強さもあったでしょうが,見舞いに来ていただいた方々の励ましが大きかったのではないかと思っています。
 前にも説明した通り,訪問看護師は毎日来てくれたわけですが,20日の火曜日に父に対する介護を終えた後,母を呼んで少し話をしていました。母によると,もうあと1日か2日くらいではないかと思われるから,もしも家で看取ることができないのであれば,もう入院させた方がいいのではないかと言われたそうです。
 麻薬による意識の混濁というのはあったわけですが,父は暴れたりするようなことは少しもなく,そういう点で僕や母に手を焼かせることはありませんでした。ですから,もしもこの状態のまま息を引き取るということが確実であるのなら,自宅で看取るということも明らかに可能でした。ただ,その点に関しては僕たちには何ともいえない,というか分かりませんでしたし,ダウン症の妹が父の自宅での死というものをどのように受け止めるのかという点にも少しばかりの不安がありました。
 どちらにしても僕たちだけで決定することはできないということになり,専門的な観点について訪問医のО先生に相談してみようということになりました。この日は往診の日ではなかったのですが,電話を入れますと,午後5時過ぎに来てくれたのです。
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白山大賞典&眼科検診

2010-10-05 19:18:38 | 地方競馬
 金沢競馬場での唯一の重賞,白山大賞典(動画)。
 力関係がはっきりしていて,勝負になると思われたのは内の5頭。このうちジャングルスマイルが逃げ,2番手にコスモファントム。パワーストラグルが3番手で,やや出負けから追い上げたフサイチピージェイが4番手。ロールオブザダイスが5番手。この隊列が2周目の向正面まで続きました。
 3コーナー手前から逃げたジャングルスマイルがペースアップ。コスモファントムは追走に苦しみ,パワーストラグルが内から2番手に上がり,先頭に接近。直線に入るところではかなり手綱をしごくジャングルスマイルに対してパワーストラグルは持ったままで勝負あり。直線では手応え通りに楽々と抜け出したパワーストラグルが6馬身の差をつける圧勝。ジャングルスマイルが2着に粘り,再び追い上げたコスモファントムが3着。
 優勝したパワーストラグルは1000万,1600万と連勝中の上がり馬。重賞初挑戦初制覇。ここはそうもレベルの高くないメンバー構成になりましたので,トップクラスまでいかれるかどうかはまだ分かりませんが,これだけの差をつけての圧勝ですから,少なくとも重賞ならばまだ勝てるのではないかと思います。父はシンボリクリスエス,母系はフロリースカップ健宝の分枝で,従兄に2003年のジャパンダートダービーを勝ったビッグウルフ。馬名は直訳すれば権力闘争。
 鞍上の後藤浩輝騎手,管理している加藤征弘調教師は共に初の白山大賞典制覇です。

 このような日々の中,僕にはひとつだけ気になっていることがありました。3月にО眼科網膜症の検査へ行ったおり,最後に4ヶ月ほどしたらまた来てくださいとО先生から忠告されていたのですが,その期日が迫っていたのです。О眼科は歩いて行かれる距離であり,万が一何かが起こったとしてもすぐに家まで戻ることができますので,父の様子もみて,7月16日の午前中に行ってしまうことにしました。
 僕の予想と異なっていたのは,この日も視力検査と眼圧測定が行われたことでした。ということは,О眼科へ通う限り,これらふたつの検査は今後もずっと行われるということになるのでしょう。ちなみに眼圧はこのときも右目が20,左目が18と,正常の範囲内ではありますが高い数値でした。
 一方視力の方は両目とも少しだけ落ちていました。実はパソコンに向かってこうしてブログを書いたりしていますと,前よりも視力が衰えているなと感じることがあり,これは想定の範囲内。矯正視力の方も前回より落ちていたわけですが,1.2程度は見えていますからさほど問題はないのでしょう。
 ところで,僕は最近,近眼だけでなく老眼を感じることもあります。とくに細かい字を読むときに,字自体は何の問題もなく読めるのですが,濁点であるのか半濁点であるのかというのは判別困難な場合があります。そういう場合は,眼鏡を外して目を近づけて読めば分かりますので,やはりこれは老眼なのだろうと思います。読書をする場合などは濁点か半濁点かは判別できなくても文章の流れの中で理解できますから問題ありませんが,馬の名前などは濁点でも半濁点でも通用する場合があるので,どちらであるのかをはっきりとさせておかないといけないことがあるのです。
 これらの検査の後は前回と同様に散瞳しての検査。この日も点眼は1度だけ。検査の結果もすべて異常なしではありましたが,ヘモグロビンA1cの直近,すなわち5月24日の検査時の値で7.0%と,正常とされる値よりはまだ高めでしたので,また同じくらいの期間を経たら検査に来るように言われました。したがって来月にはまた行くということになります。
 なお,この日は眼鏡の上に装着するタイプのサングラスを用意していきましたから,帰り道も前回ほどは危険な思いをしないですみました。
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フラワーボウル招待ステークス&僕の生活

2010-10-04 00:35:27 | 海外競馬
 アメリカ競馬の祭典といえばブリーダーズカップ。昨年の秋華賞を勝ち,今年はドバイでマクトゥームチャレンジ3GⅡを勝ったレッドディザイアは,来月のブリーダーズカップフィリー&メアターフGⅠを目指して渡米。日本時間で昨日早朝,ベルモントパーク競馬場のフラワーボウル招待ステークスGⅠ芝11/4マイルに出走しました。
 少頭数だったこともありますが発走してすぐにスムーズな形でインへ。道中はそのままインの3番手から5番手あたりを追走。直線に入ってすぐにそのまま内から抜け出して先頭へ。ここに外からChanging Skiesが並び掛けてきて叩き合いに。レッドディザイアが遅れを取ったところへ2頭の間にAveが差し込んできて,この馬が優勝。Canging Skiesが2着でレッドディザイアは3着でした。
 レースで勝負になったのはこの3頭。このカテゴリーでは日本の馬の方がアメリカの馬より上位ですので勝ってほしかったというのが僕の本音ではありますが,上位2頭より斤量を背負わされていたということを考えれば,仕方がない結果なのかもしれません。
 本番が先にあるということを見据えれば上々の結果。ただ,ベルモントパーク競馬場はアメリカの競馬場としては例外的に大きな競馬場で,本番のチャーチルダウンズ競馬場はもう少し小回りになります。それからこの馬自身,春のドバイ遠征では初戦で結果を残したものの本番では大敗しているように,現地での調整には難しさも残るのでしょう。そしてもちろん相手関係も強化されることは間違いありません。これら3点が今後のレッドディザイアの課題になってくるものと思います。 

 が在宅で療養するようになって,僕の生活もそれまでとは少しだけ変化しました。まず何といっても喫緊でないような外出はすべてキャンセルしました。もういつ何時何があってもおかしくなかったわけですから,これはだれでもそうするところでしょう。もちろん避けることができない仕事もありましたし,また,父は家族に対しては経済的な面について最も強く心配していましたので,父の銀行口座から母や僕の口座にあらかじめ現金を移しておくための,自分の仕事とは関係のない銀行回りなど,まったく外出しなかったというわけではありませんでしたが,家にいるという時間は,この期間は非常に長かったです。
 それから,たとえば僕は昼から外出して,夕食は家で摂るということが分かりきっている場合には,それまではインスリンは家に置いておきましたが,この間はどんなに些細な外出であっても,必ず持ち歩くというようにしました。たとえば急に父の様態が悪化し,病院に運ばれるというようなことがあった場合,当然ながら僕も病院に駆けつけることになりますが,その間に食事が必要となるというようなケースも考えられたからです。
 しかし,最大の変化はもう少し別の部分にあります。基本的に僕は,明日できることは,たとえ今できる時間があったとしても,今日のうちにはやらないという考え方をします。これは今でもそうなのですが,ただこの時期だけは,それこそ何が起こるか分からないわけですから,そのときにできることはそのときのうちにやってしまうというスタイルになりました。これはたとえばこのブログひとつとってみても分かります。それまで僕は,日中にどんなに時間の余裕がある場合でも,ブログは夜になってからエントリーしていました。しかしこの時期から,前もって用意してあるので投稿できるという記事に関しては,昼のうちでもエントリーするようになりました。これはブログの右上にある投稿時間からも分かるかと思います。
 ブログに関してだけは,今でもこのスタイルが続いています。したがって,今後も日中や深夜の投稿というのがあるだろうと思います。
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スプリンターズステークス&麻薬

2010-10-03 17:23:35 | 中央競馬
 香港から2頭が遠征してきた第44回スプリンターズステークス
 香港のウルトラファンタジーが押していくとあっという間に後続に差をつけて先頭に。そこで控えたので,一旦は外からローレルゲレイロに出られましたが,3コーナーでは再びハナを奪い返しました。前半の600mは33秒3でこれはミドルペース。
 直線は逃げたウルトラファンタジーに,内の馬群を捌いてきたダッシャーゴーゴーが襲い掛かり,2頭がほぼ並んだところでゴール。写真判定になりましたが,一杯に逃げきっていたウルトラファンタジーの優勝。ダッシャーゴーゴーは直線に入ったところで内を突いたとき,サンカルロの進路を塞いでしまったために4着に降着。大外を伸びて3位に入線したキンシャサノキセキが繰り上がって2着。立て直して再び伸びたサンカルロが3着で確定。
 優勝した香港のウルトラファンタジーはこれが初めての大レース制覇。香港ではグリーンバーディーには負けていなかったものの,格的には明らかに下。うまく逃げられたときに好走するという傾向がありましたので,ここは展開面も向いたものと思われます。とはいえ,香港でトップクラスといえない馬に勝たれるのは,スプリント路線における彼我のレベル差がそれだけあるということの証明ではないでしょうか。
 鞍上は香港のホイ・ウィン・ライ騎手で,今回が日本での初騎乗。馬の国籍における香港馬による日本の大レース制覇は2006年のブリッシュラックによる安田記念以来,スプリンターズステークス制覇は2005年のサイレントウィットネス以来となります。

 バスに乗っていますと,停留所のアナウンスの後,CMが入るというのはよくあること。僕もО眼科についてはそれで知ったという一面があります。実は僕はそうしたCMの中に,かねがね疑問に思っていたものがありました。
 WINS横浜に馬券を買いに行く場合,僕は必ずバスを利用します。すると途中の停留所で,薬局のCMがアナウンスされます。そしてその薬局を宣伝する文句は,全国どこの病院の処方箋も調剤する○○薬局というものなのです。
 薬局の中には,処方箋調剤をしないところもあります。だから,処方箋を扱うということが宣伝文句になり得るというのは僕にも理解できます。しかし,もしもこの薬局のように,どの病院の処方箋でも取り扱うということが宣伝文句になるのであれば,ある特定の病院の処方箋については取り扱わない薬局があるのでなければなりません。僕が疑問に思っていたのはその点で,どうしてそんな薬局が存在するのだろうかということでした。
 訪問医のО先生は父に3種類の薬剤を処方しました。といっても,末期癌の患者に処方する薬ですから,基本的には病の治癒を目指すための薬ではなく,癌による苦しみを緩和させるような薬です。ご承知の方も多いでしょうが,癌というのは進行してきますと強い痛みを伴うようになります。したがってその痛みを緩和するために,鎮痛剤が処方されます。父の場合もそうでした。
 こうした薬の中で,モルヒネというのは非常に有名だと思います。ただしモルヒネというのは与える量の調整が難しく,下手をすれば副作用で患者が大暴れしてしまうケースもあるということで,在宅での治療には向かないとのこと。そこでそれに代わるような薬剤が処方されました。
 実はこの薬は,いつも利用している薬局では入手することができませんでした。というのはこれは強い麻薬なので,取り扱うためには特別の資格が必要だったらしいのです。そこで僕は例のCMを思い出しました。もしかしたらどの病院の処方箋も調剤するというのは,このような意味も含んでいるのではないかと思ったわけです。WINS横浜に向うためのバスのほかに,もう少し僕の家に近くの薬局で同じようなCMを流しているところあったのですが,果たしてそこでこれを入手することができたのです。
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ノーリーズン&余命

2010-10-02 10:47:03 | 名馬
 先月29日の鎌倉記念キスミープリンスが優勝しました。
 この馬の父,ノーリーズンは2002年1月の新馬でデビュー。見事に勝利をあげると2月の特別も連勝。しかし皐月賞トライアルの若葉ステークスは7着に破れました。出走権は得られなかったのですが陣営は果敢に皐月賞に登録。抽選を突破しての出走のため人気はありませんでしたが,その前評判を覆して堂々の優勝。素質の高さを見せつけました。当然2冠を目指してダービーに出走しましたがこれはタニノギムレットの8着。
 秋は神戸新聞杯で復帰。これはシンボリクリスエスの2着でしたが,シンボリクリスエスが天皇賞に回ったため菊花賞は1番人気。しかし発走直後に落馬するというアクシデントに見舞われてしまいました。汚名返上を目指してジャパンカップ,有馬記念に出走するもそれぞれ8着,6着。歯車の噛み合わない秋シーズンとなってしまいました。
 年明けは京都記念から阪神大賞典。しかしこれも5,4着とクラシックホースとしてはやや物足りない成績。天皇賞を目指していたわけですがここから長期の休養に入りようやく復帰できたのは翌年秋の朝日チャレンジカップ。ここで11着と大敗を喫し,結果的にこれが最後のレースとなりました。
 クラシックホースですが,はっきり一流といえるだけの成績を残すことができなかったのもまた事実。したがって種牡馬生活は厳しいものになりますが,その中でキスミープリンスが出たというのは,やはりノーリーズンの持っていた素質というのもなかなかのものであったことの証明でしょう。2004年のシンザン記念など重賞2勝のグレイトジャーニーはノーリーズンの弟。また1994年の阪神3歳牝馬ステークスを優勝してJRA賞最優秀2歳牝馬に選出されたヤマニンパラダイスは祖母の姉の娘で同じ一族になります。

 は自分の携帯電話というのは所有していませんでした。ただ,送迎のボランティアをやっていた関係から,このNPO法人から借り受けるという形で持っていました。自宅の介護ベッドに横になった父は,退院してすぐにその電話からあちらこちらに連絡を始めました。使用料金は自分持ちでしたから,この携帯にはボランティア関連だけでなく,多くの友人の番号も登録してあったのです。それでこの日から見舞い客が頻繁に訪れるようになりました。ほとんどは勤務時代の同僚や教え子たちで,父がこうして自宅にいる間は,毎日何人かの見舞い客がやってきました。この数の多さには僕もびっくりしたくらいです。
 一方,父が最後まで通っていた競馬ですが,これに関してはさすがにもう外出はできませんでしたから,この間は僕が代理で買ってきました。もっとも代理といっても,週末にWINS横浜に行くというのは僕の習慣でしたから,ついでといえばついででした。馬券というのは僕の競馬キャリアが始まった頃,あるいは僕自身が本格的に馬券を購入し始めた頃は,窓口にいる人に口頭で番号を伝えるという方式で購入するものでしたが,現在ではマークカードを利用します。マークカードは持ち帰ることが可能でしたから,それを塗ればいいだけの話。こういえば簡単なことで,実際にもそうなのですが,最後は父はマークカードを塗ることもできなくなりまして,僕が口頭で番号を聞いて,僕が塗るということになりました。これはもちろん端的にいえば病気の影響なのですが,あとでお話ししますように,処方された薬の影響というのもあったのではないかと思います。
 頼んでいた訪問医ですが,最初に来たのが12日の月曜日。すでにお察しの方もいらっしゃるかと思いますが,この訪問医もО先生です。よってここからは訪問医のО先生というように表記します。О先生は父を一通り診察し,後で示す薬を処方しました。そしてその後に,父が自身の余命について尋ねました。訪問医のО先生は「はっきりといっていいですか」と,これはどちらかといえば家族に対して確認。「お願いします」といいますと,「1週間から3週間くらいでしょう」という返事でした。つまりみなと赤十字病院のО先生よりもさらに厳しい判断だったわけです。
 父がこれをどのように受け止めたのかは分かりません。ただ,みなと赤十字病院のО先生は,僕たちが告知しないように頼んだこともあり,おそらく父との間で曖昧なやり取りも生じたことがあったのでしょう。訪問医のО先生はそれに比べてはっきりと言ったこともあり,その点では父は訪問医のО先生を信頼したようでした。仕方のない判断ではあったと思うのですが,みなと赤十字病院のО先生には悪いことをしたと今でも思っています。
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