書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

身体性と知能に相関はない

2024年11月28日 01時34分27秒 | 意識論関連
「身体性が知能を作る」という話は著しい欠陥がある

脳性麻痺などで身体の自由が効かない場合に知能が作られないわけではなく

犯罪者の大半は五体満足な健常者であり 一般的なヒトと身体性に違いはないが にも関わらず犯罪という非合理な行動を採ることがあるのは 身体性は知能とは無関係であることの証左である



身体性と知能(脳)の関連性を主張したのは養老孟司であり 養老の論説は論理整合性や論理的根拠に乏しく支離滅裂な衆愚迎合的ペテンに過ぎない

ヒトの大半は「文武両道」などといった何の根拠もない観念に囚われ 柔道の有段者であるプーチンの存在を全く無視しているバカげたデマに他ならない

こうした大衆迎合的な「実証不能の観念(デマ)」にとって都合の良いこじつけこそが養老孟司の「脳化社会」云々の屁理屈であり 「皆さんは電車やバスを使うから脳化している 私は禁煙と書かれた看板の前で煙草を吸うから脳化していない」などという支離滅裂な論説を展開するキチガイである



明らかに支離滅裂な話であっても多数者に「話題」になり著作販売部数に伴う世間的成功だけを根拠にヒトの大半は疑うことや検証することを一切しなくなる



バカであるということは知能が働いていないという意味である

何が正しくて 何が間違いなのかを区別認識できて 初めて知能と言えるのであって 身体性と知能は関係がない



ヒトというのは先天的に主観的に気分が良くなる話をする相手を「頭が良い」と主観的に「思う」傾向があり 養老孟司だのイマヌエル:カントを盲目的に鵜呑みにし 自分の頭で物事の真偽を検証しなくなる先天的な頭の悪さを持っているのである

「人間は叡智界に属している」などという 大衆にとって気分が良くなるような根拠の乏しい幻想を抱きさえすれば 大衆は何も疑わずに鵜呑みにし 100年以上もの永きにわたり「近代哲学の最高峰」などと形容し続けてきたのである



世間では私のことを異端変人扱いしているが 私の論説に対する論理的反証など一切なく 単なる印象操作によって「なかったこと」にしようとはぐらかしているだけである

それは既存の哲学界や生物学界の既得権益や体制の維持を目的とした悪質なはぐらかしに他ならない



*************


人工的に知能が作れるかと言えば 特定能力においてヒトを超えることは簡単である

走る速度が市販のモビリティの方が生身のヒトよりも優れ 力においても重機の方が圧倒的に優れているのと同様 チェスだの将棋だの円周率や素数の算出や記憶容量や速度においてヒトの脳よりも優れているのは当然のことであり こうした特定能力も「知能の一つ」とは言えることは出来ても「人間としての知能」として機能するわけではない

大規模言語モデルも所詮は「正解データ」の多数決で決定しているに過ぎず 学習させている「正解データ」に依存した答えしか導き出すことはできない

MicrosoftのTwitterAIがSNS上の大量のヘイトスピーチを「学習」することでヘイトスピーチに便乗するようになったのも 漫然とSNS上の言語を「正解データ」として学習させた結果であり AIというのはあくまでヒトが「何が正解」なのかを誘導しなければ平気で差別迫害などの非人道的言動もする単純なものである

言動が非人道的であるならば 必然的に行動も非人道的になりうる可能であり 軍事用AIなら「敵」を「学習」させれば殺人も平気で行う

また SNS上の膨大なヘイトスピーチをAIが「学習」してしまう程にヒトという生物は差別排除が好きであることの論証でもある

ヒトという種の生物は 他者と自己との間に順位序列を決定し 「自分よりも下」とみなした相手を攻撃することによって集団組織内部での地位を確保しようとする先天的習性がある

一方で権威とみなして「自分よりも上」とみなした相手の発言には何の疑いも持たずに短絡的に鵜呑みにする習性もある

こうした習性はイヌ科動物に多く見られる「社会性(先天的社会形成習性)」と全く同じものであり 動物の「社会」では差別排除こそが群れ(集団組織)の中において生存や繁殖に有利に働いたことで進化的に研ぎ澄まされてきた本能であり

ロシアで行われたギンギツネの人工繁殖実験においてほんの数世代で多種多様な個体変異が起きるにも関わらず 実際の自然界において均一な見た目や性格のギンギツネしか生息していないのは ギンギツネの群れの中での差別排除による淘汰が常に働いているからに他ならない

少数異端を排除することによって 既存の集団組織の体制や既得権を維持することこそが 生存や繁殖において有利に働くが故に ヒトは簡単に洗脳状態に陥り組織腐敗体制に加担するようになるのである



「多様性が重要」と言いながら 実際には少数異端を差別排除し一切耳を貸さず 多数の認証した権威肩書を盲目的に信用して主観的に安心満足することしかしないのが「ヒトという種の生物」である

だから組織腐敗が蔓延するのである

多様な意見論説の中から 何が正しくて 何が間違いなのかは多数決で決定されるべきものではなく 論理客観的に検証されるべきものである

科学や哲学は多数決ではないのである

民主主義は多数決で決定される「制度」ではあるが 制度手続きが常に正しい結果をもたらしてくれるわけではなく 民主主義制度であっても民衆がバカなら「バカ主義」にしかならない

だからこそ 多くのヒトが「バカではなくなる」必要性がある

バカではなくなるために必要なのは 自分のどこがどのようにバカなのかを自覚認識することであり 

それは主観的に「自分はバカだ」と気分的に落ち込むことでもなければ 自分の頭の悪さを他人の所為にすることでもなく 論理客観的に真偽を検証する冷静な慎重さこそが最も重要である



ヒトというのは「これさえやっときゃ頭が良くなる」的な短絡的で安易な方法論に飛びつき それが本当に正しいのかどうかを客観的に検証することなく盲目的に信奉していれば安心満足感が得られるものである

こうした脳の先天的性質こそがヒトの頭の悪さの根源であり 世界中で蔓延する組織腐敗や洗脳のメカニズム構造である

腐敗組織集団に同調し迎合し忖度し服従することによって 腐敗組織内部での地位権益を得ることを「自分は頭が良い」と倒錯する

これはナチス政権下のユダヤ人絶滅収容所の吏官アドルフ:アイヒマンの行動原理そのものである

差別排除という加害に便乗しておけば 少なくとも被害者側にならずに済む それを「生き残るため」などと称して絶対的正義に掲げるからこそ ヒトは馬鹿げた組織腐敗を傍観放置するようになるのである

被爆者団体という被害者団体がノーベル平和賞をとったが 被害者情報は加害の原因究明や再発防止にはほとんど意味がない

どんなに被害を訴えても プーチンだのネタニヤフといった暴力依存政権には何の効力も働くことはない

プーチンやネタニヤフを「法の下の平等」に基づいて懲罰を与えても何の解決にもならない

それはヒトラーやアイヒマンを死刑にしても残虐な大量虐殺の原因究明や再発防止には一切なっていないのであって

最も重要なのは「刑罰」という報復暴力そのものが本当の原因究明や再発防止にとって最も無意味なものであり 「殴って解決」という短絡的感情(身体性)こそがヒトの暴力性の根源として働いているのである

誰しも「迷惑者は殴りたい」と主観的に「思う」ものである 私とて例外ではない

「思う」という主観や感情そのものは選択不可能であり 「欲望そのものは欲することができない」のが原理である

「欲することができない」ということは そもそも自己による主体的選択ではなく 先天的結果(本能)以上の意味はない

人間としての知能に必要なのは 選択可能性であり 選択可能であるということこそに人間としての「自由」が存在しているのである



生涯を天動説の立証に費やしてきた者が地動説を受け入れられなくなるのは たかが100年にも満たない人生における価値観を恒久絶対的なものとして錯覚するからであり ドーパミンによって作り出される常習性が真理に対する眼を曇らせるのである

幼少期から虐待され続けてきたヒトが自分の子供にまで虐待をするようになるのも メカニズムは同じである

自分をまるで恒久絶対的存在だと倒錯しているからこそ 異論や反論に耳を貸さなくなる

遺伝的進化に目的論をこじつけ続ける頭の悪い生物学研究者共も 「そう教えらえ そう教え続けてきた」というバカげた連鎖を事後正当化するための言い逃れに他ならない

真理(本当のこと)というのは主観的満足安心を得るためのものではない

厳然とそこにある真理を曇りなく認識する「知」に対する純粋な欲求によって 論理客観的安全性に寄与するための学問が科学や哲学である






Ende;
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉山立志

2024年11月13日 13時19分56秒 | 意識論関連

杉山立志(すぎやま りゅうじ:東京農業大学)は

唐辛子は哺乳類に食べられたくなくて辛くなった」などというバカみたいな非科学的説明を未だに続けている

生物の遺伝的進化というものは あくまで自然現象であり 「結果」以上の何ももたらすことはなく たとえ脳がある生物であっても後天的に何を望もうが願おうが呪おうが祈ろうが遺伝的性質に栄養を及ぼすメカニズムは存在していない

ましてや植物が生存や繁殖といった目的に則って自らの遺伝子を選択できるわけもなく 荒唐無稽なデマにしかなっていない

 

 

どうも植物学界隈では未だに遺伝的進化に目的論をこじつける悪しき「伝統文化」がなくならない

東大大学院の修士があろうとも 教えられたことを教えられたまま何の疑いも持たずに鵜呑みにしているバカを研究職に就かせるべきではない

税金の無駄遣いだからだ

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹村政春

2024年11月13日 13時09分12秒 | 意識論関連

DNAの複製には、機密文書をコピーして会議のメンバーに配るのとはまったく質の異なる、壮大な生物学的意味が含まれている。

「増える(あるいは維持する)」という生物の複製の仕方は、たとえ最初に「オリジナル」というものが存在したとしても、つくられるのは決してその「コピー」ではない。オリジナルと同等の「別のオリジナル」が新たにつくられる、そういう複製でなくてはならないのである。


 ↗出典:武村 政春


⇨「生物学的意味」など存在しない 生物やその遺伝的進化はあくまで自然現象であり 結果以上の意味は存在しないからである

生物存在に「意味」だの「目的」をこじつけてしまうからこそ 「ヒトという種の生物」存在そのものにまで「意味があるはずだ」などという根拠のないデマがでっち上げられてしまうのである

独裁腐敗政権内部の者にとっては 独裁者に服従し評価を得ることこそが「使命(意味)」だと倒錯しているのであって 特定の集団組織だけに特異な「意味」や「価値」が存在しているはずだという倒錯は そもそも「生物学的意味」などという誤謬(デマ)に基づいたものである

「ヒトだけが特別」ならば 必然的に「自分達だけが特別」という帰結に陥ることになる

生物進化に意味が存在するのであれば ヒトもまた進化のために生存競争を勝ち抜けなければならず 他者を淘汰することも正当化されてしまうことにもなる

生物進化やヒトという種の生物存在自体は単なる「結果」であり その「結果」に対してどのような選択を行うのかに人間性としての目的の有無が存在するのであり

生物種としての「ヒト」そのものには意味などなく 単なる「結果」でしかない

ヒトが差別や迫害を行うのは 自分達の過剰なまでの生存を追求するからであり 過剰であるがゆえに倒錯した殺戮破壊にまで暴走するのである

ヒトとは先天的にはそういうものである

しかし 後天的にそれが無意味であることを学び 知り 理解することができれば殺戮破壊などという不毛な行為を根絶することも可能である

「タカシくんは 優しい気持ちになりました」的な道徳教育が暴力破壊行為の抑止になると倒錯しているからこそ 暴力破壊がなくならないのである

独裁者や犯罪者に道徳の教科書読ませて改心するかと言えば 断言しよう

「絶対にない」

むしろ道徳の教科書に意味がないことに気づかないバカだからこそ独裁者や犯罪者というバカになるのである

つまり 世の中の大半はバカであり 大量のバカによって独裁や犯罪は生まれるのである

スマホ見ながら自転車や自動車を運転しているバカの多さも その証左である

「ハインリッヒの法則」というのは 大きな事象の影には無数の小さな事象が隠れているという法則である

虐殺破壊や懲罰で何かが解決するという重大な倒錯は 無数の「小さなバカ」によって醸成されるのである

被爆者だけが悲惨なわけではなく 宣戦布告も満足にせずに真珠湾を奇襲された被害もまた悲惨なことに違いはない

死んだ人数や後遺症だけで倫理を問うことはできない

にも関わらず「トロッコ問題」で悩んで倫理の問題だと倒錯しているバカしか世の中にはいないのである

悲惨の度合いや程度を訴えても 暴力破壊の根源的原因究明や再発防止にはならない

 

こうした話は多くのヒトにとって気分の悪い話であり 「信じたくない」話であろう

これは いうなれば人類全体の腐敗に対する内部告発である

黙殺無視した結果 暴力破壊が止まらなくても それは私の責任ではない

 

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

存在の意味

2024年10月15日 12時33分25秒 | 意識論関連

DNAの複製には、機密文書をコピーして会議のメンバーに配るのとはまったく質の異なる、壮大な生物学的意味が含まれている。

「増える(あるいは維持する)」という生物の複製の仕方は、たとえ最初に「オリジナル」というものが存在したとしても、つくられるのは決してその「コピー」ではない。オリジナルと同等の「別のオリジナル」が新たにつくられる、そういう複製でなくてはならないのである。


 ↗出典:武村 政春


⇨「生物学的意味」など存在しない 生物やその遺伝的進化はあくまで自然現象であり 結果以上の意味は存在しないからである

生物存在に「意味」をこじつけてしまうからこそ 「ヒトという種の生物」存在そのものにまで「意味があるはずだ」などという根拠のないデマがでっち上げられてしまうのである

独裁腐敗政権内部の者にとっては 独裁者に服従し評価を得ることこそが「使命(意味)」だと倒錯しているのであって 特定の集団組織だけに特異な「意味」や「価値」が存在しているはずだという倒錯は そもそも「生物学的意味」などという誤謬(デマ)に基づいたものである

「ヒトだけが特別」ならば 必然的に「自分達だけが特別」という帰結に陥ることになる

生物進化に意味が存在するのであれば ヒトもまた進化のために生存競争を勝ち抜けなければならず 他者を淘汰することも正当化されてしまうのである

生物進化やヒトという種の生物存在自体は単なる「結果」であり その「結果」に対してどのような選択を行うのかに人間性としての目的の有無が存在するのであり

生物種としての「ヒト」そのものには意味などなく 単なる「結果」でしかない

ヒトが差別や迫害を行うのは 自分達の過剰なまでの生存を追求するからであり 過剰であるがゆえに逆効果な殺戮破壊にまで暴走するのである

ヒトとは先天的にはそういうものである

しかし 後天的にそれが無意味であることを学び 知り 理解することができれば殺戮破壊などという不毛な行為を根絶することも可能である

「タカシくんは 優しい気持ちになりました」的な道徳教育が暴力破壊行為の抑止になると倒錯しているからこそ 暴力破壊がなくならないのである

独裁者や犯罪者に道徳の教科書読ませて改心するかと言えば 断言しよう 「絶対にない」

むしろ道徳の教科書に意味がないことに気づかないバカだからこそ独裁者や犯罪者というバカになるのである

つまり 世の中の大半はバカであり 大量のバカによって独裁や犯罪は生まれるのである

スマホ見ながら自転車や自動車を運転しているバカの多さも その証左である

「ハインリッヒの法則」というのは 大きな事象の影には無数の小さな事象が隠れているという法則である

虐殺破壊や懲罰で何かが解決するという重大な倒錯は 無数の「小さなバカ」によって醸成されるのである

被爆者だけが悲惨なわけではなく 宣戦布告も満足にせずに真珠湾を奇襲された被害もまた悲惨なことに違いはない

死んだ人数や後遺症だけで倫理を問うことはできない

にも関わらず「トロッコ問題」で悩んで倫理の問題だと倒錯しているバカしか世の中にはいないのである

悲惨の度合いや程度を訴えても 暴力破壊の根源的再発防止にはならない

 

こうした話は多くのヒトにとって気分の悪い話であり 「信じたくない」話であろう

これは いうなれば人類全体の腐敗に対する内部告発である

黙殺無視した結果 暴力破壊が止まらなくても それは私の責任ではない

 

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腐敗の自覚

2024年10月15日 11時27分03秒 | 意識論関連

被害者の話が犯罪や戦争の再発防止になると「思って」いるヒトが多いのだが

それは単なる主観的感動による錯覚であって

犯罪や戦争の再発防止に必要なのは加害者側の話である

津久井やまゆり園虐殺事件においても被害者情報を「再発防止」だとNHKは言い張り情報公開に異常執着したが 国会原発事故調査委員会報告書のどこにも被害者の情報など書かれてなどいないのである

被害者の情報は再発防止には何の意味もないからだ

被団協がノーベル平和賞を獲得したが 被爆者の情報もまた非核化にはほとんど具体的効果がない

そもそも核兵器だけが悲惨なわけではなく あらゆる兵器は全て悲惨な結果をもたらすものであり

プーチンだの金正恩だのといった独裁政権にとって自分達の既得権を保守することだけで頭がいっぱいで被害者の話など「知ったことではない」のである

ここで間違えてはならないのは 独裁者個人に全ての責任があるのではなく 政権組織全体が独裁者のご機嫌取りによって組織内部での評価を優先し 自律的な社会的責任判断を誰もしなくなることによって独裁腐敗政権組織は作り上げられてしまうのである

独裁政権など普遍的に見られるものであり 日本国内においても兵庫県知事体制でも日本大学田中英寿理事体制においても見られたものであり 「ヒトという種の生物」の集団において普遍的に独裁腐敗は起こるものなのであって 民族国籍に関わらずいかなる集団国家においても起きうる危険性を孕んだものである

従って 本当に犯罪や戦争被害の再発防止にとって必要なのは 「ヒトという種の生物」が持つ先天的危険性を認識し 独裁組織腐敗に陥らないようにすることである

そのために必要なのは 組織内部での評価承認を優先して組織の利益を優先せず 組織内部での孤立排除を恐れず 自律的な社会的責任判断をする個人の「意識」である

組織内部の大半が自律的な社会的責任判断をできていれば 内部告発者は孤立や差別排除されずに済むのであって 内部告発者が守られないばかりか組織に対して従順ではない者を差別排除するような組織だからこそ組織に従順なだけの卑劣な者だけへの「蒸留」が生じ 結果的に独裁腐敗政権が出来上がるのである

組織に忠誠忠実であることを ヒトは先天的に「美しい」と安心感を抱き それこそが人間性であるかのように倒錯する習性があるため 組織集団を批判的な者を「敵」とみなして集団攻撃(差別)することを正義だと倒錯する

一旦独裁腐敗政権が出来上がってしまえば 最高責任者にとって気分が良くなる都合の良い情報だけしか誰も言わなくなることで非合理な武力行使へと暴走が始まるのであり これに対して被爆者や被害者の話はほとんど何の効力も持たない

加害者側のこうしたメカニズム構造に向き合わずに被害者の話でいくら主観的に「感動」してもあらゆる組織腐敗に起因する「人災」の根源的再発防止にはならない

 

個人が自律的な社会的責任を負わなくなるのは 自分が属する組織の利益を優先することにより組織内部での評価や報酬を優先するからであり

組織を構成する個人の評価承認欲求中毒こそがあらゆる組織腐敗の根源的原因である

「生きるためには」などと称して個人的生存を最優先してしまえば 誰も自律的な社会的責任など負わなくなるのは必然である

誰も社会的責任を負わない社会で生き続けることを拒否する「意識」こそが人間性でもある

「人が人を殺してはいけない理由」がないのと同時に 「人が人を殺すような社会で生き続ける意味」もまたないのである

「ヒトという種の生物」は 統率的協調性を発揮することによって「大きな力」を発揮することは可能だが  単なる「力の大きさ」は人間性の論証には全くならない

組織内部における利他的行動もまた人間性の論証には全くならない 腐敗組織に「貢献」して何が人間性だよ

ところが生物学者共の多くは先天的社会形成習性に由来する統率協調性や組織内部での利他的行動を論拠に「人間としての社会性」だと言い張り続けているのであり これは動物本能的な社会形成習性としての「社会性」を「人間としての社会性」としてこじつけてきた頭の悪さをはぐらかすための嘘に過ぎない

 

何が嘘で 何が本当なのかを区別理解しないことには「人災」を含めたあらゆる社会問題は解決することはない

「自由意志なぞ存在しない」などと言い張る東京大学の脳生理学者共など論外である コイツらの非論理的な主張を鵜呑みにしている学生やマスコミも結果的に同罪である

戦争被害者や犯罪被害者の「お心に寄り添う」などと称して主観的「感動」を誘うような話に大衆人気が集まるが 主観的に「感動」して満足しても大衆迎合以上の意味はない

 

日本もかつては軍国主義に染まり 亜細亜諸国において蛮行を働いたのであって 戦後に戦犯に罰を与えただけで「なぜ軍国主義に陥ったのか」についての詳細な検証を一切してこなかったのは もはや社会学のみならず政府の怠慢とも言えるものである

ナチス政権においても なぜドイツがナチズムに陥ったのかについての構造原理的な説明はほとんどされていない

加害者側の異常性について論ずることは面倒臭く 非常に回りくどいようにも「見える」かも知れないが どこの国家民族においても生ずる普遍的な「ヒトという種の生物」が持つ先天的本能習性に起因する危険性を自覚認識しないことには加害(人災)を根絶することなどできないのである

 

ヒトの多くは被害者の話で「お涙頂戴」的に気分的満足で何かが解決すると倒錯し

加害者に刑罰を与えて満足するが

この2つの行為には加害のメカニズム構造についての検証が全く欠けているのであり だからこそ懲役刑の再販率は50%にも及ぶ無駄なものでもある

司法制度によって「懲役○年」などと決定したところで 服役囚が治って(更生)していようがいまいが年数だけで出所させてしまう現状の刑法制度には 本質的な犯罪の原因究明と再発防止の手順が一切含まれていないのである

判事が決定した懲役年数を経過した後 出所後に被害が出ても判事はもちろんのこと 司法役人の誰も責任の所在などない

恐ろしいことに 出所後の更生は「社会の責任」などと称して民間に責任を丸投げしてくる無責任さを 国民の誰も疑問には「思わ」ない

なぜ「思わ」ないのかと言えば 国家政府のやることには疑問を持たない従順さや忠誠忠実さを国民が発揮しているからである

ヒトは集団になるとバカになる

多数が「思わ」ないことなら それこそが「正常」だという主観的感覚があるからこそ 独裁腐敗政権は作り出されるのである

子供のイジメにおいても 兵庫県庁や日本大学の独裁腐敗においても 「怖い相手に逆らわず 多数派に同調する8割の傍観者」によって組織腐敗は生ずるのであり

「ヒトには先天的に人間性ガー」などという生物学者共のデマで満足しているマスコミや大衆の頭の悪さは結局は「同罪」なのである

言っておくが私は刑法廃止論者であり 罰でどうこうしようとは一切考えていない

間違いを素直に認め 同じような間違いに陥らないように知識財産とする危険学や失敗学のメソッドこそが あらゆる「人災」の再発防止になるのであって 先天的な頭の悪さにいくら罰を与えても意味がない

「過ちて 過ちを認めず これ 本当の過ち」

ヒトの脳には可塑性があり かつて地動説を火炙りにしていたヒトが 今では天動説を笑っているのである

バカ共はすぐに「時代ガー」だの「文化ガー」などと言い逃れやはぐらかしをしだすが 時代だの文化というものは多数によって作り出された「空気(雰囲気)」の産物に過ぎず 実体などない

実存しないものに惑わされているから「バカ」なのである

論理的に検証して 何が真実なのかを区別できれば あらゆる実体のないデマや嘘は駆逐可能である

単に学力偏差値が高く 教えられたことを漫然と鵜呑みにするだけのバカに権力を与えるから バカげた独裁腐敗組織が出来上がってしまうのである

時速100km/h以上の速度超過で事故を起こしていながらも「制御できていないとは言えない」などと称して危険運転致死傷罪を適用しない検察だの

馬乗りになって包丁で何度も刺しているにも関わらず 「殺意がないから傷害致死」だと言い張る非常識な検察官がいなくならないのは 学力偏差値が高いだけ(若しくは記憶力が良いだけ)で自律的には何も考えられないバカが検察官に採用されているからである

誰が本当のバカなのか それを認識できないのも バカだからである

そりゃ戦争も虐殺もなくなんねぇよ

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真偽の判定

2024年08月19日 11時41分43秒 | 意識論関連

ヒトはなぜ独裁に陥るのか

その根源的原因は「個人が自律的に社会的責任を負わずに権威に服従忖度する多数に迎合同調するから」である

さらに その原因とは ヒトという種の生物は権威に服従することこそが主観的に安心満足する先天的本能習性にある

ヒトに限らず「社会性」を持った脳を持つ生物は主観的に怖い相手に逆らわず 命令のままに服従することが生存や繁殖の継続にとって有利に働いた結果的適応進化したからである

脳内ホルモンであるオキシトシンは 仲間や家族に対する絆や安心を促すと同時に 仲間以外に対する差別排除感情をも促すように大脳辺縁系に先天的本能として組み込まれている

そういう情動本能を持った個体種への淘汰圧力が働いた結果であり 遺伝的進化というものはあくまで「死なずに生き残った」個体種への収斂という結果以上の何ももたらすことはなく いくら戦争の悲惨さを語り継いでも戦争をしないようにヒトが進化する淘汰圧力など存在しないからこそ 未だにヒトは殺し合いを繰り返し続けているのである

 

頭の悪い多くのヒトは 独裁や組織腐敗の原因というものが古典的書物から見いだせるものだと倒錯しているが 原因が既にわかっていれば戦争なんぞ起きないのであり 最も根源的な原因とはヒトの先天的本能習性に起因し 決して都合よく「戦争をしないように進化する」ことなどないことを誰も理解していない

独裁や組織腐敗が起きると ヒトの大半はトップの責任だけしか言及したがらず 日大の組織腐敗においても「組織は頭から腐る」などと称して理事長周辺だけに責任を押し付けて組織に属していた個人には責任がないかのようにはぐらかす

東京電力福島第一原子力発電所においても「組織の体質ガー」などといったはぐらかしが横行したが そもそも「組織の体質」というものが組織を構成する個人によって情勢されるものであることから目を背けるための屁理屈にしかなっていない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」といった話に論理的根拠や証拠や証明が何もないカントの勝手な妄想に過ぎない話に100年以上誰も「哲学権威」性に誰も疑うことをしない盲目的服従性が働いているからに他ならない

そもそも「理性を超越」している時点で論理的根拠や証拠を放棄しており もはや「真理を追求する」という哲学の大原則すら逸脱していることを誰も言及していないのである

これは「バカ」としか名状し難い人類全体の大失態である

 

ヒトという種の生物は 主観的に安心満足できる話ばかりを信用したがる習性があり

多数派や 多数派によって承認された権威の話ばかりを盲目的に鵜呑みにし 自律的に「それはなぜ そう言えるのか」といった哲学や科学の最も基本的な論理的思考というものを働かせようとはしないものである

現状の「哲学者」共は やたらと「答えを出してはいけない」などと主張したがるが この主張には論理客観的根拠は一切なく ただ「哲学者」共が既存の権威性や既得権益を維持保守するためのはぐらかしにしかなっておらず

「論理的な真偽の判定」という哲学の最も根源的役割すら放棄し 根拠のない既存の妄想すらも「哲学」として維持温存し続けるためのはぐらかしに他ならない

 

戦争がなくならない原因とは プーチンやネタニヤフだけが問題なのではなく それら独裁政権を支える多数の組織構成者個人の無責任の集積であり また こうした無責任性の原因というものに真摯に向き合わない大多数の衆愚による哲学界や進化生物学会の組織腐敗の放置も同罪である

 

ヒトの多くは被害の悲惨さを語り継げば加害がなくなると錯覚しているが 原発事故や虐殺事件などの「人災」の原因は被害者にはない

国会原発事故調査委員会報告書のどこにも「被害者の情報」など記されておらず 加害者側 「失敗者」側の失敗例こそが本当の「原因究明」になるのであって それは戦争や犯罪においても何ら違いはない

ここで勘違いしてはならないのは 失敗者の主張を鵜呑みにしてはならないということである

日大の組織腐敗において「組織は頭から腐る」だの 東京電力福島第一原子力発電所において「組織の体質ガー」といった組織のトップだけに責任をなすりつけ 組織を構成している個人の「意識」をはぐらかす言説の方が圧倒的に多いからである

これは他人事ではない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を100年以上も「哲学」だと倒錯し続けてきたのは 「哲学者」共の肩書権威性に逆らおうとしない大多数の高学歴なだけの愚民によって温存されてきたものであるからだ

フリードリヒ:ニーチェなんぞ論外である その内容はほとんど全てニーチェの主観的「感想」であって ただの個人的好き嫌いの多数決だけで「哲学」だと倒錯され続けてきたに過ぎない

「できそうにないことは やらない方が良い」などという言説は 「できそうにない」かどうかという主観的判断に基づいたものであって 何一つ論理客観的根拠や証拠を伴わぬ「怠惰怠慢のための言い逃れ」に利用され続けてきた

怠惰怠慢を唆されて鵜呑みにしたのも 「哲学」という権威性への盲目的服従性による主観的安心を優先するヒトの本能習性に起因するものである

「哲学書」をいくら読み漁ってもデマや詐欺に騙されなくなることなどない

そもそも現状の「哲学書」の大半はデマや風説や倒錯でしかないからだ

そして何より 進化生物学における「生存戦略」などという大誤謬を認識しないからこそ 「ヒトは進化する」などという科学的には何の根拠もないデマもなくならず 「進化的に平和を求めるようになる」などという大嘘を学力偏差値が高いだけのバカ共が誰も言及しないからこそ 戦争を含めたあらゆる「人災」の論理客観的な根源的原因究明が進まないのである

 

生物の遺伝的進化には「目的」などない

「目的」のないものに「戦略」など当てはまらない

従って「生存戦略」という概念は全て嘘 若しくは誤謬(大間違い)であり

「結果」的に絶滅せずに現存している生物種だけを「生物」と分類しているだけであって「生き残れたから頭が良い」訳でもなんでもなく 「絶滅しなかった」という「結果」以上の何も遺伝的進化のアルゴリズムには働かないのである

遺伝的進化というものは チャールズ:ダーウィンが主張するように「自然現象」であって ヒトなどの個体にとっても 人類全体にとっても都合よく働くようなものでは決してない

遺伝的進化というものは あくまで過酷な自然界における強力な淘汰圧力の下において生ずる「結果」であって 何度戦争を繰り返しても むしろ「より凶暴な人種への品種改良」への淘汰圧力としてしか働くことはない

「日本が79年間戦争をしていない」のは 単なる地政学的要因によるものであって 80年前には「鬼畜米英」「1億玉砕」を鵜呑みにしていた凶暴性も持っているのである

そして こうした凶暴性というものは 未だに他の国では発揮されており 人種や民族や国籍に限らず「ヒト」という種の生物全般に普遍的に存在している先天性の認知的欠陥に因るものである

 

こうした「先天的本能習性」の話をすると バカはすぐに「先天的本能なら逆らえない」などと言い出すのだが 「殴りたいと主観的に思ったから 殴る以外の選択肢など存在しない」と言っているのと同義であり 「意志薄弱なバカの主張」でしかない

東京大学の脳科学研究者が「自由意志など存在しない」などと主張しているのも 奴らが承認欲求中毒に侵されていて「褒めて貰えないと誰も科学なんぞしない」などと主張しているのも証拠である

科学というものは他人からの評価承認に依らずに 純粋に真理真実を見極めたいという好奇心から探求されるものであって 大多数がバカで誰も理解できようができまいが関係がないのである

ガリレオ・ガリレイが火炙りにされそうになってでも「それでも地球は回っている」と主張したのは それこそが科学的真理だからである

「今の科学は進んでいるので 間違った論説なんぞ一切学術権威の主張にはないはずだ」と 多くの愚民やマスコミは主観的に「思って」いるが

そう主観的な「思い込み」こそが生物学界や哲学界のデマ誤謬を傍観放置し 組織腐敗の温存を助長しているのである

 


戦争がなくならないのは 何が真実で何が間違いなのかを誰も区別していないからである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

可読性の悪さは自慢にならない

2024年08月09日 11時19分57秒 | 意識論関連

NHK高校講座(数学)で対数の話をしておったんだが

指数でも表現可能な値をわざわざ対数で表現して計算するというのはプログラミング言語的に見て「可読性」が悪すぎて嫌がらせとしか思えない

わざわざ可読性を悪化させておいて難解にすることが「頭が良い」わけではない

一方 他の学科では「わかりやすくすること」が求められるにも関わらず 数学だけはあえて難解な表現を求めることで成績評価とするのは そもそもおかしな話である

プログラミングでも対数などの数学関数を用いることはあるものの 関数として中身は隠蔽されており 使い方だけわかっていれば良いのであって 数学が得意でも論理思考の成立しないバカは多いものである

スマートフォンを使うためにCPUの動作原理を知る必要はないし 自動車を運転するのにエンジンの構造を知る必要もない

逆にいえば「水道の蛇口に輪ゴムをかけてはいけない」とか 「自転車のチェーンには注油が必要」といった実用的知識は学校ではあまり教えない

数学関数についても その内部動作を知っているかどうかはプログラムを組む上においてあまり重要ではない

が どの関数をどう用いるかにおいては論理思考は必要であり 後から自分や他人が読んだ際に読みやすいかどうかの方が重要である

MicrosoftWindows11で未だに画面セパレーターが動かなくなるという Windows95時代からのバグが継承され続けているのは Microsoftのエンジニアが可読性の悪いAPIを作ったのが原因であろう

多分

しらんけど

地下鉄に毒ガスを撒き散らした東大医学部の学生も さぞかし数学が得意だったに違いない

「数学が得意なら論理思考ができる」と思っているバカが多いものだが 数学の成績が良い者が進化生物学上の重大で根本的な誤謬を指摘したことはないし 哲学における根拠のない主張に指摘したこともない

記憶力が良ければ 「解き方」も大量に憶えることは可能であり 解答速度もさぞかし「速く」なるであろうが それは「教えられたこと」という既知の知識を「教えられたとおり」に答える能力を測っているに過ぎず

「誰からも教えられていないこと」に気づく本質的知能とは全く無関係な基準に過ぎない

高校数学レベルでも論じることは可能とも言われたアインシュタインの相対性理論の思考能力については 学力偏差値では全く測ることはできなかったのである

未知の知見に関して 後から「大したことはない」と揶揄するのは簡単だが その「大したことはない」ことにすら気づかない頭の悪さを自覚すべきである

これらを踏まえても 学力偏差値というものは本質的知能とは無関係であることが「立証」されているのである

 

とはいえ 別に「学校の勉強なんぞしなくても良い」と言っているわけではなく 「学力偏差値を他者と比較して順位序列をつけること」に意味がないと言っているのである

重要なのは 生徒個人が「自分の得手不得手を知る」ことであり 学力偏差値に現れない比較不能な個人の能力においては比較そのものが全く無意味なのである

わざわざ難解な表現を強要して生徒同士の順位序列をつけても「頭が良くなる」わけでも「社会の役に立つ」わけでもない

そのこと自体に「気づかない」時点で 「教育者」と分類されている「お受験ビジネス利権者」共によって学問が独占(汚染)されていると言えるのである

学問というものは社会の役に立つことが目的であって 就職や金儲けに有利になるための利己的利益や社会的序列のためにあるわけではない

そこにいつ気づくの? 今でしょ

下手すりゃ手遅れかもね

知らんけど

 

應大学出身でありながら東大出身者に「イジメ」をするようなバカがいなくならないのは 「学力=知能」だという論理的根拠の伴わない大衆観念に誰も気づかないバカしかいないのが根本原因である

慶応大学を卒業できてもイジメという重大な社会問題に全く意識が働かないバカなのでは そりゃ学校でのイジメがなくならないのは必然というものである

イジメという差別に意識が働かないからこそ パレスチナやウクライナでの虐殺も起こるのであって

物事の根源的原因について論理的に理解する知能が誰にも働いていないからこそ人類はバカが治らない

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年06月23日 21時55分53秒 | 意識論関連

ヒトが二足歩行に進化したことで、狭くなった産道によってより未熟な子供を産むようになったことで「絆」だの「男同士の諍いが減った」などというのはご都合主義的なこじつけに過ぎない

「絆」を促すオキシトシンは、家族や集団との「絆」を促すのと同時に。他の家族や集団に対する不信感や拒絶、差別感情をも促すものであり。むしろ集団同士での諍いを促す原因とも言える

個人同士での諍いに比べ、集団同士の諍いの方がより大規模過することも考えられ。国家同士での戦争では、「軍隊」という兵士個人の主体的意志選択を一切排除した盲目的服従による「洗脳」状態になるのも、ヒト特有の習性である。

自分が所属する国家の軍事的優位には安心感を抱くが、他国や敵対国から見れば恐怖や不信感を抱くのは当たり前のことである。

相手集団への配慮を喪失するのは、主観的「安心」を優先してしまうからであり。先天的本能習性が「諍いを減らす」などという都合の良い「進化」が生ずるプロセスや淘汰圧力は存在しない。

 

性欲が短絡的に「絆」を促すとは言えず、幼女強姦して殺害する事例などからも性的行動が「絆」とは無関係であると言える。

生物学者共は、あたかも「ヒト」という種の生物が人間性にとって都合の良い進化が促されたかのようなこじつけをしたがるのだが。これらは全て大衆からの人気を得るためのデマであって。科学を騙った悪質な詐欺行為である。

こうしたデマをマスコミが鵜呑みにするから戦争や犯罪の根源的原因の究明が滞ることに陥っているのであり。論理的検証をすっ飛ばして学術権威の主張を短絡的に鵜呑みにして垂れ流すことも同罪である。

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生物学者は論理思考ができないらしい

2024年05月14日 11時11分43秒 | 意識論関連

小形化の法則は草食動物であるシカが好んで食べる種にのみ当てはまっており、ミニチュア植物の進化は、シカの採食圧から逃れるためだった

 出典:↗東北大学

 

 ⇨「シカの採食圧から逃れるため」といった目的に則った進化を選べるわけではない

食採圧によって大きな変異種から淘汰された結果であって「逃れるため(目的のため)」に植物が自主的に自らの遺伝子変異を選べるメカニズムなどない

どうも植物学系研究者に論理的理解能力の欠如したバカが多いらしい

大変面倒くさい

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺伝的進化に「目的」や「生存戦略」が介在する余地はない

2024年05月13日 00時32分53秒 | 意識論関連

あらゆる生物は皆「自分の遺伝子を多く残したい」という本能を備えています。(大石航樹)

 出典:ナゾロジー

本能というのは単なる行動バイアスに過ぎず 「遺伝子を残したい」といった目的があるわけではなく 本能的行動バイアスの結果が遺伝子を残すのに有利に働いたに過ぎない

先天的本能習性が何の役にも立たないことは珍しいものではなく ヒトが繁殖能力もない幼女を犯して殺害する事件が時折発生するが 本能習性として行動しているが何ら繁殖や種の存続にも意味がない

あくまで繁殖の継続に適応した個体種が生き残った「結果」であり「遺伝的進化には目的がない」のであって 遺伝的進化に目的をこじつけるのは科学的誤謬である

生物学者共の大半は遺伝的進化に合目的的こじつけや「生存戦略」概念に何の疑問も持たずに鵜呑みにしてきたバカしかいないため 今更「進化に目的はない」という科学的事実を認めてしまうと既得権益や権威性を喪失するリスクを避けるために 漫然と「生存戦略」概念を主張し続けているのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学を信じないヒトたち

2024年05月12日 23時16分26秒 | 意識論関連

ヒトという生物は権威と見なした相手の言う内容には一切の疑いを持たずに短絡的に鵜呑みにする先天的習性がある

これはヒトが統率的協調性を発揮する上において進化的に組み込まれた行動バイアスであり

山極寿一による論理客観的な根拠のない決めつけを鵜呑みにするのも

養老孟司による「脳化社会」云々のデマをマスコミも含めた大多数の日本人が有益な話であるかのように倒錯したのも

日大の組織腐敗 東電福島第一原子力発電所の無責任体質も あらゆる組織腐敗のメカニズム構造は一緒である

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統一覚」だの「叡智界」などという話も 何せ「理性を超越」したと言い張ることによって論理客観的根拠も無く 何の信憑性も合理性も実効性もないカントのお伽噺を現状の「哲学者」共は鵜呑みにしていたデクノボウであり それら「哲学者」という権威肩書の主張を鵜呑みにしていた大卒者共やマスコミもデクノボウであることにおいて同罪である

どんなに長い間(カントにおいては100年を超える)誰も批判していないからと言って それが「正常」であることの論拠には一切ならない

養老孟司の主張を鵜呑みにしていたNHKを含むあらゆるマスコミや出版社も 「出せば売れる」という金儲けの論理だけで盲目的に養老の著作を出版し続け 販売部数だけを目的としてあらゆる養老への批判を無視し続けるという極めて無責任なことをやめない

澤口俊之だの茂木健一郎だのといった「脳科学研究者」共もこぞって「養老先生は素晴らしい」などと評価し 東大脳科学研究者共は「自由意思など存在しない」などという荒唐無稽なデマを主張し これらをNHKを含めたマスコミ各社も短絡的に鵜呑みにし 誰一人として自分の頭で検証してこなかったのである

こうしたマスコミ各社の頭の悪さを「なかったこと」にするために 養老孟司に賛同してきた膨大なバカ共は養老孟司の主張に論理的根拠が一切ない不都合な事実には触れないことによって 己の頭の悪さを隠蔽し既得権に居座り続けるという社会的不義理を平気で続けているのである

 


戦争がなぜ起こるのか

それは閉鎖的な独裁による組織腐敗が共通原因である

戦争というのは国家政府という組織が起こすものだからである

なぜ独裁による組織腐敗が生ずるのかと言えば 組織を構成する個人が組織腐敗を組織腐敗として自覚しないからであり 自分が属する組織の権威と見なした相手に疑いを持たずに盲目的に信奉し迎合同調忖度服従してしまうからである

冒頭でも述べたように ヒトという種の生物は先天的に権威と見なした相手の主張を盲目的に信頼し 信頼しておくことこそが主観的に安心であるような先天的思考バイアスを持ってるが故に組織腐敗は生じるのである

ヒトの多くは組織腐敗は独裁を行うトップに全責任があるかのように倒錯するが そもそも組織腐敗が組織腐敗として成立するのは 腐敗した組織を支える多数の個人が存在しているからであり 日大の職員のように「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任転嫁する屁理屈こそが あらゆる組織腐敗の根源的原因の撹乱となっているのである

 

また ヒトという種の生物は反社会的犯罪などに対して 懲罰などの報復こそが唯一最大の「再発防止策」だと倒錯するが これもまたヒトという種の生物における重大な認知的欠陥に由来する

自然界においては 暴力によって相手に恐怖心を与えることが危険回避において有効であるため 一方的な暴力的抑圧が最も主観的に安心満足感を得られるように「進化」したためである

ヒトは誰しも迷惑行為をされれば暴力的報復感情が働く傾向があり 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖被告に対して梅沢富美男は「裁判など金の無駄だ 死刑にしてしまえ」と主張し 多くの衆愚から人気を集めていたことからも 短絡的に報復的懲罰こそが最大の「解決策」だと倒錯するものなのである

 

「ひょっこり男」こと成島明彦容疑者は実刑判決を受けたにも関わらず再犯しているが 成島に限らず実刑服役者の凡そ半数は再犯しており 懲罰というものは再犯防止に効果が希薄であり 逆にノルウェーの「リゾート刑務所」では再犯率が著しく低下しているのである

元刑務官の証言では「実刑服役者の6割は幼児期からの苛烈な虐待を受けていた」という

京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告も幼児期から虐待を受けていたという

虐待などの抑圧環境で育つことによって 暴力的抑圧こそが唯一最大の有効な手段であるという主観的(動物的)感覚が優先し 迷惑行為を優先するバカに育つのである

ヒトはそもそも先天的に暴力で物事を解決しようとする習性があるため これが養育環境の影響によって より理性が働かなくなり非合理な迷惑行為に固執するようにもなるのである

 

腐敗政権が戦争という非合理な暴力に頼るのも 理性よりも身勝手な安心満足を優先するからである

すなはち

○懲罰暴力による抑圧を最大の解決策だと倒錯する先天的習性

○権威と見なした相手に盲目的に信頼し 同調忖度服従する先天的習性によって 組織腐敗を傍観放置する無意識性

この2つの先天的習性によって暴力的独裁組織が構築されてしまうことで戦争は起こるのである

 


法学者共は「法の下の平等」を主張したがるが 法律などというものは政権においては都合の良いこじつけも可能な「手続き」に過ぎない

中国政府による国家安全法によって民主化運動の抑圧も可能となり プーチン政権やミャンマー軍事政権でも民衆抑圧や虐殺に都合の良い法律をでっち上げることは簡単である

再犯率50%の刑法懲罰という再犯防止に実効性の低い「刑法」という手続きが優先され 犯罪や事故の根源的原因究明が後回しにされるのであり

危険学や失敗学において「刑法手続きを一時停止」するのは 刑法手続きが事故の原因究明において邪魔だからに他ならない

それは犯罪においても同じことであり 何が原因で自律的な社会的責任判断を放棄し 身勝手な感情や欲望が行動を支配してしまうのかについての原因究明と再発防止を優先すべきなのである

何人通り魔やテロリストを死刑にしても 通り魔事件やテロ事件はなくならないのは 「懲罰で解決した」というヒトの先天的な錯覚によって 根源的原因究明がされないからである

いかなる事象においても 原因がわからないものは再発防止にはならない

「科学を信じている」のであれば 原因究明を優先しないのはおかしな話である

実証不能の「叡智界」だの「道徳律」を論理的根拠もなしに盲目的に信奉して満足しているバカしかいないから「哲学者」や生物学者共のデマに撹乱されて真実を見損なっているのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所ジョージもヤキが回ったらしい

2024年05月11日 22時49分08秒 | 意識論関連

山極寿一が未だに「ゴリラから学ぶ」だとか言っているが

話の内容に論理的具体性が一切なく

何の応用性も実効性も伴わない

ゴリラに頭囓られて大怪我しているにも関わらず 一体どこが「ゴリラは平和主義」なのか全く理解できない

「優しい気持ち」的に小学校の道徳教育みたいな話が何かの役に立つと倒錯しているバカが多すぎるから山極のデマを誰も見抜けない

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

破綻の責任

2024年03月09日 00時24分45秒 | 意識論関連

哲学の目的は 真理(本当のこと)を見極めることである

これは科学も含めて大前提である

 

「考える」とは 論理客観的に「正しいこと」の積み重ねによってより高次の真理を導き出すことである

しかし 「考えた」からといって必ずしも客観的真偽の判定が可能とは限らない

論理客観的に真偽の判定ができないのであれば それは「わからない」と答えを保留する姿勢も必要である

ところが ヒトというのは「わからないこと」を「わからないこと」として素直に受け入れることが主観的(感情的)に嫌なので 論理客観的には根拠がない勝手な決めつけによって無理やり「答え」をでっち上げてデマや嘘を信じようとする習性がある

だから科学や哲学の考え方というものが必要となるのである

 

現状のバカな哲学者共というのは 「答えを出してはいけない」などと言い出すが これも明らかにおかしな話である

哲学で「答えを出してはいけない」ことの論理客観的な根拠や証拠は何もないからだ

物事を論理客観的に「考える」というのは あくまで「答えがある」可能性に基づいて行われるのであって 「答えがない」ことが論理客観的に証明されている命題であるならば それは最初から「考える」必要のないものである

「答えがあるかどうかがわからない命題」であるならば それは考える価値はあるが 大抵のヒトというのは「答えがあるかどうかがわからない命題」を考えるのが面倒なので考えようともしなくなる性質がある

有名国立大学の哲学科教授が「答えを出してはいけない」と言ったからといって 「答えを出してはいけない」ことの論理客観的な根拠や証拠は一切なく 盲目的に「哲学科権威がそう言っているから」と「哲学とはそういうものだ」と盲目的に鵜呑みにし 哲学や科学における最も大切な「問い」や素朴な疑問としての「なぜ」という「考え」を簡単に放棄してしまう先天的な認知上の重大な欠陥を ヒトという種の生物は持っているのである

「答えに辿り着けなくても良い」と言うことはできるが 「答えを出してはいけない」ことにはならない

「答え」があるかどうかがわからない命題の場合 「答え」を導き出すことが可能であるなら導き出して構わない

ただし あくまで主観的「決めつけ」ではなく 論理客観的に欠落のないことが前提である

現状の哲学界というのは 「答えを出してはいけない」などという荒唐無稽なデマをでっち上げることによって 物事の真偽判定すらも放棄し イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における実証不能の「悟性」だの「叡智界」といった論理客観的には何の根拠も証拠もないオカルト話すらも「哲学」として取り扱うという極めて無責任なことを続けているペテン師の集まりである

物事の真偽判定は一つの「答え」である

そもそも科学や哲学というのは「真理(本当のこと)」か それとも論理客観的には根拠がない嘘や間違いなのかを見極めるためのものであり 論理客観的に何の根拠も証拠もなしに「答えを出してはいけない」と哲学科権威に言われたからといって それが本当に哲学なのかどうかを考えなくて良いわけではない

「考えない」時点で 既に哲学を逸脱していることには 多くのヒトは気付くことすらできないバカなのである

 

マイケル:サンデルの「トロッコ問題」には 最初から倫理が含まれていないにも関わらず 主観的(気分的)に「悩ましい」ために ヒトの多くは「どこかに倫理的な正解があるのではないか」と無駄に考えようとしてしまい そもそも倫理的根拠の何もない命題であるにも関わらず無駄に「答え」を追い求めようとしてしまい その主観的な「悩み」を「考え」だと錯覚し 「自分は頭を使った」と倒錯して満足する

その上 ついでにサンデルの講義によって「自分の頭が良くなった」と錯覚してサンデルを主観的に「好き」なり 益々盲目的信奉に陥るのである

サンデルから提供されたルールの中だけで何かを「考えた」つもりになっているが サンデルが提供している命題そのものに最初から倫理が含まれていないことには誰も「考え」が及ばない

サンデルは「トロッコ問題」の講義をする際に 冒頭で「正義や倫理の話をしよう」と宣言しており この時点でサンデルは既に「嘘」をついているのである

この「嘘」に対して 偏差値が高いだけのバカ学生共のほぼ全員は誰も気付くことができないバカなのである

念の為に言っておくが 「トロッコ問題」には論理客観的な倫理も正義も存在しておらず ただ主観的に「悩ましい」だけで倫理的には何の結論にも到達不可能な命題である

 

ヒトというのは権威序列に思考を抑制され 簡単に嘘や間違いを鵜呑みにしてしまう認知上の重大な欠陥を先天的に持っているのであり スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)において大多数のヒトが権威の命令に従って他人に危害を加えてしまう結果も実証されている

振り込め詐欺などの「特殊詐欺」においても こうした権威に対する盲目的服従性が利用され やれ「裁判所」だの「警察」だの「弁護士」だの名のりさえすれば大抵のヒトは指示されたことに唯々諾々と従ってしまうものなのである

嘘やデマに騙されないために必要なのが論理客観的に「考える」ことであり 科学や哲学というのはそのためのスキルである

 

「自分には先天的な頭の悪さがあって 騙されるかも知れない」と「思う」ことが主観的に不安な場合に 「それなら物事の一つ一つを丁寧に 主観的感情に流されることなく冷静に論理客観的に検証するようにしよう」とはならず 目先の主観的な不安を取り除くことを優先して「自分はバカではないから 決して騙されたりはしないはずだ」と主観的に「思いこむ」ための様々な言い逃れを積み重ねることによって 騙される危険性から目を背け 「なかった」ことにして安心満足することで忘れようとする

山口大学の小川仁志にように 真偽の判定など一切することなく古典的に「哲学」とみなされている著作からご都合主義的な「解釈」をこじつけ 主観的な「悩み」を解消して人気を得ているペテン師も多い

ヒトの大半は主観的な「不安」や「悩み」と 論理客観的な「考え」との区別がつかない

これもまたヒトという種の生物における重大な認知的欠陥によるものである

主観的な「不安」や「悩み」をいくら解消しても 論理客観的には何の「答え」にも「解決」なることはない

フリードリヒ:ニーチェはこう述べた「できそうにないことは やらない方が良い」と

「できそう」かどうかは個人によって異なる主観に過ぎず 論理客観的に「できない」ことの根拠や証拠には一切ならない

東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を上司に訴えても「できそうにない」からといって「やらない方が良い」などという無責任な話にはならない

NASAのスペースシャトル「チャレンジャー号」の補助推進エンジンのOリングが低温によって機能を失い爆発の危険性があることを 発射責任者にいくら訴えてもきき入れてもらえそうにないからといって「やらない方が良い」などという話にもならない

どうにでも都合よく解釈可能なニーチェの言説を 主観的に安心満足できるだけの話を「哲学」だと倒錯するのは無責任にも程がある

 

卑怯な哲学者共はこうも述べる 「哲学には好き嫌いがあります」と

「好き嫌い」そのものが主観であって 論理客観的な真偽の判定とは全く無関係な話であり 何ら真偽の判定という「答え」すらも放棄するための屁理屈であっても 「哲学者」という肩書(権威)さえあればヒトは簡単に鵜呑みにし 「論理客観的な真偽の判定」すらも放棄し また それを放棄している無責任さすらも意識から逸らすことで現状の哲学界の腐敗すらも撹乱しているのである

私からすれば 騙されている方もまた「同罪」であり バカであることにおいて何の違いもない

 

私は決して「天才」ではない

ただ 疑うことを忘れないだけであり 権威を疑うことに対する根拠のない罪悪感に鈍感なだけであろう

教えれられば大多数のヒトが嘘だと気付ける話である以上 そもそも私以外が誰も「考え」ていなかったという頭の悪さの証明であり

その先天的な頭の悪さというものを認識し 各々が自分の頭で物事の真偽を判定することを忘れないことが重要である

小川仁志のように主観的な「悩み」や「不安」を解消することで主観的に安心満足して何の疑いも持たなくなるように誘導する卑劣なバカ「哲学者」は多い

バカが多いからといってバカが正当化できるわけでもなく 先天的な頭の悪さだからといって克服しなくても良い理由にもならない

バカしかいない社会が破綻するのは必然である

バカが多すぎて社会が破綻するのは私の責任の範疇ではない

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検証を忘れるからバカになる

2024年03月04日 01時04分33秒 | 意識論関連

現状の哲学界においては哲学者共は「答えを求めてはいけない」と論じている

それは「答えのない問題について考えることが哲学だからだ」と言うのだ

例えば 「人間とは何か」という問いには「答えがない」ので 「答えを出してはいけない」という屁理屈である

果たして「人間とは何か」という問いには本当に「答えがない」と言えるのであろうか?

現状の哲学者共が主張するように「絶対に答えが存在しない」ことの論理客観的証明のようなものが存在するのであろうか?

科学や哲学というものは 真理(本当のこと)を見極める学問である そのために「考え」「検証」することこそが重要であって 現状の哲学者共が「答えはない」と言ったからといって鵜呑みにすることは断じて「哲学」とは言えない

「人間とは何か」その究極の答えが存在するのか否かに関わらず 「答えはない」「答えは絶対に存在しない」と断言した時点で それは既に一つの「根拠のない答え(一方的な決めつけ)」になってしまうのであり そこに論理客観的根拠や証拠がない以上は現状哲学者共によるデマに過ぎない

「答え」はあるかも知れない だからこそ考え検証する意義があるのであって 「答えはない」などと根拠も証拠もなく決めつけてしまえば哲学でも科学でもなくなる

究極の答えには辿りつけないとしても 近づくことは可能である その近づく過程こそが科学や哲学の役割であって 「答えはない」などと称して言葉遊びに興じることは哲学とは言えないのである

 

ユークリッド幾何学は 地上に建築物などを建設する上においては「正解」である

建築に非ユークリッド幾何学を用いることは そもそも不可能である

しかし 天文学においては空間の歪みを考慮に入れずに説明することは不可能になり 宇宙観測機の運行においても必要不可欠なものでもある

量子力学においても日常生活とはかけ離れた理論を用いずに説明することは不可能になってきている

 

哲学においても 「人間とは何か」についての実用的な「答え」は必要である それは社会安全性や持続可能性において最も重要な基礎的解答だからである

では なぜ安全性や持続可能性が要るのか?

それは 子供たちに社会を受け継ぐためである

では どうせ数十億年後には太陽が寿命を迎えて地球上からあらゆる生物が失われることが決定しているにも関わらず「子供たちに社会を受け継ぐ必要性」はあるのか?

数十億年を経る前に 巨大隕石によって人類が絶滅する可能性もある

更に言えば遺伝子編集の技術発展などによって「ヒト」という種の生物そのものの存在意義も絶対ではないし 将来生物としての「ヒト」であり続けることの意義も絶対的なものではない不確実性を持っている

だが これら数千年数億年先の「答え」には辿りつくことは簡単ではないものの 数十年数百年単位においての「答え」として 子供達次世代へと社会を受け継ぐ必要性は異議をはさむ余地などない

建築物の設計において時空間の歪みを考慮に入れる必要性はなく そもそもそんなものを考慮には入れようがないのであり 社会安全性や持続可能性においての有用性を論ずる上においてゲノム編集技術だの太陽の寿命を考慮に入れる必要性はとりあえずない

それは全く次元の異なる話である

それよりも戦争や犯罪の問題を片付けるのが先だからである

哲学ではゲノム編集技術や太陽の寿命について考えることも範疇にはあるものの 今 現状において実用的な「人間とは何か」についての「答え」は必要であり それは決して「答えが存在しないことが証明されているもの」ではないのである

ヒトの大半は先天的にバカなので 有名大学の哲学教授などの肩書権威が「答えはない」だの「答えを求めてはいけない」などと言えば 「哲学とはそういうものだ」と鵜呑みにし それが本当に哲学的に正しいのかどうかを「考え」も「検証」もしなくなるものなのである

それは まるで独裁者に媚び諂い服従し 腐敗体制に迎合同調する多数の政権幹部共の無責任さと何ら違いはない

東京電力福島第一原子力発電所における津波に対する脆弱性放置も 日大の田中英寿理事体制腐敗を放置した職員達も同様である

現状の哲学者共は こうしたヒトの普遍的な性質を利用する形で「答えなんぞどうせないんだから 答えを出してはいけない」などといった荒唐無稽なデマを用いて権威を装い学力偏差値が高いだけのバカ学生共から授業料を不当に得ているペテン師の集まりに過ぎない

「答えを出してはいけない」などという荒唐無稽な屁理屈を振り回すことによって イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における根拠のない「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「人間は叡智界に属している」などといったオカルト話に一切批判せずに「近代哲学の最高峰」などと形容しているのであり これらを批判する哲学者も一人もいない

フリードリヒ:ニーチェなんぞ 単に「大衆から人気がある」以上の何の論理客観的根拠も証拠もなく こんなものを「哲学」扱いしていること自体がデマにも程がある

物事の真偽を見極める上において批判は必要不可欠なものである 相手が大学教授だろうが何だろうが 根拠や証拠もない一方的な決めつけを鵜呑みにするから哲学が哲学から逸脱し 無用なただの言葉遊びに陥ってしまうのである

現状において 究極絶対の「答え」は論ずることは不可能であるとしても 実用上必要な「答え」は導き出すことは不可能とは言えない

哲学において重要なのは 「論理的根拠や証拠のない一方的な決めつけ」に陥らないことであって 論理客観的に根拠や証拠に基づいた「答え」は求めて構わないし 何が真理(本当のこと)なのかはむしろ求めるべきが哲学の重要な社会的役割でもある

「おフランスの有名大学の哲学科特任教授様が仰ることだから」は真理(本当のこと)の証明には一切ならない

「論理客観的な根拠も証拠もないけど どうせ答えなんぞないんだから答えなんぞ求めてはいけない」などと言い出す哲学者共の主張を鵜呑みにしておいて 哲学もスッタクレもないのである

すなはち 哲学の授業を受けた大卒者のほぼ100%は自分の頭では何も考えないデクノボウに過ぎないのであり だから哲学界の腐敗を誰も指摘できないのである

 

哲学は 本来「科学の帝王」であり 進化生物学における「生存戦略」パラダイムには論理客観的根拠や証拠が存在しないことについても指摘しなければならない のだが

現状哲学界というのは 「答えを出してはいけない」などという論理的根拠もない意味不明な「答え」を振り回して一切の批判精神も発揮しない無能者の群れに陥り それを誰も指摘も批判もしないバカしかこの社会には存在していないのである

 

大学の入試における合否判定権を持っているからといって そいつの言っていることが論理客観的根拠や証拠に基づいた「真理(本当のこと)」であることの証明にはならない

結局は大学受験などの合否判定などというのは 大部分が教授の主観で決定しているのであって 教える側にとって都合の良い 何でも鵜呑みにして教えたことに何の批判もしないバカを選抜しているに過ぎないのである

何も考えず検証もしないバカなら批判してこないので 腐敗体制を維持温存するのに都合が良いからである

有名大学卒業者ばかりを採用している名だたる巨大企業による不祥事が繰り返される原因もそこにある

かつて京都大学の教授達が731部隊において中国人捕虜を用いて凍傷の生体実験を行ったことや

東京大学医学部の学生がオウム真理教を信じ込んで毒ガステロを実行した事実を ゆめゆめ忘れてはならない

大企業の採用担当者共が学歴学力を優先する傾向がある故に就職に有利だからといって学力学歴が人間としての知能の根拠にならないことは 認知科学的に立証されていることであり

それは大学入試における合否判定においても同じことであり 無能な大学教授の主観は人間としての知能の論拠にもならない

真理とは 論理客観的な検証によって磨かれ続けなければならない そのための「哲学」なのであり 「なぜ」という疑問(問い)を永久に繰り返し続けなければ「哲学」ではなくなる

「人間とは何か」という問いについて「答えはない」という哲学者共の主張に対し 「なぜ」そう言えるのかを問い糺すことのできないバカしか この社会には存在していないのである

そして バカ共は自分達を知的生命体だと信じて疑わない

だからバカが治らない

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試験と現実との違い

2024年01月13日 23時19分39秒 | 意識論関連

ケンブリッジ入試の論理思考テスト

リンゴ以外のフルーツは2個
バナナ以外のフルーツは2個
サクランボ以外のフルーツは2個

フルーツは合計いくつでしょうか?

 

この種の問題が40分間に20問出題されるという

だが 残念ながらこの種の「論理思考テスト」でどんなに良い成績を獲得しても現実における間違いや嘘を見抜けるわけではない

なぜなら 予め答えが用意された問題には成績評価という「抽象化された脳への報酬」が用意されているが 現実における嘘や間違いには一切何の報酬も用意されていないためである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「人間は叡智界に属している」などといった話に何の根拠も証拠もないカントの勝手な決めつけに過ぎない話に誰も指摘できないのも このためである

フリードリヒ:ニーチェの「名言」の類のほとんど全てがニーチェの主観的感想に過ぎないことにも誰も気付かず

進化生物学において「進化は選べない」ことや「進化に目的はない」ことに基づけば「生存戦略」という概念が根源的に間違っているのであり これも誰一人として指摘していないのである

ケンブリッジ大学でどんなに成績優秀で卒業していても これら科学や哲学上の重大な誤謬には誰も指摘できない

松丸亮吾はこの種の問題が得意なようだが 何一つ現実社会の嘘や間違いを指摘したことはない

文章的に理解が難解なこの種の問題というのは 過去に経験値があれば短時間で解くことができるのであって 短時間で解いたからといって未経験の嘘や間違いに気付けるわけではない

養老孟司の著作が一切何の役にも立たないことにも誰も気付くことはなかったが これも予め「世の中の著作の何が嘘や間違いなのか発見しなさい」といった命題には評価成績という「抽象化された脳への報酬」が一切用意されていないからであり

むしろ「東京大学名誉教授」という肩書に畏れを主観的に「感じ」ることによって 疑うことに対する恐怖心や罪悪感が優先することで誰も疑うことなく 養老の著作を読んで「自分は頭が良くなった」などと倒錯するバカしかいないのである

マイケル:サンデルの「トロッコ問題」に倫理的意味が一切存在していないことにもハーバードの偏差値の高いだけのバカ学生の全員は誰も気付かず むしろ「人気」を集めていたという盲目洗脳状態に陥っていたのである

ヒトは自分の脳に「報酬」が用意されていなければ 自発的には一切何も論理検証などしないバカなのである

それ故 リベラルアーツと称してイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのを教え込まれれば その内容に根拠や証拠が一切存在していない事実には誰も気付かず むしろ成績という「抽象化された脳への報酬」欲しさに鵜呑みにするのである

「大学で教えていることなら 全て正しいはずだ」という観念によって 学力偏差値が高いだけのバカ学生共は一切何の疑いも持たずにカントやニーチェや進化生物学における「生存戦略」といった嘘や間違いに気付かず 一切指摘できないのである

 

ジーン:シャープ(1928~2018)は独裁政権の要因として以下を挙げている

○習慣
○制裁への恐れ
○道徳
○自己利益
○支配者との心理的一体感
○無関心
○不服従への自信の欠如

まず言えるのは 独裁政権の要因としての「道徳」とは何の意味があるのか

「たかし君は優しい気持ちになりました」といった主観的な「道徳」の授業でイジメがなくなる統計的立証もなければ 犯罪が減る根拠も証拠もなく むしろ論理思考を撹乱し独裁支配であろうが何だろうが唯々諾々と忠誠忠実さを発揮する盲目な洗脳者を大量生産してしまう大きな要因ともなっているのである

主観的に「正しいと思った」からといって それが論理客観的に正しいかどうかを「考え」なくなるからバカになるのである

「考え」ない奴を「バカ」というのである

ジーン:シャープが見落としていたのは ヒトという種の生物の先天的な認知的に重大な欠陥によって ヒトは自分が主観的に「信じたい」相手に唯々諾々と服従忖度しその多数の迎合同調によって自己の盲目性を誰もが認識しようとしなくなる「習性」が存在していることである

なぜ「支配者との心理的一体感」をヒトが持つのかと言えば それこそが先天的に安心で満足だからである 主観的に安心満足してしまえば自己客観的に自分の行動選択を検証しなくなるのは必然である

たとえ学力偏差値の高い日本大学の職員であろうとも 腐敗した田中英寿理事組織体制であろうとも唯々諾々と服従するのであり 「学力偏差値と知能には相関がない」ことは認知科学的にも立証された話である

東京大学医学部の学生が地下鉄毒ガステロを引き起こしたことを忘れ 学力偏差値の高さを短絡的に「頭が良い」と「解釈」したまま何の疑いも持たないのも ヒトの頭の悪さの一面である

有名大学でも卒業しておけば 学歴を盲信している人事担当者ばかりの企業への就職に有利であろうが そもそも学問というものは就職のためのものではなく 真理(本当のこと)を探求し 嘘や間違いを見抜けなければただのデクノボウに過ぎないのである

何が真理で 何が嘘や間違いなのかを見分けられなければ 当然盲目的洗脳に陥っても何の不思議もない

 

小川仁志がNHKで「ロッチと子羊」という番組で「お悩み解消」と称して主観的な「悩み」をいくら解消しても そもそも哲学というのは論理客観的に真理(本当のこと)を探求するためのものであって ご都合主義的に解釈をこじつけて主観的「悩み」を解決するためのものではない

こんな番組を「哲学」だと倒錯して教育番組だと称して垂れ流しているというのは受信料を徴収している視聴者国民に対する詐欺ペテンである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする