書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

幸福とは脳内麻薬である。

2011年11月30日 23時55分43秒 | 意識論関連
 幸福とは、脳科学的に言えば脳内麻薬による快楽のことである。

 快楽の全てが正しいわけではない。快楽というのはあくまで個人的なものであり、主観的なものであるから、それは個人が個人的に追求すれば良いことである。

 内部告発をしたが故に、社会的に排除されたとする。それは幸福なのか。

 社会的には不幸な境遇であると言えるであろう。しかし、内部告発を諦め腐敗した体制に迎合した人生は個人的に充実した人生であると言えるであろうか。

 目先の快楽を追求すれば、内部告発などしない方が物質的にも「幸福」であろう。腐敗した体制に迎合しておいた方が個人的にも生活は安泰であろう。

 しかし、その人生は、人生全体から見て、個人的に「幸福」であると言えるであろうか。

 人生全体を統合的に見る視点を持たなければ、目先の快楽は得られるであろう。

 しかし、「個人的な生活の安泰」であっても、それは他人との比較によるものであって、本質的には個人的な価値ではない。

 腐敗した体制に迎合して保身に走る者を、客観的に見て汚いと誰しも思うであろう。しかし、それすらも社会環境や時代のせいであると言い逃れすることも可能であろう。

 言い逃れをするのは簡単である。言い逃れや取り繕いといったものは世の中にいくらでも氾濫しているからだ。機械的条件反射で口をついてその場限りに取り繕うことは、極めて簡単なことなのである。それは同時に「考え」ることを放棄しているということでもある。

 「考え」なければ行動選択に影響はない。「考え」ない者にとっては自由意思など存在しないのである。

 予め決まった本能や環境だけによって行動が決定し、それ以外の一切の選択を行わなければ。そこに本質的自己選択は全く存在しないのである。


 仏教では「極悪人にも仏性はある。」とされる。他人から搾取略奪して笑う極悪人であっても、その「笑い。」には笑うべき人間性が何かを予め「知って」いるからである。知らなければ笑うことはない。

 笑いには悪い笑いと良い笑いがある。悪い笑いをする者は、自分が何故笑っているのかを認識することはない。認識すれば自己自身のくだらなさを認めなければならないからである。彼らにとってそれは精神的に苦痛であるため、本質的自己選択などというものは「あってはならない。」ものなのである。ヤクザがヤクザをやめることができないのは、何よりそれが「恐い。」からである。

 従って、極悪人は自己自身のくだらなさを認識しないように、自己の意識を意図的に狭窄にし続けなければならないのである。この「意図」には「意思」は介在してはおらず、ただ漫然と反射的に選択して「しまっている。」だけの本質的には選択とは言うことのできない「結果」的選択に過ぎず、そこには意識的「目的」は存在しない。

 通り魔の屁理屈に論理整合性がないのと同じで、悪人の屁理屈の全てには論理整合性は成立し得ない。

 それは論理整合性を担保するべき本質的「自己」がないからである。

 生物学者が主張する「潜在知」などという取り繕いは、既に存在しているだけの自己を事後正当化するものであり。これは環境依存性を事後正当化するための屁理屈であり、通り魔の屁理屈を支えるだけの言い逃れ、取り繕いに過ぎない。

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冤罪。

2011年11月30日 19時52分11秒 | 意識論関連
 冤罪である証拠を検察が隠すのは。検察の「目的」意識が真実を追求することではないからだ。

 冤罪であろうがなかろうが、とにかく事件さえ形式手続き上「解決。」しさえすれば、検察にとっての評価報酬となるからである。

 これは制度手続き上での話ではあるが、本来は制度手続きに関わらず、検察という機関の存在意義としての「目的」に基づいて真実を追求するべきではある。

 成果、評価報酬を目的とした行動選択をして、検察の本来の存在意義を放棄するというのは極めて利己的であり、狭窄な意識に基づいた行動選択である。

 社会制度を「理由」に、利己的行動を正当化することはできない。してはならないのである。これこそが環境依存性というものであるからだ。
 
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プラスチックのインチネジ。

2011年11月30日 16時37分49秒 | ネタ帳
 サイマコーポレーションがプラスチックのインチネジを商品化。

http://www.saima.co.jp

 コンパクトカメラの三脚ネジ穴って、プラスチックのものが多いので、ネジの方もプラスチックの方がいいのかな。

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営業停止処分。

2011年11月29日 19時33分14秒 | 意識論関連
 TSUTAYAが盗品を買い取っていた話なんだけど。

 手続き的には営業停止なんだそうです。

 店員は店長に盗品の可能性があることを訴えていたらしい。だったら頭がおかしいのは店長なので、一括してお店自体を営業停止にするのは何かおかしい。店員は店長の判断以上のことは背任になりかねないので、店長の頭がイカれているのであれば、店長に何らかの法的起訴をしておけばいいことであって、お店全体を営業停止にするのはおかしな話。

 警察が言うには、「経営会社の指導が充分ではない。」などと言っているが、盗品を盗品であると警察に届けるかどうかは経営会社が指導するようなものではなく。店長本人の倫理的責任意識の問題ではないのか。

 それこそ、店長自身が経営会社から「面倒臭いから、届け出るな。」と指導されていたのであれば経営会社を法的起訴すべきであって、それこそ店舗の営業停止は意味不明である。

 営業を統率する一部の者の頭がおかしいことで、雇用者や利用者まで不便を強いられるというのは、とばちり以外の何物でもなかろう。

 それとも体育会系的な「連帯責任。」を持ち出すのであれば、あまりに観念的精神論で合理性も何もない権力の乱用である。

 お役所が行う機械手続きというものは、実質的効果を無視した、精神論的懲罰に偏る性質がある。それは形式上の民主主義社会において、民衆が求めているとされているから行われていることになっているのである。

 それを「何かおかしい。」と思いながらも放置するというのは、実質的には民主主義が行われていないということである。形式的に民主主義手続きだけを導入してさえおけば民主主義になると思ったら大間違いなのである。


 さらに言えば、雇用されていた店員が直接警察に告発した場合。告発したがゆえに失職するとなれば、告発自体を抑制してしまいかねないのである。

 それが本当に社会にとって公益的であるかどうか、機械的手続きしかできないバカ役人にとってはどうでも良いことなのである。その言い訳とは「だって、手続き的にそうなっているから。」であろう。

 そこにいるのは意識を持った一人の「人間。」ではなく、責任逃れという利己的感情に無意識条件反射しかしない「ヒトという種の生物。」でしかないのである。


//-----------

 そういえば、MHKの室山解説委員のオカルト発言について、NHKなり、どこぞの研究機関でキチンと分析、解析しているのであろうか。それとも読売新聞社の様に隠蔽するだけなのであろうか。

 朝日新聞社のように過去の業績を枚挙してさえおけば、多少の不祥事は赦されるという「屁理屈。」というのは、要約すると、「10人の人を助けたことがあるから、一人くらい気に入らない奴を殺してもよかろう。」と言っているのと同じことである。

 それとも、「多くの視聴者はどうせバカだから、多少の不祥事は隠蔽可能。」という判断であれば、それは極めて身勝手な利己的判断である。

 証明不能な予測において「見解の相違。」は成立するが。論理的に証明可能、或は証明不可能な断言というものに「見解の相違。」は通用しないのである。

 「人類はおそらく非常に高い確率で絶滅するであろう。」というのであれば、これは科学的見解の一つとして許容可能な話であるが。「人類は必ず絶滅する。」と断言するのはオカルト以外の何物でもない。

 その違いを「多くのヒト。」が認識できないことを「理由。」にオカルト解説委員を飼い馴らしておくことは許されることではない。即刻解雇すべきであり、解雇させるべきでもある。

 それとも連帯責任でNHK自体を営業停止処分にするべきなのか。
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まあ全画面。

2011年11月27日 22時34分44秒 | 日記
 カスケードスタイルシートとかっていうのの説明を読んでみたんだけど、イマイチわからない。

 質問サイトとかには「やってみれば、壊れないんだから。」って書いてあったので、それもそうだなとおもて「あきみち」さんがGoogleMapで使てたやつから#mapって部分を外してコピペしてみた。

 そしたら一応全画面になった。

http://space.geocities.jp/srand4000/canvas-05.html

Googlemapの時もそうなんだけど、どうしても下に余白が出ちゃうのは、おいらのブラウザだけなのかな。

 まあ、こんなとこかな。
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直列。

2011年11月27日 20時13分13秒 | 日記
 太陽電池っていうのは、電圧をかせぐためにセルを直列に接続しているため。一部のセルだけ日陰になったりすると、日陰になったセルの能力にパネル全体の能力が低下してしまうんだそうです。

 つまり、全部のセルに同じ量の光が当たっていないとダメなんだそうです。

 でも、一部のセルの能力が低下したら、それを検出して直列接続からバイパスするような構造にできないのかな。

 セル一枚づつの電力って、そんなに強いわけでもなさそうだから、電子回路で制御したらよさそうな。

 枯れ葉一枚でパネル全体の効率がダダ下がりになるようだと無駄が多いのでは。

 これも例の「想定外。」ってやつかな。

 実使用環境に「理想。」を持ち込むのは、むしろ設計自体が理想から乖離している。
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ゲーム。

2011年11月27日 14時45分29秒 | ネタ帳
 クソゲー会社とかって儲かっているらしいから。デイビット:フィンチャーの映画みたいな企画立ててくれないかな。

 GoogleMapとかと連携して現実世界の中で謎解きとかしてくような。

 どっかの廃墟とかにQRコードが隠されているとか、あ、ビルの窓の明かりがQRコードになるとか。

 どっかの外壁のタイルがうっすらQRコードとして認識できるとか。何かの陰が一瞬だけQRコードになるとか。鏡に左右反転QRコードが貼ってあって、壁に太陽光が反射していると認識可能とか。

 そういう宝探しゲーム作れ。 GoogleMapのDirectionServiceで出てくる道順に途中寄り道ポイントを増やすと何かの形に見えるとか。

 どっかのラーメン屋の電光掲示板に一瞬だけQRコードが。

 壁の模様と太陽の陰が重なるほんの数秒だけQRコードとして認識できるとか。

 「え?、まさかここに?。」っていうところのQRコードを集めると100万円とか。

 万世橋駅のホームに。総武線の車内からしか読めないコードが。

 体動かさないとできないゲーム作れ。

 小さな駄菓子屋のガラス引き戸を開けて重なるとコードが。んで、お店のおばさんに「撮ってもいいですか?。」って聞いても無視されるとか。

 2355とか参考になるかな。

 まさかの消防車。東京電力のやつならいけるかな。

 細かいモザイク模様に四角いマスクを置くと。マスクはアプリで提供してもいいかな。

 牧場の牛の耳についているタグに。

 野良猫の首輪に。

 通りすがりの女の子のバッグの模様にうっすら。

 反射シートに光を当てると。

 貨物列車のコンテナに。

 ホログラムに一瞬だけ。

 ハズレがたまにあって、罰ゲームやらないと復帰できないとか。

 いきなり顔面パイ。(嘘ぉん。)一応スタッフがタオルとか着替えとか用意してくれてるけど。原宿表参道ヒルズの中で。

 通りすがりの女子高生集団からビンタの嵐。(何となくうれしいような悲しいような。)

 予め何が起きても文句は言いませんっていう誓約書に同意してもらっておいて。

 薄い板の後ろに磁石が仕込まれていて、砂鉄を撒くと。

 電磁石になってって次々変わるとか。

 喫茶店の飲み物のコースターの裏に。

 マスターの後頭部に。

 アプリには専用ウイルスが仕込まれていて、プレイヤーの位置情報が筒抜け。アプリを起動していないと探せない。

 QRコードを撮ろうとすると崖から突き落とされる。崖の下には巨大クッションが。

 色のついたモザイク模様はカラーフィルターをかけると。カラーフィルターもアプリで提供可能。アイテムとしてゲットする必要が。

 東北線尾久駅の鉄骨に。



 例えば、ゲームに参加していると、時折着信があって。スマートフォンを取り出すと画面に大きく4桁の数字が表示されている。画面の端には小さく120秒のカウントダウンが表示され、カウントが0になると数字は消える。

 そういうことが何度かあるんだけど、特にミッションとかないのでプレイヤーが不思議に思っていると。

 ある時、いつものように着信があってスマートフォンを取り出すと画面に「ミッション あなたの近くに別のプレイヤーがいます。スタートボタンを押すと相手のスマートフォンに4桁の暗証番号が表示されるので、それを入力すると相手からポイントを横取りすることが可能になります。なを制限時間内に入力出来なかった場合はあなたのポイントが相手から横取りされる場合があります。」とある。

 こうしたミッションには種類があって、横取り以外にもミッション成功によって双方にポイントが付与されるボーナスミッションもあるので、必ずしも相手にとって不利な場合ばかりではないので、コミュニケーションが必要とされることもあり。ドッキドキ。( ゜Д゜;)

 時々主催側が用意したスゲーかわいい女の子(声をかけづらいくらい、金髪ヨーロッパ人のメイドコスプレとか。)が物凄い近くで暗証番号に疑問を抱いていたり。プレイヤーの心理を揺さぶるあらゆるバリエーションを展開しとく。


 スマートフォンに限らず、携帯電話とかPCに付属のWebカメラとかっていうのは、実は肉眼では見ることのできない赤外線領域の感度があったりする。なのでテレビとかに一般的に使われている赤外線リモコンのLEDに向けてリモコンのスイッチを押すと光っているのがわかる。

 たとえば、普通のLED電光掲示板に赤外線LEDが仕込まれている特注掲示板があって、そこにスマートフォンとかのカメラを向けると肉眼では認識不可能な文字とか暗証番号とか秘密の表示が見えたりすると面白いかな。

 普段は可視光線での表示をしているんだけど、それが消えた瞬間赤外線表示になって、目では見えないんだけどスマートフォンを通すと見えてしまう。

 LEDでなくても、赤外線だけを反射する塗料とかを使えばモザイク模様の中から肉眼では認識できない秘密の何かが見えてしまうようにもできるかも。

 自然界にある特定の花の色は、デジカメとかで撮影すると色が肉眼で見た時と違ってしまうことがある。日本化薬の染料とかにそういうのがあるかも。モザイク模様の洋服に使えば「歩く暗証番号」とかできるかも。多分晴れの日限定になるけど。


 他にも思い付いたら追加するね。でわまた。うひひ。
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ほぼ全画面。

2011年11月27日 14時00分40秒 | 日記
 canvasのサンプルだと大きさは大抵HTMLタグ部分で

<canvas id="foo" width="100" height="150">

っていう風に、予め決まった大きさにしかしていないのが多くて、画面いっぱいにするのがわからなかた。

 しょうがないので英語サイトも探したら、こんなコードが出てきて真似してみたら動いた。


//グローバル変数として宣言しとかないとスコープの外になっちゃうことがあるので
var foo_width;
var foo_height;

//initialize(){とかの中で。
foo_width=document.width;
foo_height=document.height;
canvas.width=foo_width;
canvas.height=foo_height;

っていう風に書いとけばいいみたい。説明下手かな。

 おいら英語自体はふんわりしかわからなけど、コード自体は同じなので、丹念に読んでいけばいろいろわかるのかも。

http://space.geocities.jp/srand4000/canvas-3.html

 多摩美のサンプルを全画面にしてみた。でもちょっと変。上下は画面よか若干大きいように見えるし、左右は余白が。スタイルシートとかを使わないとだめなのかな。何か色んな言語を同時に使わないといけないのでややこしいわー。

 最初からdocument.Widthの値が正確にブラウザのClient幅を返してくれればいいのにって。そういえばwindow.innerWidthとかっていうのもあったな。ちょっとやってみるね。でわまた。

 ◇追記:変更したら上下は画面に入るようになった。けど上下左右に余白が。

http://space.geocities.jp/srand4000/canvas-04.html

 しかもページを開く度に上下の大きさが違う。なんですのこれ。

 本当は完全な全画面にしたいんだけど、まだ実装規定自体が定まっていないとか。むむむ。
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EXIF情報。

2011年11月27日 00時37分38秒 | 日記
 HTML5のcanvas関連サイトをあちこち物色してたら、JPEG画像とかのEXIF情報を簡単に表示できるプラグインみたいのを発見したので紹介

こちら

本家のサイトではなくて、それを日本語で紹介しているサイトなんだけど、二つのファイルをサーバーにおいておけば簡単なコードでEXIF情報が取り出せちゃうらしい。

実はまだやってないんだけど、javascriptのFileAPIと組み合わせて使えたらいいな。

あまりに凄すぎるので凄い寄り道しちゃった。

FileAPIを使えばJavaScriptでジオラマ効果ソフトも作れるのかと思ったんだけど、どうもセキュリティの関係で読み出しはできても書き込みはできない仕様らしい。

ううむ。ことごとく何もできない。
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挙動が違う。

2011年11月26日 15時20分26秒 | 日記
 HTML5のCanvasを用いたWebアプリを作りたいと思って調べているんだけど、

 どうも東芝AndroidPC AZ/05M のマウスの挙動が一般的PCとは挙動が違う。

 マウスを動かしただけで、特にクリックしなくても動くはずのコードであっても、AZ/05Mだとクリックしない限り無反応。

 しかもクリックしまくると、今度はAndroid特有の画面ズームボタンが出てきて凍る。凍るとは言っても、ブラウザのsetInterval()が凍るだけなので、マシン自体が凍っているわけではない。

 しかし、こうなると普通のPCとは挙動が違い過ぎて実際の動きが全くわからない。

 MouseMoveの値と、AndroidPCのアローがシンクロしてくれなくて。OnMouseDounイベントで初めてマウス位置を認識する。

 でもAndoroidスマートフォンの場合はどうなんだろう。PCで動いていてもスマホでは挙動が違うようだと事実上使えない。Android専用アプリだったらシュミレータだかエミュレータで確かめられるんだろうけどね。

 そういえばMacG4 733MHの光学マウスをAndroidPCにつなげたら、動いた。と一瞬思ったんだけど、実際にはアローは全く動かなくて、何が動いているのかと思ったら、どうもカーソルキーの連打と同じ挙動をしていた。Windows用のマウスなら普通に使えるとかどっかに書いてあったような気がする。

 不思議なマシン。
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少しくらい。

2011年11月25日 15時43分07秒 | 意識論関連
 過去の業績をどんなにたくさん並べても、異常な行動や言動を放置して良い理由にはならない

 朝日新聞社とかが良く使う屁理屈で、「過去にこれこれこうした業績があるのだから、少しくらいの不祥事は見逃せ。」というのがある。

 これこそが天下り役人の屁理屈と全く同じものであり、こうしたいい加減な屁理屈を並べておいて、他人の悪口さえ言っておけば正義だと満足するのは、極めて身勝手な自己の事後正当化の屁理屈である。

 NHKの室山解説委員は、科学的、論理的根拠もなく「人類は絶滅する。」と断言したのである。それを多くのバカが不祥事であるとは認識していないであろうが、それはバカだから認識できないだけである。

 他の解説委員であっても、それを「見解の相違。」などという話で済まされるような話ではないのである。

 論理的に明らかに異常な断言というのは、論理的に明確に否定されなければならないものであり。「見解の相違。」云々とか言っているが、実際には論理的検証を放棄してその場限りに話を丸めただけなのである。

 そうやって多数他人と話を丸めて八方美人でいた方が、多数のバカからは気分的「信頼。」を得ることができて、金にもなるのであろう。

 だが、大多数がバカのままならバカが引き起こすあらゆる問題は解決することはないのである。

ニーチェなんぞ読んで満足しているのは基本的にバカだからである。多数でバカを共有しておけば気分的に安心なのが生物学的社会形成習性というものなのである。
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気持ち悪い。

2011年11月25日 15時16分13秒 | 日記
 多摩美術大学のサイトになるのかな。

 このページの最後のコードにCanvasでのマウスイベントが出来るようになるんだけど。

この関数の名前が

でdocumentオブジェクトに代入されていて、関数部分で使われている変数にもdocumentオブジェクトが代入されていて。

bodyタグの中でIDが指定されている。

 ちょっと言い回しが正確じゃないかもだけど、とにかくdocumentオブジェクトにはmouse操作に関するオブジェクトがいろいろあるみたいで、具体的にどういう仕様なのかと調べたんだけど、みつけられなかた。

 それでも、一応こう書いておけばマウスイベントに応答するアニメーションとかが作れるらしい。

 わからないことが多いと気持ち悪くなる。おいらは神経質過ぎるのかな、もっとボンヤリ読んで慣れた方がいいのかも。
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楽観。

2011年11月23日 23時50分39秒 | 意識論関連
 楽観主義では社会の安全性は確保されない。安全学、危険学というのは楽観とか悲観とかいった気分の問題とは無関係な工学である。

 社会の安全性を確保するのは楽観とか悲観といった気分の問題ではなく、あくまで論理的に検証、究明することである。

 楽観だの悲観だのを取り上げること自体、検証や究明からの逃避、拒絶を求めているからに他ならない。

 気分で安全性は確保されることはない。
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哲学とは。

2011年11月23日 23時44分27秒 | 意識論関連
 まず、現在哲学として扱われている書物は、一体どのような基準で選択されているのか。一体誰が現在の哲学書物を選択したのか。その書棚のラインナップはどこの馬の骨が選定したのか。

 そこには自己自身の選択は含まれてはいないのである。

 ただ、漫然と与えられた選択肢の中において、漫然と内容を鵜呑みにしておいて「知能。」であるなどとは論理的に証明されえない。

 そもそも、与えられた選択肢の中でしか知識を持つことしかしないで、それが自分の「考え。」であることの論証など最初からない。

 既に存在している価値観に基づいた選択肢に迎合しておいて、一体何を「考えた。」つもりになっているのであろうか。バカな西洋哲学カブれは「哲学には好き嫌いがある。」などと言い出すであろう、好き嫌いがあるのは当たり前の話であり、あったところで論理的思考を放棄してなを哲学であるわけでもない。

 自分が「好き。」な現在哲学者として扱われている書物があるとして。それが原因で気分的満足や逃避によって本質的思考が停止してしまうのであれば、それは最初から哲学書でも何でもない。

 多くの西洋哲学カブれ達というのは、気分的な満足や救いばかりを求めており、それによって本質的には考え自体を放棄しているのである。こいつらが選択した哲学をいくら「学んで。」も、思考停止したバカになることはあっても、大多数のバカ学生共は論理的検証や、それに伴う批判を一切しないし、できもしない。

 何も考えずに、ただ「誰其は、かく語りき。」的に引用を繰り返すことはできても。大抵の場合自分の愚かさを事後正当化したり肯定するための屁理屈に使うことしかしておらず、これはむしろ手の込んだ「取り繕い。」「言い逃れ。」に過ぎない。

 現在の大学では、それさえやっておけば成績単位が取れるのである。これが何か社会の公益的な役に立つかと言えば、糞の役にも立つことはなく。高学歴な天下り役人達が大量生産され続け、大学ではただ漫然と無益な哲学部が税金で保存されるだけである。

 本当に自分自身の頭で「考える。」というのは、自分が育った環境としての現代社会の価値観自体から検証していかなければならない。手抜きがしたいなら哲学でも何でもないのである。

 既に存在しているだけの自己というものは自己自身で選択したものではない。遺伝的にも後天的にも、育った環境としての社会や時代は自己自身で選択したものではない。バカな生物学者は後天的に刷り込まれた価値観無意識的な好き嫌いのことを「潜在知。」などと称して、あたかも個人が個人であることの論証であるかのように言い張る。

 バカであれば、これに論理的根拠がないことには気づくこともなく、簡単に鵜呑みにするであろう。

 成育環境によって刷り込まれた価値観というものは自己の選択を介していない。何も選んではいないのである。そんなものに個人が個人であることの論証として最初から成立していない。

 自己の遺伝子は自己自身では選択不可能である。誰も自分から望んで生まれてきたものなど存在しないからである。そんな遺伝子によって作り出された脳、大脳辺縁系からわいてくる本能欲望もまた、何ら自己自身で選択したものでも何でもないのである。

 こういう話をすると、それまで漫然と無思考に生きてきたヒト達は気分的に恐慌をきたすことから拒絶し、逃避し、検証するという思考が全く働かなくなるのである。

 無思考に漫然と生きてきたヒトにとっては、無思考のまま漫然と生き続けることの方が「慣れて。」おり、「楽。」なのである。

 それは実は「慣れ。」の問題でしかない。

 論理的に検証するという本質的思考に「慣れ。」てしまえば、気分的「安心。」よりも合理的「安全。」を優先するようになるのは自然なことである。

 これは教育システムの問題ではない。むしろ成育環境に依存していること自体が本質的自発思考を阻害するのである。「教わっていないから、できない。」というのは、最初から自分では考える意思が存在しないことの証明にしかならない。

 教わっていないことを考えられないのであれば、それは実際には最初から何も「考えて。」はいないのである。それは教えられたことを鵜呑みにしているだけで何ら検証していないことを証明しているのである。

End;
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川口写真。

2011年11月23日 18時52分46秒 | 写真
 埼京線北赤羽駅近くの荒川堤防の上から。







 ヒトの目の視細胞というのは色を認識する細胞は感度が低いため、暗くなってくると肉眼ではあまり鮮やかには見えなくなってしまうのですが、カメラでシャッタースピードを遅くして撮影すると意外な色で撮影することができます。

 夕暮れというより、ほとんど夜景ですね。
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