本能とか欲望というものは それだけでは自由意志でも何でもないんですね
誰が言ったのか忘れましたが 「欲望そのものを欲することはできない」というのが真理です
んじゃ 一体何を持って「自由」意思だと言えるでしょうか?
それは ヒトという種の生物には理性による選択可能性というものが存在しているため 本当に求めている「目的」に基づいて行動選択をすることができるという点において「自由」なんですね」
自動車を運転している最中に 他の車が邪魔だと主観的に「感じ」たからといって 怒りの感情に任せて煽り運転をして相手に危害と加えてしまうバカがいますよね あれって「自由」じゃないんですよ
感情というものは動物的な行動バイアスであって 野獣に過ぎなかった「祖先」の生息環境の影響を色濃く反映しており 決して「自分で選んだ」行動ではない
ヒトがヒトにまで進化したのって 数億年の進化の中ではごく最近の出来事に過ぎなくて ヒトなんて生物は新種とか珍種でしかないわけです だから決して先天的人間性なんぞ組み込まれてなぞいるわけがない
だって 自分の遺伝子って自分で選んでないでしょ それなら選んでない遺伝子から作られた自分の脳の構造も自分では選んでないし そんな脳からわいてくる本能的欲望だの感情だの行動バイアスもまた自分では選んでなんかいないわけですよ
だからプーチンみたいに「政府の煽り運転」みたいなことをしだすバカもいるし そんなバカに唯々諾々と従う大多数のバカもたくさんいる
もう 到底「ヒトには先天的人間性が組み込まれて」なんぞいないのは統計的に立証されまくっている
プーチンもイカれているんですけど そういうイカレポンチってのはプーチンに限ったことではない
2001年3月11日のテロの首謀者と容疑がかかったウサマビンラディンをオバマ政府は問答無用で殺害しておいて「正義の鉄槌を下した」などと あたかも全てが解決したかのような雰囲気を出してますが テロとか通り魔なんてのは何度も起こっているものであって 9.11テロは規模が大きくセンセーショナルだっただけで 相変わらずアメリカでは銃乱射事件が繰り返されている
結局 死刑などの懲罰ではテロとか通り魔の根源的原因が全く突き止められていないからこそ 実効性のある再発防止策が全く立てられていないのが原因です
ヒトって 気に入らない相手に懲罰的に暴力を振るうと気分的に満足感を得てしまう先天的習性があるために 刑法判決が出れば「解決」したと錯覚して思考停止に陥ってしまう
ビンラディン容疑者を殺害したら解決したと「思って」しまう
通り魔を死刑にしたら解決したと主観的に「思って」しまう
これこそが「錯覚(先天的な認知上の欠陥)」なんですね
通り魔とかテロリストとか独裁者や戦犯を死刑にすれば「解決」したんだと錯覚してしまう
これが「正義」というものに隠れている「嘘」なんですよ
◇
物質的欲望というものは 結局は他人との比較による優越感に過ぎず これは本質的には「自分で選んで」などいない本能むき出しの欲望でしかない
それは 猿山の猿がサツマイモの奪い合いで争っているのと同じであって 本質的には主体性がない
しかし 「奪い合いにならない欲望」というものもあって これが本当の主体性なわけです
静岡大学の加藤英明なんかは 爬虫類が大好き過ぎて物質的欲望なんかに興味がない
さかなクンも物質的欲望には興味がない
純粋な主体的興味に基づいた「本当に好きなもの」があれば 他人との比較競争や奪い合いには興味が働かなくなる
集中して熱中して夢中になって主体的に楽しいと感じられるものがあれば 他人から何かを奪ったり 他人を貶めて優越感に溺れたりはしなくなる
極端な話 ロリコンでも構わなくて 相川愛花のプラモデルをかわいいと「思った」ところで人畜無害ですから問題にならない
問題になるのは 他人と比較して「俺の方が他人よりも欲望を満たせている」などというバカみたいな迷惑競争をやらかす奴がいるということ
学校の教諭でありながら 生徒の着替えを撮影するとか 女子便所にカメラを仕込むとか そういうのが実際に迷惑になる
「女子のおパンツを見たい」という欲望そのものが問題になるのではなくて 欲望と行動が直結してしまっていて主体的に行動を選択できる自由意思が働いていないことが問題を引き起こす
「まりちゅう」だの「なしこたそ」だのがハイクオリティなおパンツ写真をネット上に投げまくっているんだから 「通りすがりの女子学生のおパンツをスマホで撮ろうとするんじゃねぇ!」 という話である
人それぞれ苦手なものはあって ミニスカートでおパンツが見えちゃっても「潔し」としている娘もいるのだが だからといって無許可でスマホで撮影して良いわけではない
人それぞれの苦手というものを尊重しないから身勝手というのである
欲望の大きさや強度程度だけが行動原理になっていたのでは 到底「自由」とは言えないのですが
ヒトという種の生物は自分の主観的欲望こそが自由意志だと錯覚してしまうという先天的な認知上の著しい欠陥を持っている
主観の全てが主体性や自由ではないわけです
盗撮だの暴力だの略奪だのが横行している社会なんぞ 本当は誰も望んでなどいないはずなのに 盗撮だの暴力だの略奪をするバカが出てくるのは 「世の中には迷惑者なんぞザラにいる」という「世間の所為だ」というこじつけによって主体的行動選択を放棄する頭の悪さや幼稚さが働いている
世の中は決して完璧なんかじゃありません
不公平とか理不尽なことは確かにあります
でもね 他人から損をさせられたからといって 他人に損害を与えても良い理由になんかならないんですよ
被害者になりたくないからといって加害者に回るというのは 主体的に「本当に望んでいる社会のあり方」に基づいた行動選択をしていないのであって 結局は「他人と比較して俺の方が得だ」という物質的欲望の奴隷に過ぎない
世の中が加害者だらけになれば社会は崩壊します 当たり前の話ですね
加害者がいなくなれば 被害もなくなり 公平で安全な社会により近づくことができる これも当たり前の話です
それなら 「なぜ加害者になりたがるのか」についての根源的原因究明と再発防止こそが 公平で安全や社会へと近づけるために最も重要な知見と言えるのです
被害者のままでいることが「惨め」だと思いがちです
実際に「惨め」です
でも「惨め」って結局は他人と比較しての価値観でしかありません
世の中には平気で嘘をつく加害者というのは結構いっぱいいます だからどうしたって嘘つきと比べると自分の方が「惨め」だと思ってしまう
それならいっそのこと自分も嘘をつく加害者に回れば「惨め」な気分を紛らわせることができるんじゃないかと そう錯覚してしまう
そうやって世の中には嘘つき(加害者)がどんどん増えてゆくことになって 「本当に望んでいる社会のあり方」とはかけ離れていくことになる
「目的意識」って言葉がありますよね それって「本当に求めているもの」に基づいて行動を選択することを意味するのであって 目先の欲望や感情に左右されることなく 「本当に求めているもの」に基づいて自分の行動を選択することで発揮される
「どうせ世の中嘘つきばっかじゃねぇか」と決めつけ 主体的に「本当に望む社会のあり方」に基づいた行動選択を諦めてしまう方が気分的には楽なんですよ
「諦める」ことって 実は「快楽」なんです
自分の頭で論理客観的に「本当に望んでいること」を考えずに済むからです
ヒトって大脳新皮質が巨大な生物ですけど 実は自分で物事を「考え」て「本当に望んでいること(真理)」なんぞ考慮するようには先天的には出来ていない
考えること「も」可能ですけど 先天的には考えない方が楽に出来ている
ヒトの大脳辺縁系というのは 他のサルとかネズミとかイヌとかネコと構造的には同じものであって 先天的な欲望自体は野獣のそれとさしたる違いなんかないんですね
だからヒトは暴力加害や懲罰を「解決」だと錯覚する
野生環境下においては暴力は生存の維持や繁殖において有利に働くため 遺伝的に遺りやすい性質ですから ヒトが先天的に暴力的であること自体は好むと好まざるとに関わらず強制的に暴力性が組み込まれてしまっている
これは 祖先の生息環境下の影響(名残り)であって もはや自分では選択することができない
私だって迷惑者を見ると殴りたくなることに違いなんかありません
でもね それは別に「自由意志」なんかじゃないことを私は知っているので 欲望とか感情を行動には直結させようとはしない
嫌で迷惑な糞DQNを殴ったところで何の解決にもならない
バカを殴ってもバカは治らないし バカがバカになる原因も再発防止にもならない
バカを殴ったらさぞかし気分が良かろうと思うものですが 実際に殴ったところで満足感なんか得られない
暴力って 暴力行動を本能によって「促されている」だけであって 自分で物事を深く考えて行動選択しているわけではないので 殴っても全然満足感が得られず むしろ気分が悪くなるだけなんですね
DV男がカミさんとか子供をいくら殴っても 実際には何の満足感も得られないから暴力はエスカレートしてしまう
暴力って 本能的には促されはするけど 対価(見返り)としての満足感が得られないので 短期的にはセロトニンが分泌されて妙な気分にはなるものの 結局は何も満足していないので暴力中毒になって相手を殺すまでエスカレートして破綻してしまうことになる
野生環境下においては 他のオスを殺してでもメスを独占した個体の方が遺伝子が遺りやすいという「結果」的な暴力性であって 別に合理的な「目的」があるわけではない
ヒトという種の生物は 進化の過程においてプライベートのない集団生活をしていたため 虐待が連鎖しても他の個体によって子供は守られることで繁殖の継続が維持できていたに過ぎず 本来一定数の集団コロニーの中で子供を育てる方が生物的にはフィットする
子供と一緒に出社して仕事をする企業というのがありますが あれって理想的な環境でもあるんですね
「仕事だから」と称して あたかも神聖で特別なものであるかのように個人の生活から切り離して考えることの方が生物学的には異常だったりする
プーチンにせよヒトラーにせよ 自分の家族との生活と政治(仕事)を切り離して考えているから 他人の家族生活への迷惑にも配慮が働かなくなる
ヒトラーって家族には優しかったそうです 多分プーチンも同じじゃないですかね
部族間紛争をしている文明から隔絶された原住民達も 自分達の家族は大切だけど むしろ家族を守っているつもりで他の部族への暴力に邁進している
スラムのギャング達も 自分達の家族を守ろうとして警察と対立している
ある種の多重人格性によって ヒトは他人への危害が正当化出来ていると勘違いする性質がある
脳って レッテル貼りのような短絡的「決めつけ」を「理解」だと勘違いする性質があって
民族国籍とか性別とか もう何でも構わないから「区別」を「差別」の基準にこじつけて暴力的「正義」さえ振り回しておけば満足感が得られるという認知上の著しい欠陥がある
そうした「正義」は社会安全性とか持続可能性とか公平性には全く寄与しない非合理なものであるにも関わらず 合理性よりも主観的満足感が優先することで民族浄化が行われるようになる
「これさえやっときゃ 全ては解決」だという錯覚は 論理客観的根拠や証拠に基づいた検証性(考え)に基づいたものではなく その場限りに主観的気分が安心満足感によって促されている「幻想」に過ぎない
振り込め詐欺師に騙される被害者も 「金さえ振り込めば解決する」とか「通帳と暗証番号さえ渡せば解決する」といった短絡的解決策を提示すれば簡単に電話の内容を全部鵜呑みにしてしまうのが原因
矢継ぎ早に電話で急かされている時点で「あ これ詐欺だな」って気づく客観性が働かなくなっているからバカみたいにキャッシュカードを封筒に入れて渡してしまう
ヒトの脳 つまり自分の脳の性質を理解し どういう欠陥があるのかを自覚認識していれば 騙されたり嘘やデマを信じ込んだりせずに済むようにもできるわけです
読書猿は「実害があります」と称しておきながら 「古典を学んでおけば騙されないようになるかもしれません」などと論理的に何の根拠もない予測しか提示していないにも関わらず 大衆の多くはそれ自体がデマであることには誰も気づかない
マイケル:サンデルが「正義の話をしよう」と称して何ら倫理的責任の及ばない選択不可能な命題を提示し 気分的に「悩ましい」気分にさせることで あたかも倫理を「考えた」かのような錯覚をバカ学生達に与えて衆愚人気を集めているのも
松沢哲郎や山極寿一ら生物学者達によって「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もないデマで衆愚人気を集めて金儲けに成功しているのも
全ては大多数の大衆が自分の頭で物事を論理客観的に検証していないために流布されているデマであり
養老孟司の人気なんぞもはや論外である バカ過ぎて話にならない
大衆やマスコミがイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのといった 論理客観的根拠のない勝手な決めつけや妄想ファンタジーを あたかも「真理」であるかのように錯覚しているのも 「ヒトの頭の悪さの証明」である
マルクス:ガブリエルは「殺人者には話が通じない」などという決めつけをしているが これもまた客観的根拠のない「決めつけ」によって衆愚人気を集めているに過ぎない
プーチン政権がどのようなプロセスによって戦争などという非合理な選択に陥ってしまったのかについて論理客観的に検証することで再発防止にも役立つのであって これはオウム真理教や太平洋戦争の時の日本政府における集団洗脳やエコーチェンバーのメカニズムを徹底的に検証しておけば防げた可能性がある
マルクス:ガブリエルはそうした論理客観的検証には何の興味も示さず 根拠のない決めつけをすることで衆愚人気を集めているだけである
テロリストや殺人の常習犯であっても改心して被害者に償いを続けている者もいるのであって 「殺人者」というレッテル貼りで「話が通じない」と決めつけることこそが 最も短絡的な「バカの発想」であり プーチンなどの独裁者が暴力による最終解決に暴走する原因でもある
バカげた短絡的発想の方が ヒトの脳は満足感を得やすく 主観的に納得したような錯覚に陥って「信じよう」とする欠陥がある
生物学界や哲学界における非論理的デマを放置しておいても 直接的には実害がないものの デマを鵜呑みにしている頭の悪さを誰も自覚しないことによって戦争などの重大事象への発展を許してしまうことになるのである
「大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている」とはハインリッヒの法則である
自分の頭の悪さを自覚せずに プーチンだのビンラディンだの麻原彰晃だの植松聖だのという特定の迷惑者を個人攻撃しておけば「正義」だと勘違いするのは簡単である
ヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的欠陥を自覚してこなかったからこそ バカみたいな重大事象への発展を許してしまったのであって 「プーチン政権さえ打倒すれば平和になる」ようなものではない
それは「ビンラディン容疑者を殺害したらテロがなくなる」わけではないことや 「通り魔を死刑にしたら通り魔事件がなくなる」わけではないのと同じである
「本当の目的」を忘れて客観的根拠に基づいて合理的選択をせずに 短絡的安心満足のために「暴力で解決」しようとするヒトの普遍的な頭の悪さというものを 全てのヒトは自覚しなければ 何度でも同じような事象を繰り返す頭の悪さは永久に治らない
Ende;