遺伝的進化には目的がない
ところが生物学では長い間「○○のために進化した」とか「○○のために進化を選んだ」とか「生存戦略」といった説明をしてきましたが
これは論理整合性が欠けており 本来であれば訂正されるべき内容です
目的がないのに戦略なんぞ成立しませんし そもそも遺伝的進化というものは個体の都合に合わせて「選ぶ」ことなんかできないんですよ
遺伝的進化というものは「遺伝子の保存」にすらならず 環境に適応して「繁殖を継続」出来た個体種への収斂進化しか促すことはありません
進化によってどんどん違う種の生物へと進化している時点で「遺伝子の保存」には全くなっておらず
現存生物種という「死滅せずに繁殖を継続」可能だった結果以上の何も遺伝的進化はもたらさないのです
生物発生初期の単細胞のバクテリアからヒトへと進化している時点でほとんど全く「遺伝子を保存」なんぞしていないわけです
生物やその遺伝的進化には目的などなく あくまで結果的(偶発的自然現象として)に死滅せずに生きている(繁殖を継続できている)ものを「生物」と分類しているに過ぎないのです
遺伝的進化というものは現在進行形の現象であり 都市部では野草などの植物が都市環境への適応した変異種への収斂進化も見られるそうです
もう一度遺伝的進化のアルゴリズムについて考えてみましょう
まず変異が起きます 変異は環境に依らず放射線や紫外線や配偶交配によるランダムなものであって 環境に適応した変異が起こることもあれば 逆に全く適応できない変異が起こることもあれば 環境適応とは無関係な変異が起こることもあります
それだけなら変異はバリエーションが増えるだけで進化には至りません
遺伝的進化が生ずるためには淘汰圧力による収斂が必要であって 例えば逃げ足が速くないと天敵に喰われて死ぬとか 周囲の環境から目立たない姿でないと天敵に見つかりやすく喰われて死ぬとか そういった環境に適応した変異以外の全てが徹底的に死滅することで はじめて収斂進化が生じるのです
病院で抗生物質を処方されると「自分の判断でやめずに全部飲みきってくださいね」とお医者さんから念を押されます
抗生物質を服用すると 体内は菌類にとって住みづらい環境になりますが 菌類にも変異によるバリエーションがあるために 元々抗生物質が効きにくい変異種もいるため 処方された抗生物質は一定期間飲み続けないと抗生物質が効きづらい変異種だけが体内の残ってしまうことで収斂進化を促してしまい より強力な殺菌力を持った抗生物質を投与しないと駆逐できなくなってしまうため お医者さんは「全部飲みきってくださいね」と念を押して言ってくるのです
耐性菌というのはバンコマイシンというヒトの肝臓に障害をもたらす強力な抗生物質に対してまで耐性を持ってしまうこともあるそうです
耐性進化が起きるためには 適度に過酷な環境条件が必要で 遺伝的進化というものは適度な過酷環境でこそ生じるものであって 天敵や競合相手の少ない環境下であれば何億年もほとんど姿を変えずに繁殖を継続出来ている生物も存在しているのです
シーラカンスやオウムガイなどがそれに該当します
逃げ足の速い草食獣への進化が生じるためには 走るのが速い天敵によって逃げ足の遅い個体から喰われて死ぬことによって収斂進化が促されるのであって 走るのが速い天敵がいない環境であれば逃げ足の速い個体への収斂は起きず 生息環境において必要充分な以上の能力を持った個体種への収斂進化は促されることはないのです
シーラカンスも泳ぐ能力はあまり高くはなく 他の魚のように機敏に逃げ回ることはできませんが シーラカンスの生息する冷たい深海では機敏な天敵がほとんどおらず 逃げる能力が高くなる必要がないため 無駄に泳ぐ能力が高い変異が起きても逆に生息環境に適応できなければ死んでしまい 泳ぐ能力が高まる進化には至らないのです
変異は常にランダムですから 泳ぎの速い変異も起きれば 逆に泳ぎの遅い変異も起こるわけで それらがランダムに配偶交配をすれば泳ぐ能力は平均化されてしまい 特定能力が高まるような進化には至らないのです
逃げ足が速くなるなどの特定能力の獲得に対して ヒトが「進化」だと形容しているだけであって 実際には環境適応的に繁殖が継続さえ出来ていれば「生物」なわけで 暗闇の洞窟内で目が「退化」してしまうことも 天敵のいない離島で飛行能力が退化した鳥が存在しているのも あくまで環境適応的に繁殖が継続できているという「結果」以上の意味はないのです
肉食獣も捕食能力が高すぎれば獲物を絶滅させてしまって生態系の恒常安定性を維持できず 結果的に生態系もろとも絶滅してしまうことに陥ります
アフリカのサバンナのように生物密度が非常に高い環境だからこそライオンのような極めて捕食能力の高い肉食獣への適応進化が促されるのであって ライオンは西表島の環境には適応することが出来ないのです
遺伝的進化というものは あくまで生息環境に依存して生じるものであって 「○○のために進化を選ぶ」ことなど原理的に不可能なものであって 「生存戦略」という概念も科学的には全く成立しないのです
しかし 生物学では長年遺伝的進化に意図目的や戦略といったものをこじつけた説明をし続けてきたため これをこじつけや屁理屈によってはぐらかすような説明ばかりを展開しているのです
優生学などというオカルト観念が長年科学的論証であるかのように扱われ続けてきた原因も 遺伝的進化に意図目的や戦略をこじつける形の生物学者達の「説明」が原因です
遺伝的進化による結果的な現存生物種だけを見れば あたかも意図目的や戦略に則って進化を選んだかのようにも「見える」のでしょうが この「見える」というのは主観的感覚によって促されている錯覚でしかありません
遺伝的進化の過程で数多無数に死滅した変異種の存在を無視して 結果的に繁殖が継続出来ている現存生物種だけを見て「進化は人間よりも賢い(フランシス:クリック)」などと形容するのはとんでもない典型的な大間違いなのです
にも関わらず未だに「進化は人間よりも賢い」というクリックの言葉は「名言」として扱われ続けているのです
チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化の説明というのは あくまで環境適応の結果的な自然現象に過ぎず そこに意図目的や戦略や「考え」が介在する余地は存在してはいないのです
遺伝的進化は「選ぶ」ことなどできないのです
あくまで生息環境によって淘汰「選択される」ことによって結果的に起きるのが遺伝的進化であって 個体の都合は遺伝的進化には影響を及ぼすことは原理的にできないのです
遺伝的進化というものが「盲目の時計職人」と形容されるように 遺伝的進化というものには「目的」がないので「盲目」なのです
時計の様に精密な機械を作るように ヒトのような複雑な生物への進化が促されたとしても 別にヒトを超越した謎の超人のような究極の最終形態のような「目的」に則っているわけではないのです
「遺伝的進化に目的があって 究極の存在への進化が促されるはずだ 促されるべきだ」といった大衆観念上の妄想錯覚によって 優生学が科学的論証であるかのように勘違いされ続けているのです
論理客観的根拠に基づいた真実というものは 必ずしも気分的にスッキリするとは限りません
科学や哲学というものは 主観的な気分的安心満足を得ることを目的にしているわけではなく あくまで間違いや嘘と真実を見分けるためのものだからです
ワクチンは必ずしも100%安全ではありません それでも打たないリスクよりかは打つリスクの方が社会的リスクが低いからワクチンは推奨されているのであって ワクチンの危険性を過大評価するのであれば 「自動車は危険だから世の中から全てなくせ」とか「包丁は通り魔に利用されるから全てなくせ」と言うのと同じようなものだと言えます
100%安全ではないものを推奨されているというのは 気分主観的にはスッキリしない話ではありますが 主観的気分の「安心」と 論理客観的「安全性」との履き違えをするべきではありません
そもそもヒトという種の生物に100%の安全性や健康というものが存在しているわけでもありません どんなに健康に気をつけて生活していてもいつか必ずヒトは死ぬのであって ヒトの死亡率は100%なのです
それなら自暴自棄に「いつ死んでも良いや」とばかりに無責任に利己的欲望を追求することが許されるわけでもありません
ヒトという種の生物の先天的な主観的気分というものは 必ずしも社会安全性や持続可能性に基づいた行動が促されるわけではなく むしろ逆に働くことの方が多いと言えます
暑ければ冷房をガンガン効かせたいでしょうし 寒ければ暖房をガンガン効かせたいでしょう 移動に徒歩や自転車を使わずに近所のコンビニまで行くにも自動車やバイクを使う方が「楽」だと感じるかも知れません
外出中にゴミを家まで持ち帰ることなどせずに そこら辺にポイ捨てしてしまった方が「楽」だと感じる人がいるからこそ ポイ捨ては後を絶たないんでしょう
犯罪が起きたら刑罰で「解決」だと思っておけば安心満足で 原因究明や再発防止になど興味すら持たない人の方が多いものです
その方が気分的にはスッキリし 安心満足感が得られるようにヒトという種の生物は先天的に出来ているからです
DV男は家族に暴力を振るってテストステロンを「消費」することで脳内のシーケンスによってセロトニンが分泌されて急に優しい気持ちになるそうです
こうした条件反射メカニズムはDV男に限ったものではなく ヒト全般に先天的に組み込まれたものであり だからこそ「刑法判決で解決だ」という合理性のない結論に安心満足感を主観的に感じるわけです
プーチン政権の暴走に対してロシアへの嫌悪感からロシアの土産物店の看板を破壊するという「私刑」を実行したバカがいたそうですが お店の店主はウクライナ人だったというオチがありました
嫌悪感という主観的感覚だけを自分の「考え」や「意識」や「意思」だと錯覚しているからこそ こうしたトンチンカンな行動に陥るのであって それはプーチン政権の錯乱とメカニズム的には同じものに過ぎません
ヒトという種の生物が先天的に優秀で 「先天的に人間性が組み込まれているはずだ(山極寿一)」といった科学的には根拠のないデマの方が主観的には安心満足感が得られるからこそ ヒトは安心してトンチンカンな錯乱した行動を採るようになるのです
遺伝的進化というものは 「繁殖を継続」する以上の何も促すことはありません 差別排除や痴漢や幼女強姦や封建的組織腐敗を放置する先天的習性という「結果」も 「繁殖を継続」さえできていれば「進化」であり「現存生物」であって それらを無視して「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などと言うのは現実逃避のオカルトでしかありません
ヒトという種の生物は先天的には人間としての認知的欠陥を持っているために 東京電力のように原発の危険性を放置するような組織体質が作り出されたり 日本大学やプーチン政権のような独裁体制をも作り出してしまうものなのです
名だたる大企業による不祥事も 高学歴な社員達によって引き起こされるものであって プーチン大統領もまたレニングラード国立大学(現サンクトペテルブルグ大学)を卒業しているのです
大衆観念的には学力学歴は知能と同じものだと思われていますが 認知科学的には学力成績は知能の本質とは無関係であることが証明されているのです
通り魔やテロリストも 実は結構高い確率で学生時代に学力偏差値が高かった事例がいくつも出てきます
オウム真理教による地下鉄サリン事件は典型だと言えるでしょう
ISIL(イスラム国)の構成員も高学歴な人が多かったそうです
こういった話をすると「じゃあ 一体誰を信じればいいの!」などと言い出す人が後を絶ちません そもそも「盲目的に信じていたい相手」として 学術権威という肩書が存在するのであって 「国立大学の生物学教授や哲学科の職員なら常に正しく間違ったことは言わないものである」という盲目性があるからこそ 遺伝的進化に対する「典型的な間違い」に基づいた説明がいつまでも温存され続け 一切訂正されることがないのです
マスコミは文科系の人が多いですから 論理客観的に正しい話なのかどうかを自分の頭で考え検証することが苦手で 学術権威が言ってさえいれば「裏を取った」とばかりに漫然と信じ込み報道してしまっているのです
権威という肩書を持った相手の言っている内容を鵜呑みにし その内容の真偽を自分の頭で論理客観的に考え検証しないというのは 内容の責任を権威肩書に丸投げしているに過ぎず 極めて無責任な判断だと言えるのです
ヒトという種の生物は その際限のない欲望を満たすために地球環境を破壊し続け 絶滅への道のりをほとんど止めることすら出来ていません
「進化は人間よりも賢い」というのであれば どうしてヒトは地球環境との共存共生するように先天的欲望が進化しないのでしょうか
遺伝的進化が「賢い」んだったらヒトが頭で考えて対策を練る前に地球環境との共存共生できるように遺伝的進化が起きても良いはずです
環境資源の奪い合い競争なんぞせずに 相互に助け合う共生社会にとって都合の良い本能習性へと進化が起きないことには とても「賢い」などとは言うことはできません
生物学者は「遺伝的進化が促されるためには長い時間が必要だ」と言いますが どんなに長い時間を経過しても遺伝的進化が生ずるためには必ず淘汰圧力が必要で 適した変異種以外が全て死滅することによる いわば「自然に生じる品種改良」が働かなければいかなる進化も生じることはないのです
タレントの「YOU」が「進化によって月経の痛みがなくならないのかしら?」などと言っていましたが 月経の痛みを感じない女性以外が全員死ぬか 断種しないと月経の痛みがなくなるようには進化は起きません
それは何億年経っても淘汰圧力が働かなければ進化は促されることはなく シーラカンスが何億年もその姿をほとんど変えないのと同様で 「遺伝的進化が促されるためには長い時間が必要だ」などという話はそもそも科学的に間違っているのです
逆に言えば 月経の痛みを感じない女性以外を全員殺害断種してしまえば ヒトは月経の痛みが感じない種への品種改良も数世代で可能なわけです
イヌ科の動物は変異が起きやすい性質があるそうで ロシアでのキツネの人工繁殖実験では数世代で様々な姿や性格への変異が起こるそうです
しかし イヌ科の動物は自然界においてはそんなに多くの姿形の個体を見ることは出来ません
生まれてくる子供は様々に変異しているはずなのですが 実際の生息実態では姿形も性格もほとんど同じ個体しかいないのはなぜでしょうか?
それは何らかの形で淘汰圧力が働いていることによって 適応した変異個体以外が全て死滅しているためです
外見や性格が群れに馴染まない子供が産まれてきてしまった場合には 群れは差別排除によって民族浄化することで変異種への淘汰圧力として働かせることで 遺伝的には変異しやすいにも関わらずキツネは自然界の群れの中では見た目や性格が同じような個体への収束収斂が生じているわけです
こうした民族浄化の行動バイアスはヒトでも見られ 見た目や言語 生活文化やマナーの違いによってヒトは簡単に暴力的差別排除をするようになる性質があり これは先天的に組み込まれた本能習性に起因するものです
Microsoft社のTwitterAIが Twitter上の数多のヘイトスピーチを「正解データ」として「学習」することによって ヘイトスピーチを率先して始めてしまうという事例がありました
学校で子供だけを放置しておけば 自然と順位序列を作り出してイジメや差別が生じます 「学級内カースト」というものは多くの人が経験しているはずです そうした身勝手な階級差別というものの基準とは 極めて幼稚な観念によるものであって 何の合理性も伴わない主観的好き嫌いの多数決的なもので決定してしまいます
わざわざ「多様性を認めましょう」などとスローガンを掲げなければならないのは ヒトという種の生物が先天的には多様性を受容したがらない習性が存在しているからでもあります
先天的な本能習性のままに行動していれば 気分的には安心満足感が得られるでしょう 安心満足というのは先天的な本能習性によって満たされるものであって 祖先の生息環境における「繁殖の継続」にとって有利な本能習性への収斂進化の結果的な行動バイアスに過ぎません
たとえば通り魔事件が起きて 幼い子供が何人も惨殺されたりすると 「こんな奴は問答無用で死刑にしちまぇ!」と思うものです それは私であっても同じで 糞DQNが夜中に騒いでいると「死ねよ」としか思いません
しかし「思い」というのは主観的情動に過ぎず 合理性が伴うわけではありません ヒトという種の生物に普遍的に見られる性質だからといって それが短絡的に「人間性の論証」になるわけではないのです
論理客観的に考えれば 他人への迷惑を平気でやらかすバカに育ってしまうプロセスやメカニズムについて徹底的に検証し 同じようなバカが出てこないように再発防止策を講ずることの方が社会的には合理性があるのです
糞DQNを何人殴っても 通り魔やテロリストを何人死刑にしても そういった「懲罰」では再発防止にはなりません
暴力的で他人に危害を加える危険性が高い人物を拘束監禁することには社会防衛の観点において一定の合理性があるとは言えますが 罰自体は論理的合理性など存在していないのです
ヒトという種の生物は 祖先の生息環境に因る収斂進化の結果として 暴力によって物事を解決したがる先天的本能が組み込まれてしまっているために どうしても「罰で解決だ」という短絡的で合理性のない解決策に陥ってしまいがちです
これらは先天的本能習性に起因する認知上の欠陥であり 「本当の目的」というものは多数や権威に迎合することでもなければ 自分の主観的感覚や印象によって見極められるものでもないのです
自分の主観的感覚や印象というものを短絡的に「自分の意思や意識だ」という大衆観念的な錯覚を自覚しないからこそ ウクライナ侵攻やミャンマー軍事政権のような野蛮行為にも発展してしまう原因でもあるのです
危険学や失敗学では「ハインリッヒの法則」というものが提唱されています
「一つの大きな重大事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」という統計的立証に基づいた考え方であり 生物学界における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」や 哲学における「意識」や「自由意志」に対する重大な誤謬こそが 戦争のような重大事象への発展の大きな要因ともなっているのです
ウクライナに最新兵器をどんなに供与しても ロシア兵の死者が増える一方です
短期的に見れば軍事支援は有効だと言えますが それは「現場の正義」であって 根源的な原因には全く言及していないのです
子供が学校でイジメをするのも プーチン政権が暴走するのもヒトの普遍的な本能習性によるものであり それを止めるために必要なのは 政権を構成する個人の判断であることに違いはありません 子供のイジメでは8割が傍観し イジメに異議を唱えればイジメの対象にされてしまいます それと同じでプーチン政権の中では暴力による恐怖を用いた統率支配が横行しているのです
そしてそれは民族国籍に関わらず 日本国内でも日本大学のような腐敗組織による独裁は起こるものでもあるのです
ハンス:ヨナスはマルティン:ハイデガーの「決意性」への批判をし 「他者の生命を守ること」こそが重要だと説きましたが 「他者の生命を守る理由」とは 他者の生命を尊重しないような社会であるなら 自分が生き続ける必要性がないからであって 漫然と頭ごなしに道徳を押し付けて人間性や倫理が成立するわけではありません
「人が人を殺してはいけない理由」はありませんが 「人が人を殺すような社会に生き続けなければならない理由」もまたないのです
どのような社会を望むのか その「本当の目的(人間としての真理)」も見極めずに ただ本能習性のままに利己的生存や欲求を求めても その人生には人間としての尊厳など存在しないのです
尊厳のない人生というものは 人間としての人生ではないのです
サルの変種に過ぎないヒトが 人間としての社会性を発揮するために必要なのは 主観的な安心満足ではなく 論理客観的な「本当の目的」を見極める能力なのです
なんやかんやで長文だな
バカが多すぎるんだよ めんどくせぇ
Ende;