ニーチェなどを引用して「名言」などと称して断片的な文章を有り難がるバカが非常に多いのだが
それは「感覚」が促す気分的満足感に基づく基準であって 論理的/哲学的/倫理的論証としては一切成立しない
読み手が勝手に主観的満足をしたからといって それが論理的に社会安全性において有効性につながるわけではなく
単に その場限りの観念的満足や 感覚的な「カッコイイ」といった主観しか基準になっていないのである
哲学というのは本来 科学論理的な客観的真理を追求するものであって 主観的観念を徹底排除することによって成立するものである
それを 一体どのように勘違いしているのか 主観的感想を基準に「名言」などと称して哲学か何かだと勝手に勘違いしているバカが多すぎる
現在の哲学界というのは 亀山郁夫による「ドスト:エフスキーの読書感想文」を哲学だと勘違いし マルクス:ガブリエルによる「世界は存在しない」などというオカルト話に人気が集まり 終いにゃ「理性や人知を超越した実証不能の謎の英知」などというトンデモ話を鵜呑みにしているのである
現在の哲学界というのは文科系オカルト野郎の巣窟であって 到底哲学としての論理的思考が成立していない非科学的妄想観念だけがまかり通っている状態なのである
ニーチェによるゾロアスター教やナチスに迎合したハイデガーを「倫理」として扱っている時点で 哲学としての社会的役割は一切果たしていないのである
何も論理客観的に「考え」ていないバカであれば 主観的観念で「カッコイイ」だの「面白い」だのと論理的根拠のない評価を下すのは簡単であろうが それは既に哲学でも何でもなく 単なる文芸であり 芸術に過ぎない
芸術であれば 読み手がどのように解釈しても構わないが 哲学や科学は論理客観的普遍性に基づいた真理を追求するためのものである
論理客観的普遍性を逸脱した時点で それは哲学ではない
「哲学には好き嫌いがあります」とは言われているが それなら「科学にも好き嫌いはある」のであって だからといってオカルト観念を哲学として扱って良い理由には一切ならない
科学においてもエセ科学というのはあるが それは大学で教えるようなものではないが こと哲学に関してはエセ哲学ばかりが蔓延しているのである
学力成績が高いだけのバカ学生であれば エセ哲学であろうと気分的に満足して鵜呑みにするのであろうが それはもはや洗脳でしかない
人間性や倫理の本質というのは ニーチェでもハイデガーでもプラトンの言葉の中にはなく 畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書の中に記されている「個人が自律的に社会的責任を負うこと」なのである
それは別に「カッコイイ」わけでも「面白い」話でもない
人間性や倫理にそういった主観的観念感想は必要がないからである
Ende;
それは「感覚」が促す気分的満足感に基づく基準であって 論理的/哲学的/倫理的論証としては一切成立しない
読み手が勝手に主観的満足をしたからといって それが論理的に社会安全性において有効性につながるわけではなく
単に その場限りの観念的満足や 感覚的な「カッコイイ」といった主観しか基準になっていないのである
哲学というのは本来 科学論理的な客観的真理を追求するものであって 主観的観念を徹底排除することによって成立するものである
それを 一体どのように勘違いしているのか 主観的感想を基準に「名言」などと称して哲学か何かだと勝手に勘違いしているバカが多すぎる
現在の哲学界というのは 亀山郁夫による「ドスト:エフスキーの読書感想文」を哲学だと勘違いし マルクス:ガブリエルによる「世界は存在しない」などというオカルト話に人気が集まり 終いにゃ「理性や人知を超越した実証不能の謎の英知」などというトンデモ話を鵜呑みにしているのである
現在の哲学界というのは文科系オカルト野郎の巣窟であって 到底哲学としての論理的思考が成立していない非科学的妄想観念だけがまかり通っている状態なのである
ニーチェによるゾロアスター教やナチスに迎合したハイデガーを「倫理」として扱っている時点で 哲学としての社会的役割は一切果たしていないのである
何も論理客観的に「考え」ていないバカであれば 主観的観念で「カッコイイ」だの「面白い」だのと論理的根拠のない評価を下すのは簡単であろうが それは既に哲学でも何でもなく 単なる文芸であり 芸術に過ぎない
芸術であれば 読み手がどのように解釈しても構わないが 哲学や科学は論理客観的普遍性に基づいた真理を追求するためのものである
論理客観的普遍性を逸脱した時点で それは哲学ではない
「哲学には好き嫌いがあります」とは言われているが それなら「科学にも好き嫌いはある」のであって だからといってオカルト観念を哲学として扱って良い理由には一切ならない
科学においてもエセ科学というのはあるが それは大学で教えるようなものではないが こと哲学に関してはエセ哲学ばかりが蔓延しているのである
学力成績が高いだけのバカ学生であれば エセ哲学であろうと気分的に満足して鵜呑みにするのであろうが それはもはや洗脳でしかない
人間性や倫理の本質というのは ニーチェでもハイデガーでもプラトンの言葉の中にはなく 畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書の中に記されている「個人が自律的に社会的責任を負うこと」なのである
それは別に「カッコイイ」わけでも「面白い」話でもない
人間性や倫理にそういった主観的観念感想は必要がないからである
Ende;