書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ローズヒップ。

2018年10月31日 20時17分52秒 | 写真
バラって実がなることがあるのね

ググったら品種に依るらしい








Ende;
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○【ツブツブ注意】。

2018年10月30日 12時35分00秒 | 写真
なんてこたないアサガオなんだけど


花びらが育たなかった花があった


よくありがちな草がモシャモシャ


実が割れて粒々が出てきている


東南海地震に備えてタンスの転倒防止器具を段ボールで自作してみた

効果の程は来てみないとわからんけど

何もしないよかマシかなと

段ボールって結構種類が多くて 強度が欲しいならリンゴとか梨とかスイカ(時期的にないが)の箱が頑丈

オカキとかポテチの箱はヨワヨワ

 ◇追記:2号機と3号機




これでタンスが倒れる程揺れたら家ごと倒れるんじゃないかと思う



Ende;
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○懲戒請求。

2018年10月29日 22時54分26秒 | 意識論関連
弁護士懲戒請求が急増していて社会的問題になっているそうな

まあ結論から言えばネトウヨに洗脳されてんだけど

自己の行動に対する論理的客観性がないから偏った思想に簡単に染まる

主観的感情の強度程度を意識の主体だと錯覚しているのが原因

説明すんのも面倒臭いわ



Ende;
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○メモ35。

2018年10月28日 10時56分56秒 | 日記
メモ35



動物写真家の岩合光昭(いわごう みつあき)が映画監督を務めた映画が来年公開予定

リハーサル段階では猫の代わりにぬいぐるみを使っていたそうなんだけど

本番になると どういうわけか台本通りに猫が演技するのでスタッフ一同唖然としたそうな

本番直前に岩合監督が猫と会話していたんだとか

_人人人人人人人人人人_
>そんなことあるのか!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


映画.com

ちなみに岩合さんはフィルム時代からオリンパス

凸凹凸凹凸凹凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

戦時中 台湾少年工なんていたのね

高座海軍工廠と台湾少年工 神奈川県大和市

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

金鳥の蚊取り線香がどこにも売ってなかったので

仕方なしにベープアースの蚊取り線香買ってきたら

臭い…

あまりに臭過ぎて気持ち悪くなっちったよ(オエ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

LGBTは別に良いんだけどさ

下品なオカマとかゲイが前面に出て来るから嫌悪感ばっかり煽るんじゃねぇのか?

もっと品の良い性同一性障害の人を前面に出せば観念的嫌悪感も減ると思うぞ

まぁ 品の良い人ってグイグイ前には出てこないんだけどね

たとえノンケでもグイグイ系は気持ち悪い

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

LineMobileのCMにばっさー【画像】

本田翼:1

本田翼:2

「のん」ちゃんも出てきた
のん:1

のん:2

のん:3

かわいいので壁紙にしたった


凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

台風26号は中国大陸に上陸するっぽい

大陸に行っちゃえばこっちにゃ影響少ないと思うけど

◇追記:あれ? まさかこっちに戻ってくる? 29日21時現在950hpa

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

急に右目の視野だけが下にズレはじめたので

脳梗塞か何かかと思ってググってみたら

脳が原因の場合には両目の特定視野に障害が出るんだそうな

脳の視覚野というのは視界の左右半分ずつが脳内の同じ部位につながっているので

脳が原因で片目だけに症状が出ることはあまり考えられないそうな

結局肩コリが原因らしい

そういや首が痛いわ

でも この症状が運転中に出たら怖いな

自転車とかバイクだったら転倒すっかも

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ゾウって未だに年間2万頭も殺されてんの?

ヒドイな…

象牙の代用材なんて日本のハイテクでいくらでも作れそうだけどな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

福原愛ちゃんって Perfumeのかしゆかに似てるのかな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

摩耶改二 -アオシマ

リベッチオ フィギュアレビューブログ

艦これってのは相変わらずケシカランな

ああケシカラン ケシカラン ('A`)

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

「マーナ」っていう会社の製品をWBSトレンドたまごで紹介してたんだけど

リアルタイムでググってみたらサーバーが大混雑

反響大きかったらしい

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

SNS上のデマって度々問題になってんのにどうして裏取らずに鵜呑みにすんだろうね

個人アカウントであろうがマスメディアであろうが学術権威だろうが「絶対ではない」という前提で読むべきだと

オイラは思うけどね

多数派同調バイアスに流されて簡単に興奮状態に陥るからデマかどうかが後回しになっちゃうんだろうな

そういうのを自律的にとめられない奴は振り込め詐欺にも簡単に引っ掛かるんじゃねぇかな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ヤギに雑草食べさせて除草するって話を聞いたことがあるんだけど

有毒なゼフィランサスとかヒガンバナとか結構普通に生えててヤギって区別出来てんのかしら

それとも勝手に腹壊してたり死んでたりするのかしら



Ende;
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○モフモフ。

2018年10月27日 21時42分09秒 | 写真
鉄道高架下の北側が苔でいっぱい



苔玉とか作りたいとか思ったが

このままが一番良いような気もしてきた




猫寝てる


シャッター音で起きた


やっぱり眠い


もう カシャカシャうるさいな


隅田川




Ende;
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○進化万能論。

2018年10月26日 23時48分29秒 | 意識論関連
ジャレド:ダイアモンドは配偶者選択においてこう述べた「運命に身を任せることが良い」

「運命に身を任せることが良い」とはつまり「先天的本能習性のままに配偶者を選択することが最良である。」と言っていることになる

かつてヒトが過酷な自然環境下において暴力性が高い方が生存にとって有利だった結果 より暴力的配偶者を選択した方が淘汰圧力を免れ易かったために 結果的に暴力性の高い配偶者を選択しがちな性質が遺ったことが原因で DV男と子供を作ってしまって生活に困窮しているのであろう

それなら先天的本能習性が促す主観的好き嫌いだけで配偶者を選択することはDVを助長することになる

それとも まさか暴力的遺伝子を持った個体の中に偶発的に暴力性の低い個体が生じることで 暴力的個体が自動的に淘汰されて暴力性が低くなる力学が働くとでも言うのであろうか

言っておくが遺伝的進化というものが促されるためには 猛烈な淘汰圧力によって特定の性質を発現する遺伝子を持った個体だけが生き残る必要性がある

もし ヒトから暴力性を持った個体が淘汰されるためには DV男との間に出来た子供は淘汰されなければならない

それはつまり「DV男と子供を作ってしまって生活に困窮しているようなバカな女は子供もろとも死ななければならない」ということを意味するのである

遺伝的な進化を促すためにはあらゆる弱者は自滅することを放置しなければならない

そこに人間性や倫理が存在するとお思いか?

あのね 遺伝的な進化を促すためには人間性だの倫理といったものを全部排除して ひたすら遺伝的に優秀な個体種だけが生き残るようにしなければならないのであって

それは そもそも遺伝的進化の素となる淘汰圧力自体が人間性や倫理とは相容れないものであることを意味する

それなのに どうして「運命に身を任せることが良い」と言えるのであろうか

自然の摂理のままに流されていれば全てが正しい結果が得られるという大衆観念は科学でも哲学でもなければ当然ながら安全性や持続可能性の論証にもならない

気分的にどんなに安心満足しても それは科学論理的な安全性の証明にはならない



Ende;
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○夕暮れなど。

2018年10月26日 21時26分30秒 | 写真





OSCOlympic志村坂下店に動物病院が出来るらしい


Ende;
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○中毒制御。

2018年10月26日 12時47分18秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物は 先天的に気分的安心と論理的安全性の区別が出来なくなる習性がある

カルト宗教の信者だけが特異に盲目性を発揮するわけではなく 盲目性というのはヒト全般に見られる普遍的習性であると考えるべきであり それはスタンレー:ミルグラムによる服従心理実験でも明らかになっている

ヒトは権威としての肩書さえあれば 言っている内容がオカルトでも簡単に信じ込む習性がある その典型例は養老孟司であろう

ヒトの多く 大衆マスコミの多くは 主観的に気分が良くなる話を信じ込もうとする習性があり そこに自律的な論理検証性が働くことが非常に稀である

これは おそらく 自分の主観的な気分感情というものが意識の本質だと錯覚しており なをかつ主観的事実に過ぎない個人的好き嫌いと客観的事実の区別がついていないことから生ずると考えられる

主観的に好きな相手の言っていることを鵜呑みにする これはありていに言って考えが浅はかで幼稚なのだが ヒトの多くは社会的に自立さえしていれば自分は幼稚ではないと勘違いしている場合が非常に多い

権威の言っている内容は信じたいが 権威ではない相手の言っている内容は信じたくないというのは 要するに権威というものが「安心して信じることが出来る相手」を意味しているに過ぎないのである

安心という主観的気分感情が基準になっている時点で 科学的には立証不能であり たとえ「科学的権威」などと言っても立証不能の観念に過ぎないのである

京都大学学長だとか 東京大学名誉教授などという肩書さえあれば 言っている内容が非科学的オカルトであろうと信じたいのがヒトという種の生物の普遍的習性であり 盲目性の原因でもある

誰を権威と見なして信じ込みたいのか その違いだけではオカルトかどうかの判断にはならない

権威かどうかよりも 言っている内容が論理的に正しいのかどうかを自律的に検証して初めて科学や哲学として成立するのである



 ○「何を信じたら良いのかわからない」

なぜ 信じなければならないのかと言えば 誰かを盲目的に信じ込んでいれば気分的に安心出来るからに過ぎず これは気分という個人の主観の問題でしかなく 主観的感情論と客観的事実認識の区別がついていないから無用な不安が先に立ってしまうのである

個人的に不安かどうかは科学や哲学とは無関係な話であり 論理的に正しいかどうかを自律的に判断してこその科学や哲学であって そこに個人の主観的「安心」を混入させることの方が間違いなのである

宗教というものは盲目的に信じ込むことで気分的に安心するためのものであって これは科学でも哲学でもないし 論理的には根拠がなく あくまで主観的な気分を満たすだけのものであり 客観的には意味がない

宗教でお祈りをしていれば原発が安全に運転出来るわけもなく 航空機が宗教的呪術で空を飛んでいるわけでもない

宗教というのはあくまで主観的な気分を満足させるためのものであって 論理的安全性が担保されているわけではないのである だからといって いきなり宗教を禁止したり特定宗派の人達を弾圧したりするのは これもまた一種の宗教的拒絶反応にしかなっていない

「これさえやっときゃ 全ては解決」という短絡的最終解答を提示するのが最も危険なのである これは宗教かどうかの問題ではなく イデオロギーや医学的処置においても言えることである

「これさえやっときゃ」的な最終解決策を提示した方が 大衆からの人気は得やすいのだが これこそがヒトの最も悪い面なのである

「共産主義さえ導入すれば民衆は救われる」と称して連合赤軍が虐殺をしたのも 「これさえやっときゃ」的な盲目性が引き起こした暴走である

つまり 宗教かどうかというよりも 危険なのはヒト全般に見られる盲目的暴走性であって これは宗派とか民族とか国籍イデオロギーに依らず起きうるものである

決して特定の民族宗派イデオロギーだけが優秀といった特別性など存在しないという論理的客観性がヒトには必要なのである



ヒトという種の生物は 盲目的に暴走していた方が気分的には安心である

しかし これは単なる中毒であって 安心とはそもそも脳内においてドーパミンの中毒性が作り出しているものなのである

自分自身で中毒性を認識していれば 個人的に好きなものを純粋単純に楽しむだけにすることが出来るようになり 主観的好き嫌いを他人に強要せずに済むようにもなる

例えば 個人的に好きな写真や絵画に気持ちを癒されるのであれば それはイスラム教の戒律で気持ちが安らぐことも共感することが出来る それなら宗教を頭ごなしに弾圧したりするのは心が狭いと気付くはずである

「宗教さえ無くしてしまえば 全ては解決する」わけではないことくらいは 余程何も考えないバカでなければ気付くであろう

「宗教はアヘンである」と宣言した共産主義者達による暴走が 一体どれだけ迷惑だったことか



Ende;
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○松尾豊。

2018年10月26日 00時25分11秒 | 意識論関連
工学者の松尾豊はトロッコ問題を「倫理だ」と言っていたが トロッコ問題には倫理の本質は含まれてなどいない



片山右京はトロッコ問題的な命題に対して

「目の前の歩行者の命を助けてから その後対向車とどのように衝突すれば双方のダメージを最小限に抑えられるのかを考える。 目の前の歩行者を轢くという選択肢は絶対にない」と答えた

自動車が衝突する際に自動車の挙動、構造や強度に熟知している運転の達人とそうでない凡人では判断が異なることは想像に難しくはない

さらに言えば 将棋AIのポナンザのように ヒトでは考えもつかないような最良の一手を打ってくる可能もある

回避困難な状況下に陥った場合にプロセッサのクロックパルスを極端に上げて計算することも機械であるAIなら可能である

機械なら危機回避に必要な時間いっぱいまでにCPUが焼き切れるくらいの高速処理を行わせることも出来るだろう

しかし このようにAIが最良の解を算出することというのは 判定可能である以上 答えの出しようのないトロッコ問題とは全く別の話である

何度も繰り返すがトロッコ問題の中には倫理の本質は含まれてなどおらず どんなに「悩ん」でも判定不能な条件だらけのトロッコ問題では倫理の話にはならない

トロッコ問題で「悩ん」だことを あたかも「考え」たかのように錯覚していることの方がむしろ無責任な頭の悪さ(先天的欠陥)なのであって 実際のアクシデントにおいて無数の判定条件から導き出す最適解に「悩み」など介在する余地はない

あれこれ制限だらけで判定不可能な命題でどんなに「悩ん」でも それは「考え」ではなく その区別が出来ないことこそがヒトの脳の欠陥なのである

もしAIによって無数の判断条件に基づいて最適解が導き出せないとしても それは倫理の問題ではない

倫理というものは危機回避可能性が予測出来たにも関わらず傍観放置したかどうかに存在するのであって 予測不能な上に最適解も導き出せない事象に倫理や人間性が介在する余地など存在しないのである

原発事故では「放射能では誰も死んでいない」などと称して これを倫理だと言うことなど出来ないのである

工学系研究者もバカが多くてウンザリするわ



Ende;
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○酒。

2018年10月23日 13時39分45秒 | 意識論関連
消費期限つきの電子マネーっていうアイデアがあるそうなんだけど

お酒に関しては全面的にこれにした方が良いんじゃないかと思う

運転免許と連動させておいて居酒屋に自動車で来店してたりしたらお酒が注文出来ないようにするとか

店内で飲酒後に自動車に乗ってもエンジンかからないようにするとか

少なくとも一回でも酒気おび運転で検挙された人ならそういうシバりがあった方が良いと思う



泥酔した人を数人の警官が押さえつけたら死んじゃったって話もあるけど

そもそも数人で押さえつけなきゃならない程暴れたんだろうから

「泥酔している」という原因から抑制しないと現場の警官がかわいそうだわ

お酒専用電子マネーなら一日のアルコール摂取量を制限出来るだろうし

泥酔者のお世話をするために警察があるわけじゃないし

そんなことに警察官の人的資源を取られても それ全部税金だかんね



そもそもお酒って楽しみのために飲むものであって

脳を麻痺させてまで飲むもんじゃないだろうと

オイラは思うだよ オイラはほとんど飲めないけど

酒もタバコもやらず 百まで生きたバカがいた」とか言い出す奴が時折いるけど

脳ミソ麻痺させることに執着している方がよっぽどバカだという客観的事実を無視した勝手な決め付けにしかなっとらん

それとも自分の先天的欲望をどれだけ満たすことが出来たかを他人と比較競争でもしているつもりなのかしら

個人的に何が楽しいのかなんて全く異なるものなんだから そんなもん比較することの方が頭おかしい

こういう意味のない他人との比較競争にばっかり執着しているからバカが治らない

その原因は評価承認中毒



Ende;
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○写真詰め合わせ。

2018年10月22日 13時03分45秒 | 写真
ピラカンサ


コブシ?


豊島橋から


よくみると富士山


江北橋


ち 近い…


後頭部


すねちゃった




ムクゲ ◇追記:「フヨウ(芙蓉)」が正解らしい


ナンテン




名前なんだっけ? ◇追記:「ムラサキゴテン」っていう「ムラサキツユクサ」の園芸種だとか


何だろう


たんまり実ってる


トウガラシ


花のつぼみかしら


「ヤツデ」かなと思ったら全然違う

 ◇追記:葉っぱの形は紅葉葵(モミジアオイ)に似ている
 ◇追記2:花オクラ(トロロアオイ/黄蜀葵)が正解らしい

コスモスにミツバチ


あれ さっきの花に似てる


前をブチ子さんが…


猫ってのはどうしても「見てんじゃねぇよ」的な顔しかしてくんない


ハシボソカラスさんが目の前に降臨


この後「ギャーギャー」鳴いてお仲間を呼び寄せておりました

ブチ子さんが気に入らないのか ブチ子さんに向かって何か訴えてたんだけど

当のブチ子さんは知らん顔

ゼフィランサス(有毒)

そこら辺にニラっぽいのが生えてたら毒草だと思った方が良いと思う

日なたで眠い…


あの、いま猛烈に眠いので後にしてくれません?


てふてふ




Ende;
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○風雲急。

2018年10月20日 22時14分17秒 | 写真
夕方 急に暗雲が立ち込め





ちょっとヤバそう


誰か魔界から得体の知れぬ何かを召喚した?





Ende;
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○了見。

2018年10月20日 15時22分41秒 | 意識論関連
理論的な話というのは言語で説明可能ではあるのだが

そもそも定義が曖昧で論理的に説明することが出来ない話というのもある

例えば「心」である

心って何だっつう話をするときに 先天的行動習性バイアスが促す気分感情の全てを人間の心や意識だという理解の仕方をしていると 「殺人犯なんぞ死刑にしちまえ!」という短絡的感情論までもが人間としての心だという話になってしまい これでは到底論理的な理解には一切ならない

「心」というものの論理的定義が曖昧なままでは論理的説明による理解など成立するわけがない

これは「意識」においても同様で 何が意識の本質なのかを理解していないバカには 論理的説明は一切役に立たない

そもそもヒトという種の生物であるというだけで 短絡的に「ヒト=人間」という観念的解釈をしていたのでは論理的な話には全くならないのである



加害者家族が社会的に差別排除され 生活が出来ないという話がある

これは 大多数の大衆には犯罪者に対する差別意識や報復懲罰感情が働くためである

「差別意識」というのは意識ではなく むしろ厳密に言えば「差別バイアス」である こうした言葉上の論理的間違いは無数にあって 「○○意識」と言われているもののほとんど全ては厳密に論理的に言えば「○○バイアス」であり 無意識な行動バイアスを指している

単なる先天的な無意識行動バイアスを「○○意識」と呼んでしまっているために 気分感情が促すあらゆる行動バイアスの全てまでをも意識だという解釈を促してしまい 文科系大衆の論理的理解を阻害する要因でもある

気分感情が促すこうした無意識な行動バイアスのことを 大衆の多くや生物学者や哲学者達は「意識」だという解釈をしており これが論理的思考としての科学や哲学としての社会的機能不全の根本原因でもある

養老孟司が「ヒトは同じを追求する」などと称して 論理科学的安全性の追求と 単なる多数派同調性をゴチャマゼにしても誰もそれを幼稚な言葉遊びだとすら気付くことはない

「観念と実証を結合する」などという話は 気分感情が促す行動バイアスと論理思考の区別がつかない幼稚な文科系大衆を騙して人気を得るための嘘に過ぎない

ペテン師にとって カモを見つけるのは簡単なのである

言語機能というのは むしろ固定観念を植え付けることで論理検証性を阻害することの方が圧倒的に多いために 詐欺師達は言葉巧みにカモを丸め込むことが出来るのである

ネット上で「虚数意識論」だとかいう話を読んだことがあるが これは単に「知らない危険が怖い」と言っているだけであって 論理的には全く哲学や科学としての役割は果たしていない

恐怖心というのは感情であって 先天的行動バイアスを意味するものであり これは人間としての本質的意識としての論理思考とは全く別のものであり むしろこうした気分感情こそが論理思考を簡単に撹乱させ思考停止に陥れる原因なのである

女房子供を惨殺されたりすれば 社会安全性だの社会防衛だの再発防止といった理論よりも報復感情の方が優先しがちな習性がヒトにはある

たとえ身内でなくとも無抵抗な重度障害者が惨殺されても「死刑にしちまえ」という感情が出てくることは珍しいことではない

だからといって 報復や死刑によって惨殺事件を起こすような犯罪者が出てきてしまう論理的な原因究明や 具体性のある再発防止策には一切ならない

気分的に多数派で同調迎合したところで 論理的安全性につながらないのでは本当に被害者を減らすことにはつながらない

ましてや加害者家族や親族を差別排除しても 気分的には「正義」を実行したような錯覚には陥ることができるのかも知れないが 具体的に凶悪犯罪者の発生原因を論理的に解明したことにもならず 必然的に具体性のある再発防止策にも一切つながらない

「育て方に問題があった」としても 具体的にどのように問題があったのかを社会全体で共有しておくことが重要なのであって 加害者の家族親族を忌避差別しても何の具体的再発防止の知見も得られることはない

同じ「ヒト」という種の生物である以上 同じような間違いを犯す危険性は誰にでもあるし そもそも一つの重大事象の陰には無数の小さな事象が隠れていると考えるべきであり 自分の行動の中にも重大事象に発展する可能性のある危険が含まれているかも知れないのである

ましてや「育て方」なんていうのは 誰もが初心者なのであって これは教育評論家の尾木直樹ママであっても長女を「良い子症候群」にしてしまうこともある

子育ては誰もが初心者なのであって だからこそ先輩の失敗はなるたけ知っておく必要性がある

誰か他人を糾弾差別懲罰報復してさえおけば ヒトの多くは気分的に満足して簡単に思考停止に陥る習性がある

むしろ こうした習性こそが凶悪犯罪者の行動を促す最大の要因でもある



ヒトという種の生物は 成育環境に依っては狂暴性を持つものであり かつてのシエラレオネの少年ゲリラのような残虐行為を平気で行うように育てることも可能である

一人の社会人として 自律的に社会を担う人格を育てるために必要なのは 自発的主体性を重んじることである

個人が主体的に好きなことが何かを認識していないことには 他人の主体的好き嫌いも尊重出来なくなる これは一種の定理と言っても過言ではない

ヒトという種の生物は哺乳類であるため 全てのヒトは初期的には「子」であり 親という他者に服従する習性があるため 多数他人に迎合し 結果的に自律的な判断力を喪失する原因にもなる

事故当時の東電社長が無責任だったからと言って 刑法懲罰では何の解決にもならない なぜ無責任な行動を採ったのかを徹底的に追求し 成育環境や出身学校 教師が誰で どういった教育を行っていたのかまで明らかにする必要がある

ここで勘違いしては困るのは 親や教師を糾弾訴追することが目的ではないということである

例えば 体育教育において「運動中に水を飲んではいけない」などという根拠に乏しい因習が熱中症の原因になったりすることもあるわけで 当時の常識に間違いがあれば これを知識として広く知らしめておく必要(社会的責任)がある

それと同じように 犯罪者が出た場合にも教育上の間違いの原因が判れば これも知識として教訓にすることが 社会安全性にとっては最も重要なのである



こうした論理的な安全性追求において 最も邪魔なのが気分感情という無意識行動バイアスである

「殺人犯なんぞ死刑にしちまえ」という短絡的な正義を振りかざし その結果 原因もわからなければ再発防止にもならず同じような殺人が起きても誰も責任を取らないことが人間性だと言えるであろうか

多数派が無責任なバカであれば バカでも気分的には安心することも可能である

ヒトという種の生物は 多数派で「同じ」を共有さえしておけばヒトという種の生物は気分的に安心して何も「考え」ないようになる習性があり これに論理的安全性の根拠証明は一切必要ない

科学や哲学というものは こうしたヒトの先天的習性や思考のバイアスに起因する非論理性を排除するためのものであって 徹底的に理詰めで検証することが必要である

ところがドッコイ 現状の哲学界というのは主観的好き嫌いだの観念に基づいた論理的根拠のない決め付けの陳列に過ぎず 哲学としての社会的役割を一切果たしていない

ドスト:エフスキーの言っている内容が 危険学や失敗学にとって一体何の役に立つと言うのであろうか

ニーチェの超人幻想も 所詮は遺伝的進化万能説に基づいた妄想で読者が気分的に満足しているだけであって 哲学としての社会的役割なぞ一切果たしていない

リチャード:ドーキンス著「利己的な遺伝子」も 読んだ大衆が勝手に気分的満足をして喜んでいるだけであって 科学的には糞の役にも立たないお伽話お花畑にしかなっていない

ヒトという種の生物は自然淘汰圧力から逃れた時点で遺伝的進化はしないのである

カントの純粋理性批判も 批判対象を間違えており 内容自体に論理整合性すらない実証不能の観念に過ぎない

アダム:スミスによる道徳感情などというものも 感情という先天的行動バイアスの全てが常に正しい結果しかもたらさないはずだという勝手な妄想に基づいたお花畑に過ぎない

どんなに大量の知識をひけらかして多数大衆に自慢しても 何が間違いなのかすら気付かないバカでは何の役にも立たない

哲学と呼ばれている書物のほとんど全ては 論理的根拠を無視した勝手な決め付けで思考停止を促され 気分観念的に何かを「わかった」ような錯覚で満足しているだけのオカルトに過ぎない

言うなれば 現在の哲学と呼ばれている書物のほとんどは 単なる大衆の論理思考を惑わすだけのオカルトでしかないのである



大衆の多くは哲学というのは気分的な安心満足を得るためのものだと勘違いしているが 哲学というのは科学と同様客観的事実や真理を追求するためのものであって 気分的な「救い」を求めている時点で既に間違っているのである

客観的な事実や真理というものは 社会安全性にとって重要で必要だから追求するものであって 論理的安全性と気分的安心満足を区別してこその人間性であり その分別をして「了見(人格)」と言うのである

ISILやオウム真理教だけがオカルトなのではなく むしろこうしたわかりやすいオカルトというのは 社会の中において少数の結果的重大事象なのであって こうした重大事象の陰に潜む無数の小さな事象を認識しないことには重大事象の原因を究明したことにはならない

特定の集団だけを特異なものとして区別しているからこそ 自分達の頭の悪さを一切認識しないバカに陥るのである

電通による過労自殺も 電通という集団組織的なオカルト性が引き起こしたものであって 被害者人数が少ないからといってオカルトではないと思うことの方が間違っているのである



今日は何だかくだらない用事が細々とあって考えがまとまらないわ



Ende;
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○かりんなど。

2018年10月19日 13時59分18秒 | 写真
いや これはかりんではないです




街路樹に結構大きな果実がたわわに実ってて


かりんかなと思ってググったらそうらしい

そろそろ収穫時期らしいんだけど

おいしいのかな



Ende;
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○オセロ。

2018年10月15日 22時48分33秒 | 意識論関連
そういえば オセロも将棋も論理思考だけど言語を介する必要性もないし

いちいち言語を介して考えたりもしない

このことからも論理思考に言語は必要ない

何でもかんでも言語で説明しないと自発的には理解できない奴にはわからんだろう

そういえば養老孟司がこんなことを言ってたことがあった

「多くの人が理解可能な業績であるならば、理解可能な誰が思い付いてもおかしくはない。」と

それと同時にこうも述べた

「教えられて理解することと、思いつくことは、脳の機能として同じだ。」と

しかし 言語を用いていちいち教え込まないと理解出来ないただの凡人と

誰からも教えられなくても思いつくことは決して「脳の機能として同じ」などではない



養老孟司の言っている内容が実質的には中身がないオカルトに過ぎないことも多くの人は気付くこともないのも

振り込め詐欺師の言っている内容を鵜呑みにするのも

言語で説明されているにも関わらず論理思考は機能していない証拠である



「シンボル機能を扱うことこそがヒトが人である所以」などという前提自体が間違っていることにすら

大多数の大衆は教えられるまで気付くことはない

最悪教えても理解は出来ないであろう

そんなんどうすりゃ良いのかさっぱりわからんわ



Ende;
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