書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

認知の脆弱性

2021年09月30日 22時13分48秒 | 意識論関連

たいていの人間は「あんなものに騙されるのは不注意な人だけ」「自分は絶対に引っかからない」といった謎の自信を持っているが、これこそがヒトの「認知の脆弱性」である。どれだけ知識が豊富で賢い人間であっても、認知の隙を突いたトリックには騙される可能性があるだろう。

 読書猿

 出典:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77295

 

⇨ と 読書猿は主張している

たいていのヒトが持つ「謎の自信」というのは 先天的な正常性バイアスが原因であり これは東日本大震災の津波避難が遅れた大きな要因の一つとも言われている

では 読書猿が主張するような方法論によってデマや嘘が見抜けるかと言えば

残念ながらできない

実際に読書猿が主張する「知識のエコシステム」だの「認知的ワクチン」も全部デマなのだが 読書猿に心酔して好きになっている愛読者達は 「よもや読書猿が嘘をつくわけがない」と思い込んでいるために 読書猿が主張する嘘やデマだけは何の検証もせずに簡単に鵜呑みにするのである

ヒトという種の生物は 主観的に好きになった相手の言うことは「信じたい」というバイアスが働き 好きになった相手の言っている内容について客観的に論理検証することをしなくなる習性がある

マイケル:サンデルの人気も 養老孟司の人気も その内容に論理的齟齬があっても誰も気にもとめなくなることで 大衆の人気だけが暴走を始めてしまい その多数決だけで信憑性の保証かなにかと勘違いするようになるのである

サンデルの講義はオウム真理教教祖麻原彰晃の説法と共通する部分があり 悩ましい命題を提供して聴講者を気分的に悩ましい気分にさせることで あたかも物事を深く考えたかのような錯覚に陥れ その錯覚によって聴講者は「自分はとても頭を使ったから 頭が良くなった」と錯覚し 「頭を良くしてくれた教祖様」を好きになり心酔し盲目的に何でも唯々諾々と鵜呑みにするようになるのである

学校で教えていることが「認知的ワクチン」として機能しないからこそ 東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒き散らしたのであって 「知識のエコシステム」などという概念も論理的には成立しないのである

 

同じヒトでありながら 自発的に内容の真偽を検証するかどうかの違いが どうして生じるのか

教え込まれた内容に間違いがあっても大多数のヒトが気付かないのはなぜなのか

それは 自分の主観的な気分感情が 自分の意識の本質だと勘違いしているからである

自分が気分良くなりさえすれば それが正しいと判断してしまい 気分が悪くなる話には耳を貸さなくなる

ヒトとは そういう先天的な思考バイアス上の欠陥を持っているのである

こうした先天的バイアスに惑わされないようにするためには 自己の主観的感情や好き嫌いや価値観や常識を疑う必要がある

「本当かなぁ?」という 素朴な疑問を棄てないことである ヒトは素朴に感じた疑問を「とるに足らないもの」だと思い 多数や権威による評価さえあれば それだけで「疑う余地はない」ことだと思ってしまうものなのである

だから簡単に嘘やデマを信じ込んでしまうのである

自己の主観的感覚を疑うというのは 決して気分が良いことだとは限らない むしろ気分が悪くなる場合の方が多いものである

だから自分の感情(主観)は一旦棚上げにしておいて 客観的に論理検証すれば 真偽を見分けることも可能となるのである

振り込め詐欺師の手口は 被害者の主観的感情を利用することで 「恐怖」や「焦り」といった主観的情動を煽ることで冷静な判断力を剥ぎ取り 嘘がバレないうちに金をまきあげるのである

「これさえやっときゃ 全ては解決」という 短絡的で安易な解決策を提示することによって ヒトは簡単に嘘でもデマでも信じ込むようになるのである

実証不能の「認知的ワクチン」だとか言っておけば 「騙されないためには学校で教えている内容さえ学べば良いんだな」という短絡的解釈によって信じ込み 「認知的ワクチン」自体が嘘であることには誰も気付かなくなるのである

「知識のエコシステム」に則って 知識の「量」さえ獲得しておけば 地位身分が高くなって他人よりも裕福で幸福な人生を歩めるものだと勝手に解釈し その利己的利益欲しさに何の疑いも持たなくなるのである

 

知識というもの 学問というものは 本来社会持続可能性や安全性のために使うべきものであって 金儲けや世間的成功や人気取りなどの利己的利益のためのものではない

ところが衆愚というのは 地位身分が上がりさえすれば自分の利益になりそうな話にばかり意識を奪われ 学問というものの「本当の目的」を忘れてデマや嘘でも何の疑いも持たずに鵜呑みにしてバカになる

そりゃ必然的に毒ガステロで「人類の救済だ」というトンチンカンな話を鵜呑みにするようにもなるわな

だってバカなんだもの

 

 

東京大学教授の柳川範之(経済学)は読書猿のことを「著者の知識が圧倒的」と評価しているが 知識の「量」をいくら自慢しても 言っている内容に論理整合性が欠落していたり 嘘やデマが混入していたのでは話にならない

京大学長が「ヒトには先天的に人間性ガー」的な非科学的デマを流布することもあり 決して学術権威だからといって言っている内容が全て正しい保証があるわけではない

株式会社ライプニッツ代表 山口 周 が主観的に「面白い」と思ったからといって 読書猿の言っている内容が論理客観的に正しいことの論拠にもならない

物事の真偽というものは 主観的に「面白い」かどうかとは無関係なのである

 

 

Ende;

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著しいバカが発生する温床

2021年09月30日 14時19分19秒 | 意識論関連

私自身もスーパーに勤めていたことがありますが、会計前に食べてしまう困った客なんて、ざらにいるんです。コロッケを買って、その場で食べて空の袋だけで会計しようとするおじいちゃんとかね(笑)。でも、それで警察を呼ぶなんてことはなかったです。ここまでの騒ぎになったのは、動画に残していたことと、悪いイメージがあったからでしょう

 -へずまりゅう

 

⇨「困った客なんて、ざらにいる」からといって 自分が困ったことをしても良い理由には全くならない

困った客」だと認識しているのであれば それは「悪いこと」であるとも認識しているのであって 「ざらにいる」ことを根拠に自己の迷惑行為を正当化することはできないのである

 

「だって 皆が」とは 多数派同調バイアスに過ぎず それは主観的に安心なだけであって 論理客観的な安全性の根拠には全くならない

どんなにたくさんの迷惑行為を枚挙しても 迷惑行為が「普通」で「常識」的で「間違っていない」ことの論証にはならない

それは自身の幼稚性を自慢しているようなものであり 言語道断である

 

バカ特有の屁理屈の形式は 基本的に「他人が悪いから」という環境依存的な責任転嫁である

オウム真理教においても 通り魔の屁理屈においても 暴走族や振り込め詐欺集団においても その行動の論拠は「社会が悪い」というものであり 「俺が悪いことをするのは 社会が悪いからだ」というすり替え論法に過ぎず 何ら論理的根拠にはなっていないのである

確かに社会には様々な問題があるのは確かで 不公平や理不尽な格差というものが存在してはいるものの だからといって自分の迷惑行為を正当化できるわけではない

むしろ 自分から率先して「正しい」行動を主体的に選択してこその「人間性」というものである

 

ヒトが陥りやすい傾向性を抽出してきて「人間的」などと形容することを文科系の大衆やマスコミは平気でするが

ヒトの傾向性から導き出せるのは「ヒト性」だけであって ヒトの傾向性をどんなに枚挙しても人間性や倫理の論証には全くならない

 

「まちがったっていいじゃないかにんげんだもの」と みつを的な話で気分的に安心満足することを人間性だと勘違いするのは

気分的安心満足という個人の主観を 自分の意識の本質だと勘違いしているからである

「まちがって」いるなら「良い」わけがない 当たり前の話である

間違えて 間違えを改めないことこそが 本当の間違いなのである

だが ヒトは間違える生き物である ヒトという種の生物には工業製品のような品質保証がどこにもない

自分の先天的欠陥は自分で選んではいないのだが 自分の先天的欠陥に由来する間違いを正当化することはできない

「俺が600万のユダヤ人殺害計画書を書いたのは ナチス政権が悪いからだ」という屁理屈は通用しないのである

「俺が原発の津波に対する脆弱性を放置したのは 東電という会社の体質が悪いからだ」という屁理屈も通用しない

ならば 間違えた者に懲罰を与えることよりも 同じヒトである以上は同じような間違いに陥る可能性が存在するという前提において どうやったら間違えずに済むようにできるのかを考え工夫することの方が より効果的 実効的 合理的に間違いを減らすことができるのである

 

ヒトは間違えた者に対して暴力排除的差別をすることで正義を振りかざそうとする習性がある

正義を振りかざしておけば自分が正当化できると勘違いしているからである

「自分だけは絶対に間違えない」と そう思い込むからこそ違法な「私刑」も平気でやらかすようになる

私刑を行う奴も「ざらにいる」ものである 「ざらにいる」からといって正当化することはできない そんな言うまでもないことすら気が付かないというのは 何も自分では「考えて」いないからである

 

へずまりゅうの行動の屁理屈というものは 要は「自分が生きるため」という利己的目的に基づいたものである

ナチスの吏官も 東電原発安全担当者も 「自分や自分の家族が生きるため」に有利で安心な行動を優先したからこそ 社会安全性や持続可能性を蔑ろにしたのである

「生存自体に意味はない」とは そういうことである

個人が特定環境社会において生存にとって有利な行動選択をしたからといって それがむしろ国際社会全体における安全性や持続可能性において有害な行動になることは珍しいことではない

衆愚から人気を得られる話に同調し 金儲けに成功することは簡単であろう だが 嘘やデマで大衆を騙してしまえば社会を崩壊破綻にしか導かない

 


一部には「決め付けをする人は疑え」という話があるが 基本的にヒトが説明する論説は全て決め付けに基づいているのであって むしろ「かもしれません」的な根拠のあやふやな説明しかしていないのに「実害があります」などと宣言している時点で嘘なのである

嘘か 真実か それは論理客観的に考えればわかる話である

読書猿だの更科功は「かもしれません」的なあやふやな説明しかしていないにも関わらず 衆愚は簡単に鵜呑みにして疑うことを全くしない

ヒトという種の生物は 自分が主観的に気分の良くなる話を真実だと錯覚する習性がある

そういう先天的欠陥が存在しているのである

だからへずまりゅうみたいな「著しいバカ」も発生することがある

「著しいバカ」をただ糾弾するのではなく むしろ「他人のフリ見て我がフリ直せ」と言うように 「自分もバカげた間違いに陥るかもしれない」という前提で自らを律するための教訓として捉えることの方が重要なのである

「自分だけは絶対に大丈夫だ」とでも思っておけば安心満足なのはわかっている だがその安心満足こそが精神の怠慢を促し へずまりゅうのような著しいバカが発生する根源的原因なのである

へずまりゅうのような「著しいバカ」というのは 衆愚の多数が温床となっているのであって 大多数の頭の悪さによって「著しいバカ」は発生するのである

 

 


Ende;

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訓練された無能

2021年09月30日 11時07分46秒 | 意識論関連

 マックス・ウェーバーは、自らが提唱した「官僚制」に於いて、「官僚制とは規則による機械的システム」であり最も合理的な組織だと述べている。

 

 規則を守れば誰が行っても予定された結果が出て合理的、かつ、結果、プロセスが予測出来る(計算可能性)としている。

 

 しかし、予定されざる結果(逆機能)も発生した。(参考だが、現在では「官僚制」とはこの“逆機能”のイメージで捉えられている。)

 

 その“逆機能”の一つが「訓練された無能」だ。

 

 その他の“逆機能”として、「最低許容行動」(これだけやっていればよいという考え)、「目標置換」(規則を守ることが目標となってしまう現象)、「個人的成長の否定」(スペシャリストが養成出来る反面、このマイナス効果も発生する。) 等々がある。

 

 出典:https://blog.goo.ne.jp/4456hs/e/4ab79cb1a32f4aa3e972b63364afad0a


⇨警察官が取り締まりによる点数稼ぎを目的にしてしまい 事故や犯罪の撲滅にとって非合理な行動を採るようになることもある

機械手続き的制度においては 「許可なく薪ストーブの灰を売ったら書類送検」になったり 実害が予測できても被害が出るまで関与できないといった非合理な対応に陥る原因となる

それを「最も合理的」だと主張しているマックス:ウェーバーは自らの傲慢さや頭の悪さを自覚していない

武田砂鉄はギュスターヴ:ル:ボンの解説において ル:ボンの論説には弱点もあることを指摘している

読んだ内容に酔いしれ ただ漫然と鵜呑みにするのではなく どこかに弱点や間違いが存在していないか ちゃんと自分の頭で検証して判断する必要がある

だから「自律」が重要だと言っているのである

嘘やデマや間違いを認識できないということは 何も考えていないバカに過ぎないのである

バカの意識は人間としての意識としては機能しない

「どうせ俺はバカだから」と 安っぽい絶望で満足することも簡単であるし 「自分はバカだ」と嘆いて落ち込むのも簡単である

ヒトとは そういう簡単なことしかできないバカなのである




Ende;

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個性を排除したがる人々

2021年09月30日 10時18分17秒 | 日記

ダイバーシティが大事とか言っている割には小室さんの髪型をいじりまくるヤカラってどうなんだと

小室さんがどんな髪型したって誰にも迷惑かからんだろよ

言っている内容に合理性が伴ってないだろ

くそしょうもない

 

Ende;

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バカへの近道

2021年09月29日 22時21分19秒 | 意識論関連

より賢い配偶者を求める我々の性的指向」 -Wikipedia

 

⇨ヒトが配偶者を選択する際の基準に「賢さ」が伴う根拠はない DV男と子供を作ってDVに悩まされる女性は少なくない

バカな女性が「この男の人は賢いわ」と思ったところで それが本当に賢いかどうかはわかったものではない

バカが求める「賢さ」の基準には合理的根拠がなくても構わないのである

 

生物学者共はおしなべて「ヒトは賢く進化した」と勝手に思い込み 賢いことを前提にして話を展開するが 脳が肥大したからといって全員が賢いわけではなく むしろ大半のヒトは無能な凡人で権威に服従するか多数に同調迎合することしかできないバカである

だから権威の言っている内容に著しい誤謬(間違い)があっても 誰も指摘することができないのである

 

ヒトという種の生物は 脳容積が大きく進化はしているが 決して「賢く」はなっていないのである

賢くはないからこそ ナチス政権下では多くの国民がヒトラーに心酔し ポルポト政権やミャンマー軍事政権に兵隊は迎合し服従するのである

根拠の乏しいデマや嘘に簡単に洗脳され 非合理な暴力的差別や誹謗中傷に邁進する「ヒト」が どうして「賢く進化した」と言えるのであろうか

むしろ合理的な根拠や目的に基づいて進化したわけではなく 権威というものを盲目的に崇拝し 命令に唯々諾々と服従する習性を持った個体の方が統率的協調性を発揮し 原始的な社会においては生存にとって有利だった結果として ヒトはバカみたいにデマや嘘を鵜呑みにするよう「進化」したと言えるのである

進化は進歩ではない

遺伝的進化というものは 決して合理的な根拠や目的意識に基づいて進歩するわけではなく あくまで「死なずに生き残った」個体種の習性が先天的に遺ったに過ぎず 「頭が良いから生き残れる」わけではなく

バカの方が生存に適していれば バカ以外は死滅し バカに収斂進化するだけである

 

鳥類によく見られる極端な外見的特徴への性選択について「ランナウェイ仮説」というのがあり 子孫を遺す配偶者の趣味趣向だけでクジャクやフウチョウやゴクラクチョウの飾り羽根といったものが発達したという

オオハシの巨大なクチバシも用途はない

ロクロクビオトシブミやシュモクバエといった極端な進化も 配偶者選択によるものであると言われている

オス同士が互いの眼の離れ具合や首の長さを比べることが 果たして本当に「メスが求めていること」だと言えるのかという疑念はあるものの 少なくとも眼の離れ具合や首の長さによって繁殖に影響を与えているのは確かであろう

そこで思うのが 「ヒトの頭の大きさ」である

たいして賢くもないヒトの脳が 他の動物と比べて異常に巨大なのはどういうことであろうか

性選択によって「より頭部の肥大した個体を好んだ結果」として脳肥大を招いたとは言えないだろうか

脳容積以外においても サルと比べて皮膚のシワが少ないことも 幼形成熟性が進んだ結果として 脳肥大にもつながったと言えないだろうか

これはあくまで仮説の域を出ないのだが 少なくとも「脳を一生懸命使ったら脳が肥大した」わけではないことは進化のメカニズムにてらして確かである

性選択というのは あくまで配偶者の趣味趣向によって左右されるものであって 配偶者個人の趣味趣向という「主観的感覚」には合理性が必要ない

バカな女が暴力的な男に惹かれてしまうのも かつての祖先の趣味趣向の結果であって 客観的合理性がなくても構わないのである

そもそも自分の遺伝子も その遺伝子から作られた脳も 脳に先天的に組み込まれた趣味趣向も 何ら自分では「選択」していないのであって どんなにたくさんのバカ女の趣味趣向を陳列枚挙しても 繁殖相手として優秀であることの論拠には全くならない

多数の衆愚から人気を得るのは音楽家などの芸術家や 科学や哲学を装ったペテン師ばかりである

音楽で脳が気持ちよくなったり 似非科学や似非哲学で脳が気持ちよくなりさえすれば 衆愚は「ハーメルンの笛吹男」に簡単に騙されるのである

民族なり宗派なりイデオロギーといった「区別」を絶対的なものだと信じ込み 暴力的差別排除による「懲罰」さえ与えておけば全てが解決すると信じ込むことで ヒトはいままで他人に多大な迷惑をかけてきた

ヒトが実証不能の観念を振り回してしまうのは 実証不能の観念を実証不能の観念だとは夢にも「思って」いないからである

なぜ そう「思う」のかと言えば 自分の主観的気分感情を 短絡的に自分の意思選択だと錯覚しているからである

認知行動療法では 患者に対して「なぜ そう思うのですか」という質問を繰り返す

そう問われることによって それまで何も考えていなかった自分の観念には合理的根拠がないことに気付かせるためである

いちいち他人から問われなければ自発的に考えない時点でバカ確定なのだが 他人から考えを促されることによって あたかも自分から考えたような感覚が促さ(騙さ)れ すんなり自分の間違いを訂正することが可能となるため 認知行動療法ではそういった「手法」を使うのである

私のように「お前らはこんなにバカだぞ」と明示してしまうと 反射的に拒絶したり 気分的に落ち込んでしまって抑鬱状態に陥ってしまうため 認知行動療法では「患者」にそうした「治療」を行うのである

私は読者を「患者」扱いはしない

同格扱いしているからこそ 「バカなのか?」と問うているのである

自分がバカだと自覚したのであれば それは良い経験として教訓にすることも可能である

自分がどのようにバカだったのかを理解すれば 同じような間違いには陥らないようにも出来るのである

その分は少なくとも「バカではなくなった」と言えるのである

それは決して気分の良いものではないかも知れない

むしろデマや嘘を鵜呑みにして安心満足して精神的怠慢に溺れて酔いしれていた方が「楽」であろう

だが その精神的怠慢は 真実を見失い 本当の社会安全性や持続可能性も見失うことになるのである

 

向上心というのは むしろ「うまくいかない」ことに挑戦し続けるからこそ発揮されるのであって 「うまくいかない」ことを楽しむ主体性がないからバカになるのである

「俺は頭が良いんだ」とか「自分だけは絶対に間違えない」という傲慢さこそが バカになる最短の道である

 

 


Ende;

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地震

2021年09月29日 17時53分32秒 | 日記

午後5時37分頃に地震があったらしい(オイラはわからなかった)んだが

なんこれ

震源と震度分布がメチャクチャだろ

どゆこと?

 

 

Ende;

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太刀川英輔

2021年09月29日 17時05分24秒 | 意識論関連

ヒトの創造も自然現象であるはずだ

 -太刀川英輔:NOSIGNER代表

 出典:https://diamond.jp/articles/-/283188

 

⇨残念ながら太刀川の発想は間違っている

遺伝的「進化」というものは「進歩」ではないからだ

遺伝的進化の果てに絶滅しようが何だろうが 全ては「結果」であって目的がない

目的がないということは 絶滅する可能性も充分にある それが遺伝的進化という自然現象の実態である

太刀川は遺伝的進化というものが偶発的なものであることを「知って」いながら 未だに進化が万能なものであると勘違いしているのである

 

太刀川は『進化思考――生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』という本を出版し 山本七平賞という学術賞を受賞したそうだが 学術界の大半がバカの集まりである以上 いかなる賞や評価もアテにはならない

「主観が大事」だとか言い出した野依良治も 金融工学と称して利益追求ばかりを評価基準にした経済学者共でも ノーベル賞は獲れるのである

評価審査している奴らがバカではない保証はどこにもない

「生き残るコンセプト」だとか言っているが 残念ながら遺伝的進化というものは偶発的に生き残った結果だけであって 進化の果てに生き残れるかどうかは何の保証もないのである

ある特定の収斂進化の結果として 急激な環境変化に対応できなくなることで絶滅することもあり 決して遺伝的進化の全てが「生き残り」に適する保証は何もない

 

ヒトという種の生物の脳というのは すぐに「決め付け」や「常識」に囚われ簡単に創造性を喪失するように先天的にできている

だから創造性を発揮することは凡人には難しいのである

太刀川は「自分は創造性を発揮できる優秀な人間」あるいは「創造性なんぞ誰にでも発揮できる簡単なものだ」とでも思っているのであろう それはあまりに安易で傲慢というものである

天動説が信じられていた時代には 地動説は「火炙り」にされた

それは 天動説が「常識」であり「普通」であり「多数派」であったために それこそが気分的に安心で満足感を得られる「正義」になっていたからである

ヒトという種の生物は 主観的な安心満足という脳内麻薬の奴隷になることが優先され 物事の真偽を論理客観的に検証することを簡単に放棄し 思考停止のバカに陥り 様々な諸問題の解決策を見失うのである

 

太刀川は「ボケとツッコミ」だと喩えているが 常識的で普通の多数派の方が「正しい」と思っている限り 論理客観的な根拠を伴う真実であっても「笑いもの」にされるのがオチである

面白い発想で金儲けに応用することは可能かも知れないが 金儲けができたからといって社会持続可能性や安全性が担保されるわけではない

本当に社会持続可能性や安全性を高めるために必要なのは 既存の常識や普通や多数意見に本当に論理客観的な根拠が伴った真実なのかどかを自律的に見極める能力が必要であり 世間的評価だの人気だの発行部数や年収で真偽や人間としての価値が決まるわけではない

太刀川だの読書猿だの養老孟司だのイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのを 何の批判精神も持たずに世間的評価を鵜呑みにして信じ込んでいる頭の悪さを自覚する必要がある

 


遺伝的進化というものは 全てが成功することが保証されているわけではなく 偶発的に成功した結果以外は死滅し 死んだ個体種はほとんど証拠が遺らない

DNAゲノム配列パターンのバリエーションは 事実上ほぼ無限といって良いのだが 実際に観測可能な生物やウイルスのゲノムパターンというものは極めて限定的なものしか遺っていない

それはつまり 現存しない生物以外の全ては死滅していることを意味するのである

ごく稀に化石として形が遺っている生物があるが 大半は現存しない

三葉虫もアノマロカリスもティラノサウルスも 挙げたらキリがないほどの絶滅が過去に起きているのである

「恐竜は鳥の姿で生き残っているじゃないか」という屁理屈もあるが ティラノサウルスがティラノサウルスの形で遺っていない時点で 偶発的に鳥類に変異した個体種以外は全て死滅しているのである

現存する生物の全ては 過去に存在していた生物種の中から偶発的に環境適応できた個体種であって 「〇〇の姿で生き残っている」などというのは都合の良いこじつけに過ぎない

ほとんどは死滅している事実を無視した都合の良いこじつけである

 

ヒトという種の生物は 先天的には創造性を喪失するように出来ている

創造性というものは決して自然現象ではない

ヒトという種の生物は 自然状態では無意識にシーケンシャルにバカになるように出来ている

この先天的仕組みを理解し どうやったらバカにならずに済むのかを理解することで バカにならずに済むようにもできる

芸術やエンターテイメントの類いで突拍子もないものをでっちあげて「創造的だ」と形容することは簡単かも知れないが それが社会持続可能性や安全性に適する根拠にはならない

何も考えていないバカの評価基準で社会安全性や持続可能性が担保されることはないのである

 

衆愚はすぐにうかれてデマや嘘に飛びつきたがるが それこそが真実を見失う最大の原因なのである

 

 

 

Ende;

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ついうっかり

2021年09月29日 14時05分38秒 | 日記

スーパーでお買い物してたら

70歳くらいのおじいさんが店舗のチラシを手にとるなり

やおらマスクを下げて指ナメてチラシをめくり出したのだ

ダメだよそれは

そういう無意識な行動で感染が拡がるんだ

 

 

Ende;

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教育の義務

2021年09月28日 08時55分41秒 | 意識論関連

未だに何か「義務教育」というものの意味を激しく勘違いしている人が多いみたいだけど

「教育の義務」っていうのは「子供を強制的に学校に通わせること」じゃないからね

あくまで「子供が学ぼうとすることを親大人が制限してはいけない」って意味なので 子供がイジメで吐いたり過呼吸になってるのに無理に通わせる必要ないからね

だからネット上だけで学べるように教育サイトみたいのを作ってやれば学校に行かなくても学べるんであって 既にボランティアでYouTubeで講義している人とかいるじゃん そういう人達を連携させる仕組みは公的にお金かけても良いと思う

集団で同じことを強要しても人間性が養われるわけではないので 集団に馴染めない子は馴染めないなりの学び方があって良いはず

「他の子と違う」ことに対しての根拠のない強迫観念は捨てた方が良い

ヨシタケシンスケさんとか読んだ方が良いと思うぞ

「本当の目的」を忘れてしまったら社会は破綻する

「本当の意識」というものが何なのかを忘れていて「本当の目的」が判るわけがないからな

 

 

やれダイバーシティだ多様性重視だと性的趣向だけ多様性を主張しておいて 学校では「同じ 同じ」を強要してたんじゃ意味がわからん

何で学習内容だけは多様性とか自主性を重視しないんだ

どこの馬の骨がでっちあげた基準か知らないが 文部省のカリキュラムなんぞ人間性が育つ保証なんぞ何もないぞ

 

ヒトという種の生物というのは 先天的に「同じ」ことに安心満足する性質があって これが逆に個性とか多様性を差別排除する民族浄化バイアスとしても働く性質がある

自然界ではそれが「生存に適していた」という結果だけであって ヒトの本能習性的には平等とか公平性が発揮される構造は存在しないのである

日本に50年以上住んでいると 肌の黒い人見ると一瞬ビックリしてしまうことがあるが 最近の若い子だと学校のクラスに黒人の子が普通にいたりするので驚いたりはしないらしい

要は慣れの問題であって 大坂なおみをテレビで見慣れてしまえば肌の色とか気にならなくなってくる

これは 逆に言うと 肌の色が濃い人を見慣れていないからこそ反射的に「ビックリ」してしまうだけであって その主観的感覚には合理的な論理客観的根拠はなにもなく ただ慣れていないから「ビックリした」に過ぎない

主観的感覚には「慣れ」というものがあって これは個人的な好き嫌いの元にもなるのだが 個人的好き嫌いには公共性はないことは当たり前の話なのだが バカだと自分の個人的好き嫌いだけで差別排除が始まってしまうのである

バカの原因は「自分の頭で冷静に論理客観的に考えない」からである

 

とある狭い道路で 時間帯によって歩行者がごった返していて自動車が物凄いゆっくりしか通れないことがあるのだが これに腹を立ててエンジンを空吹かしして煽るバカがいる

自動車だって渋滞するこたあるのに なんで歩行者が渋滞したら腹立てんだと おかしいだろ 自動車が渋滞しているからといって腹立てて煽り運転しないのと同様に 歩行者が渋滞してたらゆっくりと徐行するのが当たり前というものである

そもそもエンジン空吹かしして煽るなんてのは言語道断であって どんなに理不尽な妨害をされても煽り運転をして良い理由にはならん

そんなこと いちいち私が言わなくても自分の頭で考えりゃわかるだろ

「考えてない」から「バカ」なんだよ

根拠のない「普通」とか「常識」に基づいて行動するから 合理性のない行動に陥るのである

「普通はすんなり通れる」なんてのは勝手な観念であって「普通じゃない道路」があっても何の不思議もありゃしない

通りづらい道があるなら迂回するとか それでもダメなら諦めるて徐行するしかないだろうよ

「普通は 普通は」だの「同じ 同じ」だの そんな観念要らん

鉄道が遅延したからといって駅員に詰め寄るバカもいるが 事故とか故障で動かなくなることだってあるもんだ

「いつもは時間通りに到着できる」からといって 常に同じサービスが提供されるわけではない

日光いろは坂のサルに餌を与えてしまうと 餌がもらえなくなると怒り狂って略奪を始めてしまうという

最初から餌なんぞ与えなければ そんなことにはならないのである

「いつも提供されている」からといって たまたま提供されなくなった途端に怒り狂うというのは 脳がサルと同じレベルしか働いていないからである

たまたまスーパーのレジ担当者が足りなくてもレジ待ちの列が長くなっているからといって腹を立てるバカもいる

腹を立てたら早く列が解消するわけでもなければ 腹を立てる程急いでいるわけでもなかろう

そんなことで怒っている奴に限って 酒飲んで酔っ払っているか クソゲーに邁進しているかクソ漫画読んでるだけの暇人なんだよ

そうやって自己肯定感を喪失して 益々バカになる

バカは中毒性が激しく 難治性が酷いのである

どうにもなんねぇよ(個人の感想です)

 

 


Ende;

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酔っ払ったもん勝ち

2021年09月28日 08時38分26秒 | 日記

感染防止対策として国や自治体は飲食店の営業時間制限してるけど

時間の問題じゃないと思うんだよね

酒飲んだら感染するんじゃなくて 泥酔して騒いだり行動が雑になることが感染リスクが高いと思うので 一人の客に出すエタノールの量を制限した方が良いんじゃね?

でも店で独自に制限するわけにもいかないから これは法律で規制しておけば店側も「法律で決まっていますので…」って説得できると思う

本当なら泥酔して集団で騒ぐことしか頭にないアル中のデクノボウを「治療」した方が良いと思うんだが それは時間がかかることなので 当面の施策としては法的規制でナントカするっきゃないんだろうと

水野泰孝医師は店舗の広さに応じた人数制限によってディスタンスを保つことの方が有効だと述べられている

飲食店って一口に言っても 安い酒で泥酔者を大量生産する場末の居酒屋と 単価の高い酒しか提供しない高級レストランを一緒くたにするのは「公平」とは言えないと思うけどな

泥酔者対応って警察にも負担かかるので 警察って公金で動いてるんだから国民全体で負担していることになる

「酔っ払ったもん勝ち」みたいな話になると 何かおかしい それは公平ではないだろう

 

 

Ende;

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ギュスターヴ:ル:ボン(メモ)

2021年09月27日 23時20分38秒 | 意識論関連

群衆の特性

武田砂鉄 フリーライター ⇨ル:ボンの解説は「哲学者」ではない

群衆は理性では動かない

啓蒙思想 理性で物事を考える

群衆は心象によって心を動かされる ⇨動くのは感情だけで理性は全く働かない

標語 (「安心安全」など)

指導者の手口:幻想

 

良い方向に発揮されるケースもある

多くの人が良い状態を維持しようとしていれば 多くの人も良い状態を維持しようとする

 

群衆は事情次第で、単独の個人よりも優ることも、
また劣ることもある。
全ては、群衆に対する暗示の仕方如何にかかっている

 ギュスターヴ:ル:ボン

 

武田砂鉄は「群衆心理の弱点」を挙げている

誰をカリスマとして扱うのか その基準が曖昧である

 

⇨スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」において ミルグラムは従来の進化生物学上の誤謬に基づいた論証をしており 「サイバネティクスの観点から」と称して権威服従性には良い面も存在すると述べており これはル:ボンにおける「群衆心理の弱点」と共通する部分である

群衆(ヒト)の先天的本能習性としての行動傾向だけでは人間性や倫理に適わないケースが存在し 人間性や倫理というものはあくまで個人の意識 客観的論理検証性という本質的意識によってのみ発揮されうるのである

ヒトの先天的本能習性というのは あくまで環境依存的に決定してしまう性質があり 簡単に操られたり 誰も予期せぬ落とし穴に陥ったりしてしまうものである

これらはひとえに本質的意識というものが自分の主観的な情動の強度程度であるという錯覚が促すのである

 

 

ルボンの理想

実生活と直結する職業教育

 


Ende;

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自転車のタイヤの取説(日記)

2021年09月27日 20時11分57秒 | 日記

自転車の後輪タイヤを交換したった

取説載せとく

 原本のPDFファイル -BRIDGESTONE

PDFなのでクリックするとダウンロードが始まるよ

 ◇追記:よく考えたらさ 「タイヤビード(リムに嵌る部分)」が何のことなのかどこにも説明がないのは不親切だよな

 

ヨドバシでの価格

27インチ1 3/8インチ

https://www.yodobashi.com/product/100000001003628913/

2,010円

 

チューブ付きはこちら

https://www.yodobashi.com/product/100000001003628910/

3,070円

 

チューブ付きをコジマで買ったら2,830円だったよ

コジマにはリシェッタ売ってなかったな

 

Ende;

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純粋行為

2021年09月27日 11時43分06秒 | 意識論関連

「脳を鍛える」と称して様々な風説が飛び交っているが

残念ながら「これさえやっときゃ頭が良くなる」という定形的な方法論はない

なぜなら ヒトの脳は皆違うからだ

 

身体でも動かさないと鈍るのだが ただ筋トレだけやっても運動能力が高まるわけではない

ボディビルダーのように筋肉ムキムキになってもオリンピックで金メダルが獲れるわけではなく 目的に沿った合理的鍛え方というものがあるのだ

 

脳機能を活性化させるのに最も効果的なのは 「好きなこと」に熱中することである

これは人それぞれ全く違うので 定形的に「これさえやっときゃ」的な方法論がない

人によってはバイオリンの演奏かも知れないし 砂漠の真ん中で一日中トカゲを探すことかも知れないし 街中で長靴履いて虫取り網を持って一日中虫取りをすることかも知れない

要は「どれだけ集中できるか」なのである

集中して熱中して夢中になって何かに没頭している時というのが脳活性において最も効果的で 他人からの評価に左右されずに主体的に楽しむ純粋行為があれば脳は自ずと活性化されるのである

純粋に楽しめることがない人の場合 他人からの評価や外見ばかりに気を取られているから本質的満足感が得られず エタノールだのニコチンだの危険薬物に手を出さなければいられなくなるのである

当然頭は悪くなる 麻痺させたがって頭が良くなるこたない

他人からの評価や 他人からの見た目に左右されることなく熱中できることがあれば 薬物などで脳を麻痺させているヒマなんぞない

プラモデルの組み立てであっても ランナー(枝)からどうやったらきれいに部品が外せるのか どうやったらパーツの接合部分をきれいに仕上げられるのか どうやったらきれいに塗り分けられるのか そういった工夫をアレコレ考えることによって 思い描いたような仕上がりにならなくても脳は活性化され 技能も向上するのである

むしろ 下手くそであることが重要で 下手くそだからこそ頑張って上手になろうとするのであって 向上心というのは自分の能力が低いことを自覚していないと働かないのである

本当に好きなら それが楽しめる

そうした純粋な楽しみを忘れ他人との比較競争に執着して「俺様は頭が良いんじゃ」などと勝手に妄想してしまっていると それ以上の向上心が働かなくなり どんなに学生時代に学力成績が高くても簡単にバカになって通り魔だのテロだのに手を染めてしまうのである

思った通りにバイオリンが弾けないからこそ 千住真理子は一日中取り憑かれたようにバイオリンを弾き続けるのであり

思ったようにトカゲが見つからないから加藤英明は世界中を飛び回っているのである

「思ったようにうまくいかない」ことを楽しむことで 脳はアレコレ工夫してなんとかしようと働くのであって 他人と比べて「俺の方が優秀だ」とか「自分だけは絶対に大丈夫だ」などと勝手に勘違いしていれば満足感や安心感は得られるのかも知れないが 脳は働かなくなってバカになるのである

 

「自意識」という言葉は一般的には「他人からの見た目」として使われるのだが 本当の「自分の意識」というのは外見的なものではない

大多数のヒトは他人からの見た目にばかり意識を奪われがちな性質があるため 「他人からの見た目」こそが意識の本質だという勘違い錯覚しているのである

自分が何をしていたら楽しく熱中できるのかは 他人からはわからない

他人なんてのは あくまで他人であって 他人がどう思ったところで自分の脳が何を楽しいと思うのかも どれだけ脳が活性化しているのかも他人からはわからないし 比較もできない

他人とは脳神経接続がないので 自分の楽しさとか幸福は他人からは測りようも 比べようもないのである

 

ところが ヒトという種の生物は その先天的な「社会性」によって 他人からの見た目こそが意識の本質だと勘違いする習性があるため 純粋に個人的な楽しみに没頭することができなくなる傾向がある

「有名大学を卒業した」といった他人との比較による世間的価値観に基づいた過去の栄光にすがっていると 自発的に物事を考えることができなくなるため どんなに学力成績が高くても頭は良くならない

教えられた内容に間違いがあっても気付くことができず 間違った内容を鵜呑みにして間違った判断をし続けるようになる

「ウイルスは弱毒化する」などと断言している医者達が典型である

進化生物学界における合目的的能動進化説を鵜呑みにしているから 「進化には目的がある」という非科学的オカルト観念を鵜呑みにできるのである

遺伝的進化の全ては偶発的結果であって 目的も方向も存在しない

環境適応であっても 環境自体は決して不変ではなく むしろ生物自体の活動によって環境への影響を及ぼす以上 遺伝的進化というものには終着点や目的は全く存在しないのである

 

最初から「わからない」と言うのであれば これはバカではない

「わからない」ことは「わからない」と保留することは科学では重要な判断だからである

論理客観的には理解できていないにも関わらず 教えられたことを漫然と鵜呑みにして何ら自分では検証せずに 教えられたことを教えられた通りにしか答えられないからバカなのである

ナチスのユダヤ人絶滅収容所の吏官は ナチス政権下の価値観が間違っているかどうかを自分の脳で考えなかったから 大量殺害計画書の作成に邁進することができたのである

 

バカは多数や権威に迎合しておけば安心満足することができる

多数や権威に迎合しておいた方が生存にとっては有利に働くことが多いからである

だが 多数や権威に無為に迎合服従しているからこそ 社会持続可能性や安全性の喪失につながることを 多くのヒトは「理解」していない

意識の本質とは 何が真実なのかを客観的に論理検証することであって 情動の強度程度で決定しているからデマや嘘を信じ込む羽目に陥るのである

ヒトという種の生物は 「信じたいものだけを信じようとする」習性があるため 認知的不協和(気分が悪い)を解消する形で信じたくない話は論理客観的根拠があっても頭ごなしに無視しようとするのである

これが洗脳の基本メカニズムである

かつて一度教え込まれて信じ込んだ「生物やその遺伝的進化には目的がある」という話を事後正当化する形で 学力偏差値が高いだけのバカは「生物やその遺伝的進化には目的がない」という科学的な客観的事実を受け入れようとはしなくなる

洗脳というのは バカだから洗脳されるのである

バカでなければ洗脳状態には陥らない

当たり前の話ですな

 

 

Ende;

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カマキリとフヨウ 【昆虫注意】

2021年09月26日 20時51分08秒 | 写真

カマキリおった

いつも見るようなデカイ奴じゃなくて10cmくらいの小ぶりな奴

羽があるから成体だと思う

前足ってカマだけじゃなくて先端部分は他の脚と同様の形状しているのね

お腹ぽっこり

背中に哀愁を感じる

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

フヨウかな

 

画像を開いてURL末尾の「?」以降を削除すればFHDサイズの画像が開けるよ

 


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薄荷ではなく日記

2021年09月26日 13時50分19秒 | 日記

住友理工がシリカエアロゲルを用いた断熱材を開発したそうで

既に去年の9月からリリースしているらしい

 ファインシュライト -ゴム報知新聞

「ゴム報知新聞」ってのもインパクトあるんだが

ワクチン輸送用の梱包にも応用されているという

冷房ヘルメットの外側に使っても良さそうだけどな

遮熱塗装との併用で冷却効果が上がりそうである

ヘルメットって夏は暑いのに冬は寒いので やっぱり断熱されていた方が快適だと思う

まあでも服装だって夏と冬で衣替えするんだから 夏用冷却ヘルメットと冬用断熱ヘルメットがあってもバチは当たらんだろう

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

浮間のバイク屋で電動バイク売ってた

ブロックパターンタイヤのオフロード仕様

でも電動ビークルって全固体電池仕様になるまで乗りたくないな

グーグルから「まいどなニュース」の記事送ってきた

https://maidonanews.jp/article/14446414

中国製だそうな

中国製のバッテリーって爆発すっからなぁ

やべぇよなぁ

ヤマハが出しゃ売れると思うけどなぁ

何躊躇してんだろうなぁ

って思ってたんだけど

なんとパナソニック製のバッテリーを使っているから56万もするんだそうな

ううむ でも電動アシスト自転車用バッテリーを複数使えばもうちょっと安価にできそうな気もするんだが

ナントカならなんか ヤマハさんよ

そういやカワサキは電動三輪車作ってたな 二輪車も作ろうぜ

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

コンクリート製電柱に陶製の銘板的なものが埋め込まれているのであった



あんま気にしたことなかった

東電のマークがついているものもあった

そういや昔 電柱低いところに格納式の足場がついていることがあったが 最近は張り紙防止とか衝突軽減のための「巻物」がついているので 遺っているのかどうかすらわからない

あれ 飛び出していると危ないのでなくなったのかも知れない

どっかの田舎にポツンと遺されてないかな

東海コンクリートという会社に東海ポールという製品名で電柱の品番情報あった

http://www.tcon.co.jp/products/pole/single.html

鋼管製の電柱はJFE製

見ての通り陶製ではない

JFE建材のサイトからは電柱が見つけられなかった

https://www.jfe-kenzai.co.jp/index.html

⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻⿻

オーディオ趣味の人で時折柱上トランスを自前で設置する人がいるけど

電源ノイズをアイソレーションすんならバッテリー駆動にすりゃ良いといつも思っている

オーディオ機器の回路って基本的に直流なので 電源の家庭用AC100VをDC12Vとかに変圧整流しているわけで だったら最初から12Vのバッテリー使っときゃ電源ノイズは入らないだろうと

電気自動車用の巨大バッテリーなら電力不足もなさそうだし トランス設置するよか安上がりだと思うけどな

まあ でも オーディオ趣味の奴って本当は聴力の衰えまくったジジイばっかなので どんなに金かけても聴こえないものは聴こえないんだけどね

 

 


Ende;

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