書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

体質

2019年06月28日 19時55分54秒 | 日記
順天堂大学って研修医無給問題だけでなく

女子受験生を一律減点していたことでも問題になってたよな

順天堂大学の職員達ってバカしかおらんのかしら

女子受験生一律減点 -朝日新聞

研修医無給 -日経



Ende;
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情緒

2019年06月28日 12時06分42秒 | 意識論関連
情緒って何?

野依良治やアルベルト:アインシュタインが時折使う言葉だけど

論理的な定義があやふやなまま情緒について議論しても意味がない

たとえば 情緒不安定な原因って何かと言えば 自己客観性の欠如が原因の大半を占めていて

故に認知行動療法が効果的なわけですよ

主観的な感覚が促す意味のない恐怖や不安なんてもんは錯覚に過ぎないことを 客観的に論理検証することで解消することが出来る

ヒトの多くは多数他人という社会環境から受ける強迫観念で行動が決定してしまう習性があって 多数派に同調迎合していないと不安や恐怖を「感じ」るという先天的欠陥が存在しているので

客観的に考えて多数派の異常性を認識していても 観念的に「悩む」ばかりで 自律的に社会的責任判断するという「考え」を阻害してしまう

ヒトの多くは気分的に「悩む」と あたかも自律的に何かを「考えた」かのような錯覚に陥るため 必死になって努力辛抱根性論的に「悩む」と「自分は物事を深く考えたので 頭が良くなった」かのような錯覚に陥り

結局は有効な「考え」に到達出来ないので ひたすら「悩み」に翻弄されることに陥る



科学や哲学に観念(主観)的な「悩み」なんてもんは存在しません

あるのは論理客観的な「考え」だけです

ですから 仏教における「煩悩」からの解脱というのは 論理客観的な「考え」によって無駄な苦しみから解き放たれることを意味するのであって 仏教の考え方というのはむしろニーチェだのハイデガーだのプラトンよりも哲学(論理)的なわけです

「苦しみから解き放たれる」とは言っても あくまで「無駄な苦しみ」からの解放であって 東池袋のプリウス暴走事故で女房子供を失った松永さんの「地獄」までどうにかなるわけではない

松永さんも 多くの交通事故被害者同様に「厳罰」を求めていますが 果たしてアクセルと踏み間違えた老人だけを悪者にしておけば 踏み間違い事故って減るでしょうか?

事故を起こす前から老人の運転が危なっかしいことは家族や周囲の人が認識していたのに 実際に誰かが死ぬまで放置されたという環境要因や そもそも踏み間違いやすい自動車の構造自体にも原因はあるはずなんですね

事故に限らす犯罪も含めたあらゆる「人災」というのは 実際に重大事象に陥る前にも予兆があるものであって 東京電力福島第一原発にせよ 東芝やオリンパスの粉飾決算や 西武グループによるインサイダー取引も バブル経済の破綻にも 予兆というのはたくさんあって 小さな綻(ほころ)びの段階から丁寧に対処しておけば重大事象に陥る前に避けることは可能だった

避けることが可能だったからこそ 原発事故は畑村洋太郎は「人災」だったと認定しているわけです

ヒトは誰しも間違えるものであって 間違えることを前提として対策を施しておく必要がある

過失や犯罪の被害者だって 決して「絶対に間違えることのない完璧な人間」なわけじゃありませんから 特権的に報復的懲罰を要求しても良い論理客観的根拠なんてないんですよ

本気で社会安全性を高めるために必要なのは 危険学や失敗学の考えに基づき 徹底した原因究明と再発防止策の構築なんであって そのためにはあらゆる刑罰は少なくとも一時停止する必要性がある

一人の人物の過失や犯罪の陰には 無数の要因が絡み合っていて 特定の人物だけを悪者にして懲罰を与えて「解決」だとみなすのは あまりに短絡的であり 社会安全性の観点からは無責任極まりない判断だと言えるのです



刑法廃止論を説くと 多くのヒトは「情緒」が不安定になります

論理的には正しいと 頭では解っていながら 感覚(主観)的には恐怖を感じるからでしょう

「刑罰がなくなれば 何をしても怖くない」と思うバカは相当数いるでしょう

怖いか怖くないかで行動が決定している時点で 行動選択に主体的自律性がないわけであって その時点で人間として欠陥品なわけです

しかし 現行の刑法というのは 実際に被害が認知されて実行犯が検挙されない限り どんなに人間性が欠けていても何の予防的治療も行われることはありません

誰かが被害に遭うまで相当数の犯罪者予備軍は放置されてしまうわけです

こういった司法制度の根本的欠陥(危険性)について 多くのヒトは「怖く」は感じないのかも知れません

「怖く」なければ情緒なんですかね?

それなら刑法廃止で犯罪者が「怖くないから 悪いことを出来る」ことも情緒なんすかね?



逆のパターンもありますよ 西宮冷蔵が雪印の食品偽装を内部告発して倒産状態に陥っている状態は 果たして情緒的に安定しているって言えるんすかね?

東電の原発運転に対する無責任な体質に絶望して辞職し 四国で農業に従事していた元社員にとって 果たして情緒的に安定しているって言えるんですかね?

正しいことを正しいと正直に言うことで 裏切り者として差別排除されていれば 大抵のヒトは情緒的に安定することなんて出来ないでしょうよ

誰一人として正しいことを正しいと認識しない状態の中で 正しいことを主張し続けることは戦慄しか覚えませんよ

だから 情緒って一体何なんすかね?

何かの役に立つんすかね?

そういうややこしい細かくて厳密なことは 考えなきゃ情緒的に安心なんでしょうよ

だからニーチェを読んで安心して 何も考えなくなると情緒的に安定することも出来る

安心して600万のユダヤ人を毒ガスで殺害することも平気になる



ヒトとは そういう残念な生き物なんでしょうよ



Ende;
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買ったもん負け

2019年06月27日 14時00分08秒 | 日記
BluedotがmicroSDの新作出してきた


デジタル物は絶対価格が下がるからな
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ヒトの人間性

2019年06月27日 12時59分39秒 | 意識論関連
ヒトが統率的協調行動を採る先天的習性が 生存にとって有利だったからといって 統率的協調性が促すイジメや差別までもに合理的意味目的が存在するかのように言い張るのは 現在の生物学者達のこじつけにしかなっていない

オキシトシンによって促されるイジメや差別というのは 先天的統率協調性を発揮する社会形成習性の副作用に過ぎず それ自体に意味目的が存在する必要性はない

統率協調性やイジメ差別というのは 別にヒト特有のものではなく イヌやカラスやハダカデバネズミでも見られる動物としてのシーケンシャルな条件反射であり そこに人間性が伴わなくてはならない理由は何もない

生物進化には目的関数のようなものが存在しない以上 進化によって残された先天的本能習性にも目的や意味は存在しないのである

ただ 結果的に生存にとって有利だったという「過去の結果」によって組み込まれたのが先天的本能習性であって ヒトが行う非人道的行動にまで意味や目的をこじつけ 事後正当化をする必要性などないのである

ヒトという種の生物は 先天的に人間性が組み込まれているわけではない ヒトは別に人間になろうとして能動的意識的に進化「した」わけではなく あくまで脳肥大の結果的に人間性を発揮する可能性を持つことが出来たに過ぎない

そして 人間性というものは先天的本能という無意識な条件反射によって促されるものではなく あくまで目的意識に基づいた客観的統合性のある論理的判断によって導き出されるものなのである



Ende;
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マックス:テグマーク

2019年06月27日 01時26分35秒 | 意識論関連
マックス:テグマークは「主観がなければ宇宙は存在しない」と述べた

主観とは何かと言えば 先天的に脳に組み込まれたバイアスであり 脳内物質によって促される恐怖や怒りや安心や快楽といった感覚である

3歳の娘と女房を交通事故で失い 毎日が地獄だと感じることも主観である

パレスチナの救急隊員がどんなに命がけで活動しても 毎日のように子供達が傷つけ殺され続ける無力感に絶望するのも主観である

根拠のない誹謗中傷で満足することも それによって相手が苦しむことに何も感じないことも 主観である

主観的嫌悪感に基づいたヘイトスピーチに明け暮れている者にとって「ヘイトスピーチをすることで得られる快楽がなければ宇宙は存在しない」のであれば ヘイトスピーチこそが宇宙そのものだと言えるであろうか

麻薬中毒患者にとって 強力な中毒性を持った麻薬を投与することで得られる快楽がなければ「宇宙は存在しない」と言えるであろうか

主観的感覚としての快楽の強度程度に行動が左右されている状態は 果たして「自由」な意思を持っている状態だと言えるだろうか

本当の自由とは 本質的な自由意思とは 主観全体を客観的且つ統合的に検証し どのような主観を優先すべきかを「目的」として選択できることである

主観的感覚が促す快楽の強度程度で決定してしまうような シーケンシャルで機械的条件反射に自由など存在しない

意識とは 感覚という主観の中にあるのではなく あくまで客観的論理検証に基づいた「目的」行動選択の中にある

だからこそ「目的意識」と言うのである

主観的感覚というものは 先天的に決定している条件反射であり 結果的に生存に適した個体に残された 自己選択不可能な「結果」に過ぎず これを意識の本質だと言うことは出来ない

マックス:テグマークはこの部分を理解しておらず 考えが及んでいない

個人の主観に倫理はないし 倫理は必要がない

芸術という「表現」は主観であり どんなに内容が非道徳的であろうが構わないのである

文芸作品の内容が猟奇殺人であろうとも 表現の範囲内である限り倫理は必要ないものである

会田誠の絵画作品には 全裸の少女の手足を切り落とし犬の首輪で繋いで屋外に飼うという表現もあるが こうした極端に非道徳的表現であっても表現の範疇である限り許されるのである

しかし 倫理とは主観を統合客観的に検証することで割り出すことが出来る社会的責任判断選択であり 主観だけでは倫理を語ることは出来ない

主観的感覚が促す快楽の強度程度だけで行動が決定しているのでは ただの中毒患者に過ぎず 到底倫理も人間性もスッタクレもあったものではない

自己の目先の快楽の強度程度に左右されずに 客観的に検証した目的意識が働いてこその倫理であり人間性なのである

主観というのは「ヒトという種の生物」としての感覚に過ぎず そこに合理性がなくとも 人間性が伴わずとも 全ては「結果」に過ぎず 「人間」としての「目的」行動選択なくして倫理を論ずることは構造原理的に不可能なのである

マックス:テグマークは自己の主観的感覚を あたかも神のような何者かによって保証担保された特別なものであるかのような錯覚に陥っており 言うなれば「正常性バイアスの虜」である

主観的感覚というものは 所詮は個人的なものに過ぎず大多数の他者が好むものを好まなくても 大多数の他者が嫌悪するものを好んでも それは勝手である



「愛」と称して特定の配偶関係者や子供に対してエコヒイキをすることも 所詮は主観に基づいた行動バイアスに対する事後正当化のこじつけに過ぎない

ところが「神」という普遍的な平等者に対しては処女懐胎などというムリゲーを要求するという 倫理のダブルスタンダードをゴリ押しするのである

配偶交配による変異の促進が生存にとって有利に働いたのは 決して生存などの目的に基づいたものではなく あくまで「死なずに生き残った」という結果に過ぎず 繁殖行動バイアスに起因する様々な犯罪やトラブルの全ては 先天的繁殖行動バイアスには合理的目的が最初から存在していない故の必然である

にも関わらず 主観こそが意識の本質であるかのように言い張るマックス:テグマークは 考えが浅く論理整合性のない「嘘つき」に過ぎない

この手の「嘘つき」というのは 論理思考の成立していない文科系大衆に迎合している多くの論客に見られるものであり

ヒトという種の生物の先天的暴力性を取り上げずに「どうして戦争はなくならないのか」の原因を 知識のひけらかしによって知ったかぶりする池上彰などにも見られるものである

大多数の論客が こうした論理整合性のない「嘘」を述べているのであれば あたかも責任や罪が薄まるかのように錯覚することも簡単なのであろうが

こうした「嘘」を認識出来ない大多数の大衆やマスコミも同罪である

人工知能の危険性を語る前に ヒトの危険性を認識することの方が先である

バカが作るものがバカげているのは当たり前の話である AIであろうが何であろうが作っている方のバカさを認識しないことには バカが治ることはない



Ende;
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客観的根拠のない客観的評価

2019年06月26日 14時32分23秒 | 意識論関連
野依良治は「主観が重要」と述べていたが これは間違いである

現状の学力偏差値や試験の点数という評価には 評価そのものに客観的根拠が乏しいことが問題なのである

自ら問題そのものを発見するという自発性というものは 「問題に答える」という構造では測ることが出来ない

野依良治なら統合的に他人の評価を直感的に見抜くことも可能なのかも知れないが そんな奇特な奴が大学にどんだけ居ると思ってんだ

ほとんどデクノボウの集まりじゃねぇか



Ende;
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主観

2019年06月26日 14時10分34秒 | 意識論関連
野依良治の主観だったら信用しても良いと思うが

養老孟司だの山極寿一の主観じゃ意味がないだろ

Yahoo!



Ende;
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頸が激痛

2019年06月26日 12時58分34秒 | 日記
BluedotのAndroidタブレットを購入してから 急に首が痛くなってしまった

これっていわゆる「スマホ首」ってヤツだと思う

以前使ってた東芝Android2.2端末は 一応クラムシェル型だったので タブレットPCのようにディスプレイ部分を直接手で持って使うのではなく キーボードの手前部分があるので 手元から20cmくらい奥(上)にディスプレイがくるので「スマホ首」の症状が出なかったようなのだ

だったら何でも良いのでタブレット端末を手元から30cmくらい上に来るように工夫すれば頭を下げずにディスプレイを見れるので「スマホ首」の症状にならずに済むのではないかと思って

ダンボールでこさえてみた

Fig:




タブレットの下端から40cm近く下に延伸してあるので 手で持って使ってもディスプレイが頭の高さに来るようになっている

タブレットは使用中に発熱があって 熱が溜まるとバッテリーの劣化を招くので なるたけ放熱しやすい形で固定出来るように工夫してある

さすがにこの状態で屋外使用は恥ずかしいんだけど 屋内で使う分には首の激痛を避けられる

文章打つ時には また別のホルダー的なものもこさえてある






あ ちなみにメモ帳アプリは広告が出るタイプなんだけど Wi-Fiをオフにしておいて起動すれば広告も出ずに画面を有効に使える



で タブレットの状態をタブレットでは撮れないので デジカメで撮影したんだけど メディアがSDなので タブレットのmicroSDカードスロットに入らない

アダプター付属のmicroSDを買ってくれば済む話ではあるんだけど Android2.2にSDカードを挿してからBluetoothでタブレットに送信するというまどろっこしいことをしてケチっている






まだしばらくAndroid2.2にもお仕事をしてもらうことになる

死ぬまで使ってやんよ





Ende;
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Androidのゴミ箱

2019年06月26日 01時14分16秒 | 日記
Android8.1で画像ファイルを削除しようとすると「ゴミ箱」に棄てる的なダイアログが出ることがある

でも「ストレージからの削除」っていうダイアログが出ることもある

む? 何か違うのか? と思ってググってみたら「Androidにゴミ箱なんぞねぇ!」的なトピックがあったので そういうもんなんかなと鵜呑みにしそうになったんだが

GooglePhotoのメニュー(左上の「三」マーク)の中にゴミ箱があった

GooglePhotoのゴミ箱の場合 60日間経過すると自動削除される(設定で自動削除をオフにすることも出来るらしい)けど それまでは復帰出来たり 強制的にストレージから削除することも出来た

ってこたWeb上の「Androidにゴミ箱なんぞねぇ」というトピックはデマなのかと言うと そうとも言い切れない

WindowsとかMacなどのPCのOSでは ゴミ箱はOSレベルで実装されているんだけど Androidの場合はGooglePhotoやメモ帳などの個別のアプリで実装されているので 「AndroidOSレベルではゴミ箱は存在しない」ということなので あながちデマではない

FileManager上でファイルを削除するとゴミ箱を経由せずにいきなりストレージ上から削除されるんだけど




FileManager上から画像ファイルをクリックしてGooglePhotoで画像を表示している状態から削除しようとすると「ゴミ箱」に入ることになる


あ あと FileManager上から画像ファイルをクリックして画像を表示させた時にはメニューがないんだけど GooglePhoto単体で起動した場合にはメニューが出る





この辺の動作はようわからん


おちゆらのちゃんの大っきい写真はこちら↓

https://kyun2-girls.com/file/parts/I0001779/bbbd56dcb122294bb3fa76f19166290b.jpg

なぜかダウンロードすると拡張子が「*.webp」になるんだけど

拡張子を「*.jpg」に書き換えても大丈夫なので フォーマット自体はJPEGらしい

 ◇追記:WEBP(うぇっぴー)っていうJPEGとは異なる新しいファイルフォーマットなんだそうな

ググると出てくるので各自ググってください

でも 時期的にAndroid2.2はWebpフォーマットは知らないはずなんだけど 拡張子を*.jpgに書き換えただけで画像を表示してしまった

まだMacG4で開いたことないので 詳しいこた良くわからない

WebpとJPEGを相互変換するサイトがあるんだが

https://lab.syncer.jp/Tool/Webp-Converter/

はて どこまで信用して良いやら

JPEGって変なもん埋め込むことも出来るらしいので 必ずしもオススメは出来ない



画像ビュワーアプリっていうのは拡張子に依存せずに適切なフォーマットで画像を開いてくれるらしい

https://numa-soko.tokyo/424

だがPhotoshopなどの画像編集ソフトの場合は無理らしい

じゃあ 何でAndroid2.2は拡張子が*.Webpだと画像ファイルとすら認識しないのに 拡張子を*.jpgに書き換えただけで画像を表示できたのだろうか

やっぱ謎だわ


Ende;
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有吉ぃぃeeeee!

2019年06月25日 12時38分38秒 | 日記
有吉ぃぃeeeee!で毎週熱々のタコ焼き飲み込む競争してんだけど

食道癌になるぞ

不健康なことすると医療費が増えて社会的負担が増えるのでやめろ

有吉だったらそんな雑な芸しなくても笑い取れるだろうよ



Ende;
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無駄死に

2019年06月24日 11時38分56秒 | 意識論関連
あらゆる人災っていうのは頭が悪いから引き起こされるんであって

「地下鉄に毒ガス撒けば人類の救済」だとか

「犯罪や過失は刑罰判決で解決だ」といった合理性のない実証不能の観念を鵜呑みにする頭の悪さが原因なわけですよ

教えられれば多くの人が理解可能な業績であれば それは多くの人の誰が思い付いてもおかしくはないでしょ それなら「思い付いた人を天才だと祀り上げて浮かれて気分的に満足する」ことが重要なんじゃなくて 「思い付かなかった理解可能な大多数の頭の悪さ」について検証することの方が重要なんですよ

それによって より多くの回避可能な危険性を予め知ることが出来るようになる

誰も思い付かなかったことを 思い付いた特定個人をもてはやしておけば 思い付かなかった大多数の頭の悪さの免罪符になるわけじゃないでしょうが

回避可能な危険性を 回避出来ない頭の悪さを認識しないというのは 社会安全性を優先しない無責任であり 非人間性でもあるわけですよ

他人から教えられたことをただ漫然と鵜呑みにし 自発的には何も論理検証しないのは 本質的な自己の意識としての客観性がないからですよ

学力偏差値だのクイズの正解率を論拠に 「自分は頭が良い」などと気分的に満足するだけで 実際には何が間違いなのかを自律的に気付かないのであれば これは「偏差値が高いだけの ただのバカ」でしかないんですよ

偏差値なんぞ認知科学的には知能の論証になどなりませんからね

偏差値が高い奴なんていっぱいいるのに 何で130年以上もフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証を誰もしなかったんですかね

それは「考えたことがなかった」からであって 同時に自発性とか主体性がないから自分からは「考えたことがなかった」わけです

学力偏差値っていうのは 教えられたことを教えられた通りに答えられれば上がります

ですから 教えられた内容に間違いがあっても学力偏差値を目的にしている限りは教えられた内容の間違いを自発的に気付くことは出来ないわけです

この構造自体の欠陥を認識出来ないのも 同じ理由です

大多数の大衆が学力偏差値を知能だと勘違い錯覚しているという社会環境を 短絡的に鵜呑みにしているだけで こうした大衆の観念に論理科学的根拠がないことに気付かないバカが どんなに学力偏差値を自慢していても 教えられた内容の間違いにも気付かなければ 必然的に新しい発見にも到達出来ないわけです

多数に同調するというのは ニューラルネットワークAIの得意分野です

そもそもニューラルネットワークAIにおける「学習」過程というのは 大量の「正解」データを必要とするものであって 間違った「正解」に基づいて学習させれば間違った「正解」しか導き出すことは出来ない

だからMicrosoftのTwitterAIはヘイトスピーチに同調したわけです

現在のニューラルネットワークAIというのは論理的に何が「正解」なのかを判別することは出来ず あくまでヒトが「正解」データを用いて教え込むことでしか動作することは出来ない

「ヒト」っぽく振る舞うことは出来るんだが 「人間」としての自律的な社会的責任判断は原理的に出来ない

アラン:チューリングによる「チューリングテスト」というのは 「人間か機械かを判別」することは出来ず あくまで「ヒトか機械かを判別」するレベルでの話でしかない

その意味においてはMicrosoftのTwitterAIは「ヒト」という種の生物は再現出来たと言っても構わないだろう しかし 人間性や倫理が伴うかどうかは全く別次元の話である

AI(機械)は所詮道具であって 人間性というのは人間が担保すべきものであることは永遠に変わることはない

「生物の目的は 生存」だとか「司法判決が解決」といった 合理的根拠のない観念的決めつけであっても AIは多数に同調するだけで そこに合理的根拠が存在していないことにまでは言及することは出来ない

精々「大学の試験で高得点を獲る」だとか「クイズの正解率を上げる」ことは出来ても 教えられた内容に間違いが存在していることには全く「気付く」ことが出来ないのである

バカは何も気づくことができないので アクセルペダルとブレーキペダルを隣合わせに配置するという因習を「今更変えられない」と称して ポカヨケ再発防止すらしなくなる

自分の頭の悪さの難治性について認識すべきである

そうでなければ これからも無駄に死ぬ人はいなくならないだろう



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ニチガスのリスク

2019年06月24日 11時12分54秒 | 日記
ニチガスと契約してしまったんだけど

後日東京ガスの定期検査があったので職員さんに「ニチガスって何かリスクあるの?」って聞いてみたら

「警報機の検査は東京ガスが行うんですが 器具はニチガスの方で検査するので 検査が二度手間になるというのはあります」とのこと

「ガス器具の方の不具合は東京ガスの方ではお答え出来ない」そうで その辺若干ややこしいとの話



ウチは電気と都市ガスの一括契約なんだけど ニチガスに切り替えると電気代が200Kw/月以下で4,600円定額になってしまうので 長期に家を空けてしまうなど電気を使わない時期があるとニチガスは損になることがある

東京ガスの職員さんに直接聞いたので ウチの場合はニチガスに切り替えるリスクというのは特にないらしい

この話はあくまでウチの場合なので LPGボンベの契約とかだと急に請求額が変わったりするリスクはあるらしい



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今更変えられない

2019年06月22日 14時40分51秒 | 意識論関連
ヒトは 自然と客観的論理思考が出来るようにもなる可能性もあるのだが

これはあくまで脳肥大の結果的な可能性の存在を述べているに過ぎず

決して先天的本能習性として客観的論理思考をするよう出来ているわけではない

客観的論理思考というのは むしろ動物的な先天的本能習性が促す主観的感覚によって阻害されることはあっても 促されることはない

事実 ヒトの大半は自律的には論理思考が出来ず 肩書権威や多数派に同調するだけで 何が客観的真理なのかを追求する意欲すら持たない

客観的論理思考とは 主観的感覚をも客観視する主体性に基づくものであって あらゆる欲望や執着中毒を一度全て棄てる必要がある

目先の恐怖心や執着心の程度強度で判断している限り 本当の意味での客観性というものは発揮することは出来ず

精々「問題意識のない傍観者」になるのが関の山である



社会安全性を求めることも これも一種の利己性である

社会環境の安全性が担保されない状態では 何をやっても無駄になる可能性がある

どんなに金儲けをしても どんなに人気評価を得ようとも 赤ん坊が丸焦げにされる社会では何の意味もないからだ

ヒトの行動の全ては利己である

しかし その利己の究極とは自分だけが過剰な利益や評価を得ることではなく 社会全体の安全性の上においてのみ自分の存在理由が成立するのであり

その利己性は自ずと社会性や人間性を伴うことになる

たとえ多数からの誹謗中傷を受けようとも 社会的排除を受けようとも こうした環境に左右されずに自律的に社会的責任判断をすることが人間性であって 目先の多数体制に迎合同調して目先のご機嫌取りをすることが人間性ではない

目先の世間的評価をアテにしているから偽善なのであって 人間性というのは利己を究極まで追求した先に到達するものに過ぎない



ヒトはどうしても目先の多数に迎合する習性があるため 自律的に客観的論理検証判断というものをしなくなる習性がある

他人からの外見的雰囲気(観念)に基づいた 薄っぺらな人間性の基準だけで他人を判断し その薄っぺらな基準に基づいた薄っぺらな人間性を装うから偽善なのであり

観念に基づいているからこそ 論理的根拠(真理)を伴わない

真理を伴わないというのは 間違い 若しくは嘘という意味である

間違った観念に基づいて行動しているからこそ 真の意味での合理性や効率性もなく 同じような失敗を何度も繰り返すことに陥るのである



ヒトは間違える

そして ヒトは間違いを気分的に悔やんだり 観念的に反省したりして 精神論的に頑張れば何とかなると錯覚している

間違いというものは その間違いの構造メカニズムを分析して再発防止に活かすことによって 教訓としての大事な知識にすることも出来るのだが

そういった「ポカヨケ」的な対策を姑息だと錯覚し 全てを精神論で片付けようとする習性が ヒトにはある

アクセルペダルとブレーキペダルが隣り合わせに並んでいる状態を「今更変えられない」と「思って」しまうのである

そして 頑張って踏み間違わないよう 注意することで何とかしようとする

禁煙をするのに根性で何とかしようとする

犯罪中毒患者を刑務所に監禁するだけで解決だと勘違いする

それがそもそも間違いなのである

努力辛抱根性的な精神論で「頑張って」も そんなものは長続きはしない

年柄年中朝から晩まで「頑張って」いることなど そもそも無理だからである

間違い易い状態そのものを変えて 誰もが間違え難い状態にしておけば 「頑張ら」なくても間違いは減るのである

ヒトの多くは精神論的に「頑張る」ことの方が偉いとでも「思って」いるようだが その主観に過ぎない観念に囚われている頭の悪さを認識する知性の欠如を認識すべきである

インパール作戦的に「頑張れ」ば 何かの解決になるという錯覚が 無駄な因習を漫然と繰り返す頭の悪さの原因である



Ende;
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権威というものに科学的根拠はない

2019年06月21日 14時01分42秒 | 意識論関連
間違ったことを教えられても 教えられたことに間違いがあることに気付かず ただ漫然と教えられた通りに「知って」いるだけなら これは知能として役に立たない

知識の「量」だけをひけらかしておけば 大衆マスコミの多くは知能が高いものだという錯覚に陥る習性があるが これは間違いである

間違っていることを 間違っていると教えてやれば 間違っていることを理解可能であるならば それは本来間違っていることをいちいち教えなくても自分で気付くことも可能なはずである

ところが ヒトの多くは間違ったことを教えられても 自発的に間違いに気付くことが出来ず 間違ったことを簡単に鵜呑みにしてしまう習性がある

多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力を 「天才」と称して特別扱いして祀り上げておけば ヒトの多くは気分的には満足してしまうが

重要なのは 「なぜ 気付くことが出来なかったのか」というメカニズム構造を知っていれば 間違いを理解可能な誰でも気付くことが可能になるのである

多くのヒトが気付かなかったことに気付く能力が天才なのではなく むしろ気付くことの出来なかった大多数のヒトの頭の悪さの方が問題なのである

インドのスブラマニアン:チャンドラセカールによるブラックホールの理論を 公の場で発表していたにも関わらずイギリスのアーサー:エディントンによる根拠のない誹謗中傷によって「なかったこと」に出来たのは 学会の大多数がバカで エディントンの主張に論理的根拠がないことに誰も気付かなかったのが原因である

こうしたバカさ 頭の悪さは 一体どのようにして発揮されるのか

そのメカニズム構造を理解していれば 同じような「失敗」には陥らずに済むのである

 ◇

ヒトは 相手を肩書で順位序列づけをして見てしまう習性がある

「権威」とは 「自分よりも上」だとみなした相手への分類であって たとえ「科学的権威」と形容されているとしても それは単なる形容詞に過ぎず 論理的根拠を伴うわけではない

京都大学学長とか 文化功労賞受賞者とか 東京大学名誉教授だとか こうした権威肩書さえあれば「常に科学的に正しいことしか言わないものである」というバイアス(錯覚)が働き

ヒトの多くは疑うこと 論理的に検証することを一切しなくなる

科学には批判精神が必要で 主観的感覚が促す錯覚に惑わされないためには 相手が誰であろうとも 言っている内容については常に論理検証をする必要がある

科学的真理というものは 主観的感覚の中にあるのではなく 客観的論理検証に基づいた根拠が必要だからである

主観的感覚には 錯覚やバイアスを伴うことがしばしばある

自分の感覚を疑わず 既存の権威の言っていることを鵜呑みにし 体制に迎合し 多数派に同調しておいた方が気分は楽である

それこそがヒトという種の生物の先天的欠陥の源なのである



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同罪

2019年06月21日 10時42分05秒 | 意識論関連
差別イジメを何世代にも渡って続けたら 暴力性が低い個体だけが残った

そんな理屈あるかい?

差別とかイジメって むしろ暴力的な奴にとって有利な行動なんじゃねぇのかい?

キツネの場合 そもそも群れを作らないのかも知れないけど

ヒトに懐き易いキツネの場合は キツネ同士でも仲が良かったりするのかしら

群れて集団を形成し しかも差別排除を行う動物種というのはヒトに限ったことではないはずなので

他の動物種における幼形成熟化や「穏やかな個体への淘汰圧力」になることの実証的証拠なんてないよね

ヒトがイジメ差別排除を行う先天的習性を持っているからといって それを無理矢理「穏やかな個体種への淘汰圧力として働いた」と言い張るのは もはや科学ではなくて観念的こじつけにしかなっていない

バカなら鵜呑みに出来るんだろうけど

マスコミってバカしかいないのかしら

 ◇

知的能力が低くて論理的理解力が他の個体よりも低い場合 差別排除の対象になる可能性は高い

だが 逆に知的能力が高くて他の平均的凡人が理解出来ないような事を言い出しても差別排除の対象にはなるわけで 差別排除っていうのは均質化や平均化への淘汰圧力効果はあっても 「穏やかな個体への淘汰圧力」としては働かない

「差別排除が穏やかな個体種への淘汰圧力として働く」という観念は 平均的凡人にとって自分達の優位性を錯覚出来るため 気分が良くなるので簡単に鵜呑みに出来るのであろう



統率能力に長けて 多数人気を得られることが 短絡的に人間性の論証にはならない

自律的な社会的責任判断をすれば むしろ「裏切り者」として差別排除するのがヒトであり

「ユダヤ人を殺害せよ」とか 「人類の救済のために地下鉄に毒ガス撒き散らしてこい」なんて言い出すバカの方が統率には長けていたりするわけで

統率能力というのは人間性とは相関関係がないし 同時に差別排除には「穏やかな個体種への淘汰圧力」として働く効果も存在しない

生物学者達というのは 何が何でも先天本能習性というものが人間性にとって常に有利に働くことにしておきたいから 論理的根拠もないこじつけを繰り返しているのであって

これは大衆迎合による科学的真理の撹乱にしかなっていない

その上 奨学金と称して学生に700万円もの借金をさせ 嘘を教えているのだから これはどう考えても放置しちゃいけないはずなんだが

マスコミもバカなので誰も問題意識を持たない



Ende;
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