書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

柴田昌三(京都大学)

2021年05月31日 00時04分27秒 | 意識論関連

捕食者飽和説と称して「一斉に実ることで捕食者に食べ尽くされない戦略を採っている」と説明しているが

この説を「戦略」だと言うのであれば 意味としては「竹が捕食者に食べ尽くされないように一斉に実るように自らの遺伝的性質を主体的に選択した」という意味になる

それは遺伝的進化の構造原理的に不可能な話である

遺伝的進化の説明をしている段階では「環境に適応して生き残ることができた」と説明しているにも関わらず これを目的に則って「戦略」的に主体的選択をしたかのように形容するのは論理整合性を欠いており 科学者として無責任である

科学者たるもの論理整合性の欠けた嘘や誤謬をいつまでも訂正しないのは バカなのか 或いは痴呆である

京都大学に限らず生物学者はバカが多すぎて話にならない

 

 

Ende;

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白虎

2021年05月30日 12時33分32秒 | 日記

愛媛県今治市沖の来島(くるしま)海峡付近で27日深夜に衝突事故で沈没した貨物船白虎(神戸市プリンス海運)は

令和2年6月に竣工したばっかで まだ試験運転中だったらしい

 ◇追記:神戸港から福岡県・苅田港へ向け、乗用車やシャシーなどを運んでいた。 -毎日新聞

そんなに潮の流れが激しいんだったら大型船は航行禁止にしちまった方が良いような気もするよ

事故が起きて人命が失われちまったら経済効率もヘッタクレもないもの

 



Ende;

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意味

2021年05月22日 01時22分54秒 | 意識論関連

未だにプラトンだのカントだのを哲学だと信じ込んでいるバカ「哲学者」共が学校でいつまでものさばっていて呆れる

実証不能のイデア界だの叡智界だのを鵜呑みにしていて 一体何が「哲学(考えること)」なんだと

「闇もこちらを見ている」なんつう話が一体何の応用性があるのかと

誰も「考え」ないのに 何が「哲学」なんだろうね

プラトンだのニーチェというのは 意味のある内容がない

だからナチズムに都合の良い「解釈」をこじつけることもできる危険性を伴う

意味のある内容がないのに 何で人々は「哲学」だと信じ込んで疑わないのかというと

主観的な安心感を 論理客観的な安全性と勘違い錯覚しているからである

科学哲学者カール:ライムンド:ポパーはプラトンの盲目的権威主義を「プラトンの呪文」と形容して激しく糾弾している

何でもプラトンは論文での引用数が最も多いんだそうだが

「数」だの「量」で真理の証明には一切ならない

「科学は多数決ではない」と言われるが 真理というものは論理客観的論証によって導き出されるものであり

哲学も例外ではない

プラトンの「イデア界」だの イマヌエル:カントの「叡智界」だのといった話は 科学における錬金術のようなものであって 「かつては科学や哲学だと信じ込まれていた」という歴史上の話として取り上げるならまだしも

「近代哲学の最高峰」などと形容して何の疑いも持たないというのは

ただのバカとしか言いようがない

バカの多数決では民主主義はバカ主義にしか陥らない

「それでも良い」という無責任さを発揮したいのであれば もはや何を論じても無駄である

 

 

Ende;

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危険な妄想

2021年05月18日 10時50分30秒 | 意識論関連

ミクソーマウイルスがアナウサギに対して弱毒化が起きたという自然環境下における事例だけを挙げて「ウイルスは弱毒化する」だの「ウイルスの目的は宿主との共存」だの

特定環境下におけるチンパンジーの行動だけを根拠に「習性としての社会性から人間としての社会性を実証できるかもしれない」だの

ヒトが結果的に脳肥大をしたからといって 「ヒトの進化が全て脳肥大を促すような「目的」に則った合理性がなければならない」だの

論理的根拠を伴わぬ雰囲気的予想が的中しても 論理的根拠がない以上何の応用性もなく 意味がない

その手の「予言」が的中しても 科学的論理思考の出来ないマスコミや大衆が有り難がるだけで 糞の役にも立たないばかりか むしろ勝手な妄想に基づいた危険な思想に陥る可能性の方が高く「日本の原発は絶対に安全」などという妄想神話に基づき原発の危険性が放置された「失敗」を全く考慮に入れておらず 学者として無責任極まりない

 

現状のAIの技術的進歩だけを根拠にした雰囲気的予想にも論理的な根拠はなく 予言が的中したとしても大衆マスコミは喜ぶのであろうが 客観的には何の意味もないのである

それはオカルト産業による予言と同じものであって 到底科学者が発言すべきような内容ではない

亀山郁夫が「ドストエフスキーが現代社会を予言した」などと称して具体的に何か論理的根拠を伴わない雰囲気的な話が糞の役にも立たないのと同様 科学や哲学を逸脱した主観的妄想錯覚に過ぎない

 

AIはすでに事故を起こして死者も出しているのであり 現状認識自体から間違っているのである

Aiの技術は社会安全性に関わるものであり 論理的技術的根拠を無視した勝手な予想や予言で大衆人気を得ようとするのは科学者として無責任極まりない言動である

そもそも知能というものの本質すら理解していない状態で「知識の量」だけが知能だと勝手に勘違いしているバカが人工知能を語ること自体が もはや「悪ふざけ」とも言えるものであり SNS上の「悪ノリ投稿」レベルの話でしかない

「ウイルスは弱毒化する」だの「日本の原発は絶対に安全」だの「ヒトは進化して脳が肥大する」だの「淘汰圧力によってヒトもヒトを超越した超人になる」だのといった妄想錯覚は バカな大衆マスコミを喜ばせて危険性をマスキングしてしまうものでもある

これらの妄想はナチス政権による民族浄化の屁理屈に利用されたり 高速増殖炉もんじゅにおける6000箇所にも及ぶ点検漏れや ウイルスに対する対策の緩みを促す危険なものである

現状の深層学習AIというのものは 物事を論理客観的に検証(考え)して答えを導いているわけではなく 大量の「正解データ」から雰囲気的に「答えっぽいもの」を確率的に割り出しているに過ぎず 安全性が論理的には一切担保されていないのである

ある企業の採用判断に 過去の採用事例を「正解データ」として深層学習させたAIを用いた場合に 女性であるというだけで減点するという「偏見」までもを「学習」していたことがある

Microsoft社のTwitterAIが SNS上におけるヒトの大量のヘイトスピーチを「学習」する形でヘイトスピーチに便乗同調してきたこともある

現状の技術においては 深層学習AIは「学習していない危険は危険として一切認識しない」という根本的危険性を孕んでいるのである

Aiを論理客観的に物事を検証できるような技術的 論理的根拠もなしに「知能爆発」を語ることは出来ない

単に学力や学歴だけで知能だと錯覚している基準自体が とんでもない大誤謬なのである

学力成績が高いだけのバカは これらを認識自覚したがらないだろう

それは既存の世間的評価を下げ 既得権を失い「損」になるためである

要するに利己的理由で嘘をつき通すつもりである

そこに科学的哲学的真理は存在しない

 

いわずものがな真実がわからなければ 何が安全なのかも認識できないのである

 

 

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山川宏

2021年05月16日 14時32分54秒 | 意識論関連

山川宏 東京大学大学院工学系研究科特任研究員は

WIREDの記事の中でこんな法則をでっち上げている


山川が考案した「知能爆発の法則」のタイムライン

2038年:64歳。政治家→AI政治家(大衆が納得することを話す)


「大衆が納得」することが論理客観的に社会安全性や持続可能性にとって合理性のある判断選択であるとは限らない

大衆を洗脳して破滅に暴走する可能性も充分にある

マイクロソフト社のTwitterAIがヘイトスピーチを始めた原因は 大衆のヘイトスピーチに同調する形で「学習」してしまったからであり 「大衆が納得」したからといって「合理性のある正しい選択」の論証には全くならない

「ヒト」をエミュレーションしたからといって善人(人間性を持った人格)のAIが出来上がるとは限らない

ヒトラーやポルポトを再現してしまう可能性も充分あるのだ

今存在しているAIというのは 基本的に深層学習AIであり 大量の正解データに基づいて「正解らしい解答」を確率的に導き出すことしかできず その中身はブラックボックスで何を考えているのかはわからない

そもそも深層学習AIというのは 何かを論理客観的に検証(考えて)解答しているわけではなく 確率的に「正解っぽいもの」を条件反射的に導き出しているに過ぎない

ヒトが錯覚や妄想に取り憑かれて間違った行為に暴走するのと同様に AIもまたヒトと同じような過ちに陥る可能性が充分にある

自動運転AIが 路上に横倒しになっているトラックにブレーキも踏まずに激突する事故も起きている

自動運転AIは 学習した危険は認識できるが 学習していない危険は危険として一切認識できないのである

山川みたいなバカがAI研究の最前線にいること自体が非常に危険である

 

 

Ende;

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世論調査センター

2021年05月16日 13時54分24秒 | 日記

自動音声で「こちらは世論調査センターです」などと称した電話があったので

速攻ググったらそんなもんは存在せず 詐欺の可能性が高いとの話が山ほど出てきた

電話番号05030852536/050-3085-2536の詳細情報(世論調査センター)

他にもいろんな名称を騙って電話をかけまくっているらしい

家が不在かどうかを調べている可能性もあるので この電話番号からかかってきたら一応最寄りの警察署にも通報しておいた方が良さそうである

 

Ende;

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正常な判断

2021年05月14日 23時39分36秒 | 意識論関連

ハンナ:アーレントは「相互監視による孤独がヒトから正常な判断を失わせる」と説いたが

そもそも正常な判断ができていないから主観的猜疑心による相互監視や差別が始まるのである

ナチス政権下でもない現代日本においてもSNS上での集団的な誹謗中傷や私刑や差別は起きており 決して相互監視が先にあるわけではなく 他人を攻撃をすることで「自己が優位に立った」という錯覚妄想によって正常な判断が出来ないバカが集団組織的に暴走することで差別が起こり

差別が孤立や孤独を作るのである

ヒトが正常な客観的論理検証判断能力を失うのは 個人的な主観を短絡的に「意識の本質」や「目的」だという勝手な思い込みによる自律的な論理検証を放棄しているからである

厄介なことにバカというのは自分の頭の悪さを自覚できない

客観性がないので主観的感覚が100%になってしまうからだ

宗教やイデオロギーがその内部で100%になってしまうのも それらに客観的論理検証性が働いていないからである

「これさえやっときゃ 全ては解決」という短絡的で安易な結論ありきで他人に危害を加えることだけが正義になってしまうのである

被害者にならないために最も安易な手段は 「加害者に回ること」である

加害者達の屁理屈は 「生き残るためには」というものである

他者を殺してまで生き延びても 永遠に生きられるわけでもなく 殺し合いの果ての社会に安全性も持続可能性もないのであって そんな社会に生き続ける必要性は本当はない

遺伝的進化を万能だと錯覚し 「他者よりも自分の方が優秀である」という屁理屈をでっちあげ こじつけ 差別排除を正当化することで孤立孤独も酷くなるのである

何度も言うが 遺伝的進化には目的や合理性はなく あくまで「死なずに生き残った」ことに対する必然的結果が遺伝的進化や生物なのである

ナチス政権がユダヤ人虐殺を科学的(実際には科学的ではないが)に正当化するために利用した優生学に対して 生物学界は130年以上も誰一人として論理反証すらしないばかりか むしろ遺伝的進化万能思想に基づいたリチャード:ドーキンスのお伽話をもてはやし マスコミも大衆も「自分達は先天的に優秀な知的生命体である」という勝手な妄想に溺れることで何の疑いも持たずに鵜呑みにするという頭の悪さを発揮しているのである

バカは原因を理解しないまま 「自分は無関係で 自分の所為ではない」と盲目的に信じ込んでいるため バカが一向に治らない

 

 

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懲罰の一環

2021年05月14日 13時50分32秒 | 意識論関連

暴力暴言など威圧的な者が なぜ暴力威圧的態度を採るのか

暴力者というのは 過去に家庭内の虐待や学校におけるイジメ差別によるヒエラルキーを迎合服従せざるを得ない環境下において 暴力威圧に服従したという自分の過去の選択を正当化するために 「自分が暴力威圧に服従したのだから 他の誰でも暴力威圧には服従するものである」という観念に囚われ 「そう思っていなければ やってられない」という主観的感情によって認知的不協和を解消する形で暴力威圧行動を正当化するのである

暴力者というのは 過去に自分が暴力に屈服した事実を事後正当化する形で他人に暴力を振るうことを「合理化」しているのである

もちろん この「合理化」とは精神医学上において「合理化」と形容されているだけであって 実際には何の論理的合理性は全く存在しておらず

あくまで主観的気分感情に基づいた身勝手な「こじつけ」のことを 精神医学上では「合理化」と形容しているに過ぎない

 

軍隊というのは こうしたヒトの先天的習性を利用し 暴力的「訓練」によって統率命令に対する服従性を刷り込み学習させることで戦争などのバカげた事にも便利に使うことが可能となる

軍隊というのは その内部では平等とか公平といった概念は存在せず あくまで上官に対する絶対服従行動だけを刷り込み学習されているため 相手が非武装の自国民であっても暴力威圧によって服従させることこと以外の「考え」が一切働かなくなり 太平洋戦争時の日本軍や ポルポト政権 ミャンマーの軍事政権 香港警察のような残虐な行動でも平気で行えるようになるのである

これらは一種の洗脳の一形態に過ぎない

 

ヒトには イヌやハダカデバネズミのような本能習性としての生物学上の「社会性」があるため 特定権威(ボス)に対する服従に快楽を感じることによって服従行動が促される仕組みがあり 元々は獲物を狩る際に生存にとって有利に働いたことで結果的に組み込まれた行動習性である

先天的行動習性というものは 主体的な個人の選択ではなく あくまで無意識な行動バイアスに過ぎず 人間個人としての意識的目的行動選択とは全く別物である

とはいえ 理性だけでは目的行動が決定することはないのだが 様々な情動が促すバイアスの中において 自己存在し続ける上において主体的に最も優先すべき事柄(目的)に対する意識を自己客観的に論理検証して選択することにおいて人間性や倫理として働くのであり 断じて主観的な好き嫌いだけで意思や「目的」が決定されることが人間性ではないのである

自己がこの社会の中においてこれからも存続する上において 最も優先されるべきは安全で持続可能な社会であることである

安全でもなければ持続可能性もない社会であれば もはや一秒足りとも生き続ける合理的必要性が存在しないからである

倫理というものは 神だの国家権力などの他者から強制されるものではなく 論理客観的に検証すれば あくまで「主体的に求めるもの」なのである

主体的に安全性や持続可能性を求めないのであれば これは人間性でも倫理でもない

同じヒトでありながら 軍隊だけは文民が統制しておかなければならないのは 軍隊というものは暴力威圧を旨とした組織であり 暴力威圧によって服従すると同時に 他者に対しても暴力威圧を強要したがる性質があるからだ

軍隊というのは文民ではないのである 軍隊内部には平等も公平も民主主義もないからだ

 ◇

ヒトは先天的には「罰で解決」だと錯覚する習性がある

そのため 誰かが「犯罪者の親だ」などと書き込んだだけで身勝手な正義を振りかざし 何ら真偽の検証すらもせずに無言電話だの「死ね」などといった合理性も何もない誹謗中傷を 集団統率的にやりたがるのである

たとえ犯罪者の親族であることが本当であるとしても 嫌がらせをして良いわけではない

多数で誰かが袋叩きにしていれば 自分も便乗して暴力威圧をしても気分的には安心なのだろう

その主観に過ぎない「安心」を 絶対だと信じていることこそが傲慢なのである

「懲罰」を行うと気分が良くなる ヒトとは先天的にそういうものである その主観に過ぎない「気分」的満足によって本当に優先すべき社会安全性や持続可能性に対する合理的選択を全く検証しなくなるという「人間としての欠陥」を ヒトは先天的に持っているのである

「自分の主観的感情は 常に絶対に正しい結果に導かれるように出来ている優秀な存在である」とでも思い込んで満足していれば さぞかし「幸福」であろう

そんな都合の良い習性がヒトに組み込まれる進化的メカニズム構造は存在していないにも関わらず である

だからバカが治らず 何度でも同じような過ちを繰り返すのである

暴力威圧というのは 基本的に「懲罰の一環である」と思っているから正義正当化できるのである

 

 


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妄想錯覚

2021年05月12日 10時14分06秒 | 意識論関連

イヌが獲物を狩る時に統率協調的行動を採るのは それが先天的本能習性であるからだ

先天的本能習性というのは それを行うことが「楽しい」という快楽 脳内麻薬が分泌される構造が脳に組み込まれているからである

丸太に乗っかって坂を滑り降りるだとか 町中で山車を暴走させるといった危険な祭事や 一般スポーツやEスポーツにおける対戦ゲームといったものは 敵と味方に分かれて優劣序列順位を決定したり 協調的に何かをすることで仲間意識することに快楽(脳内麻薬)を感じるからである

そこに危険性やスリルが伴うことで さらに協調性や興奮による快楽も加わる

イジメやヘイトスピーチも同様で 集団統率的に特定個人や団体を攻撃することによって 集団内部における仲間意識や絆を「感じ」ることができるため これが中毒症状を引き起こし異常なまでの執着を促すのである

イジメは それをやっている者にとっては「楽しい(脳内麻薬)」のであって ヒトの先天的本能習性が満足させられるため イジメは暴走して終には殺人にまで発展することまである

だが 当然のことながら イジメなんぞに加わるようなバカなら目先の快楽にしか意識が働いていないため 誰を攻撃していても構わないので 簡単に裏切ったり寝返ったり嘘をついたりして信用するに価しないのは当たり前の話なのだが

イジメをしている間だけは統率協調的に「敵」を攻撃していることによる かりそめの仲間意識や絆を「感じ」られることによる快楽欲しさにイジメに加わり やめることが出来なくなるのである

野球少年は 練習の際にはコーチ達大人には従順に服従し 統率協調的行動が行えるが 練習が終わって各々家に帰る時には「タガ」が外れて自転車で並走して道を塞ぎ ダラダラとくっちゃべって自律的には社会的責任判断なんぞ一切しなくなる

大衆の多くは体育会系集団というものは「人間性が養われるものだ」という根拠のない妄想を抱きがちだが 実際には体育会系の寮内で大麻栽培をしたり 集団強姦をやらかしたりすることも珍しいことではない

それでも 一時的ではあれ先天的な本能習性を満たせることによって暴力性が抑制される効果は期待できるが 決して人間性としての自律的な社会的責任判断選択が可能になるわけではない

 

イヌなどに見られる動物の本能習性としての統率協調行動のことを 生物学では「社会性」と称して あたかも人間としての社会性と同義であるかのように扱ってきたが これは遺伝的進化万能妄想が作り出した論理的根拠のない誤謬(デマ)に過ぎない

イヌは哺乳類であるため 産まれてくると初期的には「子」であり 「親」に対して服従したり甘えたりする習性がある それは個体の生存にとって必要なために結果的に組み込まれた本能習性である

服従して甘えなければ死に 服従して甘える個体だけが生き残ったという結果を「遺伝的進化」と言うのである

イヌは成長すると血縁続柄を超越して群れ集団の中に「親」を超越した「ボス」への服従へと 服従対象の転移が生じ これが結果的に統率協調行動も促す構造にもなっているのである

だが イヌというのは基本的にバカなので ボスなり飼い主が目の前にいる時は服従するが いなくなれば簡単に好き勝手な行動も採るようになる これは「練習が終わって帰る時の野球少年達」や「学生寮で大麻を栽培する大学生」と同じで 全く個人の主体的自律は働かない

Eスポーツにせよ 危険な奇祭にせよ それによって暴力性や統率協調性のはけ口にはなるのだが これは一時的なものであって基本的には「人間性が養われるもの」ではない

ヒトの先天的統率協調性というものは イジメに同調したり 無視傍観迎合したり 原発の危険性を放置する場合にも働くものであり ヒトの社会的な無責任性の大きな要因ともなる動物的習性に過ぎない

動物の本能習性として組み込まれている行動であるため その「力」は非常に大きいことは確かであるが 「力」の大きさだけを根拠に「共感」性を全面的に正当化することは危険である

「力」の大きさだけでは人間性の論証には一切ならない

逆に言えば 「力」が弱いからといって人間性の否定にもならないのである

どの「力」を どのように 何に使うのかという目的意識が論理客観的に選択できないことには 「力」はただの暴走しか生み出さない

落合陽一など 文系の論客の多くは「力」の大きさだけで共感性などの主観的感情論を正当化したがる傾向が非常に強いのだが それこそがヒトから論理客観性を喪失させるヒトの先天的欠陥の一つでもある

生物学的観点における先天的本能習性には 本当は「目的」がなく あくまで「結果的に死なずに生き残った」だけであり 方向性が合理的に決定しているようなものではない

「生き残りさえすれば正しい」というのであれば 殺し合いでも騙し合いでも「生き残りさえすれば正しい」ということになるのである

イジメや差別が過激化してナチスやポルポト ミャンマー軍事政権による虐殺の結果が 「人間性を持った個体への淘汰圧力」として働くわけがないのである

ヒトは少なくとも何千年も「実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑暴力を振るってきた」のであって その淘汰圧力によって結果的に生き残った個体に人間性が組み込まれる理論的構造など存在しない

遠藤英紀はヒトが生物として欠陥品であるとの見解を出しているが ヒトは人間としても欠陥品なのである

「自分達は先天的に人間性が組み込まれている優秀な知的生命体だわ」とでも思っておけば満足かも知れないが その「満足」こそが人間性としての欠陥を認識出来なくさせる最大の要因(欠陥)でもある

 

 

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キズナとイジメ

2021年05月12日 01時40分51秒 | 意識論関連

事故原発の周辺のサルの染色体の転座が年月経過によって減っているという分析があるのだが

単純に染色体転座の大きなサルが癌を発症し死滅しているだけで 実際には生き残った個体だけを抽出的に検証しても自然治癒力であることの論証にはならない

Eスポーツが一般スポーツと同様にオキシトシンの分泌を促進し 「良い影響があるのではないか」という予測がされているが

オキシトシンは集団内部における絆や仲間意識を生み出すのと同時に 集団に属さない者に対する差別排除の意識も生み出すものであり 決して「良い影響」しか及ぼさないことの論証にはならない

イジメやヘイトスピーチや暴走行為をしている集団においても Eスポーツ同様にオキシトシンの分泌があるはずであり

キズナとイジメは表裏一体である

イジメや差別による仲間意識による快楽満足の代替として Eスポーツなどの対戦ゲームが先天的な統率協調性本能を満足させられる可能性は有り得るかもしれない

哺乳類や鳥類では 親子の識別が子供の生存にとって非常に重要な役割を持っており ペンギンなどでは他の子供を殺害するなどの暴力的差別も見られ 集団を形成することによるメリットと同時に デメリットもあり 過酷な生存競争の結果として差別意識の強い個体種への淘汰によって差別暴力性が「進化」したとも言えるのである

ヒトがヒトにまで進化したのはせいぜい数万年であり ヒトにまで進化する以前の期間の方が圧倒的に長いのであって ヒトの先天的本能習性の全てが「人間」としての社会性にとって都合よく組み込まれている保証は何もない

司法制度が「罰で解決」という合理性のない結論しか出さないことに対しても ヒトの大半は何の疑問も持たずに国家権力に迎合し 鵜呑みにするという頭の悪さを発揮しているのである

しかも遺伝的進化の全てが常に都合よく正しい結果しかもたらさないものであるという非論理的な妄想錯覚にも誰も異議を唱えることもなく 優生学に対する論理反証すら「理解」しないという頭の悪さも発揮しているのである

Eスポーツなどの遊戯は危険な祭事同様に暴力性のはけ口として 実際に暴力的行動を抑制する効果は 暴力的なゲームの新作が発売されると暴力事件が減ることが統計的に見られることからも期待できる可能性はある

その意味においては対戦Eスポーツが持つ社会的「効能」の可能性はあるが あくまで「他者との競争による優劣」への執着に過ぎず 一般スポーツ同様に人間性としての自律的な社会的責任判断選択能力の醸成には構造的に寄与しない

 

 

予め立てた仮説に都合の良い結果だけを抽出し

都合の良い解釈ばかりをするのは客観性を欠いており

ウケ狙いの大衆迎合に過ぎず科学とは言えない

科学というものは純粋に客観的事実や真実を見極めるものであって

個人的業績などの利益を追求してはならない

「遺伝子の変異は自然となくなる」だとか

「ウイルスは必ず弱毒化する」といった論理的根拠のないデマをまことしやかに流布するのは犯罪に匹敵する行為であり 厳に慎むべきである

 

 

Ende;

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ふわふわ

2021年05月10日 15時55分52秒 | 日記

青沼優介っていうアーティストさんがタンポポの綿毛で建築物模型をこさえていて

ふわふわアーキテクトがなんだか素敵

下からLEDライトでコヒーレントな光でライトアップしたら照明器具としてキレイなんじゃないかと思ってみたりする

どうやってやろうかしら

PCとかスマホのディスプレイ用に 横から見えないようになっているフィルムってあるじゃん

あれ応用できんじゃねぇのかと思ってみたりする

そういや同じ番組(ぶらり途中下車の旅)で導光板を作っている企業も紹介してたな

コラボできんじゃねぇのかしら

特殊な導光板をこさえている会社さん -ミヤカワ

 

導光板でおもいついたんだが UVレジンも導光材として使えそうな気がする

 


Ende;

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どうしたものやら

2021年05月10日 14時48分21秒 | 日記

インダストリアルクレイではーちゃん的なものをこさえてみたんだけど

やっぱワックス粘土なので表面仕上げが満足にできないのでポリパテか何かに複製して仕上げようかなと思ったのだ

で 型取り用シリコーンを物色したらMr.シリコーンっていうのが売ってた

ところがメーカーサイトを見ても詳細が書いてない

ヨドバシだと硬化剤込みで3.565円3,220円

はて どうしたものやら

 

 ◇追記:GSIクレオスに問い合わせてみたので 返事が来たら書き込むつもり

まだ返事はないんだけど ヨドバシのレビューに「多めに入れると硬化が早い」とあるので 多分縮合型

メーカーからの回答があった

硫黄などが含まれている古い種類のインダストリアルクレイだと、シリコンと接する箇所が硫黄と反応して硬化不良する
可能性があるかと思います。
硫黄が含まれていない最新のものであれば、硬化阻害は起きないと思われます。

とのこと

オイラが使っているクレイには「硫黄フリー」って書いてあるので 多分大丈夫

「インダストリアルクレイNSシリーズ」は、成分に硫黄酸化物を一切使用しておりませんので、焼却処分が可能です。

実際流してみんとわからんが

 

 

 

Ende;

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猿の惑星

2021年05月09日 11時53分49秒 | 意識論関連

「人種差別は無視すれば良い」という意見には 正しい面と間違っている面がある

誹謗中傷された特定被害者にとっては 「うわー 頭のおかしいヒトいるわー」とでも思ってスルーしてけば良い話なんだが

誰も何も言わないというのは否定も肯定もしていない状態になるので 加害者側は勝手に「否定がないなら肯定だ」という受け取り方をしかねないため 被害者以外は率先して否定すべきだと言える

 

他人を誹謗中傷してないといられないヒトというのがいて まあ精神を病んでいるわけなんだけど 何せ病んでいるだけに放置しておくと津久井やまゆり園に包丁持って虐殺に行きかねない

他人を誹謗中傷している間は 自分の異常性には意識が働かなくなるため 一種の中毒症状として誰かを攻撃し続けていなければいられない「病気」である

自己肯定感というものを 他人からの評価承認だけに頼っているために 本質的な自己肯定にはならないため 劣等感やコンプレックスから逃避するために他人を誹謗中傷するのである

 

純粋行為 つまり他人からの評価や報酬格差に依らぬ個人的に楽しいと思えることに熱中することができていれば いちいち誰かを根拠もなく攻撃している暇はない

厄介なことに 他人を誹謗中傷しているが故に 自分の行動も他人から誹謗中傷されることを気に病んで 純粋に楽しめることに熱中することができず 結果 エタノールだのニコチンだので脳を麻痺させ ますます頭が悪くなり 自分がやっている行為に対しての客観性や論理整合性も検証することができなくなるのである

「誰も俺を認めてくれない」というストレスを発散するために誹謗中傷や物理的攻撃を加えて その場限りの脳内麻薬に溺れること以外何もできない状態なのである

 

生物や その遺伝的進化には目的がない

それはヒトも例外ではなく 誰にも先天的な目的だの使命が予め神だか何だかに用意されているわけではない

個人が「生き続ける理由」としての純粋行為 すなはち個人的な楽しみの持続可能性として 自分が生き続ける社会環境の安全性や持続可能性をも求めること(人間性や倫理)ができるのであって

他人からの評価ばかりを自己存在の意義にしていれば 「誰も俺をリスペクトしてくれねぇ(頭のおかしい病理診断医)」といった主張も出てくることになる

 

何を主張しても誰も耳を貸さなければ 誰でも不満を感じるものであろう しかし そんなものは個人的な感情にすぎず 普遍的な社会的価値が存在していないことは 客観的に論理検証(考え)れば明らかなことである

「正しいことは 正しい」「間違っていることは 間違っている」という正論に 他人が耳を貸そうが貸すまいが 正論というのは自分の主観的満足が目的ではなく あくまで自分が社会の中でこれからも暮らしていく上においての客観的な必要性として述べているだけであって 論理的理解は求めても 主観的満足は求めるものではない

他人の間違いや嘘を指摘できているとしても それは別に「偉い」わけではなく むしろ「当たり前の主張」に過ぎない

「当たり前の主張」で他人から評価を得る必要性なんぞ全くないのである

誰も理解できずに 理解できないバカの多数決によって社会的問題が解決しないとしても それは私の責任ではない

私は私個人の社会的責任の範囲内において 正論を主張する以上のことはしないし それ以上の物理的懲罰的報復をする必要性もない

自分の思い通りにならないことなど 生きていればたくさんある

思った通りの絵が描けないとか 思ったように造形ができないとか 思ったように身体が動かないとか 欲しいものが手に入らないとか

それでも純粋に好きなことであれば熱中して続けることができるし 思ったようにならないこともまた笑えるのである

加藤英明が砂漠の真ん中で一日中穴掘りをしてトカゲ一匹みつけられなかったとしても それはそれで「楽しい」ものなのである

「楽しい」とはいっても ヘラヘラは笑わないだろう

造形作家が作品を作りながらヘラヘラ笑っていることはない

むしろ「うまくいかない」と難しい顔で作品に取り組んでいるものである

しかし それで満足なのである

「満足」とは言っても 作品自体には満足はできない できないのだが 少しづつは思い通りの作品に近づいていることには満足感が得られるから 難解な作品作りも続けられるのである

本当に満足していれば 他人への配慮も働くようになる

他人からの評価承認が目的になってしまっていると 松沢哲郎のように5億円もの研究費不正利用をしてでも業績をでっち上げようとするようにもなる

本当に純粋に学術研究をしていれば 限られた予算の中で何とかやりくりして研究を続けるものである

養老孟司は著書でこう述べている「誰が退官してまで解剖なんて辛気臭いことを続けるんですか」と

こうも述べている「30年間も安月給で働いた そこには意味があったんだ そう思わなきゃやってられない」とも

これらは共に主観的な「思い」に過ぎず 客観的論証にはなっていない

挙げ句の果てに「私のような人間が 生きてここにいて 相済みません」などという自己否定感を「謙虚さ」とすり替えるのである

「他人からの評価」という不純な動機で研究していれば 養老孟司のように何の学術業績もなくとも 「著書が売れて金が儲かった」というだけでマスコミは評価をするようにもなる

養老孟司の主張というのは マルクス:ガブリエルやマイケル:サンデル同様に論理的には支離滅裂な「洗脳」に過ぎない

読者は主観的気分で著者を好きなれば 「客観的事実など存在しない」だとか「世界は存在しない」といった訳のわからぬオカルト話であっても主観的に「素晴らしい」などと形容して満足し 簡単に洗脳されて鵜呑みにするようになるのである

そして「自分達は知的生命体だ」などと勝手に妄想錯覚するのである

 

 


Ende;

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落合陽一

2021年05月07日 23時05分40秒 | 意識論関連

「共感の暴走」が問題であると落合陽一が述べていたが 「共感」という主観的感覚に過ぎない個人的好き嫌いを「自分の意識の本質」だと勘違い錯覚しているから「共感」が暴走するのである

落合はオルテガ:イ:ガセットの自由主義を尊重しているが オルテガは形式や手続きの尊重を主張しており 形式や手続きが持つ剛直性こそが寛大さや個人の尊厳を蔑ろにするものであり オルテガの主張はそもそも整合性がなく 意味がない

 

チャールズ:ダーウィンを挙げて「共感こそが必要」だと言っているが 生物進化の過程において結果的に組み込まれた「共感」は結果であって目的ではない

過失も含めて犯罪者には「罰で解決」だとみなす社会制度が現行の司法だが これに異を唱えても共感はない

主観的気分感情は「罰で解決」するものだという感覚(先天的行動バイアス)からはヒトという種の生物である以上逃れることは出来ないからである

感覚的に「共感」できようができまいが 論理客観的に合理性のあるものであれば「賛同」することはできるのであって ヒトという種の生物の先天的本能習性に過剰な期待を持つのは危険でもある

 

「みんな違って どうでもいい」と述べているが 個人の主観的に嫌いなものに対して「どうでもいい」という「無視」こそが他者に対する攻撃性放棄の構造にもなりうるのであり 嫌いな相手の存在を許容する寛大さにおいても結果的であれ発揮することになる

ことさら嫌いな相手を攻撃することに共感し歯止めがかからなくなるのは むしろ個人的に好きなことに熱中するものがないからであり 他者との共感だの評価承認を必要としない純粋行為があれば 個人的に嫌いなものであっても許容する寛容さも発揮できるのである

 

大衆論的な「しょうがない」「仕方ない」という言葉を厳密に言い換えれば「他に一切の選択肢も対策も存在しえない」という意味である

気分的「諦め」を正当化するために「しょうがない」という言葉を安易に用いることは 単なる努力放棄のためのはぐらかしに過ぎない

 

落合陽一は「一貫性は要らない」というが 客観的論理整合性は必要である そうでなければ安全性においては意味がないからだ

もちろん個人の主観的感覚には一貫性などないが それはあくまで「結果」であって「目的」ではない

女子が武装している映像に萌へたからといって 本当に女子が戦闘に巻き込まれている状態を望んでいるわけではない

ジェットコースターなどの絶叫マシンやお化け屋敷で恐怖を体験したいからといっても 本当に危険なものが許容されるわけではない そんなものはマトモな人間なら誰も望まない

あくまで安全性や持続可能性という社会的基礎の上に個人的好き嫌いが成立するのであって 決して「一貫性は要らない」などという無責任な話にはならない

 

 ◇追記:

「共感」というのは所詮は主観(感覚)に過ぎない

LGBTなどの少数派を尊重するのは 個人の感覚的には違和感があり 美形女子同士が仲良くしているのは素敵だなと思うが ハゲヲヤヂ同士が手を握り合っているのは嫌悪感しか持たないのだが 論理客観的には「同じこと」であり その意味においての「賛同」はできるのである

「みんな違って どうでもいい」という感覚は 嫌いなものは「どうでもいい」という寛容さが持てるのであり

主観的「共感」に頼れば合理性のある話であっても「賛同」もできなくなる

少数派の許容において「共感」という主観的感覚の多数決を求めても意味がない

個人的好き嫌いを抜きにして 論理客観的に合理性がある話に対しての「賛同」するのは 社会安全性や持続可能性への合理的配慮に基づく理性(人間としての本質的意識)である

 

Ende;

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差別格差

2021年05月07日 14時00分15秒 | 意識論関連

高校が性別ごとの定員数を決めていると女子の方が平均点数が高いため不利になる傾向性があるんだそうな

いや そもそも学力成績で生徒を切って学歴で給料に差が出てしまうという社会構造自体が根本的に間違っている

学力成績が高いだけで自律的な社会的責任を負わないバカでも学歴だけは高くなり 経済的に有利になっても社会効率的な合理性はない

憲法における「教育の義務」って本来は「子供の学びを大人達が提供する義務」であって 試験の成績で区別して子供の学びが阻害されること自体が違憲状態だと言える

「教育の義務」という言葉を勘違いして「何が何でも学校に行かないといけない」とでも勘違いして生徒を自殺に追い込むバカな大人も非常に多いが この頭の悪さは憲法の趣旨を理解せずに試験の成績目当てに 漫然と「教えられたことを知っているだけ」という頭の悪さに起因するものである

 

とは言っても高校にも定員数ってのがあって 入りたい生徒が全員入れるわけではないという事情もあるんだろう

何も頭ごなしに受験の成績だけで排除せずに 通えなくてもWeb上では学びは提供されても良かろうと

Webだったら別に学生でなくても大人でも学びたいことは学べるようにできるわけであって どうせ公金注ぎ込むんだったら特定の教育機関に依らぬ公的な学習の機会を整備提供すべきであろう

学びというものが現状の経済格差によって偏ってしまうのは社会構造として間違っている

学力成績は偏っていても「個性」だが 成績で学び自体が偏ってしまうのは大人の無責任に因るものである

そもそも学力成績というものは人間としての知能の論拠が存在しておらず 学力が高いだけの無能なバカも少なくない

テロリストや通り魔の類も学生時代の学力が高い傾向が見られ 現状の学力成績というものが社会的役割としての機能を果たしていないのである

原発事故における無責任さも原因は一緒である

 

女性の脳というのは予め用意された定形的作業に適しており 工場での組立作業やレジや電卓の打ち込みといった能力が高い傾向があり これが現状の学力基準においては有利に働いている可能性もある

現状の学力成績基準だけで生徒を差別し 人生の選択肢を勝手に狭めてしまう現状の社会制度や構造の問題点を洗い出し 本当に社会にとって必要な人材や能力を育てられるようにすることが 教育というものにおける使命であり 社会効率上も合理的である

物理的に学校という施設に行かなければ使えない設備というものもあるのだろうけど Webリモートで学べることだって少なくはないはずである

ジェンダー差別問題も重要だが 学力成績で差別している現状の教育システム自体が根源的に間違っているのであって 主体的な学習意欲もないのに「学力成績が高いだけの無責任なバカ」が優遇されている現状の社会構造の不公平にもメスを入れる必要性がある

 

そもそも既存の制度や組織に何の疑問も持たない従順さを「社会性」だの「協調性」などと勝手に勘違いし 問題の本質(真理)を見抜けないバカが多すぎる

特定個人のアラ探しに明け暮れ 誹謗中傷をすることでマウンティングをとってかりそめの優越感に溺れているバカは非常に多いが 生物学上における先天的習性としての「社会性(結果)」が「人間としての社会性(意識的目的)」とは全く別のものであることすら認識理解できないバカばっかりである

生物やその遺伝的進化というものは全てシーケンシャルに起きた「結果」であって 結果をどんなに大量に集めてきても合理性のある「目的」の論証にはならない

「ヒトには無意識な目的が存在している」などというトンチンカンなオカルト観念を鵜呑みにしているからこそ 主観的感情に起因する個人的好き嫌いを意識の本質だと見誤り 暴力だの罰だので何かが解決したかのように勝手に錯覚しているからヘイトスピーチだのヘイトクライムが起きるのであり 同時に司法制度が犯罪の根源的原因究明にもならない

錯覚を錯覚だと識別するのが意識であり 人間としての意識とは客観的論理検証性(考え)である

他人の迷惑に配慮ができない糞DQNが なぜ糞DQNなのか なぜ糞DQNになったのか その原因を徹底的に究明し 再発防止のための合理性ある対策を行わないことには どんなに経済的な国際競争に勝っても社会は崩壊への方向しか向かわないのである

 

 


Ende;

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