書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○アクセスIP。

2014年07月31日 14時16分19秒 | 日記
このブログにアクセスしてくる2/3はBot。




Ende;
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○鵜呑み。

2014年07月31日 12時33分19秒 | 意識論関連
いやもうね、脳活動だの脳血流といった現象を短絡的に脳に良いと見なす観念は要らないっす。

セックスしたって危険ドラッグやったって脳活動は活発になるんですよ、それで頭が良くなるわけじゃないでしょ。川島隆太とか澤口俊之、茂木健一郎といった大衆人気脳科学者達の言っていることを短絡的に鵜呑みにしないで頂きたい。

こういった短絡的「鵜呑み」こそが最も頭が悪いことなんですから。

ちょっと文体が疋田智風味。

Ende;
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温度差発電。

2014年07月31日 12時00分06秒 | 日記
温度差発電フィルム フジフイルム

↑これ去年から業界では話題にはなっているけど、なかなか実用化されないね。

従来のゼーベック素子みたいにレアメタルを使わず有機材料だけで作られているので価格が安く、しかも効率も高いそうだ。

ペルチェ素子としては動作しないのかな。柔軟性があるので冷却スーツとかこさえられたらオモロイんだけどな。

秋月電子通商とか千石電商で取り扱って欲しいんだけどな。フジフイルムみたいな大企業って個人には売ってくれない。それこそ数万枚単位でなら発注できるんだろうけど。



Ende;
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○クーポン。

2014年07月31日 09時34分18秒 | 日記
イトーヨーカドーで使えるクーポンがあるらしいんだけど、Android2.2だと貰えないという。

OperaMobileでも

何だろ、早く新しいPC買えっつうプレッシャーなのかしら。

Ende;
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○暇つぶし。

2014年07月30日 15時45分30秒 | 日記
Motorcycle Accidents Compilation Of 2013-2014

よくテレビでも見る

Ende;
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○猟奇性。

2014年07月30日 13時37分48秒 | 意識論関連
猟奇殺人犯というのはどこにでもいて、それはパレスチナとかユダヤといった民族とは関係が全くない。

猟奇殺人犯というのは平和なはずの日本にも時折現れることもある。

「暴行の末にガソリン飲ませて火をつける」なんていう犯罪行為は民族の問題ではなくて、猟奇殺人の問題であって、そもそも実行犯自体も特定出来ていないのに民族紛争の火種にするのは間違っている。

ヒトという種の生物には、先天的に猟奇性というものが存在していて。これは生物進化の過程において「生存」に適したかどうかという「結果」に過ぎず、そこに目的だの意味を見出だそうとするのが根本的に大間違いであって、この大間違いを放置しているからこそヒトの猟奇性についての科学的検証が一向に進まないのである。

松沢哲郎が言う、「想像力があるから人間かも知れない。」などという、ほとんど痴呆ではないかと思われるような戯言を、多くの研究者が誰もツッコミを入れないという現在の進化生物学界というのは、もはやバカの集団としか言いようがない。

観念的妄想と論理検証的予測を区別するのは理性であって、これがないからヒトは人間として振る舞うことが出来なくなるのである。想像力さえあれば人間であるなどという短絡的でバカみたいな話はチンパンジーマニアの妄想に過ぎない。



Ende;
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○DomesticViolence。

2014年07月30日 10時33分30秒 | 意識論関連
DV男っていうのはヒトのメスから見て性的魅力を感じるらしい。

「裸の写真を送れ。」だとか言われて本当に送ってしまうのも、脳で考えずに子宮がオスを欲してしまっているからである。

DVとは何かも学校でも教えておけば良いと思う。大切な社会的リテラシーだと思う。

「別れたい。」と言うと、急に泣き落としに走り「お前がいないと自殺する。」などと感情に訴えるのも、その場限りの感情気分が激しいことの証明であり、ヒトのメスとしての本能的には魅力を感じてしまうらしい。「泣き落とし。」っていうのは、どっかの県議会議員と一緒で、子供じみたヒステリーでしかないのだが、P2Pだと簡単に鵜呑みにしてしまう性質がヒトのメスにはあるらしい。

約束で拘束するのがDVの基本だそうだ。これは男女に関わらない。

最初はむやみに優しくすることで、DVも我慢させるよう誘導する。こういう「アメとムチ」的手法というのは、自律がない者特有の行動で、約束事とか規範意識、制度手続きで全てを解決しようとするのも同じ感情論由来のものである。

Ende;
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○自己否定。

2014年07月30日 10時14分34秒 | 意識論関連
○猫の解剖。

 「生きている。」ということがどういうものなのかを確認したかったのではないか。

 おそらく、自分自身の命の存在の理由が感じられなくて、生きていることと死んでいることの境界を実感したくて猫を解剖したのではないかと思われる。

 生きている実感というのは主観であって、これは生物学的構造から導き出せるようなものではないのだが、実感という主観、「自分の気持ち」がわからないから物理的証拠を欲しがるのではないか。

 自分のことを大切に出来なければ、他人のことも大切には出来ない。

 自分の存在価値、生きていることの意味がわからなければ、他人の存在価値も生きている意味もわからなくなるのは必然的結果であろう。

 自己の存在の意味、生き続けることの意味というのは、主観的感覚である「自分の気持ち」が根幹にあり、これが喪失してしまえば何も考えられなくなるのは必然的結果である。

 本当の意味での「心の教育」というのは、単に「命は大事。」などと言葉で刷り込み学習することではなく。「これなら一生続けることが出来る純粋行為。」などの主観的実感を得られるようにすることである。

 ところがバカな大人達は自分達の主観的気分を無理矢理共有させようとするばかりで、押し付けがましいばかりか実質的効果が全くない。いうなれば、「俺はこんなにやさしい気持ちになれるんだから、お前もやさしい気持ちになれ。」と強要しているだけであって、鬱陶しいだけである。

 こんなものを「心の教育」だと思っているのは、とんでもない大間違いである。

 また、本当は自分の主観的な「生きている実感」を持っていない者の場合、主観的実感というものの価値を全く知らないため。やたらと気分感情の多数派共有でしか社会的責任というものが論じられないのである。

 社会的責任というものを多数他人からの監視によってでしか持てないからこそ、自律が働かないのである。フロイトの言う超自我的無意識な抑圧を人間性だと思うのは大間違いで、むしろ無意識下に刷り込み学習された規範意識こそがオウム真理教のような暴走テロを引き起こすのである。

 つまり、気分感情で行動を誘導することを「心」だと思っていることが根源的間違いであり。主観的な自己存在肯定感覚というものは他人から与えられるようなものではなく、自分自身で見つけるものなのである。

 気持ちという気分感情は短絡的に「心」ではない。このことを大人が理解していなければ子供が気分感情のままに行動してしまうのは当たり前である。

 司法は刑法に基づいて機械手続き的に懲罰の程度を決めるだけであり。なぜ主観的実感としての自己肯定感覚が持てなかったのかについての論理科学的分析は一切行われず、再発防止策に一切つながっていない。

 司法刑罰というのは被害者感情を国家権力で代弁するだけの野蛮で短絡的解決策であって、何ら「加害者の理性がなぜ働かなかったのか。」について全く言及していない。

 司法裁判では時折「殺意の有無」を議論したがるが、殺意などというものは殺人犯でなくても起きるものであり、殺意の有無を論じても何の意味もないのである。おいらだって殺したい奴はいくらでもいる、殺意だったら犯罪の被害者遺族なら誰でも持ちうるものであって、それは何も問われないのに加害者の殺意の有無だけ論じるのは不毛極まりない。

 こういう何の合理性もない司法刑罰に依存しているからこそ、具体性を持った犯罪への再発防止策が一切行われず、文科系大衆観念に基づいた「心の教育」などという不毛なものばかりが続けられることになるのである。

 自分の存在価値がわからず自己肯定感覚が全く持てない相手に対して、司法刑罰を与えて安心満足するだけでは。「なぜ、この犯罪者は自己肯定感覚を持つことが出来なかったのか。」についての、本当の意味での「心」についての分析には発展しない。

 それがどれだけ社会的損失になっているのか、それがどれだけ無責任であるのかを認識していないからこそ、漫然と司法刑罰だけに依存することに陥るのである。




Ende;
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不信感しかわかない。

2014年07月28日 20時44分08秒 | 日記
 Microsoftの広告が出たのでクリックしたら、まあダウンロードが重くて全然表示されやしない。

 しかもダウンロードを停止させようとしても止まらない止まらない。

 だから、広告っていうのはどういう環境下でも必要な情報が表示されなきゃ嫌がらせにしかならないのよ。

 Microsoftって、やっぱりバカの巣窟。

 買う気がしない。


Ende;
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○合わせ技。

2014年07月27日 12時37分08秒 | 日記
 東芝AZ-05M(Android2.2)で、auの家庭用無線LAN使っているんだけど、なぜかGooglePlayとかGoogleMapなど、Google系でアクセス出来ないサイトがある。(Google検索は使える。)

 Android2.2でもセブンスポットだと普通につながるので、PCだけの問題でもないし。姪のキンドルファイアでは家で普通にアクセス出来るので、auの無線LANとAndroid2.2の合わせ技でつながらなくなるらしいのだ。



 一体どういうメカニズムでサーバーが見つからなくなるのやら。Webってカオス。

 そもそもGoogleってやたらと最新の技術を盛り込みたがりなので、それが何らかの障害になっているのかも知れない。


 ◇追記:Google翻訳にアクセスしたらモバイルページに飛ばされて、使い方がさっぱりわからなかったのでPCページを開こうとしたらアクセス拒絶された。で、使い方がわからなくてあれこれ試してたら急にモバイルページもアクセス出来なくなった。

 何なんだ?何かやっているな、セキュリティ関連で拒絶されているのかも。ってか、Android2.2ってGoogleがこさえたんでしょ、何で動作不良起こすのよ。

 ◇追記:そういやフェイスブックもつながらない。




Ende;
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○間違い。

2014年07月27日 11時18分10秒 | 意識論関連
 「利己的利益追求」などという、その場限りの欲望を満たすための行動選択を、合理性の追求として分類するのがとんでもない大間違いであり。こういう根本的な間違いを誰も認識せずに鵜呑みにしているから人類はいつまでもバカが治らない。

 持続可能性や安全性への配慮があって、初めて「合理性の追求」と言えるのであって、これはその場限りの気分感情でどうにかなるようなものではなく。徹底的に論理検証するという冷静さと意思が必要不可欠である。


Ende;
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○撹乱。

2014年07月27日 10時42分34秒 | 意識論関連


 「進化」の全てが常に最適化を得られるという妄想を抱くべきではない。

 進化というのは、特定環境への適応ではあるが。その特定環境というもの自体が偶発的「結果」に過ぎない以上、適応進化そのものも「結果」に過ぎない。

 一例として、ヒトの多くは外見で他者を判別する習性があるが、これは必ずしも正しい最適な結果を導かないばかりか、むしろ錯覚妄想を抱かせることの方が圧倒的に多い。

 また、子供がイジメの対象にする相手が決める際に、学級内カーストという身勝手な観念によるヒエラルキーを基準にすることがあるが。こうした観念が集団内部で発生する「行動習性」も、「進化の結果」に過ぎず。決して人間としての最適化とは言えないのである。

 ヒトという種の生物が、過去にどのような環境の中で「生存」に適したのかなど知る由もなく。オカルト観念を共有してオカルトを信じない個体を淘汰した結果、ヒトはよりバカに進化(変化)した可能性も非常に高い。

 その結果として、ナチスドイツ、ソマリアやカンボジア、シエラレオネやパレスチナなどにおける虐殺行為といったものが一向になくならないとも言えるのである。

 ヒトは暴力で解決しようとする先天的習性がある。DV男が配偶者を散々殴った後に、脳内麻薬の相転移によってセロトニンが分泌され、急に優しくなることがあり。これがDV男にいつまでも執着する女の頭の悪さの一因にもなっている。

 ヒトという種の生物というのは、暴力を振るうことで満足が得られるよう、進化の過程で先天的に脳に組み込まれているのであり。現在のヒトという種の生物に至るまでの過程でどのような進化があったのかの全てなど、誰も知らないし知る術も既にない。

 野生動物というのは、食物連鎖という暴力的な適応によって環境バランスを獲得した。肉食動物が他の動物を喰うという暴力を発揮することが、生態系において重要な要素を占めており、これもまた「結果」に過ぎない。

 特定生態系において個体の本能習性というものがあらゆる環境において最適化されている証明にはならず、自然の生態系の多くはごく僅かな環境変化で簡単に崩壊することも少なくなく、

 つまり、まるであたかも「進化生物学の神」が意識的に生態系バランスをとったかのように「見える」としても、それは特定の断片的な抽出「結果」に対する大衆観念的な妄想錯覚に過ぎず。どんなに複雑で巧妙なメカニズムがあったとしても、そこには何ら意識的選択が介在する余地は一切なく。当然「目的」も存在し得ない。

 こうした「進化生物学の神」を信奉することが科学をオカルトにおとしめているのであり。この宗教は一向になくなる気配がない。

 ヒトの先天的な本能習性というものは、必ずしも人間として正しい結果や選択を導くものではない。犯罪や過失というものに対して刑法懲罰の程度や妥当性を決めるだけの司法制度だけで全てが解決したかのように錯覚するのも、ヒトの頭の悪さからくる妄想錯覚に他ならない。

 国家権力による懲罰という多数派による暴力的報復さえしておけば、あたかも犯罪の全てが抑止出来るかのように気分的に安心し、満足してしまう先天的本能習性の結果である。

 これらの妄想錯覚というものは、先天的な本能習性の「結果」であり。ヒトの頭の悪さというのはこうした先天的本能習性が導き出すものであることを認識していないからこそ、「進化=絶対的正義」という身勝手な妄想が蔓延ることになるのである。

 こうした進化生物学の妄想によって、ヒトの危険性に対する科学的論理検証が忌避され、同じような過ちを漫然と繰り返しておいてもヒトの多くは何の危機感も違和感も抱くことはないのである。

 これらの危機感や違和感の喪失というものが「無意識」というものであり。論理検証的に「考え」ないことこそが「無意識」の正体なのである。

 トラウマや恐怖症といった症状では、物理的には脳に損傷がないにも関わらず、脳血流の不活性個所が見られることがある。これも一種の「学習」であり、特定脳部位の不活性状態を「学習」した結果だと言える。

 逆に薬物依存などでは脳が異常活性するように「学習」してしまい、これが自動車の暴走などの結果を招くこともある。

 単に平均的な脳状態が必ずしも「正常」であることの論理証明にはならないが。判断能力の障害があれば「異常」であることに間違いはない。

 振り込め詐欺に引っ掛かっている状態の被害者の脳状態というのは異常であると言えるだろうが。しかしこの被害者達も普段は概ね「正常」でそれなりの判断能力があるが、詐欺の口車にのせられるという状況下においては簡単に判断能力を失うように脳が先天的に出来ているため、ヒトは詐欺に引っ掛かるのである。

 概ねヒトが正常な判断力があることを陳列枚挙しても、ヒトが常に正常な判断力を発揮し続けるものであることの論証には全くならず、ヒトの先天的な行動習性や本能といったものがもたらす結果というものには何の保証もない。

 「日本人は素晴らしい。」だとか、「ヒトは素晴らしい。」といった話を陳列枚挙しておけば、ヒトの多くはあたかも自分の先天的優位性か何かと勘違いして安心し満足するが。この安心満足自体が大脳辺縁系に組み込まれた機構の「結果」であり、ヒトの脳というのは人間としての振る舞いを常に促すよう都合良く出来てはいないのである。

 司馬遼太郎などの文科系観念に対する違和感というのは、単なる民族賛美によって大衆人気を得ているだけであって、論理科学的分析には全くなっていないため、根源的原因究明にも再発防止策にもつながらないからである。

 文系観念というのは観念的「解釈」によって気分的に安心満足することが目的であって、論理的な問題解決には全くつながらないのである。

 ヒトという種の生物は、環境によっては殺人鬼集団になることもある。ソマリアの民族間で起きた虐殺も、ドイツのナチズムによる虐殺も、いわば「普通の人達。」が引き起こした異常状態であり、「自分というヒトの先天的本能習性には危険な部分も存在する。」という前提に立って物事を判断しなければならない。

 こうしたヒトの異常性というのは民族人種に依存するようなものではなく、ヒト全般に見られる普遍的習性であり、特定民族の正当化なんぞしているから本質を見失うのである。



 自己過信をしておいた方が気分的には安心で満足することが可能であろうが。その安心満足こそがヒトの持つ危険性の根源に他ならない。何も「常に恐怖を感じておけ。」と述べているのではない、恐怖もまた大脳辺縁系がもたらすバイアスに過ぎず、「怖いか、怖くないか。」を論じていても、「安心か、安心ではないか。」を述べているのと何の違いもないからだ。

 重要なのは、こうした安心や恐怖といった気分感情に左右されることなく冷静に「考え」る論理検証性である。振り込め詐欺の被害者の多くが、「自分だけは絶対に大丈夫。」だと思い込んでいることも、それが気分的に安心で満足だからであり、ヒト全般にこうした本能習性というものは存在するのである。

 子供が学級内部でヒエラルキーを勝手にでっちあげたり、集団協調的にイジメを行ったりする場合に、子供個人が「自分の行動は正しいのだろうか。」という自己論理検証に基づいた行動選択を行わないからこそ、子供達はイジメ行動がエスカレート暴走することに陥るのである。

 ブレーキ抑制をするのは「気持ち」なんぞではなく、理性である。気持ちなどというのはその場限りにコロコロ変わるものであり、こんなものに依存した対策に終始しているからこそイジメを含めてあらゆる「人災」が一向に減らないのである。

 その場限りにコロコロ変化してしまう気分感情というのは無意識であり、こうした無意識を制御する理性こそが「自己」というもの、意識というものの本質なのである。

 大衆の多くは「理性には利己的金儲けをする側面がある。」などという嘘を鵜呑みにしがちであるが。利己的金儲けは理性ではなく欲望主体の行動選択であって、持続可能性や安全性への配慮が抜け落ちている時点で合理性も抜け落ちていることまでには、ヒトの多くは思慮が働かない。

 ちょっと考えれば誰でも解るようなことであっても、ヒトの多くは多数派の観念を鵜呑みにするばかりで何も「考え」ていない。だから人類はいつまでもバカげたことを繰り返すことに陥るのである。



Ende;
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○コスプレ。

2014年07月26日 23時52分24秒 | 日記
画像検索であれこれ見てたら、むやみやたらかわいいコスプレ写真が。



よくよく調べたら乃木坂46の高山一実という娘さんらしい。


Ende;
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○明和電気。

2014年07月26日 23時47分19秒 | 日記
明和電気の土佐正道がこんなプロジェクトに関わっておった。

土佐正道×タミヤ模型

動画は基本的に無神経にうるさいのでボリュームに注意。

Ende;
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○現状。

2014年07月26日 13時34分54秒 | 意識論関連



○コメントを分析してみた。

猫ちぐら

Cross-Arrow(CA)
1.或物体または何らかのものが変化する条件を得たときの方向. 掛け合わせ. 原因.
2.それによって示された或物体または何らかのものの性質. 変化の流れ.結果.
例) {m, n}CA{P1→P2}
『m』と『n』を掛け合わせ, 現象(結果)『P1→P2』を得た.
様様な『もの』を掛け合わせることで, 互いに側面(⇒性質)が生じる. つまり『もの』は他者によってその存在が規定される.



 どうもこの人は個人が自律することをなんとかして否定しておきたいらしい。

 個人というのは意思を持たない「もの」じゃありませんから、むしろ「もの」を規定する「他者」こそが個人というものの存在を必要とするのであって、個人なくして他者もすったくれもありません。

 「自己とは他者なくして存在しない。」とでも言いたいんでしょうけど、その自己を規定する他者にも自己がないのであれば、これは論理的に破綻しています。

 バカな哲学者の多くは自己の行動は他者からの監視によって抑圧される以外にないと思っているらしいのですが、これは自律のないバカ特有の観念であり、寝言です。

 要約すれば、「自分は自分で自分を抑制出来ないので、自律的な意思選択なんつうもんはこの世の誰も出来ないことにしておかないと、あたかも自分だけが無能なバカみたいで哀しい。」から「自由意思など存在しない。」ことにしておきたいという言い逃れ取り繕いはぐらかしに過ぎません。

 経営学者とか経済学者の多くも、こうした観念に囚われているために、「監視強化こそが根本的解決策だ。」と言い張ったり。

 また、大衆の多くが依存する司法制度による厳罰化を「根本的解決策」だと錯覚妄想しているわけです。



Ende;
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