「人類のごくわずかしか戦争をしていないことを知れば 戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない山極寿一のデマを鵜呑みにしている衆愚マスコミもまた無責任極まりない同罪である
「戦争は人間の本性ではない」などという話にも論理客観的証拠や根拠は何もなく ただ衆愚マスコミが主観的に安心満足して金儲けになるから拡められているデマに過ぎない
ウクライナ侵攻が起きてから大騒ぎしているが プーチン政権のような組織腐敗は日本大学でも東京電力でも東芝でもオリンパスでも起きていたことであり 数多ある集団組織腐敗の構造メカニズムを論理客観的に「理解」しようともしてこなかった多数の衆愚マスコミによる日和見によって戦争のような重大事象への発展も抑止することができなかったのである
川崎における中学生による殺人事件も 集団組織における保身感情が暴走する形で犯罪にまで発展したのである
これはプーチン政権においてもミャンマー軍事政権においても同じである
評価承認欲求による世間的成功を目的としていれば 一度手にした権力体制を維持保守することだけが目的となり 社会安全性や持続可能性への配慮は失われることになり 暴力威圧的な独裁腐敗組織へと変貌してしまうのである
プーチンも 当初は国際社会との協調を標榜していたが 内実は組織体制にとって不都合な者を粛正する権力体制の維持保身を目的とした腐敗政権であり 権力を手にするまでの便宜的な「嘘」に過ぎなかった
日本大学の林真理子理事長が学生の大麻覚せい剤所持を隠蔽しようとしたのも 日本大学の経営上の不利となる可能性が原因であり 組織の維持が自身の権力保身とも結び付いた形での隠蔽である
社会的責任においては組織の不利になるとしてでも真実を述べるべきであり 組織体制の維持や保身感情が優先するから嘘や隠蔽が横行することになるのである
国会原発事故調査委員会報告書においても 事故の根源的原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」と結論付けているのであり これは原発に限らずあらゆる組織体制においても共通して言える「人間性」の問題である
核兵器や銃が人や人類を殺すのではなく それら「道具」を扱う「ヒトという種の生物」の「人間性」とは何なのかを論理客観的に「理解」していないことがあらゆる「人災」の根源的原因なのである
ロシアもゴルバチョフ政権下においては核軍縮条約が締結されるなど 平和への道程を歩んでいたにも関わらず 政権腐敗による不公平を放置した挙げ句にウクライナからの離縁を突きつけられたプーチン政権が セバストポリというナチスに対する「過去の栄光」を保守するためにウクライナ侵攻という暴挙に走ったのである
「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わない」のはなぜか
それは 組織に属している個人にとっては組織の利益が自分の利益と共通しているからであり 腐敗した組織体制においては唯々諾々と服従忖度していないと組織においては不利になるからである
日本大学田中英寿理事体制体制においては 組織に服従忖度迎合同調しなければ左遷されるという恐怖心が組織腐敗を傍観放置させ むしろ組織腐敗を増長させる原因ともなったのである
これはビッグモーターや電通などのブラック企業でも同じことである
そして 日本大学の職員が言うような「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任があるかのような言い逃れを繰り返し 「個人が自律的な社会的責任」を負わなかった判断については「多数によって責任が薄まる」ような倒錯によって 主観的に安心満足し 責任逃れを正当化しようとするのである
山極寿一によるデマを鵜呑みにしている衆愚マスコミの多数もまた その多数によってデマを鵜呑みにしている無責任性が薄まっているかのように倒錯しているのである
戦争という殺し合いは ヒトという種の生物に先天的に組み込まれた生存競争を勝ち抜くための本能であり 遺伝的進化の過程において選択不可能な「結果」である
遺伝的進化における最も大きな淘汰圧力が「天敵からの捕食」であり 「殺して喰う」ことである
ほんの数十万年前に発生した「ヒト」が 数十億年に亘る進化の過程において組み込まれた先天的本能習性から逃れられるわけもなく 先天的本能習性によって促されるあらゆる情動行動を「自分の意識の本質」だと錯覚しているからこそ 山極寿一のデマに主観的に安心満足して鵜呑みにし 未だに学術権威だと倒錯し続けているのである
ヒトは先天的に嫌な相手を殺したり 力によって抑圧しておけば安心満足するものである
厳罰化というのは権力を用いて抑圧するものであり これを「抑止力」だと錯覚している
こうした錯覚は「核抑止力」などの軍拡競争とも共通するものであり たとえ中国で麻薬取締法違反を死刑にしていても麻薬犯罪がなくならないのと同様 威圧的抑圧は実質的には「抑止」にはならないのである
通り魔を死刑にすれば法手続き上は「解決」であるが それが通り魔事件の再発防止のための根源的原因究明にならないことは明らかであり 実際に何度も繰り返しているのである
強盗殺人などの凶悪犯罪においても 出所後短期間に再犯するケースは非常に多く 刑罰というものが実質的には何の「解決」にもなっていないことは統計的にも論理的にも証明されているにも関わらず 多数の衆愚マスコミによって実効性のない不毛な刑罰制度が維持温存され続け 司法役人達の組織体制維持に浪費され続けているのである
司法役人達は犯罪者が再犯しても誰も責任を負うことはない それは司法制度を傍観放置している衆愚マスコミの多数においても同罪である
ヒトの大半はバカなので 自分の頭で物事を考え 何が真実で何が嘘や間違いなのかを自律的に考え判断したりはせず 既存の権力体制に唯々諾々と服従する以上の何もしようとはしないものである
だから山極寿一のようなペテン師がいつまでも学術権威として扱われ続け 山極の発言内容に何の科学論理的根拠が伴わないことについては誰も言及しようとすらしないのである
衆愚マスコミは 養老孟司の著作が売れて世間的に成功さえしていれば 養老孟司の言っている内容に論理客観的根拠や実効的な意味があるものだと倒錯している
養老の著作内容というのは 実質的には「それらしい話」の陳列に過ぎず あたかもChatGPTの答えのようなものに過ぎず 読者は「わかったような気分(主観)」によって意味があると錯覚しているに過ぎない
マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」には倫理が存在していないことについても 大学生のほぼ全員も NHKを含めた衆愚マスコミも気づいておらず 単に主観的に「悩んだ」ことを「考えた」と倒錯し 「自分の頭が良くなった」と満足することによってサンデルを主観的に「好きに」なることによって あたかも「サンデル先生は頭が良い」と倒錯するのである
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」に「人間は叡智界に属している」などという荒唐無稽な話を 数百年に渡って「近代哲学の最高峰」だと倒錯し続けているのも ヒトという種の生物が如何にバカであるかを立証しているのである
「理性を超越」してしまえば論理客観的根拠や証拠は飛躍してしまって構わなくなる それのどこに哲学的「真理」が存在すると言うのであろう
こんな簡単な嘘すらヒトは誰も見抜けないバカなのである
自分の頭の悪さを自覚させられれば ヒトは気分が悪くなるので主観的に「信じたくない」と思うものであり 逆に「自分は頭が良くなった」かのようなデマを信じ込んでしまっていた方が気分が良くなるために「信じたい」と思うものなのである
ロシアの戦車兵にとっては アメリカ製対戦車ロケット弾であろうが大陸間弾道核ミサイルだろうが 個人の生命にとって脅威であることに違いなどない
核廃絶や銃規制といった「道具の問題」にすり替えるのではなく 自律的に社会的責任を負う人物を政権などの「責任者」に選ぶ「多数の責任」が最も根源的な問題なのである
日本大学の組織腐敗を傍観放置した多数の職員同様に 公然とデマを流布している山極寿一や養老孟司 長谷川眞理子 枚挙すればキリがないが肩書権威だけのペテン師を識別する責任が多数大衆にも求められているのであり 政治家だけを糾弾しておけば戦争がなくなるような簡単安易なものでは断じてない
「核軍縮は道具の問題」などと言えば衆愚マスコミのご機嫌を損ねるであろうことはわかっている
だが 真理(本当のこと)というのは多数のご機嫌取りで判別されるべきものではない
「本当のこと」が何なのかを識別できなければ あらゆる「人災」は不可避となるのは自明である
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