書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

膨大な失敗の結果

2021年11月29日 23時39分45秒 | 意識論関連

現存する生は様々な恒常性や生体安定性を持っているが

これもまた遺伝的進化の「結果」であって 生体安定性を「目的」として獲得したわけではない

遺伝的進化の過程において生体安定性を持たなかった個体種変異が全て死滅したことによる収斂進化の「結果」であり

生体安定性を目的として能動的合目的的に「選択した」ものではない

既存の生物学者の大半は「現存する生物」という遺伝的進化の結果だけから 遺伝的進化の全てが能動的合目的的に「選択した」ものであるかのように「説明」しているが これは全て遺伝的進化のメカニズム機序機構に基づいたプロセス過程を無視した大衆観念的妄想錯覚に過ぎない

タレントのYOUは「月経の痛みって進化でどうにかならないの?」などと言っていたが 月経の痛みが少ない個体以外が全てを断種絶滅させれば家畜の品種改良的に「月経の痛みが少ないヒト」への収斂進化を人為的に促すことは可能である

いうまでもないが ヒトに対して非人道的な品種改良が正当化できるわけはない

先天的に月経の痛みが強い遺伝子を持って産まれてしまっていれば 当然ながら子供にも同じ遺伝子が受け継がれる可能性は高くなり 個人的にどんなに月経の痛みに「困って」も 自らの遺伝子を都合よく書き換えることなど構造原理的に不可能なのである

これは 生体安定性においても同様で 先天的に生体安定性が低い遺伝子を持って産まれて来てしまえば その子孫にも生体安定性の低さは遺伝することになる

色素性乾皮症のような先天性疾患は 自然界の過酷な生存競争においては淘汰死滅の対象にしかならず 後天的にどんなに苦しもうが努力しようが遺伝子に影響を及ぼすことはない

 

生物学者の大半は未だに昆虫の擬態に意図目的戦略「考え」「思いつき」が影響を及ぼしているかのような「説明」をしているバカしかいないが これは遺伝的進化のメカニズムやプロセスを全く理解していない無能なバカがかってにこじつけた非科学的オカルト妄想である

遺伝的進化というのはランダムな変異と淘汰圧力による収斂の結果であって 変異は必ず生体安定性にとって反する変異も伴うものであり 自然界においては淘汰圧力による死滅の結果として生体安定性を持った個体しか現存していないのである

現存している生物の遺伝的形質や習性という「成功結果」だけを論(あげつら)え あたかも遺伝的進化のほとんど全てが生体安定性を獲得し「成功」できるかのような「説明」をするのは 論理客観的検証の苦手な大衆マスコミとの親和性が高く 衆愚人気を得られるためである


「進化は人間よりも賢い」などと形容したバカもいたが 膨大な「失敗」の果てに偶発的に「成功」した現存生物という「結果」だけに着目したこじつけ妄想観念に過ぎず 偶発的結果に過ぎぬ遺伝的進化に「賢い」もヘッタクレもないのである

 

 

Ende;

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遺伝的進化によって組み込まれた本能には何の保証もない

2021年11月28日 12時22分57秒 | 意識論関連

生物が恒常性や安定性を持っているのは 恒常性や安定性を持たない個体種が全て死滅した結果であって 恒常性や安定性であっても所詮は遺伝的進化という「結果」的なものに過ぎない

「死ななければ生きている」と称して不公平な順位序列を正当化したり

「絶滅を免れさえすれば良い」と称して多様性を正当化するというのは 生物の遺伝的進化の事後正当化であって人間としての「目的」の論証にはならない

国連による持続可能な開発目標が17も挙げられているのも 「特定の一つの目標(目的)だけ達成しておけば良い」というものではないからだ

ヒトという種の生物も所詮は地球環境においては環境資源の一部であり 決して環境から逸脱して持続可能な存在ではない それを忘れて(意識の俎上から抜け落ちて)しまうのは思考の主体性が欠落しているからである

自分の頭で物事を考えず ただ既存の提供された知識や根拠のない常識を鵜呑みにしてしまっているからこそ 自己存在の全体像を見失い目先の欲望に囚われることで「生きることが目的」などという特定の偏った価値観に陥ることで 社会的な責任判断能力を喪失することになるのである

ヒトが「死にたくない」と思うのも 所詮は「死にたくない」と強く思った個体種への収斂の結果であって どんなに強く思おうとも それが目的であることの論証にはならない

自己の生存を優先すれば 社会持続可能性や安全性や公平性は蔑ろにすることが正当化されてしまうのである

持続可能性や安全性や公平性を誰も担保せず 無責任なバカしかいない社会を一体誰が目的として「求めて」いると言えるであろうか

ヒトという種の生物は 所詮は野生動物から進化した結果に過ぎないため 祖先の生息環境の影響を色濃く反映しているため どうしても特定の価値観(偏った欲望)に囚われてしまい 「生きること自体が目的」などという無責任な帰結で満足しようとするが これは言うなれば「生存中毒」であり健康マニアが「死んでも良いから健康でいたい」と取り憑かれているのと同じような状態である

「生存や繁殖が継続さえしておけば社会持続可能性や安全性や公平性はどうでも良い」という「生存中毒」に人間性は宿らない

ヒトの脳というのは どうしても特定の価値観だけに中毒的に執着してしまう性質があり これも遺伝的進化における結果的な認知上の欠陥によるものである

「思い込み」というのは先天的な脳の常習性によって作られるものであり 過酷な野生環境下におけるサヴァイバルにおいて収斂強化されてきた性質である

「怖いと思ったら 逃げる」とか 「怖い相手には服従忖度してご機嫌取りをする」といった卑屈でその場限りな行動というのは 先天的本能習性として脳に組み込まれた無意識な行動バイアスであり どんなに強く「思った」としても人間としての意識の論拠には全くならない

イジメや迫害差別などの「危険から逃げること」は悪いことではない 逆に危険であるにも関わらず根拠のない責任感や強迫観念によって逃げるべき状況から逃げないことの方が客観性や理性を欠いているのである

集団統率的に暴力者が実権を掌握しているような無能な忖度迎合集団に無理に立ち向かうべきではない

そういう集団は洗脳状態であって 誰一人としてマトモな「人間」としては機能していないからである

「人は一人では生きてゆけない」とは言え イカれた洗脳集団に迎合忖度することは全く合理性がないのである

逆に「生きるため」と称してイカれた洗脳集団に同調服従することの方が人間として「どうかしている」のである

人は皆最後は必ず死ぬのであって 永遠に生き続ける必要性すら存在しないのであり 「生きるため」と称して社会安全性や持続可能性や公平性を蔑ろにしてまで個体の生存や繁殖の継続に囚われることに 人間としての存続の合理性はないのである

ヒトという種の生物として繁殖を継続しているだけなら 別に文明も医療も何も必要はない

実際に野生環境下でもヒトは「生きて」はいられるのであり たとえ部族単位で死滅することがあるとしても地球全体から絶滅する確率は高くはない

遺伝的進化というものには目的がないので 長い生物史の中では幾度もの大絶滅が起きており 決して究極的なゴール(目的・目標)が遺伝的進化にあるわけではなく

あくまで特定環境への適応の結果として生存しているものを「生物」と分類しているに過ぎないのである

従って遺伝的進化によって脳に組み込まれた本能習性という無意識な行動バイアス任せに行動していれば絶滅しても何の不思議もないのである

ヒトという種の生物が先天的に平等を嫌い 順位序列に異常執着して多数や権威に服従迎合忖度同調する習性によって それらの卑劣な行動に主観的安心満足感が得られるという先天的欠陥が正当化できるわけではない

生物や その遺伝的進化というものの全ては「結果」であって 先天的本能習性のままに主観的な気分が良くなる安心満足ばかりを追求していれば 人間としての「本当の目的」を簡単に忘れることになるのである

組織腐敗というものは社会全体に蔓延しているのであって 学校や職場でのイジメや SNS上での差別 国家単位での迫害といったものは全てヒトという種の生物の先天的な認知上の欠陥が原因である

 

温室効果ガス削減において 最も重要なのは政府による政策ではなく 個人の主体的行動変容にある

個人が自律的に行動しないことには 政府が如何なる政策を立てようとも効果は希薄である

経済界は原発稼働は容認せざるを得ないという見解で一致しているが 原発の安全性とて最終的には運転する「個人が自律的な社会的責任を負う(国会原発事故調査委員会報告書)」ことが重要であって 「これさえやっときゃ全て解決する」ような都合の良い施策が存在するわけではない

原発規制委員会がどんなに警察のような「取り締まり」をしても 原発を運転している個人の責任意識が働かなければ 何らかの危険性は必ず放置されることになるのである

 

ヒトはすぐに自分を「無力」だと絶望(諦め)し 微力であることを忘れ 微力を合わせて大きな力として発揮させることを放棄してしまう習性がある

「絶望するが故に人間」だが 絶望と称して無能になる選択を正当化することは人間性ではない

「絶望的」であるとしても諦めずに 合理的(無理をせずに)に自分のできる範囲で努力することが 本当の意味での人間性だと言えるのである

人類が絶滅や 文明崩壊の危機を避けられるかどうかは「わからない」が できる範囲のことをやらないという選択肢は「人間」にはない

フリードリヒ:ニーチェ的に基準のあやふやな虚無主義に誘われていた方が 主観的には安心満足感が得られることは知っている だからニーチェは衆愚やバカな「哲学者」共には人気があるのだ

大衆人気のあるニーチェでも引用し「できそうにないことは やらない方が良い」などと称して 主観的に「できそうなことだけ」を行動選択しているから組織腐敗は傍観放置されるのである

自律的な「人間」としての判断選択をせずに 自分ができる範囲での責任すらも放棄しておいた方が気分的には「楽」であろう そういう精神的怠惰の正当化を「哲学」だと錯覚しているから人類はバカが治らない

 

ヒトも含めて生物というものは環境なくしては存続することはできない

ヒトも所詮は地球環境という生態系循環の一つでしかないという謙虚さを忘れ 主観的な特定の欲望や願望だけに中毒的に囚われてしまうという 先天的な認知上の欠陥が存在しているという客観的事実を認識すべきなのである

誰もが自分はいつか必ず死ぬ存在であり 子どもたち次世代に安全で公平な社会をどうやったら受け継ぐことができるのかを 主体的に「選択」しなくてはならない

そのためには先ず 自分が主体的(純粋に)「生きる」ことが必要である

「社会から生かされている」などと称して 「生きるため」に既存の社会の常識に迎合することが正当化できるわけではない

何年生きていたかを競うゲームをしているわけでも 資産をいくら持ったかと競うゲームをしているわけでもない

他人と比べて「俺の方が優れている」ことをいくら主張しても 本当の自己が満たされるわけではない

他人とは脳神経接続があるわけではないので 他人と自分との快楽の比較をすることには意味がないのである

ヒトは不毛なチキンレースに囚われる先天的習性(欠陥)があり その場限りの外見的優位性をひけらかすことばかりに中毒になる習性がある

インスタグラムで「いいね」をいくら集めても 本当の自分が満たされないことに気づくことができなくなるのも 純粋に主体的に「生きて」いないからである

ヒトは哺乳類であるため どうしても誰かからの評価承認を求めがちな習性を持っているものであり 故に純粋に主体的に「生きる」ことができなくなり 他人からの評価承認に流される形で不毛なチキンレースに駆られてしまうのである

遺伝的進化によって促される先天的本能習性に無意識に流され囚われていて「自由」ではないのである

どんなに利己的・外見的・物質的に「豊か」さを追求しても 難民が虐殺され 小学生が酔っぱらい運転で轢き殺される世界で生き続ける意味などないのである

「俺はアカの他人がどうなろうと知ったことではない」と言っている奴を お前さんは心から尊敬することができるであろうか

自分がそういう奴だとすれば そういう自分を心から肯定できるであろうか

自己肯定感の希薄な奴ほど自信だけは過剰にあるのは 自信過剰だからこそ自分では何も考えず バカでいることの満足感に溺れて「本当の自分」を見失っているからである

世の中 そういうバカの方が圧倒的多数であるため どうしても多数に流される形で主体性も見失いがちである

多数の「常識」に 本当に論理客観的根拠が伴っているのかどうかを 主体的に考え検証し 論理客観的根拠のある「真理(本当のこと)」を見極める義務が 全てのヒトにはある

権力や暴力に服従忖度同調迎合する卑屈さを自覚しなければ あらゆる組織腐敗はなくならず 人類は破滅への暴走をやめることはできないのである

ヒトはどうしても先天的に哺乳類であるため 誰かの命令に唯々諾々と盲目的に服従できることばかりを求める習性があるが それこそがヒトの認知的欠陥(盲目性)の根本原因である

原発事故の教訓とは 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が根本的原因であると結論付けており これは原発事故に限ったことではなく 犯罪や環境破壊も含めたあらゆる「人災」の根本原因でもある

自分の主観的感覚や印象は一回棚上げにし 論理客観的理解をすることが必要である

話の内容が「真実」なのかどうかは 自分の頭で考え 反論可能かどうかを導き出す必要がある

大学で教えていることが間違っていることもあるし 書籍化されていても間違っている内容は存在する

多数が「常識」だと思っていても 実際には論理客観的根拠が伴わないこともある

真実かどうかの判断を他人に丸投げしておいたのでは 誰も責任を負わない「バカの暴走」にしかならないのである

ヒトはいままで実証不能の観念に囚われ他人に多大な迷惑をかけてきたが 何が実証不能の観念なのかを見極める本当の人間としての知能を 今まで大多数が発揮してこなかったことが原因である

バカのままで困るのは自分達であることを自覚すべきである

 

 

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ベイツ型擬態

2021年11月27日 22時06分27秒 | 意識論関連

毒虫に化ける「ベイツ型擬態」とは?

小さな昆虫が大きな敵に対抗できる唯一の道具は「毒」です。

毒に当たった動物たちは、学習してその虫を食べなくなります。賢い虫たちは「これを利用しよう」と思いつきました。

つまり、自分の見た目を毒虫に似せたのです。

これを「ベイツ型擬態」と呼びます。

 

 出典:https://nazology.net/archives/75332/2

 

⇨「賢い虫たちは「これを利用しよう」と思いつきました」という説明をしているが 遺伝的進化による擬態というのは後天的な「思いつき」で遺伝子に影響を及ぼすことは構造原理的にできない

これが遠藤秀紀の言う遺伝的進化の解釈に対する「典型的な間違い」というものである

自発的論理思考ができる人であれば「そんなの知っているよ 単なる比喩(喩え話)で言っているだけでしょ」といった程度にしか思わないかも知れないが

恐ろしいことに生物学者共の大多数や大衆マスコミは本気で信じているのである

この著しい錯覚誤解こそが優生学に対する論理反証を誰も理解しない原因である

本人の意識に関わらず 遺伝的進化によってヒトという種の生物には先天的に人間性が組み込まれていて 自動的自然に知らない間に無意識に人間性が発揮されるかのようなオカルト観念を本気で信じているのである

リチャード:ドーキンスだの山極寿一だの松沢哲郎の大衆人気というのは こうした大衆マスコミのオカルト観念に便乗同調することで獲得しているのである

 

従来生物学では 冒頭での引用のような擬態に対する間違った遺伝的進化の「説明」をしていたが 実際には毒虫に似た個体の方が捕食されにくかったことで 世代交代を繰り返すうちに毒虫ソックリの姿をした個体への収斂進化の結果でしかない

こうした遺伝的進化に対する論理科学的根拠を伴った説明というのは 実は既に各マスコミでも取り扱ったことはあり 決して私独自の持論などではなく 多くの生物学者や大衆マスコミが論理的に理解していないために正しい知識が広まらず 旧来の遺伝的進化に対する間違った解釈が未だに修正も訂正もされずに傍観放置されているのである

 

 


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不毛な因習

2021年11月27日 12時20分19秒 | 意識論関連

「多様性がないと急激な環境変化に適応できなくなるからヒトの多様性を許容するべきだ」と言い出すバカがいるのだが

確かに多様性があれば急激な環境変化が生じても生き残る個体が出てくる確率は上がるのだが それは「絶滅」を免れて「繁殖を継続」するという遺伝的進化の観点においての話でしかない

どうして何でもかんでも遺伝的進化に頼った論証をしなければならないのか 意味がわからない

遺伝的進化というものはあくまで自然現象の「結果」であって 別に「意図」でも「目的」でもなく これからも遺伝的進化をしなければならない理由は何もないのである

人間は「絶滅せずに繁殖を継続さえできれば良い」というものではない

「繁殖の継続」は 社会持続可能性の一部ではあるが ただ「繁殖を継続」さえしておけば良いという「目的」の根拠にはならない

先天性疾患などで 先天的に「繁殖の継続」が出来ない個体が産まれてきたからといって 人間社会にとって「生産性がない」などと称して「社会の不利益」とみなして断種や淘汰(殺害)の屁理屈の源となるのが遺伝的進化を完全無欠の万能なものだと勝手に錯覚しているバカの発想である

遺伝的進化はあくまで「結果」であって「目的」ではない

本人の不可抗力な遺伝子変異によって先天的に「繁殖の継続」ができなかったり 社会的負担がかかるとしても 一人の人格として平等に扱い助け合うのが「人間としての目的」の一つであり 先天的遺伝的な生存価で他人を差別すること自体が「人間」として間違っているのである

「誰かが生き延びて繁殖さえ継続しておけば良い」という ゴキブリやネズミみたいな価値観は要らない

ヒトという種の存続だけを論じるのであれば 交通事故で子供が轢き殺されようと 原発事故で誰が苦しもうとも 原発の影響のない地域の「ヒト」だけ存続していれば良いという話になるのである

色素性乾皮症の子供は そのままでは地球環境には適応できないし その子供もまた同じ症状を遺伝する確率も上がってしまうことにはなるものの だからといって断種を強要する権利は「人間」としては誰にもない

「繁殖の継続」といった「生物」としての結果に過ぎない遺伝的進化を あたかも万能の願望器のように錯覚するのは科学を逸脱したオカルトでしかない

たとえ繁殖そのものが出来ないとしても 一人の人格として権利を尊重するのが「人間」であり 「生物としての優秀さ」は人間としての価値基準には全くならない

通り魔やテロリストの類いは大抵健康であるが 脳がバカなので暴力破壊による主観的安心満足を短絡的に社会正義か何かと勝手に勘違いするのである

死刑などの懲罰によって何かが解決するという「感覚」自体が錯覚に過ぎず どんなに厳罰化しようと死刑にしようとも具体性のある社会的問題の解決には全くならないのである

凶悪殺人犯を死刑にしておけば とりあえずは安心で満足感が得られるものではあるが 論理客観的には原因究明にも再発防止にも全くつながらないのである

だが 現状の社会制度的には罰の判決で解決にされてしまい 具体的且つ合理的且つ実効性のある対策は全く制度として存在しておらず 税金の無駄遣いにしかなっていない

衆愚はバカなので 主観的に安心満足さえしておけば被害が再発しようと誰が死のうと「自分には関係がない」と思っているが 社会的責任判断をしないバカしかいなければ民主主義はバカ主義にしかならない

バカというのは厄介で 自分の頭の悪さを全く自覚せず 主観的な気分感情と論理客観的根拠のある「真実」の区別がつかないため 「罰で解決だ」という論理客観的には何の根拠もない決めつけを「自律判断」だと勘違いしているのである

「自律判断」というものを あたかも「自分勝手な判断」だと錯覚し区別がつかない

ヒトの大半 というかほぼ全員はイマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理客観的な根拠が示されていないことには気づかないバカであり 「哲学者」という肩書権威の言うがままに唯々諾々と鵜呑みにし 何ら自律的には検証判断しないバカである

こうした頭の悪さを自覚しない限り ヒトはバカげた不毛な因習を漫然と続けることになるのである

 

 

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判断責任

2021年11月26日 14時43分31秒 | 意識論関連

生物学上の「社会性(封建的順位序列による統率協調行動バイアス)」が人間としての社会性とは無関係であることを論じた後に松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという論理的根拠のないデマでマスコミや大衆を騙し 生物学界内部の多数決によって文化功労賞まで受賞した挙げ句に11億を超える研究費不正利用でクビになるという大失態をやらかし

山極寿一は「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという これまた根拠のない予測で大衆人気を集め

長谷川眞理子は優生学に対する論理反証を無視して散々遺伝的進化に意図目的戦略が存在しているかのような説明をしておきながら 「皆さんはチャールズ:ダーウィンの進化論を誤解していらっしゃる」などと他人事のようにはぐらかし

更科功は「遺伝的進化に目的はない」と言った直後に「生きること自体が目的なのだろう」だの「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な「説明」をしだす始末である

こうした生物学権威共の嘘やはぐらかしに対し 生物学界ほとんど全員は訂正も是正も何もしないというデクノボウばかりである

遠藤秀紀が言う遺伝的進化のメカニズム構造やプロセス過程に対して大衆やマスコミが「典型的な間違い」をしていることが全然周知理解がすすまないのも 松沢 山極 長谷川 更科らによる非論理的且つ非科学的「はぐらかし」が原因である

マスコミも自律的には何も論理客観的な判断ができないバカしかいないため こうした生物学界の組織腐敗が一向に改善せず 未だに遺伝的進化に「考え」や「目的」が介在するかのような「説明」を平気で続けているのである

優生学の一体何が根源的問題なのかと言えば 遺伝的進化というものが単なる自然現象という「結果」に過ぎず 決して永遠に完全万能で「目的」に対する合理性が存在しているかのような錯覚を 現状の生物学者も含めた衆愚が自覚認識しないのが原因である

 

組織が腐敗するのは 腐った権威や上司に唯々諾々と服従忖度し 組織内部における地位権益を保守する形で利己的利益を優先することで 自律的な社会的責任を放棄することで生ずるものであり 現状の生物学界(マスコミも含め)は自分達の組織腐敗を隠蔽黙殺する気満々である

本来哲学とは論理客観的真理(本当のこと)が何かを見極めるためのものでありながら プラトンだのフリードリヒ:ニーチェだのイマヌエル:カントだのといった論理客観的には何の根拠もない妄想ファンタジーに過ぎない話を「リベラルアーツ(一般教養)」と称して漫然と学生に教え続け

また 学生も学力成績(他者から与えられる抽象化された脳への報酬)にしか興味がないバカしかいないため 誰も論理客観的根拠がないことには気づかず ただ鵜呑みにして満足するだけである

 

生物学界による優生学に対する論理反証が現状の生物学権威共によってはぐらかされてしまっているために 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の動機に優生学が使われてしまったのであり これを傍観放置している生物学者のほぼ全員は「A級戦犯」とも言える合法的重犯罪者であり これを放置しているマスコミもまた同罪である

 

哲学とは 本来「科学の帝王」であり 科学的に間違っていることを見極めるためのものであって 「絶対に知覚することの出来ない叡智界」などという実証不能のオカルトファンタジーで満足しておいて良いものではなく 徹底して科学的に間違いを指摘することが哲学の本来の社会的役割である

「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」などという訳のわからぬ主張で人気を集めるマルクス:ガブリエルなんぞを「新時代の哲学」などと形容してもてはやしている現状の哲学界は 哲学としての社会的役割を完全に放棄した 極めて社会的に無責任なオカルトファンタジー妄想で主観的に満足しているだけである

多くの大衆は 「哲学」と言えば主観的な「悩み」が解決して安心満足感を得るものだと勝手に勘違いしているフシがあるが それこそが大衆迎合 衆愚迎合に過ぎず 「人生相談」などと称してその場限りの勝手なこじつけで人気を得るというのは 哲学者としてあまりに社会的に無責任で不誠実である

科学や哲学というものは あくまで論理客観的な根拠や証拠に基づいて 真理(本当のこと)を見極めるためのものであって 衆愚の主観的満足感や根拠のない安心感を提供するためのものではない

主観的満足感が欲しいのであれば それはスポーツや芸術の役割であって科学や哲学の仕事の範疇ではない

論理客観的真理というものは それが論理客観的根拠に基づく「安全」性にとって重要だからであり 「本当に安全なものとは何か」を見極められるから安全性に寄与するのであって これを主観的な安心や満足感とすり替えてしまえば論理客観的安全性は見失うことになる

 

凶悪犯罪者を嫌うのは勝手である

凶悪犯罪者が主観的に嫌いなのは私も同感だが ヒトである以上は同じ様な凶悪犯罪者が再び出てきてもおかしくはない

それなら「なぜヒトが凶悪犯罪者になってしまうのか」についての論理客観的原因究明と再発防止策を徹底しなければ必ずまた凶悪犯罪者は出現することになるのである

ヒトは物事を論理客観的に「考える」ことが先天的に嫌いであり 主観的感情を満足させ安心することを優先する習性がある

NHKで毎日のように振り込め詐欺の手口を紹介しているにも関わらず 視聴者の大半は「自分には関係がない」と思っているからこそ 振り込め詐欺被害が全然減らないのである

放送している内容はほぼ全く同じことだけであり

「還付金はATMでは絶対に受け取れません」とか

「銀行員がご家庭にキャッシュカードを取りにくることは絶対にありません」とか

「警察や銀行が暗証番号を電話で聞いてくることは絶対にありません」といった話ばかりが漫然と垂れ流されているだけである

いくらNHKで手口を紹介しても 効果がないのであって 根源的なヒトの認知機能の欠陥について論じる必要性があり ヒトであれば誰もが騙される可能性を持っていることを自覚する必要性がある

東大医学部の学生がオウム真理教に騙されることも 一流大学の学生の誰もイマヌエル:カントの「純粋理性批判」に論理客観的根拠が示されていないことに気づかないことも 全ては「自分の頭で主体的に考え検証していない」ことが原因である

通り魔やテロリストの多くは 驚くほどに学生時代に学力偏差値が高かったケースが見られることからも 学力偏差値は知能の論証には全くならないことも周知すべきである

知識の「量」だけひけらかしておけば 衆愚は簡単に「頭が良い」と主観的印象として「思う」のであろうが どんなに強く「思って」もそれが論理客観的根拠に基づいた「考え」にはならない

読書猿は「学校の勉強を認知的ワクチンとみなせば」などと言っているが 学力偏差値がどんなに高くてもオウム真理教を信じ込んでしまっている事実を無視するわけにはいかないはずだが 衆愚の多くはそうした「自分の頭で主体的に考える」ことを一切せず 一般的な大衆観念的「常識」にとって都合の良い話ばかりを簡単に鵜呑みにするものなのであり 読書猿にそそのかされてどんなに大量の知識を頭に詰め込もうとしても 決して「何が真実なのかが見極められる」ようにはならない

既に読書猿に騙されていること自体 誰も気づいていないのに どうして「認知的ワクチン」として機能すると言えるのであろうか

ダイヤモンド編集部などというのは その場限りに金さえ儲かれば嘘でもデマでも責任を取るつもりは一切ない

そもそも出版社の大半は養老孟司の人気にあやかって養老の著作を出版していない会社などほとんどなく 金儲け以外には何の興味もない無責任な大衆迎合 衆愚迎合しかしていないのである

「メディア・リテラシー」などと称して読者や視聴者の主体的判断が重要だと言ってさえおけば マスコミも出版社も自分達には責任逃れができるとでも「思って」いるのであろう

 

本論を少数異端だとみなして無視しておいても「怖く」はないだろう

だが 本論に対しての論理客観的な反証は誰もしておらず 観念的な「レッテル貼り」は誹謗中傷の範疇に過ぎないのである

 

多くの大衆は 日大事業部による組織腐敗は井ノ口らトップだけに責任があると「思って」いるが

実際には「腐った頭」に迎合忖度同調する大多数の服従者共が組織腐敗を傍観放置していることが原因である

「組織は頭から腐る」と形容していた者もいるが これは文科系衆愚の「常識」であって 実際には組織を構成する大多数の主体性の欠如 自律的な社会的責任判断選択の欠如が組織腐敗の根本原因である

多数に同調迎合して忖度しておけば安心満足感は得られるであろう ヒトとはそういう自律のない卑屈なデクノボウでいた方が気分的には「楽」だからである

だから真実を見誤るのである

何が真実なのかを見誤っていれば どのような結末に陥るのかはわかったものではない

この国は民主主義制度の国であるから バカが大多数なら「バカ主義」にしか陥ることはない

民主主義制度というものは 国民に主権があるのと同時に 判断責任という義務も負う必要がある

制度手続きだけ導入しておけば全てが解決するようなものではないことを一人一人の「国民」が自覚すべきである

 

 

 

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レモネードコーヒー

2021年11月26日 11時38分40秒 | 日記

UCC Cold Brew Lemonade(コールドブリューレモネード)ってのが49円(税込み52.92円)で叩き売りになっておったので買ってみた

「Black」とは書いてあるものの砂糖は入っている

飲んだ最初に甘酸っぱいレモネード感が来た後に焦げ臭くなる感じ

飲めない程糞マズいわけではないが

決して旨いものでもない(個人の感想です)

外出先で水分と糖質が欲しい時には携行しても悪くないだろう

取り立てて良くもないが

PETボトルなので 賞味期限が2022年3月4日

あと2本くらい買って冷蔵庫の奥に忘れておこうかなと思ってみたり

みなかったり

 

そういえば

ISSで船外活動をした後エアロックに戻るとラズベリーを焦がしたような匂いがするとか

しないとか

ラズベリーコーヒー作って「宇宙味」って主張しても誰も買わないだろうな

 

 


Ende;

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Landscapes

2021年11月25日 21時16分01秒 | 写真

宵道草

岩渕水門(青門)前のヘリポートから北区ゴミ処理場の煙突

 


日没直後

新荒川大橋南詰から川口市街

共に
ピクチャースタイル:Landscape(風景)
コントラスト:-4

 

GANREFへのリンクなので クリックするとフルサイズ画像を表示します

 

 

Ende;

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衆愚の楽園

2021年11月25日 15時03分37秒 | 意識論関連

自然淘汰の概念の中には適者生存も含まれている

自然界における生存競争では 適者以外が死滅することによって遺伝的進化が生ずるのであって 環境適応において適者生存は必然である

重要なのは 遺伝的進化というものは全て自然現象という結果であって それ自体に意図目的戦略が存在しているわけではないということである

生物が生存しているのは意図目的戦略が先にあって生存しているわけではなく 結果的に死滅せずに繁殖を継続できて現状「生きて」いるものを「生物」と分類しているに過ぎない

当初はバクテリアのような単純な生物に過ぎなかった生物が 様々な環境に適応してゆくうちに 結果的にヒトにまで進化が生じたが ヒトは別に「ヒトに進化しよう」と思って進化したわけではなく あくまで結果的にヒトになったに過ぎない

イワシやネズミが大量に天敵のエサ資源となっているのも 別にネズミやイワシの意図目的戦略に基づいたものではなく 淘汰圧力と繁殖力との拮抗によって結果的に繁殖を継続し 生物として存続しているに過ぎない

ネズミが天敵に大量に捕食されてしまうからといって 意図目的戦略的に「自分の繁殖能力を高めよう」と遺伝子を書き換えることなど不可能なのである

草食獣の逃げ足が速くなる進化においても同様で 天敵から逃れようとして逃げ足が速くなるよう自分の遺伝子を書き換えて逃げ足が速くなったわけではない

昆虫の擬態も同様で 天敵から見つからないように自らの外見を周囲の環境に似せるように遺伝子を書き換えることなど不可能なのである

ことほど左様に 生物やその遺伝的進化というものは誰の意図目的戦略も介在することはなく ただ「死滅せずに繁殖を継続することができた」という結果でしかない

ただの自然界における過酷な生存競争による遺伝的進化という「結果」をいくら大量に抽出してきても 遺伝的進化に目的が存在することの論証には一切ならない

にも関わらず 長谷川眞理子も含めて生物学者の大半は「〇〇を目的として進化を選んだ(考えた)」といった説明をし続けてきたのであり 長谷川ら生物学者共は自分達の間違いを「なかったこと」にするために「皆さんはダーウィンの進化論を誤解していらっしゃる」などと他人事のようにはぐらかしているのである

ただの「はぐらかし」に過ぎないが故に優生学に対する論理反証にはなっておらず 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の動機に優生学が利用されてしまったのであり 長谷川も含めた生物学者共の大半は「A級戦犯」である

遺伝的進化というものは後天的な「考え」や「目的」といった選択可能性は存在しておらず ただ環境適応した個体種への収斂しか働いていない

自然界における環境調和とて あくまで環境適応の一環であって 環境なくして繁殖の継続は不可能な故に ネズミやイワシはその大多数が捕食されてしまうのである

個体の主観的意向として「死にたくない」とか「生き延びたい」といった意図目的は遺伝子には影響せず 先天的に繁殖能力が高い個体種への収斂の結果としてネズミやイワシは高い繁殖能力を持つことになったのである

生態系のピラミッドの頂点となる肉食獣においても 環境を食い尽くす程の繁殖力があれば生態系ごと自滅することになるため 結果的に生態系環境との調和に成功した繁殖能力を持った個体種への収斂の結果として 必要最低限の繁殖能力しか持っていないのである

生態系の環境調和とて それを構成する個体種の遺伝的進化の結果であって 幾度もの「失敗」を重ねた果てに起きた安定的恒常性であって わずかな環境変化によって生態系全体が崩壊することも珍しいことではない

 

生物学者共や文化系マスコミの大半はやたらと「野生動物の楽園」などという形容詞を使いたがるが 野生動物というのは弱肉強食の過酷な自然環境の中で日々生存競争を強いられているのであって 野生動物の個体にとっては 少しも「楽園」などではない

草食獣は四六時中肉食獣からつけ狙われ 肉食獣もいつも狩りに成功できるわけでもなく 自然界というのはギリギリ絶滅しない程度の過酷な生存競争の際どいバランスの中で「とりあえず死なずに生きている」に過ぎない

ブチハイエナの6割が死産するのも ブチハイエナは群れを形成しなければ個体の存続も成立しないために 結果的に6割が死産しても繁殖の継続は成立し「生物」として存続しているに過ぎない

ブチハイエナのメスがどんなに苦しもうが 個体の後天的な苦痛は遺伝子には影響を及ぼすことはない

ヒトがどんなに戦争で殺し合って苦しもうが 後天的にどんなに苦しくても遺伝子には影響を及ぼすことはなく 現代においても差別や紛争はなくならない

イジメや差別も一向になくならないばかりか むしろSNS上では差別や誹謗中傷による言葉の暴力ばかりが蔓延し Microsoft社のTwitterAIが「学習」してヘイトスピーチに同調便乗してきてしまう始末である

ヒトという種の生物は 自分よりも格下だとみなした相手には猛烈な攻撃を仕掛ける弱いものイジメは大好きだが 自分よりも格上だとみなした権威や上司や上官の命令には唯々諾々と服従忖度して保身に走る卑屈な生物である

自分が所属している組織の利益を優先することが 組織に所属している自分の既得権益にも供する利己的な保身によって ヒトは組織の利益を優先し たとえ組織が腐敗して社会的に無責任な結果になるとしても意に介さず 組織内部の多数によって自分の自律的責任が薄まると「思って」傍観放置を平気でやらかすようにもなるのである

 

遺伝的進化というものが 後天的な「困る」かどうかが変異や淘汰圧力に影響しないにも関わらず 大手町の医師は遺伝的進化のメカニズムを本当は理解しないまま 多数の生物学者共の誤謬(デマ)を鵜呑みにする形で「ウイルスは必ず弱毒化する」などと言い出したのである

日医大の客員教授や 他にも「ウイルス弱毒化説」を唱える研究医もいるが 既存の弱毒ウイルスをどんなに抽出してきても 過去に宿主ごと絶滅したウイルスが絶対に存在しないことの証明には全くならないのである

NHKも含めて報道各社はこれを問題だとすら「思って」はおらず 生物学界の多数意見を鵜呑みにし 「多数=論理科学的根拠のある論証」だと勝手に錯覚する形で 「子宮内膜を厚くすることを考えた」などというオカルト的「説明」を続けているのである

NHK「ジェンダーサイエンス」の番組中 タレントのYOUが「月経は進化で痛くならないようにはならないのかしら」と言い出した際に 「遺伝的進化が起きるためには数万年以上かかる」などという説明しかしていないが 後天的にどんなに月経が痛かろうが遺伝子には影響を及ぼすことはない

数万年前の祖先の生息環境下に適応する形での先天的繁殖能力や構造は 遺伝要素には影響を及ぼすメカニズムは存在しないのである

遺伝子変異によって先天性疾患を持って産まれてきてしまう子供もいるが これは遺伝的進化のメカニズム上 生物である以上は避けることができないものであり これを後天的に品種改良の手法で人為的に進化を促す優生学というのはヒトを家畜扱いしているキチガイの発想である

色素性乾皮症ほどでないとしても 先天的に紫外線耐性の低い子というのはいるが だからといって断種によって色素性乾皮症の子供が産まれないようにするというのは人権侵害も甚だしい

 

ヒトは 自分と他人との関係性に順位序列を決定したがる習性があり 順位序列が「上」とみなした権威や上司や上官の命令に唯々諾々と盲目的に服従し 忖度して気に入られようとする卑屈な生物である

だからこそ生物学者共の嘘を誰も見抜けないのである

そもそも嘘だと思うことすらなく 「絶対に嘘など言わないはずだ」という過剰な信頼をしている自分のこともまた過剰な自信によって疑わなくなるからである

チャールズ:ダーウィンの進化論を本当に理解しているのであれば 「〇〇を目的として進化を考えだした」などという説明をすることはないのである

にも関わらず マスコミ報道各社も大衆の誰も生物学者共の嘘には気づくことなく 何の問題意識も働くことなく傍観放置しているのである

 

私の言っている内容というのは それほど難しいものではない

簡単な内容でありながら 大多数の誰も考えて判断しないというのは 自分の頭で考えて判断しても評価や報酬になりそうにないからである

エサをちらつかせないと興味を持たないというのは イヌの行動原理と同じである

自発的に物事の真理を見極めようとしないのは 人間としての知能を放棄しているのと同義であるのだが 主観的な安心満足感を提供しないと自発的には何も判断しないバカしかいないからである

そして 頭が悪いバカ程 自分がバカであることを自覚したがらないのである

原因は簡単である

主観的に気分が悪いからだ

 

松沢哲郎や山極寿一らが主張していた「先天的な行動習性に人間性が組み込まれているはずだ」などという予測には論理的根拠が全く伴っておらず あたかもヒトには先天的に人間性が組み込まれている優秀な存在であるかのように言っておけば 衆愚やマスコミから人気を得られる衆愚迎合に過ぎない

ミャンマー軍事政権の幹部達を 鋼鉄とポリカーボネートの檻に監禁し 彼らがどのような行動と採ったら既に行われた残虐行為の反証になるというのであろうか

松沢が文化功労賞を受賞したのも 生物学界の多数決によるものであろう だとすれば松沢の主張に生物学界の誰も反論しなかったデクノボウしか学界にはいない証明である

 

ヒトは権威を盲目的に信頼し 何の疑いも持たなくなる先天的習性があり 権威肩書がなければ誰も信用どころか論理反証すらせずに黙殺するバカが大半である

こうしたヒトの先天的性質こそが 組織腐敗を傍観放置し温存してしまう認知上の欠陥なのである

先天的な認知上の欠陥は 認識しない方が安心で満足である

安心で満足なのは それが先天的なものだからである

ヒトという種の生物が持つ先天的欠陥を論じれば 衆愚から人気が得られないのは必然的結果であり これは構造的にどうにもならない

真実を主体的に識別しようという意思がない衆愚には 真理は何ら「響く」ことはない

むしろ耳あたりの良い気分が良くなる嘘やデマの方が衆愚にとっては安心満足感を提供するものなのである

 

 


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見えるものと見えないもの

2021年11月23日 21時57分30秒 | 写真

色鮮やかな黄色い蝶々がヒラヒラ飛んでいて

そんなに目立ってたら天敵に狙われやすいだろうと思ってたんだが

黄葉した葉にとまったら瞬時にわからなくなった

自分の姿が黄色いことを自覚していて 黄色い葉にとまれば天敵から狙われづらくなると考えて黄色い葉を選んでとまっている

わけではなくて 黄色い葉にとまる先天的習性を持った個体種への収斂の結果

黄色い葉にとまる習性を持たなかった個体種が捕食されやすい淘汰圧力がかかり 偶発的に黄色い葉にとまりたがる先天的習性を持った個体種だけが残ったという結果

昆虫の脳というのは顕微鏡下でしか見えない程小さいものなので 自分の姿を自覚するとか 黄色い葉にとまれば天敵からみつかり難くなるだろうといった「考え」に基づいた行動選択はできない

蛾は天体などの光が来る方向を基準にしか飛ぶことをしないため 光源が炎だとしても避けることができず 結果的に炎に墜落する

昆虫の脳はほぼ条件反射であって 合理的「考え」に基づいて行動が決定しているわけではない

昆虫の行動習性というのは数億年の淘汰圧力によって洗練されているため あたかも合理的に考えて行動を選択しているかのように見えるものもあるが

主観的印象として「見える」からといって真実であるとは限らない

錯覚という認知上の欠陥を自覚しないと真実は見えない

 

 


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嘘を混入させる余地

2021年11月22日 13時35分26秒 | 意識論関連

従来 生物学者達のほぼ全員は遺伝的進化というものが意図目的戦略に基づいて生じているかのように説明し続けていたのである

大手町の診療医や日医大の客員教授が「ウイルスは必ず弱毒化する」などと言い出したのも 進化生物学者の大多数が遺伝的進化というものが意図目的戦略に基づいて起こるかのような説明を 何の疑いも持たずに鵜呑みにしていた頭の悪さが原因である

遺伝的進化というものは あくまで「繁殖が継続」して「生存」存続してさえいれば「生物」であって それ以外の何にも「適応」するメカニズムは存在しない

イワシの子供がほとんど喰われてしまおうが ブチハイエナの6割が死産しようが 結果的に「繁殖が継続」さえしていれば「生物」種として存続することになる

従って 生物やその遺伝的進化の全ては結果であって目的などない

既存の弱毒性コロナウイルスの弱毒共生化が生じるプロセスにおいて 都合良く弱毒共生化以外が何も起きなかったと考えるのは無理がある

遺伝的進化が生ずるプロセスでは 必ず淘汰圧力による収斂が必要であり 変異自体は常にランダムであって「ウイルスが困るから」などという荒唐無稽な原理は遺伝的進化には影響を及ぼさない

既存の弱毒性コロナウイルスが弱毒共生進化に「成功」した陰で 一体どれだけの「失敗」が起きたのかは 人類は誰も見たことがないのである

「SARSやMARSは毒性が強すぎるから弱毒化しない」というのも大嘘であり 実際にアナウサギに対するミクソーマウイルスは当初の致死率は95%に達するものであり 新型コロナウイルスよりもはるかに死亡率の高いエボラウイルスでも弱毒化傾向が見られる

ウイルスが弱毒化するプロセスとは あくまで強毒株が宿主ごと死滅して感染拡大が収まることであって 赤潮に対するウイルスも赤潮の原因プランクトンの過剰繁殖が収まることで感染も収束するのである

エボラウイルスは 今のところ感染地域が限定されており 致死率が非常に高いことから対策も徹底しているため 結果的に弱毒化プロセスが働いているため弱毒化が生じていると考えるべきであり これを新型コロナウイルスの蔓延状況と同列に比較することはできない

新型コロナウイルスの場合 一切の感染予防をしなくても人類は絶滅することはないだろう 医療が崩壊しようが文明が崩壊しようが「繁殖を継続」することで絶滅は免れるかも知れない

それをもってして弱毒共生進化の「成功」と見なすことも可能である

感染者の66%が後遺症に苦しむとしても 結果的に高齢者や基礎疾患者が減れば 年金や医療費などの若者の社会負担も減るのかも知れない

生物や遺伝的進化というものは あくまで絶滅さえせずに「繁殖を継続」さえできていれば「遺伝的進化としては成功」なのであって その結果がいかに不条理で非合理で残酷だろうと苦痛であろうと関係がなく ただ「死んでいないなら生物」なのである

良く「野生動物の楽園」などと形容することがあるが 野生(自然界)というのは弱肉強食の過酷な世界であって 到底楽園などと言うことはできない

動物園などで飼育下で生きることと 適応した環境下で死と隣り合わせに生きることと どちらが「楽園」なのかはヒトが勝手に決められるようなものではない

野生環境がそんなに「楽園」だと言うのであれば 文明など放棄してボルネオの山の中で裸で暮せば良いのである

 

塩分や脂質や糖質が乏しい環境下において 先天的本能習性として塩分や脂質や糖質を積極的に摂ろうとした個体種への収斂の結果として ヒトは現代社会において塩分や脂質や糖質を必要以上に摂ろうとしてしまうが故に生活習慣病にも陥るのであり こうした遺伝的に決定している先天的本能習性というものは収斂進化の過程における環境適応に対する必然性はあっても 決して未来永劫に「合理的」であるわけではなく 環境が変われば非合理にもなるのである

遺伝的進化というものは あくまで祖先の生息環境への適応という結果であって 目的に則った合理性が存在するわけではない

先天的な遺伝的形質や本能習性というものは全て結果であって「欲望そのものを欲することはできない」のである

選択不可能なものに意図目的戦略が介在する余地はない

先天的欲望の任せて塩分や脂質や糖質の豊富なエサを過剰摂取しておけば その場限りには「幸福」感を得られるかも知れないが その結果生活習慣病に陥り社会に医療負担を強いり 本人も苦しい思いをする結末を「目的」に則った「合理的」選択だと言うことは出来ない

 

目先の安心を優先すれば 少数異端の意見は無視し 既存の権威肩書に基づいた意見だけを信用しておけば満足であろう

権威の言っている内容を唯々諾々と鵜呑みにして 何の疑いも持たない方が「幸福」感は得られるのである

そういう社会的生活習慣病のような行動バイアスがあるからこそ ミャンマー軍事政権による民主化弾圧も 太平洋戦争時の日本軍による独裁も平気で起こるのである

長谷川眞理子は過去に散々「目的の為に進化を選んだ」といった説明をしていたのであって これはチャールズ:ダーウィンの進化論に基づいた説明ではなかったのである

遺伝的進化は主体的に選ぶことなどできず 後天的な考えに基づく目的も 合理性のある戦略も介在する余地はなく「進化を選ぶ」ことなどできない

これを私が長年主張し続けてきたことによって少しずつ遺伝的進化には目的が存在しないことが生物学界に浸透してきたため 長谷川眞理子は今まで散々間違った説明をしてきたことを棚上げにし「なかったこと」にして あたかも以前からダーウィンの進化論を理解していたかのように「皆さんはダーウィンの進化論を誤解していらっしゃる」などと視聴者をはぐらかしているのである

長谷川は実際にはフランシス:ゴルトンの優生学を論理反証しておらず「ダーウィンは人種差別に反対していた」と述べているに過ぎず 自分が散々してきた非科学的「説明」については訂正も釈明もしていないのである

これは科学者として極めて不誠実であり 視聴者や読者をおちょくっているのである

NHKであれば 過去のアーカイブから長谷川が遺伝的進化にどのような「説明」をしていたのかは調べればわかるはずだが そもそも長谷川ら生物学者共による間違った遺伝的進化の「説明」を鵜呑みにする形で最新の番組でも「母親が子宮内膜を厚くするように考えた」などという非科学的説明を平気で続けているバカしかいないのである

遺伝的進化のメカニズムに 「考え」が介在するプロセスは存在しない

生存や繁殖の継続にとって環境に適さなかった個体が全て死滅した結果として 生存や繁殖の継続が出来た個体種への収斂の結果が遺伝的進化であり そのどこにも「考え(目的)」など介在する余地はないのである

 

誰が嘘つきで 誰が真実を述べているのか その判別は多数決とは無関係である

日大内部の多数決も 東京電力内部の多数決も 組織の利益を優先すれば個人は簡単に自律的な社会的責任は放棄するものである

どんなに大衆人気を集めて視聴率を稼いだ実績があろうとも 科学的に間違った内容を放送していたのでは公共放送としての社会的役割は全く果たしていない

それなのに「受信料は払え」というのはあまりに無責任で傲慢という他ない

今まで散々生物学者共が間違った遺伝的進化の「説明」をしてきた事実を暴き また NHK自身も間違った「説明」をしていたことも訂正する義務が 公共放送にはある

義務を果たさずに金を集める権利はない

至極当たり前の話である

論理客観的に「当たり前の話」に嘘を混入させる余地はない

個人的 主観的に「信じたくない」というのは 自分の主観が絶対だと「思って」いる傲慢さによるものである

 

 

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様々な意見

2021年11月20日 13時08分08秒 | 意識論関連

早稲田大学に「スーパーフリー」という強姦サークルが作られたことがあった

早稲田大学に入学できる学力偏差値があっても自律的な社会的責任判断能力のないバカは多い証拠でもある

慶應出身の「塾員」が企業内で東大生をイジメているという話もある

 

集団組織的に協調して強姦をするというのは 別に自分の遺伝子を遺すことが目的ではなく 単に女性を強姦して精液を排泄しておきたいだけである

集団組織的協調行動には「大きな力」が発揮できるため 集団を構成する個体の能力に違いがなくても個人よりも集団の方が優位になる

無責任に女性を強姦しまくっている男の遺伝子の方が 一人の女性以外に興味を持たない誠実な男よりも多くの遺伝子を遺すことになる

結果的にヒトは集団組織的協調してより多くの女性を強姦する男の遺伝的性質へと収斂進化が起こることになる

それが女性や子育てや社会安全性や公平性にとって有害であろうが そうした後天的な迷惑は遺伝子に影響を及ぼさない

ヒトという種の生物の先天的本能や行動習性自体には人間性は組み込まれる進化的メカニズムは存在しない

ボスニア紛争においても集団強姦は非常に多かったという

おそらく戦時下の荒廃した状況では暴力や略奪や強姦は日常茶飯事に陥るのが「普通」である

男は欲望のままに行動していれば 無責任に精液を排泄するための行動しかしないものなのである

繁殖能力すらない幼女を強姦した後 殺害遺棄するという事件も時折見られるが こうした本能習性というものには何の合理性もこじつけることはできない

「不倫は文化」などと言っていたバカもいたが 自分の主観的欲望を正当化できているものだと勝手に勘違いしているトンチキの発想である

遺伝的進化というものは あくまで「繁殖が継続」さえして現存生物種として「生存」している結果だけであって それ以外に何か目的だの意図だの戦略だの「考え」だの「願い」だの「祈り」だの「呪い」は遺伝子には影響を全く及ぼすことはない

山極寿一は「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もない予測で衆愚からの人気を集めているが これは金儲けのためのデマに過ぎない

先天的な形質や習性というものは後天的にどんなに「困って」も遺伝子には影響を及ぼさないのである

先天的に子宮内膜が薄い遺伝子を持っていたり 後天的に健康状態が悪くて子宮内膜が厚くならなかった女性が妊娠すれば母子共に健康に産まれてくる確率は低下するわけで 結果的に子宮内膜が先天的により厚くなる遺伝子を持った女性への収斂進化がおきた結果であり 別に「子宮内膜を厚くしようと考え」て自らの遺伝子を書き換えられるわけではない

 

「欲望そのものを欲することはできない」のであって 欲望自体は主体的選択可能性の範囲内にはない

状況や環境によって様々に促される本能や欲望の大きさに左右されず 一貫した社会的責任判断に基づいて論理客観的に「正しい」行動を選択する理性なくして人間性は発揮されることはない

ヒトが社会的に無責任な行動を採る「人災」が起きるのは 個人が自律的に物事を判断選択しないのが原因である

イヌやサルは目先のことしか意識の俎上にはない

イヌはエサを見せれば従順に振る舞うが エサがなくなった瞬間に興味を失う

チンパンジーは特殊な実験環境下においては利他的行動に見える行動も採ることがあるが 何度利他的行動をしても自分に利益がないとわかった時点で利他的行動はしなくなる

チンパンジーの知能はヒトの3歳児程度と言われているが ヒトの3歳児は自分の行動と他人の行動の区別がつかないと言われ 一時的には反射的に利他的行動を採ることはありうる

しかし ヒトの子供の場合は 自分が利他的行動を採れば大人からは継続して報酬が得られる環境であれば利他的行動を採り続けることを行動学習的に「普通」だと思うようにもなる

だが残念ながら虐待されて育った子供の場合には 暴力や略奪こそが「普通」だと行動学習してしまうことも多い

虐待の連鎖はイヌやチンパンジーでも見られるものである

ヒトに育てられた哺乳類や鳥類が 野生環境で子供を産んでも育て方がわからず繁殖に失敗する事例も多い

ヒト以外の生物の脳では 自分の頭で物事を考え 判断し 選択することは出来ず 虐待されて育てば虐待を連鎖することしかできないが

ヒトの場合は自律的に判断し 「本当はどう育てられたかったのか」「本当はどう育てるべきなのか」という目的意識に基づき行動選択をすること「も」可能である

目的意識とは 統合的に考えた合理的行動選択であって 先天的本能欲望には目的も意識も存在しないのである

ところがヒトの多くは 自分の主観的印象や感情こそが自分の意識の本質だと錯覚しているため 気分が悪くなる話には耳を貸さなくなる習性があり 逆に気分が良くなりさえすれば嘘でもデマでも洗脳でも簡単に陥り 非合理な行動も平気で行えるようになるのである

ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫だ」と主観的に「思って」いるが それはそう「思って」いれば安心で満足だからそう「思って」いたいからであって 客観的根拠は何もない

むしろ頭のおかしい奴ほど自信だけは過剰にあり 過剰な自信ゆえに考えが浅く薄いために自己客観性が全く働かなくなり バカが治らなくなるのである

ヒトの頭の悪さというのはグラデーションでありスペクトラムである

地下鉄に毒ガスを撒き散らして「人類の救済だ」と思っているような著しいバカだけがバカなのではなく 社会の中ではバカの程度というのは標準偏差的な正規分布のはずであり 決して「一切の認知的欠陥の存在しない完全無欠の知能を持ったヒト」などいないのである

そして勘違いしてはならないのは 学力偏差値と本質的知能とは無関係であるということだ

東京大学に入れる程の学力偏差値があっても 教養学部でリベラルアーツと称してフリードリヒ:ニーチェだのイマヌエル:カントを教え込まれても その内容に論理客観的根拠がないことや 基準が曖昧でどうにでも勝手に解釈できる意味のない「迷言」に過ぎないことは誰も気づくことがない

進化生物学上の誤謬に関しても 「目的の為に進化を選んだ」と教え込まれても 学力偏差値が高いバカ学生の誰も論理的におかしいとは全く思うこともなく鵜呑みにして思考停止するのである

生物学界では従来 遺伝的進化が意図目的戦略に基づいた「考え」に則って起こるかのような「説明」をしていたが 科学的には遺伝的進化には意図目的戦略が影響を及ぼすメカニズム構造は存在しておらず これは自分の頭で「考え」れば誰でもわかる簡単な理屈だが 学力偏差値が高いだけでは主体的に検証する意思は全く働かず 漫然と鵜呑みにして傍観放置されるだけなのである

こんな簡単な理屈すら気付かないバカが 社会に出て問題解決ができるわけもなく 原発を暴走させ 粉飾決算の命令に服従し 「刑罰判決で解決」する社会制度しか存在しておらず 犯罪や事故の危険性に対する論理客観的対策は全く行われることがないのである

進化生物学上の誤謬に関して長谷川眞理子は あたかも以前からチャールズ:ダーウィンの進化論に基づいて説明していたかのように主張しているが 私が遺伝的進化には意図目的戦略が介在する余地がないことを主張し続けたことで少しずつ生物学界内部でも浸透してきたことに迎合する形で「皆さんはダーウィンの進化論を誤解している」などとはぐらかしているが 元々長谷川は間違った進化の説明をしていたのであって 自分の間違いを訂正せずにあたかも「皆さんが間違った解釈をしてらっしゃる」かのようにはぐらかして権威性を維持しようとしている大嘘つきである

更科功による「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な話は論外である

ところが大衆やマスコミの大多数は そもそも遺伝的進化のメカニズムなんぞ一切理解しておらず 何が間違いで 何が正しいのかなど自発的に検証したこともないため 更科や長谷川の言っていることがあたかも論理的一貫性があるものだと勝手に錯覚しているため 長谷川の「はぐらかし」にも誰も気付かないのである

NHKの最近の番組「ジェンダーサイエンス」においても 「子宮内膜を厚くすることを考えた」などと称して あたかも遺伝的進化には実証不能の謎の人智を超越した「考え」によって自身の遺伝子を操作できたかのように「説明」しているのである

しかも それを指摘しても全く意に介さず 何の訂正もせずに垂れ流し続けているという不誠実な態度は許容範囲を大きく超えている

 

「様々な意見がある」などという言い逃れは簡単だが 論理整合性も客観的根拠もない「説明」を続けることは 科学に対する冒涜である

科学的真理は一つであり 科学的真理は民主主義的に「バカの多数決」で決定するようなものではない

長谷川や更科に限らず生物学者のほぼ全員は 遺伝的進化の説明において意図目的戦略とこじつけてきたのであり ダーウィンの進化論に則った説明はしてこなかったのである

だからこそNHKの文化科学部までもが非科学的な「説明」をしているのであって これは集団洗脳状態と言う他ない

遺伝的進化のメカニズムの中には意図目的戦略が介在しないことは ちょっと考えれば大多数のヒトが解る話であり 多くのヒトが理解可能な話であるならば それは理解可能な誰が思いついてもおかしくはない

それなら 思いついた者が特別に天才なのではなく むしろ考えもしなかった大多数のバカの無能さについて検証することの方が重要である

教えられたことを鵜呑みにして 教えられた通りに覚えて答えられれば学力評価という抽象化された「脳への報酬」によって反射的に学習することは簡単である

「脳への報酬」という主観的快楽が動機だからこそ オウム真理教のようなカルト宗教でも簡単に騙されるのであり NHK文化科学部による非科学的な遺伝的進化の「説明」も従来の生物学者共によるデマを鵜呑みにした結果である

衆愚からの人気を集めている読書猿は 「学校の勉強は認知的ワクチン」だと言っているが 学力偏差値が認知的ワクチンとして機能する客観的証拠は何もないし 「知識のエコシステム」などという話にも論理客観的根拠は何もないのである

衆愚は知識の「量」さえ多く覚えれば頭が良くなって誰も気付かないような新しい発見や発明によって世間的評価が得られることを期待して読書猿のそそのかしに乗っかりたがるが 世間的評価や報酬を目的にしている限り純粋な知的好奇心は発揮されることはなく ただ専門的知識をひけらかして衆愚からの人気を集める程度の結果しか得ることはできない

京都大学学長や 文化功労賞受賞者を批判することは 衆愚にしてみれば「無謀」だとしか「思わ」ないであろう

ましてや生物学界の大多数の間違いを指摘しても衆愚の誰も本気にはしないものである

「ヒトは 信じたいと思っているものだけを信じようとする」のであって これは同時に「信じたくないと思っているものは信じようとはしない」のである

主観的に「信じたくないと思って」いる自分のことを 過剰に信じ込んでいる客観性には頭が働かないからである

「頭が働かない」状態を何と形容するのかは 今までウンザリするほど説明してきたつもりである

 

 

 

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支離滅裂な「説明」

2021年11月19日 16時04分33秒 | 意識論関連

「本物の歯ではなく歯に似た構造の方が多い事実は、必要に応じて自動的に歯が進化するわけではないことを示している」と、イェール大学の進化生物学者ギュンター・ワグナー氏は今回の研究に対し指摘する。

 この点を考慮すると、自然選択の観点からではフクロアマガエルが下の歯を再獲得した理由を説明できない。自然選択とは、同じ種の中で有益な特質が時とともに広がっていくことだ。

「謎に包まれていることだけは確かだ。非常に興味深い」とワグナー氏は述べている。

 今回の研究論文は、「Evolution」誌オンライン版で1月27日発表された。

 出典:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3800/

 

⇨進化生物学者のギュンター:ワグナーが他にいるのかどうかは知らないが もしNHK「ジェンダーサイエンス」の中で「子宮内膜を厚くするように考えた」と説明しているバカと同一人物だとすれば ワグナーの言っていることは支離滅裂で意味がない

遺伝的進化によって環境適応による収斂が起こることは確かだが 環境に適応しさえすればそれ以上の収斂は起こらず 決して完全無欠の絶対最適化にまで適応するメカニズムはない

変異も常に生じており ヒトに尻尾が生えたり 全身毛むくじゃらで産まれてくる事例もあり 決して一方向にしか変異が起こらないわけではなく 変異自体は何が起きてもおかしくはないのである

単なる変異を短絡的に進化だと結びつけるのが間違いであり 様々な変異の後に淘汰圧力による収斂が起きることで始めて進化という結果に至るのであって フクロアマガエルの下の歯が環境適応していれば残るし 適応していなければ残らない

突然変異のバリエーションを見て面白がったり不思議がるのは結構だが バリエーション拡大自体は進化ではなく その後の淘汰圧力による収斂の結果も込みで遺伝的進化となるのである

淘汰圧力が働かなければ収斂も起こらず 新種としてバリエーションが拡大しても何の不思議もないのである

ヒトが文明以降に様々な容姿にバリエーション拡大したのも 淘汰圧力による収斂が起きなかったことに因るものである

 

「必要に応じて自動的に歯が進化するわけではない」と言っておきながら 一方では「子宮内膜を厚くするように考えた」などと言い出すのは論理整合性がなく 科学者としてデクノボウにも程がある

必要に応じて子宮内膜を厚くするように自動的に進化することなどできないのである

ことほど左様に生物学者というのは支離滅裂な「説明」を平気でやらかすデクノボウが大半であり 一貫した理論に基づいた検証なしにバカ生物学者の言っていることを垂れ流して良いわけではない

 

 

 

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腐敗した組織に真実は通用しない

2021年11月19日 11時54分53秒 | 意識論関連

 

 

「富士通を外せ」

 井ノ口容疑者が、医療法人「錦秀会」前理事長の籔本雅巳容疑者(61)とともに最初に逮捕されたのは、日本大学医学部付属板橋病院の建て替え工事をめぐり、2億2000万円を流出させたという背任容疑だった。先月27日には、同病院に医療機器と電子カルテ関連機器を納入した取引でも約2億円も割高な契約を結ばせて損害を与えたとして、再逮捕された。  この電子カルテ関連機器の納入をめぐって、井ノ口容疑者は病院側に横暴な指示を出していた。日大関係者が証言する。 「この電子カルテ関連機器は富士通のものです。電子機器は4~5年もすると古くなってしまい、リプレイス(バージョンアップすること)する必要が生じます。病院のなかでも、2~3年くらい前からリプレイスする方向で予算を見積もるなど、計画を立てていました」  だが、昨年5月頃、井ノ口容疑者が懇意にしているコンサル会社の男性が病院事務局にやってきて、こう伝えてきたという。 「リプレイスではなく、富士通からIBMにそっくり変えたい。その際、板橋病院だけでなく他の付属病院も合わせた4病院すべてをまとめてIBMに切り替えたい」

“天の声”

 事務局関係者は驚いた。藪から棒で、予算を度外視した話であったからだ。 「リプレイスするのと新たに別メーカーに切り替えるのでは、予算が倍くらい違います。しかもそれを4病院セットでやるというのであれば、数十億円規模の出費となる。電子カルテ機器において富士通は主流メーカーであり、これまでの運用に不都合があったわけではなかった。4病院で同じ機器を用いて連携させるメリットはあったとしても、富士通を外す理由などないのです。そもそも医療機器は医者が使うもの。医者からの要望を聞かずに上から業者を変更するよう言ってくるなんておかしな話でした」(前出・日大関係者)  だが、コンサル会社の男性は明確な理由を述べず、「田中(英寿)理事長の承認も得ていますから」と重ねて要求してきたという。病院事務局も日頃から出入りしていた男性の後ろに井ノ口理事長、さらには田中理事長の存在があることは分かっていた。つまり、男性は“天の声”を届けに来たのである。  医療機器の知識など持ち合わせていないはずの井ノ口容疑者は、なぜ富士通外しを指示したのか。日大関係者が明かす。

 

宮川選手憎しで……

「”危険タックル”で問題になった宮川泰介選手が、就職した企業だったからです。口封じに動いた井ノ口容疑者らに反旗を翻し、『コーチから指示があった』と記者会見で訴えた宮川君は、いまも『富士通フロンティアーズ』の選手としてアメフトを続けています。井ノ口容疑者はあの騒動がきっかけで、一時、理事を辞任、田中理事長も窮地に陥りました。宮川君を拾った富士通憎しで、井ノ口容疑者はこのような指示をしていたのです。実際、彼は周囲に『富士通は許せん』と話していました」(同)  結局、事務局が反対し、富士通外しには至らず、リプレイスが行われただけであった。だが、この取引でも、井ノ口容疑者らは藪本容疑者が全額出資するペーパー会社を通して“中抜き”していたのだった。今年5月に日大が約9億7000万円の電子カルテ関連機器を富士通からリースする契約を結んだ際、両容疑者は約6700万円の不当な利益を得ていたとされる。もしIBMへの切り替えが行われていたら、予算規模に応じて損失額が増額していた可能性も考えられる。  他の医療機器の切り替えなども含め、抵抗を示した板橋病院の事務長は、2カ月後には配置転換されてしまったという。井ノ口容疑者らはこんなメチャクチャなやり方で、病院を食い物にしてきたのである。

田中理事長の責任は

 建て替え工事をめぐる2億2000万円の流出では、田中理事長にも3000万円が渡っていたことが判明しているが、いまのところ理事長まで捜査の手が及ぶ気配はない。 「特捜部のガサで、田中理事長の自宅からは1億円もの現金が見つかっています。しかし、田中理事長は特捜部の捜査に『妻が経営するちゃんこ屋で稼いだタンス預金だ』と主張。事件とは無関係だと訴えています」(司法クラブ記者)  10月29日に学内の会議に出席した田中理事長は、「井ノ口はやりすぎた」「オレはやっていない」と述べたという。前出の日大関係者はこう憤る。 「罪に問われなかったとしても、田中理事長には井ノ口さんを引っ張ってきた責任がある。国からは補助金もらっている大学のトップとして、いまだ世間に何ら説明していないのもおかしいと職員はみんな思っています。一刻も早く自ら辞任すべきです」

デイリー新潮取材班 2021年11月3日 掲載

 

⇨井ノ口忠男の様な典型的なキチガイ独裁体制が どうして作られてしまうのか

「組織は頭から腐る」と多くのヒトは印象として「思って」いるが これが間違いである

「腐った頭」に唯々諾々と服従する組織の多数によって組織腐敗は温存されるのである

子供のイジメと同様に 暴力威圧的独裁者に忖度服従するのは2割で充分で 後の8割はただ呆然と傍観放置さえしておけば組織腐敗は温存成立するのである

日大の運営に携わっている大多数も さぞかし学力偏差値が高かったに違いないが「井ノ口忠男の権力は絶対だと思っていた」からこそ唯々諾々と服従忖度し 「組織内部での立場が危うくならないようにするため」という利己的利益を優先し 組織の社会的役割や責任というものを放棄していたのである

こうした組織腐敗の構造自体は東電原発運営と何ら違いはない

個人が自律的な社会的責任判断選択をしなければ 組織は簡単に腐敗する ヒトという種の生物は先天的にそういう人間としての欠陥を持っているのである

腐敗した組織の中で個人が自律的な社会的責任判断をすれば 組織内部で孤立し排除の対象とされるのがオチである

 

盲目的服従による統率的な協調性には「大きな力」があり ピラミッドを建造して人力だけで環境破壊をもたらすことも簡単である

しかし 盲目的であるが故に「大きな力」には方向性や抑制が効かなくなり 破綻するまで暴走することになるのである

ユヴァル:ノア:ハラリは「フィクション」を信じるから「大きな力」が発揮されると主張しているが ピラミッド建造は「大きな事業」ではあったが結果的に環境破壊をもたらす無駄な行為でもあった

ナチスによるホロコーストも「大きな力」であり 力の大きさだけでフィクションを正当化することはできない

ヒトが先天的本能習性によって実証不能の観念(フィクション)を信じ込み他人に多大な迷惑をかけてきた

主観的に気分が良くなる話に客観的論理整合性のある根拠が伴うのかどうかを 個人が自律的に検証(考え)る謙虚さがないから実証不能の観念の暴走を誰も止められなくなるのである

衆愚が求めているのは主観的安心満足だけであり 客観的論理検証に基づいた安全性や公平性ではない

ヒトという種の生物は客観的安全性の論証や 平等性になど先天的には興味がないのである

Microsoft社のTwitterAIが「学習」してしまう程のSNS上に溢れかえる数多のヘイトスピーチは 衆愚が根拠の乏しい身勝手な主観的好き嫌いを基準に誰でも良いから攻撃することで優位に立ったような錯覚で満足するための合理的目的も方向性のない「排泄行為」である

排泄行為はヒトである以上は無くせないが どこで排泄するかを選択できないから迷惑行為になるのである

通りすがりの女子小学生に射精していたら迷惑であり そういう欲望は自分の部屋で処理していれば人畜無害なのである

集団統率的に他人を殺害するゲームも人気だが ゲーム内なら人畜無害である

小説の中なら皇帝を暗殺しても 大量殺戮をしても人畜無害である

芸術やスポーツ 宗教といったものは主観の世界であり 個人が主観的に安心満足する以上に他人に強要するべきものではない

「ヒトは実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」だと主張する者もいるが むしろ実証不能の神にすがろうとするからこそ「弱く」なるのである

科学や哲学は宗教を禁止することはないし してはならない したら科学でも哲学でもなくなる

科学や哲学は宗教には論理客観的根拠が伴わないことを立証するだけである

ところが 宗教者は主観的に気に入らず 個人的に嫌いな相手を暴力的威圧で黙らせようとする傾向が強い その原因は宗教というものは盲目性による自己客観性の欠落がどうしてもつきまとうからである

こうした盲目性は宗教に限ったものではなく 子供のイジメでも ナチスのホロコーストにおいても 共産主義社会においても発揮されるヒトという種の生物の普遍的傾向性である

宗教は本来 アドルフ:ヒトラーや井ノ口忠男のような暴力威圧的支配者による封建的で不公正な組織腐敗に迎合服従忖度せずに 個人が自律的な社会的責任判断に基づいて公益的平等性を求めるための理想の服従対象として「神」を創作したのである

神が存在するのであれば 神の許に全ての民は平等である

平等を求めなければ神(人間としての理想)ではないからだ

ムスリムが良く言う「私は神以外何も怖れない」というのは 「怖れ」という個人的主観によって暴力威圧的支配者に迎合するという精神的な怠慢を正当化しないことを誓うためのものである

ところがタリバンのような武力組織においては銃火器を用いて暴力威圧することを正当化するために神を利用してしまうことがある

戒律や法律といった形式的制度手続きだけが機械的に暴走し 本来の神(人間としての理想)が一体どのようなものであるのかを組織の誰も考え「選択」しないようになるのである

こうした組織腐敗は日大でも構造的には同じであり ヒトの盲目性による洗脳によって衆愚は誰も「自分には判断責任は存在しない」と勝手に勘違いし 多数が無責任であれば責任が薄まると「思って」いるから傍観放置されることになるのである

 

子宮内膜の厚みを意図目的戦略的に厚くするようには「進化」することはできない

変異は常にランダムであり 子宮内膜の厚みを厚くするよう遺伝子を都合良く書き換えることは不可能である

子宮内膜が先天的に薄かったり 栄養状態や健康状態が悪くて後天的に薄い場合には死滅淘汰され 結果的に子宮内膜が先天的に厚い個体への収斂の結果として子宮内膜が厚い個体へと「進化」したのである

 

遺伝的進化というものは 現存する生物相だけを見ていれば過去に死滅絶滅した個体や種を無視して意図目的戦略的に「考え」て選択したものであるかのように「説明」することも可能だが

そんなメカニズム構造や進化プロセスは論理的に存在しないのである

既存の弱毒コロナウイルスやライノウイルスが どのようなプロセスを経て弱毒共生進化を遂げたのかは誰も知らないのであって 過去に宿主ごと絶滅していた株種が一体どれだけ存在していたのかは「死人に口無し」であり 実証的にはもはや立証不能である

実験的には立証不能だが 論理的には現存する株種の何倍もの絶滅種が存在していた可能性の方が圧倒的に高いのである

遺伝的進化というものは膨大な「失敗」なくしては起こらないものであり 多剤耐性菌が発生するプロセスでも耐性を持った株種が発生するまではギリギリ絶滅しない程度の極限環境が必要である

抗生物質投与下という極限環境であるが故に多剤耐性株だけが生き残れるのであって 極限環境でなければ耐性を持った変異が発現しても収斂は起こらず進化には至らない

草食獣の逃げ足が速く進化するのも 天敵に襲われ続けるという過酷な自然環境下だからこそ起こるのであって こうした遺伝的進化の結果を人間社会の目的であるかのようにこじつけるから優生学などというオカルト観念が科学的論証のように扱われてしまうのである

「○○のために進化した」「○○に適応することを考えた」「生存戦略」などといった生物学者の「説明」には科学的根拠が何もなく 単なる「比喩」であって「結果的にそう見える」という主観を述べているに過ぎない

主観的印象が混入したら科学ではない

科学や哲学は論理客観的な根拠に基づいて論証されなければならない

こんな至極当たり前の理屈が通用しないから「生物学者はアホだ」と言われるのである

 

 

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結果と目的

2021年11月19日 00時07分54秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは 特定の環境において繁殖が継続できて生物種として存続できた「結果」を遺伝的進化と分類しているに過ぎず

繁殖が継続できてさえいればブチハイエナのように6割死産しようが ネズミのように大量に捕食されようが その環境下での調和にさえ適すれば「生物」なのである

つまり 遺伝的進化というのは決して個体にとっての「最適化」などされることはない

イワシやネズミは大量に繁殖するが その大半を生態系に提供する形で環境調和機能の一部として存続できるのであって 繁殖しすぎても 絶滅しても環境調和にはならない

環境調和は個体存続においては最低条件であり 環境調和ができなければ個体の存続も成立することはない

ブチハイエナの6割死産も 偽陰茎ができる程の男性ホルモンなくしては集団組織の形成が成り立たないため たとえ6割が死産するとしても集団形成なくしてブチハイエナは存続が成立しない以上は避けられないのである

生物というものは環境なくしては存続できない存在であり 個体の都合よりも環境適応性の方が優先されるのであって 存続が成立するためには6割死産しようが 何匹子供が天敵に喰われようが 結果的に絶滅さえしていなければ「生物」なのである

チャールズ:ダーウィンを誤解して「強者の論理だ」などと言い出すバカがいるようだが ダーウィンはあくまで自然環境における自然現象としての遺伝的進化のメカニズムを説明しただけであって 自然界が弱肉強食なのは当たり前の話である

弱肉強食も遺伝的進化も あくまで「自然現象という結果」であって これを「人間社会に適用すべき目的」だと勘違いするから「強者の論理だ」などという訳のわからぬ解釈に陥るのである

結果と目的の区別ができないからフランシス:ゴルトンの優生学などというオカルト観念とごちゃまぜにしてしまうのである

長谷川眞理子は散々遺伝的進化に目的や戦略をこじつけてきたにも関わらず 「皆さんは間違えています」などと称してはぐらかそうとしているのである

 

生態系のピラミッドが持つ平衡性も それを構成する動物種が生態系に適応しているからこその平衡性であり 一定範囲を超えた個体数の急激な変化が生じた場合には生態系全体がバランスを崩し 一度壊れた生態系はそう簡単には元には戻らない

いうなれば生態系そのものも「一つの生物」のようなものであって ヒトの体内でも一つの臓器が機能不全に陥れば個体も死ぬことになるのと同様に 生態系もそれを構成する動物種が一つでも機能不全に陥れば生態系全体も死滅することになるのである

 

ヒトは所詮生態系を形成する生物種の一つに過ぎず 決して生態系バランスを無視して全てをコントロールできるわけではない

むしろ ヒトは自分達の欲望さえもコントロールできない不自由で無能な存在に過ぎない

温室効果ガスを排出し続ければ重大な環境破綻を引き起こしかねない事実を知っていながら 今まで行ってきた行動を全く変容させることができないバカなのである

環境対策もどこ吹く風とばかりに未だに武力による民衆弾圧を行っている時代錯誤も甚だしいバカも少なくない

ヒトが権威と見なした相手に唯々諾々と盲目的に服従し 崇拝忖度し その多数派に同調迎合しておいた方が利己的に安心満足感が得られることから 論理客観的な根拠を伴う自律的な社会的責任判断選択を放棄しても正当化できていると勝手に錯覚することで 統率協調的行動によって「大きな力」も発揮できるのだが その力の大きさ故に暴走破綻にも簡単に陥るのである

遺伝的進化には目的は存在しておらず あくまでヒトは数億年前の狩猟採集生活に適応した本能習性しか持ち合わせておらず これが暴走する形で封建的な差別的順位序列社会構造に簡単に陥るのである

こうした先天的習性に由来する社会的生活習慣病こそが あらゆる「人災」の根本的原因ともなっているのであり ヒトは自らの頭の悪さを自覚する「責任」があるのだ

にも関わらず山極寿一が「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もない衆愚迎合で衆愚は満足し 主観的に気分が良くなることで何の疑いも持たずに鵜呑みにして益々バカになるのである

ヒトは主観的に気分が良くなりさえすれば「正しいこと」だと勝手に勘違いするものである

ミャンマー軍事政権下の政府軍兵士達は上官が民衆を敵だとみなせば唯々諾々と服従忖度して平気で殺害することも可能となるのも その方が気分が良いからである

主体性の欠落した子供がイジメをして「楽しい」のと同様 ヒトは主体性がなければ簡単に加害者競争に陥り より残虐な行為を競い始めるようにもなる先天的な人間としての欠陥品(バカ)なのである

主観的な気分の良し悪しは科学的真理とは無関係である

真理とは「本当のこと」であり 社会安全性や持続可能性と決して無関係ではない

「本当に安全なもの」が何なのかを区別出来ずに安全性を求めることはできない

当たり前の話である

 

 

 

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悪質な人々

2021年11月18日 22時18分03秒 | 意識論関連

長谷川眞理子や更科功などの生物学者の多くは あたかも以前からチャールズ:ダーウィンの進化説明を理解し知っていたかのように「皆さんはダーウィンを誤解している」などと言っているが

長谷川は以前には「○○のために進化した」という合目的的進化に基づいた説明をしていたのであり 散々間違った教え方をしていた事実をはぐらかす形で「皆さんは誤解している」などと称して論理整合性を欠いた説明をしており 科学者として極めて不誠実な態度を平気でとっているのである

更科に至っては「進化に目的はない」と言っておきながら 下の根も乾かぬうちに「生きるために生きている」だの「生きていること自体が目的」だの「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な説明を始め

しかも推薦文には「客観的事実などない」と科学を根底から否定するような事を言い出した養老孟司を起用して大衆人気を集めようとしている

これはもはや悪質どころか 読者をおちょくっているのである

困ったことに読者の大半は自分達がおちょくられていることにすら気付けず 「立派なものなのだ」」などという何の科学的客観性もない更科の個人的感想を鵜呑みにして満足しているだけである

書籍の編集者も 書籍が売れて金になるかどうかしか頭になく 内容の論理客観的整合性など何の興味も持っておらず 誰も責任をとるつもりもない

要はバカがバカの言っていることを鵜呑みにして満足しているのである

説明しているこっちが呆れてくる

NHKもバカしかいないので 「子宮内膜を厚くする戦略を考え出した」などという非科学的説明に対し 誰も何の疑問も持たずに学術権威の言うがままに垂れ流しをしているだけである

遠藤秀紀の言う遺伝的進化に対する「典型的な間違い」が一体どういうものなのかを 誰も理解しないまま 間違ったパラダイムに則った旧来の遺伝的進化の説明をし続けているのである

何せマスコミというのは「密を回避しましょう」と言いながら尾身茂分科会座長に密集囲みぶら下がり取材を平気で続けるキチガイの集団であり 全く自律的に物事を判断しない無能者の集まりである

少しでも自分の頭で物事を判断していれば進化生物学上の誤謬はもっと明確に訂正しているはずであり 「子宮内膜を厚くする戦略を考え出した」などという荒唐無稽な説明をするわけがないのである

何年説明し続けても誰も問題意識を持たないというのは 報道機関としての社会的役割を全く果たしておらず 公共放送としての責任を放棄しておいて受信料だけは徴収し続けるという不義理を平気で続けるつもりのようである

もはやN党云々に関係なく受信料はボイコットすべきである

 

 

Ende;

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