書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ストラップ。

2018年02月28日 12時12分00秒 | 日記


カメラ付属の幅広ストラップがどうしても嫌で

細くてかわいいのがないかなと探しまくってたら

島忠ホームズで靴紐みつけてしまった

靴紐なのでデフォルトだと末端が棒状になっていたんだけど

ハサミで切ってガスコンロで炙ってホツレないように加工したった

 ◇追記:ガスコンロで炙るのって意外と難しくて焦げちゃったりするので、瞬間接着剤的なものを染み込ませた方が簡単かも。とはいえ、瞬間接着剤を布類に染み込ませるとかなりの発熱があるそうなので、反応が収まるまで暫くほったらかしにしといた方が良いと思う。

若干カメラストラップとしては柔らかいので緩みやすそうではあるけど

色がフェイスジャケットと完全にコーディネート

400円くらいしたけど

うれしい



ちなみにこれがカメラ付属のストラップ

グレーのM10には激しく似合わない


 ◇追記:買ったお店は北赤羽のシマホで、本館ではなくて資材館の2階 ドカタ靴が並んでいるところ

 ◇追記2:靴紐の素材の性質なんだと思うけど マジックテープに引っ掛かって繊維がほつれてしまう やっぱちゃんとした細いストラップが欲しい

Ende;
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○痴的生命体。

2018年02月27日 16時43分44秒 | 意識論関連
具体的に誰のツィートなのかは敢えて言わないけどこんなツィートがあった

「なぜ生きているのかという問いに対して、死んでいないからだ それで終わり。」

という趣旨のものである

本来、「なぜ生きているのか。」という問いの意味としては、「なぜ生き続けているのか。」の理由を問うているのであって

「死んでないから、生きている。」というのは単なる結果論であって、目的としての「生き続ける理由」には全くなっていない

左脳優位なヒトというのは、何かにつけて話を「終わり」にしたがる習性があり

物事を深く考え検証する気持ちというものがない

ヒトが「なぜ生きているのか」を問うている場合、単なる結果論など誰も聞いていないのは当たり前の話なのだが

「死んでいないから、生きている。」などという意思も目的も行動選択も介在しない単なる結果論だけを述べて「終わりだ。」などと断言する

そして、それを聞いた大多数のヒトもまた何の疑問も抱かず「ああ、話は終わりなんだな。」と納得してしまう

「死んでいない」という結果を述べたところで、問いの本質である目的としての「生き続ける理由」になど全くならない

言語というのは、物事の抽象化であるため。言葉の一面だけを捉えて具体的内容をすっ飛ばして表面的な「納得」をしてしまい。思考を停止させてしまうことがよくある

ジャレド:ダイアモンドが「潜在意識には、目的がある。」と断言すれば、バカな生徒達は何の疑問も持たずに鵜呑みにするのも、思考停止である

マイケル:サンデルによる洗脳も同様である

洗脳状態のヒトというのは、何せ自分の頭が良くなっていると勘違い錯覚妄想しているので、疑問というものを一切抱かなくなる

論理的思考というものは、気分観念的な「納得」をすることによって簡単に停止状態に陥るものなのである

「自分の頭が良くなった。」という錯覚は、「納得」という気分的快楽によって促されるものであり

むしろ思考停止状態によってバカになっている状態なのである

洗脳状態のヒトが他人の話に耳を貸さなくなるのは、それが気分的に安心で満足だからであって

脱洗脳にするためには、一回自分の頭の悪さを認識する必要性がある

養老孟司による「脳化」云々の話に対し、文科系大衆マスコミの大多数は、何かの役に立つ理論か何かと勘違いしているが

あれは実は大衆迎合であって科学根拠のある理論ではない

養老本人も脳化を理論だと言ったことは一度もなく、そのあたりは養老というのは非常に狡猾である

刑法による懲罰というものも、それによって脳が快楽を感じる故に「解決」だと錯覚しているだけであって。刑罰は論理的な原因究明にも、それに伴う再発防止策にも一切なっていないのだが

その場限りに「死刑にしちまぇ!」と怒鳴り倒して思考停止に陥り満足しているだけの不毛な社会制度に過ぎないのである

NHK解説委員の室山哲也が「人類は絶対に絶滅します。」と断言したのも、思考停止に陥って決めつけてしまえば論理検証を続けずに済むためであり、「話を終わらせる。」ことで自分の頭が良くなったかのような錯覚に陥いることが出来るからなのである

JR尼崎線脱線事故の調査委員会において、具体的にJR社内の社風にまで言及することをせず。仕方なしに被害者遺族達による徹底究明を必要としたのも、「そこまで調べたら、キリがない。」などという手抜きが原因である

物事を深く考えたくない奴というのは、何せ気分感情が動機で話を終わらせようとするため、声がデカくて威圧的でもあるため。物事を深く考えようとする人の言っていることに耳を貸さなくなる



例えばである

ジャレド:ダイアモンドが講義の中で「潜在意識には目的があります。」と述べた時

生徒の一人が「なぜ、潜在意識に目的があると言えるのですか? その論理的根拠を教えて下さい。」と言い出した場合。

その生徒は周りの生徒からは「空気を読まない面倒臭い奴だ。」として扱われ、権威の言っていることにイチイチ疑問を持たないよう同調圧力が働くであろう

こうした同調圧力というものも、洗脳(思考停止)の原因であり。この同調圧力というものはヒトの先天的な社会形成習性が促す一つの行動バイアスである

間違った行動や思考に異を唱えないというのは、子供のイジメにおける傍観の原因でもあり。ヒトという種の生物の先天的な頭の悪さの大部分が先天的な社会形成習性が促すバイアスによって作り出されているのである



ガリレオ:ガリレイの地動説に対し、なぜヒステリックに火炙りなどという暴力で抑圧しなければならなかったのかと言えば

理論的反論が出来ないからこそ、ヒステリックな対応しかできなかったのである

ヒトという種の生物は論理思考が先天的に嫌いなのである


Ende;
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○鶴見線ツアーなど。

2018年02月23日 15時20分50秒 | 日記
鶴見線ツアーやっているそうな

鶴見線ツアーへようこそ -raira21

若い人達は鶴見線で盛り上がるらしいんだが

オラの世代はシミジミたそがれたくて行くので感覚が違う

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

結束バンドって素材がポリプロピレンなので

内部損失が大きいため瞬発的な衝撃には弱いらしい

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

壁紙を小田急のmioとyaeにしたった



横幅が4297ピクセルもあるのでダウンロード注意

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹



どうもこの画像に何らかのアクセス制限的なものがかかっているらしいのでURLを直接書いとくので各自ご覧いただきたい

http://www.cpplus.jp/common/img/top_main_2018_171213.jpg

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

金麦壁紙新作


凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

キヤノンのオンラインアルバムを利用しようと思ったら

ウチのAndroid2.2が対応してないらしくて

どこを押しても反応がない

何か新しい端末買わなアカンのだけれど

ChoromeOSみたいにウイルス耐性が高くてCAD的なことも出来る端末ってないのかな

最近のAndroidタブレットのスペックからすれば3DのCADソフトくらい簡単に動きそうだけどな

IGESのファイルだってそんなに難しいもんじゃなさそうだし

までも10GBのオンラインストレージのために端末買うよか16GBのSDカードでも買った方がマシだし

 micro SDカードが¥1,150-

ー秋月電子通商

Ende;
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○川崎周辺。

2018年02月21日 13時16分51秒 | 写真
産業道路の鋼管通り交差点を川崎駅方向に向かうとイトーヨーカドーがあるんだけど

通りの名前は鋼管通りではないらしい

昔は路面電車が走ってたのかな

 ◇追記:そういえば鋼管通り交差点って「K」字形の変則交差点になっていて、もう一本の道が鋼管通りなのかも知れない。あと、地図で見ると地名自体が「鋼管通」っていう名前だったりする






後ピンだった いや、意外と通行量が多くて撮影が困難だったの


EF66って珍しいのかしら かっ飛ばしてたからブレたけど



武蔵白石と安善の間にある白石橋から

運河の名前は境運河っていうらしい

ここは大型トラックが道幅いっぱいに曲がるので怖い



安善橋の近くに海難救助隊の船が停泊してた

ぜかまの









以前から気になってたことがあって

安善町2丁目の終点まで来たバスがどうやって向きを変えるんだろうと

 注:終点は安善町2丁目ではなく安善町だった 詳細は後述する

そしたらシェル石油関連の企業敷地内で向きを変えてた

ルブリカンツ ジャパン 横浜事業所

去年(2017年)の11月にシェル石油から分社化したそうな



最近バスの行き先表示がLEDになってから文字がちゃんと写らない

鶴見駅行きなのはやっぱ鶴見線の代行輸送だからなのかも ってか最寄駅か








浜川崎駅にある田島踏切で撮影してたら警報機が鳴り出してとっさにDE10を撮ったらマルチショットノイズリダクションを切り忘れてたんだけど

意外と普通に撮れてた

南渡田運河からデイ・シイ


このプラント櫓は昭和電工かな? ◇追記:拡大してみたら白いタンク的なものにSHOWADENKOって書いてあった


ISO1600で手持ち撮影 京急大師線小島新田駅




 ◇追記:もっと大きな画像

デイ・シイ(南渡田運河) 
これは18メガピクセルフルサイズが載せられたんだけど

以下2枚は12メガピクセルに縮小して載せた
安善町2丁目 
安善町2丁目

20mくらいの所はソコソコ鮮明なんだけど 無限遠は何だかウヤムヤな感じがする

ヘイズでコントラストが落ちているからなのか

本当に被写界深度が狭いのかはよくわからない

多分ヘイズの影響だと思うけどね




注:終点の名前を間違えてた件についての説明

バスがルブリカンツジャパンの敷地で回転してきて待合所の停留所に停車している状態


その道路の反対側の停留所の名前が「安善町2丁目」になっている




ところがどっこい 終点の名前は「安善町」で これは終点ではなかったのだ


なので終点に停まっているバスの写真を拡大してみたら踏切の奥で


これが「安善町」停留所だったのだ

「安善町2丁目」は踏切の手前で 踏切の奥が「安善町」だった

これってもしかしてもしかするとバス停区間としては日本一短いんじゃなかろか


さらにややこしいのは、鶴見駅に戻る側の停留所の名前は「安善町」で

道路の向かい側が「安善町2丁目」というトリッキーな配置

何でこんなややこしい配置になっているのかと考えてみたんだけど

ここの踏切は米軍の補給基地にタキ(タンク貨車)を大量に運び込むため、一度踏切が閉じてしまうとしばらくは通れないため

手前でも降車出来るようバス停を作っておいたのではなかろうか

鶴見駅に向かう経路に「安善町2丁目」というバス停はなくて 次が「安善町中央」 その次は「安善橋」となっていた

という顛末



更に言うと、この27系統は安善町行きにおいても「安善町2丁目」というバス停は公式には存在しないことになっているらしい

幻のバス停

安善町2丁目でバスを待っていたら、多分運転手さんに「道の反対側の停留所でお待ち下さい。」と言われ乗せてもらうことは出来ないと思う

強引に「そこをナントカ」と乗せてもらうことって出来るのかしら

多分運転手さんにチベットスナギツネみたいな目で見られると思う

オラ怖いのでやらないよ

Ende;
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○自転車にまつわるあれこれ。

2018年02月17日 14時49分52秒 | 日記
以前、孫とおぼしき7歳くらいの子供を後ろのイスに乗せたおじいちゃんが電動アシスト自転車で急坂を上がっていたんだけど

何を思ったのか突然立ちこぎを始めた瞬間ウイリーしちゃって後ろに一回転

子供もろとも後頭部を強打したのを目撃したことがある

ジャイロセンサーなり加速度センサーなりでウイリーを検出して回生ブレーキとか利用してウイリーを抑制する機構とか付けといた方が良いんじゃねぇかと思った



それから、前カゴに荷物を載せてたおばちゃんが急ブレーキをかけながら急旋回した瞬間

ジャックナイフになって前に一回転
顔面から地面に叩きつけられたのを目撃したこともある

これはどうやったら回避出来るのかわからんけど、何らかの対策はした方が良いと思う



長ーい下り坂でブレーキをかけっぱなしにしてると指が痛くなっちゃってキビシイことがあるらしい

オイラ的に都内ではそんな経験はないんだけど、山間部ではあるらしいのだ

自動車ではブレーキアシストってのがあるらしいんだけど

自転車でも出来るんじゃないのかなって思ってたらブリジストンとかパナソニックのエネループバイクがそうだった





ちょっと何言っているのかわからない



で、結局3段ギアはどうなのよ?



Ende;
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○さいきんきになっ。

2018年02月14日 23時24分27秒 | 日記
stormglass -デイリーポータルZ



凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

伊藤園が緑茶カテキンを織り込んだ消臭靴下を発売したとか

イソ吉草酸は薬品屋で買えるらしい

イソ吉草酸 -和光純薬工業

パンピーが買えるのかわからんが

そんなに高価なものではないらしい


H227 :可燃性液体
H290 :金属腐食のおそれ
H302 :飲み込むと有害
H311 :皮膚に接触すると有毒
H314 :重篤な皮膚の薬傷・眼の損傷
 -東京化成工業

思った以上にハードル高そうではある



Ende;
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○回避可能性。

2018年02月13日 15時00分04秒 | 意識論関連
そもそも「目的」とは何か

「目的」とは、意識的に選択された行動であり、無意識な先天的行動バイアスの全ては「結果」でしかない

何が無意識なのかを明確にすれば、意識の本質も目的も明確になるのである

先天的行動バイアスの全ては無意識である

なぜなら先天的行動バイアスや習性といったものの全ては、自分では選択していない遺伝的要因だけで決定しているものだからである

どんなに強く「思って」も、それは意識的に目的行動選択した「考え」とは全く異なるものなのである

振り込め詐欺師に騙されるのも、「何とかしなければ」という「思い」の暴走が引き起こすものであって、その強烈な「思い(気分感情の強度)」によってこそ、「この話は本当なのか?」という「考え(意識的な論理検証性)」が働かなくなるのである

ヒトの多くは意識の本質を、感情気分の強度や程度であると勘違いしていて。「自分だけは常に絶対に正常な判断が出来る優秀な存在である。」と勝手に勘違いしておけば満足なので、「ヒトの脳には先天的に欠陥がある。」という事実すら受け入れることを拒絶し、「先天的な行動習性だけで人間性が立証可能かも知れない。」などというオカルトお花畑を真に受け信用してしまうのである

ヒトに限らず、脳を持った生物の先天的行動習性の全てが、常に生存や種の保存にとって有利なわけではないのだが。それに対してジャレド:ダイアモンドは「潜在意識には目的がある。」などと言い出す始末である

一体どうやって「潜在意識には目的がある。」ことを証明すると言うのであろうか?

結果的に生存しているという「結果」さえあれば、その過程でどんなに無駄で不利な行動を採ったとしても、「常に必ず何らかの意識的目的選択が働いているはずだ。」とでも言うのであろうか

結果の全てに常に何らかの意識的「目的」選択が介在するわけではない

殺人に「潜在意識に目的がある。」だろうか? 否、殺人というのは気分感情が行動と直結した動物的野蛮行動ではあっても、そこに目的があるわけではない

意識の上にもない目的が、どうして「潜在意識に目的がある。」と証明出来るのであろうか?

殺人などの暴力行動は、その行動が自然環境下では生存に有利に働いたという「結果」でこそあれ。なんでその「結果」に過ぎない先天的習性が、当人すら預かり知らぬ「潜在意識」には目的が存在すると言えるのであろうか?

それとも、意識の上には存在しない無意識な何者かの意思や目的選択が介在するとでも言うのであろうか?

それはもはや宗教に過ぎない

宗教では、何が起きても「意味がある。」とか「無駄なことはない。」ことにするのだが。そういうことにしておけば、気分的に満足出来るから、「そういうことにしておく。」だけであって、合理的根拠があるわけではない

「生物の存在や行動の全てに意味や合理性が存在しているはずだ。」という、進化絶対万能論という、実証不能の観念に基づいて、「潜在意識には目的がある。」だとか、「先天的行動習性によって人間性が立証可能かも知れない。」などという非科学的「お花畑」が出てきてしまうのである

フランス:ゴルトンによる優生学においても、「進化の果てには必ず正しい結果があるはずだ。」という観念が働いており、ゴルトンはこれを「人種の観念」と呼んだ

ヒトがいくつかの人種に分別出来ることを根拠に、「特定の人種だけが生き残ることを目的とした進化が起きるはずだ。」という、論理的には何の根拠もない観念だけを頼りに優生学を提唱したのである

更に、ニーチェのゾロアスター教の観念である「超人」幻想に便乗することで、ナチスによるユダヤ人虐殺が正当化されてしまったのである

ナチスはユダヤ人だけでなく、障害者も殺害している

ヒトという種の生物は過酷な自然界における淘汰圧力から逃れた時点で、遺伝的進化はほとんど促されることはなくなったのである

多少の配偶者選択的な淘汰圧力は働くとしても、先天的障害や疾患だけで断種対象にされるいわれはないのである

弱肉強食の過酷な自然環境下であれば、ネズミに先天的疾患や障害があれば、否応なく天敵に喰われて淘汰されるであろうが、それらは全て「結果」であって、別に人間社会にまで持ち込む必要は一切ないのである

にも関わらず、生存だけが唯一絶対的「正解」になってしまうのであろうか?

それは、個人が主観的に「死にたくない。」という、先天的バイアスと目的論をごちゃまぜにしているからである

どんなに強く「死にたくない。」と思おうが、願おうが、呪おうが、ヒトの死亡率は100%である以上、生存自体を目的にするというのは意味が全くない

永遠に生きることに一体何の意味があると言うのであろうか?

この話をするとよく出てくるのが、「だって皆死にたくないでしょ。」という多数決の論理である

多数決というものは個人の存在意義にも、科学論理的証明にも全くならず。単なる民主主義の規則や制度でしかない

永遠に生きて、一体何をするつもりなのかしら?

目的もなしに、ただ「死にたくないから。」などという話では、何の合理性も存在しないのである

永遠の命を求めるような奴は、基本的に何も考えたことのないただのバカしかいないのである

死ぬことが「怖い」のも、所詮は先天的な習性が促す行動バイアスに過ぎず、無意識に過ぎない

「怖い」というだけなら、アイヒマン実験(スタンレー:ミルグラム)において権威の命令に背くことも同じである。それでも一人の尊厳ある個人としての意識的行動選択としては、理不尽な権威の命令には逆らわなければならない

東京電力福島第一原発において、上司に逆らって津波に対する危険性を主張することも、上司に逆らうことで失職するリスクもあるさぞかし「怖い」ことであろう

それでも倫理的には、「組織の利益を優先せずに、個人が自律的に社会的責任判断選択をする。」必要がある

倫理とは、人間性の本質とは何か。それは「個人の自律」にある

トロッコ問題で「何人殺すか」などという軽薄な言葉遊びに倫理の本質などない

自分の内部の主観的な感情に過ぎない「恐怖」や「不安」が促す行動バイアスには、人間性や倫理の本質は存在しない

たとえ、それがどんなに「大きくて」も、である

感情気分の程度強度で行動が決定していて、倫理も人間性もすったくれもないのである



「心」とは何か

「気分的に満足していれば、悪いことをしようとしなくなる。」だろう。それならその場限りに気分的な安心や満足さえ追求しておけば、人間性が高まるとでも思っているのが宗教である

宗教というのは、その場限りの気分的安心満足を得るためのものであり。実証不能の神とか仏とか変態ストーカーが年がら年中「あなたを見ている」ような錯覚を用いて、その恐怖心によって行動抑制するためのものである

だから中東由来の一神教では「神がいないのであれば、何をしても許される」などという、子供じみた話になってしまう

社会の持続可能性や安全性を求めるのは、神ではなく人である

神がいようといまいと、「ならぬことは、ならぬ。」のである

それとも何ですか、神がいないのであれば原発が暴走しても許されるんですか?

航空機が住宅に墜落してきても許されるんですか?

要するに「許してもらえない」と怖い相手として神を妄想しているだけであって、怖いかどうかが行動規範になっている時点で、既に自律が全くないわけです

自律のないヒトに「心」なんかないでしょ

だから宗教なんか要らんのです

だからといって、いきなり宗教弾圧を始めようとするのもまた、新手の宗教に過ぎない

すぐに「あれはダメ、これはダメ。」と規制とか懲罰だけで解決をしたがるのが、ヒトという種の生物の悪いクセであり

理詰めで説得するという根気が足りないから宗教弾圧などという暴力的解決法に依存したがる

宗教の良くない部分というのは、自分の信じている宗教以外に属する人を、問答無用で排除差別するという、生物の先天的な社会形成習性を暴走させてしまう部分である

イスラム教でもキリスト教でも、「隣人を大切に」と説かれているにも関わらず、自分達と異なる集団を問答無用で差別することで、仲間内の共有感覚を満足させるために差別をするようになる

子供達を放置すると、自動的にイジメが生ずるのも。先天的な社会形成習性の自然な暴走によるものである

ヒトという種の生物は、他人を統率協調的に排除することで、仲間意識(当然ながら無意識な先天的バイアス)を満足させて安心しようとする習性があり。宗教は構造的にこれを助長してしまうのである

何せ、宗教の動機がそもそも気分的安心満足を目的としているため、これに抗うという発想が全然出てこないからだ

千日回峰行のような難行苦行さえやっときゃ徳が高まると勘違いしている

どんなに個人的に苦しいことをしても、社会持続可能性や安全性に寄与しないのであれば、そんなもん糞の役にも立たない

それは特攻隊や自爆攻撃でも同じことである

本当に平和こそを目的としているのであれば、子供達にどのような社会を遺したら良いのかを理詰めで考えたら、もはや宗派なんぞどうでも良くなるはずである

本当の人間としての「心」とは、どの宗派に属しているかではなく、「個人が自律的に社会的責任判断を行うこと。」こそが重要なのであり。これなくして「心」もへったくれもあったもんじゃない



ヒトである以上必ず死ぬ

だったら今存在している意味って何だろう

自分が存在し続ける意義って何だろう

隣で子供が危害を加えられていて、飯が旨いだろうか

地球の裏側で赤ん坊が黒焦げにされていて、楽しさなんて感じられるだろうか

宮沢賢治ではないが、世の中に苦しんでいる人がいたら、自分も幸福ではいられないのが人間である

自分だけ詐欺で金儲けして満足しているのは、エサを貪るサルと同じである

他のサルが餓えようが、自分の食欲さえ満たしておけば満足なのがサルの脳である

弱者を迫害して自分達にだけ有利になるよう行動するのはサルの論理である

自然界においては、それが生存や種の保存に適した行動なのかも知れないが。そもそも一体何のために生存や種の保存をしなければならないのか

自然界での過酷な生存競争という「結果」を、どうして人間社会にまで持ち込まなければならないのであろうか
な、
それこそが本質的な人間としての「心」に基づいた目的行動選択という「考え」が働いていないから、優生学などというオカルトを鵜呑みにしてしまうのである

いやもうね、ジャレド:ダイアモンドとか松沢哲郎とか、生物学の権威と言われている糞ジジイは片っ端からクビにしないと生物学の腐敗はなくならないよ

優生学に対する論理反証を認めないなんて、もはやA級戦犯としか言いようがないでしょ

別に懲罰を加えるつもりはないよ、ただ、無能な奴が権威に就いているのは社会的に無駄で無責任だって話だからね

まあ、でもジャレド:ダイアモンドの言っている内容を鵜呑みに出来るようなバカじゃないと生物学者にはなれないんだろうから、下手すると何十年もかかるのかもね

オラの知ったこっちゃないけど

その間に回避可能だった危険性が回避出来なくても、オイラの責任じゃないからね







Ende;
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○中華人民共和国産LED。

2018年02月12日 14時53分06秒 | 日記
最近は100均でも単3型乾電池1本で使えるLEDライト売っている

百均浪漫 -他の人のブログ

結構明るくて便利なので自転車のカゴにくくりつけて使ってたらおかしくなった

点いたり消えたりどうにも信頼性がなくなってしまった

ネジ部分を外してみたら電池のプラス側の接点部分の基板が明らかに割れている






裏からみるとバッキリいっちゃってる

この割れた基板を瞬間接着剤的なものでガッチリ固めてしまえば使えるようにはなりそうなんだけど

多分今度はLED側の基板に応力がかかって割れるんじゃないかと思う

LED側基板には昇圧回路のチップ的なものと抵抗的なものがついていた

 ◇追記:抵抗じゃなくてインダクタ(コイル)なのかも

どうも衝撃とか振動には弱いらしいので自転車のライトには使わない方が良いと思う


Ende;
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○写真。

2018年02月11日 22時29分21秒 | 写真
ピクチャースタイルを変えて撮影してみたよ


忠実設定(F)



ニュートラル(N)



風景(L)






忠実設定(F)



ニュートラル(N)


ニュートラルって若干赤みが強いのかな

忠実設定は基本的に「測色的に正確」なんだそうなので、ニュートラルの色が味付けされていることになる

風景だと問答無用で青は青になるので、細かいニュアンスとか無視される

今回夕暮ればっかなので、昼間にも試してみようかな





長辺1920ピクセル (クリックすると拡大)


去年買ったカールの賞味期限が1月18日までだった ちなみにカレーあじ







左岸30キロ地点で事故かな


彩湖自然学習センターの屋上から夕暮れ空とか撮ろうかなと思ったんだが

今年度中は工事中らしい

 彩湖自然学習センター -戸田市情報ポータル



Ende;
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○E-PL9。

2018年02月08日 23時16分20秒 | 日記
オリンパスPEN EPL9


























凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹
EP-L8











Ende;
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○インフルエンザB型。

2018年02月08日 11時12分33秒 | 日記
先週木曜日くらいから86歳になるウチの親父が鼻風邪をひいてしまい

土曜日に近所の診療所に行ったら「風邪ですね、インフルエンザではないようです。」と言われ

風邪薬(消炎剤)とフロモックス(抗菌剤)もらってきた



ところが、その二日後の月曜の夕方容態が急変!

急に「寒い」とか言い出して嘘みたいに震えたかと思ったら、いきなり40℃の高熱

突如立ち上がることも出来なくなって、ベッドに運んだんだけど、寝ることを拒絶したり

「どうしたいの?」と聞いても「わからない」だとか、訳のわからぬことを言い出す始末

オラもどうしたら良いのかわからなくて「#7119」に電話してみたんだけど

何度かけてもお話し中

電話している間も何しでかすかわからない状態なので、もう119に電話して救急車要請しちまった



搬送先の病院で点滴打ってもらって容態は安定、即日帰されて来たんだけど

コカールとタミフル(抗ウイルス剤)を処方されてきた

タミフルが効果絶大みたいで翌日には平熱に戻った



多分土曜日に診療所に行った際に、エレベーターのボタンとかからインフルエンザ(B型)を拾ってきちまったらしくて

丁度二日後に発症していることになる



何せ目の前でゲホゲホやられちまったので、おいらも感染してんじゃなかろかとビクビクしてたんだけど

木曜日になっても特に何も症状が出ないので、多分大丈夫だったらしい

ググってみたら潜伏期間は1~3日とのことなので、今日一日何もなければ月曜日の感染は免れたことになる

あまりに恐すぎて長時間外出するのも躊躇(ためら)われるので運動不足で調子悪いけど



要するに、診療所が入っているビルのエレベーターのボタンにはインフルエンザウイルスがたんまり付着しているらしいので、拾ってこないように注意した方が良いというお話でした

でわまた




Ende;
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○パワーLED。

2018年02月07日 23時54分44秒 | 日記
パワーLEDについての記事がランクインしてたんだけど、ちょっと古い記事の方であんまりオススメできないので

新しい記事の方のリンク載せとくよ

 CLEEのパワーLED

 これとか

 こういうのもあった



Ende;
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○本来。

2018年02月05日 13時48分20秒 | 意識論関連
進化の全てに「説明」がつけられる訳ではない

大脳辺縁系によって促される先天的な行動習性というものは、「その行動をする習性を持った個体が結果的に生存に適していた。」ことによって淘汰された結果に過ぎず。生存や種の保存などの目的のために誰がしかの意図的選択によって遺伝子を都合良く書き換えたわけではなく、遺伝的な進化というものは徹頭徹尾「結果」であって、そこに意識的な選択としての「目的」が介在する余地は1ミリもない。

生物の特徴や性質が、生存や種の保存などに適応してきたのは、適応出来なかった圧倒的大多数の屍の上に成立する偶発的「結果」でしかなく。そこに誰の意識的「目的」意図や選択が介在する余地はない。

「生存」とか「種の保存」などといったものも、これらは生物の「結果」であって、結果以上の意味が存在するわけではない。

ジャレド:ダイアモンドは、生存や種の保存に適さない行動に対しては、「潜在意識の中には行動合理性がある。」などという、何の論理的立証もない実証不能の観念をこじつけており、もはや科学を逸脱したオカルト宗教にしかなっていない。

強姦などの暴力行為は、生存や種の保存にとっては有利に働くが。こうした行動をする個体の意識の中には生存だの種の保存だのといった観念があるわけではなく、先天的行動習性としてむやみやたらと交尾がしたいだけであって、繁殖に適さない幼い個体との交尾を行った後に殺害して証拠隠滅を謀るといった行動も見られ。こうした行動には何の合理的説明も不可能であり、ジャレド:ダイアモンドの発想に従えば、「強姦殺人を行うヒトの行動であっても、潜在意識の中には種の保存を目的とした行動である。」ということになってしまうのである。

こんなバカみたいな話を有り難がっているバカが多過ぎて話にならない

何ですか、「潜在意識」って

潜在意識のせいにしとけば、もはや何だって本能習性が促す行動の全てが説明出来ているとでも思っているんでしょうか?

テロリズムやホロコーストであっても、潜在意識の中には意味があるとでも言うんでしょうか?

科学的には反証可能な民族主義者達の主張であっても、「民族浄化には潜在的意識の中には行動合理性が存在している。」とでも言うんでしょうか?

これらは、「説明のための説明。」に過ぎず、目的が科学的検証から逸脱して、単に「納得して気分的に満足感を得ること。」が目的になってしまっている

ヒトという種の生物は、気分的な安心や満足感を得ることで、思考を簡単に停止させてバカになる習性があります。そのため、気分的な「納得」さえ得られてしまえば、理論的根拠もない実証不能の観念であっても簡単に信じ込んで疑わなくなる原因となる

マイケル:サンデルの講義のように、悩ましい答のない問題を提示されて、倫理の本質を含まない問題であることにも気付かずに、気分的葛藤をしたり、悩んだりすることによって、あたかも自分の頭が良くなった、頭を使ったかのような錯覚に陥り、問題の本質を見失い、盲目的に誰かを信奉するようになる

そもそも、理科離れが叫ばれている昨今において。なぜ哲学や生物学だけが人気があるのでしょうか?

それは現在の哲学や進化生物学が、科学的検証から逸脱した観念論で終わってしまっているためであって。結局大衆迎合の域を脱していないからである

ヒトという種の生物でありさえすれば、潜在意識的に常に正しい行動が促されるように出来ている優秀な生物であるとでも思っておけば、バカな文科系大衆やマスコミは喜んで「素晴らしい」などという形容詞をつけて満足する

先天的習性というものは、あくまで環境依存的な「結果」でしかなく。特定環境下だけの行動を抽出して、先天的習性から人間としての社会性を立証可能だと言い張るのは、人間個人の自律的判断力を無視した、先天的本能習性万能論にしかなっていない

先天的本能習性というのは、徹頭徹尾「結果」である

従って、環境が異なれば簡単に意味のない行動に陥ることは珍しくなく。自然界においてもほんの僅かな環境変化に適応出来ずに大量繁殖などにより環境破壊に至る場合が非常に多く、自然というものは非常に脆いバランスの上に成り立っているのである

本当に進化の全てに意味があるというのであれば、あらゆる環境変化にも対応出来るはずであり、天敵がいなくなったら自動的に繁殖能力が下がるメカニズムが組み込まれていなければならないのだが。実際には繁殖力が先天的に強い生物は天敵がいなくなれば環境を喰い尽くすまで繁殖して環境ごと絶滅するのである

現在の生物の性質の全てが、絶対的に常に完璧で完全な最適化が終了しているわけでもなく。あくまで現状環境下においての暫定的な適応でしかない

現在の環境下において意味がない性質があったとしても、それが環境変化の際に生存や種の保存に役立つこともあるわけで、現在の環境下において説明のつかない性質があったとしても、それは別におかしなことでも何でもないのである

オカピというのはキリンと同じ祖先を持っていると言われ、首が長くても頭を下げた時に脳溢血にならないメカニズムを持っているという

オカピの首の長さであれば、別にこうしたメカニズムは必要ないのだが。首が長くなる以前からこうしたメカニズムが偶然備わっていたことによって、キリンは首が長くなる変異が起きても死ななかっただけである

こうした話に対して、生物学者達は、「遺伝子が予め予想して都合の良い変異をしていた。」などというオカルト全開の「説明」をしたがるのだが。一体誰が、どのようにして遺伝子を都合良く目的などのために変異させたと言うのであろうか?

ヒトであっても、その行動や思考が常に合理性に基づいた選択をしているわけでもないのに。何で単なる分子配列に意図的「目的」選択が可能だと言えるのであろうか?

こうした生物学のオカルト性というものは、「進化の全てには意味があるはずだ。」という実証不能の観念に基づいたこじつけが常態常識化しており。それに何の疑問も持たないバカだけが生物学者になっているためである

物理系の学者達の多くは、「生物学は訳がわからない。」と言うのだが。そもそも根本的な部分でとんでもない大間違いをしているからこそ、訳がわからないのであり。理論的には理解することが不可能な観念論の集合でしかないのである

「なぜ、そのような進化をしたのか。その進化にどのような説明が可能なのか。」を問うても無駄である。なぜなら進化の全ては常に「結果」以上の意味を持たないからである



ヒトはある程度バカな方が生存に適している

オカルト宗教であろうと、より多数派で権力を持った集団に迎合していた方が生存には有利だからである

子供によるイジメにおいても、圧倒的多数による傍観放置があるからこそ、暴力や差別が常態化してしまうのであって。こうした集団組織に対する迎合性や統率協調性という。生物学上の「社会性(社会形成習性)」が促す行動バイアスによって、ヒトは自動的、本能的にイジメが発生するようになっているのである

イジメや差別、暴力などが先天的に組み込まれている以上。ヒトの先天的な本能習性に人間性が組み込まれていることは立証不可能である

バカであれば、特定環境下における行動だけを抽出して先天的な本能習性から人間性が立証可能だと「思って」しまうのであろうが、これは論理的検証の出来ないバカだからとしか言いようがない



ヒトの大半は凡人でバカである

人類の文明というものは、ごく限られた人達の発見や発明によって成立したものであって。ヒトの全てが知的生命体というわけではないのである

地動説を唱えたガリレオ:ガリレイが、その当時の権力によって火炙りを宣告されたのも、大半のヒトがバカで論理的理解能力が欠如していた証拠である

遺伝子の研究で今では有名なメンデルも、生前は研究が認められることはなく、没後数十年経ってから再発見されることになったのである。そもそもメンデルの研究内容が理解できなかった時点で、遺伝子という概念自体がヒトの脳の意識にも存在していなかったことの証明であり。「遺伝子を残すため。」などという概念は、理論的証明によって初めて説明可能になったものであって。それ以前は意識の上はおろか、潜在意識の中にも存在していなかった概念なのである

だいたいネズミが交尾するのに、いちいち「種の保存のため」だとか考えているわけがない

メスを見てペニスを突っ込んでみたいから突っ込んでいるだけであって、その結果として繁殖につながったことが生存につながったとしても、それらは全て「結果」以上の意味はない

「メスを見ても興奮してペニスを突っ込もうとしない個体の遺伝子は残らない。」ただ、それだけの「結果」に過ぎないのに、どうして行動合理性を後からこじつける必要性があるのか?

ヒトの脳が肥大した理由の一つの「説明」として、「見た目がより幼い個体に性的興奮をすることによって、結果的に幼形成熟性が生じ、頭と共に脳も肥大した。」というのがある

初潮も迎えていない幼い女児に、性的興奮をしてしまうのは何故かと言えば。「祖先が外見上幼い個体を好んだために、幼い個体種への変異が促され、その結果外見上幼い個体に性的興奮をしてしまう種になった。」という「説明」が可能である

ところが、この「外見上幼い」という点がくせ者で、実年齢に関わらずに本当に幼い女児であっても性的興奮をしてしまうことが、ヒトという種の生物にはよくある

幼形成熟が促されるためには、成熟した女性でありながら外見上幼いことが求められるのだが。何せ先天的本能習性というのは、ただの「結果」でしかないので、実年齢に関係なく外見上幼なければ本当に幼ない女児でも構わないのである



性的な興奮を促されることを、「好き」と形容することがあるが。この漠然とした形容詞は、単なる脳内麻薬に起因する快楽を述べているに過ぎないからであり。繁殖行動として配偶相手を「好き」なのと、哺乳類の先天的習性として幼い子に対してかわいいので守ってあげたいという「好き」という感情がゴッチャになっているというのもある

哺乳類は子供を見るとかわいいという感情が生ずる習性があり、それが結果的に子育てという行動をも促すのだが。こうした感情というものは方向性がなく、イヌだろうがネコだろうが、しまいにゃ「ワニの子を振って泣き声がかわいい。」だとか言い出す始末である

おいらは虫が苦手な方であるが、3ミリ程の黄色い半透明のシャクトリ虫の子供が指の上で歩いているのを見てかわいいと感じたこともある

つまり、感情というものは合理的な意味や「説明」がなくても構わないものであって。進化的に全く説明のつかない行動を促したとしても何の問題もないものなのである

従って、幼い女児を見て性的に興奮してしまったとしても、その本能習性が促す行動バイアスや感情自体には意味がなく。勝手に「自分はロリコンで、先天的に人間として出来損ないだ。」などと思い込んで落ち込む必要性もなければ、「ヒトという種の生物は、より幼い個体を求めることを目的としている。」などというバカみたいなこじつけも必要ないのである

時折バカが「先天的な本能習性には抗うことが出来ない。」などと、自律的判断力を放棄するためのしょうもない言い逃れをしたがる奴がいるのだが。こういうバカが出てきてしまうのは生物学の進化理論自体が根底から間違っていることに起因しているのである

徹頭徹尾「結果」でしかない先天的本能習性に、どうして従わなければならないのであろうか?

それは一体誰の「目的」を満たすためのものなのか、考えたこともないのであろう

実際には「本能習性に抗えない。」のではなく、主観的に「本能習性に抗いたくない。」という欲望を正当化するための屁理屈こじつけに過ぎず。生物学が「本能習性には目的も意味も説明も出来なかった。」ことを認めれば、こういうバカも出て来なくなるのである

ニーチェの言う「超人」などというのも、自分の行動習性を事後正当化するための言い逃れに使えるために人気があるだけであって。ヒトの進化(変異)に目的もすったくれも最初から存在していないのである

「進化という変異に目的が存在するはずだ。」という生物学者達の妄想に基づいて、フランシス:ゴルトンの優生学理論は正当化され続けてしまった。これとニーチェの超人幻想が結び付くことによって、600万人ものホロコーストが引き起こされたのである

ナチス政権下においては断種政策も盛んに行われており、これもまた「進化」という結果を目的と履き違えた観念が原因である



ジャレド:ダイアモンドも含めて生物学者達というのは、本当は根本的に間違っていて論理的に何の答も出せない問題を提供し、学生達は何かを考え自分の頭が良くなったかのような錯覚に陥り、ジャレド:ダイアモンドの講義を主観的に「好き」になることで人気を得ているが。何で論理検証の出来ないバカ学生の主観的好き嫌いの多数決が科学的に正しいと言えるのであろうか?

マイケル:サンデルの講義でも養老孟司の講義でも同様だが、悩ましい問題を提供されて自分の頭が良くなったような錯覚に陥るからこそ、自分では「教祖」の言っていることの何が間違っているのかに気付かなくなるのである

洗脳状態のヒトというのは、決して自分が洗脳状態に陥っているとはつゆとも「思って。」いない

その強い「思い」込みこそが、自律的な論理検証性を阻害し、バカに陥るのである

この「思い」というのは、先天的な思考バイアスであり、本能習性が促す感情であり、これこそが無意識の源なのである

無意識が何なのかを識別できずに、意識の本質を認識できるわけがない

本論は、読者が自分自身の頭の悪さを認識することを目的としているため。サンデルやダイアモンドや養老のように気分が良くなったり、頭が良くなったような錯覚に陥って満足することが出来ない

科学や哲学というものは、本来そういうものなのである

自分の愚かさを知らずに頭が悪くなることあっても、頭が良くなることなどない




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○実証不能の観念。

2018年02月05日 01時20分20秒 | 意識論関連
 ヒトという種の生物の先天的な繁殖行動バイアスというものが、「遺伝子を遺すため。」などというのは、結果でこそあれ目的ではない。

 先天的な繁殖行動バイアスというものは、繁殖能力を持たない相手であっても性的興奮をすることもあるので、「先天的行動バイアスが促す行動の全てに意味があるはずだ。」という観念(先入観)に基づいて、先天的行動バイアスの事後正当化のためのこじつけ説明が生物学者達は多すぎる。

 ジャレド:ダイアモンドは「繁殖に適さない行動であっても、潜在意識には目的がある。」などと述べているが、これは先天的行動習性に目的があるとこじつけて納得しているだけである

 「納得している。」からといって、これが論理的や科学的説明になっているわけではなく。それは単なる気分的満足感に過ぎない。

 生物学者達というのは進化という「結果」に対して『絶対的意味としての「目的」が存在するはずだ。』という妄想観念に囚われることによって、科学的論理を逸脱しているのである。

 進化の全ては「結果」である。従って進化には「目的」など存在していないのであって、生物学者達による科学理論を逸脱したこじつけ自体が根本的に大間違いなのである。

 生物史における大規模絶滅や、そもそも強力なまでの淘汰圧力による「生存に適さなかったあらゆる生物種の絶滅」というものは、変異のほとんどが無意味だった事を意味するものであり。進化というものが目的のために常に都合良く発生するわけでも、誰がしかの目的意図によって起きるわけでもないのである。

 これ以上優生学に対する論理反証を無視するというのであれば、これは人間社会全体に対する反逆とも言える蛮行であり、生物学者達はA級戦犯と言っても過言ではない。



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○改善。

2018年02月02日 13時17分59秒 | 日記
先日、またドラム型洗濯機に子供が閉じ込められて死亡する事故が発生した

いや、もはやチャイルドロックは人が離れたらすぐに自動でかかる方式を義務付けした方が良いんじゃなかろか

そりゃ面倒臭いのは確かなんだろうけど、子供の命とは引き換えにならんもの



それからアクセルとブレーキの踏み間違い事故も繰り返されている

もういい加減アクセルとブレーキが隣り合わせで設置されている構造自体を禁止にすべきなんじゃないのかね

足が不自由な障害者用にレバーを手前に引くとアクセルで、奥に押し込むとブレーキになる方式があるけど

これって健常者でも安全性が高いんじゃなかろか

足元にはアクセルペダルをつけてはいけないという法制化をした方が正解なんじゃないのかね

オイラだって踏み間違いがない保証なんてないから、もう足元にアクセルペダルのついている車には乗りたくないよ



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