冷房ヘルメットの話が 夏になる度にランクインするんだが
どっか作らんのか
絶対需要はあるぞ
絶対だぞ
郵便配達のお兄さん達なんか 喉から手が出る程欲しいだろ
単純にアイスノンが内側に装着できるようになっているだけでも良いから
どっか作れよ
作らない理由がわからない
Ende;
冷房ヘルメットの話が 夏になる度にランクインするんだが
どっか作らんのか
絶対需要はあるぞ
絶対だぞ
郵便配達のお兄さん達なんか 喉から手が出る程欲しいだろ
単純にアイスノンが内側に装着できるようになっているだけでも良いから
どっか作れよ
作らない理由がわからない
Ende;
ウイルスの弱毒化というのは あくまで自然環境下において弱毒株が発生し それ以外の強毒株が全て宿主ごと死滅しないと生じない
人間社会においては医療どころか文明ごと崩壊するほどの大量死滅が起きないと弱毒共存への進化など促されることはないし
アナウサギは草食獣だから繁殖力が半端ないので致死率50%でも共存可能だが
ヒトの場合はそういうわけにはいかず 致死率50%変異ではヒトの方が絶滅する
そもそも そこまでの「進化」が起きている段階で医療も文明も崩壊してんだから 手の施しようもないぞ
このままダラダラと感染を続けてしまうと 変異を促進することになってしまい 多剤耐性菌の発生メカニズムと同じプロセスによって ワクチンも治療薬も効かない絶滅株(どちらかが絶滅するまで収束しない株種)の発生を許してしまう可能性もゼロではない
そうなったら厄介だぞ
都市封鎖どころの騒ぎじゃないぞ
未だに「ウイルスは弱毒化する」などと言っているバカが後を絶たず
日医大の客員教授までもがこうしたデマを撒き散らしているというのは悪質極まりない
尾身茂会長からも「弱毒化はデマです そういうメカニズムは人間社会では生じません」って言ってくんないかな
俺が言ってもマスコミは耳貸さねぇんだよ
論理的思考判断のできないバカばっかだからよ
面倒臭ぇ
Ende;
5月に特例承認されたアストラゼネカ製のワクチンは
ごくまれに見られる血栓症の副反応のために国内での使用は見送られているという
40代以上では発症報告がないことから この年代以上での使用が検討されているそうな
当面アストラゼネカは若年層には使われないのね
20代での感染例が多いことから 若年層へのワクチン接種を進めたいんだろうけど 何がデマなのか事実なのか リスクの割合とか そういった正確な情報を出さずにただ「打ってくれ」では誰も納得しないと思うぞ
「マイクロチップを埋め込まれる」なんつう荒唐無稽なデマであっても 0.35ミリの注射針を通るマイクロチップなんぞ現在はパッケージ不可能なファンタジーだと ちゃんと説明してやんないと
そもそもマイクロチップって半導体チップなどの非磁性材料だけでしか作られないので磁石でくっつく訳がない
もし仮にマイクロチップを埋め込まれたとしても GPSが内蔵できるわけもなく そもそもマイクロチップって外から一定強度の電波信号を与えないと動かないものなので 「常に監視される」なんてのは安っぽいアメリカ映画の見すぎだと
ちゃんと説明したれ
Ende;
小林製薬の「熱中対策 服の上から極寒スプレー」のテレビCMで
「バーベキューにも」って使用例を紹介していたのだが
成分は LPG、エタノール、l-メントール、消臭剤
と可燃性ガスや可燃性液体を多く含むので
火気の近くで使用すると極寒のはずが引火して灼熱大火傷になるので充分注意してそ
車内で使用して大火傷した事例もある
◇
全国の感染確認者数が1万人を超え 東京は3865人
ちょっと油断すると指数関数的に増加するな
9月までには国民全員が打てるワクチンが準備できるらしいので
収束はそんなに遠くないはずなんだが…
クラスター発生が最も多いのは企業の職場や社員寮で
次いで教育機関
飲食店での発生は3位だそうな
まあ 職場や学校は不要不急じゃないからな
◇
そういやテレビでちょい見したんだが
食パンのポリ袋はPP(ポリプロピレン)製なので臭いを封じ込める能力が高いんだそうな
ポリ部って一般的にはPE(ポリエチレン)が多く 臭いや湿気が透過しやすいんだとか
Ende;
私は 一流を超越した超一流の人間であるため
他人を一流二流三流とランク付けすることができます
論理客観的根拠なんぞ要りません 何せ私は超一流の人間なので 私自身にすら「絶対に知覚認識不可能な実証不能の謎の叡智」によって 私が思うことや感じることは全て正しいことが イマヌエル:カントの「純粋理性批判」によって保証されているからです
何せ私は弁護士国家資格を持っている学力偏差値の大変お高い人間ですので そこらにいる偏差値のお低いおバカな大衆よりも知能が優れており あらゆる他人を何流なのかを判定することができるのです
私は叡智界に属する優秀な存在であるため 動物的な行動しかできない現象界の人間共とは格が違うのです
「知識のエコシステム」を自然環境における生態系のピラミッドになぞらえれば 知識の「量」が優れた優秀な人間こそが 人間界における封建的ピラミッドの頂点に君臨することが許されているのです
生態系のピラミッドというのは 頂点に君臨する個体種のために存在するのであって 生態系を構成している底辺の無能なバカな大衆は 私の存在を支えるためだけに存在する「エサ」でしかないのです
「エサ」に過ぎない底辺のバカな大衆は 私を批判しては絶対にいけません
ですから 私を批判をする者は二流以下なのです
学力の低いバカは 学力の高い私の言っている内容を検証することは無駄です
なぜなら 世間的肩書こそが この世間においては絶対的な価値であり 肩書も何もないバカが何を言っても嫌われて排除されるだけであって 生存にとって不利になるバカげた言動としてしか扱われないからです
福沢諭吉が言うように 人には身分というものがあります
身分とはランクということです
福沢諭吉が学問をススメるのは ランクの高い人間になって ランクの低いバカとは違う贅沢で豊かな生活を送ることができるようになるためであって
決して自由や平等や公平性や 社会の安全性や持続可能性のために学問があるわけではないのです
福沢諭吉は学問のススメにおいて 冒頭で「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と申しておりますが
これは喩え話であって 「そうは言っても人間には身分というものがある」というのが福沢諭吉の真意なのです
上級国民になれば 平民の女房子供を自動車運転過失で轢き殺しても 逮捕勾留されることはありませんが
平民は過失によって自分の子供を死なせてしまうと逮捕勾留されてしまいます
どちらも逃亡の怖れもなけば 他人への被害が懸念されるわけでもないのに 逮捕勾留される差別を受けることになっているのです
身分ランクの高い人間というのは このように国家権力から特別扱いしてもらうことができるので 福沢諭吉は学問をススメているのです
学問はコスパが良いんですよ
得なんです
生存にとって有利なんです
知識の「量」を増やして世間的評価を得ることは 利己的にお得なんです
身分肩書が高ければ 何ら科学的根拠などなくても「ウイルスは全て弱毒化する」などという非科学的嘘やデマを流布しても 大衆やマスコミの大半はバカなので検証することも指摘することもできません
東京大学名誉教授という肩書があって 著作が大量に売れて金が儲かりさえすれば あたかも「正しいことしか言わない優れた人物」として扱われ 「客観的事実などない」などという科学を根底から否定する発言をしていても誰も反論することはしませんし しても誰も耳を貸すことはないのです
権威肩書に基づいた金儲けや大衆人気といった 生存にとって有利な行動こそが 人間としての優秀さの判断基準であり 嘘やデマであっても大多数の大衆やマスコミが認識できなければ 嘘やデマとして扱われることもないのです
マルクス:ガブリエルはこう述べました 「世界は存在しない」と
こうも述べました 「時間は無限に分割すればなくなる」とも
如何なる原発事故も交通事故も どうせ人間は全て死ぬんですから 誰が死のうと大した違いはありません
養老孟司はこう述べました 「9.11のテロであっても 長い歴史の中ではさざ波」だと
一流だと世間から認められてさえいれば どんなに不適切なことを述べても誰も指摘することはないのです
人生にとっての一大事とは 自分の生き死にだけであって 他人がどうなろうが知ったことではありません
だって 皆さんそうでしょう
大多数の人がそうなら それこそが「正しい」こと 「正常な状態」なんですよ
これを決して疑ってはいけません
そんなことをするのは少数派ですから 差別排除の対象にしかならず 損をするだけですからね
損をするのが「バカ」なんですよ
Ende;
ヒトには認識することのできない実証不能の謎の能力(叡智)が存在していて
進化的にヒトを超越した「超ヒト(ゾロアスター教)」みたいなものへと進化するようにできているので
本能習性のまま 気分感情のおもむくままに行動してさえおけば自動的に正しい方向へと導かれるのである
だから
気分が悪くなるような話には耳を貸さなければ良い
気分が良くなる話こそが「正しい話」であり 気分が悪くなる話は「間違った話」だと
そう「思って」おけば安心で満足できるのである
ヒトの全てはヒトを超越した何者かへの進化が約束された存在であり
ヒトを超越した何者かへと進化するための行動バイアスや習性が先天的に組み込まれているのであって
主観的に嫌いな少数異端を排除迫害し 多数派で平均的な者だけに淘汰しておくことによって ヒトを超越した何者かへの進化が促進される
民族浄化バイアスというものは 進化生物学の神によって約束された進化の賜物である
より強い統率協調性によって団結力を発揮することのできる民族だけが生き残り
より優秀なヒトへと進化が促されるのである
より強大な権力を持った統率者に服従することによって生存は約束され
より協調性や同調服従性が高く封建的統率力を獲得した優秀なヒトへの進化が促されるのである
より優秀なヒトは 個人の生存よりも組織集団のために命懸けで行動することができるため 集団組織の大多数は安心して生活することができるようになり 優秀な種は永久に保存され続けるのである
それこそが ヒトという種の生物の「目的」であり また 遺伝的進化のアルゴリズムに則った「結果」でもある
遺伝的進化による「結果」に逆らうことはできない
なぜなら 遺伝的進化は完全無欠の完璧な「エコシステム」だからである
従って ヒトがイジメや迫害をすることは それによって進化が促される「正しい」行動であり
より強い淘汰圧力は遺伝的進化にとって必要不可欠な先天的習性なのである
遺伝的進化生物学の神に逆らうことは 淘汰圧力の餌食になるだけの無駄なことであり
人類は将来を担う「超人」への進化のために 競い合いや殺し合いを止めてはならない
遺伝的進化が促されなければ 人類は絶対に絶滅する
より優秀な遺伝子を残すために
争いや迫害は必要なのである
Ende;
「批判をするのは二流だ」とか言っているバカ弁護士がおったが
「批判をするのは二流だ」というレッテル貼り自体は「批判じゃねぇ」とか思ってんのかね
そもそも「〇〇は一流 □□は二流」などというランク付け自体には論理客観的な根拠は伴わず 身勝手な主観的観念で他人を批判しているだけであり
もはや三流以下のデクノボウでしかあるまい
大衆の多くは「お育ちが良い人はこうする」的な話を鵜呑みにするらしいが
「お育ちが良い人」の行動や思考が常に正解であることの論理客観的証拠や統計的根拠はない
お育ちが良い人程学力成績が高い傾向があるが 通り魔やテロリストというのは高い確率で学力成績が高い傾向がある以上 「お育ち」が人間性や倫理に供するとは言えないのである
大衆というのは客観的根拠に基づいた話よりも 肩書や地位といった「権威」さえあれば 論理客観的根拠のない身勝手な決めつけであっても安心して信用し 何の疑いも批判精神も持つことはない
平たく言えば「バカ」なんだな
Ende;
時折若い女子が 男の言うままに自分の全裸写真を送ってしまうという バカみたいな事例があるそうなんだが
感情的に懇願されたりすると理性が働かなくなってバカげた行動を採ってしまうことになる
らしい
見知らぬ男の車に乗ってしまった事例 -grapee
感情的に強く言われたり 長い時間頼まれ続けたりすると 最初は「いや ダメだろ」と理性が働いていても ひつこく迫られたり 強く求められたりしていると 「そんなに言うなら…」と理性が折れてしまうことがある
らしい
人を騙そうとする奴というのは 利己的欲望だけが「目的」になっている機械みたいなものなので 相手を騙すためならどんなに恥ずかしい言動でも平気でしてくることがある
相手が感情を露わに恥ずかしい言動を繰り返していると 自分の方だけが理性的に判断していることが悪いことであるかのような錯覚を持ってしまう
らしい
いや 私は衝動殺人型のアスペルガー(*注)なので 先天的にあまり相手の感情に左右されずらいので よくわからないのだが
人を騙そうとする奴というのは 言っている内容が巧妙なのではなく 糞しょうもない嘘であっても 真剣な表情や言い方さえしておけば多くの人は簡単に嘘を信じてしまう
らしい
嘘かどうかを外見で判断してしまう
らしい
「他人は見た目が9割」という話もあるが ヒトは見た目とか雰囲気だけで相手を判断しがちであるため 振り込め詐欺師は見た目のわからない電話だけで信じ込ませようとするのである
嘘つきというのは 嘘を真実っぽく偽装する技術に長けているのであって 詐欺師の言っている内容というのは実はそんなに巧妙な内容ではない
マトモな人なら 目先の欲望のためだけにみっともない懇願なんぞしないものである
そのため 身勝手な欲望を満たすためだけに異常執着して「泣き落とし」や「恫喝」してくることに対して 「普通の人」は慣れていないため 「そんなに言うなら本当なのかな?」と嘘を信じてしまうのである
らしい
多分 自分自身が感情的に何かを相手に懇願することがあるのではないか
私は特定個人の相手に感情的になって何かを懇願することがないので
よくわからない
小さな子供が おもちゃ屋の前で感情的になって暴れ「買って買って」攻撃をしていることが時折ある
私はそういう経験が一切なく 「小さい時はおとなしい子で 育てやすかった」と母親に言われたことがある
大人になったら理性が頑固さになって扱いづらくなったようだが
大脳辺縁系の活動が活発な連続殺人型のヒトの場合 感情が優先して論理客観的に物事を検証することが苦手らしく 自分がヒステリックに何かを相手に懇願している時というのは それだけが目的になっているモンスター(機械)のようになっているのではないか
後から冷静になって考えてみれば そんなに感情的になるほどのことでもなかったと思えることは よくあるのではないか
ないのかな
よくわからないや
とにかく 必死になっている状態というのは よっぽど切羽詰まった状態でなければ必死にはならないと
そう「思って」いるため 詐欺師が必死になって何かを懇願してくると 「よっぽど困っているんだろう」と同情して嘘を信じてしまう
らしい
結局 嘘っていうのは 感情によって信憑性を偽装できるから騙せるのであって
洗脳されているヒトも「気分が良くなる」からこそ洗脳を洗脳だと認識できなくなる
必死になって何かを懇願している相手に対し むげに断ることを「悪いこと」であるかのように錯覚しがちで
主観的に「かわいそう」でありさえすれば「なんとかしてあげられないものか」と同情(同調・共感)する習性を利用することによって 詐欺師は他人を騙すのである
権威に逆らうことに対する罪悪感も同じで 権威肩書のある相手には多くのヒトは逆らわずに 原発の危険性を放置したり 粉飾決算や検査偽装に加担したりすることで 高学歴なエリートしか雇っていないはずの大企業でも不祥事が頻繁に起きるのである
「生存戦略」だの「叡智界」だの「イデア界」だの「トロッコ問題」などといった嘘であっても 学術権威という肩書権威さえあれば多くのヒトは簡単に鵜呑みにするようにもなる
大事故で たくさんの人が亡くなった中で奇跡的に一命をとりとめた人が 「自分だけが助かった」ことに対して罪悪感を「感じて」しまう「サバイバーズギルト」という現象がある
これもまた錯覚で 論理客観的には何ひとつ「悪いこと」なんぞしていないにもかかわらず 感覚的に意味のない罪悪感を「感じて」しまうのである
主観的な「感覚」というものは 時に錯覚によって事実を誤って認識することがある
冷静になって考えれば 「裸の写真を送ってくれ」などという話には誰も乗らないはずなのだが 必死になって懇願されたり恫喝されたりすると 一般的なヒトの多くは簡単に嘘を見抜けなくなる
らしい
なので
どうか お願いだから自分の全裸写真なんぞ誰かに送ったりしないで欲しい
マジで
泣いてお願いするから
嘘だけど
#なんそれ
何かを必死になって懇願された場合には 録画するなり内容をメモるなり記録に残しておいたら良いんじゃないかと
思ってみたりする
らしい
注*:「私は衝動殺人型」などと言うと まるで人殺したことでもあるのではないかと思わせてしまうかも知れないが
そうではない
アメリカの犯罪心理学研究で 殺人犯の脳を調べたところ 連続殺人型と衝動殺人型に分類することができて こうした分類は殺人犯に限らず一般人でも分類可能なもので わかりやすい喩えとして 連続殺人型の典型が高嶋ちさ子で 「ボーッとするって何? どうすればボーッとできるの!」と簡単にキレるタイプになる
落ち着いて物事を深く考えることが苦手で 目先の短絡的「答え」にすぐに飛びつき 判断速度が速いことが「頭が良い」ことだと信じて疑わないタイプである
「時は金なり」とばかりに 利己的利益追求こそが「頭が良い」ことだという帰結を信じ込み アダム:スミスの「見えざる神の手」などという根拠の乏しい神話を鵜呑みにして満足するタイプである
連続殺人が可能なのは 外見的には一般人を装う能力には長けているので 挨拶はキチンとするし 見た目も「普通の人」っぽく装うことができるため 何人殺していても誰にも疑われないため 連続殺人が可能なのである
一方衝動殺人型というのは 普段はボーッとしていて滅多に怒ることもないのだが 一旦感情に火がつくと歯止めが効かず 後先考えずに犯行に及ぶタイプであるため 証拠隠滅などの工作を一切しないので連続殺人にはならない
なので 嘘とかつくのが苦手で 嘘なんてのはついた嘘をずーっと覚えておいて 言う内容の整合性を繕い続けなければならない面倒臭いものだと思っているので 嘘には合理性がないと思っている
少なくとも私はね
ついでにアスペルガーでもあるので 相手の感情にはあまり左右されづらく 相手がどんなに怒り狂っていても内容が理不尽なら聞き入れないし 権威相手でも「空気を読まず」に批判するため 大衆人気は得づらい
らしい
空気を読んで大衆観念に迎合し同調し 根拠のない「常識」的なことだけ言っている方が 大多数のヒトからは人気を得やすい
らしい
真実を捻じ曲げて嘘をついてまでバカな大衆からの人気を得ようとは思わないので
これからも学術権威や司法制度の欠陥については論じてゆく所存である
どうせみんな最後は死ぬんだよ
バカの嘘に迎合して生きるよりも 真実を追求して死ぬことの方が尊いと思っている
多くの大衆は そうは「思わない」らしいが
Ende;
お育ちの良し悪しだけでしか他人を評価できない時点で 人間として出来損ないだけどな
そもそも育ちなんてのは本人が選択不可能な部分であって そんなことで順位序列をでっちあげようとしている時点で 脳がサル程度の知能しか発揮されておらず 多様性を認めない心の狭い態度だよ
Ende;
自宅の駐車場に停めた車の中で1歳児が熱中症で亡くなった事故で
母親が逮捕されたとのことなんだが
それ 本当に逮捕する意味あんのか?
「上級国民」は逮捕勾留されなかったのに そうでない一般人は問答無用で逮捕かい
司法役人ってのは国家権力を用いて刑罰の恐怖で国民の行動を抑圧することしか頭にないのかね
意図的ではない事故なんだったら原因究明を最優先して 再発防止を徹底してから刑罰云々の話にすんのが失敗学の思想であって
再発防止を優先しない時点で司法ってのは社会的な役割を放棄しているってことでもある
無責任だろ
たとえ意図的な犯罪だとしても 何で犯罪者が自律的な社会的責任判断をしないのか その原因究明と再発防止は必要で 刑罰よりも優先される必要がある
判事の勝手な観念妄想で刑期を決めても 出所後に再犯した際に判事に責任が一切ないというのは 裁判制度自体が社会安全性にとって重大な欠陥制度だろ
大衆愚民は「刑法判決で解決だ」と思い込んでいて まるで唯一絶対的な最適解だとでも「思って」るんだろうけど 合理的根拠なんぞ何もないぞ
ヒトという種の生物は 生まれてからずっと存在している慣習に対して 根拠のない安心感を抱きがちな習性があり しかも先天的に「罰さえ与えりゃ解決だ!」という民族浄化バイアスによる特定個人の排除に快楽を感じる習性もあるため 「犯罪者は罰さえ与えておきゃ良いんだ」という短絡的でバカ丸出しの判断以外をしなくなる
制度とか法律というのは 形式的な手続きであって 個々の事例における丁寧な対処をしなくなり 手続きだけに剛直化する性質がある
「これさえやっときゃ 全ては解決」という短絡的手続きだけが役所の「仕事」になっちゃう
だから 警察は交通違反者から点数を稼ぐことしかしないし 自転車が盗まれるまで放置自転車は放置し続けておこうとする
こうなると 警察にとっては適度に簡単に処理できる犯罪が蔓延しておいた方が得になることになる
ハインリッヒの法則に基づいて考えれば こうした「小さな事象」の蔓延は むしろ重大事象の温床にしかならないのだが 機械的手続きに過ぎぬ法律や制度にばかり固執しているから 事象の根源的原因究明や再発防止が全く進まなくなる
何でもかんでも司法警察だけに任せてしまうのではなくて せめて「事故」だけでも危険学や失敗学のメソッドに基づいた再発防止を優先すべき
司法というのものは国家権力のアピールを目的にするためのものではなく 社会安全性を「目的」としたきめ細かな対応というものが必要であり そうなると司法警察だけでは糞の役にも絶たないことは明らかである
一体いつまで「罰で解決」などという野獣みたいな短絡的対処だけを続けるつもりなのかしら
政府も国民もバカ過ぎて話にならない
自分達の頭の悪さを一切自覚せず 主観的に気分がよくなる嘘だけで世の中が良くなるものだと勘違いしているのは 「自分だけは絶対に大丈夫」という身勝手な傲慢さによる錯覚妄想である
「頭が悪い」とはどういうことなのかを自覚認識せずに 「人類の叡智」などというものが発揮されるわけがない
ええかげんにせぇよ
Ende;
ワクチン接種した後 10日くらい経過してから腕に腫れとかゆみが出る副反応(”COVIDアーム”と呼ぶらしい)があるという
モデルナ製で4% ファイザー製で0.8%
個人差がかなりあって 酷い場合には2週間以上も腫れが引かないこともあるという
アレルギー症状の一種らしいとのことで 抗ヒスタミン剤とかステロイドを処方することで治るという
ただ厳密には原因は「わからない」んだそうな
まあ 臨床って「わからない」けど「効くから使っている」という事例はよくあることなんだが
大抵の場合は2度目の接種で症状が出るそうだが
1回目で出ることもあるという
不安を煽るようで申し訳ないが 事実はちゃんと伝えておかないと 知らずに症状が出てからでは納得いかないと思う
モデルナ製の場合は 25人に1人くらいの確率になるね
Ende;
踏み間違い事故を起こした後期高齢者を何年拘置所に監禁しても 踏み間違い事故の原因究明にも再発防止にもつながることはない
罰という「見せしめ」で恐怖を煽っても そもそも誰も望んで「間違えて」いるわけではないからだ
だが 自分の運転技能が低下していることを認めず 「俺は絶対に踏み間違えてなどいない」などと言い張る傲慢さを発揮する原因を究明し 「どのような人物が事故を引き起こしやすいのか」を統計的に割り出すことは不可能ではなく
統計的に事故を起こしやすい個人が特定できれば免許返納を強く推奨したり 最悪剥奪や 自動ブレーキ搭載車への補助金の基準にもなり得るだろう
そもそも死亡事故というのは後期高齢者だけのものではなく むしろ若年層の方が圧倒的に多いのである
列車の場合はATS(自動列車停止装置)という「ポカよけ」システムが普及しているが これを自動車に応用してはいけない理由はない
運転の状況 具体的にはアクセルの開度 ブレーキの強度 ハンドル操作などをGPSデータと紐付け ログに取っておけば 悪質な運転をする運転者には現行犯でなくとも免許取り消しなどの「処分」をしても良いはずである
安全運転を心がけているドライバーであっても陥りやすいミスを検出できる可能性もあり 危険な箇所ではカーナビから危険情報を報知し 事前に危険回避を促すことも可能であろう
それこそGPS情報から制限速度を超えないシステムを組み込めば 重大事故は大幅に減ることは間違いないだろう
「いつどこに移動したのか」といった個人のプライバシーは守りつつも ビッグデータを集めて安全性を高めることの重要性は無視できないはずである
このハイテクの世の中でも 旅客機が空港内で迷子になることすらあるという
そういうバカみたいなミスは徹底してポカよけすべきである
高速道路の逆走においても 現在は道路情報表示で「お知らせ」するしかしていないが もっと積極的に走行中の車輛に危険情報を報知するようにもできるはずである
交通死亡事故は近年激減してはいるものの 撲滅には至っておらず 毎年松永莉子パパのような地獄を味わっている被害者や遺族は毎年増えているのである
「AIを用いた自動運転さえ用いれば事故がなくなる」という簡単なものではないことは既に別の記事で述べた
完全自動化すれば事故が激減することは確かだろうが 結局は「ヒト」が間違いや失敗を減らす努力は怠ってはならない
「安全」というのはCOVID-19対策だけのものではない
Ende;
集団組織に対する忠誠忠実さに主観的な「美しさ」を感じてしまう先天的習性があるからこそ 唯々諾々と服従しただけの兵隊を「英霊」扱いしたがる
その一方で 戦争そのものに反対した「政治犯」達に対しては何ら「美しさ」を感じることがなく むしろ「裏切り者」や「卑怯者」としてしか扱おうとしない
内部告発者に対する冷遇というのは 組織に忠誠忠実な者だけを特別視したがるヒトの先天的習性に因るものである
サルやイヌに見られる先天的な「社会性」に基づく集団組織の「ルール」とは あくまで順位序列という封建的な統率に基づいたものであり それが結果的に協調的行動や役割分担を促すとしても そこには公平性や平等といった「人間としての社会性」は存在しない
単に個体の生存や種の保存だけを基準に論じれば 集団組織に同調迎合し 野獣の「ルール」に従っておいた方が適するのだが これは動物的な社会形成習性に過ぎず 子供のイジメにおいても暴力団や振り込め詐欺師や暴走族やテロリストにおいても発揮されるものである
戦争などというバカげたことをする上においては 従順な兵隊は「便利」ではあるが 兵隊というのは統率者がイカれているかどうかの判断は全くしなくなるため ミャンマー軍や香港警察や戦時中の日本軍やナチス政権下のドイツ軍のような蛮行も平気で実行することが可能となるのである
ヒトの多くは 主観的に気分が良くなることを短絡的に「正しいこと」だと勝手に錯覚し 気分が悪くなる話には一切耳を貸さなくなる習性がある
これがいわゆる「認知的不協和を解消する」という行動バイアスであり 洗脳のベースとなる
ヒトの多くは 一度信じ込んだ内容や多数が信じている相手や 長い間慣れ親しんだ慣習に主観的安心感を持ち これらに対して気分の悪くなる「主観的に不都合な話」は論理的根拠を無視し 「自分だけは絶対に大丈夫」だという根拠のない過信に溺れて非合理な行動選択しかしなくなる
そのため 主観的に気分が良くなりさえすれば 合理的な根拠や証拠が提示説明されていなくても 短絡的に鵜呑みにし 疑うことを一切しなくなるのである
そして 「何が本当なのか わからない」というバカに陥る
論理客観的根拠の有無を検証する(考える)ことをしない以上 それは「バカ」としか言いようがない
「ウイルスはそのうち弱毒化する(北村義浩)」などというデマを主張していても 相手が感染症の専門家で日本医科大学客員教授という肩書権威さえあれば誰も疑うことはなくなる
さらに酷いケースでは 東京大学名誉教授という肩書さえあれば 「客観的事実などない(養老孟司)」だとか「世界は存在しない(マルクス:ガブリエル)」などというオカルト観念までをも鵜呑みにするようになる
「哲学者」という肩書さえあれば 論理的根拠を逸脱したイマヌエル:カントの「純粋理性批判」さえもが「哲学」として扱われ しかも学力偏差値の高いバカ学生達も何の疑問も持つことはない
何百万円もの奨学金という借金をしてまで嘘を鵜呑みにしていて これを「バカ」という以外何と言うのかは 私は知らないし 知りたいとも思わない
「悟性」だの「純粋統覚」だの これらに基づいた「叡智界」などという話は全てカントの勝手な決めつけに過ぎず 何せ「理性を超越(逸脱)」しているために論理的根拠が全く説明されていないのである
カントの話に多くのヒトは主観的「感動」を覚えるらしく 気分が良くなり脳内麻薬が促す快楽によって疑うことや検証することを放棄してしまうのである
言っておくが 「叡智界」というのは「ヒトが知覚できない」とカントは明言しているのである
なんだそれ
それ 鵜呑みにできる奴の方が異常だろ
知覚不可能なものを一体どうやって応用すんだよ
「哲学は 役に立たなくても良い」とは言うが それはあくまで「すぐには役に立たなくても良い」という意味であって 論理的根拠を伴わず「役に立たないことが立証可能な話」までをも哲学に分類して良いという意味ではない
何が論理的根拠を伴う「哲学」なのか その区別認識ができないのは それが本当に「哲学」なのかどうかを検証する姿勢が全くないからである
要するに「何も考えていない」のである
ヒトというのは 基本的に動物であるため 「目先の快楽安心(脳への報酬)」を得ることだけが「目的」になりがちである
そのため 主観的に目先の安心感や満足感さえ提供されれば それが本当に「自分がこれからも生き続けるに価する社会にとって有益なのかどうか」についての検証は多くのヒトはしないものである
ヒトが人間性を発揮するために必要なのは 先天的に組み込まれた習性としての「快楽が促すバイアス」に無意識に流されることなく 主体的に論理的根拠を伴う真実かどうかの検証が必要不可欠である
権威や多数に同調しておいた方が気分的には安心満足であろうが その主観に過ぎぬ安心満足というものは 先天的欲望によってシーケンシャル(条件反射的無意識)に促されている「習性」に過ぎない
人間としての意識とは こうした主観的気分感情に左右されることなく主体的 自律的に真実を見極めることであり これは「ヒトという種の生物」には先天的習性としては組み込まれていないのである
ところが 「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ(山極寿一)」などという話に大衆の多くは気分的安心満足や共感を得ることで それが論理客観的根拠が伴うかどうかは誰も考えなくなる
ヒトは 多数が考えないことは 考えないことの方が「正常」だと勝手に錯覚する こうした多重の錯覚によってヒトは物事を論理的に検証しなくなり バカになるのである
ヒトというのは先天的にはバカなのである
先天的にはバカだが どこがどのようにバカなのか どこに「ハードウェア的なバグ」が存在しているのかを自覚していれば 無為にバカに陥ることは避けることが可能でもある
そのために必要なのは 個人の主観的気分感情を一旦棚上げにし 徹底的に論理検証(考えてみる)ことである
先天的に大脳辺縁系の活動が活発な(せっかちな)人だと 物事をじっくり考える精神的余裕がないため すぐに面倒臭くなって安易な結論をでっち上げて「考えを終わらそう」とする傾向が強く 勝手な決めつけを鵜呑みにして主観的満足を優先してしまう
「学力偏差値=頭が良い」という大衆観念に基づき 知識の「量」だけが知能の本質だと錯覚しているのもそのためである
「東大に合格したから 頭が良い」などという観念は 東大医学部の学生達が地下鉄に猛毒サリンを撒き散らした事実を無視しているからである
有名大学出身者であれば就職には有利かも知れないが 大企業における粉飾決算や談合や検査偽装などの不祥事が繰り返され一向に改善しないことからも公益的には意味がない
様々な不祥事を起こしているのは高学歴なデクノボウ達なのである
本来大学というのは公益的社会貢献が眼目であるはずだが 世間における利己的優位性にしかならないものに公金を投入しているのは社会的には合理性を欠いた「大衆迎合」に過ぎない
もちろん低学歴なデクノボウというのもいるものだが 学歴学力や世間的評価基準というものが人間性とは無関係であることは明らかであり 統計的にも学力学歴と犯罪にも有意な相関は見られないばかりか むしろ通り魔やテロリストなどの凶悪犯罪の方が学生時代に学力偏差値が高い傾向すら存在するのである
ヒトという種の生物は 先天的に観念的な順位序列を勝手にでっち上げて多数や権威に同調迎合して満足するだけで 主体的自律的に物事の真実を見極めるための検証(考え)をしないものである
こうした先天的本能習性に起因する人間としての欠陥を自覚しないことには あらゆる「人災」は根絶不可能である
「先天的な人間性」などという実証不能の謎の能力を鵜呑みにしていて 「叡智」もヘッタクレもあったものではない
人間としての社会性や倫理というものを発揮するためには 固定観念や因習に囚われることのない思考の柔軟性や
各々の個人が主体的自律的に物事を検証するという「考え」が必要不可欠である
科学や哲学は多数決ではない
あくまで論理客観的根拠に基づいた検証(考え)が伴わなければ 真理(本当のこと)は見極められないのである
真理が区別できないということは 社会安全性や持続可能性の追求においても「何が本当なのか わからない」ということでもある
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「造形のやり方を教えてくれ」っていう話が時折あるんだけど
独学なので 教えてもらってないので正直教え方自体がわからない
ただ 安全なナイフの使い方に関しては少し言えることはある
普通ナイフって 紙切ったりする時は利き手でナイフを持って ナイフの方を動かして切るんだけど
造形のように品物を持って切る時には ナイフを持つ利き手はナイフをしっかり固定するだけで 利き手ではない方の造形物を持っている方の親指でナイフの背を押す形で切ると 刃が走って左手指に刺さずに済む
リンゴの皮むきみたいなイメージかな
ナイフを持っている方の手をを動かそうとすると 必ずといって良いほど逆の手に刺さる
怪我をしてしまうと何もできなくなってしまうので これが一番アホらしい
そういや 二輪車乗る時にも普段の常識が通用しない
普段生活していると 足や身体全体でバランスをとるのが普通なんだけど
二輪車の場合は車体と身体の軸をむやみに動かさずに ハンドルだけでバランスをとるようにすると無駄にバランスを崩すことが大幅に減る
たとえば 右に傾いた時 普段の生活では右足に力を入れて上体は左に傾けてバランスをとろうとするものだけど これは二輪車の上ではかえってバランスを崩すことになる
レースとかだと コーナーの内側に上体をずらしたりするけど あれってむしろ意図的にバランスを崩すことでトリッキーな操作をしているのであって 基本は車体と上体は一直線にしておくのが一番バランスがとれる
レースはあくまでアクロバットだと認識しておいた方が良い
基本をしっかり練習しないことには 形だけ真似しても逆に危険
Ende;