書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

横暴

2020年11月30日 11時45分29秒 | 意識論関連

チンパンジーの代わりに障害者虐殺犯の植松聖を鋼鉄とポリカーボネートの檻に入れ 植松聖がどのような行動を採れば「植松聖の人間性の立証」になると言うのであろうか

特定環境下における特定の行動だけを抽出してきても それによって「個人が自律的な社会的責任判断選択を行う」ことの証明には一切ならない

特定環境に依存した行動結果である限り 環境依存性から逃れることは出来ず 「個人の自律」の証明には全くならない以上 先天的本能による行動習性から「人間としての社会性」を立証することは構造原理的に不可能である

この構造原理に対する論理反証もせずに 松沢哲郎などの生物学者達の主張を鵜呑みにするというのは科学を逸脱した集団オカルト洗脳状態としか言いようがない

大衆やマスコミの多数決で科学的証明にはならない

科学は論理客観的根拠に基づいた論証によって真実を見極めることであり 生物学界の権威の多数決でも決定されるものでもない

科学哲学界もまたイマヌエル:カントの「叡智界」なんぞを信奉しているデクノボウの集団であり 到底科学的検証には全く適さない

こうした学術権威達の横暴を野放しにしておいて 政府による日本学術会議の任命拒否を短絡的に「学問の自由を脅かす」などと言い張るのは トンチンカンとしか言いようがない

 

 

Ende;

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衝突事故

2020年11月28日 12時13分50秒 | 日記

貨物船と遊覧船遊漁船の衝突事故があったそうな

船舶でもGPS情報から進路予想で自動での衝突回避は可能だと思う

座礁事故とかでも暗礁の情報から回避は可能だと思う

船舶用の位置情報表示システムに初めから組み込んでおけると思うけどな

それこそスマホアプリでもできんじゃねぇのかな

どうもITの活用が安全性向上にはあまり応用されていない気がする

見通しの悪い交差点とかに近付いた場合にも周囲の交通と情報共有しておけば事故もかなり減るんじゃなかろうかと

見えない相手が見えるようになれば衝突事故は確実に減ると思うぞ

 

 

Ende;

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生き続ける意味

2020年11月28日 11時56分07秒 | 意識論関連

炎上して多数から嫌われたからといって それが短絡的に「根拠のないデマ」である証拠だとか「人間性の欠如」の論証にはならない

「ヒットの法則」などという 要するに金儲けのための人気取りの手口ばっかり説いている奴がメディア擁護なんぞしても それはメディアにとって都合の良い言い逃れにしかならない

金儲けのための大衆迎合が 短絡的に人間性の論証になるわけではない

ヒトの多くは利己的な利益追求さえできれば人間としての優秀さか何かと勘違いしたがるが それは社会全体からの観点を忘れた身勝手な観念である

 

過酷な自然界における生存競争というものは 生き延びるためならどんな手口を使っても構わないのであって 騙し合いだろうが殺し合いだろうが差別や迫害でも構わない

遺伝的な進化というものは あくまで結果的に「死ななかった」個体種への淘汰に過ぎず 過酷な自然界における生存競争に人間性が組み込まれる保証など何もないのである

たとえ一面的に利他的行動習性があるとしても 一面的である以上人間性とは言えないし そもそも先天的な本能習性というものは環境依存性から免れることはできず 人間性や倫理の根源である「自律的な社会的責任判断選択」とは関係がない

そもそもヒトという種の生物は深く物事の真偽を確かめたがらず 短絡的な主観的観念ばかりを信じ込むバカである

ヒトがバカなのは バカしか生き残れなかったという結果 バカの方が生存にとっては有利であったという結果であって 自らのどこが どのようにバカなのかを理解し 自らの頭の悪さに流され踊らされない「意識」によって はじめて人間性や倫理も発揮できるようになるのである

公平で安全で持続可能な社会を望めば 自ずから自律的な社会的責任への意欲も働くようになる

どうせ必ず死ぬのに どうして目先の「生存にとって有利」な行動習性に流されなければならないのか その行動習性こそが「無意識」なのであり 「無意識」が促す行動習性に流されなければ「本当の意識」として働くのである

次世代にどのような社会を遺せるのか その「理想(目的意識)」なくして人間性も倫理もスッタクレもないのである

 

 

Ende;

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意味

2020年11月28日 01時11分54秒 | 意識論関連

戦争があるから軍需産業が肥大化したのであって 軍需産業先にあったわけではない

軍需産業の肥大化という課題は 「戦争が終わらない要因」だとは言うことができるが 軍需産業が肥大化する以前から戦争というものはあったのである

つまり 「軍需産業の肥大化」自体は「戦争が起きる原因」とは言えない

石や槍くらいしか持たない未開の地の原住民であっても戦争はやらかすものであり 近代兵器によって死者の数が増えたとは言えるが 別に未開の地の原住民の残虐性の反証には全くならないし 文明人が特別に残虐であることの論証にもならない

池上彰は「戦争がなぜ起きるのか これを見ればわかる」的なタイトルで番組を作っていたが 実際には「戦争が起きる原因」については全く論じていないのであり 大衆相手にごまかしとはぐらかしで煙に巻いているだけである

人文科学系の奴らというのは ほとんどが論理的根拠のない嘘の陳列で大衆をはぐらかして人気を得ているだけであって 未だに「科学哲学者」を名乗っている奴でもイマヌエル:カントを全く疑っていないのである

完全に頭がおかしい

 ◇

司法刑罰制度というもの「罰さえ与えれば解決」という短絡的結論によって大衆の脳をはぐらかし 本質的な社会安全性については全く対策も制度もなされていないことについては関知しないものである

警察も検察も裁判所も司法制度という枠組みの中での判決だけが目的になっており 客観的な社会安全性については一切関知していないのである

弁護士であっても同様で 現状の司法制度上における金儲けにさえなれば社会安全性など関知していないし

松永莉子パパのように「再発防止を優先して欲しい」という願いに関しては実際には誰も耳を貸さないのである

司法裁判制度というものが産業化されることによって 社会安全性よりも刑罰判決だけが目的にすり替わってしまっている点においては 軍需産業の大規模化と同様の自己矛盾に陥っているのである

 

ヒトという種の生物は 手段の一つである司法裁判や軍需産業が 長い間続くことによって目的にすり替わってしまうという現象はヒトの社会ではよくあることである

学力成績や学歴といったものも 本来一面的基準に過ぎない評価の「一つの手段」でしかなかったものが 長い間に学力ビジネス産業化されることによって 学力自体が目的であるかのようにすり替わってしまっているのである

いくら学力学歴があっても 東芝メモリを売却しなければならなくなるような経営では売国奴でしかあるまい

ましてや原発を暴走させていたのでは人類全体 いや 地球の生態系全体を破滅に追い込む大罪である

「学力学歴」自体は国際競争力とは関係なく あくまで「個人の能力の高さ」こそが国際競争力として有効なのであって 一面的評価基準に過ぎない学力偏差値自体が国際競争力と直結しているかのように錯覚していたのではバカとしか言いようがない

 

ヒトがなぜ手段と目的を履き違えてしまうのかと言えば 手段を長く続けていることによって 形式やマナーのような主観的安心感を持ってしまうためである

ヒトはそもそも主観的に「安心」することで あたかも論理客観的な「安全性」か何かと勘違いする習性があるため 慣れ親しんだ事に対しての安心感によって 論理客観的安全性の追求を忘れてしまうのである

 

虐待のような行動が世代間で「連鎖」するのも 主観的に安心できる行動を事後正当化することによる認知的不協和を解消する形で 自分が鵜呑みにし 甘んじて受け入れてきた事を次世代に漫然と無意識に連鎖していないといられない 一種の中毒症状である

自分が受けてきた仕打ちに対して 客観的な批判精神に基づいて検証すれば 頭ごなしに「暗記しろ」的なバカげたことは言い出さない

根拠のない「因習」の類いというのは 上の世代が「それさえやっとけば気分的に安心」なだけであって 客商売をする上においては最低限のマナーは必要ではあるが それは人間性とは無関係な「形式」に過ぎない

身体機能においては「型」というものには一定の有効性があるのだが 例えば「ラジコンのステアリングから指を離さないようにする」という「型」というのは ある程度習熟して制御能力が向上することによって結果的に習得するものであって 最初から「ステアリングから指を離すな」と言われてできるようなものではない

キータイピングにおいても 初心者にいきなり「キーボードを見るな」と言われても無理であって 習熟することによって自然と見なくとも打てるようになるのであって 逆に慣れてしまうと見て打つと遅くなったりもする

キータイピングも言語発話機能と同様 おそらくは先天的な得手不得手があるはずで 苦手なことなら得意な人に任せれば良いのであって 本当の社会効率を考えれば作業は相互に得意なことを分担した方が良いに決まっているのである

多様性を受け入れ 多様性をどう効率よくマネジメントしてゆくかがこれからの社会におけるキモになるのであって プログラミングと古典文学のどちらか一方に価値があるという勝手な決めつけには意味がない

 

ユヴァル:ノア:ハラリ氏が述べたように 根拠のない身勝手な「ストーリー(実証不能の観念)」を押し付けたり またはそれを鵜呑みにしたりする頭の悪さこそが精神性(人間としての本質的意識・論理客観的検証性)にとって有害なのであって 自律的に慎重な分析や検証というものが人間性や倫理にとって一番大切なのである

 


凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

自然界においては物事を深く考えている暇はないため 直感的に「怖い」と思ったら反射的に逃げるなどの行動を採らなかった個体種は全て絶滅しているため ヒトも先天的には物事を深くは考えないように「進化」しているわけです

暗闇や草藪から物音が聴こえたら それが天敵なのかどうかをのんびり確認していたら天敵に喰われてしまう可能性が高まります ですから主観的に恐怖を感じたら短絡的に「怖いからとりあえず逃げておく」方が生存にとっては有利に働いた結果 ヒトも含めて動物的な先天的本能習性としては深く物事を考えずに短絡的判断をするように出来ているのです

ヒトという生物は 生物進化の歴史の中では新参者であり その進化の大半はヒト以前のネズミとかナメクジウオみたいな生物だった時間の方が圧倒的に長いわけで ヒトが先天的に「人間としての知能」を発揮できるように進化ができているわけではなく あくまで結果的に肥大した脳によって 深く物事の真偽を確かめる能力「も」発揮可能にはなりましたが まだ大抵の場合においては発揮できない場合の方が多いため 様々な問題行動も見られるわけです

ヒトに進化してからは数万年くらいは経っているのですが それは生物進化の過程においては「ごく最近」の出来事に過ぎないのであって 決して人間としての社会性を常に発揮できるようにまでは進化などしていないのです

数十億年の進化の中で組み込まれてきた先天的本能習性というのは 数万年程度では人間にとって都合よく進化できるメカニズム構造などありません

殺し合いの環境下では ヒトはヒトを殺して生き残ったのであって 倫理や人間性といった人間性に適する行動が「生き残り」に適する構造などないのです

イジメや差別で生き残るのは 統率協調的に暴力を振るうことが可能な集団の方であって 自律的に公平性や平等を唱えるような面倒臭い奴らは差別迫害の対象にしかなりませんから ヒトに先天的な人間性が組み込まれるメカニズム構造など立証不可能なのです

遺伝的進化というものは あくまで結果的に「生き残った」個体の形質や習性であって 遺伝的進化においては「生き残った」行動習性はどのようなものでも構わないのであり 残虐であろうと卑怯であろうと何でも構わないのです

多数派に同調迎合したり 多数派によって認証された権威に服従しておいた方が集団内部においては生存にとって有利に働いた結果として ヒトは「権威」とみなした相手の命令には疑わないように「進化」したわけです

ですから学術界において「哲学者」として認められた相手の言っていることには誰も疑うことをしなくなり 理性を超越した「悟性」だの「純粋統覚」だのという主観に基づいた「叡智界」などという実証不能のファンタジーであっても ヒトの多くは誰も疑わずに鵜呑みにできるという頭の悪さも発揮できるわけです

しかし 実際には益川敏英や畑村洋太郎が生物学界や人文哲学界の権威を検証しているわけではなく いわば学界ごとに責任の丸投げしかしていないため 意味のわからぬ実証不能の観念であっても生物学界や哲学界では通用してしまっているのです

ヒトは実証不能の観念であっても みんなが信じているように見えることは 自分も信じ込んでしまった方が安心できるという同調バイアスがあるため 根拠のない因習であっても大半のヒトは「根拠や証拠はあるのだろうか」などとは一切考えずに 盲目的に権威の言っている内容や 多数派が信じ込んでいる内容には疑うことなく鵜呑みにして安心しようとするのです

そうやってバカげた実証不能の観念は放置されることになる

波風立てずにみんな仲良く組織腐敗のぬるま湯に浸かって満足する

 ◇

荒川河川敷の道を自転車で走っていると 道の両側にスズメの群れがいることがあり その中を私が自転車で通った時に 最初に私のことを怖がって飛び立ったスズメの一羽が たまたま進行方向右側だった場合 最初に飛び立ったスズメにつられる形で進行方向左側にいたスズメまでもが進行方向右側に一斉に飛び立ってしまい むしろ走行中の私の直前を大量のスズメが横切るという現象が見られます

私は別に飛び立つスズメを獲って喰ったりはしませんし ぶつかりそうになればブレーキをかけて減速しますから 特にスズメにとっては害はありませんが 逆に言えば淘汰圧力としては働かないので スズメは先天的な本能習性に影響を及ぼすこともなく 必ず私の自転車の前を横切るように飛び立ち続けることになります

 

ヒトの場合でも バカから死んでゆくような淘汰圧力は働きませんから バカでも死ななければバカのまま進化することはありません

ヒトは 様々な工夫によって自然界における過酷な生存競争から逃れることで 障害などがある弱者であっても守れる社会安全性も獲得しました

ところが ヒトはヒトになる以前の祖先から受け継いだ本能習性に従って 過酷な生存競争をやめることが出来ずにヒト同士での殺し合いもするようになったのです

本来農耕などの技術の獲得などによって 効率的な食物の安定供給ができるようになり 生活に余裕を持たせることもできるはずなのですが 社会の効率化によって人口が増えたため 大きくなりすぎた集団内部の個体を把握できなくなった不安に駆り立てられる形で派閥を作り上げ ヒト同士での差別や殺し合いによって先天的な集団統率的協調行動本能を満たすようになったのです

先天的本能習性というのは無意識なバイアスです

アンコンシャス・バイアス(無意識な偏見)という言葉がありますが そもそも意識して差別することなど出来ないのであって 偏見を偏見だとすら思っていない無意識性があるからこそ偏見として機能するのです

先天的本能習性を あたかも自分自身が目的意識に基づいて主体的に考えて選んだものだと錯覚しているからこそ 「主観が大事」などというバカげた主張が出来てくることになる

「自分には絶対に偏見などない」と思っている傲慢さがなければ こうした主張は出てくることはありません

私にももちろん偏見はありますが 主観的好き嫌いに過ぎない偏見はちゃんと偏見として自覚認識しているつもりですから 可能な限りは論理客観的根拠に基づいた論証なしに勝手に何かを決めつけたりはしていないつもりです

主観的な好き嫌いは あくまで個人的なものであると区別する論理客観性を働かせるようにしているから人道を外れたヘイトスピーチの類いにのめり込むことはしないのです

主観的には「糞DQNうるせえから死ね」としか思いませんが それは私の勝手な主観であって かつては無邪気な子供が どうして迷惑な糞DQNになってしまうのかについての冷静な科学的検証はすべきだと考えています

先天的な本能に基づいた報復感情や懲罰感情だけで「厳罰化だ死刑だ」と主張するばかりで 社会安全性を蔑ろにしている「自分の無責任さについては何ら検証しないバカ」にはなっていないつもりです

だからといってバカのご機嫌取りをするつもりは毛頭ございません

多数のバカのご機嫌取りで金を稼ぐことは簡単ですが そうした「嘘」や「デマ」の蔓延によって社会安全性が損なわれ 誰かが犠牲になることは看過出来ないですから バカな大衆には自分の頭の悪さを自覚していただく必要性から本論を書き続けているのです

本論の目的はバカのご機嫌取りや人気取りではなく あくまでバカの逆洗脳であって 主観的な拒絶反応や嫌悪感については関知するつもりは一切ございません

そういうのはご自分でナントカして頂くしかないんですよ

何が悲しくて私がバカのご機嫌取りなんぞせなアカンのですか 意味がわからない

 

 

Ende;

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発熱

2020年11月27日 12時44分01秒 | 日記

11月27日未明に89歳の親父が急な発熱

夜中に38.1℃あって 親父本人は「新型コロナウイルスだったらどうしよう」とか心配しているのだが

発熱と身体の痛み以外に症状が見られない

朝になっても37.7℃くらいあって ノドや鼻の症状もなく 食欲はあってカレーパンとゆで卵とソイラテ食べて「旨い」とか言っている

一応発熱があるので東京都の発熱相談センターに連絡したら 結局「かかりつけ医と相談してください」という話になった

で 受付時間にかかりつけの病院に電話して症状を伝えたら「一応発熱している場合は10:30に来院してください」と言われたので 行ったらレントゲン撮って「肺には何の影もないですね」と言われ 診断としては「寝冷えとかじゃないかな」との話

風邪薬も出されず 鎮痛解熱剤だけ処方されて帰ってきた

帰ってから熱を測ったら まだ薬も飲んでいないのに36.8℃に下がっていた

近頃気温差が大きいもんだから体調崩す人が多いらしい

状況が状況だけに 病院に行くこと自体にもリスクがあるので 体調には充分注意しておいた方が良いと思う

 

 

Ende;

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やる気が起きない

2020年11月25日 15時42分47秒 | 意識論関連

勉強にやる気が起きない理由は

勉強した先の目的がないからである

自分が主体的にやってみたいことや 知りたいと思っている「目的」がなく

ただ漫然と「学力成績が低いと評価されない」という強迫観念だけで「やらされている」からである

目先の評価だけで勉強できる奴というのもいて そういう奴は他人との比較で「俺の方が頭が良い」という優越感を目的にしているので 学力成績への執着は凄いのだが 人間性には著しい問題があることがほとんどである

「俺の脳が気持ちいいこと=正しいこと」なっていたのでは 犯罪者の行動原理と何ら変わらない

「社会の中で評価されたい」と思っていても そもそも「評価基準となる社会そのものには何の問題もないのだろうか?」という素朴な疑問を持たないのでは 社会の奴隷にしかならない

社会には様々な問題があって その問題をどうやったら解決できるのかについて主体的に探求するという本質的な目的意識がなければ 間違ったことを教えられても 教えられたまま答えさえすれば成績になるなら興味すらわかない

それは チンパンジーの瞬間記憶能力と一緒で エサでつられた機械的条件反射行動学習能力に過ぎない

記憶コンテストで優勝してもノーベル賞が獲れるわけではないのと同様に 学力成績などの特定能力だけをどんなに高めても人間としての知能として機能するわけではないのである

ノーベル賞というのは むしろ凡人が根拠もなくボンヤリと「これさえやっときゃ頭が良くなる」というバカみたいな観念に囚われていたのでは絶対に獲れないものであり むしろ誰もやらないような未開拓な領域に足を踏み入れる必要性がある

誰も踏み入れない領域に踏み込んでいれば 誰からの評価も得られない

それでも未開拓な領域に踏み込むのは「主体的に知りたいから」という純粋な知的好奇心によるものである

自分が本当に知りたいことがあれば それは誰からも評価がなくても続けることができる

他人からの評価に左右されないことによって はじめて「教えられたことに間違いがあった場合に気づくことができる」のである

それなしに人間としての本質的知能を発揮することはできない

誰かが作った評価基準に 本当に間違いはないのかを検証するのは本質的主体性のみである

バカは評価さえ得られれば満足し 評価基準自体に間違いがあっても全く気づくことが出来ない

学力だけは高いのに テロリストになったり通り魔になったりするバカがいるのは そのためである

 

逆に 学力成績が低いというだけで「自分はどうせバカだから」と諦め 結局何も主体的に追求しないことも 世間的な観念に過ぎない「学力成績=知能」という基準を鵜呑みにしているバカであることに何の違いもない

そのテのバカというのは 東大に合格さえできれば「勝ち組」だとでも簡単に錯覚することができるが 社会の何がどう問題で どう解決すれば良いのかについては全く興味がない

それこそ先天的に「文字が読めない」性質がある場合というのもあり 誰かが作った学力成績基準自体があらゆる人にユニバーサルな基準としての根拠がなかったとも言えるのである

文字は読めずとも 口頭や朗読なら理解できるため 口伝てで学べる落語なら才能を発揮できるケースというのもある

「嫌いなことや苦手なことは そんなにやらなくても良いから 好きなことや得意なことを伸ばした方が良い」のであって 主体的にやる気が起きないことをどんなに強いて勉めても 試験で成績評価さえ得られたら全部忘れてしまうのでは 社会的には何の意味もないのである

頭ごなしに「勉強しろ」と言う大人というのは 自分が頭ごなしに「勉強しろ」と強制された既成事実を事後正当化し 認知的不協和を解消する形で「連鎖」しているに過ぎず 論理的根拠がまるでない

「俺が散々強制されて苦しんだんだから お前も苦しめ」と言っているだけなのである

それで「やる気が起きない」のは必然というものである

 

 

Ende;

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Life Kinetik

2020年11月25日 14時41分19秒 | 意識論関連

脳トレを散々「脳に良い」と主張してきた茂木健一郎が Life Kinetikを絶賛するというのは あまりに場当たり的で無責任極まりない

 

Life Kinetikが あらゆる脳機能において有効なのかはまだ必ずしも言えない

「決断を下すスピードが速くなる」という効果については 逆に考えが浅いまま速度だけ速くなっても「頭が良くなった」ことの論証にはならない

詐欺からの電話に「決断を下すスピード」だけ速くなっても むしろカモにされる危険性が高まることになるからだ

ディープラーニングAIのように 回路が「蒸留」されて短絡的に高速化しても Microsoft社のTwitterAIがヘイトスピーチを始めてしまったり 自動運転AIが未知の状況に対処出来ずに横転したトラックに減速もせずに突っ込んだりしていたのでは危険極まりない

自己客観性がLife kinetikによって阻害される可能性が否定できない以上 もろてを挙げて絶賛するべきではない

いきあたりばったりに「あれが良い これが良い」と無責任に評価するのは 大衆人気は得られるかも知れないが 科学者以前に人間として問題がある

それを大多数の衆愚が気付かないとしてもである

 

 

Ende;

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益川敏英

2020年11月25日 14時08分20秒 | 意識論関連

益川敏英は 菅義偉首相の日本学術会議の任命拒否に対して「学問に対する介入だ」とか言っているが

学術会議全体への介入を問題にするのであれば 生物学界や人文哲学界の組織的腐敗の検証責任を放棄するのはおかしな話である

生物学や哲学を「専門外」を理由に何の検証もせずに 「学術界全体の問題だ」と言い張るのは身勝手である

学術会議の組織全体の腐敗の自浄効果が全く働いていいないのに 「学問でさえあれば何でも自由勝手に税金を遣って構わない」などと一方的に言い張っているのと同じである

学術界全体の正当性を全く検証せずに 学術界全体の自由を主張する権利はない

哲学界は未だにイマヌエル:カントのファンタジー妄想を鵜呑みにし 生物学界は未だに遺伝的進化万能論に基づき「目的のために進化した」という主張をやめようとはしない

こうした科学的な著しい誤謬や嘘や それこそ松沢哲郎らによる5億円にものぼる研究費のちょろまかしを放置しておいて 「学問に対する介入」だけを拒絶する権利はない

本来であるならば 政府が学問に介入することは戦前のような政府の暴走を招く危険なことでもあるが 学問でさえあれば常に何でも正当性が主張できるわけではない

学問の自由を主張するのであれば 学術界全体の組織的腐敗についての検証が前提である

理論物理学者であれば イマヌエル:カントのファンタジーや リチャード:ドーキンスのお伽話や 遺伝的進化には目的がないことを理解できないわけなかろう

もし「理解出来ない」というのであれば 無能の証明なので辞めちまえ

 

 

Ende;

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知能の存在証明

2020年11月24日 10時52分43秒 | 意識論関連

多くの大衆は 根拠のない嘘やデマや流言でも主観的に信じたくなりさえすれば盲目的に信じこもうとします

しかし 逆に嘘やデマや流言に根拠がないことに気づくこと「も」可能です

 

気付かなければバカですが バカではない状態が存在する以上 知能の存在自体を反証することはできません

認知科学界的には 「本質的知能は存在しないかも知れない」という「予測」までしかしていませんが 何も気付かないバカと 間違いに気づくバカではない状態が明確に区別可能である以上 知能の存在を反証することはできません

 

私は「天才」ではありません

教えられさえすれば多くのヒトが理解可能な内容であるならば それは気づいた者が「天才」なのではなく 気付かなかった大多数の方がバカなだけですからね

養老孟司はこう述べたことがありました 「教えられたことを知っていることと 自ら気づくことは脳の機能として同じだ」と

他人から教えられないと気付かないことと 誰からも教えられていないのに気づくことが同じだと言えるでしょうか?

こんなことは問うまでもありません 全く別のものです

教えてくれる他人頼みの能力と 気付いて教える側が「脳の機能として同じ」なわけないでしょ

養老孟司は自らが何も気づくことができなかった頭の悪さを正当化したいがために 根拠のない嘘を主張したに過ぎないのです

そして 何も気づくことが出来ない衆愚にとっても その話は都合が良いため 人気だけは得ることが出来た

バカがバカと共感して人気を得ただけなんですよ

 

嘘やデマや流言を信じ込んでしまえば 社会安全性にとって重大な危険を伴う可能性がありますから バカというのは社会的に無責任であると言えるわけです

社会的責任というのは 人間性と直結しています

嘘を鵜呑みにしてテロを実行されたら迷惑でしょ

詐欺師に騙され 意図せずとも暴力団に資金提供していたら迷惑なんですよ

だから「愚かであることは罪」なんですよ

 

人間性の本質は「自律」にあります

他人任せで自分からは何も考えないバカは人間性に重大な問題があるのです

東電社内において 自律的な社会的責任判断をしなかったことが 福島第一原発の重大事故の「最も根源的原因」なのです

「誰も間違っていることを教えてくれなかった」という環境だからといって 自律的に間違いに気付かなかったことが正当化できるわけではないのです

みんながバカなら 自分もバカでも気分的には安心でしょう

大多数と同じでさえあれば 主観的気分としては安心することができる

ヒトとは先天的にそういう性質があります

「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」

怖くなければ安全なわけではありませんよね

主観的に怖いかどうかと 客観的に安全性の根拠があるかどうかは関係がないんですよ

でもね ヒトって主観的に安心すると 安全性と錯覚する先天的習性がある

飲酒運転をしても 今まで事故を起こしたことがないから 気分的に安心して飲酒運転をするんですよ

犯罪を犯しても 今まで捕まったことがないから 気分的に安心して犯罪に邁進することができる

自分の行いが社会的に迷惑で 誰もが迷惑行為を行ったら社会が崩壊することを「知って」いながら 自律的にはやめることができない

自分で自分が制御できずに「自由意思」もスッタクレもないのに 欲望や煩悩に流されていて「自分は自由だ」と勘違いしている

悔やんだり悩んだりすることを 「深く考え」て反省したと勝手に勘違いして 頭の悪さの論理客観的原因については全く理解していないことにも気付かない

「自分はバカだ」と気分的に落ち込み 悔やみ 悩んだことを 「深く考え」たと勝手に錯覚して思考停止に陥る

だから何度でも同じ間違いを繰り返す

バカというのは バカの論理客観的メカニズム構造を理解していないから バカが治らない

主観によって促される錯覚を 錯覚だと認識できないから バカが全く治らない

「自分には錯覚などない」と錯覚しているから 自分の主観を疑うことをしない

 

 

Ende;

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八つ当たり

2020年11月23日 14時46分51秒 | 意識論関連
自己肯定感の希薄な者というのは 他人も肯定したがらない

しかも 客観性もないもんだから身勝手な観念を真剣に本気で信じ込んで疑わないから根拠のない自信だけは無駄に発揮する

他人を差別迫害(否定)することによって 自己肯定感の希薄に起因する喪失感を埋めているのである

要は「八つ当たり」である



イジメをする子供というのは 基本的に親から主体性を認めてもらえないことを事後正当化するために

他の子をイジメることによって認知的不協和を解消しているのである

自分だけが主体性を認めてもらえないことが許せないため 無関係な子の主体性も否定していないといられず

親相手には反論できないので 自分が強者である親から抑圧されていることを正当化(臨床心理上の「合理化」)するために 学級内で弱そうな子をイジメることで 自分の境遇を正当化していないといられないのである

先天的な気分感情が引き起こすシーケンシャル(無意識)な行動として イジメや差別というものは生ずるのである

イジメをしている本人にその自覚はない

なぜなら 自分が行っている行動を客観的に検証すべき「本質的な自己」がないからである

殴り返してこなさそうな相手に暴力を振るっていれば 自分が殴り返すことのできない相手に屈服している事実を心理的に正当化できていると勘違いしているのである

暴力的抑圧が社会の中で「連鎖」しているのである

そもそもヒトは先天的に平等が嫌いであるため 本質的な人間としての意識(精神・客観的論理検証性)が働かなければ 主観的に気に入らない相手を殴って満足する生き物なのである



暴走族は「俺が悪いことをするのは 社会が悪いからだ」と主張するが 社会のどこが どのように間違っているのかを論理客観的に究明し どのようにすれば改善するのかを具体的に明文化しなければ どんなに不特定多数の他者に迷惑をかけても糞の役にも立たないばかりか むしろ社会問題自体に自分が加担して問題を複雑にするだけである

「俺ってバカだからさぁ」などと 自分の頭の悪さを自慢したがるバカは多いが 自分の何がどうバカなのかを知っているのであればバカは治るはずであり 「俺はバカだ」と自慢している時点で ただの嘘なのである

本当は「自分はバカだ」とは思っていないからこそ バカが治らないのである



一方で 「俺は頭が良いんじゃぁ」などと学力成績を正当化したがるバカもいるが どのみちバカの一形態に過ぎない

「自己自身であろうと欲さない絶望」と「自己自身であろうと欲する絶望」の違いに過ぎず バカであることに違いはない

安っぽい絶望というのは 簡単にヒトから論理客観性を奪い 思考停止の快楽に溺れ バカに陥る

松永莉子パパのような地獄を本当の「絶望」と言うのであって 他の大抵の「絶望」など ただの「精神の怠慢」に過ぎない

他人に多大な迷惑をかけているバカは その迷惑行為こそが自分の「目玉」だと思っているのであろうが それこそが自らを盲目にさせていることには気づくことができない

「自分だけは絶対に大丈夫」だと信じて疑うことを知らないのである

私は自分の主観的感覚や好き嫌いなど一切信用しない

私がバカを嫌うのは私の勝手である

それでも バカがバカのままだと社会の諸問題が全然解決しないので バカに対して懇切丁寧に 噛んで含めるように説明を繰り返しているのである

私の目的は「多数のバカに好かれること」ではなく 「社会の問題を解決すること」である

バカがバカのまま寄ってきてもウザいだけであって 私に近寄ってくるならバカを治してからにして頂きたい

まあ バカが治れば私に近寄ろうとも思わないはずだが





Ende;
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ゆるゆる

2020年11月23日 13時25分46秒 | 日記
小学校2~3年だと思うんだけど

男の子がスーパーの店内でマスクもせず 手で覆いすらもせずに派手にクシャミしてて

嫌だなと思ってたんだけど

アチコチ触った手で鼻くそホジッて その手で商品を触りまくっていて 対策もヘッタクレもあったもんじゃない

怖いのでPETボトルだけ買って逃げるように帰ってきたわ

子供の行動は親がシッカリしてないとどうにもならんよ





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バカの独占

2020年11月23日 10時47分06秒 | 意識論関連
狩猟採集生活の場合 集団内部での信頼関係がなければ協調して獲物を捕ることができなくなるため 富の独占といった利己的行動は採ることができない

冷蔵庫もないので獲物を必要以上に捕ることもできず 必要量を集団内部で分け合うことが個人のためでもあり集団のためにもなる

ヒトの集団統率的協調行動習性というものは 狩猟採集生活に適応した遺伝的進化をしたのである



ところが 農耕技術によって集団が大規模化することによって 集団自体が大きくなり 狩猟採集生活の時のように集団内部の全ての他者との信頼関係を把握することが困難になることで 不信感や猜疑心を招き 派閥の発生を促すことになった

狩猟採集生活に適応進化した行動習性が 生活環境の変化に適応できず 把握しきれなくなった相手に対する不信感や猜疑心といった不必要な被害者意識(無意識)を持つことによって 集団内部に派閥分裂を生じさせることで 派閥同士での諍いを生み出すことになった

元々狩猟採集生活においても 他の集団との紛争はあり 現在でも狩猟採集生活を続けている未開の原住民の間では紛争があり その死亡率は1%にも達するといわれ 決して狩猟採集生活の時代であっても平和だったとは言えないのである

農耕生活をするようになってからは 食物を備蓄することが可能となることで 必ずしも分け合う必要性もなくなり 利己的な独占もすることが可能となったため 派閥同士による食料の独占争いが むしろ狩猟採集生活に適応した統率的協調行動の暴走を招き 差別迫害に発展することになった

農耕技術や工業技術といったものは 本来大規模化による効率化によって生活に余裕をもたらし 豊かになるはずなのだが 狩猟採集生活に適応進化した本能習性がそれに適応できず 持て余した「暇」を差別迫害や富の独占に用いてしまっているため 富の奪い合いが起きてしまい かえって貧困格差などの問題を引き起こしているのである



フォートナイトなどのチームによる殺戮ゲームに人気があるのは ヒトという種の生物は徒党を組んで他者を駆逐することに楽しみ(快楽)を感じる習性が存在する統計的な証拠になる

子供同士で集団生活をさせると 自然とリーダーによる統率的協調性を発揮し 結果的にイジメ差別も生じるようになる

自然界においては 集団に馴染めない個体は「淘汰(絶滅)」の対象であり 結果的に生き残ることは出来ず 群れのリーダーに盲目的な信頼をする個体への「進化」が促されたのである

暴力団やテロリストというのは 社会的な余裕に頼った一種の「甘え」であり 「暇」つぶしを本気(真剣)にしているバカの集団なのである

暴力団などの集団というのは 現代の経済的余裕に便乗して暴力的威圧を用いて自分達の集団以外からの搾取によってのみ成立するものであって 過酷な自然界においては成立しないものである

実際には暴力団の構成員の大半は 集団内部のピラミッドの底辺であり 自分達も集団の一部の幹部達に搾取されているにも関わらず 命懸けで鉄砲玉でも何でもやってくれる便利なバカである

それでも暴力団の構成員になりたがるのは 暴力的威圧に対する恐怖心に対する卑屈な迎合性「かっこよさ」に憧れるからである

「怖い相手には逆らえない」という動物的な卑屈さを発揮することによって より暴力威圧的な相手に迎合同調し 盲目的に服従しておけば気分的には安心満足が得られるのである

国家権力に対する服従も 結局は大半の「ヒト」は権威に服従しておけば気分的に安心だから警察権力任せにしておけば満足なだけであって 社会安全性にとって本当に合理的かどうかは誰も考えないのである

多数の他人が疑わなければ 疑わないことの方が安心となり 多数派迎合性と権威服従性によってヒトの多くは「個人が自律的な社会的責任判断選択」という人間性の本質を忘れ 既存の社会の価値観に迎合する形で何も「考え」なくなるのである

「考えないヒト」のことを何と形容するのかは 既に何度も述べたはずである





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知識のエコシステム?

2020年11月22日 22時53分58秒 | 意識論関連
生態系のピラミッドというものは 弱肉強食による結果的な環境調和のことを指す

「知識のエコシステムもまた生態系ピラミッドのアナロジー」だと言うのであれば そもそも「知識のエコシステム」とは一体何であろうか

知能の高い者は知能の低い者を食い物にする弱肉強食の構造を人間社会に適用するとでも言うのであろうか

社会が持続可能な環境調和さえするならば 弱者を切り捨て食い物にしても構わないとでも言うのであろうか

弱者を殺せば人口抑制になり 結果的に社会持続可能になるとしても その発想は「キチガイの発想」である

それはもはや相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺を行った植松聖と同じである



自分では何も考えないバカというのは 相手の言っている内容に問題点があっても一切検証することをせず バカみたいに鵜呑みにして納得してしまう

世の中の大半の「ヒト」はそういうバカに過ぎない

もし 自らの頭の悪さを自覚できることができれば 読書猿を糾弾することは出来ないだろう

「気付かなかった」という頭の悪さ 無責任さにおいて 同罪だからである


「エコシステム」などという言葉を使えば あたかも自然素材に対する安心感のような「オーガニック幻想」から疑念を持たなくなるのであろうが 自然界というのは野蛮で過酷な生存競争という殺し合いの世界でもあり 何でもかんでもバイオミメティクス的に受け入れて良いわけではない

知能などのヒトの能力は 生態系のピラミッド的な弱肉強食のヒエラルキーを利用すべきではなく あくまで自然界における「多様性」の方を利用すべきであって 一面的に「知識の量」を基準に順位序列をでっち上げて優越感で満足する頭の悪さこそが むしろバカ特有の無能さの原因である



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目玉

2020年11月22日 11時22分12秒 | 意識論関連
ああ わかったぞ

バカってのは「真剣」であることが「かっこいい」んだな

そういや糞DQNも「マトモ(真剣)に向き合ってくれる大人がいなかった」とか言ってたな

 ◇

オウム真理教の幹部達も 真剣に「人類の救済」だと信じ込み 命懸けで毒ガステロを実行した

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺を起こした植松聖も真剣に 命懸けで虐殺を行った

ヘイトスピーチやっている奴らだって 当人は真剣で本気で差別に邁進している

太平洋戦争における特攻隊は「真剣」で「カッコイイ」から英霊扱いで 戦争そのものに反対して投獄された場合は「かっこ悪い」から「裏切り者」扱いになる

個人が主観的にどんなに真剣に 命懸けで何かを主張しても それだけで公共の利益に適する根拠にはならず むしろ思考がバカな奴が「真剣」に「命懸け」でバカなことに邁進されても 社会的には迷惑にしかならない

バカというのは 物事を論理客観的に検証して真偽を確かめるということをしないため 間違った行動や言動であっても「真剣」に信じ込むことで 他人に多大な迷惑をかけるようになる



評価承認欲求に脳を支配されている奴というのは 主観的な快楽安心ばかりを追求し 客観性というものが働かない

「他人からの見た目」を短絡的に「客観性」だと勘違いし 多数他者の価値観自体に間違いが混入していることには気付かず 多数他者との違いにコンプレックスを抱え込むのである

そして 多数他者への迎合や同調を 短絡的に「社会性」だと勘違いする



人間性の本質とは 「個人が自律的に社会的責任判断選択をすること」であって 個人が自分自身であらゆる物事を論理客観的に検証(考える)ことが前提である

何も考えないバカが 自分の生まれ育った社会環境から植え付けられた価値観を鵜呑みにし 無意識な偏見に脳を支配されていることにも気付かないから 本当は根拠もない実証不能の観念を真実だと信じ込み 「真剣」になって他人に多大な迷惑をかけ続けるのである

何も考えていないバカであれば 何が間違いなのかにも気づくことはできない

当たり前の話だな



世間的には「学力成績=知能」だと信じ込まれているが 認知科学的には何の根拠もない大衆観念的なデマにすぎないが 幼少期から何の疑いも持たずに「学力成績さえ上がれば頭が良くなるものだ」と信じ込んで育った結果 学力成績が高いだけのバカが大量生産され 粉飾決算だの建築強度偽装だのテロだの通り魔に邁進するバカが後を絶たないのである

バカというのは 何が真実なのかを自分では検証することも 見極めることも出来ない

だから「バカ」と言う

遺伝的 先天的な性質と 後天的な環境依存性しか発揮されず 目先の快楽ばかりを追求することによって 自発的純粋行為を見失い 他人からの評価や報酬にしか興味を持たなくなる

そうなれば「環境の奴隷」であり 主体的に「何が本当に自己が望む社会のありよう」なのかは一切考えなくなる

当人的には真剣に「考えた」つもりであっても 何せバカなので 実際には主観的に「悩んだ」だけであるにも関わらず 主観的「悩み」と論理客観的検証としての「考え」の区別もつかないのである

だからマイケル:サンデルなんぞを鵜呑みにする



私はバカ相手に「真剣」に向き合うつもりはない

バカを治すのはバカ本人の「意思」であり そもそも「真剣に向き合ってくれる他人」を求めている限り バカは治らないのである

バカは基本的に自分の主観的気分を良くしてくれる相手のことしか信用したがらないため 気分が悪くなる逆洗脳の話には耳を貸さない

それならバカ相手に「真剣」に向き合っても何の意味もない

 ◇

仏教説話の中に「雪山童子」という話がある

「利他の行」を仏に誓った雪山童子の前に 鬼が現れ「お前の目玉をよこせ」と言い出すと 童子は自らの手で右目をえぐり出し渡すが 鬼はそれが気に食わず 渡された目玉を投げつけ踏み潰し「もう一方の目玉もよこせ」と言い放つ

それでも童子は左目もえぐり渡す

なんともえげつないR-18指定な話だが 鬼だと思っていた相手が本当は鬼ではないことに気づき 「前よりも見えるようになった」と童子は言う

「自分の目玉」という 「自分にとってとても大切なもの」だと思い込んでいたものが本当は違うことに気づき

それを自ら棄てることによって 本当に大切なものは何かが「見えるようになった」という喩え話である

逆洗脳においては あくまで自分の観念を「自ら棄てる」ことが必要であり 他人から強制的に「無意識な偏見」を棄てさせることは出来ない

司法刑罰が再犯防止の効果が薄いのも 国家権力による「他者からの抑圧」では人間性自体を改めることが出来ないからである

犯罪被害者の多くは厳罰化こそが犯罪抑止の「目玉」だと思っているが どんなに厳罰化を推し進めても無駄である

中国では麻薬取締法違反は極刑だが 「バレなきゃ大丈夫」だと思っている犯罪者には効果がない

飲酒運転も同様である

バカが重大事故を引き起こす度に厳罰化を推進しても バカそのものが発生してくる原因からフィックスしないことには永遠にバカはいなくならず 何度でもバカげた事故は繰り返すのである



自分の頭の悪さを治すためには 自らが自分の頭の どこが どのように悪いのかを理解認識する必要がある

ヘイトスピーチに邁進しているバカなら 先ずは差別を「棄てる」ことが肝要である

暴走行為に邁進しているバカなら 先ずは暴走行為を「棄てる」ことが重要である

カルト宗教の信者なら 先ずは自分が信じ込んでいる教祖が無能なアンポンタンに過ぎないことを自覚する必要がある

真理の話をするのはその後だ





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悪魔の代弁者

2020年11月21日 23時24分28秒 | 意識論関連
洗脳ってのは中毒だから 生活習慣病で高血圧になって塩中毒になるのと同じようなもんだから ワクチンでどうにかなるもんじゃねぇ!

日頃の生活習慣として バカにならないよう毎日継続して心がけるしかないんだよ!

バカは何でも他人頼みにしたがるが 「自律」ってのは自分で判断することを言うんだよ!

バカは何を言っても理解しやしねぇ!

ああめんどくせぇ!

俺はバカが大嫌いだ!

主観的に俺はバカが大嫌いなんだよ!

バカはすぐに共感性だの同調性だの 気分的満足ばっかり要求してくるが それこそがバカの価値観だっつうんだ

お前が主観的に満足したら社会安全性が高まる根拠でもあんのかよ

だとしたら お前は一体何様なんだよ

糞しょうもない話要らん

俺がバカを嫌うのは 俺の主観的な好き嫌いの範疇であって 共感して頂く必要性は全くない

ただ 論理客観的に内容を「理解」する以上のことは一切要求しない

嫌って頂いて結構だ バカに好かれる趣味はねぇ!

何度でも言うぞ 俺はバカが大嫌いだ!





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