被害者の話が犯罪や戦争の再発防止になると「思って」いるヒトが多いのだが
それは単なる主観的感動による錯覚であって
犯罪や戦争の再発防止に必要なのは加害者側の話である
津久井やまゆり園虐殺事件においても被害者情報を「再発防止」だとNHKは言い張り情報公開に異常執着したが 国会原発事故調査委員会報告書のどこにも被害者の情報など書かれてなどいないのである
被害者の情報は再発防止には何の意味もないからだ
被団協がノーベル平和賞を獲得したが 被爆者の情報もまた非核化にはほとんど具体的効果がない
そもそも核兵器だけが悲惨なわけではなく あらゆる兵器は全て悲惨な結果をもたらすものであり
プーチンだの金正恩だのといった独裁政権にとって自分達の既得権を保守することだけで頭がいっぱいで被害者の話など「知ったことではない」のである
ここで間違えてはならないのは 独裁者個人に全ての責任があるのではなく 政権組織全体が独裁者のご機嫌取りによって組織内部での評価を優先し 自律的な社会的責任判断を誰もしなくなることによって独裁腐敗政権組織は作り上げられてしまうのである
独裁政権など普遍的に見られるものであり 日本国内においても兵庫県知事体制でも日本大学田中英寿理事体制においても見られたものであり 「ヒトという種の生物」の集団において普遍的に独裁腐敗は起こるものなのであって 民族国籍に関わらずいかなる集団国家においても起きうる危険性を孕んだものである
従って 本当に犯罪や戦争被害の再発防止にとって必要なのは 「ヒトという種の生物」が持つ先天的危険性を認識し 独裁組織腐敗に陥らないようにすることである
そのために必要なのは 組織内部での評価承認を優先して組織の利益を優先せず 組織内部での孤立排除を恐れず 自律的な社会的責任判断をする個人の「意識」である
組織内部の大半が自律的な社会的責任判断をできていれば 内部告発者は孤立や差別排除されずに済むのであって 内部告発者が守られないばかりか組織に対して従順ではない者を差別排除するような組織だからこそ組織に従順なだけの卑劣な者だけへの「蒸留」が生じ 結果的に独裁腐敗政権が出来上がるのである
組織に忠誠忠実であることを ヒトは先天的に「美しい」と安心感を抱き それこそが人間性であるかのように倒錯する習性があるため 組織集団を批判的な者を「敵」とみなして集団攻撃(差別)することを正義だと倒錯する
一旦独裁腐敗政権が出来上がってしまえば 最高責任者にとって気分が良くなる都合の良い情報だけしか誰も言わなくなることで非合理な武力行使へと暴走が始まるのであり これに対して被爆者や被害者の話はほとんど何の効力も持たない
加害者側のこうしたメカニズム構造に向き合わずに被害者の話でいくら主観的に「感動」してもあらゆる組織腐敗に起因する「人災」の根源的再発防止にはならない
個人が自律的な社会的責任を負わなくなるのは 自分が属する組織の利益を優先することにより組織内部での評価や報酬を優先するからであり
組織を構成する個人の評価承認欲求中毒こそがあらゆる組織腐敗の根源的原因である
「生きるためには」などと称して個人的生存を最優先してしまえば 誰も自律的な社会的責任など負わなくなるのは必然である
誰も社会的責任を負わない社会で生き続けることを拒否する「意識」こそが人間性でもある
「人が人を殺してはいけない理由」がないのと同時に 「人が人を殺すような社会で生き続ける意味」もまたないのである
「ヒトという種の生物」は 統率的協調性を発揮することによって「大きな力」を発揮することは可能だが 単なる「力の大きさ」は人間性の論証には全くならない
組織内部における利他的行動もまた人間性の論証には全くならない 腐敗組織に「貢献」して何が人間性だよ
ところが生物学者共の多くは先天的社会形成習性に由来する統率協調性や組織内部での利他的行動を論拠に「人間としての社会性」だと言い張り続けているのであり これは動物本能的な社会形成習性としての「社会性」を「人間としての社会性」としてこじつけてきた頭の悪さをはぐらかすための嘘に過ぎない
何が嘘で 何が本当なのかを区別理解しないことには「人災」を含めたあらゆる社会問題は解決することはない
「自由意志なぞ存在しない」などと言い張る東京大学の脳生理学者共など論外である コイツらの非論理的な主張を鵜呑みにしている学生やマスコミも結果的に同罪である
戦争被害者や犯罪被害者の「お心に寄り添う」などと称して主観的「感動」を誘うような話に大衆人気が集まるが 主観的に「感動」して満足しても大衆迎合以上の意味はない
日本もかつては軍国主義に染まり 亜細亜諸国において蛮行を働いたのであって 戦後に戦犯に罰を与えただけで「なぜ軍国主義に陥ったのか」についての詳細な検証を一切してこなかったのは もはや社会学のみならず政府の怠慢とも言えるものである
ナチス政権においても なぜドイツがナチズムに陥ったのかについての構造原理的な説明はほとんどされていない
加害者側の異常性について論ずることは面倒臭く 非常に回りくどいようにも「見える」かも知れないが どこの国家民族においても生ずる普遍的な「ヒトという種の生物」が持つ先天的本能習性に起因する危険性を自覚認識しないことには加害(人災)を根絶することなどできないのである
ヒトの多くは被害者の話で「お涙頂戴」的に気分的満足で何かが解決すると倒錯し
加害者に刑罰を与えて満足するが
この2つの行為には加害のメカニズム構造についての検証が全く欠けているのであり だからこそ懲役刑の再販率は50%にも及ぶ無駄なものでもある
司法制度によって「懲役○年」などと決定したところで 服役囚が治って(更生)していようがいまいが年数だけで出所させてしまう現状の刑法制度には 本質的な犯罪の原因究明と再発防止の手順が一切含まれていないのである
判事が決定した懲役年数を経過した後 出所後に被害が出ても判事はもちろんのこと 司法役人の誰も責任の所在などない
恐ろしいことに 出所後の更生は「社会の責任」などと称して民間に責任を丸投げしてくる無責任さを 国民の誰も疑問には「思わ」ない
なぜ「思わ」ないのかと言えば 国家政府のやることには疑問を持たない従順さや忠誠忠実さを国民が発揮しているからである
ヒトは集団になるとバカになる
多数が「思わ」ないことなら それこそが「正常」だという主観的感覚があるからこそ 独裁腐敗政権は作り出されるのである
子供のイジメにおいても 兵庫県庁や日本大学の独裁腐敗においても 「怖い相手に逆らわず 多数派に同調する8割の傍観者」によって組織腐敗は生ずるのであり
「ヒトには先天的に人間性ガー」などという生物学者共のデマで満足しているマスコミや大衆の頭の悪さは結局は「同罪」なのである
言っておくが私は刑法廃止論者であり 罰でどうこうしようとは一切考えていない
間違いを素直に認め 同じような間違いに陥らないように知識財産とする危険学や失敗学のメソッドこそが あらゆる「人災」の再発防止になるのであって 先天的な頭の悪さにいくら罰を与えても意味がない
「過ちて 過ちを認めず これ 本当の過ち」
ヒトの脳には可塑性があり かつて地動説を火炙りにしていたヒトが 今では天動説を笑っているのである
バカ共はすぐに「時代ガー」だの「文化ガー」などと言い逃れやはぐらかしをしだすが 時代だの文化というものは多数によって作り出された「空気(雰囲気)」の産物に過ぎず 実体などない
実存しないものに惑わされているから「バカ」なのである
論理的に検証して 何が真実なのかを区別できれば あらゆる実体のないデマや嘘は駆逐可能である
単に学力偏差値が高く 教えられたことを漫然と鵜呑みにするだけのバカに権力を与えるから バカげた独裁腐敗組織が出来上がってしまうのである
時速100km/h以上の速度超過で事故を起こしていながらも「制御できていないとは言えない」などと称して危険運転致死傷罪を適用しない検察だの
馬乗りになって包丁で何度も刺しているにも関わらず 「殺意がないから傷害致死」だと言い張る非常識な検察官がいなくならないのは 学力偏差値が高いだけ(若しくは記憶力が良いだけ)で自律的には何も考えられないバカが検察官に採用されているからである
誰が本当のバカなのか それを認識できないのも バカだからである
そりゃ戦争も虐殺もなくなんねぇよ
Ende;