○漁火サーチャージ。
イカ釣り漁船で使う漁火の燃料費がバカにならない件。
効率の良いLEDとかHIDに取り替えるとか、アラノッドのアルミ反射鏡を使って効率を良くするとか、何か対策があるんじゃないかと思うんだけど、漁師さんからはそういった要望って出て来ないのかしら。
最近では大手スーパーが直接漁船から水揚げを買い付けしたりするらしいから、そういった会社がイカ釣り漁船用に漁火節電ソリューションを開発したら良いんじゃないかと思う。
○座敷ゴイ。
魚の鯉には、食用養殖用に輸入された外来種(カルピオ)と、日本古来(メラノータス)の2種類がいることが最近判明したらしい。
日本古来の鯉を野ゴイと呼ぶらしい。
でも外来種を座敷ゴイとは言わないらしい。
この二つの種のコイは、琵琶湖では産卵時期がわずかに異なるので交雑しずらいそうだ。
○しょこたん。
中川翔子がPixivにイラストを掲載しているらしいんだけど、本人なのかどうかは不明。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?id=591717
最も古い投稿が2009年。ユーザー名はまんま「しょこたん」だった。
独特のケバい色遣いがしょこたんっぽいんだけど、お得意の精密リアル絵が掲載されていないのでなりすましの可能性も否定出来ない。
しょこたんの公式ブログとかと連携していれば確認出来るのかな。
その辺よくわからない。Webは苦手。
「しょこたん Pixiv」とかで検索かければ何か情報があるかも知れない。
ないかも知れない。
○ポリエチレンの静電容量。
コンビニとかスーパーで貰うレジ袋ってあるでしょ、あれを何気なくカーペットの上に放置しておいたら、ホコリを吸ってゴミだらけになった。
なので、何気なくカーペットにレジ袋を擦りつけてみたら、凄い勢いで塵芥を吸着したのです。
要するに静電気が発生したってだけなんだけど、静電気っていうのは擦り合わせる素材によってかなり違うって話をどっかで聞いたことがあるので、偶然ウチのカーペットがレジ袋と相性が良かったっていうことらしい。
レジ袋みたいな使い捨て的材料で静電気を発生してくれると、無電力空気清浄器が作れそうな気もする。
○SIGMA DP-3が結構凄い。
メーカーサイトからダウンロード出来る実写サンプル画像を見比べてみた。
画像の中央部分をDP-3はピクセル等倍で掲載してある。
SIGMA DP-3
FUJIFILM X-E1 X-60㎜ F2.4
NikonD7100 AF-S70-200㎜ F4 VR
フジフイルムX-E1とニコンD7100は画素数が多いため、同列比較のためにXE-1とD7100の画像をDP-3に合わせて縮小しているのでXE-1やD7100の方が有利な比較であるにも関わらずDP-3の方が鮮明なのが驚き。
○「真面目」の履き違え。
桑田真澄さんが東大野球部の指導に就いたそうだ。
試合で負けるからといって、むやみに練習量を増やすのは間違いだそうで。短時間集中で中身の濃い練習を「考える」べきなんだそうだ。
東大生は真面目過ぎて練習し過ぎるんだそうで。日本人の多くは「真面目」っていうものを精神論的努力辛抱根性だと錯覚しているところがある。それが根本的間違い。
いわば精神論的にダラダラと長時間練習していると、間違った動きを身体が覚え「学習」してしまうことで、試合でも100%の力が出せなくなってしまうんだそうだ。
それでも中学生くらいまでは軍隊式訓練でも試合には勝てるもんだから、それだけやっときゃメジャーリーグにも行けると思ったら大間違い。
なんにせよ、桑田さんて言葉が優しくて良いな。
「厳しい言葉」とか言っても、言葉が凄い優しい。
人柄が温かいんだね。
育ちが良いんだろうな。
おいらと違ごて。(-.-)
「無理矢理にでも勝たせよう。」っていう焦りがないんだろうね。選手本人達の意識が変わるまで見守る優しさがある。選手当人が「勝ちたい」って思うようになるまで待つ余裕がある。野球そのものへの愛がある。
桑田さんが言っていた「やっぱり、意識のある選手は伸びるな。」って、この場合の「意識。」っていうのは、自発的意欲のことを指すんだと思う。
気持ちの弱さっていうのは、自信を持つことで実現するものであって、強迫観念的に「やらされて」いる限り絶対に克服出来ない。
フィギュアスケートでも、伊藤みどりはプレッシャーに負け、荒川静は楽しんで勝った。
「勝ち負け」という結果に執着するよりも、なにより自分で納得できる試合を心掛けることが大切なんではないかな。
どんなに実力を出せたとしても、どちらかが負けるのが試合だし。何より勝ったからって社会安全性にも持続可能性とも関係がないんだから、「結果」よりも大切なのは実力を出し切る自発的意欲であって。「実力を出し切った試合をすること。」こそが野球の本当の「目的」なんだと思う。
野球そのものへの愛があるから、観客にも感動を与えるんだと思う。
それは「野球が好き。」でないといけない。互いに全力を出し切ることで得られる充実感、それこそが野球の「目的」なんだろうな。
おいらはそう思うのです。
「自分のことを大切に出来ない人が、他人を大切になど出来ない。」これは定理です。
もっと「自分の気持ち」を大切にしないといけないと、おいらは思うのです。
自分の気持ちもわからない奴が、他人の気持ちをどうやって思い遣ることが出来るんでしょう。
学力偏差値が高いだけの無差別殺人犯っていうのは、与えられた価値観に無意識に流されただけの結果であって。本当の自分の気持ちを見失っているから、他人の気持ちもわからない。
本当の自分の気持ちっていうのは、単なるその場限りの優越感とは無関係な他者と比較不可能な本質的充実感であって。これは単なる入試ビジネスでは構造原理的に蔑ろにされるものなのです。
入試ビジネスっていうのは、生徒自身の本質的自発性なんてどうでも良くて、単に偏差値の高い学校に受かれば良いだけですから。生徒が通り魔になろうが原発の危険性をほったらかそうが知ったこっちゃないんですよ。個体の生存価ばかりを追求した結果、社会の持続可能性や安全性が後回しにされるようになったんです。それを政治のせいにするのは間違いで、市民一人一人の意識の問題なんですよ。
自制心がない奴が増えたからこそ渋谷のスクランブル交差点の交通規制なんかしなくちゃならなくなる。
バカが増えると社会は窮屈にしかならない。窮屈な社会に自由はありませんから、益々バカが増えるという「バカスパイラル構造」があるんです。
スパイラルというのは無意識が作り出す行動バイアスの「結果」ですから、こうしたスパイラルに陥らないようにするためには、市民一人一人が意識的に自制心を持つことが必要なのです。
子供や部下に精神論的努力辛抱根性を強要したがる文科系大衆観念を捨てないと、社会は崩壊することになるのです。東大野球部だけ良くなれば良いっていう話じゃないんですよ、そこ勘違いしてはいけません。
その場限りの反射的気分感情っていうのは、必ずしも本質的な「自分の気持ち」ではないんです。当然「心」にもならない。自分の中に刷り込み学習された固定観念的「常識」を疑う論理検証によって初めて「自分の気持ち」を知ることが出来、社会全体への配慮である「心」も養われる。
東大野球部員の勘違い常識と同じものが、日本人全体に蔓延しているってことを、認識しなければならないのです。
結論としては、「桑田真澄を見習おう。」って話です。
Ende;