書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○dqn。

2014年08月31日 13時53分03秒 | 意識論関連
 時折テレビでdqn映画の宣伝を見かけるんだけど、漫画雑誌なんかにも結構dqn作品は多い。

 いや、趣味が悪趣味なのは構わないんだけど、dqnの場合漫画とか映画見て本気にしちゃって、dqnを極めれば何でも思い通りになると勘違いして現実社会でdqnなのが迷惑。

 dqnっていうのは趣味と現実社会との折り合いがつけられない病気なので厨二病の一種なんだよね。

 兵器マニアとかならサバゲみたいに趣味は趣味として楽しむことが出来るんだけど、そういう分別がないからdqn。

 dqn映画の宣伝を見ていると、ISISとかオウム類と同じ臭いがする。彼等に共通するのは、目的がないという点で、暴力で何かを占有したからと言って、その後具体的なデザインが何にもない。

 根拠のない焦燥感にその場限りに流されて、行き当たりばったりに感情気分のおもむくままに行動していることを「自由」だと錯覚妄想勘違いして暴走している。

 でも、これは多数大衆に蔓延している観念が根底にあるので。先ずは「気分感情=自由意志」という短絡的方程式が大間違いだっていうことを周知共有する必要性があると思う。


Ende;
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○憑いったー。

2014年08月30日 13時31分15秒 | 日記
他の人のツィートをクリックすると肝心な部分が表示されないのよね。

うにゃー。
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○よっこいShot。

2014年08月29日 19時55分04秒 | 日記

こんな知り合いはいません。

Twitterの知り合いエンジンは意味不明。



Twitterの外から呟こうとするとこうなる。



「パスワードリセットが一個だけ」って呟いたら5個きた。

もうちょっとがんばれ。そしたら少しは焦ってあげるから。

あ、こういうのもあるよ。


Ende;
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○バカとは「学習」されたものである。

2014年08月28日 22時55分01秒 | 意識論関連
○バカとは何か。

 何だろう、個人の主観的好き嫌いを普遍的なマナーであるかのように威圧的に語る奴っていうのがいて。こういうバカの個人的好き嫌いで排除差別みたいのが始まるんじゃないかといつも思う。

 世の中いろんな人がいて、それぞれ好き嫌いは違う。個人的に嫌とか恐いと思うのは、あくまで個人の主観的「感想」に過ぎない。

 それが特定個人の気分感情を基準に、あたかも絶対的価値観であるかのように言い張る奴に対し。威圧的相手に怯えて迎合従属する習性が、ヒトという種の生物にはある。

 その場限りに偉そうな相手に迎合しておけば、その場限りには波風立たせず穏便に済ますことは出来るであろうが。そうした迎合性、従属性、多数派同調バイアスというものが差別排除を暴走させるのである。

 東京電力福島第一原発の危険性が放置されたのも、こうした多数派同調バイアスや迎合性がもたらした結果である。

 バカなガキは「恐い」相手に従う。服従の基準がバカなので、気分的に恐いとか、偉そうといった短絡的でその場限りの感情論だけで行動が決定してしまうため。一旦イジメなどが発生すると、すぐに興奮して同調してしまうため、バカガキだけで放置しておくと、半ば自動的シーケンシャルにイジメが生ずるのである。

 これは振り込め詐欺師にカモられている被害者と同様に、感情的興奮状態に陥っていると簡単に環境状況に流されてしまうのである。

 「流されて」いる時点で既に個人の主体性、自律的判断選択というものが働いていない無意識状態なので、行動抑制というものが全く働かなくなるのである。

 こうした無意識が作り出す「暴走」性というものは、暴動や通り魔などを含めたあらゆる「人災」の根源的原因である。

 刑事罰などという理論的には何の効果も持たない社会制度がいつまでも温存されているのは、ヒトという種の生物の懲罰意識による、その場限りの気分的満足安心への依存症が働いているからである。

 懲罰意識というものは意識ではない。「罰を与えておけば安心満足」という先天的な思考バイアスによる「結果」であって。意識的、論理検証的に選択された「目的」ではないからだ。

 サルトルはこう述べた、「人間は即自存在でないがゆえに、即自存在化を求むる。」と。これを脳科学者の澤口俊之は「わからない」と称して拒絶したが、この拒絶も気分的満足が得られないという極めて主観的感想に基づくものであって、論理的に理解不可能性を証明したわけでも何でもなく、単に「気分が悪い話から逃避した。」だけなのである。

 人は誰も産まれたデフォルト状態では自己でも人間でもない。単なるヒトという種の生物に過ぎないのである。

 自分の遺伝子を自分で選択することは原理的に不可能であり、その選択不可能な遺伝子から作り出された自分の脳もまた自己選択可能性を持ち得ない。

 そんな脳から出てくるあらゆる先天的本能欲望感情気分もまた、それだけでは「意思」ですらないのである。

 この話を持ち出すと、短絡的なバカの多くは、「自由意思などない。」などと勝手に決め付けようとするが。これもまた決め付けることによって得られる快楽がもたらす思考バイアス、思考拘束に過ぎない。

 「自己」の脳からは、様々な本能欲望感情気分といったものが生じてくるが。これらは先天的に決定されてしまっている自己選択不可能なものであって。これらを統合的に検証した上で、社会安全性や持続可能性に基づいた統合的行動選択をして、始めて「自己」の「意思」であると言えるのである。

 ヒトの多くは、先天的に感情の強度程度こそが短絡的に「意識」であると、「意思」であると錯覚しているが。これは論理的根拠のない妄想に過ぎない。

 こうした妄想錯覚を、それと自覚認識していないからこそ、バカげた観念がいつまでも温存されることに陥り。論理的議論というものが一切進まないという酩酊状態に陥るのである。

 その場限りに気分の良さそうな話に乗っかっておけば、それこそ酔っぱらって気分的には楽なのであろう。イジメが起きても暴力者に迎合しておいた方がそりゃ楽である。何の意思も意識も持たずにその場の「空気」に流されているからこそ社会の諸問題が一向に解決しないのである。

 泥酔運転で重大事故を起こした者に対し、懲罰を与えてさえおけば気分的には満足であろう。しかし、泥酔状態で自動車を運転している奴というのは、一つの重大事故の影に何倍、何十倍、何百倍もの飲酒運転者の存在があるのであって。特定の酔っ払いだけに懲罰を与えておけば飲酒運転が無くなるという短絡的でバカみたいな話ではない。

 「自律的に社会的責任判断選択を行うこと。」こそが、一人の人間としての価値を持つのであって。その場限りの快楽満足ばかりを追求「しなければならない。」ある種の病人、依存症患者が存在するからこそ、社会全体から安全性が失われることに陥るのである。

 刑事罰による懲役刑というものは、具体的に自己中心依存症患者の治療には何の効果もない。そもそも治療ではなく刑罰であって、罰を与えた方の気分的満足や、それを利用した権力制度に過ぎないからだ。

 「バカに罰を与えたら、バカが治った。」という症例はない。バカが治るためには、自分自身で自分の行動選択を自律的に出来るようにならなければならず。こうした行動選択を行「える」ようにするためには、(*:他律的に行「わせ」るのではない。)自分自身で自分の行動を客観視出来ない原因というものを究明し、心理的拘束、ヒステリを取り除く必要性がある。

 何十年も不毛な懲役刑を与えるために税金を無駄遣いし、挙げ句の果てに出所後数週間で殺人を再犯するような制度こそが、最も効率が悪く安全性が低い。

 ヒトというのは先天的に、既存の制度に気分的安心満足を持ちがちで。その安心満足には論理的根拠を必要とせずに温存維持しようとする「習性」がある。そのため何の合理性もない制度に対しても気分的に安心感を抱いてしまい、何の疑問も持たなくなる。これもまた一種の依存症であり、ドーパミンが作り出した錯覚に過ぎない。

 脳内物質ドーパミンは、その常習性によって行動や思考を「整理」する。「馴れる」「ハマる」「クセになる。」といった性質の全ては、このドーパミンによって「学習」されるが。その行動整理には必ずしも合理性は必要ない。

 シエラレオネのゲリラの中で子供を育てれば、残虐なゲリラにもなりうる。

 ナチス政権下のドイツで育てればユダヤ人を迫害するようにもなる。

 現在の日本で育てば、オウム真理教に入信するようなバカも出てくる。

 何でもかんでも「学習」すれば頭が良くなると思うのは大衆観念であり錯覚妄想であって、虐待をされて育てば虐待を繰り返すようにも「学習」するものでもある。

 恐怖症や依存症といったものも、ドーパミンが持つ常習性の「結果」でこそあれ。そこに個人の意識的「目的」行動選択が介在する余地はない。

 大衆の多くは「自分の気分が良くなること=正しいこと。」という短絡的錯覚を鵜呑みにしているが。こうした錯覚こそが殺人犯の行動動機の自己正当化の根拠に利用されてしまうのである。

 不毛な学力競争ばかり煽り立て、個人の主体性や自律といったものを蔑ろにしてきた結果が、原発の危険性をも放置するような無責任なヒトを大量生産したのである。

 冒頭で取り上げた「俺様の個人的ご機嫌=社会的に正しいマナー」という短絡的決め付けも、同じ構造によって導き出されたものであろう。

 刑法懲罰の厳罰化、死刑制度温存といったものも。みのもんた的に被害者の報復感情を代弁したかのような満足に浸ることによって、その場限りに多数派のご機嫌取りをしている結果に過ぎない。それが被害の再発に無効であることには誰も言及せず、ただ漫然と制度体制の維持に加担することで安心しているのである。

 社会がなぜ良い方向に向かい難いのか、それは多数が自分達の過ちを認識自覚していないからである。





 疲れたからおわる。

 バカ相手に説明するのは徒労感しか残らない。

Ende;
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糞レノボめ

2014年08月27日 00時22分24秒 | 日記
レノボのサイトがどうしても見れない。

ロード途中までは表示されるんだけど、ロードが終わった瞬間ブラウザがホワイトアウトする。

こんなサイトは滅多にないので、余程トリッキーなコーディングをしているのではないかと思う。

PCサイトっていうのは古いPCから買い換えようとしている人も見るんだから、出来るだけシンプルなページにしないと意味がない。

売る気あんのか?。レノボ。

Ende;
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○最近こう。

2014年08月26日 21時29分23秒 | 日記

キスショットアセロラオリオンハートアンダーブレードBotが非公式だったらしくて、フォローされた直後に消えていた。



多分通信状態のせいだと思うけど、価格.comのCSSが崩壊。



おいらに「似ているアカウント」

何で韓国なのか。何で女性なのか。おいらは女性で韓国籍だとツィッターに認識されてんのかえ?。分類エンジンが意味不明。



他のページからツィートしようとするとページが崩壊。




あんまり説得力のないプロフィール画像。




Ende;
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○春の嵐。

2014年08月26日 14時08分43秒 | 日記


はるかぜちゃんさん暴走中。


Ende;
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○D3200。

2014年08月26日 13時22分03秒 | 日記
ジリジリ値下がりして、もうすぐ6万切る。

揺れるわー。

Ende;
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○イジメについて。

2014年08月25日 16時57分07秒 | 意識論関連
 イジメなどの暴力というのは、ヒトという種の生物の先天的習性に由来するものであって。「教えたからやらなくなる。」などという短絡的なものではない。

 イジメなどの暴力や差別排除といったものが社会全体の負荷になり、誰も得をしないばかりか損になることを自覚させることがまず第一にある。

 暴力や差別排除というものにはヒトという種の先天的な行動バイアスが関わっており。イジメをすることによる興奮状態には中毒性や依存症があり、これらは薬物や飲酒タバコなどと同様「悪いとわかっていても、やめられない。」のである。

 文科系大衆観念的には、努力辛抱根性的な矯正でどうにかなると思われがちだが。こうした精神論では依存症の治療には効果がない。実際に殺人犯を25年間刑務所で服役させても、出所数週間で再犯することからも、精神論に依存していることこそが既に依存症なのである。



 イジメというのは権威者の前では起こらない。誰も見ていないとか、威厳を感じられない若い教諭の前で起こるものである。

 これは、ヒトという種の生物が統率的に協調行動を採る行動習性の「結果」であって。自律的、意識的に選択された行動「目的」ではないことの現れである。

 つまり、環境依存的に起こるものであって。イジメを実行している個人の意志とは無関係だということである。



 ヒトの多くは感情の強度程度を意識だと信じて疑わないが、これこそが大衆的観念、妄想錯覚であり。「子供を信じて」放置してもイジメは悪化しても良くはならない。



 たとえば、イジメを行う子供だけを集めた学級を作れば、イジメは更に悪質になる。

 自分がイジメられてから、イジメが良くないと気付くのは。自分の行動が社会に与える影響というものを自覚していなかったから証明である。

 「気付く」というのが意識であって、その場限りの気分感情に流されている状態は無意識で無責任なのである。

 「イジメなどの差別排除や暴力の蔓延している社会は、自分の望んだ社会ではない。」と気付かせるためには、大人が子供に対して、人工的権威や暴力(ドイツ語でいうGewalt)を用いることによって、子供の自尊心を破壊してしまわないことである。

ここでアインシュタインの言葉を引用しておく。

 「私にとって、最悪だと思われるのは学校が主として恐怖、力、人工的権威という方法を用いることです。そのような扱いは、生徒の健全な情緒、誠実さ、自信を破壊します。それが作りだすのは従順な臣民です。」

 「無知で自分勝手な教師が与える屈辱と精神的抑圧は、若者の心に荒廃をもたらす。荒廃はけっして元には戻らず、しばしば後に有害な影響を残す。」

 大衆観念に基づいた解決法というのは、司法刑罰のように権力を用いて抑圧することばかりであって。これを放置したまま子供にだけ「暴力で解決してはいけない」などと言えた義理ではないのです。



 イジメに限らず、犯罪者の多くは精神に病を抱えているのであって。冷静に自分の行動が「理解」「選択」出来ればイジメなんぞ最初から起こらないのです。

 養老孟司のような論理的思考の全く出来ない精神論者に人気があるというのは、日本人全体が精神論依存という病気に冒されているからであり。この病理に気付かないことにはイジメの根本的原因究明にも再発防止にもならないのです。


Ende;
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○なんか変。

2014年08月24日 10時40分37秒 | 日記


 これって、おいらがツィート元みたいになってないかな。

 こういうツィートはした覚えがないのだけど、頭に「@inui」ってくっつけるとおいらがツィートしたみたいに処理されるのかな。

 これはツィッターのバグではないのか?。

 ◇追記:こういうことか。


 どうもツィッターっていうのは操作が直感的でないくてわかりずらい。




Ende;
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○やりたいこと。

2014年08月23日 22時28分43秒 | 意識論関連
 「やりたいことはない。」とか、「見つからない。」或は「見つけることは不可能だ。」と決め付けておけば、自分が何をしたいのかを探さなくて済むので一面的には楽なのかも知れない。だがその「楽」というのはその場しのぎの逃避であって、自己の本質的な空虚から目を背ける「楽」に過ぎない。

 本質的な空虚から目を背けたまま、目先の快楽に溺れていれば振り込め詐欺も簡単にできる。

 ヒトが人間として自律的に社会的責任判断選択を行うためには、本質的自己、本質的意識、本質的自己論理検証性が伴わなければならず。その場限りの社会環境や自分のおかれた状況に流されているからこそ、社会的責任を簡単に放棄するようにもなるし、合理性のない漠然とした「社会への報復。」と称して無差別殺人にも走るようにもなる。

 好きで選んだ人生であれば、それがたとえ社会的評価が得られないとしても、成功するまで続ける「意志」を持つことができる。そしてその「意志」こそが自律的な社会的責任判断能力の礎ともなる。

 環境依存的に「生かされている」ような奴が、多数派である「世間」に異を唱えることはない。それはナチス政権下のドイツ人民の大部分と同様、持続可能性も安全性もない暴虐に加担するような従順な臣民にしかならない。



 ノーベル賞受賞者の山中伸弥が「たくさん失敗をしてください。」と述べているにも関わらず。目先の成功体験ばかりを追求するよう仕向けられた子供達というのは、他人からの評価が得られなくなれば簡単に諦め、薬物で脳を麻痺させようとするだけである。そうしたやる気の「そそのかし」はその場限りの意欲しかもたらさず、逆境になれば簡単に放棄するようになるのみならず、目先の評価報酬のために平気で業績の捏造もするようになる。これらは社会的負荷になることはあっても、社会的利益には全くならない。

 「やる気スイッチ」などと称して環境依存的に意欲をそそのかしても、特定環境以外では何の能力も発揮しないチンパンジーの行動習性と何ら違いはない。やたらと幼少期に学力成績が高い子供の多くが大人になると「普通の人」になってしまうのも、本質的な自己としての意欲が全く育っていないからであり。本質的な自発的意欲がなければ「教えられたこと以外、何も論ずることが出来ない。」のは必然的結果である。


Ende;
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○水樹奈々さま~。

2014年08月23日 19時21分37秒 | 日記
セブンスポットのキャンペーンに応募したらQUOカードが当たったった。



旅客機が低空飛行


関連はないです。

Ende;
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○澤口俊之。

2014年08月21日 23時10分04秒 | 意識論関連
 澤口俊之が「頭が良い人ほど他人を信じやすい。」だとか言っているけど、澤口が「頭が良い」とする根拠は学力成績の話に過ぎない。

 そもそも澤口のように深く物事を考えずに大衆観念を鵜呑みにするようなバカだからこそ、「学力が高い=頭が良い。」という論理的根拠のない話を基準にするのである。

 学力が高い理由の大半は、実は親大人を短絡的に信じ込んでいるからであり。親教師の促すままに学力成績さえ高ければ生涯が保証されるものだという妄想から由来するものである。

 騙されやすいというのは頭が悪いからであって、「頭が良い人ほど他人を信じやすい。」などという話は既に論理崩壊であり。むしろ「学力が高い=頭が良い。」という話の方が間違っているのである。

 全ての学科で平均的に高くないと学力成績としては評価されないものであって。学力成績への執着動機が親教師からの評価でなければ、何でも平均的に高くはならず。「平均的にあらゆる学科の成績が高い」場合の多くは本質的には自発的動機によるものではない。

 たとえペーパーテストで「論理検証」性を測っても、それは与えられた問題を解くことで成績評価が欲しいだけであって。試験以外では自律的な論理検証を常に行うことの証明にはならず、養老孟司の言っていることを平気で鵜呑みにするケースも少なくなく。澤口本人も養老信者の一人である。

 オウム真理教幹部達の頭の悪さというのは、学力成績の高さとは無関係だったことからも証明されているものであり。「学力成績=頭が良い。」などという大衆観念を基準にするのは、もはや脳科学者として社会的責任を放棄している。

 澤口というのは「ホンマでっか。」的にその場限りの大衆ウケが良かっただけで、脳科学者としてはポンコツ極まりない。こんな無責任な奴を出演させるNHKも悪質である。


Ende;
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Dellのスタートアップガイド。

2014年08月20日 15時44分39秒 | 日記

とりあえず笑っとこう。

◇追記:DELLのサイトから画像が来ない。

何度リロードしてもこんな感じ。

何が違うんだろう、他のサイトと。


Ende;
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Windows7の暗黒面。

2014年08月20日 11時53分57秒 | 日記
DellのサイトにWindowsの復元手順が載っているのだけど。

「復元ポイント」っていうのを何の基準で選ぶのかがわからない。

何でWindowsっていうのは自己修復が出来ないんだろう。

Ende;
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