書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○先天的習性で人間性は発揮されない。

2019年01月27日 22時26分01秒 | 意識論関連
イヌと見つめ合うとオキシトシンが分泌されるという

異種間でオキシトシンが分泌されることはないとされていた

だが モルモットの子供をネコが授乳して育てたりするのは ネコの脳でオキシトシンが分泌されていたからであろう

イヌと見つめ合うことでヒトの脳でオキシトシンが分泌されるからこそ ヒトはイヌを可愛がろうとするのだが

ヒトがイヌを甘やかし過ぎることで イヌは服従欲(順位欲)が満たされず 飼い主の手を噛んだりするようにもなるのである

キツネを何世代も育て続けると コルチゾールの分泌量が減ることで狂暴性がなくなり ヒトに懐くように変異することもあるという

イヌも育て方を間違えてしまうことにより 服従欲が充分に満たされなくなることでコルチゾール(ストレス/不安物質)が分泌され ヒトに対してのべつまくなし狂暴化するのである

イヌは先天的本能として服従することで 統率的協調性を発揮することも出来るのだが この先天的統率協調性というのは甘やかし過ぎると逆に狂暴性にもなりうる

イヌは訓練なくしてヒトと生活出来るわけではない

ファシリティ犬の効用だけを根拠にイヌの万能性が論証されたことにはならない



イヌの場合は訓練によってヒトにとって都合良い服従性を発揮させることも可能なのだが これをヒトにそのまま適用するべきではない

ヒトにとって必要なのは特定の誰かにとって都合良く服従することではなく 主体的に自律的な社会的責任判断選択を出来なければ「人間」とは言えないからだ

イヌは訓練の仕方に依っては戦争に用いることも可能である 軍隊というのはヒトの先天的な社会形成習性を利用することによって 戦争のような下らないことも平気で出来るようにした集団である

こうした性質は 侵略者や暴力団などの反社会的集団組織に対抗する時にも「便利」ではあるが 軍隊に主導権を与えてしまうと暴走に陥ることが非常に高いため 軍隊というのは文民統制が必須になるのである

どんなに従順に服従するようシツケても 先天的本能習性である以上脳の快楽に基づいた行動しか採らないため 自律的な社会的責任判断選択は出来なくなるのである



Ende;
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○ナンヤカンヤ。

2019年01月27日 12時49分53秒 | 日記
「ナンヤカンヤについて教えてくれ」っていう話があったので

ウソチク述べてみようかなとか思ってみた



マクロレンズっていうのは元々学術記録とか大きな図書館にあるマイクロフィルム作成 文書や図面の複写など業務用レンズとして設計されているので 画面全域で細かい部分まで鮮明に写せるように設計されている

学術記録や図面の複写用途も想定しているために 画像の歪みも非常に小さく設計されているものも多い

それじゃ 普通のレンズは画面全域まで鮮明に写らないのかというと マクロレンズほどは写らないんだねぇ

そこいらの家電量販店でセット販売されている安物のズームレンズともなればカメラ本体のオマケみたいなもので カメラ本体の画質性能を充分に引き出すためのものではないのよ

なまじレンズ交換が可能なもんだから「画質を追求すんならもっと良いレンズを買い足してね」っていう魂胆が カメラメーカーにはあって とりあえずカメラ本体を安く売っておいて 後から「もっと良いレンズあるよぉ」っていう商売の仕方がしたいわけね

なので むしろレンズが交換出来ないタイプの高級カメラの方が 組み込まれているレンズの画質が高いっていうパターンもある

ズームレンズっていうのは店頭で手にとって触る段階では 画像の倍率が連続的に変化するもんだから 商品としてハッタリが効くため 売上だけを求めれば「レンズの画質性能なんてどうでも良い」という考えも販売店にはあったりする

ズームレンズっていうのは画像の倍率を変化させるための変倍系と呼ばれる凹レンズの光学系を組み込まなければならず 何せ凹レンズなもんだから これ自体は光を集めるためには邪魔にしかならず それ以外の凸レンズのパワーを上げなければならなくなる

最終的に一枚のスチル画を作る上においてズームというのはあまり意味を為さない

写真用レンズっていうのは 基本的に「光を集める」ことがメインのお仕事なので ズームの変倍系というのはこれに逆らった余計な光学系なので 画質性能が下がることはあっても 上がるこたない

でも そんなこた知らん一般ユーザーは メーカーや販売店が売り上げの良いズームレンズを セット販売という形で半ば強制的に買わされることになっていて それ以外の選択肢が事実上閉ざされている

そもそも望遠側でF5.6だのF6.3だのと暗かったら ピントの浅さも楽しめないし シャッタースピードも稼げずブレまくりだし 全然表現の幅なんか拡がらないのよ

「手ブレ補正がついているじゃん」って? そんなもん気休めだよ 「絶対にブレなくなる」わけじゃないもん

画質の悪いレンズってのは ピントの山がハッキリしないもんだから 一生懸命ピント合わせをしても ブレないように工夫しても 写る写真のクオリティに最初から限界があるので あらゆる努力が無駄になる

そんなカメラシステムを 本当は誰も求めてなんかいないはずなんだけどな だから誰も趣味でデジタル一眼を買わなくなる

買うのは子供の成長記録目的のパパママばっかりで 彼らだって本当はもっと雰囲気のある島尾伸三みたいな写真が撮りたいんだと思うけどな



マクロレンズの多くは 開放F値がF2.8とかF3.5程度のものが多くて セット販売のズームと変わらないように見えちゃうかも知れないけど 実質的な瞳径は倍くらいあるので 決して暗くなんかはない

でも マクロじゃなければF1.8クラスの単焦点レンズってもっと安く入手可能ではあるんだけど そこにはちゃんと理由がある

レンズの開放F値を小さく明るくしようとすると 設計上どうしても球面収差やコマ収差の影響が増えてしまう

レンズの設計っていうのは いくつもの収差のバランスを考慮しながら設計しなければならないものであって「球面収差は非球面レンズや屈折率の高い材料のレンズさえ使えば全て解決する」なんつう短絡安易なものではない

非球面レンズや高屈折ガラスレンズというのは 一種の薬物みたいなもんで 副作用もあったりするもんだから万能ではない

屈折率が高いと 一般的に色収差が増える傾向があるので これを抑えるためには更に屈折率の高いガラス素材と組み合わせたりしなきゃならなくなったりする しかも 色収差っていうのは軸上と倍率の二つがあって それぞれ補正の設計方法が違ったりする

ってな感じに「薬物漬け」にしてしまうと ピントの合った部分の性能は上がっても ボケの中に色の分散が生じたり ボケの輪郭が強調されたりして まるで油が浮いたようなボケ方をするレンズになっちゃったりすることもある

高屈折低分散のガラス材ってのも開発されてきてはいるんだけど 副作用がないわけじゃない

人が写真撮るのは 別に機械測定をするためではないので 人が写真の仕上がりを見て心地良いと感じられないと いくら機械測定の値が良くても写真としては残念な仕上がりになることも多い

それなら 「薬物」は使わずに 最初からあんまり収差全体が増えないようにするためには F値をF2.8とかF3.5程度に抑えることで 様々な収差全体のバランスをとることが出来るので 画像の歪みも小さく抑えることも出来て 画質も非常に良く設計することが出来る

これはマクロレンズだけに限った話ではなくて シグマの60㎜F2.8DNが安価な割にやたらと良く写るのも F値をむやみに明るくしていないためなのよ

だから 本当は安くて軽くて高画質なレンズってメーカーが作ろうと思えば作れるんだけど それは商売的にオイシクないもんだから シグマくらいしかやらないんだな

安くて画質の良いレンズなんかあったら 高いレンズの販売数に影響しちまうからな



iPhoneのカメラが妙に良く写るのは iPhoneのレンズってズームレンズではないのみならず 実はプロ仕様のカメラレンズに使われるオルソメター型の光学系が超小型化されて組み込まれているためだったりする

オルソメター型っていうのは バックフォーカスに制限のある一眼レフではあまり使われないタイプだけど ブローニー判フィルムを使うレンジファインダーカメラの標準レンズなどで用いられることが多かった

なので結局はスマホで撮っても デジタル一眼で撮っても あんま違いが良くわからないという なかなかのディストピア状態に陥っていたりする

ひどい場合には「センサーサイズが大きいと ボケが大きいだけ」なんつう評価になったりもする

そういうことではないんだけどね (*_*;)

デジタルカメラっていうのはノイズが画質に大きく影響する性質があるので シャッタースピードが遅い(露出時間が長い)ほど画質が悪くなる

なので晴天日中など光量が豊富な条件下だとスマホのようにセンサーサイズが小さくても結構良く写ってしまうのだけど

薄暮とか室内など 光量の少ない条件下になるとセンサーサイズの大きさが画質に大きく影響してくるわけで

そうなるとペンタックスのQシリーズの1/2.3型センサーなんてのはコンパクトデジタルカメラと同じセンサーなので 一応レンズ交換が出来るからミラーレス一眼という分類にはされているんだけど 実質的には「ミラーレス一眼」という分類にすんのは詐欺なんじゃねぇのかと

オイラは思うだよ



デジタルカメラの場合 レンズの性能がそんなに良くなくても デジタル処理で鮮明な写真にすることも出来たりするんだけど

デジタル処理ってのはピントが合ったところだけじゃなくて ボケまで鮮明にしちゃう性質があるため レンズが本来持っているボケの軟らかさみたいな いわゆる「描写の味」みたいなものまで駆逐してしまう性質がある

レンズの描写やボケの軟らかさを云々語るんだったら まず「シャープ」処理の値を0にしておくことが大前提なんだけど これってプロでも若い人だと学校でも教わっていないらしい

まあ 試験問題にはならないからな

写真におけるボケっていうのは ピントの合った部分から徐々に像点が拡がってゆく様に残存球面収差が影響することで 細部に微妙なソフトフォーカス的な描写の軟らかさが伴ったりすることで これが「描写の味」とか言われるんだと思う

違うかも知れんが

まあ 主観的なものなので

でも あまりに高画質なレンズの場合はボケの形はセロファンを丸く切り抜いてばらまいたみたいになっちゃうので 味もヘッタクレもなかったりする

100㎜くらいの中望遠マクロレンズの中には あまりにコントラスト再現が高すぎてマジでガリガリ描写しかしないレンズとかあったりする

具体的に言うとシグマの105㎜F2.8とか

でもシグマの70㎜F2.8(通称「カミソリ」)は高精細描写なのにボケはフワリと柔らかい

シグマって極端



ボケの大きさだけを求めるんだったら 大口径レンズってことにはなるんだけど ボケってデカけりゃ良いってもんでもなくて あくまでピントの合った部分とのコントラストが美しいんだと

オイラは思う

実際プロの写真家って 大口径なレンズを使うこた使うんだけど データ見るとf2.8とかf3.5まで絞って使っているので 開放で撮るわけじゃなかったりする

だったら最初からマクロレンズ的なものを使えば良いんじゃないかと思うかも知れないけど ヨーロッパの方だと実際ポートレートにマクロを使うのが流行ってたりする

同一条件下であれば 絞りを開いた方がボケは大きくなるんだけど ボケの大きさってそれだけで決まるわけでもなくて 被写体までの距離が近ければ別に大口径レンズじゃなくてもピントの浅い写真って撮れるので

それって経験技術とかセンスの問題であって レンズのF値の問題じゃなかったりする

安物の大口径レンズって売ってはいるんだけど あれって画質自体がそんなに良くなかったり ボケがキレイじゃなかったりするので 趣味として写真を楽しもうっていうなら手を出さない方が良いんじゃないかと思うよ



素人感覚からすると レンズ構成は枚数が多ければ多い程性能が高いと思っているらしいんだけど

実は枚数と画質は必ずしも比例しない

写真屋さんで使う大判カメラのレンズって4群6枚のガウス型だったり

40年くらい昔の100㎜マクロレンズは3群5枚のヘリアー型だったりする

ちなみにオイラが使てるNew Macro FD50mm F3.5は4群6枚クセノター形(前半分がガウス型で後ろ半分がオルソメター)だが APS-Cセンサーでも結構良く写る 作例(リンク:フルサイズなのでクリック注意)は晴天順光なので特に良く写っているよ

最近出てきたレンズを見ていると 構成枚数よか光学全長を長く採る方が画質は良く出来ることがあるらしくて KOWAのプロミナーシリーズなんかマイクロフォーサーズなのにかなり巨大なレンズになっていたりする

シグマの40㎜F1.4なんぞ キヤノンの135㎜F2よかデカイという逆転現象 シグマって極端

邪魔なレンズは良く写るらしい



あと カメラメーカーはやたらと「明るいレンズ程取り込む光の量が多いので画質が良い」ってのも 明るいレンズの方が単価が高くて利益率が良いもんだから言っているだけで

高性能マクロレンズがF2.8程度であることからも論理整合性がない

写真屋さんで使っている大判カメラのレンズなんてF5.6以上の暗いレンズが一般的

天体望遠鏡では明るい方が回折の影響が減るので画質が良いっていうのはあるんだけど これは高度な非球面反射望遠鏡の類いのお話であって BRC(ベーカー:リッチー:クレチアン)でもF2.8程度しかなく 屈折型ならF5.6程度が主流で 写真用レンズにそのまま適用できる話ではない



大判カメラの場合はフィルムがデッカイので 回折の影響が少ないので絞りこんで使うのが一般的だけど

コンパクトデジタルカメラとかビデオカメラの場合はセンサーサイズが小さいので 晴天日中など非常に明るい条件下では絞り過ぎによる回折の影響で画像がボヤボヤになることもある

そういう場合はND(ニュートラル デンシティ /減光)フィルターやPL(ポーラ ライジング /偏光)フィルターで光を減らしてやれば絞り過ぎずに済むようになり 画質が劣化せずに済むこともある



一時期 A城耕一が「ズームレンズは棄てなさい」的に単焦点レンズを推奨してたことがあるんだけど 35㎜判フィルム用に設計された中途半端な大口径レンズを当時主流だったAPS-Cサイズセンサーに用いても画質なんか出るわきゃねぇのに どう見てもメーカー在庫を処分するためのテコ入れにしか見えなかったよ

何も知らない素人を騙すっていう汚い商売の方が金にはなるのよね

真実なんぞ金にはならん

内部告発をすると排除対象になるのが日本だからな

その迎合性や多数派同調性こそが「正直者はバカを見る」原因なんだが

それならバカで結構

卑怯で姑息な利口になんぞなりたかないわ

その卑怯で姑息な奴らが原発暴走させたんだからな



話が長いし逸れてきたので終了だ



Ende;
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○鴻上尚史。

2019年01月26日 22時34分50秒 | 意識論関連
鴻上尚史(こうかみ しょうじ)はNHK「ウワサの保護者会」の中でこう述べた

「同調圧力は悪い方にも良い方にも働く」と

そして「災害ボランティアは同調圧力が良い方向に働いた例である」と

災害ボランティアというのは同調圧力に屈してやるような受動的なものではなく あくまで主体的且つ能動的に行うものであって 災害ボランティアに対して極めて失礼な発言である

スーパーボランティア尾畠春夫さんが 他人に対して「お前らもやれ」みたいな同調圧力をかけたことがあるか? 災害ボランティアの大半も同じで同調圧力に屈してやっているわけでもなければ 他人に対して同調を強要することもしないのである

鴻上尚史の発言は極めて不適切で 薄っぺらな分析である

実際の災害ボランティア活動というのは 非常に協力的で互いを思いやって助け合いながらやるものであり 断じて同調圧力など働いてなどいないのである

同調圧力というのは 一部の身勝手なバカの扇動に対して気分的に「逆らいたくない」という恐怖心や強迫観念によって促されるものであり イジメとボランティア活動を同列に扱うというのは失礼極まりない大嘘である

梅沢富美男もそうだが 大衆迎合を生業としている奴らというのは考えが薄っぺらで 思考が雑過ぎる



Ende;
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○哲学界の怠慢。

2019年01月25日 22時30分57秒 | 意識論関連
ニーチェによるゾロアスター教の超人幻想というのは遺伝的進化万能論に基づいたものであり 進化というもの自体に目的も合理的目的選択も存在しない以上 大衆迎合的な妄想に過ぎない

カントの純粋理性批判というものも そもそも内容に論理整合性もなく 論としての根拠に欠けたカントの勝手な勘違いに過ぎない

中東由来の一神教に問題点があるとすれば それは「戒律に従いさえすれば天国に行ける」という短絡性に基づく自律判断力の放棄にある

キェルケゴールによる絶望者批判というものは 絶望というものの真理を追求せず ただ漫然とその場限りに気分的に絶望している頭の悪さについての検証であり 体制に無批判に迎合する盲目的な愚かさを批判したのであり 同時に自律性の喚起も促すものである

従って キェルケゴールはキリスト教者ではあるが 批判精神を持って権威を批判する自律を促している点においては 決して思考停止を促すものではない



ニーチェによる超人幻想というものは 大量の「失敗」の積み重ねの果てに生ずるかも知れない偶発的成功のことを目的としており むしろ「個人の自律を無視して本能習性のままに行動してさえおけば良い」という無責任さを誘発するものでもある

故に「ナチズムを思想的に支えた」と言われる所以である



このようにニーチェやカントが倫理においてクソの役にも立たないことを論理的に理解認識せずに 漫然と倫理だと思い込んだまま鵜呑みにしているから 倫理の本質が何なのかを見失うことに陥るのである

倫理の本質とは何か それは国会原発事故調査委員会報告書に記された「個人が自律的に社会的責任を負うこと」に他ならない

「超人に進化さえすれば 全ては解決だ」といった無責任極まりないトンチンカンな大衆迎合で満足しているから 倫理の本質を見失うことになるのである

何せ 亀山郁夫によるクソの役にも立たない「ドスト:エフスキーの読書感想文」なんぞが放送大学で何度も繰り返し放送されていたくらいであるから 哲学界全体が何も考えていないバカの集団であり 怠慢も甚だしいのである

「哲学というものは 真理に到達出来なくてもよい」からといって 「真理そのものを追求しなくても良い」ことの論拠にしており 学問を逸脱した大衆迎合 ぬるま湯「お花畑」に成り下がっており 到底公的資金を投入する価値のないペテン師の集まりに過ぎない



Ende;
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○睡眠欲。

2019年01月24日 10時26分38秒 | 意識論関連
「かわいそう」だ何だと多数派で気分的に同調しとけば「人間性」だ「心」だと錯覚して満足出来るんだろうよ

マスコミは養老孟司を「本が売れて儲かった」というだけでチヤホヤしといて

本当は科学的には何の意味もない話に便乗して視聴率を稼いでいたんだろうよ

養老は「努力、辛抱、根性」的な精神論を論理的根拠もなく正当化していからこそ 破綻するまで「努力」するよう追い込んじまうんだろうよ

奨学金と称して700万円もの借金させてまで 大学で養老孟司みたいな非科学的嘘つきに洗脳させてたのはマスコミの無責任な報道も大きな要因であろう

自殺なんてのは 精神的に追い詰めちまうから起きるんであって 「学力成績さえ高ければ頭が良くなるんだ 頭が良ければ評価が得られるはずだ」という承認欲求中毒に追い込んでんのは誰なんだよ

遺伝的進化を万能だと言い張り 憲法などの法整備こそが社会安全性だと洗脳してっから 何の役にも立たない「努力」ばっかりするようになり 結局追い詰めちまうんだろ

静岡大学の加藤英明なんて別に評価なんて全然求めてないだろ 自分の純粋な好奇心を満たすことだけに集中しているからこそ 誰もやらないような過酷で危険な研究もするようになる

それに対して 京都大学霊長類研究所の松沢哲郎は 論理的に立証不可能な予測で大衆迎合して文化功労賞を獲得したが 論理的に立証不能な予測に同調したのはマスコミだろうが

多額の借金をさせて嘘教えて それで学生が自殺したら「かわいそう」だ?

「自己責任」だとか言ったらかわいそうだ?

お前ら寝てるのか?



Ende;
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○ボタンが戻らない。

2019年01月23日 20時21分44秒 | 写真
先日ダイソーで216円のキッチンタイマーを買ったんだけど

ボタンをちょっと乱暴に押すと戻らなくなる

戻らないだけじゃなくて この状態になると押しても反応しなくなる

ちょっと面倒

 ◇追記:ボタンをちょっと上にコジれば復帰するので 注意しとけば大丈夫だよ



最近は40W形のLED電球が108円らしい

どうせならレセップ(ソケット)も108円で売って欲しい



九重橋から

巨大クローラクレーン祭

一体何をこさえてるのかしら



都営新宿線荒川中川橋梁の近くから 河口方向




Ende;
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○ひょっこり。

2019年01月21日 19時06分33秒 | 写真
月の出の時間を過ぎたのに月が見えなくて

探したらビルの谷間からひょっこりはん

肝油ドロップ感が…

そこから出るか


狭いよ (*_*;)




Ende;
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○葱を背負う。

2019年01月21日 13時55分03秒 | 意識論関連
頭で考えて合理的目的行動選択することは 遺伝的進化には影響がない

どんなに頭で考えても産まれてくる前に既に決定している遺伝子に影響を及ぼし 能動的に「進化する」ことなど原理的に不可能なのである

「頭が良いから 進化した」などというのは 科学的根拠のない大衆観念に基づいたデマに過ぎず 個体の頭の良さと遺伝的進化には相関関係がない

遺伝的進化というものは 結果的に死ななければ生き残るだけのことであって バカでも何でも死にさえしなければ生き残ることは可能であり ゴキブリでも何でも構わない

「生存」だの「種の保存」も生物の結果であって 別に合理的目的の論証には一切ならない

進化というものが能動的に選択可能であるならば 先天的遺伝疾患を説明することが出来ない



生存自体を目的にすり替えてしまうから「先天的に生存に適さない障害者は殺害してしまえ」という帰結が出てきてしまうのであり 単なる自然界の結果を絶対的な目的終着点だと勘違いしているから優生学などというオカルトが130年間も科学的理論であるかのように扱われ続けてしまっているのである

「死にたくない」というのは主観である 決して客観的論理性に基づいた人類の目的行動選択にはならない

「永遠に生きたい」とどんなに強く「思った」からといって その「思い」の強度程度は合理的目的行動選択の論証には全くならない

「種(遺伝子)を保存」とは言っても そもそも遺伝子を一切変えずに保存していれば進化にはならないのであって この時点で「種の保存」などというのは論理的に意味がない

生物というのは遺伝子が変異するからこその進化であって 「種の保存」などというのは遺伝的進化を促さず 「生物の結果」にすら適合しない

「自分が死んだ後にも子供が生き残れるようにしたい」という主観的な「願い」や「思い」というものの程度強度をどんなに多数派で共有しても 到底「生物の目的」であることの科学的論証には一切ならない

自分の遺伝子を受け継いだ直系の子孫が生き残れるというだけでは 本当の意味における人類の子孫にとっての幸福にはつながらず むしろ生存競争を激化させ殺し合いを助長することにもなりかねない

自分の直系の子孫でなくても そもそも全てのホモ・サピエンスはアフリカで産まれたたった一人の女性の子孫であり 誰の子供であろうと差別する必要性はないのである

たとえ永遠に生き続けられる技術が開発されたとしても パレスチナで赤ん坊が丸焦げにされていれば どんな高級な料理も味がわからなくなるものであり そこに本当の幸福など存在しないのである

人間としての本当の幸福とは 「人が人を殺さない社会」を作り出すことであり 平和で安全で持続可能性を持った社会であれば安心して死ぬことも出来るのである

「人が人を殺さない社会」を求めるという「幸福の追求」も主観であることに違いはないが 目先の欲望執着(中毒)を棄て 統合的視点という意識の広さなしに大局的主観にも至ることはない

誰かの無責任行為によって 子供が路上で血まみれになるような社会なら 何年生きても生きている実感も幸福も感じられることはない

単なる結果に過ぎない「生存」や「種の保存」を あたかも「生物の目的であることの科学的論証」だという大嘘を鵜呑みにするのではなく

「安心して死ねる社会を構築すること」こそを 人間個人としての目的にすべきなのである

「安心して死ねる」ことであっても主観であることに違いはないが この主観を持つためには目先の「死にたくない」だとか「自分の子供だけが生き残れる」といった利己的欲望を捨てるだけの意識の広さが必要である

福島第一原発の安全担当者がなぜ津波に対する脆弱性を放置したのかと言えば 「自分の家族の生活の安定のためには会社の上司の意向に逆らわずに迎合同調しておいた方が良かった」からである

その結果 福島を放射性物質で汚染し 現地住民の生活を根こそぎ奪ったのである

果たして 原発安全担当者達は 「安心して死ねる」であろうか 更に言えば「安心して生き続ける」ことすら失ってはいないだろうか

生存とは 生物の結果であって 決して人間としての幸福とは関係がないのである

本論では「生存自体に意義はない」と述べているが それは別に仏陀の言っていることを鵜呑みにして洗脳されているわけではなく「限りある人生を何に利用するのか」という考えに基づけば 自ずとあらゆる執着を捨てられる意識の広さを持てるようになるからである

人間の目的は「ヒト同士が殺し合いをしない社会を作ること」である 持続可能性や安全性の追求とは 宮沢賢治が述べた「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福も有り得ない」からであり これに疑問を持つこと自体が人間としての脳機能を喪失していると言わざるを得ない

たとえ永遠の生存が保証されたところで 地球の裏側で赤ん坊が丸焦げにされていたら幸福もスッタクレもあったものではない

パレスチナの女性救急隊員がなぜ自爆テロに走ったのか それは目の前で子供達が殺されることに耐えられなかったからである

イスラムの教えでは女性が戦闘に加わってはならないとされ 殉教者として「死後の快楽」が一切保証されていない

人間にとって最も大切なものとは何か 人間としての目的とは何か それを論理的に「考え」ずに目的行動選択など成立しないのである

ヒトという種の生物は 先天的に出来損ないであるため どうしても目先の執着(中毒)に意識を奪われ 統合的な広い視点に基づいた合理的目的行動選択を喪失する習性がある

教えられたことを鵜呑みにして盲目的に信頼するだけであれば 個人の自律的判断力など存在していないのと同義である

自分では何も考えていないにも関わらずに「自分は知的生命体だ」などと錯覚するのは傲慢と言う他ない

進化万能論者は「相対性理論であろうと アインシュタインでなくとも同世代の誰かが気付いたはずだ」などと論理的根拠もなく断言するが それならなぜ優生学に対する論理反証が130年以上もされてこなかったのであろうか

それは ヒトという種の生物が先天的にバカだからであり バカであることを気づくことが出来ない程にバカだから バカが治らないのである

ジャレド:ダイアモンドは「人類社会は少しずつ良くはなっている」と述べたが 今までの結果を抽出してきただけでは「人類社会は永遠に良くなってゆくものである」ことの科学的論証にはならない

多数抽出というのは統計的傾向性を証明することは出来ても 傾向性が絶対であることの科学的論証には使えないのである

人類は既に手遅れかもしれない問題も抱えており 「少しずつ良くなって」いただけでは間に合わない可能性も充分にある

「少しずつ良くなっている」などと言われれば バカな大衆は「何も考えなくとも自動的に良くなるんだな」と勝手に勘違いし 気分的安心満足感で勝手に思考停止に陥れるのであろうが

こうした思考停止こそが ヒトという種の生物に普遍的に見られる習性であり 先天的欠陥なのである

だから養老孟司なんぞに簡単に騙されるのである

養老孟司なんてのは「オレ様は科学的権威詐欺」みたいなものである

そりゃ振り込め詐欺にすりゃカモも良いところである



Ende;
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○オススメのカメラを尋ねられたので。

2019年01月20日 14時39分48秒 | 日記
一眼レフとミラーレスで何が違うのかっていうと

実用上最も違うのは電池の消費量なんじゃなかろうか

ミラーレスは電源オンにして撮影待機状態だと常にライブビューなので 動画を撮影しているのと同じくらい電池を消費する

一眼レフでもライブビューに切り換えれば同じことなんだけど 長時間撮影待機をするなら一眼レフ光学ファインダーの方が圧倒的に有利

でもライブビューだと太陽やアーク熔接などの有害な光を直視した場合に眼を傷めないというメリットはある



最近のデジタル一眼って2400万画素とかがスタンダードになってるけど セット販売されてる安物のズームレンズではカメラ本来の性能は全く出ないと思う

メーカーサイトに掲載されている撮影サンプル画像だと それなりに鮮明ではあるんだけど 撮影データを見るとf13くらいまで絞っているので 実用域ではそんなに画質は良くはない

カメラの性能を充分に引き出そうとするならばマクロレンズがオススメ マクロレンズっていうのはナンヤカンヤ理由があって画質性能が高いのよ

ナンヤカンヤの理由は話しが長くなるので省略するけど

一般的に単焦点レンズの方が描写やボケが素直だし

なので八百富でザックリと調べてみた

オリンパス M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macro
26,700円 (税込)

オリンパス PEN E-PL8 ボディー [ホワイト]
34,800円 (税込)

合計で51,500円 マイクロフォーサーズ1600万画素なので 若干スペック的には低いようにも見えるけど 必要充分なんじゃなかろうかと思う

シグマの30㎜F2.8DNとか60㎜F2.8DNと組み合わせると更に一万円くらい安くなるけど カメラ本体のメーカー保証が効くのかどうか メーカー保証が効かないなら新品で買う意味があんまないのかも

 ◇

キヤノン EF-M 28mm F3.5 マクロ IS STM
32,700円 (税込)

キヤノン EOS M10 [ホワイト]
23,000円 (税込)

合計で55,700円

1800万画素なので やっぱり若干スペック的に低く見えるけど必要充分だと思う 実際ISO100でもノイズリダクションをオフにすると青空一面にノイズがザラザラ出るので 画素数的には限界なんじゃなかろうかと思う

このレンズの画角は45㎜相当なので汎用性は高い

ただ M10ってAEBはついてない

 ◇

ニコン AF-S DX Micro NIKKOR 40mm F2.8G
32,600円 (税込)

ニコン D5300 ボディ [ブラック]
35,000円 (税込)

合計67,600円

このレンズは残存球面収差が絶妙で 解像度は高いんだけど描写やボケに独特の軟らかさがあって 女子や子供のポートレートにも向いていると思う でもこういうのは結構好き嫌いがわかれるのかも

カメラ本体が2世代も型落ちだけど 画素数的には2400万画素になる



で どれが一番オススメなのかっつうと

一概には言えないなぁ

これもウンチク話し始めるとキリがない

EOS M10ユーザーからするとM10はやめといた方が良いとか思っちゃうけど はて どうなんでしょう



Ende;
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○あれこれ。

2019年01月18日 18時41分10秒 | 日記
ダイソーのクルミって安くないかな


エポキシパテ売ってたけど 速硬化タイプなので発熱が凄いらしい ちょっと怖い


新河岸大橋浮間口 浮間五丁目 13文字


ナショナルトレーニングセンター前 16文字


ナショナルトレーニングセンターの近くに国際興行バスの営業所があった


葛西くすのきカルチャーセンター入口 17文字




Ende;
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○満月予報。

2019年01月18日 15時38分59秒 | 日記
日曜日かな

さて どこ行こうかな



Ende;
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○ダークエネルギー。

2019年01月18日 11時44分04秒 | 日記
ネスカフェの4倍濃縮コーヒーの話なんだけど

「甘さひかえめ」が一杯あたり7.2キロカロリーってのは普通だと思うんだけど

「無糖」でも一杯あたりが6.4キロカロリー

無糖なのにカロリーがある

しかもさして違わない

ど ゆ こ と ?



Ende;
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○ベンジャミン:リベット。

2019年01月17日 23時25分34秒 | 意識論関連
「手を動かそうとする0.35秒前から準備電位が発生している」という事象だけを論拠に「ヒトに自由意思などない」などと結論付けてしまうのは あまりに乱暴で論理の飛躍も甚だしく 到底科学的論証にはならない

「手を動かす」動作というのは 日常的に習熟している動作であるため 動かし始める初期段階においては意識せずに動作を始めても何ら不思議はない

ヒトがスマホを操作しながら歩くことが出来るのは 歩行動作を習熟しているために無意識に歩けるからであり そもそもタブーとされるスマホ歩きを「つい」「うっかり」してしまうこと自体もまた無意識的条件反射に他ならない

ヒトの行動のほとんどが無意識であるからとしても 自由意思選択が不可能であることの論証にはならない

どんなにたくさんの白いスワンを抽出してきても この世の全てのスワンが白いことの科学的論証にはならない(カール:ライムンド:ポパー)」のである

どんなにヒトの無意識的条件反射行動を大量に抽出してきても ヒトの行動の全てが無意識的条件反射行動以外存在しないことの科学的論証には一切ならない



Ende;
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○幸福。

2019年01月17日 14時13分28秒 | 意識論関連
ヒンズー教ではガンジス川でモク浴すれば全ての罪が洗い流されるんだそうな

何をやらかしてもガンジス川で水浴びさえすりゃ全部チャラになるって思っているからインド人って民度が低いんじゃねぇだろうか

「これさえやっときゃ 全ては解決」っていう安易で短絡的な発想こそが ヒトという種の生物を愚かさの泥沼から脱することが出来ない

それ 中毒ですから

こうした中毒性というものは 別に宗教だけの専売特許じゃなくて イデオロギーでも生物学でも原発運営でも企業経営でも あらゆるヒトの行動において見られるものである

ヘイトスピーチなんてのも 要するにイジメ易い誰かを集団協調的に排除さえしておけばこの世の問題の全てが解決すると思っているからやるんであって 子供のイジメと精神構造に違いはない

テロや通り魔も 結局は「これさえやっときゃ 全ては解決」だと思っているからやるんであって

脳内麻薬が促す中毒行動バイアスを 意識の本質だと 知能の本質だと錯覚しているのが原因である

「刑法判決さえ出れば解決だ」という多数一般人の盲目性も 犯罪者達の発想と基本的には同じ精神構造なのである

何にも考えずに生きてりゃ そりゃ何にも悩まず済むので「幸福」だろうよ



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○ふざけた仕様。

2019年01月15日 21時35分43秒 | 日記
タニタのキッチンタイマーを使ってたんだけど

START/STOPボタンを押すと冷蔵庫からはがれて落ちるという かなりふざけた仕様だったため

ついに水没して壊れたのだ

なのでダイソーに行って200円のキッチンタイマーを買ってきた

タニタのように「ボタンを押したら落下する」というふざけた仕様ではないのだが

マグネットがフェライト磁石のためか 滑ってズレたり回転したりすることがあった

他の人のブログでもこの欠点について書かれていたんだけど これといって有効な対策が思いつかなかったそうだ

で 苦肉の策として 冷蔵庫にマスキングテープを貼り付け マグネットに両面テープを貼ってマステの上からくっつけてしまった

可搬性は失われたが とりあえず落下のリスクはかなり下がった

 ダイソー 200円キッチンタイマー

今まで使っていたタニタのものと較べると音が小さいけど 実用上は問題なさそうではある



あと なぜかパッケージがチャックつき袋だった

それと パッケージの角が手に刺さって痛いので取り扱い注意



 ◇追記:ボタンの色が違うけど このタイプがボタンを押すと落下する仕様



四隅にエポキシパテ的なもので脚をくっつけてコジれないようにすれば落ちないと思うんだが

裏についているマグネットシートを剥がしたら 厚みが2㎜もあるゴツいものだった

ケースの設計さえちゃんとしとけば液晶も音も大きくて電池の持ちも良いので使えたんだが

 ◇追記2:ダイソーでエポキシパテって売ってんのか! 脳が昭和過ぎて発想が鈍過ぎる (@_@;)

 ◇追記3:石粉粘土同士での接着の際に 少量を強くなすりつけるようにしてから接着すると良くくっつくんだけど

これってエポキシパテでも応用出来んじゃなかろか

接着下地を紙ヤスリかナイフの背で荒らしておく下処理も効果的



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