書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

社会的責任

2023年02月28日 14時21分05秒 | 意識論関連

イヌとネコは共通祖先を持つが

イヌは変異しやすく

ネコは変異しずらい性質がある

そのためイヌは品種改良で大きさや体型や性格の多様な品種を作り出すことができるが

ネコは品種のバリエーションがあまり増やすことができない

変異が起きやすいかどうかは 祖先の生息環境の影響によるものであり

環境変化が大きい環境下や 生息環境を拡げる上において様々な環境への適応するには変異しやすい種の方が適応的な変異が生じやすいため 結果的に変異しやすい種の遺伝子が拡がりやすいことになる

一方 環境変化が少なく 生息地域を拡大しなくても存続している場合には 変異が起きづらい種の遺伝子の方が拡がりやすいことになる

遺伝子が変異しやすいかどうかは祖先の生息環境に依存した結果であって 変異しやすいかどうかを個体種が主体的に選択することはできず たとえ環境変化の少ない環境であってもイヌ科の動物は変異しづらい性質を簡単には獲得することはできず 結果的に多様な変異を意図せず「してしまう」のである

遺伝的性質というものは個体種の都合で選ぶことはできず ヒトが生活習慣病に陥り易いのも 月経の痛みがなくならないのも 遺伝的性質を主体的に選ぶことができないからである

 


「ヒトの多様性を維持しないと 環境変化に適応できずに絶滅するから 多様性は必要だ」という論説があるが これはおかしな話である

自然界の過酷な生存競争においては多様な変異が生存や繁殖において有利に働き 結果的に絶滅には至りづらい結果に結びつきやすいとは言えるものの

「絶滅しない」というのは「誰も死なない」ことや「誰も取り残さない」ことではない

80億人中 79億9000万人が死滅しても1000万人生き残りさえすれば「絶滅はしていない」という意味であって 「絶滅しない=誰もが助かる」という意味ではない

 

イヌ科の動物は先天的に変異しやすい性質を持っているにも関わらず 実際の生息環境においては多様性拡大はほとんど見られない

だが 変異しやすい性質が都合よく抑えられるメカニズムは存在せず イヌ科の動物は産まれてきた子供の中から群れの存続において都合の悪い変異を排除差別することによって 結果的に変異の少ない個体だけが生き残ることで多様性が抑制されているのである

変化の少ない生息環境においては こうした集団の中における淘汰圧力が働くことによって変異しやすいイヌ科の動物も環境適応し生物として存続しているのである

過剰な出産数の中から群れの存続において都合の良い個体だけが群れに残り 都合の悪い個体は群れから排除差別されて死ぬことによって イヌ科の動物は結果的に安定的生息環境においても環境適応した個体種を維持存続しているのである

 

イヌは平等を嫌い 順位序列を決定しておかないと不安から暴力性を発揮することがある

育て方を間違えたイヌが飼い主の手を噛むのは 生育環境において順位序列を明確に決定できるような封建的服従体制が存在していないからである

飼い主が「良かれ」と思って犬の主体性を尊重しようとしても イヌにはそもそも主体性なんぞ存在せず 群れのボスや飼い主の命令に服従し忖度し甘える行動習性しか先天的には組み込まれていない

イヌは訓練次第では救助や介助など ヒトにとって都合良い行動を「学習」させることも可能だが これはイヌの先天的本能習性を応用転用したものであって イヌの生存や繁殖にとって救助や介助は何のメリットも存在しておらず あくまでヒトにとって都合の良い品種だけへと交配(断種)をすることで救助や介助に都合の良い品種改良をしているに過ぎない

救助や介助にとって適した品種改良がされたイヌであっても 幼少期から野犬の群れに混じって育てば野犬にしかならないか 群れから差別されて排除されるか殺害されるだけであろう

動物の先天的な本能としての「社会性(社会形成習性)」というものは 決して人間としての平等や公平を促す保証はなく 封建的順位序列による差別や排除によって多様性を抑制することが環境適応につながり収斂を促す可能性は排除できない

ホモ・サピエンスが他のヒト科生物を直接殺害した証拠は何もないが 現状ホモ・サピエンス同士が戦争をしているのは厳然たる「事実」である

ヒトの多くが社会公平性や平等といったものを無視し 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかった(国会原発事故調査委員会調査報告書より「事故の根源的原因」として挙げられた部分の引用)」ことによって生じる様々な「人災」は ヒトの先天的な本能としての「社会性(順位序列による封建的な社会形成習性)」の働きに起因するものである

 

兵隊は平等を忌み嫌う

それは群れを作るイヌ科の動物の統率協調性を発揮するための順位序列による封建的命令系統を形成する先天的本能習性が働いているからであり 軍隊でなくとも特殊詐欺グループや強盗殺人グループや暴力団やマフィアや暴走族やカルト宗教団体においても発揮されるヒトの普遍的性質でもある

軍隊を文民統制しなければならない理由とは 兵隊は平等や公平といった人間としての尊厳を尊重されない封建的指揮命令系統に則った序列順位を絶対とした組織として脳に刷り込み「学習」させられているからであり 盲目的に服従さえしておけば主観的に安心満足できるような環境の中では自分の頭で物事を考え「人間」としての社会的責任判断選択能力を喪失しやすい傾向が強いからである

他国に対して武力威圧をする軍拡競争が「安全保障」だとヒトの大半は倒錯しているが 軍拡競争は地域を不安定にし 国民に無駄な税負担を強いる不毛な政策である

それでも軍拡競争に固執するのは 相手よりも破壊能力の高い武装をしておけば主観的に安心満足感があるからであって 論理客観的には「無駄」でしかないのである

全米ライフル協会が規制緩和を進めたがるのも 「銃さえ持っていれば犯罪抑止になる」という統計的にも論理的にも根拠のない実証不能の観念に囚われているからである

生物学者共は無責任にも「威嚇によって直接暴力を避けている」などというバカげたこじつけによってゴリラやチンパンジーを「平和的」だと言い張っているが 実際には山極寿一はゴリラに頭を噛まれており 何ら「直接暴力を避けている」ことにはなっていない

実際に集団社会を形成する生物では 威嚇によって順位序列を決定し 群れからの排除や繁殖権利の奪い合いをするのであって そんな「社会性」に人間性が伴う論理的根拠など何もないのである

チンパンジーも天候不順などによって環境資源が枯渇すればゴリラの子供を殺すのであって ヒトの祖先が同じようなプロセスを経て淘汰された可能性は否定できない

生物の遺伝的進化においては 「死ななかった者勝ち」であり 「死なずに生存し繁殖を継続しているもの」を生物と分類しているに過ぎず 生物やその遺伝的進化には目的など存在していないのである

日本大学や東京電力福島第一原子力発電所などの組織腐敗が傍観放置によって温存され 腐敗体制に自浄効果が働かずに破綻するまで暴走的に悪化してしまうのは 腐敗体制を形成している統率者には目的意識としての合理的判断選択能力が働いておらず 目先の欲望を満たすことができる安心満足だけしか興味を持たないバカだからである

それはプーチン政権のロシアにおいても ナチス政権下のドイツにおいても 太平洋戦争に突入していった日本においても同じであり 腐敗組織を傍観放置し「組織の利益を優先」することが 組織に属している個人においては利己的利益にもつながるからであり プーチン政権には反対しない方が利己的には「身のため」であり 東京電力福島第一原子力発電所の「体質」や日本大学の組織腐敗にも誰も逆らわなかったのと同じメカニズム(先天的情動バイアス)である

ヒトの子供を集団生活させておけば 自動的自然に順位序列による統率協調性を発揮し その統率協調性はイジメなどの差別排除にも発揮される幼稚で野蛮なものであって 平等や公平を意忌み嫌う野獣としての「社会性」を短絡的に「人間としての社会性」と混同倒錯しているというのは あまりにも社会的に無責任である

「組織の利益を優先したら 人間としての社会性だ」などという荒唐無稽な酷いデマを鵜呑みにしているというのは 社会的人間として恥ずべきことだということを自覚しなくてはならない

 

 

Ende;

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衆愚の倒錯

2023年02月28日 01時24分29秒 | 意識論関連

TBSのアナウンサーは「ウイルスは生きるために変異をする」と述べていたが

ウイルスは「生きるため」などの目的のために自らの遺伝子変異を促すことはできない

ウイルスが変異しやすいかどうかは 生息環境としての宿主に依存する

既存の鼻風邪程度の症状しか出ないヒトコロナウイルスは変異しずらく 変異しないことで宿主という生息環境と調和をしている

こうした「生息環境との調和」というのは 生態系の恒常性を持つのと同じプロセスによって促されるものであり 生態系と調和できない生物種は生態系ごと絶滅を繰り返した結果として生態系との調和が偶発的に保てた生物種だけが生き残った結果である

ウイルスというのは時に異常繁殖した生物に対して繁殖を抑制する働きを持つことがあり 現状のヒトという種の生物は新型コロナウイルスにとっての生息環境としては潤沢に大量繁殖しているため 変異を繰り返す不安定な遺伝的要素を持った株種の方が拡がりやすかったため 結果的に新型コロナウイルスは変異を繰り返すのである

遺伝的要素というのは あくまで拡がりやすいかどうかで決定するのであって 変異が拡がりずらい環境であれば変異の少ない株種への収斂が進み 変異が拡がりやすい環境であれば変異しやすい株種への収斂が進むのである

ヒトコロナウイルスが変異しずらいように「進化」したのは かつてヒトという種の生物の生息数が限られた環境において 宿主という生息環境を死滅させなかった株種への収斂進化の結果である

変異しやすいかどうかは生息環境に依存し 株種などの個体には選択可能性は存在せず ヒトコロナウイルスは現在のようにヒトという種の生物が大量繁殖していても かつての生息環境の影響によって変異しづらく進化したために 新型コロナウイルスのようには変異が起きないのである

水が流れやすい方に流れるのと同様に 遺伝的進化も「拡がりやすい」種へと淘汰収斂が進むだけであり あくまで生息環境に依存して決定するだけであって 進化の方向性を「選ぶ」ことはできない

生存や繁殖にとって適した進化が起きるのは当たり前の話であり 生存や繁殖にとって適さない変異の全ては淘汰死滅し収斂した結果を「遺伝的進化」と呼ぶのである

結果的に生きているものを「生物」と分類しているのであって 死んだ絶滅種の全ては現状「生物」としては分類されていないし 存在の確認されていない種は分類のしようもない どれだけの絶滅種が存在していたのかは極めて断片的にしか見ることはできず 遺伝的進化のプロセスの全容は誰も知らないのである

結果だけを見れば ヒトコロナウイルスはヒトとの共存関係が成立しているが 共存調和が成立するまでの過程でどれだけの莫大な「犠牲」があったのかは誰も知らない

なにせ遺伝的進化というものは ランダムな変異によってバリエーションが拡大し その中から偶発的に生存や繁殖にとって有利な変異種が結果的に生き残った結果以上のアルゴリズムは存在せず 進化に「失敗」して絶滅した種がどれだけ存在していたのかは推測することしかできない

遺伝子変異 現状の生物というのはゲノム変異パターンからみればごく限られた変異種だけへの収斂進化が起きているのであって 中間種が極めて少なく これはゲノム変異の大部分は絶滅している証拠である

構造原理的に自らの遺伝子やゲノムを都合よく書き換えることなど不可能であり 後天的に合目的的に遺伝的進化を「選ぶ」ことなど不可能である

にも関わらず総合大学院大学学長の長谷川眞理子は「目的の為に進化を選んだのよ」などという非科学的で論理整合性のない「説明」を繰り返し 生物学の教科書には当たり前のように「○○のために進化を選んだ」と書かれており 科学的論理整合性を著しく欠いた誤謬であり 誤謬を誤謬として認めていない時点で「嘘」であり「デマ」であり「ペテン」である

 

どんなに「国語」を勉強しても 主観的感想だの印象だのしか取り扱わない「国語」という教科は論理客観性を育むことにはならず むしろ主観的感想や印象ばかりが優先されることによって むしろ論理客観性は働かないバカが増えるだけである

文芸文学が好きで 論理思考を必要とするミステリー小説をどんなに大量に読んでいても デマや嘘に騙されないようになる統計的証拠はない

そもそも養老孟司の主張が論理整合性も根拠や証拠もない養老の「勝手なでっち上げ」に過ぎないことに大多数の衆愚マスコミは気づかないバカであり 主観的安心満足によって「自分の頭は良くなった」と倒錯しているデクノボウによって養老は未だに東大名誉教授という学術権威の肩書を維持し続けているのである

かつてヒトは錬金術を科学だと倒錯し 天動説を鵜呑みにし イマヌエル:カントの「純粋理性批判」を未だに「近代哲学の最高峰」だと倒錯しているのであり こうしたバカの倒錯というのは何ら珍しいことでも何でもないのである

ヒトという種の生物に見られる普遍的な認知上の重大な欠陥によって バカは自らの頭の悪さを自覚しようとはしないのである

 

 


Ende;

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バカが考える形式

2023年02月25日 22時07分50秒 | 意識論関連

「文章理解力は国語を勉強すれば改善する」だの

「論理思考能力は算数を習えば改善する」といった発想はバカ教師の発想である

文章理解力や論理思考能力というのはというのは物事に対する集中力が必要である

集中力にとって重要なのは 物事に対する関心の強さに関わるものであり 興味のない事柄には集中力が働かず 結果的に文章理解能力や論理思考能力も充分には働かなくなってしまうのであり

国語や算数をいくら習っても 結局は「教えられた内容を鵜呑みにする」ように学力成績という抽象化された脳への報酬欲しさに習得しても主体性は養われず 結果的に自分の頭で物事を考え 論理的真偽の検証ができない学力偏差値だけが高いバカが増えてしまうのである

 

生徒個人が何に対して関心があり 集中力を発揮するのかは生徒それぞれ全員違う

教師がいちいち教科内容を無理矢理理解させようと押し付けても そもそも主体的関心興味を持たないことをいくら教えても集中力は働かず 結果的に論理理解能力も身につかずに 教えた内容を教えた通りに鵜呑みにするバカが出来上がる

いちいち教師が全ての内容を教え込むのではなく 生徒それぞれの関心に沿った教材を様々に用意しておいて 教師はどの教材が生徒の興味を持ってくれるかどうかを探せば良いだけである

生徒自身が興味ある教材に出会えれば自ずと読解力や論理思考能力も働くように育つのである

「博士ちゃん」達の理解能力の高さというのは 主体的に興味を持って探求しているからこその結果的能力であり 無理矢理教師や親から押し付けられ 無理やし教え込まれても論理的理解能力も文章読解力も身につかないのである

 

文部科学省が行うべきは国語や算数を教え込み画一的学力成績に揃えることを強要することではなく 様々なアプローチから生徒の主体的興味に沿った多様な教材を準備し 学校の教師は生徒個人がどのような教材に興味を持つのかを見つけられるようにサポートすることであって 教師が知っていることを無理矢理教え込んで「教えた通りに覚えないからバカだ」と決めつけることではない

生徒が主体的に興味を持てる教材さえ見つけられさえすれば 後は生徒が勝手に学習をするようになる

主体的に物事を考え知ろうとする本質的知能が働けば 教えていないことも それまで誰も気づかなかったことにも気づき 新しい発見や発明ができる本当の知能として働くのであり そうした能力は学力偏差値で測れるようなものではない

東京電力福島第一原子力発電所の安全担当者も 日本大学の職員達も それなりの学力偏差値や学歴があるはずでありながら 唯々諾々とバカげた命令に服従し組織腐敗を傍観放置するバカしかいない

「文武両道」などという論理的にも統計的にも何の根拠もない大衆観念に衆愚マスコミは異常執着するが 強盗殺人の指示役が学生時代に剣道部主将であったことや 日本大学田中英寿理事なども体育会系出身であり なによりウラジーミル:プーチンは柔道有段者で国立大学卒の典型的「文武両道」だったのである

いい加減に根拠のない大衆迎合観念を鵜呑みにしている衆愚マスコミの頭の悪さを自覚すべきである

 

「多様性や個性を重視する」というのは 性的指向やや障害だけの話ではなく 人それぞれの興味関心や適性に沿った「学び」も含まれるのであり

学力偏差値を「揃え」て評価を得ようとするのはバカ教育者の身勝手な満足に過ぎない

教育者の大半は自分自身が主体的意欲や興味に基づいた学びなんぞをしてこなかった世代であり だからこそバカげた「教育」形式にいつまでも異常執着することになるのである

何せ教育者の大半が自発的論理検証性のないバカであるが故に「国語や算数さえ教え込めば論理思考能力がつく」などというバカげた発想から逃れられないのである

大人は子どもたちに画一的学力偏差値を要求し 順位序列をつけてランク分けすることではない

子どもたち自身が自らの興味に基づきこれからの未来の社会を切り開いてゆく能力を身につけさせることである

未だ企業の多くは学歴を採用基準にしているが その企業の多くで組織腐敗による談合や贈賄が横行しているのであって 学力偏差値こそが知能だと信じて疑わない学力偏差値信者が人事担当をしているからこそ パワハラだの理不尽なリストラが横行するのである

リストラに人件費やリソース資源を充てている暇があるなら 人材の活用方法に工夫をこらす努力の方がより建設的で企業としての社会的存在価値にもつながるのであり

何の障害もない社員の首切りに邁進していて「障害者雇用」が進まないのは当たり前の話である

企業の多くが人権を無視した「ブラック」だからこそ国民全体が無駄に疲弊し貧困格差が拡がり不景気に陥り国際競争力まで失うのである

多様性を許容することを嫌がるバカこそが 日本をダメにするのであって 多様性を許容したくないような心の狭いバカはとっとと日本をすてて頂いて結構である

 


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先天的な認知上の欠陥を自覚する必要性

2023年02月24日 17時08分38秒 | 意識論関連

伊集院光が ナイジェリア人と日本人のハーフの子が自転車用ヘルメットをかぶって寿司を持ってきたら「何か嫌」と言って問題発言として扱われていた

伊集院もナイジェリア料理店でナイジェリア料理をナイジェリア人がサーブしてきたら何の違和感もないのだろうが 食事というのは生存の根幹に関わる本能に直結したものであるため 慣れ親しんだもの以外に観念的違和感を主観的に感じて「何か嫌」だと思ってしまうのであろう

インド料理のお店で スパイスの香りが充満している店内で インド人の料理人が寿司を握って出してきたら 別にインド人を差別する意図が全くなくても大抵の日本人は「何か嫌」だと主観的に思うのではないだろうか

昔 アボカド巻きを最初に見た時にはやはり「何か嫌」だったが 食べ慣れてしまえば違和感はなくなるので 結局個人的好き嫌いというのは習慣的「馴れ」によっても左右される普遍性のないものでもある

そういえばイタリア人は 配達されたピザにメロンが乗っていたら大抵の場合激怒するという話をきいたことがある

コオロギの唐揚げは食べると大抵の人は「美味しい」と言うそうだが コオロギを食べたことのない人にとっては「何か嫌」だと感じる人は少なくないだろう

しかし タレントの井上咲良にとっては昆虫食は何の違和感もない大好物だという

「何か嫌」なのは「個人の感想」であり 主観的好き嫌いの範疇であって 伊集院は別に差別的意図目的などなかったのであろう

何に対して「何か嫌」と感じたり思ったりするのかは人それぞれであり 個人の個性の範疇であって 同性同士で愛し合ったりするのが「何か嫌」だと感じるとしても 感じている人の自由である

 

元バレーボール選手の滝沢ななえは女性にしか興味がないそうだが 男性から「かわいい」と言われて罪悪感を感じるのだと言うが 「かわいい」と主観的に思っているのは思っている方の勝手であって むしろ男に興味を持たない滝沢ななえに逆に萌へてしまうこともあるので 何一つ罪悪感なんぞ抱く必要性も合理的根拠もない

個人的「好き」を許容し尊重するからには 同時に個人的な「嫌い」も許容する寛容さも必要であり 女子にしか興味を持たない女子に無理に「男にも興味を持て」と強要したらハラスメントにしかならないのと同様 伊集院が寿司を持ってくる人に好き嫌いを抱くのも伊集院の個人的な好き嫌いであるから あくまで「個人的感想」であることを前提に許容すべきである

何に対して個人的に好き嫌いの感情を抱くのかは 個人の自由であり アグネス:チャン女史が「ロリコン嫌い」とどんなに強く思ったとしても 幼い女子に対する好みを頭ごなしに否定して良い理由にはならない

もちろん未成年に対する性的暴力は許されるものではないが それは別に未成年に限ったことではなく 成人であろうと性的暴力が許されないことにおいて何の違いもなく 個人の性的嗜好を否定したところで性的暴力の撲滅にはつながらない

幼い女性に恋愛感情を抱くことと 性的暴行を行うかどうかとは全く別次元の話であり 「ロリコン=未成年強姦犯」なわけではない

懲罰的に糾弾して方向性のない攻撃でもしておけば主観的には満足感や達成感のようなものを主観的に感じるのかもしれないが それは客観的には何の合理性もない「勝手な満足」にしかならない

多様性を許容するということは 個人的な好き嫌いの違いを許容すると同時に 自分の個人的好き嫌いというものが社会的には何の意味も持たない「個人の感想」の範疇に過ぎない個人的で「勝手なもの」に過ぎないことを自覚する必要がある

個人的な好き嫌いに違いがあって当然であり 互いの好き嫌いの違いを許容する社会こそが本当の公平というものでもある

岸田首相の荒井秘書官が「日本を棄てる人が出てくる」などと称して性的多様性を許容したがらなかった事例があるが 多様性を許容する日本が嫌いで多様性を許容しない社会の方が良いと思うのであれば北朝鮮にでもロシアにでも亡命して頂いて結構である

むしろ そんなに心の狭い方であるなら日本からとっとと出ていって頂いてもらいたい

私自身も男性同士のカップルには「何か嫌」という主観的感想を抱いてしまうのだが そんな個人的好き嫌いは私の身勝手な感情論に過ぎないことを自覚しているので それを社会的行動に結びつけることはないし 結びつけるべきでもない

社会というものは個人的好き嫌いのために存在しているわけではなく 多様な個人を許容することで成立するものだということを理解しておく必要がある

「本当に嫌なこと」というのは 「赤ん坊が丸焦げにされること」であり これは世代をつなぐ持続可能性や安全性の根幹に関わる「好き嫌い(欲望)」でもある

虐待で子供を殺してしまった親に懲罰を与えても虐待そのものがなくなる論理客観的根拠は何もない

それは通り魔やテロリストを死刑にしても通り魔ややテロがなくならないのと同じであり

東条英機を戦犯として死刑にしても戦争がなくならないのと同じことである

様々に生じてくる選択不可能な欲望に対し どの欲望を優先して目的行動選択を行うかが「人間」性や「人格」を形成するのであって 生育環境だの個人的好き嫌いに基づく情動の強度程度だけで行動が決定していたのでは「ヒトという種の生物」ではあっても「人間」ではない

そうした理性が伴って「人格」だと言えるのであって 個人的好き嫌いは「人格」の論証にはならない

「殴りたい」という情動が働いたとしても 「殴っても何の解決にもならないばかりか むしろ問題が酷くなるだけだ」という理性による自律的な行動選択によって 「人間」性としての「人格」として機能するのである

 

DV保護法の改正があったが 被害者を保護しただけではDVの根絶にはならない

なぜ暴力者は暴力で解決しようとするのか その非合理性はヒトの先天的な「社会性」に起因するものであり 身勝手な「道徳観」の暴走によるものである

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖に対して梅沢富美男が「こんな奴は裁判なんぞ要らぬ 死刑にしちまぇ!」と怒鳴り散らしたことに対して衆愚の多数から同調され人気を集めたが 植松を死刑にしても理不尽な虐殺事件の根源的原因究明にも再発防止にもつながらない

これもまた 多数衆愚による身勝手な「道徳観」に基づくものであり 多数で同じ観念を共有して主観的満足や安心をすることによって「解決した」と倒錯しているに過ぎない

チンパンジーが喧嘩になった場合に散々騒ぎ散らしたことで脳内物質の相転移が生じて急に「和解」したかのような状態になることに対し 衆愚マスコミは「チンパンジーは賢い」だの「偉い」だのと形容しがちだが ヒトが掴み合いの喧嘩で怒鳴り散らしたことで脳内物質の相転移で仲直りしても そんな酔っ払いのような「和解」行動は人間としての社会性の論証には一切ならない

チンパンジーは情動と行動が直結しており 先天的本能習性に抗うことも選択することもできない

ウラジミール:プーチンと「和解」するためにいちいち直接掴み合いの喧嘩をして感情的な怒鳴り合いでもして脳内物質の相転移を促すことを「人間性」だとでも言うのであろうか

そんなチンパンジーや酔っぱらいの「和解」プロセスは人間としての社会性の論証には一切ならない

DV男が散々女房を殴った後に 脳内物質の相転移で副交感神経が優位になったことで急に優しくなったことで「本当は優しい」だの「本当は愛されている」などと倒錯してDV男と離れられなくなる盲目的洗脳状態に陥るのも ヒトの先天的な認知上の重大な欠陥に起因するものである

日本大学の田中英寿理事体制に大多数の職員共が長期間に渡って迎合同調忖度服従し続けたのも 脳内物質によって促される情動的恐怖や安心満足に無意識に流され続けた結果である

「情動」というのは先天的に決定している大脳辺縁系という脳の古い領域によって促される機械的シーケンシャルで原理的に選択不可能なものである

「欲望そのものを欲することはできない」のであって選択可能性というのは欲望や情動の方にあるわけではない

自分の大脳辺縁系は自分では選んでおらず そもそも大脳辺縁系が形成される源は遺伝的進化による祖先の生息環境に依存した「結果」であって 欲望も情動も何一つ個人において選択可能性など存在していないのである

選択不可能であるということは自由でもないということでもあり 選択可能な自由意志というのは欲望や情動に無為に流されることではなく むしろ欲望や情動を抑制する理性にこそ存在するのであり 自己の主観的好き嫌いに流されることなく社会的行動選択をして初めて「人間」性や「人格」だと言うことができるのである

繁殖能力が既にある女子中学生に性的興奮をして強姦して妊娠させても ヒトという種の生物の繁殖行動としては「正常」であるが それは社会的には「人間」とは言えない

欲望に抗う理性なくして人間とは言えないのであって 犯罪者に罰を与えたいという感情論で主観的に安心満足したことを短絡的に「解決だ」と倒錯することもまた社会安全性を優先しない無責任な判断だと言える

世の中には不公平や理不尽なことはまだまだたくさんあるが それら課題を一つ一つ地道に合理的解決策を「考え」てゆくことが人間としての知能であって 「間違えている奴には暴力を加えてしまえ」というのはチンパンジーやゴリラの正義でしかない

 

ヒトは農耕を始めたことで集団規模が大きくなったことが紛争の原因だと言われているが こうした環境によって促される情動が行動に直結している環境依存的行動「結果」を原因だとみなすのは ヒトの理性による行動選択可能性を無視した先天的本能習性だけで人間性を立証しようとするバカ生物学者共の勝手なこじつけに過ぎない

格差や不公平というものは単なる法的手続きだけでは問題解決にはならず 常に変化する実情に即した「改正」を必要とするものであり そのために民主的議会というものが必要なのである

「脳内物質の相転移で和解しときゃ良いんだ」という「チンパンジーの和解」プロセスを人間社会に適用しようというのはあまりにもバカげた発想である

強盗殺人犯やテロリストや通り魔は 多くのヒトは主観的には「許さない」と思うであろうが 「許す」「許さない」という主観的感情は理不尽な暴力者の根源的原因究明や再発防止にはつながらない

いくら暴力を「許さない」と主観的に思ったところで それは所詮「個人の感想」の範疇であって 具体的な問題解決には全くつながらないのである

ヒトの多くは自己の主観的感想を意識の本質だと錯覚している だからこそ犯罪者は「殴りたいから殴る」ことを正当だと倒錯しているのであり 「一つの大きな事象の陰に隠れている無数の小さな事象」としての倒錯や錯覚を自覚しない限りは暴力の根絶にはつながらないのである

 

虐待で子供を殺してしまった親に 司法判決で懲役罰を加えても虐待死はなくならない

虐待のほとんどは 親が幼少期に虐待を受けて育ってしまったことによって 自律的に物事を考え行動選択することや情動を抑制することが出来なくなってしまっているのが原因である

これは「刑法判決で解決だ」という社会の中でそれを「常識」として刷り込み学習している大多数の衆愚の無知無能と構造的には同じものである

ヒトの多くは自分の頭で論理客観的に物事を考え 本当に重要な事柄 本当に必要な事柄が何かを自律的に判断選択することをしないものである その原因はヒトという種の生物の先天的な認知上の重大な欠陥に因るものであり 自己の主観的感想を短絡的に「自由意志」だと倒錯していることにある

DV保護法改正では 保護期間が1年から2年に延長され 罰金が100万円から200万円に増額されたが そもそもDVなんぞやらかす奴に罰金の増額はほとんど効果がなく 何年被害者を保護しても加害者側を「治療」しないことにはDVはなくならない

被害者保護も必要ではあるが それ以上に加害者側の「治療」も重要であり 失敗から教訓として学ぶことによって再発防止に活かすことも必要である

強盗殺人をやらかすような著しいバカが発生する原因というのは 一般衆愚マスコミの頭の悪さ(無数の小さなバカ)を見逃していることが要因である

宮台真司が理不尽な主張をしたからといって「包丁で刺す」といった暴力で何かが解決するわけではない

言論に対しては言論で対抗する たとえ多数の衆愚マスコミが理解しないとしても それは理解能力の低い衆愚マスコミの問題であって 死ぬまで誰も理解できないとしても言論には言論で対抗し続ける忍耐が必要である

「理不尽な主張をする奴が嫌い」なのは「個人の感想」であり 理不尽かどうか 合理性に欠けている主張かどうかは理論的に反論すべきであって それが多数の衆愚マスコミから人気を得られないとしても言論に対しては言論で反論しなければならない

科学や哲学としての真理(本当のこと)の追求というのは 多数衆愚マスコミによる人気投票で決定するものではなく あくまで論理客観的論証によって「磨かれる」ものである

刑法懲罰というものが犯罪を減らす効果が薄いことは ノルウェーの「リゾート刑務所」によって「実証」されているのであって 被害者や大衆の感情的には「嫌」だと主観的には感じるかも知れないが 犯罪者の多く 刑務所で服役している人の多くは幼少期に暴力を伴う虐待を受けて育っているという社会的不公平が関係しているのである

虐待が連鎖するのはチンパンジーなどの他の霊長類でも見られる先天的本能習性によってシーケンシャルに促される無意識な行動である

環境に左右されてしまうのは 主体的な「自律」判断選択が欠如しているからであり 世間の根拠のない「常識」の歪みがスペクトル的に現れることによって 正規分布上で激しいバカが犯罪に陥ることになるのである

正規分布上は大半のヒトは犯罪には陥らないが 制限速度を守らないとか 駐車禁止の場所に車を停めるなどの不法行為を一切したことのないヒトなどいないであろう

時折無駄に暴走して赤信号に詰めようとするバカを見かけることがあるが そいつにとってはそれが「常識」だと信じ込んでいるから治らないのである

刑法懲罰というものが社会安全性にとって無駄であることは統計的にも論理的にも立証されているにも関わらず ヒトの多くは「刑法懲罰判決で解決だ」という生育環境によって刷り込み学習された「常識」を盲目的に信じ込んでいるからこそ いつまでも無駄な因習に取り憑かれ 実効性のある対策がなされず 結局社会情勢という環境依存性によって犯罪が増えることになってしまっているのである

貧困格差が犯罪の一つの原因だとは言えるものの しかし貧乏人だけが犯罪を犯すわけではなく ロシア大統領や北朝鮮労働党書記長であっても国際法を無視した暴挙に出ることはある

「金持ちはケチな犯罪を犯さない」とは言えるものの むしろ重大犯罪は金持ちの方がやらかすものである

日本大学の田中英寿理事長も 原発を暴走させた東京電力の取締役員達も 東芝の取締役員達も 角川や青山の社長も 貧乏ではない

ホリエモンだって同じだろ

貧富格差という環境に左右されてしまう環境依存性が犯罪の増減に影響してしまうのは 元々犯罪予備軍の存在が環境変化に呼応する形で犯罪増加という結果をもたらしているのであって 貧富格差そのものが犯罪の根源的原因ではない

もちろん貧富格差は公平性や人権の観点からは解消しなければならないが それは犯罪との論理的相関はない

ヒトの脳というのは利己的利益を優先するようにしか出来ておらず 究極的な利己を論理客観的に追求して初めて社会的責任にまで意識が働くようになるのである

「バスケのプレーで脳波同調による協調性が得点獲得に有利に働いた」だとか 「将棋の指し手を直感で見抜く」といった「世間的成功事例」だけを挙げておけば 衆愚マスコミは「良いことづくめ」などと称して万能であるかのように倒錯するが これらは「世間的成功事例」が利己的利益に直結していることから短絡的に「良いことづくめ」だと満足感があるから倒錯しているだけであって 一面的効用の抽出だけで脳が満足して万能であるかのように倒錯しても もっと「人間」として重要な社会安全性や公平性とは無関係であることには誰も気づくことができない

これもまたヒトの先天的な認知上の重大な欠陥が原因である

脳波シンクロによる協調行動というのは ヤクザや強盗でも働いている可能性はある

直感的に警察に捕まらないように逃げられても人間性の論証にはならない

それらは生物として生存にとって有利な利己的行動合理性の立証にはなるものの 人間としての社会性には全く適合しない

カマキリが兄弟同士で共食いをすることで 結果的に生物として存続することが可能だとしても それは全て「結果」であって 「生物としての存続」しさえすれば「生物としての存続」に対する結果的合理性があるのは必然であり 生物やその遺伝的進化の全てはチャールズ:ダーウィンが言うように「自然現象」に過ぎず 生物やその遺伝的進化には「目的」に則った合理性は存在しない

オジギソウが刺激によって枝や葉が動く性質も オジギソウが「天敵に食べられないように進化を選んだ」わけではなく 動く性質を偶発的に獲得した結果として葉がより大きく動く変異へと淘汰され収斂進化した結果であって もし植物が意図目的に基づいて進化を選べるのであるならばオジギソウ以外の植物が外部刺激で動くように進化をしないことの説明がつかないのである

iPS細胞研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥もまた 遺伝的進化に対して「偶然とは思えない」などという主観的感想に基づいて遺伝的進化に意図目的が介在するかのような説明をしていたが 所詮は論理思考のできない「バカ生物学者」の範疇に過ぎない

「思える」かどうかは論理客観的論証の根拠には全くならない

主観的感想を科学に持ち込んでしまっていたのでは科学者としてデクノボウにも程があり 正に「ジャマ中伸弥」という他ない

論理的理解ができずに非科学的デマを流布しているのであればノーベル賞も返上すべきである

 

ヒトという種の生物の先天的本能や習性は全て遺伝的進化の「結果」であり そこに合理的な意図「目的」のようなものが介在する余地はない

どんなに戦争や犯罪のような「人災」が無くなるように願おうが祈ろうが呪おうが 後天的願望は先天的要素には影響を及ぼさない

暴力を用いて物事を「解決」だと倒錯しないヒトに進化が促されるためには バカを片っ端から殺害するか 断種政策を採る必要があるが それを実行しようとすることそのものが個人の人権を無視したバカの骨頂である

ヒトは遺伝的進化のプロセスである淘汰圧力から逃れることによって安全で公平な社会を目指してきたのであり 遺伝的進化を万能だと倒錯しているバカ生物学者の主張を鵜呑みにしていることもまた 社会的に極めて無責任な「同罪」である

だが 「罪」というものは「間違い」であって 罰で解決するべきものではなく 間違いの原因究明をして再発防止をすることで 似たような間違いに陥らないための教訓知識とすることで 社会安全性を高めることができるのである

スポーツや将棋で金儲けや社会的成功をすることが人間としての価値になるわけではなく たとえ誰からも評価されないとしても社会安全性や公平性を基準とした「真理(本当のこと)」を追求して 初めて「人間」としての価値になるのであり 多数人気や世間的成功は無関係である

世間的成功例さえ挙げておけば衆愚マスコミは糠喜びして脳波同調だの直感を万能だと倒錯し盲目的に脳生理学研究者の主張を鵜呑みにするが 「自由意志など存在しない」などという荒唐無稽な非科学的デマを流布している脳生理学研究者なんぞを東京大学で雇っている社会的無駄に言及すべきであって デマを鵜呑みにしていたのでは報道としての社会的役割の放棄にしかならない

ゴリラがゴリラ社会において平穏だとしても それはゴリラの生息環境に依存した結果であり 山極寿一が入りこめば頭を噛まれることにもなり

チンパンジーも食料が枯渇するという環境変化に依存してヒヒやゴリラを殺害するのであり

ヒトの大半が戦争をしないからといっても 実際に戦争は起こるのである

山極寿一は「ヒトの大半は戦争をしないことを知れば 戦争はなくなる」などという論理的には何の根拠もないデマで衆愚人気を集めているが 衆愚人気は科学的論拠には一切ならない

「金がなくなったから強盗をした」などというのも環境依存性であり そういうバカは逆に金や権力に取り憑かれれば談合でも組織腐敗でもやらかすものであり 「食い物に困ったからゴリラを殺したチンパンジー」と行動原理は同じである

霊長類の大半が平穏に暮らしているのは 平穏に暮らせることが可能な生息環境に依存しているからであって 主体的に平穏な社会を求めて自らの遺伝的性質を都合よく書き換えたわけではない

それはヒトも同様であり 先天的な本能習性任せに「人間性」が発揮されるようには遺伝的にはできていないからこそ通り魔やテロや戦争のようなバカげた最終解決に暴走するバカが後を絶たないのである

「目的意識」という言葉があるように 目的とは論理客観的検証性という意識なくしては簡単に見失うものであって 目先の情動や欲望に流され 「信じたい話」だけを信じ込んでいても人間としての「意識」や「知能」とは言えないのである

「知能」が働いていないから「バカ」なのである

なぜ「知能」が働かなくなるのかと言えば 「自分だけは絶対に間違えない」という自己過信による盲目性(人間としての欠陥)が先天的情動に組み込まれているからである

繰り返すが バカは遺伝的進化ではなくならない

そもそもヒトは遺伝的進化から逃れた存在であり 「バカを殺し断種すれば頭が良いように進化する」などという発想そのものがそもそもバカ丸出しなのである

ヒトは先天的に認知上の重大な欠陥を 進化的に持っている存在であって ハードウェア的な先天的欠陥を 後天的にソフトウェア的な知識教訓による「パッチ」をあてることによって ヒトは「賢く」なること「も」可能である

たとえCPUにバグがあったとしても ソフトウェア的にバグをリカバリーすることが可能であり 将来的にゲノム編集などで先天的バグを改善可能になるまでは 現状の「ヒト」というハードウェア上で認知上の重大な欠陥をリカバリーしてゆく他に選択肢はなく

主観的安心満足に溺れることなく 常に論理客観的に「目的意識」を持って検証する知能を 半数以上のヒトが持たなければ民主主義はバカ主義に陥ることを避けられない

ヒトの多くはイマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などといった根拠のない実証不能の謎の観念に誰も異論を唱えてこなかった

しかも科学哲学者カール:ライムンド:ポパーですらカントを評価していたという話もある

現代日本人の大半も 養老孟司の著作を読んだ満足感に溺れて「自分の頭は良くなった」と勝手に倒錯し 何の疑問も持たないバカしかいない

マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」でいくら主観的に「悩んで」も 倫理的問題解決には一切辿り着かないことには誰も気づくことはない

生物学者共の支離滅裂な遺伝的進化の説明についても 誰も何の疑問も論理的齟齬にも気づくことはなく NHKなどのマスコミも支離滅裂なデマを鵜呑みにして垂れ流すという失態を訂正すらしない

自分たちの頭の悪さを棚上げにしておいて 「どうして戦争がなくならないんだろう」などと悩んでいるのは トンチンカンなバカとしか言いようがない

 

 


Ende;

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後天的意図目的は遺伝的要素には影響を及ぼさない

2023年02月23日 22時57分14秒 | 意識論関連

もしエピジェネティック情報(の大半)が子孫に受け継がれるのであれば、キリンが高いところの葉を食べようと首を伸ばし続けたために首が長くなったというような、ラマルク的進化の考えを支持することになるが、現在ではそのような考え方は基本的に否定されている。すなわち、エピジェネティック情報は生殖細胞において消去されて(初期化されて)、子孫には受け継がれないと考えられている。

 

 ↗出典:現代メディア -講談社

 

 


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暴力の根絶

2023年02月22日 14時50分39秒 | 意識論関連

ゴリラが喧嘩を始めた時に 幼い子供が介入すると怒りが収まって喧嘩が収束するという

ヒトでも同じような効果があって

スーパーのレジ待ちの列が長い場合に 前の人が抱いているちっちゃい子供の寝顔を見ていると長時間待っていてもイライラはしない傾向がある

「かわいいは正義」だと言った人がいるが 半分冗談だが半分理にかなっている

 

ところが虐待をする親というのは ちっちゃい子供にイラついて暴力を振るったりするわけで 「かわいい」と主観的に脳が満足するかどうかは生育環境によって大きな影響を受ける

子供の主体性を尊重する親というのは 自分が幼少期に主体性を尊重してもらえた経験があることで親としての社会的責任も果たせるのであって 幼少期に虐待され封建的家庭内で順位序列を「下」として扱われる程小さな子供に対しての「かわいい」という慈しみの感情が削がれてしまう傾向が強い

 

スーパーボランティアとして有名な尾畠春夫氏は 幼少期に母親を亡くしているそうだが その母親というのがとても優しい方だったと本人が回想しており 無償の愛を受けて育つことで社会的にも献身的活動に苦労を惜しまなくなるようである

言うなれば「親ガチャ」の影響が個人の社会的責任行動選択に色濃く影響してしまうのだが どちらの方が人間としてあるべき姿なのかは虐待を繰り返す親であっても客観的には「わかって」いるものである

論理客観的には「わかって」いながらも 情動(主観的感情)がそれを許さないために反射的無意識に虐待を繰り返してしまうことになる

脳の記憶 つまり「学習」というものには2つの側面があり 動物行動的な行動学習として促される無意識な側面と その動物的情動行動を論理客観的に検証し主体的に行動選択を行う人間としての本質的な意識の側面がある

迷惑系ユーチューバーの「へずまりゅう」はスーパーで働いていたことがあり 迷惑な客を何人も見てきた経験から行動学習的に学習してしまい 「迷惑者はザラにいる だから自分の迷惑行動なんぞたいしたことではない」という屁理屈を展開し正当化出来ていると倒錯する

「迷惑である」と認識していながらも それを程度問題にすり替えて迷惑行為で注目を集めようとするのが「バカの典型的発想」である

ウラジミル:プーチンの発想も同じで 「アメリカだって ありもしない大量破壊兵器をネタにイラクで戦争をやった」などと正当化の屁理屈をでっち上げる

迷惑者というのは自分の迷惑行為を正当化するために「他人の迷惑行為と同じだ」という主張の形式を採る

要は「他人の所為」にすることで迷惑行為を正当化できていると勝手に勘違いしているのである

自分の迷惑行為を正当化できる都合の良い事例だけを抽出してきて 本来論理客観的には何が本当に正しい行動選択であるのかを「わかって」いながら主観的に満足できる欲望を満たすための迷惑行為しか選択ができない

自分で自分がままならない不自由でありながら 主観的満足という選択不可能な「欲望」に逆らうことができない だから「バカ」なのである

こうした「バカ」というのはプーチン等のあからさまに迷惑な「犯罪者」に限ったことではなく 「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠れている」のであって ヒトという種の生物の頭の悪さというものはグラデーションでありスペクトルな程度問題でしかない

組織腐敗などというものはどこの国でも組織でも生ずるものであり 日本大学でも東京電力でも東芝でもオリンパスでも自衛隊の中でも生ずるヒトの普遍的な認知上の重大な欠陥に起因するものであり 結果的に重大な事象だけを悪者探し的に「糾弾」し刑法手続きなどで懲罰的に差別排除しておけば「解決」するようなものではなく 組織を構成する個人がどうして自律的な社会的責任を負わなくなったのかについての徹底した検証が必要なのである

本当に社会から暴力を根絶するために必要なのは 衆愚観念的「正義」に基づく司法手続き的懲罰ではなく むしろ暴力者がなぜ中毒的に暴力に溺れてしまうのかについて 生育環境も全て含めた徹底検証が必要なのである

重大犯罪者というのは いうなれば「人間としての大失敗」であり 失敗から学ぶことによって教訓知識として社会安全性の確立に活かすことこそが本当の社会安全性にとって優先されるべきなのであり 「死刑にしちまえ!」と怒鳴り散らして満足するというのは むしろ社会的に無責任な情動(欲望)を優先した行動であり 結局犯罪者のバカな発想と程度の差こそあれ構造は一緒である

宗教 特に仏教では「慈悲」を説き 懲罰的暴力を戒めるが 社会安全の立場 危険学や失敗学の観点からみても刑法というものは徹底した原因究明において邪魔な感情論に過ぎず 論理客観的には何の合理性も持たない「因習」なのである

刑法などの懲罰というものは ヒトという種の生物の祖先において 生存や繁殖において有利に働いた結果的に遺伝的性質として組み込まれてはいるものの 決して論理客観的合理性が伴うような都合の良いものではなく ゴリラやチンパンジーなどの「野獣」における社会正義にしかならない

ヒトが「人間」としての社会的責任行動判断選択をするために必要なのは ヒトの先天的本能習性に無意識に流されることではなく 主体的 自律的に論理客観的根拠に基づいた真理(本当のこと)を識別し理知的に行動選択をする必要がある

キングコング西野が言うような「世の中には一定数バカがいるから イタズラができないようにしておけば解決」という短絡的発想は根源的解決には全くならない

それは「一定の対策」にはなるものの 現代社会においては百均で売っている商品だけで簡単に大量殺戮も可能なのであり 大量殺戮をしようとするバカを徹底して減らすための根源的原因究明や対策にまで踏み込まなければ 本当の社会安全には結びつかない

 

ヒトという種の生物は 他の生物同様に自分に危害が及びそうにない危険性には興味を持たない利己性がある

主観的に「怖く」なければ安心して傍観放置する利己性があり 情動的には社会的責任判断選択を行う「人間としての社会性」は先天的には組み込まれてなどいない

ロシア人がプーチン政権を傍観放置するのも ナチス政権下のドイツ人がヒトラー政権を傍観放置したのも 日本大学田中英寿理事体制が長期に渡って温存されたのも 東京電力の無責任「体質」が作り出されたのも あらゆる「人災」には主観的安心に溺れて利己的保身を優先するヒトの先天的本能(生物学上の「社会性」)によって「組織の利益を優先」することで「個人が自律的な社会的責任を負わない」という結果を招くのである

チンパンジー同士が怒り狂って散々騒ぎまくり 脳内物質の相転移による副交感神経の活性によって観念的に「和解」するとしても それは「チンパンジーの知能程度における観念的和解」であって それはヒトの女性がDV男と「和解」したような錯覚(洗脳)状態と同じメカニズムに過ぎない

チンパンジーはゴリラやヒヒを殺害するし 虐待されて育てば虐待を連鎖もする

しかし ヒトは暴力や虐待というものが本当は良くないことであることを余程脳に認知的障害でもない限りは「わかって」いるのであって 主観的気分という無意識な情動に流されることなく主体的に行動選択可能性が存在しうるのである

「殴りたい」という主観的情動が生じたからといって 短絡的に「殴る」以外の行動選択が不可能ではなく 論理客観性(理性)によって行動抑制を「選択」することは不可能ではない

この理性による選択可能性こそが ヒトとヒト以外の生物との「意識」の根源的差異であって 山極寿一らが主張するような「先天的本能習性によって人間性を立証」することなど構造原理的に不可能な衆愚迎合的デマに過ぎない

理性は先天的本能や本性ではなく 自分の頭で「考え」なければ主体的「選択」も働かない後天的能力であり 決して先天的に組み込まれているものではない

遺伝的進化にも 生物という存在にも 目的など存在せず 常に「拡がりやすい遺伝的要素が拡がる」以上の何も促されることはない

エピジェネティクスという現象であっても 所詮は後天的には選択不可能であることに何ら違いはなく 「子供が肥満になりずらいように」といった目的に則ったエピジェネティクス現象が選べるわけでも 遺伝的要素を都合よく書き換えることにも不可能である

虐待が世代間で連鎖するのも 犯罪者の多くが幼少期に虐待を受けているという事実も あくまでヒトという種の生物の先天的性質に起因するものであり これらを抑制するために必要なのは個人の自律的判断選択以外に何もない

虐待連鎖や犯罪を当事者の「刑事責任」に丸投げしておいても一切「解決」することはなく 社会全体で「治療」を施す慈悲的サポートこそが 結果的には本当の社会安全性にもつながるのである

その実践例こそがノルウェーの「リゾート刑務所」だと言えるのであり 犯罪者の多くが「人間」として育てられなかった社会的不公平を 社会的に取り除く責務は全てのヒトに存在しているのである

犯罪者を「下」に蔑む利己性を棄てる理性こそが 「本当の」社会安全性にもつながるのであって

「情けは他人の為ならず」とは 「巡り巡って我が身の華となる」合理性に基づいた話なのである

 

ヒトは誰しも間違えることがある

間違えた場合に「殴る」のではなく 間違えの原因をみんなで共有して 誰もが間違えないように「ポカよけ」的対策を採ることこそが 生産現場に限らず社会のあらゆる場面において最も「効率」が良い結果をもたらすのである

東条英機を死刑にしても 麻原彰晃を死刑にしても ウラジーミル:プーチンを死刑にしても戦争がなくなるわけではない

ヒトがどういうプロセスによってバカになり 非合理な戦争破壊で満足してしまうのかについての徹底検証が必要であり

犯罪においても非合理な「懲罰」で「解決」だと倒錯しているヒトの先天的な認知上の重大な欠陥(錯覚)を認識する必要がある

 

 


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人格の源

2023年02月22日 00時39分16秒 | 意識論関連

一般大衆観念上では 個人的好き嫌いが「人格」を形成するものであるという解釈をしているようだが 個人的好き嫌いというものは個人の身勝手なものであって そんなものが人間としての「人格」の論証にはならない

記憶を「人格の源」だとも形容しているが 個人の経験や記憶はそれだけで人間としての「人格」が形成されるわけではない

自我や記憶は「個性」にはなっても「人格」にはならない

暴走族が暴走族をカッコイイと「思う」 その個人的好き嫌いは人間としての「人格」の論拠には全くならないからだ

人間としての「人格」とは 個人的な主観的好き嫌いに関わらず論理客観的に合理性のある行動選択を行う理性によって形成されるものである

理性なくして人間としての「人格」は形成されることはなく マインドセットによる個人的好き嫌いは人間としての「人格」にはならず 単なる主観的で身勝手な好き嫌い以上の意味はない

未成年女子のスカートの中を見たいと「思う」として それが個人的に「好き」だとしても 情動のおもむくままにスカートの中を盗撮すれば犯罪者でしかない

スカートの中を見たいと主観的に「思う」としても その欲望や情動が社会的迷惑であることに基づいて行動抑制することによって初めて人間としての「人格」として機能するのである

同性愛者に対して主観的に嫌悪感を「感じ」るとしても それを短絡的に社会的行動に直結させなければ人間としての社会的「人格」として機能するのである

記憶に基づく個人的好き嫌いに過ぎぬ自我の欲望は 人間としての「人格」を形成しない

「目立ちたい」という個人的で身勝手な欲望に基づいて渋谷のスクランブル交差点で打ち上げ花火を乱射していて「人格」もスッタクレもない

それはもはや「人格」ではなく 欲望を自己制御も抑制もできないバカでしかない

「人格」を形成するのは個人的好き嫌いではなく 論理客観的検証による真偽の判定に基づいた合理的行動選択であって 主観的に「信じたい話」だけを信じ込んでおいて人間としての「人格」を発揮することは不可能である

一人の個人の中には様々な好き嫌いがあり 価値観の相反によって「葛藤」も生ずることがある支離滅裂なものであり 「欲望そのものを欲することはできない」のだが どの欲望を優先するのかを選択してこその人間としての「人格」である

虐待されて育ったからといって 自分の子供を虐待する以外が選択不可能であれば「人格」とは言うことができない

 

短期記憶を司る海馬は あくまで大脳辺縁系であり 「信じたい話」だけを信じようとするヒトの先天的な認知上の欠陥もまた 海馬による動物的な価値観の偏りによって長期記憶が形成されてしまうのが原因である

虐待されて育った人が 自分の子供にまで虐待を「連鎖」してしまうのは 海馬による動物行動的な刷り込み「学習」によって作り出されるものであって 選択不可能な生育環境の影響から逃れられない選択不可能性というものは 到底「自由意志」とは言えないのである

ロシア人がプーチン政権に迎合してしまうのも ナチス政権下のドイツ人がヒトラー政権に迎合してしまったのも 日本大学田職員達が中英寿理事体制に迎合してしまったのも 組織における自己保身という利己的行動を海馬によって脳が「学習」した結果である

東京電力福島第一原子力発電所において原発の津波に対する脆弱性が放置されたのも その方が東京電力社内においては利己的保身になったからである

海馬がどのような記憶や好き嫌いを形成するのかは あくまでヒトの祖先が生存や繁殖において有利な行動を促したかどうかで淘汰収斂によって遺伝的進化を促した結果に過ぎず そもそも遺伝的進化には合理性も目的もなく 単に「死なずに繁殖が継続している」ものが「生物」や「遺伝的進化」という結果であり 暴力的独裁者に服従迎合忖度同調しておいた方が生存や繁殖においては有利に働くのであって 封建的階級差別社会にヒトが陥るのは先天的な「社会形成習性」によって促される無意識な行動バイアスに起因するものである

軍隊のように特定個人を「権威」とみなして唯々諾々と統率的協調行動を採る集団の方が環境資源の奪い合い競争において生存や繁殖において有利に働くのは必然的結果であり 生存や繁殖に適した行動というものはいつでも暴力や差別が伴うものである

ロシアではプーチン政権を批判すれば政治犯として投獄され 学校ではイジメに反対すればイジメの標的にされるのであって こうした「事実」は生存や繁殖に適した行動によって人間としての社会性が進化的に組み込まれるメカニズムやプロセスの反証である

特定集団内部だけにおける利他的行動だけを都合よく抽出してきて「先天的人間性だ」などと言い張る生物学者や社会学者や哲学者というのは 「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」かのような論説をでっち上げて衆愚人気を集めるための非科学的デマである

日本大学田中英寿理事体制内部や ヤクザや暴走族内部 プーチン政権内部における利他的行動や 組織の利益に適する行動が「人間としての社会性」に適さないことは自明であり 利他行動のすべてがあたかも人間性として機能するかのように言い張るのはご都合主義による「嘘」でしかない

国会原発事故調査委員会調査報告書における事故の根源的原因として 「組織の利益を優先」したからこそ「個人が自律的な社会的責任を負わなかった」のであり 集団統率的協調性を発揮する先天的な社会形成習性を人間としての社会性にこじつける生物学者どもは科学的論証をすっ飛ばしたデマや嘘によって衆愚マスコミから人気を得ているに過ぎないペテン師の集まりである

 

 

 


オプトジェネティクス

チャネルロドプシンは光に反応してイオンゲートを開く

⇨チャネルロドプシンって光感受性があるの? 脳の中なのに?

 

意識がなくてもエピソード記憶ができる(ベルン大学 スイス)

サブリミナル効果

脳梁切断によって意識が分離する

ブレインマシンインターフェイス

「鳥が怖い」 その原因は当人にはわからないが好き嫌いとしては記憶が形成されることで「怖い」と刷り込まれている

⇨「怖い」という記憶が形成された時点では意識は必要であり 恐怖体験の細部を忘れているだけであって 「意識がなくてもエピソード記憶ができる」ことの論証にはなっていない

 


⇨ヒトの脳をコンピュータ上に「移植」可能かと言えば 理論的には可能ではある

先天的情動を司る辺縁系も含めて記憶のすべてを「移植」した時点では良く似た反応をすると思われるが 脳だけをシミュレートしただけの電子回路上の「コピー」が 実体としてのヒトと同じであり続ける保証は何もない

入出力までは完コピすることはできない

電子回路上の「コピー」がコピー元の実体のヒトと同じ行動選択をする保証はなく そもそも「コピー」を複製しただけではコピー元の実体のヒトが寿命などで死ぬことに違いはなく 何一つ「不死」にはならない

そもそも脳を完コピしてしまえば老化プロセスもコピーすることになり 何一つ「不老」にはならず 老化プロセスを排除した時点でコピー元の実体のヒトとは「別のヒト」に変容することになる

 


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「信じたい」かどうかは主観であって論理客観的根拠には一切ならない

2023年02月21日 01時12分41秒 | 意識論関連

山極寿一は「チンパンジーは喧嘩をすることによって和解が促される」と主張していたが

これはDV男が散々暴力をふるうことによってセロトニンが分泌され副交感神経が優位になることで急に優しくなる現象と同じものである

糞DQNが夜中に泥酔して騒ぐことによってストレス発散になるのも同じであり

これらの迷惑行為を「和解のため」などと称して正当化できるものではない

チンパンジーが騒乱することでセロトニンが分泌され副交感神経が優位になることで和解になるのは 単なる脳内物質の相転移による情動の変化に過ぎず 合理性は何もない

 

ヒトが正義を振りかざして懲罰行動を採るのは それが生存や繁殖にとって有利に働いた結果であって 生存や繁殖という「結果」に対する合理性が存在するのは必然である

「水が低い場所に流れる」という結果に対して その流路に合理性が存在するのは必然なのと同じであり

ヒトが正義を振りかざして懲罰で満足するのも 水が低い場所に流れてゆくのも結果であって目的に基づいた合理的行動選択ではない

単なる脳内物質の相転移で主観的に満足安心するだけでは論理客観的根拠に基づいた合理的行動選択にはならない

強盗殺人犯に対して司法裁判で25年の懲役刑判決が確定したからといって それが強盗殺人をやらかすようなバカが発生する根源的原因究明にも再発防止にもならず 実際に出所直後に殺人を犯す事例が幾度も繰り返されているのである

そこまで典型的な再犯例はそれほど多くはないが 再犯率は未だ高く 「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠されている」のであり 懲役罰というものは司法制度によって「犯罪者間における罰の公平性」などによって決定されているだけであって 論理客観的な原因究明や再発防止とは全く無関係な「手続き」でしかないのである

司法手続きというものは 役所(裁判所)の業務として執行されているだけであって 「人間としての重大な失敗例」或いは「ヒトという種の生物の先天的危険性」についての徹底した科学的検証にはなっておらず 従って通り魔もテロも強盗殺人も具体性のある再発防止がなされずに何度も繰り返し続けるのは むしろ必然というものである

 

懲罰や報復というものに主観的満足や安心を「感じ」るのは ヒトという種の生物の先天的で選択不可能な結果的本能習性に過ぎず どんなに主観的に安心満足しようとも 夜中に泥酔して騒ぐことで身勝手なストレス解消になっても 根源的な問題解決には一切ならない

DV男が配偶者や子供に暴力を振るうことで脳内物質の相転移が生じ 急に優しくなっても それによって配偶者やDV男が主観的「和解」だと倒錯しても DVそのものの解決には全くならず むしろDV状態が温存され 一種の洗脳盲目状態を維持し続ける結果しかもたらさず 問題の根源的解決には遠ざかるばかりである


山極寿一は霊長類の研究者であって 霊長類の先天的本能習性に対する事後正当化の「こじつけ」を繰り返すだけであって 先天的本能習性という「結果」をいくら陳列枚挙しても 人間としての「目的」行動選択の論証には全くならないのである

山極寿一に限らず生物学者のほぼ全員は 遺伝的進化によってもたらされた先天的形質や本能習性を「目的のために選んだ」と主張し続けてきたバカである

その頭の悪さをはぐらかすために 生物学者どもは結果に過ぎない先天的本能習性に対して都合の良い「こじつけ」を繰り返し 文科系マスコミどももまた大半がバカであるために論理思考が成立せず ただ学術権威の肩書だけを理由に生物学者どもの支離滅裂な話を漫然と鵜呑みにするだけである

 

山極寿一の主張というのは ほとんど「やりすぎ都市伝説」レベルのこじつけであり 到底科学的論証にはなっていない

チンパンジーの先天的行動習性をどんなに事後正当化して人間性の論証であるかのようにこじつけても チンパンジーは決して人間社会の中で安全に暮らせる生物ではなく 子供の時以外は檻に隔離しなければならない野獣であり 野獣の先天的本能や行動習性から都合よく「こじつけ」を繰り返しても人間としての社会性を論証することは原理的に不可能である

チンパンジーの和解プロセスは ウクライナ紛争にもパレスチナ問題の解決にも何ら影響を及ぼすことはなく ただ衆愚マスコミが「チンパンジーって賢いんだわ」などと勝手に妄想して安心満足するだけの「お伽話」に過ぎない

ヒトは主観的に安心満足さえすれば何の疑いも持たなくなり 論理客観的根拠があろうがなかろうが「信じたい話」だけを信じようとする先天的な認知上の重大な欠陥を持った生物である

後天的に何を願おうが考えようが祈ろうが望もうが呪おうが 遺伝的進化には影響を及ぼすことはない

ヒトが戦争などの暴力を根絶するために必要なのは ヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の重大な欠陥を自覚し 「多数」や「権威肩書」といった外見に惑わされることなく自分の頭で論理客観的に真偽を判別する必要性がある

それは最低限人類の半数以上が獲得出来なければ 民主主義は「バカ主義」にしか陥らない

バカ主義がどのような結末に至るのかはカオス(混沌)であり どのような悪い結果に至るのかは誰にも予測不可能である

学生にばかり認知科学的には何ら知能の論証にもならぬ学力偏差値を求めておきながら 大人の大半は自分の頭で論理客観的に真偽の判断をしないというのは 身勝手極まりない精神の怠慢である

 

そりゃ組織腐敗も戦争も起こるだろうよ

誰も徹底した論理客観的原因究明や再発防止には興味を持たず 司法判決で安心満足しているだけだからな

ロシア軍の野蛮行為も 北朝鮮による挑発行為も 戦前戦中の日本陸軍が朝鮮半島や中国大陸や東南アジアでやらかした戦争犯罪とさしたる違いはない

民族国籍が問題の根源ではなく ヒトという種の持つ普遍的危険性としての先天的な認知上の重大な欠陥こそが社会安全性や公平性を損なう最も根源的原因なのであり 太平洋戦争やナチスの戦犯を何人死刑にしても戦争そのものに対する根源的原因もわからなければ 必然的に再発防止にもならない

 

毎日のようにNHKが特殊詐欺の手口を紹介しているにも関わらず バカはATMで還付金が受け取れるものだと信じ込み キャッシュカードを封筒に入れ 暗証番号を教えてしまうのは 「自分だけは絶対に大丈夫だ」という慢心による主観的安心満足が働いているからであり

アクセルとブレーキを踏み間違えても踏み替えることができないのも 「自分だけは絶対に踏み間違えたりはしない」と主観的に思っておけば安心満足だからである

「自分も踏み間違えることがあるかも知れない」と自覚していれば もし踏み間違えた場合を想定してエンジンをかける前にペダルを踏み替える練習もするものだが それすらしないのは自己過信による主観的安心満足に溺れて何の問題意識も働かないバカだからである

ヒトという種の生物が先天的にバカだからこそバカが治らない

バカが治らないのは 自分の何がどのようにバカなのかを理解自覚しようともしないからである

 

 

 

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論理的根拠のない「思い込み」を「考え」と錯覚しているからバカが治らない

2023年02月05日 00時14分07秒 | 意識論関連

多くの科学者たちは、「オオアリクイが捕食者から身を守るために進化した」と考えています。

 ↗出典:頭を2つ持つアリクイの動画が話題に!科学者「偶然ではなく進化です」

 

⇨遺伝的進化のアルゴリズムはランダムな変異と淘汰圧力の結果であり 変異そのものがランダムである以上あらゆる遺伝的進化の全ては偶然の結果である

遺伝的進化のアルゴリズムには「○○のために進化」を主体的に選べるメカニズムは存在していない

蛾の一種が蜂に擬態進化したのも 偶発的に蜂に似た変異への収斂進化の結果であって 「蛾が自らの姿を蜂に似せるために自らの遺伝子を都合よく変異させた」わけではない

アリクイがどう「見える」かもアリクイ自身が「選ぶ」ことなどできず 「生存戦略」に則って自らの遺伝子を都合よく選ぶことなど原理的に不可能である

どんなに「多くの科学者(生物学者)」共が「生存戦略」概念を信じ込んでいるとしても 多数という「数」は科学的根拠には全くならない

科学は多数決ではなく 論理客観的根拠に基づいて検証されるべきものであり 現状の生物学界というのは多数のバカ生物学者共によって科学を逸脱したオカルトに陥っている証拠でもある

 

 

 

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正義という名の暴力

2023年02月04日 23時42分01秒 | 意識論関連

見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。人権や価値観は尊重するが、認めたら、国を捨てる人が出てくる」(荒井勝喜 総理大臣秘書官)

 

国を捨てる人が出てくる」というが

それもこの国では自由なので平等や自由が嫌いならロシアにでも亡命すりゃ良いんだ

 

自分の主観(個人的好き嫌い)を自分の意識の本質だと倒錯しているからこういうバカみたいな発想が出てくることになる

個人的好き嫌いに拠らず人権や価値観や存在を認めるのがダイバーシティ(多様性)というものである

 

学校の入学試験というのは教師が決めた基準によって合否を差別するわけだが それは多様性を容認していないことにはならんのかということである

入学試験の問題は教師が決めているが 別に認知科学的根拠に基づいて知能を測っているわけではない

イギリスの大学では教師が主観的に教えたいかどうかを基準に選別するという

そもそもなぜ どこかの学校に合格しなければ知りたいことや学びたいことが学べないのであろうか それは憲法でも保証された「教育の義務」に反していないだろうか

生徒子供が知りたいこと 学びたいことを 大人や社会が勝手な基準で線引きをして制限をかけるというのは 明らかに「教育の義務」を放棄しているのである

知りたいこと 学びたいことがあるのであれば それは誰もが平等に学べるようになっているのが公平というものであって 教育機関が平等を放棄しておいて良い理由は何もない

学歴を目的とした学力偏差値お受験ビジネスの金儲けばかりが蔓延し 教えられた内容に間違いや嘘が混入していても誰も気づかないバカだからこそ東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒き散らすような結果にもなる

 

宮台真司は「犯人の動機が知りたかった」などと述べていたが 「暴力で何かが解決すると思っているようなキチガイの動機」を知っても 所詮は「頭にきた 腹が立った」以上の「動機」は出てこない

本当に社会から暴力を根絶するために必要なのは 「なぜ自分の主観的感情に基づいた身勝手な正義や道徳観を振りかざし 非合理な暴力破壊に暴走破綻するようなバカになってしまうのか」について徹底検証することである

通り魔の「動機」を知っても意味はなく 「行動の動機に合理性が欠如してしまう頭の悪さ」を検証しないことには通り魔事件の根源的原因は藪の中である

 

ヒトという種の生物は 暴力破壊によって気に入らない相手を攻撃することで満足する習性がある

これはサルでも同じであり ヒトの脳も大脳辺縁系(古い領域)の構造はサルと同じであり 情動そのものはさしたる違いはない

 

例えば 煽り運転をした奴を特定したとして その煽り運転野郎を寄ってたかって殴ったら 煽り運転が発生する根源的原因が解明されて煽り運転がなくなるかと言えば

関係がない

それは司法手続きによる刑法懲罰でも同じである

ところが「正義のSNS民」共は再発防止などの社会安全性には興味が全くなく 目の前の主観的正義を振りかざすことによって人々を恐怖によって抑圧することによる優越感が優先し デマや嘘でも簡単に鵜呑みにできるようにもなる

これはそもそも懲罰という暴力によって 他人を恐怖で抑圧支配することこそが「安全保障」だと倒錯しているからである

これは「煽り運転をする奴」や「腐敗した独裁政権の発想」と全く同じものである

なぜ「煽り運転」や「SNS上の誹謗中傷」などという身勝手な正義を振り回すようなバカになったのか その根源的原因はヒトの先天的な認知上の重大な欠陥に起因するものである

「罰を与えれば解決」

梅沢富美男ヨロシク凶悪犯罪者に対して「こんな奴は死刑にしちまえ!」と怒鳴り散らせば多数の衆愚人気を集めることは簡単である

凶悪暴力殺人事件の再発防止のために論理客観的に原因究明することよりも 集団で殴っておいた方が気分が良くなるようにヒトの大脳辺縁系は出来ている

ヒトの祖先がどのような進化の過程によってこのような懲罰的正義行動バイアスが組み込まれたのかは知らないが 懲罰的正義というものが物事の根源的解決や問題の再発防止において合理性がないのは明らかである

だから失敗学や危険学では刑法懲罰を一時停止し 再発防止のための根源的原因究明を最優先するのである

それに対して多くのヒトは「被害者感情」を持ち出して主観的納得感ばかりを優先し 刑法懲罰の判決という手続きだけで「解決」したことにしてしまい 根源的原因が全く検証されずに再発可能性を放置しておいても何とも主観的には「思わ」ないのである

東京電力の社員であれば 上司のご機嫌を損ねれば会社に居づらくなることを怖れ 原発の津波に対する脆弱性を放置する

ロシア兵であれば 上官のご機嫌を損ねれば暴力を振るわれることを怖れ命がけで腐敗政権の命令に服従する

外見上は「勇敢」であるかのように解釈することも可能であるが 実際には兵隊というのは上官に逆らうことが怖くて命令に従っているに過ぎない

特攻隊も同じであり 実際には自分の主体的意志など一切なく 世の中の多数が特攻を英霊だと英雄視しているものだと勝手に錯覚していたからこそ 終戦後に特攻崩れは「荒れた」のである

「英霊英雄扱いしてもらえる」という外的動機に「流されて」いただけであって 意志も主体性も一切なかったからこそ 社会に対して報復的に「荒れた」のである

評価承認欲求中毒になると 自分の頭で物事の真偽を一切検証しなくなり 多数や権威の意見をバカみたいに鵜呑みにして平然と非合理な行動もできるようになるのである

迷惑行為を動画で公開するバカも後を絶たないが 目先の再生回数や「目立つ」ことだけしか頭が働かなくなるからこそ迷惑行為を自分から公開して巨大な墓穴を掘っていることには一切気づかなくなる

プーチンや麻原彰晃が戦争を始めてしまうのも 目の前の取り巻き達からの評価承認に流される形で 取り巻き達にウケの良い行動選択ばかりをした結果 破綻への暴走に歯止めがかからなくなる

北朝鮮政府の無謀な挑発行為もメカニズムは同じである

バカが考える形式にさしたる違いはないからだ

 

兵隊は自分の頭で物事の真偽を検証したりはしない

あくまで上官の命令に従うことで評価承認を得ることだけで頭いっぱいになっているからである

独裁政府が暴走するのも 迷惑系動画が後を絶たないのも 自己客観性が完全に抜け落ち おだてて気分良くさせてくれる相手(信じたい相手)の話だけを信じようとするからである

ヒトは主観的に「信じたい話だけを信じようとする」ものであって それこそが安心であり満足であるからこそバカげた行為も平気でできるようになる

それは「ヒトという種の生物」の意識ではあるものの 主体性のある一人の「人間」としての意識ではない

「ヒトという種の生物」でありさえすれば 短絡的に「人間」として行動できるわけではなく 本質的意識によって論理客観的に「目的」意識に基づいて行動選択して初めて「人間」として行動できるようになるのである

 

「話が怖い」かどうかは主観である

主観的に「怖い」かどうかは話の真偽とは無関係である

デマや嘘を信じ込んでいるバカというのは デマや嘘に安心満足感を主観的に感じているからバカになるのであって オウム真理教の信者に「お前さんの信じている教祖はキチガイだぞ」と教えても拒絶しかしないのは 嘘やデマに安心している自分を過信しているからである

自分を疑うことは決して楽しいことでもなければ安心満足感もない

だが 自らの頭の悪さを自覚した分だけはバカから脱することにはなるのである

バカのままでいた方が きっと安心満足なのであろう だからプーチンは戦争をやめることができず 金正恩は挑発行為をやめることができず アメリカは核兵器による「抑止力」を正当化するのである

 

 


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