配偶者を選ぶにあたり、美しい(と本人が感じるところの)容姿、身長、社会的地位(すなわち裕福さや名声)、思いやりや誠実さといった性格的特徴をもとに配偶者を選ぶ人たちがいるように、生存性の高い優れた遺伝子の顕われを人々は探しているだけである。知性とはそうした顕われの一つであると思われる。(一部抜粋)
人類の知能の進化 Wikipedia
どうしても生物学者ってのは遺伝的進化に目的が存在していて 先天的本能が促すあらゆる行動にも事後的に意味をこじつけることを科学だと信じて疑わない
遺伝による先天的形質や習性というものは全てが必ず生存や種の保存などに適する保証はなく あくまで生存や種の保存に適した個体種への淘汰の結果に過ぎない
ある特定の環境下 たとえば狩猟採集生活などに適した「進化」というものが その「進化」の先に生存や種の保存にとって更に有利な進化をもたらす構造は存在しない
先天的本能習性による配偶者選択に目的が存在しているという実証不能の観念に基づいた進化生物学者達による身勝手なこじつけ論法が まことしやかに通用してしまっているのが現状の生物学界の標準であり これは到底科学としての社会的役割を果たしていない
ヒトの配偶者選択が「生存性の高い優れた遺伝子の現われを人々は探している」というが 実際の配偶者選択にそんな傾向性はほとんどみられず むしろ知能というものが学力成績や雑学クイズの正解率だと勘違い錯覚している時点で どうして「生存性の高い優れた遺伝子」を探し当てることが可能だと言えるのであろうか
DV男との配偶関係によって繁殖したところで 知能が更に進化する構造がどこにあると言えるのであろうか
現実のヒトの配偶者選択の実態から乖離した論説は科学ではなく妄想ファンタジーでしかない
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もし 狩猟採集生活をしていた時代が知能的にピークだったというのであれば 現代でも文明から隔絶された環境で狩猟採集生活をしている民族の知能が高いという証拠でもあると言えるだろうか
「チンパンジーの知能がヒトよりも高い」というのであれば 原発や高速バスの運転をチンパンジー任せにできるとでも言うのであろうか
特定環境下においてのみ発揮される特定の能力の高さだけを抽出してきて「チンパンジーはヒトよりも知能が高い」などと言い出すのは
あまりに短絡的で到底科学的検証とは言えない
そもそもチンパンジーの瞬間記憶能力というものは エサとの引き換えでしか成立しない条件反射的なものに過ぎず エサが得られない程難しくなれば簡単に放棄され やらなくなるのである
環境に左右されることなく自主的自発的に探求することでヒトは科学的知見を発見することができるのであって チンパンジーや 学力成績などの評価承認欲しさに知識の「量」だけをひけらかして満足しているバカでは何が間違いで何が正しい事柄なのかも区別はつかない
間違いに気づけるかどうかは遺伝的進化とは無関係であり 気づき難い性格や傾向性のようなものは存在しているとしても 気付けるヒトと気づけないヒトとの間には脳の決定的な差異は存在しておらず あくまで主体性や自発的に物事を検証できるかどうかの違いでしかない
間違いに気づける能力があるとしても それが生存にとって必ず有利に働くメカニズム構造は存在せず むしろ誰も気づくことのできない事柄に気づくことのできる少数異端は排除差別の対象にされることも少なくはない
科学というものは 本来「論理的に より正しい知見を選別するため」のものであって 理論をすっ飛ばして身勝手な屁理屈をこじつけて大衆人気(多数決)を得るためのものではない
科学というもの 科学的真理というものは 大衆やマスコミの評価や報酬金儲けを目的としたものではなく あくまで純粋に「本当のことを知りたい」という知的欲求に基づいたものである必要性がある
「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」などという 論理的にも意味不明で根拠のない勝手な妄想であっても 大衆の多くはそれが科学的根拠がないことには気づくこともできず 何ら検証もせずに鵜呑みにし 多数による多数決的人気さえあれば何らかの論理的保証になっているとでも「思う」のであろうが
科学は多数決ではない
多数決は「論理的に正しいことの証明」にはならないのである
それは現状の生物学界内部の多数決でも同じことである
Ende;